弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年11月30日

新・学歴社会がはじまる

社会

著者:尾木直樹、出版社:青灯社
 「格差が出るのは悪いこととは思っていない。能力のある者が努力すれば報われる社会良しとする者は多い」
 「どの時代にも成功する人としない人がいる。貧困層を少なくする対策と同時に、成功者をねたむ風潮、能力ある者の足を引っぱる風潮を慎んでいかないと社会の発展はない」
 これらは小泉前首相の国会答弁(2006年2月1日)です。
 「国際化の中で、能力や才能、努力によって生まれる格差は、むしろ称賛すべきことだ」
 これは日本経団連の御手洗会長(キャノン会長)の発言です。
 これらの言葉は、果たして本当だろうかと著者は疑問を投げかけます。
 公立幼稚園では年に24万円弱ですむのに、私立幼稚園は51万円ほどかかる。公立中学が47万円なのに対して私立中学だと127万円。公立高校は52万円なのに私立高校だと103万円。いずれも2倍以上の格差がある。これは親の経済力による。
 最近、東京に行くたびに超高級ホテルがふえています。それらのホテルは中クラスの部屋で1泊10万円だといいます。高級旅館で1泊2食付き4万円というのは聞きますが、素泊まりで10万円する部屋が、そこでは中クラスというのです。1泊40万円とか50万円の部屋に泊まる人が増えているということです。日本でもスーパーリッチ層が増大しているわけです。
 その一方で、就学援助を受ける人が急増しています。1995年度に77万人、   2000年度には98万人だったのが、2004年度はなんと134万人近くにまで増えた。そのうち生活保護世帯に準ずる世帯が121万人ほど。大阪の受給率は28%、東京でも25%に近い。貧困層の増大はすごいものです。
 トヨタ自動車など中部財界がつくった中・高一貫全寮制男子校は年間の学費と寮費で 330万円かかる。6年間だから総額1800万円にもなる。そんな私立校に国の手厚い補助がなされている。
 公立で中高一貫校がふえている。全国に公立120校もある。私立50校、国立3校あるので、合計173校あって、さらに首都圏では17校の開校が予定されている。
 果たして中高一貫校はそれほど良いものなのでしょうか。思春期に親と離れて生活して将来、本当に心優しい人間になるのでしょうか。私は心配です。
 著者は、教える量を多くし、難解にすればするほど学力が向上するという考えは根拠のない錯覚だと主張しています。その証拠としてあげられているのが、日本人が大人になってから学力が身についていないことが国際比較で判明したというのです。
 受験戦争による暗記型、トレーニング中心の「学校知」をどれだけ詰めこんでも、生きる力としての学力につながっていない。大人になると学力が世界最下位に落ちこんでいる。
 学力は競争させるほど向上する。授業時間数を増やせば学力が上がる。いずれも単なる錯覚である。
 「フリーターとかニートとか、私に言わせりゃごくつぶしだ、こんなものは」
 こんな偉そうなことを臆面もなく言ってのけたのは、あの石原東京都知事です(2006年3月 14日、都議会)。いったい自分を何様だと思っているのでしょうね。
 経済格差、学力格差、学歴格差、学校内のコース格差、学校間格差、出自格差、文化格差、親の学歴格差、習熟度別格差、教員格差。これらが地域間格差、情報格差、男女格差、企業間格差などとからみながら、複雑に進展し、子どもたちの学力にも反映されている。格差は多様ではあるが、大切なことは、どの格差も人為的所作のなせる業であり、けっして自然現象というものではない。
 そうなんですよね。私の出身高校はそれなりの昔から伝統のある「名門高校」でしたが、いつのまにか低いランクに落とされていました。学区が事実上撤廃されたため、生徒たちが1時間以上かけても有名高校に通うようになったためです。私は自転車で15分ほどの通学時間でしたが、通学時間に1時間以上もかけるなんて、ムダだと思います。いかがでしょうか。
 格差というと、先日の週刊誌に日本の社長のトップは年収80億円とかいう記事がありました。これって間違ってませんか。その会社のヒラ社員は年収1億円とかもらっているでしょうか。上にばっかり厚いというのは、きっとどこかで破綻すると思います。
(2006年11月刊。1800円+税)

