弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年8月21日
虚構の日米安保
社会
(霧山昴)
著者 古関 彰一 、 出版 筑摩選書
日本の現状に対する鋭い指摘がオンパレードの本です。剣山の針が膚に突き刺さってくるような痛みすら覚えました。
日米安保条約の危険な本質、それを日本政府が今日に至るまで嘘で塗めてきたこと、多くの日本人が易々と騙されたまま、怒りをもって異議を唱えようとしないこと...、著者は、これらすべてに対して、本当にそんなことでよいのか、そう厳しく告発しています。
日本敗戦後、日本を支配したアメリカは、憲法を制定させたあと、朝鮮戦争が勃発すると、すぐに自衛隊を発足させて日本の再装備を進めていったし、日本政府もそれを受け入れた。ところが、日米両政府の思惑はまったく異なるものだった。アメリカは、冷戦下、ソ連などの共産勢力の誇張政策を阻止し、アジア・太平洋諸国の安定のために、米軍の指揮下で行動する日本軍を再興しようと考えた。これに対して日本政府は、まさしく戦前の日本軍をアメリカが興してくれるものと考えた。
日本政府は憲法9条と自衛隊の矛盾を真剣に考えてはいなかった。憲法9条を「棚上げ」しておけばいいくらいの考えだった。もちろん、それは立憲主義の考えではない。アメリカ政府は立憲主義を当然視するので、このような日本政府の「見解」を疑問視した。しかし、日本政府は「協議」すればいいと言ってはぐらかし続けた。
アメリカの特使をつとめて来日したジョン・ドーダレスは、「日米政府間で協議していれば憲法9条は改正されるのか?」と嫌味を言ってのけた。
日米間で、安保共同宣言(1996年)はあるが、それは政府間のものに過ぎず、国家同士の合意ではない。この状態が今に至るまで65年間も続いている。
幣原喜重郎首相(当時)がマッカーサーと会談して、「戦争の放棄」を発案・提起したという「説」を、著者は否定しています。当時の幣原はGHQ案の9条に反対していたし、マッカーサーに対しても「戦争の放棄などと言っても誰もついてこない」と言って、たしなめられたりしたというのです。
たしかに、マッカーサーはいつだって長広舌を振るい、他人の進言をとり入れるような性格の人間ではなかったという指摘がされています(他の本で)。アメリカにとって、日本が再軍備して憲法を改正するというのは、アメリカ政府の決定に全面的に従属するための再軍備であり、そのための憲法改正である。自衛隊の司令官は日本人ではなく、アメリカ人がなるということ。こんなことを日本政府が受け入れて日本国民に対して説明できるはずもありません。そこで、日本政府はどうしたか...。
文書に残さない。口頭という奥の手を使った。ところが、電文という公文書で、アメリカ側には文書が残る。日本側に文書はないので、国民に説明しなくてもよい。これが吉田茂首相(当時)のとった高等戦術だったのです。そうはいっても、アメリカ側には不安が残ったので、日米合意を何度も持ちかけた。
米軍基地の管理権は米軍にあり、日本政府は指一本も出せない。これが日米地位協定第3条。オスプレイが配備され、墜落し、有毒ガスが発生し、PFASが検出されても、米軍人が凶悪犯罪を犯しても、まさに日本は植民地同然の治外法権がまかり通っています。米軍にとって、「基地の自由な使用」こそが日米安保なのである。
アメリカ人将兵は、日本の運転免許証がなくても日本全国、どこでも自由に運転できるとのこと。呆れを通りこして、怒りを覚えます。「日本人ファースト」を唱え、外国人排斥を叫ぶ参政党には目を光らせてほしいところですよね。
著者は問いかけます。なぜ日本政府は、ここまで恥も外聞もなく卑屈なのであろうか...。同感です。この本でも砂川事件の最高裁判決について、田中耕太郎最高裁長官が米国大使・マッカーサー2世と密談を重ねていて、その指示を受けていたことを特記しています。本当にひどい話です。私も、それを知って以来、田中耕太郎を史上最低の下衆野郎(げすやろう)として呼び捨てにしています。ところが、現代日本の裁判官は、こんなひどい事実を知っても田中耕太郎を庇(かば)うのです。まさしく自分は田中耕太郎と同類だと自認しているわけです。
岸信介首相とハーター米国務長官の交換公文(1960年)は、核を搭載した米軍機が日本に飛来した際、また米艦船が日本の港湾に侵入した際、日米の事前協議の対象とはしないとした。このことは秘密にされていた。大平首相は、外務大臣のときに知らされたが、沈黙を守った。
非核三原則を提唱したとして佐藤栄作首相はノーベル平和賞を受賞したが、実は、当時沖縄には1300発の核兵器が配備されていて、それは知悉していながら不問に付していた。
また、事前協議については、米軍に「重要な配備の変更」がなければ行わないとされていた。要するに、核兵器の日本への持ち込みは黙認するという密約があった。
「非核三原則」の一つ、「核を持ち込ませない」は空文化していた。
沖縄の返還にあたって、「核抜き、本土並み」となったと表向きされていたが、実のところアメリカ(当時はニクソン大統領)が核兵器を外から持ち込むのについて、日本(当時は佐藤栄作首相)は、事前協議において遅滞なく承認するという合意議事録を作成していた(1969年11月19日)のようです。そして、日本国民に知らせることはありませんでした。佐藤首相が持ち帰った文書は、佐藤栄作の死後、自宅の机の中から発見された。これほど重要な公文書がきちんと保管されていなかったというのも驚かされます。
ライシャワー元駐日大使は、「日本政府は日本国民にウソをついている」と断言した(1981年5月18日)。
この本では、日本政府が日本国民に向かってごまかし用語を多用していることも指摘しています。たとえば、PKOについては「平和維持作戦」と訳すべきところ、「平和維持活動」とし、軍事作戦とは違うと印象づけようとしている。また、国際法上の「難民」なのに、より一般的な「避難民」という用語を用いている。これは、避難民として保護はするけれど、国際法上の難民の権利は認めないことを意味している。
安全後生関連の言葉が、国民に受け入れられるように、いかに数多くの表現が書き換えられ、改記されてきたのか。調べるほどに、その多さに驚かされた。政治用語の改案が大きく変わり始めたのはこの30年、有事法制になってからのこと。武器を「防衛装備品」に、「敵基地反撃能力」を「反撃能力」としている。「敵」を「攻撃する能力」は、「敵」から「攻撃された際に反撃する能力」に変わった。
330頁もの長編力作です。盆休みの半日で必死に読みふけり、大変勉強になりました。
(2025年3月刊。2090円)