弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年12月25日

古代ローマ人の24時間

世界(ヨーロッパ)

 著者 アルベルト・アンジェラ 、河出書房新社 出版 
 
 私は残念ながらイタリアにはちらっとしか行ったことがありません。北部にあるコモとミラノに行ったくらいで、ローマには行っていません。有名なポンペイにも行ってみたいのですが・・・・。
この本では、ローマ帝政時代のローマ人の24時間が再現されています。なるほど、そうだったのかと思うところが多々ありました。日の出前から話は始まります。
ローマの通りには照明というのもがまったくない。ローマは150万人もの人口をかかえる大都市なのに、夜明け前だけは静かなのだ・・・・、と思ったら、その次には、犬が遠吠えして、騒音が聞こえてきた。ローマは決して眠ることのない都市なのである。
 紀元2世紀、ローマ帝国は栄華の絶頂期にあった。ローマ時代の裕福な家庭の夫婦は別々の寝室で眠るのが「優雅なこと」とされてきた。
 ローマ人は、朝起きて、すぐに服を着替えることはしない、というより、寝るときにも服を脱がず、半分服を着たまま眠る習慣が広くみられた。昼のあいだ着ていたトゥニカが寝間着がわりになっていた。ただし、古代ローマ人は毎日浴場に通っていたし、ベッドに入る数時間前に身体を洗っていたから、清潔ではあった。通常、ローマ人の人々が公共浴場に行くのは昼食後である。
 裕福な人々は、外出の際には、必ずローマ市民にとっての正装であるトガを着用した。
 トガは、現在の「スーツにネクタイ」のようなものである。平均的なトガは、直径が6メートルもある半円形をしていて、トガをまとうときには奴隷に手伝ってもらう必要があった。ローマ市民だけがトガの着用を許され、外国人や奴隷・解放奴隷が着るのは禁じられていた。ところが、女性にとってトガは、姦通の罪を犯した印か、あるいは娼婦の服装なのである。
古代ローマ人は靴下を履いていない。
古代ローマにおいては正確な時計がなかったので、分や秒という単位は存在しなかった。時間は、常に一定ということではなく、季節によって異なっていた。
 ローマ帝国では、どこでも最上階の借家人は乏しく、2階に住むのは裕福な者と決まっていた。
古代ローマでは、本質的に宗教は平等だった。侵攻の自由は帝国の安定のための重要な戦略となっていた。信仰の自由を認めることによって社会的緊張や反乱が避けられた。ただし、ローマ皇帝のためにも祭儀をおこなうことが条件とはなっていた。
 ローマ帝国は、貧困層を中心とする市民の援助に力を入れていた。パンや小麦粉などの最低限必要な食品を無料ないし低価格で配っていた。15万から17万世帯、ローマ人の全人口の3分の1が配給を受けていた。
 ローマ人の寿命は短く、男性は41歳、女性は29歳だった。女性は、出産時の死亡率が高かった。
ローマ市民は5人~12人の奴隷をかかえていた。農場になると、2~3000人という奴隷をかかえているところもあった。ローマ市民の多くが解放奴隷や元奴隷の子孫であった。
コロッセウムでは、最初に野獣狩り、続いて犯罪人の公開処刑、そして午後になって待ちに待った剣闘士どうしの戦いが始まる。この順番は、ローマ帝国のどこでも変わらない。
 コロッセウムでは、下に行くほど社会的地位の高い人が座る。コロッセウムで、わずか3日間で2400人もの剣闘士が闘ったという記録もある。死刑囚と剣闘士たちが月に50~100人亡くなっていたとして、ローマ時代には27~50万人もの人々が死んでいった計算となる。どうぞ、続きは本を買って読んでください。なかなかに面白い本でした。
 
(2009年7月刊。2400円+税)

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2010年12月24日

日本人が知らない世界のすし

社会

 著者 福江 誠、 日経プレミアシリーズ 出版 
 
 この夏、フランスに出かけたときパリだけでなくリヨンそしてディジョンにまで回転寿司の店があるのを知って驚きました。寿司のヘルシーさをフランス人が好んでいるようです。
今、アメリカには1万をこえる日本食レストランがある。アメリカは日本を除く世界の日本食の3分の1を占める日本食先進国だ。オーストラリアのシドニーには、市内に1000件もの寿司店がある。フランスも同じく1000店の日本食レストランがあり、パリに700店ある。いま、全世界で寿司を食べることのできるレストランは5万店をこす。回転寿司の先進地は、アメリカではなく、イギリスのロンドンだ。日本の寿司屋ではニンニクは臭いがつくため避けられているが、海外ではそれが必須となっている。海外では、きつい酢の味わいは好まれず、押し寿司のような甘い酢加減の店が多い。
海外では、突飛で派手な外見が「目にも楽しい」と好まれている。日本人の感覚とは違って、シンプルに美しいものよりも、ゴテゴテと華やかに楽しいものが受けている。
フランスの寿司屋の経営は9割以上がベトナム系中国人。
海外で寿司店や日本食レストランを経営するうえでの心構えとして必要なのは、自分の哲学を持っていること。寿司の勉強は誰でも出来る。ただし、なぜその町で寿司を食べさせたいのかという根本が必要だ。店のコンセプトをはっきりさせないと長続きしない。
 海外では寿司職人の方がニーズがある。給料も、板前より2倍もいい。カウンターでお客とやりとりしながら仕事をするので、チップもバカにならない。お客は寿司職人に名前を覚えてもらうのがうれしい。海外で寿司職人として成功する秘訣の一つは客の名前を覚えること。海外で生きていくには寿司の技術と知識だけでは足りない。現地の言葉と人々の考え方への理解がないと、店を経営するのは難しい。寿司職人として雇われるのなら、一定の語学があれば足りるが、経営者として人を使う立場になると、スタッフの考え方まで知っていた方がいい。
 日本の現状は、回転寿司店が6000店舗で6000億円の市場。テイクアウト寿司店も同程度の市場をもつ。回転寿司専門店(立ち店をふくむ)と三分の一ずつ市場を分けあっている。
東京寿司アカデミーには、2ヶ月間で短期集中して学ぶコースと、1年かけて英語の接客技術や海外での店舗経営まで学べる寿司シェフコースがある。外国人も入学するが、その9割は韓国人である。いい魚を見分ける目利きの力と、包丁の扱いにはある程度の経験が必要だが、繰り返し練習すれば、誰でも必ず上達できる。
 寿司はカウンター越しの対面商売という、「行為そのものを消費する」独特の日本文化だ。世界には、こうした食文化・習慣はないので、カウンター商売が非常に新鮮に映る。
 世界のなかでの日本の寿司の置かれている状況がよく分かりました。カラー写真で、見た目も楽しいカラフルな巻き寿司がたくさん紹介されていて、つい手が出そうになります。20年ほど前、シカゴの高層ビルにアメリカのローファームを訪問したとき、昼食として出た寿司がびっくりするほど美味しかったことを思い出しました。ああ、寿司が食べたくなりました・・・・。
(2010年8月刊。850円+税)

 先日のフランス語検定試験(準1級)の結果が届きました。自己採点とぴったり同じ76点で合格していました。基準点が65点で、合格率26%です。ペーパーテストはこれで6回ほど合格したことになります。問題は面接試験です。時事問題をフランス語で話せなくてはいけません。とても難しいのです。これまで2回しか合格できていません。1月下旬まで、集中的に勉強するつもりです。
 チョコさんは長野にある「ちひろ美術館」に行かれたようですね。うらやましい限りです。私は東京の美術館には行ったことがありますが、まだ長野の方には行ったことがありません。ぜひ信州の高原にある美術館めぐりをゆっくりしたいものだと思います。
 本年は単行本を560冊読みました。チョコさんのような励ましがあると、書きつづる勇気が湧いてきます。いつも、ありがとうございます。

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2010年12月23日

カントリー・オブ・マイ・スカル

世界(アフリカ)

 著者 アンキー・クロッホ、 現代企画室 出版 
 
 タイトルからは何の本やらさっぱり分かりません。南アフリカで続いていたアパルトヘイトの被害者と加害者のあいだで「和解」を成立させようという大変地道な努力がなされているのです。血には血を、ではいつまでたっても社会に平和は来ない。平和と秩序を回復するためにはどうしたらよいのか、真摯な努力がえいえいと続けられてきました。その困難な状況が明らかにされています。
今の日本では、死刑制度賛成が85%、圧倒的です。複数の人を殺したら、即、死刑にせよというムードにあふれています。本当にそれでよいのでしょうか。死刑制度は決して犯罪を抑止する効果をもたないし、「犯人」を死刑にしたからといって被害者が生きかえるわけではありません。遺族の「報復感情」に国は易々と応じるだけで、本当に責任を果たしたことになるのか、みんなで真剣に議論すべきだと思います。裁判員裁判で相次いで死刑判決が出た今こそ、もっともっと根本的な議論をして、深めるべきではないでしょうか・・・・。
スカルとは頭蓋骨のこと。南アフリカ内外に人骨が無数に埋められている現実がある。
1994年4月、南アフリカで1人1票の全人種参加の総選挙が実施された。そして、ネルソン・マンデラが初の黒人大統領に就任した。そして、1995年、国民統合和解促進法によって真実和解委員会(TRC)が設置された。1996年4月から活動を本格化させたが、その中心が公聴会であり、南アフリカ全土に実況中継された。
 このとき、加害者は、自らの罪を詳しく述べたてることと引き替えに、責任を問われないことになった。嘘をつけば、刑事訴追の対象となる。だから、虐殺に加担した警官は、誰の命令によって、誰を、どのように拉致し、どのように拷問し、どのように殺害し、どのように遺体を処分したか、正直にすべてを語ることになる。そして、被害者(遺族)には、真実と若干の保証金と引きかえに加害者を許すことが期待される。
 南アフリカの白人といっても、アフリカーナとイギリス系白人(ユダヤ系をふくむ)に分かれ、両者には、心理的な距離があり、インテリをのぞくと通婚もない。黒人を弾圧する警察機構の担い手はアフリカーナであり、黒人労働者を殴打する工場長も農場主も、その多くはアフリカーナであった。イギリス系白人は、汚れ仕事をアフリカーナに押しつけつつ、白人としての特権は手放さず、「私はアパルトヘイトにはずっと反対だったんです」と語る。きわめて偽善者である。
 そして事態は単純ではない。加害者が白人だとは限らない。警察に協力し、同胞に対して歯止めのない残虐行為を働く黒人がいた。
 さらに、犠牲者は活動家だけではない。「密告者」のレッテルを貼られ、活動家に焼き殺された無実の人々がいた。解放運動の爆弾闘争によって生命を失った白人市民がいた。白人警察官に殺される白人の共産主義者もいた。拷問による自白情報によって同志が居場所を知られ、無慈悲に虐殺されることもあった。
公聴会では、拷問したものと拷問された者が対面する場面が何回もあった。 
 アパルトヘイト犯罪のなかで地位の高い政治家たちが責任をとらず、現場の警察官の逸脱のせいにしようとした。自己の罪に向きあって人格が破綻していく殺人者の方にこそ、人間としての誠実さが感じられることがあった。
 正常な社会では、子どもがいるべき時刻に家にいなければ友達の家にまだいるかもしれないと考えられる。しかし、アパルトヘイトの下では、警察署に行って捜し、次に刑務所、それから病院、そして最後には死体保管所へ出向く。なんという残酷な現実でしょうか。 真実和解委員会が調査していた期間に2500人、年に100人もの囚人が絞首刑に処せられた。その95%が黒人であり、判事は全員が白人だった。うむむ考えさせられますね。
上下2段組で400頁をこす大著です。内容もぎっしりと重味があります。思わず目をそむけたくなる真実が語られています。でも、目をそらすわけにはいかないのですよね。
(2009年2月刊。1600円+税)

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2010年12月22日

村人の城、戦国大名の城

日本史(戦国)