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男はつらいらしい

社会

著者:奥田祥子、出版社:新潮新書
 しんどいのは女や若者だけじゃない。働き盛りの男たちこそ、誰にもグチを言えないまま、仕事に家庭に恋愛に、心身の不調に悩んでいるのだ・・・。
 40歳の独身女性記者(『読売ウィークリー』)が、自分を棚上げして聞き出した、哀しくも愛しい男たちのホンネが紹介されています。読むと、独身ではない私も身につまされます。ホント、男って案外つらいものなんですよ。
 30歳代前半の男性2人に1人、女性の3人に1人が結婚していない。50歳時点で一度も結婚したことのない生涯未婚率をみると、男性は16.0%で女性の7.3%を大きく上回る。これは10年前から倍増しており、男性の非婚化が著しい。
 うむむ、なぜか。どうして、そうなったのか?
 男性に共通しているのは、自分から女性にアプローチできず、自分が傷つくのが怖いということ。服装や髪型を変えるだけでも、ある程度、見た目を良くすることはできる。しかし、次のステップに進もうとすると、コミュニケーションが苦手か、傷つくのが怖いという。それが障害になる。さらに、女性の男性選びの基準が厳しくなっていることも影響している。
 離婚した男性でも、結婚できる人は、何度でも結婚できるし、結婚できない男性は一生できない。うーん、大変鋭い指摘です。
 男性は、年齢が上がれば上がるほど、理屈っぽくなり、結婚できるように変わるのが難しい。なるほど、なーるほど、という感じがします。
 男にも更年期がある。男性ホルモンも20歳代をピークとして、加齢とともに徐々に低下し、50歳あたりを境に、幅広くみると40歳代半ばから60歳代前半ころまで、男性にも女性と同じような不定愁訴などの更年期の症状があらわれる。男性の更年期の症状とは、おもに精神症状(つまり抑うつや不安、イライラ、疲労感など)、身体症状(発汗、ほてり、不眠、骨・関節・筋肉関連症状、記憶・集中力の低下)、性機能症状(性欲低下や勃起障害、射精感の減退など)の三つに大別される。
 私は幸いにして、ここにあげられている症状をあまり感じませんでした。ただ、40代のころ、夜中、急に胸の動悸がして目の覚めたことが何回かありました。そのうちおさまりました。
 団塊世代は、若いころから自分らしさや個性を好みながらも、結局はみんなと一緒の仕事人間に終わってしまい、自分らしさも実現にはもう遅い、という後悔の念を抱いている人が少なくない。その反動として、わが子には自分の好きな人生を目ざしてほしい、そのためには親元にパラサイトして定職につかなくてもしようがないという考えがあるようだ。
 私にはそんな気はありません。ただ、結婚相手を見つけるのが難しくなっているな、とは感じます。だって、昔のようにお見合いの席をもうけるのが、きわめて難しいのですから・・・。
(2007年8月刊。680円+税)

