弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2025年7月 9日
未来をはじめる
(霧山昴)
著者 宇野 重規 、 出版 東京大学出版会
東大の政治思想史の教授である著者が東京の女子高生(中学生含む)を相手に5回にわたって政治学を講義したものが再現されています。なので、そもそも難しい政治学の理論が難しいまま展開されることもなく、とても分かりやすい本になっています。
政治思想史が専門ですから、当然にマルクスも社会主義も登場します。
現在の若者(大学生を含む)には、マルクス主義とか社会主義というと、すぐに「良くないもの」という否定的なイメージがもたれている。しかし、人々の間の不平等を何とかしたい、むしろ不平等はますます拡大しているのが現実ではないか、と著者は指摘します。どうやったら社会における不平等は是正されるかを考えている人が社会主義なのだから、あまりに一面的な社会主義の理解は、この機会に考え直したほうがよいと著者は提案しています。まったく同感です。
つい最近の新聞に、世界の歳富裕層1%は2015年からの10年間に4895兆円(33兆9千億ドル)の富を得たという国際NGOオックスファムの報告書が紹介されていました。
最富裕層1%は、下位95%の人々が持つ富の合計よりも多くの富を保有している。最富裕層が10年間に得た富は、世界の貧困を22回も解消できる規模になっているそうです。トマ・ピケティによると、現在の不平等の水準は、20世紀初頭ほどの水準にまで逆戻りしている。いやはや、資本主義の行き詰まりもまた明らかですね。それをトランプのようなやり方で解消・脱出できるはずもありません。
日本人のなかに公務員は多すぎる、もっと減らせと声高に言いつのる人が少なくありません。でも、実際には、国際比較でみると、日本は公務員がとても少ない。福祉や教育の現場では、公務員がどんどん減らされて困っているのが現実です。それは司法の分野でも同じです。
逆に、増えすぎているのは大軍拡予算です。自衛隊員のほうはずっと前から定員を充足していません。
著者は、教育や医療といった基本的なニーズは社会がある程度サポートすべきだとしています。大賛成です。年寄りと若者の対立をあおりたてる政党がありますが、政治の役割を理解していない、根本的に考えが間違っています。高齢者の福祉予算を若者に負担させるべきだというのは、出発的から間違っているのです。世代間でバランスをとる必要なんてありません。
アメリカでは救急車を気安く呼ぶことは許されない。お金をとられるから。すべて営利企業である保険会社を利用せざるをえない仕組みです。日本の国民皆保険は守るべきなのです。ヨーロッパは日本よりもっと進んでいます。イギリス人は日本に来て、病院の窓口でお金を支払わされるのに驚くのです。
ジャン・ジャック・ルソーが登場します。弁護士である私からすると、ルソーって、「人間不平等起源論」、「社会契約論」「エミール」といった政治思想の歴史に今も名を残す偉大な思想家なのですが、著者に言わせると、困った人、迷惑な人でもあるというのです。思わずひっくり返るほど驚きました。ルソーのことを何も知りませんでした。恥ずかしい限りです。
ルソーは女性関係もにぎやかで、たくさんの子どもをつくったものの、みんな孤児に送り込み、自分は一人も育てあげてはいない。ただ、ルソー自身が可哀想な人で、母親は早く死に、父親もどこかへ消えていなくなり、早くから天涯孤独で生活したというのです。
選挙の意義についても語られています。アメリカでは、アル・ゴアもヒラリー・クリントンも得票数では勝っていたのに大統領にはなれなかった。フランスではルペンが当選する可能性があったけれど、2回制の決戦投票システムだから極右のルペンは当選できなかった。
日本の小選挙区制では民意が本当に反映させているのか疑問だ。それにしても、若者の投票率の低さは問題。あきらめてはいけない。
著者の提起した問題をしっかり受けとめ、しっかり議論に参加している女子高生たちの姿を知ると、日本の若者も捨てたものじゃないと、希望も見えてくる本になっています。こんな大人と若者との対話が、もっともっと今の日本には必要だと思わせる本でもありました。
(2018年12月刊。1760円)
2025年7月 8日
10年先の憲法へ
(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 太郎次郎社エディダス
申し訳ありませんが、私はテレビを見ませんので、NHKの朝ドラ『虎に翼』も『あんぱん』も見ていません。ところが、弁護士である著者は子育てしながらも朝と昼、2回も見ていたそうです。そして、「とても幸福な朝ドラ体験だった」といいます。