 著者 中田 正光、 洋泉社歴史新書 出版 
 
 北条氏照(うじてる)の領国支配と城郭。こんなサブタイトルがついています。氏照は、今の八王子に城を構えていたようです。そして、村人の城のほうは有名な黒沢明監督の『七人の侍』をイメージするといいとのこと。この映画は時代考証がよく行き届いていて、戦国期の村人の生活や風習が実によく再現されているそうです。
 北条早雲は、実は本人は「北条」を名乗ったことがない。北条を名乗ったのは、二代目の氏綱から。北条早雲は、江戸時代につくられた名前である。実際に呼ばれていたのは、伊勢盛時(もりとき)とか、伊勢宗瑞(そうずい)であった。うへーっ、そうなんですか・・・・。
早雲は一介の素浪人から一国の主にのし上がったというのは間違いで、実際には歴とした家柄であり、中央政府で将軍に仕えて、「申次(もうしつぎ)」という外部の仲介役をつとめていた役人だった。なんと、なんと、思い込みというのは恐ろしいものですね。
滝山城のかつての雄姿が図解されていて、よくイメージが伝わってきます。
 戦国時代、平百姓でも苗字をもった者がいたことは既に知られている。日本人は、昔から識字率も高く、名なしの権兵衛を嫌ったのですね。
武田信玄が信州志賀城を攻め落としたときのこと。城内の兵を攻め立て三千人を討ちとり、その首を志賀城の周りにことごとく晒した。そして城内に残された婦人、子ども、老人を生け捕りにし、意気揚々と甲州へ引き上げた。帰陣してから人身売買市を開き、2貫、3貫、5貫、10貫という値段をつけて売りさばいた。要するに、身代金を得る場になった。捕らわれた者の親類が身代金を支払って生け捕りにされた人たちを買い戻した。これが当時の戦いの現実だった。相手を殺し、領主から名誉の感状を受けるより、生け捕りにして身代金を獲得した方が得だということ。殺さないで身代金を手にすれば、現実の生活は豊かになっていく。
 当時の合戦の実態は、相手の領国に侵入して田植え時の苗代を踏みあらしたり、収穫時の稲を刈り取って強奪することが多かった。さらには、民家に押し入って金目になるものを手当たり次第に盗み、奪い去った。
 当時の戦場は、うまくすれば人身売買で身代金を手に入れられる、大金が入ってくるうれしい稼ぎ場でもあった。二男三男たちが家長(長男)から離れ、積極的に戦場に赴いていった背景には、こうした事情があった。うむむ、そういう実情があったのですか。『七人の侍』も、そんな前提でみると、また認識が深まりますよね。
 ルイス・フロイスは、『日欧文化比較』のなかで、「日本では、ほとんどいつも小麦や米や大麦を奪うために戦っている」としている。つまり、当時、合戦する狙いは食糧を奪うことにあるといっているのです。
 一乗谷の朝倉氏の支配は100年間続いたが、伝染病の記録がない。いかに一乗谷が衛生的に管理されていた都市であり、住民がすぐれた衛生思想の持主であったか理解できる。城内は馬小屋に至るまで常に清潔が保たれていた。私も、朝倉の一乗谷に行ったことがあります。戦災にあって消滅した町屋が復元されていて、当時の生活を実によくしのぶことが出来ます。
 中世の城が図解され、とても分かりやすく読める本です。
(2010年4月刊。840円+税)

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2010年12月21日

ハーフ・ザ・スカイ

アジア

 著者 ニコラス・D・クリストフ、 英治出版 
 
 世界のなかで女性の実情と展望を語った本です。そこで明らかにされる実情はあまりに暗く、悲惨です。読みすすめるのが辛くなる本でした。それでも勇気をふるって最後まで読み通したのですが、最後に元気の出る話があって少しは救われた気になりました。
逆説的なことだが、強制売春の数が飛び抜けて多いのは、インド、パキスタン、イランといった、もっとも束縛が強く社会の性規範が保守的な国々である。こうした社会では、若者はめったに恋人と寝ることはなく、売春婦で性的欲求を満たすことが容認されている。上流階級の少女は純潔を守り、若者は売春宿で満足を得るというのが社会の暗黙の了解になっている。
売春宿には、ネパールやバングラディシュ、インドの貧しい村から人身売買された奴隷の少女が送られてくる。19世紀の奴隷制との最大の違いは、現代の多くが20代後半までにエイズで死亡すること。
オランダは、2000年に、それまでずっと黙認されてきた売春を公式に合法化した。売春婦に健診と労働チェックを実施することによって未成年者と人身売買犠牲者の売春業への流入を阻止しやすくなると考えたからだ。
 スウェーデンは、1999年に逆のアプローチをとった。性サービスを買うことを処罰の対象とした。売春婦が身体を売ることは処罰の対象とはしなかった。これは、売春婦を犯罪者というより、被害者だと見ることにもとづく。その結果、スウェーデンでは、売春婦は5年間で41%も減り、セックス料金も下落した。
 オランダでは、非合法の売春婦は増え、性感染症やHIVも減ってはいない。
 難しいのは少女を売春宿から救い出すことではなく、売春宿に戻らせないこと。売春宿の多くの少女は、メアンフェタミン依存症になっている。
多くの売春婦は、自由に行動しているわけでなく、奴隷にされているわけでもない。その両極端のあいだのどこか、どちらともつかない世界の中に生きている。
人が神の名の下に行うことで、初夜に出血しなかったという理由で少女を殺すほど残酷なことはない。国連人口基金は、毎年5000件の名誉殺人があると推定する。名誉殺人の逆説は、もっとも厳格な道徳的掟をもつ社会が殺人という最大の反倫理的ふるまいを許容するところにある。
WHOは、2005年に、53万6000人の女性が妊娠中または出産で命を落としたと推計している。妊産婦の死亡の生涯リスクは、貧困国では欧米より1000倍も高い。ところが貧困国でも妊産婦死亡率の高さは不可避というわけでもない。スリランカでは女性の89%が読み書きできることが妊婦による死亡率を低めている。スリランカを見れば、妊産婦の死亡率を低下させるためには、家族計画、結婚を遅らせること、また蚊帳も役に立つことが分かる。
就学率を高めるうえで費用対効果の高い方法の一つは、寄生虫の駆除だ。寄生虫は年に13万人を死亡させる。貧血や腸閉塞が主因であり、貧血は月経(生理)のある少女に影響を与える。高校に通う少女を増やすためには生理(月経)の管理を手助けすること。
ルワンダは、コスタリカやモザンビークと同じように、国会の全議席の3分の1を女性が占める。アフリカでもっとも腐敗が少なく、成長がもっとも速く、最良のガバナンスをもつ国である。
 ルワンダで起きた大虐殺の結果、人口の7割を女性が占めた。国は女性の動因を余儀なくされた。男性は虐殺で信用を失った。女性のほうが虐殺への関与が少なく、殺人罪で投獄された加害者のうち2.3%しか女性はいなかった。女性のほうが責任感があり、虐殺行為に傾きにくいという認識が虐殺後に広く確立し、女性にいっそう大きな役割をまかせる用意が国全体に出来上がっていた。
 日本の株式市場で、女性社員の割合ももっとも高い企業は、もっとも低い企業と比べて50%近くも業績がいい。それは、女性を昇進させるほど革新的な企業はビジネスチャンスへの反応でも一歩先んじている。経済を活性化させたいなら、人材の金脈を埋もれさせ開発せずに放っておく手はない。
アメリカでは、今、ハーバード大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学などの学長が女性である。このほか、フォード財団とロックフェアー財団の会長も女性だ。
全世界の人口の半分を占める女性を活用してこそ地球は救えるという呼びかけがなされています。私も賛成します。いろいろと考えさせられることの多い本でした。
(2010年10月刊。1900円+税)

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2010年12月20日

土の科学

生き物

 著者 久馬 一剛、 PHPサイエンス・ワールド新書 出版 
 
 世界の土が紹介されています。動物や鳥が土をなめたり、食べたりするのはテレビで見て知ってはいましたが、人間も土を食べるところがあるのですね。私にとって、日曜日の午後からの庭づくりは土に触れあう貴重な機会です。昔の子どものころの泥んこ遊びを思い出して気分転換に絶大なる効果があります。不耕起農法というものがあり、とても良いということですが、私はせっせと庭を耕し、EM菌を混ぜた生ゴミ処理の産物を庭に投入し、またコンポストで落ち葉や枯れ草を肥料にしたものを混ぜ込んでいます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかしています。そのためミミズは繁盛し、モグラが縦横に地下に道を掘り、ヘビが庭を徘徊しています。ヘビとの共存は困難な課題です。
 日本の水田面積は、昭和40年ころには300万ヘクタールをこえ、国土の総面積の9%を占めていた。ところが、今では、イネの作付面積は200万ヘクタールにまで減少している。日本の米消費量は減少し、100年前に1人1年間に130キログラムになっている。
 稲作技術は進歩して、単位面積当たりのイネ収量は2倍をこえた。
 イネを畑で連作すると、やはり障害が起きる。しかし、水田は、水を張る湛水時と水を落として畑の状態にするというように交替でつかうため、連作障害の原因となる病原性生物がはびこるのを妨げている。そのため水田の稲作に連作障害は起きない。
 うへーっ、そういうことだったんですね。今、わが家のすぐ下の田んぼは作り手が老齢のために耕作が放棄されてしまい、水を入れて水田になることはなくなって残念です。夏の蛙の大合唱が開かれなくなりました。うるさくて閉口してはいたのですけど、蛙がいなくなってしまうと寂しいものです・・・・。
 畑も畠も、いずれも日本でつくられた国家であり、中国の漢字にはなかった。
 アフリカのタンザニアでは、妊婦が土を食べている。日本でも昔、同じように妊婦が土を食べていた。タンザニアの市場で売られている土は白色と茶色の二つあるようです。写真が紹介されています。 
 たまには、土を知ってみるのもいいかと思って読んでみました。面白かったですよ。
(2010年7月刊。800円+税)

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2010年12月19日

深重の橋(上)

日本史(中世)

 著者 澤田 ふじ子 、中央公論新社 出版 
 
 ときは応仁の乱のころです。深重は、じんじゅうと読みます。すごいんです。すごいですね、作家の想像力には、ほとほと感嘆します。
 15世紀、一条兼良(かねら)が活躍しているころの京都です。将軍足利義政、義尚の政治下にありますが、無法もまかり通っています。
 人々は死に近くなると鴨川のほとりに無造作に投げ捨てられ、まだ生きているうちから着物をはぎ取られてしまいます。野犬に食われ、カラスに身体をつつかれ、洪水とともに川下に流されていくのが遺体の始末となっていました。
 そんな世の中ですから、人買いが横行し、若い男女が辻に立たせられて売られていきます。そんな境遇にあっても希望を捨てずに字を学び、算盤を習得し、たくましく生き抜こうという若者たちがいました。すると、それを支えよう、助けようという人々もいるのです。
 面白い展開です。下巻が楽しみです。
 
(2010年2月刊。1700円+税)

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2010年12月18日

パリ・娼婦の館

世界(フランス)

 著者 鹿島 茂、 角川学芸出版 出版 
 
19世紀のパリの娼婦の館、メゾン・クローズ(閉じられた家)についての実証的な研究書です。この当時、パリにいた日本人の体験記も、ふんだんに引用されていますから、臨場感があります。
このころ、パリの娼婦について真面目に取り組まれた公的な調査の結果が紹介されています。それによると、娼婦になった原因の第一は、貧困と劣悪な家庭環境、第二は贅沢へのあこがれ。娼婦は、その性器が普通の女性と異なっているわけでも、性欲が異常に強いものでもなく、欲しているのは「愛」であることも明らかにされています。
 パリの当局が娼婦についての規制を徹底しようとしたのは、性病とくに梅毒のまん延を防ぐ目的のためだった。
娼婦として体を張っても、客の払う50フランのうち、女主人が30フランを取り、自分の手には20フランしか残らない。これでは割りにあわない。女中の方がまだましと考える女性もいた。
 娼婦予備軍をもっとも簡単にリクルートでできるのは、実は性病患者用の施療院だった。そして、そこで性病は感知しないまま退院していた。うむむ、なんということでしょうか・・・・。
高級なメゾン・クローズは、かつて王侯貴族や大ブルジョアの住んでいた大邸宅を改造したところが多かった。
 メゾン・クローズでは、公開オーディション方式がもっとも一般的である。これに対して、日本では、どんなに破廉恥な風俗が普及しても、根本のところに羞恥と謙遜という美徳があるせいか、ずらりと整列した複数の娼婦のなかから一人だけ自分の好みの敵婦(あいかた)を選び出すという「公開方式」は採用されない。そして、このとき娼婦は、全員、靴だけははいている。これが娼婦としての「正装」であり、これで客と対峙するという礼儀があった。
 女の子たちの勤務時間は午後2時から午前2時までの12時間。一晩に30人から40人の客をとる。客からもらったチップも店として折半する。
娼婦は、病気と弁当は自分もちの原則がある。娼婦の楽しみは食事だけだったから、食事は概して手の込んだ美味しいものだった。ここで、客にケチると娼婦が居つかないので、女将も食事にだけは気をつかっていた。
日本では、擬似恋愛を核としたキャバクラや高級クラブが単独で成立しているが、これは日本独特のものである。フランスに限らず、どの国でも、接待役の女性が横にはべるタイプの社交的サービス業は、これ単独で成立することは少なく、合法非合法の別はあっても、その後の客の要望をみたす直接的サービスを用意していた。二次過程のない一時過程というのは、欧米ではおよそ考えつかないような業態なのである。
うひょう、そうなんですか・・・・。ちっとも知りませんでした。
メゾン・クローズに住み込んでいる娼婦でも、2週間に一度は外出の許可を与えられ、その日は恋人かヒモと一緒にピクニックに出かけたり、ダンスホールで踊り明かしたりして楽しんだ。娼婦にとっては、恋人やヒモと外出する瞬間だけが、つらい「労働」に耐えるための生き甲斐となっていた。というのも、メゾン・クローズの生活は息が詰まり、単調な繰り返しの連続だった。そんな生活になんとか耐えていくには、ガス抜きが不可欠だった。
娼婦たちは、外出させないと逃げるし、外出させても逃げた。メゾン・クローズにとって、娼婦の外出は両刃の剣だった。 
江戸・吉原の花魁の話と似ていますよね。私と同世代の著者ですが、よくぞここまで調べあげたものです。 
 