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2007年11月29日

頑張れ!ひょろり君

司法

著者:山?浩一、出版社:現代人文社
 熱血弁護士、奮闘中、というサブ・タイトルのついた本です。京都の弁護士(私よりはひとまわり下なのですが、若手というと失礼になるでしょう)の書いた、なかなかに面白い弁護士奮闘記です。
 京都には和久峻三という著名の弁護士作家がいますが、久しぶりの新人弁護士作家の登場です。私は『弁護士始末記』をずっと推奨してきました。残念なことに30巻が出て終了しましたが、事件のはじまりから終わりまでを要領よくまとめてあって、大変勉強になりました。この本もそんな感じで、軽く読み流しながら、実は勉強になります。
 裁判では正しいものが勝つ、正論が通る世界であると信じて法律家になった。学生のころ、力がないために理不尽な立場に置かれてしまう人々がいることを知り、憤ることがあった。しかし、裁判の場なら、どんなに力が弱くても、正しいことを主張すれば、それが認められるものだと信じて弁護士になった。
 ところが、実際に弁護士になって裁判をしてみると、こちらの言い分が正しいと信じていても、判決ではその言い分が通らないことがある。
 弁護士の仕事は、法律を適用して解決できるほど簡単ではない。法律で割り切れない事件のほうが多い。しかも、肝心の事実そのものが、本当はどうだったのかということが明らかでない。一つの出来事をめぐって、双方の言い分が正反対というのは日常茶飯事である。そうなんですよね。一つの事実にまったく相反する証言が出てきて、それぞれなるほどと思うことはしばしばです。裁判が終わったあと、相手方についた弁護士と本当はどうだったんだろうね、と二人して首をかしげたことも少なくありません。ことほどさように真実の究明は容易なことではありません。
 弁護士は、依頼者の要求をそのまま通せばよいというものではない。非情なこと、非道なことは、いくら依頼者が望んでも、してはいけない。
 弁護士は、かなり難しい状況のなかで専門家として仕事をしなければいけない。だから、弁護士にとっては、事実を明らかにしようとする努力と熱意こそが絶対に必要だ。そのうえで、知恵をしぼって工夫する。ときには許される範囲での駆け引きをすることが必要になる。
 そのうえ、法律論や判例が間違っていると思ったら、一生懸命に調べて、新しい理論や判例をつくる努力もする。そうやって自分の思いが実現したときの喜びは深いものがある。
 この本を読んで、裁判や弁護士の仕事の面白さ、醍醐味を味わい、また、弁護士の苦悩や喜びも読みとってほしい。
 あとがきに書かれている、このような著者の思いに大いなる共感を覚えました。
 ひょろり君と呼ばれる、5年目の弁護士を主人公としたストーリーです。すべて実話をもとにしているというだけあって、登場人物の置かれている状況とその展開が33年も弁護士している私からしても真に迫っています。
 独身の主人公とアルバイトの女子大生事務員の関係が発展するのかどうかも思わせぶりに書かれて気になるところです。
 私も、いつかはこんな本を出したいと思うのですが・・・。
(2007年11月刊。1800円+税)

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2007年11月28日

定刻主義者の歩み

司法

著者:中山研一、出版社:成文堂
 今年80歳となり、傘寿を迎えた著名な刑法学者の自伝です。尊敬する大阪の石川元也弁護士の紹介で、私の書評を読んでいただくようになり、この本を贈呈されました。申し訳ないことに著者の刑法に関する論文は少ししか読んでいませんが、その鋭い分析と論証に感嘆したことはありますので、ここにお礼の意味もこめて紹介します。
 著者は清水高等商船学校に学んだ時期があります。そのときに定刻主義者になりました。海軍式の生活様式を身につけたが、それは「5分前の精神」といわれるもので、何らかの行動を起こすときには、定められた時間の少なくとも5分前に現地に到着し、いつでも行動を開始できるように待機するというもの。この「5分前の精神」をいつ、いかなるときも必ず守るべきだと主張し、できるだけ実践していることから「定刻主義者」と呼ばれ、自称している。
 うむむ、これはすごいです。私も、そうありたいと思いつつ、なかなかそうはいきません。まあ、私のしていることは準備書面を期日の1週間前には提出するように務めているくらいです。
 著者は、この清水高船学校の2年生(19歳)のとき、敗戦を迎えました。それまで、毎日、タコツボを握って身を潜め、上陸してくるであろうアメリカ軍に体当たりして自爆する訓練をさせられていたのです。本気でしていたそうですし、終戦後も、天皇制だけは維持すべしと日記に書いていた軍国少年でした。
 敗戦後は静岡高校に入学し、憲法普及運動に加わり、静岡県下の中学校や女学校を回ったとのことです。
 著者は静岡から、京都大学に進学します。ところが、結核にかかり、病気療養せざるをえなくなりました。著者のすごいのは、そのあいだにロシア語をマスターしたというのです。
 やがて著者は体力を回復し、刑法読書会を組織します。
 研究会にはできるだけ休まない。研究会ではできるだけ質問し、発言する。研究会では、できるだけ報告する。そうなんですよね。ともかく出て、発言しないと何ごとも身につきません。私は自分の出たあらゆる会議で1回は発言することを自分にノルマとして課しています。ただし、黙って内職していることもあります。
 著者は国立の京都大学に30年、公立の大阪市立大学に8年、私立の北陸大学に8年在籍しておられます。数多くの著作と実績をあげられながら、各種の政府審議会の委員に一度もなっておられないというのです。これまた、すごいことです。
 末川博先生は、法の理念は正義であり、法の目的は平和であるが、法の実践は社会悪とたたかう闘争であると喝破された。
 うむむ、これはすごい、すごーい。なるほど、なるほど、まさにそのとおりです。この言葉に出会っただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。
 いま、著者は「中山研一の刑法ブログ」というブログを書いておられます。私も、愛読者の一人です。
(2007年11月刊。1800円+税)