朝ドラが終了した翌日、主人公のモデル・三淵嘉子夫妻が過ごしていた小田原市にある別荘・甘柑(かんかん)荘保存会から声がかかって、「憲法カフェ」の講師として話したのでした。この本は、その時の講演をベースにしていますので、とても分かりやすいものになっています。
この本の後半に「ホモソーシャル」という私の知らない用語が登場します。女性を排除した男性どうしの絆(きずな)を指します。女性は、あくまで男性同士の関係性を構築するための「ネタ」であって、その関係性からは排除されてしまっている。そもそもホモソーシャルとは女性軽視(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)をベースにした男性同士の強固な結びつき、および男たちによる社会の占有をいう。つまり、女性を自分たちと同じように社会を担う一員とは考えず、また同じように物事を考え、同じようにさまざまなことを感じながら生きている存在だとは見ない。ふむふむ、そう言われたら、自分のことを棚上げして言うと、そんな男集団ってありますよね...。
男らしさの三つの要素は、優越志向、権力志向、所有志向。
一種の権力志向に「嫌知らず」があるそうです。「嫌知らず」というのは、女性や子どもが「それは嫌だ」「やめてほしい」と言っているのに、それが伝わらず、同じことを繰り返す男性の行動を指す。
『虎に翼』に登場した「優三」について、著者はケア力の高い男性だとみています。他の人のニーズを汲(く)み、理解して、自分ができることで、それに応えようとする、そんな行動をナチュラルに出来る人。
寅子のモデルの三淵嘉子は、家庭裁判所で少年事件を担当するとき、「もっと聞かせて」と少年によく言っていたそうです。長く弁護士をしている私は、この言葉を聞いて、ガーンと頭を一つ殴られてしまった気がしました。
というのも、弁護士として、いかに書面を書いて、主張を展開し、まとめることばかり気をとられ、目の前の依頼者や相談者に対して、「もっと聞かせて」なんて頼むことはほとんどありません。目の前の裁判官が「もっと聞かせて」と言いながら身を乗りてきたとき、少なくない少年たちが心を開いて、自分のみに起きたことを話し始めるのではないでしょうか...。
出涸(でが)らし、という言葉も出てきます。弁護士生活50年以上、パソコンを扱えず、判例献策をインターネット上ですることもできない(なので、すぐ身近な若手弁護士に頼みます)私なんど、この出涸らしの典型でしょう。でも、出涸らしには出涸らしによる良さもあると確信しています。
「おかしい、と声を上げた人の声は決して消えない。その声が、いつか誰かの力になる日が、きっと来る。私の声だって、みんなの声だって、決して消えない」
いやあ、いいセリフですよね。今日の少数意見が明日は多数意見になることを信じて歩いていくのです。
この本のタイトルって、どんな意味なのかな...と思っていると、最後にネタ明かしがありました。『虎に翼』の主題歌の歌詞に「100年先も」というフレーズがあるのですね。
三淵嘉子は日本で初めて司法試験(高等文官司法科試験)に合格した3人の女性のうちの1人です。私の父は、その3年前に同じく司法科試験を受験しましたが、残念ながら不合格。1回であきらめて郷里に戻りました。法政大学出身で、「大学は出たけれど...」という映画がつくられるほど、当時の日本は不景気でした。父は合格したら検察官になるつもりだったと言いました。ええっ。と私は驚きました。
でも、当時は、治安維持法違反で特高警察に捕まった被告人を法廷で弁護したら、それ自体が目的遂行罪なる、訳の分からない罪名で弁護士までも逮捕されて刑務所に追いやられていました。そのうえ、「赤化判事」として、現職の裁判官が自主的に勉強会をしたとか、共産党にカンパしたくらいで逮捕されたのです。このあたりの詳しい状況を知りたい人は、ぜひ、『まだ見たきものあり』(花伝社、1650円)を読んでください。
憲法13条は、「すべて国民は個人として尊重される」と定めています。そして、憲法12条は、国は不断の努力によって、自由と権利を保持しなければならないとしています。このとき、国民とは、日本に住む外国人も当然に含まれます。健康で文化的な生活を営む権利は、日本に住むすべての人のもっとも基本的な権利なのです。いい本でした。
(2025年4月刊。1540円)
日曜日、少し厚さもやわらいだ夕方から庭に出ました。熱中症にならないよう、日陰での作業から始めます。ひんぱんに小休止して水分を補給しました。
今、庭一面に黄色い花(名前が分かりません)が咲き誇っています。3月ころ、白い花を咲かせていました。
ブルーベリーが色づいていましたので、指でもぎりました。小さなカップ一杯とれたので、夕食のデザートにします。
目が覚めるような真紅の朝顔が咲いています。夏に朝顔は欠かせません。
外国人排斥を叫び、明治憲法に戻れという参政党が支持を伸ばしているといいます。信じられません。まるで戦前の亡霊です。