(2010年3月刊。2500円+税)
 私がパリに泊る時は、カルチェ・ラタンのプチホテルにしています。毎回ホテルは変えています。おかげでカルチェ・ラタンの通りには随分詳しくなりました。セーヌ川沿いには古本を売る露天商が並んでいますし、ノートルダム寺院も歩いてすぐのところにあります。見事なプラタナスの街路樹のサンジェルマンデプレ大通りもすぐ出たところにあります。
 ルーブルもオランジュリーも、美術館には歩いて行けるのでとても便利です。そして、レストランもカフェーもたくさんあります。

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2010年12月17日

カウントダウン

社会

 著者 佐々木 譲、 毎日新聞社 出版 
 
 いつも秀逸な警察小説を読ませてくれる著者が、同じ北海道を舞台としながら、赤字まみれの地方自治体の再生を探る社会派小説に挑戦しました。同じような炭鉱閉山の市や町をいくつもかかえる福岡県にとっても他人事(ひとごと)ではない展開ですので、一気に読み上げました。
 多選のワンマン市長の愚政と、ほとんど「オール与党」の市議会という構図は、日本全国、どこにいっても同じようなものですよね。野党だった社会党が消え去った今、愚政に異議申立をきちんとしているのは政党としては共産党だけになってしまいました。残念ですね、これって・・・・。
 この本には選挙ブローカーが登場してきます。たしかにいるんですね。日本全国の選挙を渡り歩いて職業として食べていけるというのですから、不思議なものです。
選挙は、結局のところ候補だ。タマだ。選挙戦術でどうにかなるのは、全得票のせいぜい10%でしかない。タマ選びからやれるんなら、勝利は確実なんだ。
 これは行政広報と選挙のプロの言葉です。
20年間で、18勝3敗。市議会は、きみと共産党市議以外は、全員が市長支持派だ。市役所の幹部も同じ。市の職員組合も、長年、市長に飼い慣らされてしまった。商工会にも、地区労にも、農業団体にも、現職市長に挑む意思のある者なんていない。
こうやって選挙ブローカーは、まだ市議一期目の森下を市長選に出るようけしかけるのでした。
 第三セクターへ巨額の出資をしていながら、その第三セクターの経理状況を質問すると、市長は民間会社のような経営状況なんて公開できるはずがないとうそぶいて居直り、開示しない。
森下と共産党市議以外の議員はみな与党であり、現職市長の翼賛団体であるという議会。保守政党はもちろん、現職市長がかつて市職労の委員長であったことから、市職労は一貫して現職市長を組織内候補として応援した。市職が中心となっている地区労も、その上部団体としての連合支部も、現職市長の20年間の市政を貫いて支持した。
 この町には現職市長を批判する勢力はなく、市長のもたらすうまみを、有力団体すべてが享受してきた。議会はやるべき市政の監視機関ではなかった。でたらめ機関の追認する機関でしかなかった。
 まさに、そのとおりです。だからこそ「オール与党」の一員にとどまりたいのです。
 阿久根、名古屋そして大阪の議会を見ていると、「オール与党」である議会の大半は、実質的に何もしていないも同然なので、そこに市民の怒りが殺到しているように思います。「オール与党」の議会構成だったら、市民の怒りは無為無策のより身近な「市議会」に集中します。そこに議員なんて不要だとか、議会の定数を大幅に削減してしまえという意見の生まれる根拠があります。まことに罪深いのは「オール与党」体制です。
 森下はついに市長選への立候補を決意します。そのときのメインの政策は福祉でした。福祉と先進医療の町として再生をはかる。お年寄りに優しい町として看板をつくる。
 私も、これしかないと、以前から考えてきました。ハコものをつくるのではなく、人間を大切にすること。これこそ地方自治体に求められているものではないでしょうか。地方自治体には乏しいながらも利権があり、それをめぐってたかる人々の群れも活写されています。
 来年4月に地方選に立候補を考えている知人にこそこの本を読むようすすめたばかりです。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2010年9月刊。1600円+税)

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2010年12月16日

なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか

朝鮮(韓国)

 著者 若宮 健、 祥伝社新書 出版 
 
 大変刺激的なタイトルの本です。ひところよりはやや下火になったとはいえ、まだまだ、パチンコ禍は猛威をふるっています。テレビのコマーシャルでもパチンコが増えましたよね。たくさん借金をかかえて行きづまった人のなかにパチンコが原因だという人は相変わらず少なくありません。病みつきになってしまうのです。ギャンブル依存症は病気ですが、その原因をパチンコ店はつくっています。
 2006年8月、韓国政府はパチンコを全面的に禁止した。その前、韓国全土には2万店ものパチンコ店があった。その前年2005年3月に、パチンコ店は許可制から認可制に移行していた。ちなみに、韓国ではパチンコとは呼ばず、メダルチギと呼ぶ。韓国のパチンコは、玉を打たない。日本の中古パチンコ台を輸入して、盤面と液晶はそのままで、釘は根元から切断してある。韓国仕様に改造していた。
98そして、店内では一人で二台も三台もかけ持ちできた。24時間営業であり、台の前に座ったまま、飲食できた。日本と同じ換金方式がとられていた。手数料10%で、商品券を現金に換えた。
韓国警察は、2006年8月にパチンコ台100万台を没収した。
パチンコをめぐって、当時のノムヒョン大統領の甥や側近が関連する贈収賄事件が発覚した。文化観光部の局長なども逮捕され、パチンコ廃止論が一気に沸騰した。
 韓国では、パチンコは低所得者層の遊びだと見られていた。だから、案外、韓国人であってもパチンコが流行していたことを知らない。
 日では、パチンコ業界のお先棒をかつぐ国会議員が自民党だけでなく、民主党にも多い。そして、日本のマスコミはパチンコ業界に大きく依存しているため、パチンコ批判がタブーのようになっている。
 いま日本で流行している一円パチンコは、お客のためというより、税金が安くなるという税金対策からなっている。
パチンコ店の経営者は、その8割を韓国・北朝鮮系が占める。残る2割は台湾と日本人である。
日本も韓国に見習ってパチンコ店を全廃するくらいのことが必要だと私は思います。
それにしても、あんな人工的な騒音のなかで孤独感に浸される人生って、哀れそのものだと思いませんか・・・・。
 この本は著者より贈呈を受けました。ありがとうございます。これからも体験リポートを次々に発表していってください。大いに期待しています。 
 
(2010年12月刊。760円+税)
 宮崎で開かれた弁護士会主催の憲法に関する市民向けシンポジウムに参加してきました。そこで、沖縄の新垣勉弁護士が報告した内容がとても新鮮でした。
 アメリカ軍の基地が沖縄にあるおかげで、軍用地の地主は地代収入があるし、歓楽街をふくめて大きな経済効果があると喧伝されてきましたし、私もそうかなあと思ってきました。
 ところが、アメリカ軍の基地が沖縄から撤去されたときの経済効果は、基地があるときよりはるかに大きいものになるというのです。雇用者も14倍、今の3万人が48万人になると推測されています。これは、沖縄県議会事務局の報告書にあるものです。
 たしかに、おもろ町あたりの基地跡の再開発はすごいですよね。基地がなくなったら、沖縄はもっと平和に発展できることに確信のもてた実り大きいシンポでした。

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2010年12月15日

今、「韓国併合」を問う

朝鮮(韓国)

  出版:「韓国併合」100年市民ネットワーク、アジェンダ・プロジェクト  
 
 1910年、日本が「韓国併合条約」を強制的に押し付け、今年は100年目にあたる。
 このブックレットでは、「韓国併合条約」がまったくの押し付けであったこと、当時の韓国は自力による近代化を推し進めていたことを明らかにしています。
 たとえば、電車がソウルの町を走り出したのは1899年5月のこと。開通式の写真そして、日本兵が電車に驚いている絵があります。これは日露戦が勃発する5年前であり、日本の京都に電車が走ったのは、ソウルより3年早かったが、東京のほうは3年遅れていた(1902年)。だから、日露戦争のときにソウルにやって来た日本兵のほとんどは電車に乗った経験がなかった。
 このように、日本の植民地になってから韓国の近代化が始まったわけではない。日本が日露戦争に勝利した力を背景として韓国の主権を無理やり剥奪した。その結果、むしろ韓国は自力による近代化の機会が奪われてしまった。なーるほど、そういうことなんですね・・・・。
 第一次日韓協約は略式条約でもなく、覚書でしかない。だから、日本語だけあって、韓国語では作成されていない。もっとも、韓国側に内緒で英語では作成されている。
 第二次日韓協約(新協約)は、韓国語版には最初の一行が空けてあり、名称が入っていない。それは韓国の皇帝と大臣たちの抵抗によるもので、韓国皇帝の批准書もない。
 1910年の併合条約については、印鑑は韓国の国璽ではなく、格の下がる行政決裁用の「勅命の寶」と彫られた印鑑が押捺されている。そして皇帝の署名が欠落している。
 最後の韓国皇帝・純宗は1926年4月に亡くなるが、次のような遺言を遺している。
過ぎし日の併合認准は強隣(日本のこと)が逆臣の群れ(李完用など)とともに勝手になし勝手に宣布したものであり、すべて私がなしたことではない。ひたすら私を幽閉し、脅迫し、私をして明白に話できないようにしたものである・・・・。
うむむ、そういうことだったのですね、やっぱりそうなのか・・・・と、ついつい思ってしまったことでした。わずか70頁足らずの薄いブックレットですが、どっしりとした歴史の重味を感じました。この市民ネットワークは私の先輩にあたる京都の岩佐英夫弁護士も関わっているグループのようです。広く日本人に読まれることを祈念します。
 
(2010年9月刊。500円+税)

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2010年12月14日

自殺社会から生き心地の良い社会へ

社会

 著者 清水 康之・上田 紀行、 講談社文庫 出版 
 
 日本では毎年3万人をこえる人が自殺で亡くなっています。私も前からこのことは知っていました。しかし、3万人という数が頭にあまり入ってきていませんでした。ところが、清水氏自身が東京マラソンの様子をビルの屋上から撮影した映像を見て、途中から身震いしてしまいました。東京マラソンの出場者も同じ3万人なのです。東京都心の広い道路をマラソン参加者が埋め尽くしています。もちろん、全員が異なったナンバーを表示するゼッケンをつけています。そのあふれるような人々の流れが延々と、なんと20分も続くというのです。すごい映像です。圧倒されました。ゼッケンをつけてひたむきに走っている一人ひとりに、それぞれのナンバーがついているように、自殺して亡くなった3万人一人ひとりにも、その人だけのかけがえのない人生があったはずです・・・・。
 清水氏の話を聞きながら東京マラソンで走るランナーを見ていると、なんだか泣けてきました。ああ、今の日本って、本当に生きている人を大切にしないんだなと思ってしまったことでした。
 日本に駐留するアメリカ軍への思いやり予算については、民主党政権は自民党と同じく、最優先であり、削減の対象とはしないというのです。そのくせ、中小企業対策費や福祉予算は減る一方です。とんでもない国です。それなのに、今、マスコミは、国も地方も議員を減らせ、公務員を減らせ、高すぎるから給料を引き下げろの大合唱の先頭に立っています。マスコミまで民主党と同じひどさです。もっとお互いに人間に優しくしましょうよ。
 日本の自殺者3万人は、交通事故による死者の6倍。日本の自殺率は、アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍。働き盛りの40~60代の男性の自殺が全体の4割を占める。
20~30代の死因のトップが自殺であり、80歳以上も31.4と、前世代平均の25.3を大きく上回っている。
 男女比は7対3で、女性は少ないかと思うと、自殺率は男性で、世界第8位であるのに対して、日本の女性の自殺率は世界第3位と高い。いやはや、そうなんですか・・・・。
 現代日本社会において、自殺は「時代を象徴する死」であり、個人的な問題として看過できない「社会構造的な問題」なのである。自殺者3万人に対し、自死遺族は、死者の4~5倍はいる。つまり、毎年12~15万人が自殺によって家族を失い、自死遺族となっている。現在、日本全国の自死遺族は300万人もいる。
 札幌の地下鉄のホームに立つと、線路の向こう側に大きな姿鏡がある。電車への飛び込み自殺を防止するためのもの。鏡をつけておく必要がある。発作的に電車に飛び込もうとした人が、その鏡面にうつった自分の姿を見て、はっと我にかえって思いとどまることがある。うへーっ、そうなんですか。よく注意して見てみましょう。
日本の社会は、「負け組」の象徴として自殺を扱っている。日本社会の誤りは、3~40年もの永いあいだ、あまりにも勝ち続けてしまったことにある。
 今の若い人は、日本が豊かだった時代を知らずに青春時代を送ってきた。そして、ただひたすらおとなしい学生が増えている。
団塊世代についても世代論が語られていますが、こちらは納得できないと思いました。あまりにも一面的で皮相な見方なので、団塊世代の一人としてとても残念に思いました。世代間の対立をあおってほしくはありません。
それはともかくとして、いろいろ考えさせられる文庫本です。
 