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2007年11月27日

解決のための面接技法

司法

著者:ピーター・デイヤング、出版社:金剛出版
 ミラクル・クエスチョンという手法があることを初めて知りました。
 「これから変わった質問をします。今晩あなたが眠っているあいだに、あなたのかかえている問題が解決してしまったという奇跡がおきたとします。明日の朝、目が覚めたとき、どんな違いから奇跡の起きたことが分かるでしょうか?」
 これを、柔らかな声でゆっくりおだやかにたずねるのです。
 このミラクル・クエスチョンが有効なのは、第一に奇跡について尋ねることによって、クライアントは無限の可能性を考えてよいことになる。第二に、質問は将来に焦点を当てる。それは、かかえていた問題がもう問題ではなくなったときを生活の中に呼びおこす。これによって、現在と過去の問題から焦点をずらし、今より満足のいく生活に目を向けさせる働きをする。問題に浸りきった思考から、解決に焦点をあてる方向へ、劇的な転換を求められる。
 このミラクル・クエスチョンをするときは、それぞれのクライアントにあわせて行わなければならない。たとえば、深刻な不幸を経験したクライアントに対しては、小さなミラクルを描かせることが大切である。
 これに答えようとするクライアントのほとんどが気持ちが明るくなり、希望をもちはじめる。なーるほど、このような質問をして、発想の切り換えを促そうというのですね。大変参考になりました。
 親と子は、お互いに腹を立て、傷つけあい、失望はしていても、お互いを大事に思っている。相手に対する怒り、精神的苦痛、失望は、大事に思われ、尊敬され、評価され、愛されたいという願望の裏返しである。
 親と子の関係に希望を見出せるように、相互の思いやりと善意のしるしを育て、強調することが必要である。そのためには、不満の肯定的側面を強調すればいい。子どもにさんざん失望させられたのに、まだ子どもをあきらめていない証拠なのだ。
 そうなんですよね。口にした言葉を額面どおりに受けとったらいけないというのは、よくあることです。
 自殺すると言っているクライアントに接したときには、まず自殺が不合理であり、危険で他の人を傷つけると説得したくなるし、自殺への偏見をもった反応を示しがちだ。しかし、これではクライアントの考え方に反するので、彼をさらに孤独に追いやり、自殺の危険を高めることになる。
 絶望しているクライアントの視点に影響されない最善の方法は、必ず別の側面があると自分に言いきかせ、それを探しはじめることである。自殺について話すクライアントがまだあなたと一緒にいて、生きて呼吸をしていることを忘れないようにするといい。ともかく、クライアントは過去のトラウマや現在の痛みにもかかわらず、どうにか生きのびている。クライアントの長所を活性化し、感情と状況をコントロールできるという気持ちにさせる。
 たとえば、「今朝、どうやってベッドから出ましたか」と問いかける。小さな、しかも否定できない事実からスタートするのが大切である。
 この本をしっかり理解したというわけではありませんが、弁護士にとってもいろいろ役に立つことが書かれていると思いました。
(2007年4月刊。4600円+税)