若い人や女性が支持しているというのですが、ヘイトスピーチは、いずれ自分にはね返ってきます。ぜひ考え直してほしいです。みんな同じ人間なんですから...。
2025年7月 6日
砂の器・映画の魔性
(霧山昴)
著者 樋口 尚文 、 出版 筑摩書房
映画大好き人間(フランス語ではシネフィルと言います)の私にとって、日本映画の最高傑作は『七人の侍』であり、それに次ぐのが、この『砂の器』ではないかと考えています。もちろん、他にも『二十四の瞳』だとか、『生きる』というのもありますが...。
この本は『砂の器』に関してあらゆる角度から総括したものと思えます。すごいです。製作現場の裏話まで、当時のノートまで掘り起こして裏づけています。
著者の主張が最後に要約されていますので、それを紹介します。
松本清張の作品のなかでは問題も多い長大な原作を脚本家にして製作者でもある橋本忍が大胆な「奇想」でまるで別物に改変し、それゆえの無理の多いところを野村芳太郎監督の「緻密」が細心にカバーしたところに生まれた、非常に奇異なるベンチャー映画である。
作り手の稀有な「奇想」と「緻密」の掛け算が生んだメロドラマ性は、そこに傾けられた熱気の迫力もあいまって、日本人独特の心性に強く訴えかける特異な映画に仕上がった。
中国の映画監督との対談もあり、中国の映画監督に対して『砂の器』は大きな影響を与えたし、中国でも大好評だったようですが、『七人の侍』ほど国際的には評価されていないようだと知ると、少しばかり残念に思いました。
この本には、『砂の器』で子役(「秀夫」役)だった人(春日和秀氏)が登場します。子役を15歳でやめたあと、自動車関連の仕事をしていて、自分が『砂の器』で子役をしたことを妻子にも言っていなかったというのです。
『砂の器』に出演したのは小学1年から2年生までのことで、この1年間はほとんど学校にも行っていないとのこと(今では考えられません)。
セリフはないけれど、目力(めぢから)がすごいという評判をとっています。そして、額にひどい傷ができるような転がり方をロケ地で実際にさせられたそうです。加藤剛は、その傷を隠そうとしています。そして青森の竜飛(たっぴ)崎でのロケのときは厳寒のなかで加藤喜に抱かれて携帯カイロのようにされていたというのです。
この『砂の器』は、松竹の城戸四郎社長が製作に反対して13年間も「お蔵入り」をして、「橋本プロ」の企画して、ようやく陽の目を見ることができたのでした。
映画が完成して上映されたのは1974(昭和49)年10月のこと。私はこの年4月に弁護士になっていますので、恐らく川崎か東京の映画館で見たように思います。大評判になりました。泣かずにはおれない映画です。しかも号泣です。老若男女の幅広い客層で、映画後半には場内のそこかしこで観客の嗚咽(おえつ)が聞こえ、終映後のロビーには満足と称賛の声があふれていた。この年の映画配給収入の第3位となる7億円を売り上げた。
この映画の肝(きも)のひとつが出雲にある亀嵩(かめだか)地方が東北のズーズー弁と同じということです。その意味で亀嵩駅が登場するわけですが、実は本当の亀嵩駅は全然使われておらず、近隣の液の風景をパッチワークのように描き出したとのこと。すごいですね、さすが映画です。
女優の島田陽子は清純派として有名だったわけです(当時21歳)が。加藤剛とのベッドシーンでは、「気持ちをちゃんと作ってください」と監督から指示されたとのこと。大変なプレッシャーです。そして、ヌードになるとき、監督に申し入れたとのこと。「私があまりに胸がないので、お見せするのに忍びないと思って...」。すると、野村監督は、「こんなに幸薄い女性の胸が大きかったらおかしいでしょう」と言い返したとのこと。いやはや、なるほど、そうかもしれません。
ぜひまた、『砂の器』を観てみたくなりました。
(2025年6月刊。2750円)
2025年7月 3日
エヌビディアの流儀
(霧山昴)
著者 テイ・キム 、 出版 ダイヤモンド社
TSMCにしろ、このエヌビディアにしろ、台湾系アメリカ人が興(おこ)した企業なのですね。日頃、IT関係に疎(うと)い私でも、エヌビディアという世界的超大企業の存在は知っていましたので、その内情を少しばかりのぞいてみたくて読んでみました。
エヌビディアは、大きくなるにつれ、生き残るためには未来になるべく多くの保険をかけることが肝要だと考えた。エヌビディアが競合他社と一線を画すのは、長期的な実験や投資に前向きであり、その自由な活動を収益化に結びつける能力が高いこと。
目先の利益だけを追い求めるのではなく、ちょっと先まで考え、今はムダに思えることでもやってみるという姿勢が肝要なんですよね。最近の日本企業に欠けている視点のように思います。いかにも視野の狭い企業人が大学の研究にまで口を出して、今すぐもうかるものにばかり目を向けさせようとするのです。それでは先が伸びません。