(2010年3月刊。581円+税)

 冬を迎えて庭の手入れに精を出しています。芙蓉とエンゼルストランペットは根元から切り取りました(毎年のことです)。球根類が増えすぎていますので、植え替えてすっきりさせています。残っていたチューリップを植えていると、頭上にメジロの鳴き声がします。なんとハゼの実をメジロたちが群がって食べているのです。ひとしきり食べたあと、やがていなくなりました。ハゼの実をメジロが食べるなんて知りませんでした。このハゼの木は実生で自生したものです。夏前にハゼ負けで皮膚がかゆくなった、あのハゼの木です。根元から切り倒すかどうか少し迷っています。

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2010年12月13日

最高裁判所は変わったか

司法

滝井繁男「最高裁判所は変わったか~一裁判官の自己検証~」 2009年 岩波書店


今年7月7日、最高裁第3小法廷は「嫡出でない子の相続分は、嫡出子の相続分の2分の1とする」旨の民法900条4号の規定に従って決定された遺産分割審判が違憲だとして特別抗告された事件を、大法廷に回付した。周知のとおり平成7年7月5日の大法廷決定では、「本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法14条1項に反するものとはいえない。」と判示された。もっとも、この決定には5裁判官の反対意見があった。


このような経緯から察すると、今回は第3小法廷で「違憲説」が多数を占め、裁判官会議でも「この時期にこの事件について最高裁の見解を示す必要がある」という意見が多数を占めたのであろうと想像される。そこで、前に学会から最高裁に入った団藤重光の著書を読んだことに引き続き、比較的最近弁護士会から最高裁に入った著者の著書を読んでみることとしたのである。


予想通り、著書には「さし当り、国民の間で見解のわかれる問題について近いうちに改めて判断が迫られることになるであろうと思われるのは、非嫡出子の相続分が嫡出子の半分となっている民法900条の規定ではないだろうか。」との問題提起の一文があった。著者は、この問題についての私見を明らかにしていないが、どうやら違憲と考えているような書きっぷりである。


著者は、上述の問題のごとき個別の問題を紹介しつつも、最高裁の果たすべき役割を強く訴えている。すなわち、最高裁が①憲法裁判所の役割、②通常事件の最終審の役割、③司法行政の最高機関の役割を持つことを前提として、上告事件・上告受理申立事件の激増により、憲法裁判所としての役割が十分に果たされていないのではないかと憂いている。例えば、著者は、先例となる大法廷判決を引用して「その趣旨に徴して合憲であることは明らかである。」と論ずる小法廷判決が少なからず見られることを指摘し、憲法判断を回避する傾向があることを率直に認めている。そして憲法裁判所としての役割を重視すべきことを提言している。


さてわが身を振り返り、どうか。たしかに私も上告や上告受理申立てを濫発しており、著者の指摘が身にしみる。しかし、司法手続の利用者の立場からは、「第一審、控訴審の判断が誤っていたとしても、最後は最高裁が救ってくれる」という希望があるからこそ、通常事件の最終審としての最高裁に期待するところが多大なのである。そして実際に最高裁は、下級審では決して見られないような新しい判断を示すことがよくある。私どもはそのような最高裁の良識を信じて、最高裁の扉をたたくのである。


そもそも現行憲法下の最高裁は、旧憲法時代に通常事件の最終審であった大審院の役割と、違憲立法審査権を有するアメリカ連邦裁判所の役割を共に担うものとして設計されており、その意味で責任過多なのではないかとの根源的な疑問が感じられる。このような憲法の二重性格は、大陸法の要素と英米法の要素を相備えている刑事訴訟法の二重性格とも共通している。わが国法体系のねじれは、このようにときどき顔を現わす。


さて私が近時注目している最高裁継属中の事件は
①上述の非嫡出子の相続差別の事件
②衆議院の一票の格差の事件
③海の中道の交通事故の事件
である。①と②は憲法14条の判断に踏み込むであろう。③は憲法31条の判断に踏み込むのであろうか、それとも事実認定の問題として処理するにとどまるのであろうか。


最高裁の役割をいろいろ考えさせてくれる一冊であった。

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クラゲさん

生き物

 著者 片柳 沙織・コーピス、 ピエ・ブックス 出版 
 
 ふんわり海中を漂うクラゲたちの見事なまでに華麗な姿を捉えた写真集です。
 「くらげに悩みありません」と書かれていますが、この写真集を手に取って眺めていると、その夢幻の世界に吸い込まれていく、今かかえている悩みなど忘れ去ってしまうこと必定です。
 クラゲは魚でも植物でもなく、イソギンチャクやサンゴの親戚でもある動物である。
クラゲには脳も臓も、特別な呼吸器官もない。そして、前後左右の区別もなく、骨もない。しかし、かさの縁などに平衡胞(へいこうほう)という平衡感覚を司る器官があり、これでクラゲ自身が自分の傾きを感知し、修正する。
 クラゲに脳はなくても、嫌いなエサは食べない。いちど取り込んでも吐き出してしまう。だから、味覚も嗅覚もある。
クラゲの寿命は1年のものもあれば、1ヶ月、1週間いや数時間しか生きていないのもいる。ところが、弱って水底に沈み、バラバラに溶けたあと、そこからもう一度ポリプがつくられ、クラゲを再生するベニクラゲがいる。これは若返るクラゲ、不老不死のクラゲと言える。
クラゲは、10億年前から存在しており、その形は現在とほとんど変わらない。
 世界に3000種のクラゲがいて、日本では300種が確認されている。大きさは1ミリにみたないものから、2メートル、重さ150キログラムというものまでいる。
クラゲのふわふわとした動きには、体全体に栄養を行きわたらせる働きがある。体の比重が海水より少し大きいので、じっとしていると沈んでしまう。流れに乗ることで、エサをとらえたり、栄養を身体中に送ることができる。
 ノーベル賞の研究材料となったオワンクラゲの写真ももちろんあります。
 カラフルで、さまざまな形のクラゲをじっと眺めていると、たしかに彼らには悩みなんてないんだろうなと思えてきます。それにしても、なんという奇妙奇天烈な形でしょうか。このデッサンには脱帽です。 
(2010年8月刊。1800円+税)

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2010年12月12日

江戸図屏風の謎を解く

日本史(江戸)

 著者 黒田 日出男、 角川選書 出版 
 
 江戸は明暦の大火(振袖火事、1657年)によって、大きく変わった。これを前提として、近世初期の江戸を描いた二つの屏風(絵)について、いつころ、誰が、何のために描いたのかを解明していきます。その謎ときには読んでいて小気味よいものがあります。
 この本は推理小説ではありませんので、その謎ときをここに少しだけ紹介します。
 「江戸天下祭図屏風(てんかまつりずびょうぶ)」は、明暦の大火以前の江戸城内を進んでいく山王祭礼の行列が描かれている。これが第一の主題。
 次に、江戸城内にあった壮麗な紀伊徳川家上屋敷と、その門前で天下祭りの行列を楽しんでいる徳川頼宣・瑤林院夫妻の姿が第二主題。
 そして、徳川頼宣にとって慶安事件(由比正雪事件)の嫌疑と明暦大火の際の流言による危機。これらの危機乗り越え、帰国の暇を賜ることができた頼宣の喜び。それが第三の主題となっている。
 家主死後に発生した由比正雪の乱のとき、紀州藩主徳川頼宣の判がつかわれていて、当然のことながら、頼宣に疑いがかかった。家光の次の将軍家綱がまだ11歳であったことから、頼宣は以後10年間にわたって「在江戸」を強いられ、国許への帰国を許されなかった。頼宣が紀州に帰ることを幕府は心配したのである。
 著者は、この屏風(図)に誰が、どのように描かれているのかを仔細に検討して、このような結論を導いていきます。学者って、さすがに鋭いと思います。ぼんやり絵を眺めていても出てこない結論です。読んでいて、素人ながら、とても納得できる推論だと感嘆してしまいました。
 
(2010年6月刊。1800円+税)

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2010年12月11日

パリが沈んだ日

世界(フランス)

 著者 佐川 美加、 白水社 出版 
 
 今からちょうど100年前、パリは大洪水にあって、花の都パリが巨大な湖と化したのでした。その当時の写真が豊富に紹介されていますので、その大洪水のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 セーヌ側のセーヌとは、ケルト語のゆっくりとした、緩やかなという意味に由来する。
 パリ低地には、セーヌ川のほかにもう1本、ピエーヴル川が流れていた。ヴェルサイユ宮殿の所在地の近くに水源をもつ川で、水質も良く、流量は豊富だったので、パリの一部に生活水を供給していた。しかし、セーヌ川左岸の都市化が進むなかで、下水道の一部として組み込まれていって、1912年には、完全に暗渠となってしまった。
パリ市内を流れるセーヌ川には37本の橋がかかっている。昔は橋の上にも建物がたっていた。その常識を打ち破ったのは、いまもあるポン・ヌフ橋。1607年に完成した、この橋には橋上家屋は一軒もなかった。
パリに氷点下9度以下の気温が何日か続くと、セーヌ川は結氷し、セーヌ川がそのままアイススケート場になって、大人も子どももスケートを楽しんだ。うへーっ、セーヌ川でアイススケートをしていた時代があったのですか・・・・。信じられませんね。
パリ2000年の歴史には三大洪水がある。最高水位の第一位は1658年2月の34.86メートル。第二位は1910年1月の34.54メートル。第三位は1740年12月の33.95メートルである。
 1658年の大洪水は、ルイ14世・太陽玉の治世のとき。当時のパリの町の半分が水に浸かった。1910年1月の大洪水のとき、被災した建物は2万、被害を受けたパリ市民は20万人に及んだ。ところが、この世紀の大洪水の死者は、わずか1人だけ。電報配達中に濁流にのみこまれた伍長一人だけだった。
 いま、パリの大洪水を防ぐため、セーヌ川系の最上流に4ヶ所の貯水池がもうけられている。そして、大洪水になったときに備えて、たとえば、ルーブル美術館では収蔵品の大移動計画が立てられている。
花の都パリを、少し違ったしてんからとらえることのできる本です。
 
(2009年12月刊。1400円+税)

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2010年12月10日

名もなき受刑者たちへ

司法

 著者 本間 龍、 宝島文庫 出版 
 
 日本の刑務所人口が高齢化し、福祉行政の一部と化している実情が哀愁ただようタッチで描かれている佳作です。著者は、栃木県の黒羽刑務所に収監されていました。
黒羽刑務所には関東圏最大の初犯刑務所で1700人の受刑者がいる。
 日本には77の刑務所があり、7万5千人の受刑者がいる。初犯で刑期が8年以下だと初犯刑務所、強盗などの重罪犯、再犯者、暴力団関係者は累犯刑務所に入れられる。毎年3万人の入出所がある。
 刑務所には年齢制限がないので、相当な高齢者も入ってくる。近年は、高齢者の犯罪が激増し、60歳以上の高齢受刑者は2割に近い。
刑務所に働く1万7千人の刑務官のうちキャリア以外はほとんど高卒である。
 独居房は3畳。雑居房だと15畳ほどの部屋に9人以上が詰め込まれる。狭いし、プライバシーもない。医療も十分な水準にない。刑務所生活は決して楽なものではない。
 刑務所内で一番怖いのは同囚といざこざをおこして懲罰を食らうこと。過密状態の雑居にいたら、その危険性は高まる。ここでのケンカは、両成敗が原則なので、一方的に売られたケンカであっても、自分にも懲罰される可能性は高い。1回でも懲罰になると、等級が下がり、仮釈放も遠ざかる。
 刑務所にいる受刑者には、生まれてこのかた他人(ひと)に褒められたことがないという人が非常に多い。いろんな事情で子どものときから、いつも馬鹿にされ、叱られ、けなされているうちに粗野で凶暴になり、いつしか道を誤ってしまう。
 1960年代にアメリカの刑務所では暴動が頻発した。その原因の多くが食事のひどさにあった。そこで刑務所では食事だけは継続的に最重要改善項目になっている。3食合計で1日のカロリーは、主食が1600キロカロリー、副食が1000キロカロリーの合計2600カロリーと定められている。副食の予算は一日500円。だから、けっこう美味しくて栄養効果のある食事になっている。
 刑務所での医療は健康保険が効かないが、すべて無料。医療予算は年36億円、年々増加している。2007年度の新受刑者3万450人のうち、いわゆる正常な人とのボーダーラインIQ69以下の人が6720人、さらに知能の低いテスト不能者も1605人いた。
 つまり、刑務所に入る3割に知的障害の可能性がある。
年間3万人の出所の半分1万5千人は満期出所である。
 福祉から切り捨てられた触法障害者や認知症高齢者などの人々を、刑務所が塀の中で守ってやっているのが今の日本社会の実態である。うむむ、なんとなんと、そういうことでしたか・・・・。  
 一人の受刑者にかかる予算は年間300万円。これに、逮捕から裁判、それに至るまでの勾留費用をふくめると、一人あたり年1000万円ほどかかっている計算である。
 うへーっ、そ、そうなんですよね。刑務所のなかは、外の実社会の本質をうつし出す社会的な鏡をなしているという印象を受けました。
 こんな刑務所のなかで著者は精一杯、高齢受刑者の面倒をみていました。頭の下がる努力です。刑務所のなかの実情はもっと広く世間に知られるべきですね。
 同じような体験記である山本譲司元衆議院議員による『獄窓記』(ポプラ社)にも感銘を受けましたが、本書も一読をおすすめします。 
(2010年11月刊。457円+税)