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2007年11月26日

風は山河より

日本史(中世)

著者:宮城谷昌光、出版社:新潮社
 徳川家康が三河一帯を支配する前から始まる大河小説です。主人公は三河の武士である菅沼三代。東から武田信玄が攻めてきて、織田信長が西にいて、両雄のあいだで揺れ動かざるをえません。5巻ものの大長編です。『小説新潮』に2002年4月号から2007年3月号まで連載されていたそうです。
 モノカキのはしくれを自称している私は「あとがき」に目がひかれました。いやあ、ホンモノの小説家って、ホント、大変なんですね。
 連載開始後、一年もたたぬうちに、つらさをおぼえた。そのつらさは軽減するどころか、増大しはじめた。小説をつづけてゆくうえで調べなければならぬことが山ほどあり、毎日、5時間ほど資料と文献を読んだあと、原稿用紙にむかうと、疲れはてた自分がいた。そういう状態では、一日に一枚しか原稿を書けない。
 これがいつまで続くのか。そう考えるたびに悪寒をおぼえ、暗澹となった。引くに引けない、とはこういうことであろう。私は尺取り虫のようなものであった。そういう寸進を2年以上続けた。連載回数が50回に近づくころ、ようやく筆が速くなった。その速さに、自分でもおどろいた。結末が遠いながらもはっきりとみえたことで、小説がぶれなくなった。
 すごいですね。ここまでやるのですね。著者は「原稿用紙にむかう」と書いているので、パソコン入力ではないのでしょうね。私と同じ、手書き派だと推測しました。そして、実は、私も5巻ものの大長編小説(実は6巻まで考えています)に挑戦中なのです。既に3巻を出して、近く4巻目を刊行する予定です。私の場合には、結末がまだ自分でも見えてきませんので、主人公たちは一体どうなることやらと思いながら書きすすめています。なにしろ私の分身たちも主人公の一人なのですが、小説というのは書きすすめているうちに独り歩きしていくので、たとえ書き手であっても完全に制御することはできないのです。また、そこに書き手としてのワクワクする楽しみもあるわけですが・・・。
 第1巻は三河の守護の成り立ちの説明から始まっています。室町時代には、細川氏でなければ一色氏であった。しかし、応仁の乱以降、守護の威権ははなはだしく衰え、一色氏は南の渥美を戸田氏に奪われ、足下から台頭した波多野全慶に敗れて、ついに三河を支配する力を喪失した。ところが一色氏に仕えていた牧野古白成時は、今川に近づき、波多野氏に勝って一色氏の旧領の中心部を支配することになる。
 実は、私の配偶者の旧姓は牧野と言います。亡くなった父親は古文書や家系図に関心をもっていて、三河の牧野家の末裔であることを誇りに思っていました。ひょんなところで、牧野家の話が出てきて、驚いてしまいました。
 決断せぬ者を相手にすることは、時の浪費である。うーん、そうなんですね・・・。
 甲斐の武田晴信(のちの信玄)が父の信虎を駿河へ追放した。このとき晴信は21歳、信虎は48歳。うむむ、よほど信虎は家臣から人望を得ていなかったのですね。それにしても、とても信じられない年齢です。
 無沙汰とは、沙汰(訴訟)をとりあげないことをいう。なおざりにすることを意味する。 全5巻を半年かけて、ようやく読みきりました。こんな長編を書くのは本当に大変だったと思いますが、読むほうもそれなりに大変でした。それでも戦国時代の息吹を強く感じさせられ、生きた日本史の勉強になりました。
 私の読めない、意味を知らない漢字、熟語がたくさんあったことにも驚きました。
(2006年12月〜2007年3月刊。1700円+税)

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2007年11月22日

犬はきらい?