ChatGPTは、公開してわずか2ヶ月で月間アクティブユーザーが1億人を突破した。これは史上もっとも急成長した消費者向けアプリ。
2023年に生成AIの需要が爆発的に伸びたとき、生成AIを完全にサポートする準備が整っていたハードウェア・メーカーはエヌビディアだけだった。
エヌビディアには社員を引き留める柔軟な報酬制度がある。社員は入社時に証券口座を受けとり、入社1年目の終わりに初回の株式報酬の4分の1を受けとる。4年たって株式を満額行使できるようになってすぐ退社するのを防ぐため、エヌビディアは、毎年、追加で株式を付与している。これによって、社員が会社に残る理由はますます増えていく。
そして、特別な評価に値すると認めた社員に対しては、年次の勤務評定を待たず、いつでも社員に直接様式を付与する。このような、エヌビディアの実力主義的で柔軟で機敏な報酬制度は、きわめて低い離職率に一役買っている。エヌビディアの離職率3%未満は、業界平均の13%を大きく下回っている。
エヌビディアは弱肉強食の競争文化が生まれるのを積極的に防いでいる。
「ひとりで負ける者はいない」というのが哲学。困ったら、積極的に応援を求めることが奨励されている。ふむふむ、これはいいことですよね。
エヌビディアは大学を支援するだけでなく、学生たちも支援している。いちばん大事なのは、改善しようとする姿勢。
エヌビディアの会議は、ホワイトボードを活用する。全員がまっさらなホワイトボードから始め、過去を忘れて現在、重要なことだけに集中する。ホワイトボードを使うときは、厳密さと透明性の両方が自然に求められる。ホワイトボードの前に立つたび、一から始めなければならないので、自分の考えをなるべく詳しく明快に説明する必要がある。
存在感を保ち続けるためには、投資するしかない。投資を止めたとたん、淘汰されてしまう。成功にとって大事なのは忍耐力。人格は、挫折が逆境を乗り越えてこそ磨かれる。
エヌビディアという会社の名前は、開発中のNVIチップに敬意を表したもの。
少しだけエヌビディアというIT超大企業の内幕を知ることができました。
(2025年2月刊。2400円+税)
2025年6月27日
ウンコノミクス
(霧山昴)
著者 山口 亮子 、 出版 インターナショナル新書
人間が排出するウンコの国際比較。1日にアメリカ人は150グラム、イギリス人は100グラム。日本人は200グラムで、中国人は210グラム、インド人は300グラム。ケニア人はなんと520グラム。ところが戦前の日本人は400グラムだったので、半減している。
日本人は85歳まで生きると、生涯に6.2トンの排出することになる。アフリカ象1頭分だ。そして、日本人は1億2400万人いるので、毎日2万5千トンを排出している。
100万都市だった江戸では人糞尿は取引されていて、年間2万両になった。今の8~12億円。
リンは重要な肥料。日本は中国から輸入している。
ウンコは、肥料の3要素(リン酸、カリウム、窒素)のうち、窒素とリン酸を豊富に含んでいる。日本はリン酸アンモニウム(リン安(あん))の90%を中国から輸入している。
リン鉱石は特定の地域に偏在している。中国とモロッコ、エジプトの3ヶ国で8割を占める。
リンは工業用にも使われる。電気自動車のバッテリーにはリン酸鉄リチウムイオン電池が使われる。
汚水処理場で発生した最終的な汚泥は、全量焼却している。
著者はウンコ由来の肥料を生産し、活用することを提唱しています。たしかに、全量焼却するよりは、よほど健全かつ合理的でしょう。
すでに下水汚泥はヨーロッパでは活用されているのです。フランスでは、畑にも牧草地にも、下水汚泥を散布するなどして、8割も農業に利用しているそうです。日本も考える必要があります。「台湾有事」とか言って、中国を敵視していますが、日本は中国に、リンとリン酸についてはすっかり依存しているのです。戦争なんて出来ませんよ。してはいけません。
ウンコを核にした資源の循環が提起されています。画期的な提案です。この提案がホンモノになることを心より祈念します。
(2025年4月刊。950円+税)
2025年6月25日
米原昶の革命
(霧山昴)
著者 松永 智子 、 出版 創元社
米原昶(よねはら・いたる)という共産党の代議士がいました。今ではすっかり忘れられていますが、その娘の米原万里(よねはら・まり)のほうは、かなり知られているのではないでしょうか。私の書棚にも、5冊以上並んでいます。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はひどく胸の打たれる本でした。
さて、父親です。東京選出の共産党の代議士として、私がまだ東京にいたころ活動していました。この本によると、1973年9月の衆議院本会議で、田中角栄首相に対してKCIAと国際勝共連合(文鮮明の統一協会の別働隊)を追求したというのです。この質疑を安倍晋三が銃撃されて死亡したあと、2023年8月16日に「ポリタスTV」で紹介されたところ、たちまち「時の人」になったということfです。