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2010年12月 9日

ヒトラーとシュタウフェンベルク家

ドイツ

著者:ペーター・ホフマン、出版社:原書房

 映画「ワルキューレ」は残念ながら見逃してしまいました。なるべく話題作の映画はみたいと思っているのですが、それなりに仕事をかかえていますので、なかなか思うようにはいきません。
 この本を読むと、ドイツ国防軍のなかはナチス・ヒトラー一辺倒ではなかったことがよく分かります。少なくともヒトラーへの幻想がさめてからは、反ヒトラーの気分が横溢していたようです。それは、対ソ連戦で予想外に大敗してしまったこと、ユダヤ人の大量虐殺現場を見てしまった(知った)ことによるようです。
 ヒトラー暗殺に失敗してしまったけれど、あと一歩で成功するところではあったシュタウフェンベルクは、ドイツの由緒正しい貴族出身でした。ヨーロッパでは現在なお貴族の家柄が生きているそうです。そのときの条件は背の高いことだそうですので、私などは、それだけでなれないというわけです。ずんぐりむっくりの貴族というのはいないのです。
 ダンケルクからイギリス軍の逃走を許してしまったことについて、シュタウンフェンベルクは、マンシュタイン将軍の功績と考え、ダンケルク戦についてヒトラーを非難した。ヒトラーの誤った命令のせいで、敗走するイギリス軍を逃した。軽蔑をこめてヒトラーを非難した。ヒトラーについて、決して軍事専門家とは認めなかった。ただ、その軍事的才能は認めていた。
 1942年5月、シュタウンフェンベルクは、ユダヤ人の大量虐殺を知り、ヒトラーを排除しなければならないと考えた。上級将校には、それを実行に移す義務があると信じていた。
 1942年8月、シュタウンフェンベルクは親友のヨアヒム・クーン少佐に、ユダヤ人などへの扱いを見ると、ヒトラーの戦争が醜悪であること、ヒトラーが戦争の原因について嘘をついていたこと、したがってヒトラーは排除されるべきだと語った。
 ただし、1942年にはドイツで1000人をこえる将兵が軍法会議で死刑に処せられていた。ヒトラー反対を唱えるのは、とても危険なことだった。
 1943年4月、シュタウンフェンベルクはアフリカのロンメル軍団のなかにいて、イギリス軍の爆撃で倒れた。右手の手首から上を切断し、左手の小指と薬指、そして左目も切除しなければならなかった。
 この年、1943年2月、ミュンヘン大学で「白バラ」グループの反戦活動が発覚し、首謀者たちは死刑(斬首)に処せられていた。
 ヒトラーを打倒するには、精力的な中心組織と強力なリーダーシップが必要だが、それに欠けていた。
 ヒトラーは、グデーリアン大将、クルーゲ元帥などを大金で買収した。
 ヒトラーを暗殺したとの暫定的な元首・軍の最高司令官は、ベック大将が引き受けることになっていた。
 ヒットラー暗殺を志願する若手の将校はたくさんいた。しかし、彼らはヒトラーに近づくことが出来ない。
 シュタウンフェンベルクは、ヒトラー暗殺に成功したら、生きてベルリンに戻ってクーデターの指揮をとる必要があった。
 ヒトラー暗殺計画はよく練りあげられていました。しかし、結局のところ、制度を運営する人間が肝心です。シュタウンフェンベルクは、すさまじいほどの緊張の下で生きていたようです。よくぞそれに耐えて実行したものです。
 ヒトラー暗殺計画について、さらに少しばかり戦場感覚をつかんだ気がします。
(2010年8月刊、3200円+税)

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2010年12月 8日

誰かボクに、食べものちょうだい

社会

 著者:赤旗社会部、 出版:新日本出版社 
 
 このタイトル、信じられませんよね。これが飽食日本の現実だというのですから・・・・。
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会のテーマのひとつが「子どもの貧困」でした。その会場で売られていた本です。
 日本の子どもの貧困率は14.2%。子どもの虐待の根っこには貧困がある。4人家族で年間所得が254万円以下が貧困ライン。貧困ライン以下の所得で暮らす子どもが
14.2%を占める。子ども7人に1人、30人の学級なら4.5人の子どもが貧困のなかに生活している。
 この本は、困難な状態にある人たちに、あなたが大変な状況にあるのは、あなたのせいではない。どうしたら、この状況を変えられるのか、ゆっくりでもいいから一緒に考えようと呼びかけています。助け合いのできる社会をつくっていこうという呼びかけです。
 乳児保育のための国からの補助金は、10年前と比べて年間630万円も減っている。
 保育料を滞納する家庭が増え、行政の取り立てが厳しくなっている。広島市では、2007年度から滞納している家庭は、市役所の窓口で滞納解消計画を立てないと通園が設けられなくなった。
2008年の夏休み、都内で小学校の男児が買い物袋をさげた通りすがりの人に「食べ物をちょうだい」とねだっていた。この男児の母親は障害をかかえ、自分ひとりの生活もままならない。同居していた祖母が前年春に亡くなってから、男児は給食を食べに学校に来ているような状況だった。夏休みに入って給食がなくなった。プールのために登校してきたときには教職員などがおにぎりをやっていた。カップラーメンを持たせると、「お母さんに持って帰っていい?」と訊く男児。しかし、お盆はプールも休み。ついに通りで食べ物をねだるしかなかった・・・・。
 なんということでしょう。これが、今の日本の現実なんですね・・・・。2学期の始まる前、男児は自分から教師に「ぼく、児童相談所に行く」と言い、そのまま施設に入ることになった。    
ご飯が食べられない。風呂に入っていない。水道やガスが止められている。夏は臭いがするので、教師が生徒の頭をシャワーで洗ってやることもある。その母親は朝8時から深夜まで働いていて、ローンの支払いに追われ、まったく生活に余裕はない。
 まじめな貧困は共感されるが、ふまじめな貧困は共感されず、むしろ攻撃される。 
 そうなんですよね。生活保護を受けているひとがパチンコしていると、目の仇にされ、廃止しろと市民が文句をつけるという現実があります。お互い心の余裕を喪っているのです。女子の若年出産と性産業とのかかわりの背景に、貧困の問題がある。
OECDの30カ国のうち、高校の授業料が無償化されていないのは、日本のほかは3カ国のみ(イタリア、ポルトガル、韓国)。保育園も、1、2歳児は多くの国で無償としている。
フランスは、所得の再分配によって子どもの貧困率を24%から7%に減らした。日本は逆に増やしている。学校で、1クラスの人数は20人でも多いというのが世界の流れである。ええーっ、日本って、そう考えると、本当に子どもを大切にしない国なんですね・・・・。
 子どもが自分に見切りをつける時期が早くなっている。うちは貧乏だから勉強なんかできないよと子どもがいう。貧困と格差の広がりが、今、確実に子どもたちの健やかな成長を脅かしている。
未来は青年のもの。これは、私がまだ青年のころに聞いたなかで一番気に入っていたキャッチフレーズです。子どもは、その青年の卵。まさに国の宝です。その子どもたちを大切にせずして、日本の未来はありません。子どもを飢えさせる政治なんて根本的に間違ってますよ・・・・。プンプンプン、怒りのうちに、この本をおすすめします。
(2010年11月刊。1500円+税)

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2010年12月 7日

希望を持もって生きる

社会

 著者 釧路市生活福祉事務所、 筒井書房 出版 
 
 驚きの本です。サブ・タイトルに「生活保護の常識を覆すチャレンジ」とあります。ええっどういうことなの・・・・?
 釧路市の人口は19万人弱。水産、石炭、そして紙パルプの町として栄えてきた。水産は水揚げ日本一を誇っていたのが、いまや最盛時130万トンのわずか1割10数万トンでしかない。石炭は最後まで残った太平洋炭鉱が閉山してしまった。紙パルプ産業も縮小し、失業と人口減に悩む町になった。
 生活保護世帯は5581世帯。保護率は46.1パミール。平成20年度の保護申請は
888件、保護開始が777件、廃止が485件。母子世帯が16.3%いて、これは全国平均8%の2倍。受給世帯の子どもの割は母子世帯の子ども。
 これまではよくある話です。ここからが違います。釧路市の生活福祉事務所はコペルニクス的転回を遂げるのです。
第一に、福祉事務所になじみのある「就労阻害要因」は何かという切り口から受給者の「自立」をとらえるのではなく、「社会資源・社会参加」という切り口から受給する母子世帯の問題を見る。
 第二に、「点検管理」という伝統的なアプローチではなく、「自尊意識の回復と醸減」という当事者のエンパワメントを意図してアプローチする。
 第三に、「就労一筋」に対して、「中間的就労」という造語表現をつかって、ステップをもうけることに意識付けをする。
 第四に子ども支援に取り組む。具体的には、母子受給世帯のなかの子どもたちに呼びかけて「高校行こう会」をスタートさせた。教える側の一員として保護受給中の人にも参加してもらう。
 このほか、病院ボランティア、公園管理ボランティア、廃材分別作業ボランティアなど、いろいろあります。
 受給者には、確かに認められ大切にされていると感じる経験、人に感謝され誰かの役に立っているとい感じる経験が必要だ。そのことから、人間に備わっている自己回復力のようなものが働き、ゆっくりでも着実に、行動するための活力が湧いてきて、自分から「社会に出てみるのも悪くない」「もう一度社会とのかかわりをもってみよう」と徐々に思えるようになっていく。
 参加を迷っている人に対しては、「ためしに参加してみてはどうですか。参加してみて、良かったらずっと参加していくし、合わなかったら、ほかも紹介できますし・・・・」と話す。すると、たいてい「ためしなら・・・・」と言って参加してくれる。「絶対」という言葉で萎縮して一歩踏み出せないよりは、心も軽く外に出てみることのほうが大切なのだ。
無償のボランティアが受け取る対価は「人の役に立っている」という意識と「ありがとう」という言葉だ。「ボランティアができるなら、すぐに働けるだろう」という声があがることもあるが、結果をあせらず、十分な助走が大切である。
 受給者のなかには、人と話す機会もすくなく、ひきこもりがちになっていた人も少なくない。人は決まった時間に出かける場所や仕事、楽しいイベントなどがあると、前もって準備し、身づくろいもする。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気乗りしないが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていく。働くということは、「生活のためにお金を稼ぐ」ことだけでなく、自分を生かし、あてにされ、しゃかいとのつながりを通して自分自身を確認することでもある。
 このように釧路市では、いわば市役所が地域に出て行っているのです。驚きましたね、この発想と行動力には・・・・。
 その中心にあるのは、受給者の自尊感情の回復。就職に必要な資格取得であれ、就労体験的なボランティア活動であれ、受給者の自尊感情の回復を抜きにしては前に進むことはできないのだ。
 まさしく、そのとおりですね。「毎日つらかったけれど、今は人間に戻った気がする」というボランティア体験者の声は本当にすばらしいです。
人を支える生活保護。これが地域に生きる福祉事務所の役割なんだ。なんと素晴らしい言葉でしょうか。
今は世迷言と言われそうなフレーズを口にしながら、そのような釧路をつくる道程にこそ私たちの希望が宿るという信念を貫いていきたい。
 これがこの本の結びの言葉です。心から大きな拍手を送ります。多くの人にこの本が読まれることを願います。岐阜で開かれた第30回全国クレサラ被害者交流集会の相談員分科会の会場で、釧路はまなす会の方の紹介で知って、すぐに買い求めた本です。本当に買って良かったと思いました。ご紹介、ありがとうございました。
(2009年10月刊。1600円+税)