著者:エミリー・ヨッフェ、出版社:早川書房
 私は犬派です。猫は、どうしても好きになれません。幼いころから、ずっと我が家に犬が飼われていたので、犬にはすごくなじみがありますが、猫はいませんでしたので、なんとなく敬遠してしまいます。
 猫と犬とは根本的に違う。犬は美人コンテスト出場者のようなもので、他人を喜ばせたいと思っている。サーシャ(著者の飼い犬)は、家の中で粗相すると著者が怒ると理解してからは失敗しない。猫はスーパーモデルのようなもので、他人に喜ばせてもらいたいと思っている。
 なーるほど、そうなんですね・・・。私は犬が散歩しているのを見ると、犬の表情を見ます。生き生きとした犬の顔を見ると、私までうれしくなってきます。
 猫の知性を試す方法は、まずない。猫はごほうびに釣られないため、賢さをはかるのは難しい。それこそ猫が人間というものを天才的に理解している証拠だ。はいはい、それをやればエサをくれるっていうんだね。でも、知ってるんだ。ここに寝そべって、のんびりうたた寝したり毛づくろいしたりしていても、結局は、エサをもらえるんだよね。
 むむむっ、敵は見抜いていたのか・・・。
 猫が粗相するのには理由がある。たとえば飼主夫婦の結婚生活に緊張が生じているから。夫婦が離婚してしまうと、猫の粗相も止む。ええっ、そうなんですか・・・。
 犬を飼い慣らすことの面白さに味をしめた人間は、夢中になって、次々と動物を家畜化していった。イノシシも豚として飼いはじめた。それが農業に変革をもたらし、やがては近代の文明化につながっていく。
 ロシアで驚くべき実験がやられた。野生のギンギツネを飼育した。個体の人間に対する反応を調べ、生まれつき人慣れしたキツネ同士をかけあわせていった。すると、わずか6世代で子孫のなかに人間を恐れない、それどころか人間のそばにいたがる個体が誕生した。さらに数世代を経ると、行動だけでなく、ぶち模様の毛や垂れた耳をもつ子どもが生まれた。キツネの犬化がはじまりかけていた。
 うひゃあ、そういうことができるのですか。本当なんでしょうか。
 ペットの飼い主にとっての最大の悩みは、犬においては攻撃的であること、猫においてはトイレ以外の場所に粗相すること。
 子犬の発達のためには生後16週間までの時期が重要だ。原則として、犬の生涯にわたる社会性は、この16週間で決まる。
 オオカミには、集団での狩りを成功させるには大きな脳を必要とする。しかし、捨ててある鶏の足をかぎつけて食べる犬には大きな脳は必要ない。人間にとって、犬の知性の後退はプラスとなった。
 ビーグル犬を飼い、一時預かりに挑戦する著者の犬との共存日記です。ベッドでも犬と一緒に寝ているようですが、本当でしょうか。犬好きの私でも、とても考えられません。でも、猫を冬の寒いときに湯たんぽがわりにしている人は多いようですから、そういう人も多いのでしょうね。
 私の家でも、私が高校生までスピッツを座敷犬として飼っていましたから、家のなかはいつもザラザラしていました。そのころは何とも思わず平気でしたが、今では、とても耐えられません
(2007年10月刊。1333円+税)

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空母エンタープライズ

日本史(古代史)