姉の米原万里と同じく妹の米原ユリ(料理研究家)もそれなりに有名です。というのは、作家の井上ひさしと結婚したからです。万里もユリも、「父(いたる)が大好きで大好きで」というのでした。これは、たいしたものですね...。
米原いたるは、鳥取の名家の生まれ。生家は国の有形文化財に登録されている。米原いたるは、鳥取中学校から東京で一高に入学し、除籍されている。
鳥取といえば、今の石破茂首相の地盤ですが、米原いたるは、1949年には鳥取でトップ当選しています。鳥取の名家出身のなせるわざですね。東京2区からも3回当選しています。中選挙区制だったからです。今の小選挙区制は民意をきちんと反映していません。
米原いたるは一高時代は柔道部に入って熱心に練習していたようです。ところが社研に入って活動するようになり、ついには、地下で党活動を始めたのでした。1928年ころのことです。私の父(茂)も、このころ東京で逓信省につとめて働いていました(『まだ見たきものあり』)。
3.15事件は小林多喜二が小説にしていますが、特高が政府に反抗的な人々に対して凄惨な拷問を加えていたのでした。1929年10月、米原いたるは一高より除籍処分を受けた。その理由は「不穏の言動」というものです。信じられない理由です。
1930年7月から1945年8月まで、米原いたるは15年間という地下生活に入ったのでした。21歳から36歳までのことです。北海道、東京、群馬、福島で偽名を使って生活していました。この間、いたるの父・米原章三は貴族院議員になっています。この15年間、造船所や鉄工所で肉体労働をし、また、雑誌の編集、返信教育に関わっていたようです。
米原いたるは1959年から社会主義国のチェコ(プラハ)に駐在するようになります。「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集部員として、ヨーロッパ諸国への情報収集を任務としました。本名ではなく大山二郎(アヤーマ)と名乗っての活動です。中ソ論争が激しくなる中で、妻が日本に帰国してから、娘2人とプラハで3人暮らしをしていました。このころの娘たちの生活の大変さは万里の本のなかによく描かれています。
やがて、日本共産党はソ連との関係が悪化し、1964年11月に日本に帰国しました。そして、1969年12月の総選挙で当選して国会議員として活動しはじめました。
米原いたるは1982年5月、73歳で亡くなった。難病のALSだった。
米原いたるは家で息子の矜持(きょうじ)からか、名家(資産家)の祖父の遺産は一銭も使われなかったという。米原いたるは、島軽西高の応援歌「祝勝の歌」を作詞した。今に至るまで、100年間、うたわれている。ちなみに、この本の著者は久留米の明善高校出身とのこと。米原いたるの曾祖父・米原章三は、「世のため人のために奉仕せよ。孫の代まで見すえた仕事をせよ」と説いたという。それを米原いたるは見事に貫き、実践した。最後に米良いたるの年譜があるのを見て、私の父と同年(1909年、明治42年)の生まれだと知りました。
道理で、東京の一高生のころに時代背景が重なるわけです。
それにしても米原万里が早く亡くなったのは惜しまれます。父の地下生活の15年間を追跡していたそうですから...。
(2025年2月刊。2970円)
2025年6月19日
よみがえる美しい鳥
(霧山昴)
著者 大川 真郎 、 出版 日本評論社
いったい、この先どうなるんだろうと、手に汗を握る展開で始まる本です。そしていくつもの障害・困難を乗りこえ、ついに調印式にこぎつけます。このとき、恐る恐る出席した県知事までがついに感きわまって泣き出してしまいました。ところが、実は、その後も島の地下から次々に汚染物質が掘り出されるのです。いったい、どうするの、こんなに大量の汚染物質を...。
産業廃棄物ですから、悪臭がひどいだけでなく、猛毒です。それを安全に処理できるのか、処理したとして、その最終処分によって生成したものを全部島外に運び出せるのか、いったいそんな場所が日本にあるのか...。最後のところは、放射性廃棄物となんだか似ていますよね。でも、放射性廃棄物と違って、こちらはまだなんとかなりそうなのが救いです。
豊かな島と書いて、「てしま」と読みます。瀬戸内海の小さな島です。香川県に属します。小豆島のそばにあり、近くにアートで有名な直島があります。私は映画「二十三の瞳」で有名な小豆島にも直島の美術館にも行ったことがありますが、この豊島には行っていません。今では、産業問題で有名になった島として年間4万人もの見学者があるそうです。
かつては島の人口は3千人もいたのが、今では750人。高齢化が進み、住民運動のリーダーたちも多くは亡くなっている。