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2010年12月 6日

人間はどこから来たのか、どこへ行くのか

人間

 著者 高間 大介、 角川文庫 出版 
 
 いま同じ日本に住んでいる、同じ日本人といっても、その先祖が日本にたどり着いた経路はさまざま。日本にホモ・サピエンスが到達したのは、3万年から4万年前のこと。主な3ルートのうち、北のサハリンルートから人が入ってきたのはもっとも遅く、2万年前以降のこと。日本にやってきたのと同じ祖先の別の一派がアメリカ大陸を南下して遠くペルーにまで到達した。
 DNA分析によると、たしかに人類は一つなのである。ホモ・サピエンスは、およそ15万年前にアフリカで誕生し、世界各地で進化した。彼ら以外のヒトを駆逐しながら、全世界に広がっていき、置き換わっていった。
 人類(ヒト)の出アフリカは、わずか1回ないし数回の出来事だった。その規模も、一番少ない見積もりで150人、大きくても2000人。それが全世界に広がっていった。うひゃあ、人間ってわずか2000人足らずだったのですか・・・・。いまは、68億人になっています。
人類がアフリカから出たのは、7万年前から5万年前のこと。5万年前には、オーストラリアにいた。アフリカを出たあと、海づたいに食べ物を探しながら歩いていった。ヒトがアメリカ大陸を縦断したのは、かなり早く、1万年もかかっていない。
 人類の旅の締めくくりは南太平洋の島々への移住。その始まりは台湾。6000年前台湾にいた人々が南下を始め、フィリピンの島々を経て、パプアニューギニアに到達した。3000年前にはフィジー諸島などのメラネシアへ。さらに1500年前にポリネシアのハワイ、そしてモアイ像で有名なイースター島にたどり着いた。この旅は周到に計算されていた。船は、常に風に逆らって進み、新しい島が見つからないときには引き返していった。これを証明できるものとして、タロイモやバナナ、ヤシの実などは、南の島の産物ではなく、台湾やフィリピンなどの、アジア原産の植物だということがある。
 ヒトは霊長類のなかで、唯一、性を秘匿し、食を公開した種である。
 ヒトは体毛の薄い裸のサルであり、直立するサルである。人間社会には、食は共同で確保するという大原則がある。狩猟採集民には、食料を配る役目は子どものことが多い。
 人間の育児能力は圧倒的に高い。その例証が双子である。野生のゴリラやチンパンジーでは双子が生まれても育ちにくい。
 ゴリラの出産間隔は4年、チンパンジーは5年、オランウータンは8年。ところが人間は、出産後40日すると妊娠可能になる。だから、年子の兄弟姉妹は珍しくない。ちなみに私も年子の弟です。
 類人猿の母親は、長いあいだ一頭の子どもに母乳を与え続ける。授乳期間中は発情ホルモンが抑制されるため、排卵しないので、新たに妊娠することはできない。
 ヒトの祖先は、隠れる場所が少なく、これといった武器を持たなかったから肉食獣にたびたび襲われた。とくに子どもが狙われた。そのため死亡率の高い人類は、それを補うため多産にならざるをえなかった・・・・。ヒトがアフリカから出ていった背景には、人口増加があったと考えられる。
 人間は他人に何かを尋ねられ、その答えを考えているときには、目を頻繁にそらす。質問した相手の顔をじっと見ていない。それは、自分はちゃんと考えていることを相手に知らせる社会的なシグナルなのだ。無人販売所に目を強調したポスターを貼っておくと、それだけでちゃんとお金を払う人が増える。ええーっ、そんなに人の目を気にするんですか・・・・。
 20歳前後の、これから繁殖を開始しようとする時期の男性が一番殺人が多い。
 人間も、言葉をしゃべる前は歌、オスがメスに求愛のための歌を歌ったり、歌と一緒にダンスしていた。それがどんどん複雑になっていった。そんな歴史があって言葉ができあがった。そうなんですか・・・・。
わずか300頁ほどの本なのですが、とても考えさせられる、刺激的な話がもり沢山でした。あなたもぜひ読んでみてください。
 
(2010年6月刊。590円+税)

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2010年12月 5日

倭人伝を読みなおす

日本史(古代史)

 著者 森 浩一、 ちくま新書 出版 
 
 最近のことですが、奴(な)の国のあった春日市へ行ってきました。ずっと前からぜひ行きたかった須玖岡本遺跡を見てきたのです。
 奴国は1世紀の中ごろは、単独で後漢(中国)に使者を送るほどの大国だった。倭人伝に記されている奴国は、それより200年ほど後の姿である。人口は2万戸あって、北部九州の女王国を構成する国々のなかでは、抜きんでた大国だった。3世紀の奴国は、女王国に属しているとはいえ、卑弥呼が景初3年に魏に遣使したときの大使は難升米(なしめ)だった。難升米は奴国の王か王族とみられ、魏も難升米を丁重に扱い、銀印や官職を与えた。
江戸時代に志賀島で発見された金印については、偽物説もありましたが、いまでは本物と確定しているようです。
 春日市は、まさに、その奴国のあったところです。住宅地のなかに遺跡と資料館があるのですが、よくみると、実は、そこだけではなく春日市の内外はすべて遺跡なのです。かつての米軍基地が今は自衛隊の駐屯地になっていますが、そこも掘ったら遺跡が出てくるそうです。私は、自衛隊の基地なんか移転させて、きちんと発掘してそれなりに再現すれば、吉野ヶ里遺跡と同じほどに有意義な学術的展示場になり、観光客も集めて、一大産業、町おこしが出来ると思いました。自衛隊が住宅地のど真ん中にあるなんて、時代錯誤でしかありません。
壱岐島にある原(はる)の辻遺跡は私も行ったことがありますが、大集落というより小都市といってよいほどの規模です。かなりの広さがあり、中心部に資料館があって、往時を偲ぶことが出来ます。
この原の辻は、壱岐国(一大国。一支国)の国色(首都)であった。伊都国は、今の糸島市にあった。ここには、古墳時代前期の前方後円墳が数多く築造されている。
 卑弥呼の「以死」について、著者は卑弥呼が魏から見放されて自死したと解しています。
 正始8年(247年)に女王国と狗奴国との戦いが始まった。その知らせを受けた魏は、帯方郡から張政を派遣した。魏は倭国に励ましではなく、厳しい言葉を送って倭の人たちに卑弥呼の政治的失敗を周知させた。つまり、魏の政府は、卑弥呼を見限り、卑弥呼の大夫(部下)だった難升米を引き上げて女王国の代表として扱った。卑弥呼も事態を認識して、従容として死を選んだ。このように、卑弥呼の死は自然死ではなく、倭国を分裂させた責任をとらされての自死とみられる。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・・。「以死」にそんなに深い意味が隠されていたとは・・・・。さすが学者ですね、かないません。
 筑後の山門郡は邪馬台国九州説の古くからの候補地である。門脇禎二氏(故人)も著者も、長らく邪馬台国ヤマト(奈良県)説だったが、大和説と決別して、今や九州説に転換した。うれしいですね。やっぱり九州それも山門郡(今のみやま市)に邪馬台国はあったというんですから・・・・。女山(ぞやま)あたりにそれらしき確たるものが発見されないか、待たれてなりません。
 邪馬台国はヤマト、つまり今の大和(奈良県)にあったというのではないのです。ぜひこの本を読んで、あなたも確信を持ってくださいな。

(2010年8月刊。740円+税)

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2010年12月 4日

反貧困、韓国の現場から

朝鮮(韓国)

 東海生活保護利用支援ネットワーク 自費 出版 
 
 韓国に日本のサラ金が進出して、被害を及ぼしているそうです。韓国は日本より金利規制がゆるく、しかも破産すると公務員は失職したり、しかも、まだまだかつての日本と同じように多重債務者となった被害者への風当たりは強いようです。
 この小冊子は、韓国のホームレス支援、生活保護支援の状況を東海地方の弁護士や学者そしてケースワーカーなどの有志が訪問視察したときの報告書です。
 韓国の貧困層は、2007年に320万人、全国の6.7%であり、絶対的貧困層が1%ほどいる。相対的貧困率は13%であり、OECD加盟国の中では、日本が4位(15.7%)で、韓国は6位となっている。高齢者世帯の貧困率も日本と同じように増えている。ただ、女性の貧困率はいくらか減っている。
 韓国の中産層は、1996年に568.6%だったのが、2006年には54.7%へ減少している。これも日本と同じで、格差が拡大している。
 継続的貧困層のなかでは、65歳以上の人が48.4%、女性が34.1%を占めている。
 視察団はソウル市内の6階建ての古びたチョクパン(ドヤ)を見学した。なかは薄暗く、廊下も狭い。家賃は月1万5千円。階段の踊り場に洗濯物が干されている。共同トイレは水洗ではなく、清潔とは言いがたい。風呂はなく、4000ウォンの銭湯に行く。部屋は3畳ほどで、最小限の家財道具を置くと、寝れるだけの広さしかない。
公的機関のチョクパン相談所があるが、洗濯機無料利用、シャワー利用、盆と正月に寄付されたものを配布する程度であり、相談機能は果たしていない。
 韓国の失業者も増加し、2010年1月に失業者121万人。これは昨年に比べて36万人も増えている。国民基礎生活保障法による給付を全国民の3%、150万世帯が受けている。
いま、韓国のホームレスの人は全額無料で医療を受けられる。全国に35ヶ所のシェルターと5つの保護センターがある。地方には30ヶ所のホームレス施設がある。当初の150ヶ所から70ヶ所に下減っている。しかし、ホームレスが半減したわけではない。ソウル市内はホームレスが3000人いると発表している。うち2000人がシェルターに、500人が保護センター、そして残る500人がチョクパン(ドヤ)にいるという。
しかし、民間団体によると、ホームレスは全国に2万人とも10万人とも推測している。
韓国がこの分野でも日本と同じような問題を抱えていること、行政がそれなりの手を打っていることなどを少し知ることが出来ました。 
(2010年8月刊。500円+税)

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2010年12月 3日

スウェーデンはなぜ強いのか

ヨーロッパ

 著者 北岡 孝義、 PHP新書 出版 
 
 スウェーデンは不思議な国である。国民の幸福感は、日本よりはるかに高い。税金の高い国なのに、国民からの反発は小さい。スウェーデンの国民は勤勉であり、労働生産性も日本より高い。福祉が行き届いた国なら、国民はやる気を起こさないはずなのにそうはなっていない。
 国民の政治への参加意識は高く、4年に一度の国政選挙の投票率は、常に8割を超えている。実にうらやましいですね。日本は良くて6割、下手すると半分以下の4割の投票率という低迷ぶりです。これでは日本は良くなりませんよね。あきらめていたら、いつまでたっても政治はいい方へは変わりません。ところが、今の日本は議員を減らせの大合唱ばかりです。マスコミも大きく唱道しています。国会も地方議会も、どんどん議員を減らせというのです。少数異(意)見の尊重どころじゃありません。そして、公務員の人数を減らせ、その給料が高すぎるというばかりです。いやになってしまいます。大企業の経営者が何億円というべらぼうな報酬をもらっていても、まったく問題にはしないのです。おかしな話です。
オンブズマン制度は、スウェーデンでは国営である。これまた驚きですよね。
 教育や医療サービスの分野で、スウェーデンは市場の機能は使われない。原則として、学校や病院は公立か国立であり、政府が運営している。スウェーデンでは、ながく社会主義政権が政権をにぎってきた。しかし、同時に国王をいただいてもきた。しかも、その国王の先祖はフランス人なのだ。ナポレオン配下のフランス人ベルナドッテ将軍が、時のスウェーデン政府に頼まれ、カール14世としてスウェーデン王国として即位した。いやはや、なんと・・・・。
 スウェーデンは、1995年にEUに加盟したが、ユーロは導入していない。
 スウェーデンの消費税は25%。医療費は、20歳以下なら原則として無料。20歳をこえても年間の医療費は上限で1万2000円。これはタダ同然ですね。教育費も原則として大学はもちろん、大学院まで無料。そのうえ、月額1万3000円の児童手当、託児所の無料化がある。
 スウェーデンの福祉は、育児、教育、医療、老人介護は、原則として個人の負担ではなく、国の負担であるという理念にもとづいている。スウェーデンでは女性が働くことが奨励されている。そのため、ソフトとハードの両面の政策が実行された。ソフト面では、女性が社会で働くことはいいことだという徹底した意識改革をすすめた。ハード面では、女性の就業を支援するための経済支援、環境整備である。なーるほど、そうなんです。日本でも少子化対策が必要だというのですから、この二つが欠かせません。
 現在のスウェーデン社会では、離婚は普通のことであり、男女の同棲、母子家庭、父子家庭、片親の異なる兄弟・姉妹はまったく一般的な現象である。スウェーデンの子どもは、このような家庭環境で育つ。だから、個性が強く、精神的に自立心の強い大人に育つのは、しごく当然のことである。うむうむ、そういうことなんですか、なるほどですね。
 スウェーデンという国を知ることによって、日本社会の変革の方向、目指すべき道も明らかになると思いました。
 
(2010年8月刊。0円+税)