この豊島に産業が運び込まれるようになったのは、1978年2月、香川県が「ミミズによる土壌改良可処分業」を許可したことから。ところが、「ミミズによる土壌改良というのは、まったくの嘘で、シュレッダーダスト、ラガーロープ、廃油、汚泥、廃酸、廃プラスチックなど、さまざまな有害産業廃棄物が次々に豊島に運び込まれた。しかも、大量の野焼きがあり、悪臭と煤煙が島全体を覆うようになった。
ついには海上保安庁そして兵庫県警が立ち入り捜査をするに至った。捜査を英断した兵庫県警の本部長は、あとで狙撃され、瀕死の重傷を負った、かの国松孝次警察長官でした。
結局、事業者らは、廃棄物処理法違反で逮捕され、起訴されて有罪となった(1991年7月)。
香川県は、犯罪行為に加担していたわけですが、自らの非をまったく認めず、廃棄物の撤去にも動こうとしなかったのです。
このとき、住民は、搬入された産業廃棄物は60万トンと推計した。しかし、最終的に撤去されたのは、汚染土壌1万3千トンを含めると91万トンを上回った。
島民は住民会議を結成し、大坂の中坊公平弁護士に依頼した。このときの中坊弁護士と住民代表との会話が紹介されています。住民の代表(安岐正三氏)に向かって中坊弁護士は、こう言った。
「わかった。ところであんた、金ないやろ、知恵ないやろ。あるのはなんや、命だけやないか。命は誰も一つ、平等や。あんた、もうそれしかないで。身体(からだ)張って下さい。約束できますか」
私は個人的に中坊弁護士と話したことはありませんが、その講演は何回も聞きました。いつも、ものすごい迫力を感じました。この口調で中坊弁護士から迫られた住民は心底からびびってしまったことでしょう。
この本の著者は中坊弁護士に「釣られて」弁護団の有力(主力)メンバーになったのでした。中坊弁護士の「人たらし」は有名でした。
弁護団は、裁判ではなく、公調委(公害等調整委員会)を選択します。この公調委はもちろん東京にあるわけですが、さまざまな難局を経て、最終解決(調印式)するときは、なんと豊島に委員長がやってきて、豊島小学校体育館で開いたのです(2000年6月6日)。
ときの公調委の委員長は元東京高裁長官の川㟢元裁判官。真鍋知事も恐る恐る会場にやってきたが、用意した謝罪文を読み終えたあと、自分の言葉でその思いを語った。そして、会場から港まで、中坊弁護士と連れだって歩いていった。住民と弁護団も一緒に...。そしてこの状況をマスコミが撮影し、報道した。
一足飛びに終結した様子を紹介しましたが、それに至るまで、公調委は何回も決裂寸前になったのでした。肝心なことは、豊島に搬入され埋められた産業廃棄物がどれほどのものなのか、科学的に調査すること、その費用を誰が負担するか、です。3億円近くもかかります。しかし、ついに国が決断しました。
それまで、住民は、香川県庁前で半年間にわたり、立って抗議しました。銀座で廃棄物を陳列しても訴えました(1996年9月20日)。住民大会には500人が参加。ところが、地元選出の県会議員が住民運動について、弁護団が主導する「根無し草の運動」だと攻撃したのです。
そこで、住民は「草の根」運動を展開しました。それは、ついに39歳の若い住民代表を県会議員に当選させるに至ったのです。
産業廃棄物は隣の直島につくられた処理施設で処理されることになりました。
著者たち弁護団のすごいのは、公調委での最終解決のあとも弁護団を解散することなく、住民とともに最後まで関わっていることです。大変元気の出る本でもありました。いつも著書を送っていただき、ありがとうございます。引き続きの健筆を大いに期待しています。
(2025年6月刊。2600円+税)
2025年6月18日
京都・花街はこの世の地獄
(霧山昴)
著者 桐貴 清羽 ・ 宮本ぐみ 、 出版 竹書房
元舞妓が語る、古都の闇というサブタイトルのついたマンガ本です。私も昔に一度だけ舞妓(まいこ)さんの踊りを見学したことがあります。よく覚えていませんが、弁護士グループによる見学コースの1コマでした。私は、どうも「一見(いちげん)さん、お断わり」というのが好きになれません。
舞妓と芸妓(げいこ)の違いを今回はじめて認識しました。
舞妓は、芸妓になるまでの修業期間にある女性。芸妓がプロで、舞妓はその手前のセミプロ。だいたい15歳から20歳までの女性。芸妓になるためには、舞踊などの芸事をしっかり身につけることが必要。
もちろん、舞妓にもすぐになれるわけではない。仕込み期間が1年、そして1ヶ月間の見習いを要する。
舞妓は未成年だけど、客が勧めるお酒を断れるわけにはいかない。舞妓が酔いつぶれても救急車を呼んではいけない。
お座敷に出ると、そこは客からのセクハラの温床。舞妓は、性的な行動については分からないはずなので、客の下ネタに反応してはいけない。「キョトン」とした態度でやり過ごす。そして、胸や尻を触られても、ひたすら堪えるしかない。
舞妓は置屋で居場所をなくしたら生きていけない。だから、おかあさんとお姉さんには逆らえない。舞妓が客からもらった御祝儀は、そのままおかあさんに回収される。