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2010年12月 2日

ギリシャ危機の真実

ヨーロッパ

 著者 藤原 章生、 毎日新聞社 出版 
 
 ギリシャには行ったことがありません。パンテノン神殿とか、一度は行ってみたいと思ってはいるのですが、少しは言葉の分かるフランスにどうしても魅かれてしまいます。
 それでも、先の選挙のとき日本がギリシャのようになってはいけないというキャンペーンが自民党や財界筋から出てきましたので、ギリシャの国の実情を知りたいと思って読んだのでした。この本を読んでギリシャの国の一端が少し分かった気になりました。ギリシャって、日本とはかなり異なった国家と国民性がある。つくづくそう思ったことです。
 まず第一に、ギリシャの公務員の総数を政府も把握しきれていないというのです。これには驚きというより、呆れてしまいました。
 公務員は選挙のたびに増え、2009年は2000年に比べて3割増の114万人になった。これは労働人口の21%、雇用者の3分の1に及ぶ。ところが、これは推計であって、実数は政府もつかめていない。
 新たな政権ができると、閣僚の顧問や局長職は総入れ替えになり、閣僚や次官などの政治化が好きなように身内や友人などをそのポストに就ける。このときに臨時雇用だったはずが、いつのまにか正規雇用になっていて、政権が交代しても解雇されない。
官僚の給料は安いので、副業にいそしむ人は多い。これは民間企業でも同じこと。無税で働く非公式のお金、闇経済の社会がギリシャにはある。
 そして、ギリシャの総計はまったく信用できない。実に怪しい数字をもとに算出されたマクロ経済の総計だけでこの国の実態は語れない。
ギリシャでは、政治すなわち公職を得る手段だと思われてきた。特権層に集中していた悪習を、パパンドレウ父首相は、左派の庶民にまで広げてしまった。ギリシャでは縁故主義が根強い。
ギリシャ共産党の得票数は1割でしかなく、議会政治のなかでは、決して主流になれない。しかし、ギリシャでは共産党員は孤立しておらず、庶民の中にふかく浸透している。
 ギリシャ共産党は、庶民の目から見れば、訳の分からないこと、実現しそうもない理想をうたう人々である。しかし、困ったときに、また自分が国の犠牲になったときには親身に相談に乗ってくれる相手である。
 共産党の古臭いスタイルのデモに、ごく一般の穏健な人々から極左まで参加している。そこには、レジスタンスを率いながら、戦後いい目にあえなかった被害者としての歴史がからんでいる。ギリシャ共産党は、主流のプレーヤーにはなれないが、庶民を動かし、世界に国のイメージを植えつける社会の一つのツールとしては機能している。
ギリシャ人は現状にすぐ慣れる。そして変化には強い。今回の危機など、長い歴史の中でみると大したことはない。周りが騒ぎ過ぎているだけ。
 何を言われようと、どれだけ困ろうと、頑固にギリシャ人は生活スタイルを変えようとしない。ギリシャ人は、したたかで図太い。ギリシャ人は、ドイツ人のようなあくせくした生活を嫌っているようです。でも、決して怠けを好んでいるのではありません。だって、2つも3つも副業して働いているのですからね・・・・。世界はなかなか広いですよね。
 
(2010年8月刊。952円+税)

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2010年12月 1日

日本人の階層意識

社会

 著者 数土 直紀、 講談社選書メチエ 出版 
 
 2000年代になると、男女をふくめて四年制大学への進学率は40%に達し、2009年には50.2%になった。
 高校への進学率は、数十年も前に90%を超えていて、もはや高校への進学は特別なことではなく、まったく普通のことになっている。1985年にもっとも大学への進学率が高かったのは広島県(40.8%)、奈良県(40.5%)、兵庫県(39.6%)と続く。逆に、もっとも低かったのは、青森県(17.8%)、新潟県(19.0%)、岩手県(19.7%)となっている。
 1970年代には学歴には、それほど象徴的価値が見出されていなかった。時代が現代に近づくにつれ、学歴は象徴的価値をますます獲得し、現在は過去数十年間のなかで、もっとも学歴に象徴的な価値が付与されている時代である。
実証的な研究によると、日本人がアメリカ人と比較して、とくに集団主義的であるという証拠が見出されなかったばかりでなく、日本人のほうが個人主義であるとみなしうる研究成果も少なくなかった。つまり、なんとなく、アメリカ人は個人主義的であり、日本人は集団主義的であるというイメージを持っているが、実際には、必ずしもそうとは言いきれない。そして、国民の多くが自分のことを中だと思っていた「総中流」は、なにもとりわけ日本的な現象ではなかった。それは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンといった先進国にも共通してみられる現象だった・・・・。
 1970年代、1980年代の一億総中流は、人々によって所属階層を判断する基準がバラバラであったことによってもたらされていた現象なのである。
一億総中流と呼ばれた時代の日本人の階層意識が特徴的だったのは、「中」と感じている人々の間に共通する社会的、経済的地位を見出すことが難しく、そのために「中」について明確な階層的輪郭を描き出すことができなかった点にある。
 人は、時間の流れの中にのみ存在する歴史的存在であったように、ある場所の上にのみ存在する空間的存在なのである。だからこそ、人々の参照する情報が空間的に偏って存在しているために、人々の意識も空間的な偏りを持つことになる。
 かつての日本人があたりまえのように考えていた一億総中流論は、今では、はるか昔のことであり、現在は格差社会、富める者はますます富と権力を持ち、貧しき者は家を失い、餓死してしまう存在になっている。
このようなことを少し違った角度で考えさせてくれる本でした。

(2010年7月刊。1600円+税)
 金華山に登ってきました。稲葉山城ともいいます。そうです、岐阜に行ってきたのでした。ロープウェーで頂上近くまで一気に上って、そこから10分ほど石段と急勾配の坂道を登っていくと、コンクリートで再現された岐阜城に辿りつきます。お城からは360度のパノラマ展望です、秋晴れの快晴の日でしたから、遥か遠く名古屋のツインタワーまで眺めることができました。眼下の岐阜市内そしてゆったりと流れている長良川を見おろすと、信長の天下布武の気持ちもちょっぴり実感できます。ふもとの岐阜公園では信長居館の発掘作業がすすんでいました。当時の建物が再建されたら、ぜひ見たいものです。
 見事な紅葉あふれる公園内の喫茶店に腰掛けて、おでん、五平餅、そして甘酒を頂きました。甘いみそだれのおでん、米粒の残る五平餅、昔ながらの素朴な甘酒をいただきながら、秋の柔らかな日差しを浴び、幸せなひとときでした。ただ、左ひざの痛みを覗けば…。
 泊まった都ホテルは、長良川に面していて、部屋からは全山紅葉で映える金華山に屹立する岐阜城の雄姿を眺めることができました。

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2010年12月31日

戦国鬼譚・惨

日本史(戦国)

 著者 伊東 潤、 講談社 出版 
 
 うまいですね、すごいです。やっぱり本職、プロの作家は読ませます。日本IBMに長く勤めたあと、外資系の日本企業で事業責任者をやっていた人が執筆業に転じたというのです。異色の経歴ですが、きっと金もうけなんかよりも自分の好きなことをしたいと思って転身したのでしょうね。見事な変身です。賛嘆します。私も見習いたいのですが・・・・。
 武田信玄以後の武田家に仕えていた武将たちの、それぞれの生き方が短編の連作として描かれています。どれもこれも、さもありなんという迫真の出来ばえです。
 戦国時代の末端の武士の頭領たちに迫られた決断の数々が、豊かな情景描写とともに再現されていますので、読んでいるうちに、たとえば木曽谷に、また伊奈谷に潜んでいる武将にでもなったかのような緊迫感があり、身体が自然と震えてくるのです。まさに武者震いです。
 武田信玄が追放した父親の信虎が登場し、また、信玄が死んだあとの勝頼も登場します。しかし、この本の主人公は、武田家を昨日まで支えてきて、主君勝頼を見限って裏切っていく武将たちです。そして、それはやむをえない苦渋の選択だったということを理解することができるのです。戦国時代の武将の心理を考えるとき、なるほどそういうこともありうるかなあ・・・・と、参考にできる小説だと思いました。
 ただ、読み終わったときちょっと重たい気分になってしまうのが難点と言えば難点です。でも、戦国武将の気分にどっぷり浸ってみたいという人には強くおすすしますよ。 
(2010年5月刊。1600円+税)

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2010年12月30日

ビジネスで一番、大切なこと

社会

著者:ヤンミ・ムン、出版社:ダイヤモンド社

 ビジネスの成功の要は、競争力にある。競争力とは、競合他社といかに差別化できるかである。ところが、その差が細かくなりすぎて、多くの消費者がいぶかしく思う段階に達すると、ある日突然、差別化は無意味になる。
 無意味な差別化が進めば進むほど、嘲笑指数は上がっていく。
 現代社会において、差別化は何を意味するのか考えさせられます。ともかく、同じような中味なのに、店にはいろんな形と色の容器がたくさん並んでいますよね。
 ビジネスの世界では、いかなる戦略であれ、永遠を期待することはできない。
 激動の中に放り込まれると、人間は安定を求める。生活が単調であふれていると、鈍感になる。慣れすぎると、何も見えなくなる。印象の欠落は、知覚の欠落につながる。
 相反する二つのものが結びつくには、バランスがすべてだ。類似性は静止状態であり、違いは活動状態。両者が均衡状態をとりながら存在すれば、すべてはうまくいく。そのとき、人は安定を感じると同時に、刺激も感じる。何の混乱もない毎日が続きすぎると、無関心がひたひたと忍び寄ってくる。ひとは停滞を感じ、不安になる。そして、珍しい果物を渇望している自分に気がつく。
 私たちが類似性に圧倒されているとき、判断力に再び火を灯すのは、小さな差ではなく、歴然とした大きな違いである。
 差別化は手段ではない。考え方だ。姿勢であり、傾聴や観察、吸収、尊重から生まれる。
 かなり難しい表現ではありますが、すごく大切なことが語られている本だと思いました。
(2010年10月刊。1500円+税)

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2010年12月29日

葡萄酒の戦略

世界(フランス)

 著者 前田 琢磨 、 東洋経済新報社 出版 
 
 驚きのワイン試飲会が紹介されています。ときは1976年5月、ところはパリ。
フランスのワインスクール主催でワイン試飲会が開かれた。審査員は全員フランス人で、ワイン業界で名の知れた大御所ぞろい。フランス赤ワイン4本、白ワイン4本。カリフォルニアワインが赤6本、白 6本。これをボトルのラベルを隠して銘柄が分からない状態で試飲して20点満点で評価する。結果は・・・・。白ワインの審査結果は、アメリカワインが1、3、4、6、9、10位を占めた。フランスワインは2番手でしかない。そして、次に赤ワインです。これでもアメリカワインが、1、5、7、8、9、10位を占めた。つまり、赤白ともにアメリカワインが1位、金メダルを獲得した。フランスの名士たちにとって、きわめてショッキングな出来事であった。
 著者は、この結果について、1000年以上の伝統をもつテロワール主義ワインに対して、数十年間、科学的研鑽を行いながら技術を進化させてきた「セパージュ主義」ワインが勝利をおさめたのだと解説しています。
審査員は、ワインを目、鼻、口、バランスの4つの観点で評価する。目とは、ワインの外観。ワインの清澄度や色の具合で、その健全性を確認する。鼻とは、香りのこと。一般的にブドウ由来の第一アロマ、発酵由来の第二アロマ、熟成由来の第三アロマといった、さまざまな香りとその強さを確認する。口は味わいのこと。風味、酸味、苦味、甘味、タンニン、アルコール度などが確認ポイント。バランスとは、個別に目、鼻、口でとらえたことを全体的な印象で総合評価する。うむむ、これって簡単なようで、とても難しいことですよね。
 「セパージュ主義」的ワイン造りは、科学技術による。いい苗木を手に入れたら、その苗木にあったテロワールを選択し、できるだけブドウ本来の美味しさを引き出す生産技術によって、質の高いワインをつくりあげる。
世界のワイン生産量は284億リットル。その内訳はフランス53億リットル、イタリア47億リットル、スペイン40億リットル、アメリカ23億リットル。そしてアルゼンチン15億リットル。これら上位5ヶ国で、全世界のワイン生産量の6割を占める。
 2006年の統計によると、日本人は一人あたり年間3本のワインを飲み、フランス人は
73本を飲む。
 さあ、今夜も赤ワインを飲みたくなってきました。ブルゴーニュのぶどう畑を思い出しながら飲むことにしましょう。
(2010年10月刊。2400円+税)

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2010年12月28日

長崎年金二重課税事件~間違ごぅとっとは正さんといかんたい!