舞妓は、コンビニやファーストフードの店に入るのは禁止。ケータイを持つのもダメ。カフェには客と一緒なら入っていい。舞妓は、あくまで「お人形さん」だから。非番のときに出かける私服にも制約がある。
お風呂は昼間に入る。だけど、「5分間厳守」。なので、湯舟には入らず、シャワーが基本。
髪は2週間に1度、髪結いさんに結ってもらう。髪の毛の油はシャンプーだけでは落ちないから、食器用洗剤を使う。ええっ、そ、そうなんですか...。におい隠しのため、お香をたいておく。芸妓のほうはかつらなので、頭髪の悪臭とは無縁。
舞妓が客と距離を置くのは、においをさとられないようにするための配慮。いやはや、なんということでしょう...。
花街の実際がこんな世界だとは知りませんでした。知っていたら舞妓になる若い女性なんかいないでしょうね。
(2025年2月刊。1430円)
2025年6月 5日
軍拡国家
(霧山昴)
著者 望月 衣塑子 、 出版 角川新書
トランプ大統領の言動を見ていると、アメリカの「国益」が何より最優先ですから、日本を本気になってアメリカが守ってくれるなんて、誰も思わないでしょう。なんとなく、アメリカはいざというとき日本を守ってくれると信じこんでいる人が少なくありませんが、ようやく目が覚めた(つつある)というのが今日の日本の状況ではないでしょうか...。
今では、日本は殺傷能力のある武器(完成品を含む)を輸出することが出来ます。まさしく「武器輸出」三原則に違反するものです。ところが、日本政府は少しでも国民をどうにかごまかそうとして、「武器輸出」と言わないで、まず「防衛装備」といい、しかも「輸出」ではなく「移転」だとするのです。下手な詐欺師です。騙されてはいけませんし、慣れさせられてもいけません。
自衛隊幹部の汚職が相次いで暴露されています。「死の商人」のトップである川崎重工業は、6年間で17億円もの架空取引をしていたというのです。まったくデタラメな軍需産業です。
この本には、宮沢吉一元首相が、こんなことを言ったことが紹介されています。
「たとえ何かしらの外貨の黒字をかせげるとしても、わが国は兵器の輸出をして金をかせぐほど落ちぶれてはいない」(1976年5月の国会答弁)
安保三文書は抑止力になったと言えるのか、中国との緊張関係を高めただけなのではないか...。日本が持とうとしている長距離ミサイルは飛距離が千キロ以上なので、「専守防衛」のルールから大きく逸脱してしまう。本当にそのとおりです。
日本の軍需予算は、5年間で43兆円、実に1.6倍も増えている。そして、その財源確保のため、3.11福島第一原発の震災復興のための予算の一部を軍事費増につなげようとしている。こんなの許されますか...。
これまで、日本の防衛産業は、企業にとって大崩れもなければ大きく儲(もう)かることもない。ある意味で力を入れにくい分野だった。それが今、大きく変わったわけです。
慎重ムードが一転(一変)し、今や岸田・石破特需に沸いているのが防衛産業。そりゃあ、そうでしょう。何のためかというのは置いておいて、ともかく見たこともない巨額の大金が軍需産業にころがり込んでくることになったのですから...。まさしく、日本も「死の商人」を肥え太らせる道を驀進中なのです。
共産党の山添拓議員の国会質問が本書でたびたび紹介されています。弁護士として鍛えられた質問力もあって、鋭い切れ味の質問が展開されていますので、私も何度か視聴しましたが、胸がすっとするものがありました。
防衛(軍事)予算は国債でまかなわないという不文律まで完全に崩されています。本当にとんでもないことです。まったく、戦前の失敗を繰り返そうとしています。
日本が今、大軍拡につき進んでいるのに、その危険性をマスコミがなぜ大々的に取りあげて問題にしないのか、同じ記者として著者は厳しく弾劾しています。その原因の一つに、マスコミ大幹部が政権中枢とべったりになっていることを指摘しています。本当に呆れるほどのひどさです。
でも、私たちはあきらめるわけにはいきません。流れに掉さして声を上げましょう。
(2025年2月刊。900円+税)
2025年6月 4日
被爆80年にあたっての提言
(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
私たちは今、大分分岐点に立っている。原爆を開発したオッペンハイマーは、「我は死神なり。世界の破壊者なり」と言っていた。
いま、日本の政府は、核兵器に依存して「希望の世界」に進もうという。いったい、政府のいう「希望の世界」って、何なのでしょうか。どんな世界を指しているのでしょうか。フツー「希望の世界」っていったら、戦争のない、その心配も不安もない満ち足りた世界をイメージしますよね。でも、核兵器に依存して迎えるというのですから、お隣には核兵器が厳然として存在するわけです。すると、そこは「敵」に狙われるかもしれません。危険地帯に隣りあわせに生活していることになります。そんなのが「希望の世界」と言えるものでしょうか...。