司法

税理士江﨑鶴男著  清文社  2010年


今年7月6日、最高裁第3小法廷で「年金型生命保険金の受給権に相続税を課税した上で、更に個別の年金に所得税を課税した更正処分が法の禁止する二重課税に当たるものとして、その更正処分を取り消す」旨の判決が出された。


著者は、平成14年分の所得税の確定申告から始まり、更正処分、異議申立て、裁決を経て、長崎地裁の勝訴判決、福岡高裁の敗訴判決、そして今回の最高裁の逆転勝訴判決に至るまでの長い道のりを納税者と共に闘いぬいた税理士である。私もまた、その闘いに共感し、支援者として訴訟に参加した。著者は、判決宣告から5か月を経て、その闘いを振り返り、本書を上梓した。


考えてみれば、税務訴訟とは不思議な法分野である。弁護士からは「私は税法は苦手だから」と敬遠され、税理士からも「私は裁判を知らないから」と敬遠される、いわば鬼っ子である。勝訴率が低いことの一因も、この辺りにあるのであろう。このことは、本裁判の主任弁護士として活躍された当会の丸山隆寛弁護士も、本書の巻頭言で「エアポケット」という言葉を用いて、同趣旨のことを述べられている。私たち弁護士が、正しい課税のために税務訴訟を勝ち抜くためには、税理士との共同作業が必要であるとの思いは深い。


私どもは、最高裁に本件を上告した時、実質論に立脚すれば必ず最高裁は応えるであろうと思いつつ、他方でルールなき実質論は法的安定性を害することも懸念し、どのようなルールを最高裁に提示すべきかで大いに悩んだ。そして率直に申すならば、私どもは、二重課税の是非を判断するための明確なルールを最高裁に提示するには至らなかった。この辺りの悩みは弁護士に特有のものであり、江崎税理士たちは「必ず勝てる」とひどく楽観的であったことが印象に残る。


良い風が吹き始めたのは、上告後、金子宏東京大学名誉教授から、本件について現在価値の概念を持ち込み、「運用益から切り離された元本部分に対する課税は二重課税に当たるであろう」とのご意見をいただいた時期からである。金子教授の意見は明確なルールの提示であり、結局は最高裁もこのルールを採用した。


上告審の弁論で思い出に残る場面がある。それは江崎税理士が居並ぶ最高裁判事の前に「私は煙草を吸う。現在の課税の実務と高裁の判決は、私が一箱の煙草を買う時に税金を課し、更に私が一本の煙草を吸う時に税金を課すことを認めるものにほかならない。このような不当な実務と判決は、断固是正されなければならない」と口頭弁論を行ったことである。これは比喩であるが、本件の本質を射抜いている。


さて本書は、以上のような7年間にわたる闘いを納税者である未亡人と共に闘った税理士の自分史であるが、さまざまな苦労が描かれているものの、そこに一貫して流れている論調は、「間違ごぅとっとは正さんといかんたい!」という至って素朴な副題に見られる、ひどく明るい楽観主義である。訴額わずか2万円の訴訟を支えてきたのは、このような素朴な正義感なのであろう。


私たち弁護士は正義を実現するためにこの職業を選んだはずであるが、現実社会の中のさまざまな壁に阻まれて正義を貫くことに苦痛と苦労を感じ、時に正義に懐疑心を抱く。しかし、このような壁を打ち破る最大の原動力は、その正義感そのものであることを、本書とその著者の闘いに見たと思うのである。

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弁護士業務改革

司法

 著者 日弁連業革シンポ運営委員会、 弘文堂 出版 
 
 昨年(2009年)、松山で開かれた第16回弁護士業務改革シンポに私も参加しましたが、この本には、5つの分科会での議論状況が大変要領よく、読みやすい形でまとめられています。今後の法律事務所の運営を考えるうえで、大変参考になる本だと思います。
私の事務所にもホームページ(HP)があり、市民向けの広告宣伝につとめているつもりですが、そのときに悩ましいのが専門分野を表示したいのに出来ないことです。日弁連には専門認定システムがまだありません。
 アメリカのカリフォルニア州弁護士会には22万人の弁護士がいて、16万人が実働している。平均年齢47歳、6万人以上は単独もしくは小規模の事務所に所属している。カリフォルニアの専門認定弁護士制度は1972年に始まった。当初は、刑事法、税務、労災そして次に家族法が加わった。一般市民にもっとも身近な法分野から始まったわけである。現在、4153人の専門認定弁護士がいる。圧倒的に多いのが一つだけ認定をもらっている弁護士である。
 専門認定を受けるためには5年の実務経験がいり、同業者からの評価も認定要件となっている。再認定の要件は、5年ごとに継続的に専門分野で仕事していること、1年間に15時間、5年で60時間の継続教育を受けることなどである。専門認定を受けた弁護士は、それまでより20%も報酬が上がった。
4千人というのは意外に少ないと思いましたし、一つだけというのにも驚きました。認定要件も同業者からの評価がいるなど厳しいと思います。
日本では、弁護士人口が増大するなかで、弁護士複数の事務所も増えています。2008年時点では、2人に1人の弁護士が2人から10人の事務所に所属する。
 それによって、分野のバラエティーが増し、仕事の効率が良くなり、その結果として弁護士のクオリティーが向上する。事件の過誤を防止し、案件を多角的に検討することができる。また、ブランドイメージとなって、信用力が強まる。
 弁護士の競争が激化していくとき、それに勝ち抜く手段は専門化である。
事務所の経営形態が実にさまざまであることが紹介されています。私の目を魅いたのは、弁護士が共同で受任するとき、その事件を受けた弁護士が報酬の3割をまずもらい、残りの7割を事件にかけた時間の割合で分けるというシステムをとっているところがあるというものです。
うむむ、これって案外、合理的なシステムなのかもしれないと思いました。
毎朝9時から全員でミーティングをしている事務所。週に1回は夜6時半から9時まで、事務所で食事つき、アルコール抜きで事務所(弁護士)会議をやっているところ。パートナーが月2回集まり、ランチを食べながら経営会議をしていところ。ベテラン弁護士が事務局長となり、事務員の側に事務局次長を1人おいて、指揮命令系統の簡素化を図ってるところなど、さまざまな工夫がされています。私の事務所でも、事務員をふくめた所員全員の事務所会議のほか、弁護士だけの昼食会をもっています。日程調整が容易でないのが悩みです。
フランスでは、弁護士はスペシャリストである前に、ゼネラリストでなくてはならないと強調されているそうです。たしかに、専門性は必要ですが、その前に弁護士としての基本的資質を身につけておく必要があるということでしょう。これから弁護士と法律事務所のあり方を考えるうえで必読の文献だと確信します。 
(2010年12月刊。3800円+税)

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2010年12月27日

オスは生きているムダなのか

生き物

 著者 池田 清彦、 角川選書 出版 
 
 なんとも刺激的なタイトルです。オスである私としては、生きているムダだなんて言われると釈然としません・・・・。
 メスだけが繁殖する脊椎動物がいる。オスは繁殖のために必ず存在しなければならないわけではない。ほかの生物を見ても、メスしかいない生物はたくさん存在する。メスしかいない生物はいても、オスしかいない生物はいない。これは子どもを産む性をメスと定義するから、当然のことではある。
 北海道の奥尻島の溜池にいるフナは、ほとんどがクローンである。その99%はメス。ところが、0.4%のメスだけが、0.4%のオスの精子をつかって有性生殖をしている。なぜ、ごくわずかのフナが有性生殖しているのか。それは種のセキュリティを担保するため。クローンのフナは、何か環境が変わったときには絶滅する危険がある。
生物のすむ環境はDNAの損傷がたまるような環境だ。紫外線、放射線、薬物など、遺伝子を損傷させる物質にさらされて生きている。DNAの損傷をどう修復するかは重要だ。性の基本的な機能は、DNAが減数分裂してリシャッフルされるときに若返ることにある。性があることによって遺伝子が修復され、また多様性が担保される。
 日本の山野のあちこちに見かけるヒガンバナは、中国から輸入されて1000年あまりしかたっていないクローンだ。単為生殖をしているから、あと数万年(!)もしたら、滅びてしまうだろう。竹も基本的にクローンで生きている。100年前後の寿命が尽きるころになると、一斉に花をつけて死ぬ。日本にある竹林の一部をアメリカに植えても、同じ時期に花をつけて死ぬ。
高等動物の寿命は、神経細胞の寿命と一致している。神経をつくる幹細胞が分裂して神経細胞になると、その後はもう分裂しない。分裂しなければ、リニューアルできない。ただひたすら老化していく一方だ。それが人間の場合は120年くらいだと分かっている。
 1986年当時、100歳以上の人は日本に2000人いた。ところが、いまはなんと4万人いる。ただし、男性は数千人でしかない。うむむ、女性は強し・・・・、です。
 一般に生物の世界では、オスは種付け以外には役に立たない。すべてのオスは消耗品みたいなものだ。ああ、無情です。ひどいものです。オスを消耗品と決めつけるなんて・・・・。
 ネオテニー(幼形成熟)が進むと寿命が延びる。体が幼いまま成熟するから、時間がどんどん引き延ばされる。体が早く大人になると、それだけ早く寿命が尽きる。幼い時間をなるべく長くすると、寿命が延びるのだ。
今から28億年前、地球に磁場が出来た。磁場ができると、宇宙線をブロックすることができる。宇宙線はDNAを破壊するから、それまでは生物が海の表面に浮いてくるとDNAが壊れて、たいてい死んでしまった。ところが、地球に磁場ができたので、海の表面や地表に生物がたくさん出てくることができるようになった。うへーっ、そういうことだったんですか・・・・。
 非分裂細胞はガンにならない。心臓はめったにガンにならないし、神経細胞もガンにはならない。再生、つまり分裂を何回も繰り返すと、ガンになりやすくなる。
 人間の場合、生まれたばかりの子どもは男が多い。その後、男は成長するまでに死亡する割合が女より高く、繁殖期を迎えるころに、男女比は1対1となる。
「男は現象、女は実体」(多田富雄)「女は実体、男は情報」(池田清彦)
人間がチンパンジーに比べて頭が良くなったのは、ゆっくり成長して、子どもの形質をもったまま大きくなったことが原因の一つだ。それは人間の寿命が延びたこととも関係している。人の言語は、男と女の騙しあいの結果、発達したという説がある。私も、この説にかなり傾きます。
とても面白く最後まで一気に読みとおしました
 
(2010年9月刊。1400円+税)

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2010年12月26日

日本神判史

日本史(江戸)

 著者 清水 克行、 中公新書 出版 
 
 室町時代、火傷の具合で有罪か無罪かを判定する湯起請(ゆぎしょう)と呼ばれる熱湯裁判が行われていた。湯起請は古くからのものではなく、15世紀の室町時代の100年間のみに集中的に出現する流行現象だった。著者は、87件の湯起請の事例を確認している。盟神探湯は、くがたちと読みます。湯起請のようなものでしょうね。
 もう一つの鉄火裁判は、戦国時代から江戸初期(16世紀後半~17世紀前半)の数十年間にだけ集中的に確認される現象であり、決して古代・中世の昔からずっと続いてきたものではない。著者は鉄火裁判について45件を確認している。そして、この鉄火裁判は、決して遠い昔の狂信的な暗黒裁判ではなく、今でも地域の誇るべき歴史として真摯に語り伝えられている。
 中世の人々は起請文(きしょうもん)と呼ばれる一種の誓約書をよく書いた。当時の人々にとって、この起請文に記載した誓約内容を裏切るということは、単なる他者への契約不履行という問題以上に、その罰文に書かれた神仏を裏切るという宗教的な背徳行為を意味した。ここらあたりは、現代人の感覚とかなり違うようです。
 鎌倉幕府の法廷に御家人の妻の不倫疑惑にまつわる訴訟が持ち込まれた(1244年)。離婚したあと、元夫が元妻を「密通」(不倫)の罪で訴えた。元妻も反論したので、裁判が始まった。この夫婦は結婚したとき、離婚したときには、妻は夫からいくつか土地を譲り受けるという契約状をかわしていた。しかし夫は元妻に、これらの土地を渡したくなかった。そこで、妻に不倫ありと訴えたのである。
 えへーっ、なんだか現代日本にもありそうですが、さらに一歩進んでいますよね。だって、結婚するときに、離婚したときの条件を定めておくなんていうことは、弁護士生活36年間を過ぎましたが、一度も経験したことはありません。
湯起請は、「合法的」なかたちで、「犯人」を共同体から排除する最良の方法として活用されていた。人々が恐れていたのは、犯罪そのものより、狭い生活空間のなかで、人間関係が相互不信によって崩壊していくことだった。湯起請を実際に執行したのは27%だった。ほとんどのケースでは、話題にのぼっただけで、実行に移されていない。
専制政治を志向する為政者にとって、湯起請は、自らの政治判断の恣意性・専制性を隠蔽するための最良の道具だった。だから、足利義政にとって、うるさい重臣がいなくなり、自分の意志を自信をもって全面的に打ち出せる状態になったとき、もはや「神慮」を必要としなくなった。
 湯起請は、信心と不信心の微妙なバランスのなかで、生まれた習俗だった。そのため、大局的な時代潮流が信仰心を捨て去り、両者のバランスが崩れたら、おのずと湯起請は終わるべきものだった。
 中国は、世界でもっとも早く神判が姿を消した地域と評価されている。
 大変面白く、一気に読了しました。
 
(2010年5月刊。760円+税)

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