著者は、政府のいう「希望の世界」は、「壊滅的な人道上の結末の世界」だと考えています。まったくそのとおりです。「希望」どころではありません。
今年(2025年)2月、日本の外務大臣(岩屋毅)は3月からニューヨークで開かれた核兵器禁止条約締結国会議への参加をふくめて、しないと表明した。
これまた信じられませんよね。核兵器なんて、あんな危険なものを、この地球上から一掃しよう。こんな呼びかけがあったら真っ先に駆けつけなければいけないはずの戦争被爆国ニッポンは、この会議に代表団もオブザーバーも送らなかったのです。情けない話です。
石破首相は、「すべての人が安心と安全を感じ」ることができるようになる(美しい日本)になるために、全力を尽くすと表明しました。しかし、実際は真逆の動きを、石破首相は首相になる前とうって変わって、加速化させています。「美しい日本」にするためには、日米同盟を更なる高みに引き上げる必要があるというのです。
石破首相はワシントンに飛んでいって、トランプ大統領と固い握手をして日本に帰ってきました。いったい何を約束させられたのでしょうか...。中国敵視をあらわにし共同声明では中国を名指しで批判しています。
最近の中国の行動は以前に比べて、いかにも乱暴です。でもでも、中国を名指しで非難したというのは、日本とアメリカは、中国を挑発したも同然です。
日米両国は、着々と日米同盟の軍事力を強化している。
2015年の「平和安全法制」とは、日本が攻撃されていなくても、場合によっては自衛隊を派遣できるという制度。
核兵器にしがみつきながら、「楽しい国」や「希望の世界」を語るというのは、デマをまき散らすのと同じことだ。まったく、そのとおりです。
現在、地球上に1万2千発もの核弾頭が存在し、そのうち4千発は即座に発射可能な状態で配備されている。
ロシアは核超大国であり、ウクライナ戦争で核攻撃の可能性に言及すると威嚇している。そして、イスラエルがガザ地区に執拗な攻撃を続けるなかで、核兵器の使用を口にするイスラエル政府の閣僚がいる。
核を使ってはいけないという「核のタブー」が壊されようとしていることに、田中熙巳さんは限りない悔しさと憤りを覚えています。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞したときの記念スピーチにおいて、代表委員の田中熙巳氏は、原爆の犠牲者に対する日本政府による保証が不十分なことを二度くり返しました。これは予定原稿にはなかったことなので、大いに注目されました。田中氏は、「国家補償の問題が他の国にも共通の課題になっているから」と説明しました。本当に、そのとおりです。
今や、人類滅亡の終末時計は残り89秒とされています。安穏(あんのん)と浮かれてメタンガスをかかえ、カジノの露払いのための関西万博を見物に行く余裕はないのです。
3.11で「フクイチ」(福島第一原発)が大爆発したとき、東日本一帯は放射線で汚染される危機一発でした。原発は「パーフェクトな危険」なのです。
ウクライナにあるザボリージャ原発はロシア軍によって制圧された。原発への攻撃は禁止されていない。いやはや、これって本当に恐ろしいことですよね。原発にミサイルが打ち込まれたら、3.11と違って、補修班が原子炉に近づけるはずもありません。
今、私たちは、原発と核兵器という、二つの核エネルギーを利用する道具によって、生存を脅かされている。核兵器は、人類が自滅する手段である。
日本の投票率の低さは、思わず恥ずかしさで顔を覆いたくなるほどひどい。有権者は政治への関心を弱めている。そして、政治なんか、どうしたって変わらないと絶望している。あきらめてしまったら、それこそ支配層の思うがままなのですけどね...。
私はあきらめません。なんといったって、国も地方も変革できるし、変革しなければいけません。嘆いているヒマなんて、ないのです。
1980年代のピーク時には、7万発の核弾頭があったのが、今では1万2千発にまで減っている。やれば出来るのです。あきらめて死を待つわけにはいきません。
なにより、この80年間近く、核兵器が実戦で使用されたことはない。これを単に運が良かったと考えることなく、意識的な核廃絶の取り組みにしなければいけません。
「日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」(文部省「憲法のはなし」)
あきらめることなく、核廃絶に向かって声をあげましょう。
核兵器と原発をめぐる問題点を考えるときに、頭を整理し、資料として活用できる本です。著者の一層のご活躍を祈念します。いつも本を贈っていただき、ありがとうございます。
(2025年5月刊。1870円)