著者:エドワード・P・スタッフフォード、出版社:元就出版社
 夜間戦闘機のない時代の航空母艦です。
 ミッドウェー海戦の前、アメリカ海軍のニミッツ大将は敵(日本軍)には知られていない武器、空母部隊一つ分に相当するものを持っていた。それは暗号解読班である。日本軍の暗号を知っていた。ニミッツは山本五十六大将の攻撃計画のいつ、どこへという重要な要素を知っていた。
 1941年12月から1942年6月まで、日本海軍の絶対優勢期、そして日米海軍がほぼ互角の戦力で死闘をくり広げたソロモン諸島での戦いで、ビッグEと呼ばれた空母エンタープライズは主要な海戦のほとんどに参戦して大活躍しました。もちろん、日本海軍を次々に撃破していったわけです。読んでいると、日本軍って、どうしてこんなにバタバタと撃ち落とされてしまうんだろうと歯がゆさを覚えるほどです。彼我の科学技術力と物量の差を改めて感じざるをえませんでした。
 ところが、無敵を誇っていたかのような空母エンタープライズは、日本の敗戦間近の5月14日、フィリピン海において神風特攻機によって戦闘不能となって、戦線を離脱せざるをえなくなり、修理のためパールハーバーへ向かった。
 その前の年の半年間で、空母エンタープライズ一艦によって、日本海軍は、艦艇19隻、飛行機300機を失っていた。
 戦艦武蔵に対する雷爆撃では外れたのが少なかった。18個の1000ポンド爆弾のうち11個が命中した。多くが中心線に沿って中央部の近くに当たった。魚雷は8本全部が命中した。巨大な戦艦は一瞬、至近弾と命中した魚雷が高く上げた水飛沫、炸裂した爆弾から舞い上がった白い煙、火災による黒煙により見えなくなった。それから長く黒い艦首が沸騰する大釜からゆっくりと滑り出てきた。武蔵は艦首から沈んで停止し、炎上した。これは、最高の対空兵器を装備した近代戦艦が航空機の攻撃だけで沈められた最初の例である。
 マリアナ沖海戦のとき、空母エンタープライズは2隻の敵空母に10個の爆弾を命中させ、12機の敵機を撃墜した。そのかわり、飛行機5機を失った(ただし、戦闘で失ったのは1機のみ)が、人員の損失はなかった。
 攻撃機216機のうち、100機が失われた。20機は戦闘で、80機は燃料切れと着陸時の事故により。その100機の搭乗員209人のうち死亡したのは49人のみ。
 アメリカ軍の戦死者は全部で55人。そのなかには、事故による死亡6人も含んでいる。
 この本を読むと、日本軍と違って、アメリカ軍が末端兵士に至るまで、その人命の損失を重大視していたことがよく分かります。そこに初めから勝負があったのではないでしょうか。
 ミッドウェー海戦、ガダルカナル上陸作戦そしてソロモン海戦などで、アメリカ海軍も日本軍よりは優れたレーダーをもっていても、今のように衛星から追跡できなかったわけですから、広い太平洋のなか、いつ、どこで遭遇するか分からないという賭けをしていたのだということがよく分かります。アメリカ側からみた太平洋戦史を日本人が知るのも、あの戦争の実相を認識するうえで大切だと思いました。
 ちなみに、空母エンタープライズは2万トン弱で、飛行機も90機しか運んでいませんでした。まさに中型空母です。
(2007年8月刊。上下巻。2300円+税)

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美味しい食事の罠

社会

著者:幕内秀夫、出版社:宝島社新書
 砂糖と油脂に殺されようとしている日本人。マック、ケンタそしてホカ弁、コンビニの前を通るたびに、日本人って可哀相だなと思います。もっと、食事を大切にしようよと、叫びかけたくなります。
 食費にあまりお金をかけていない人ほど、油脂をたくさん食べている傾向がある。油脂には、素材の悪さをごまかす便利な働きがある。多少、味の落ちる素材でも、油脂まみれにしてしまえば、なんとなく油脂自体のコクや美味しさで食べられてしまう。素材の味が分からずに美味しく食べられる。
 ファーストフードは、輸入小麦と砂糖と油脂の塊だ。油脂と砂糖は満腹感ももたらしてくれる。人間は、油脂の味や、甘い味を、本能的に求めるようにできている。脳にとって、油脂や砂糖の甘さは快楽である。
 人間の二大欲求は食欲と性欲。性欲のほうがお粗末なため、日本人を過剰なまでに食欲に走らせ、一億総砂糖漬けを招いている。未婚女性の4割に男性の友人がいない。そのフラストレーションのはけ口として、食の快楽に走っている。
 長寿の島だった沖縄で男性の寿命が短くなるという異変がおきている。それは、沖縄男性の半分が肥満になったこと、ハンバーガーショップの普及率が日本一と関連がある。ギトギトと油脂まみれの総菜が沖縄で売れている。
 全国のサラリーマンが夕食にしているのは、甘い缶コーヒーだ。缶コーヒーの危険性に多くの男性が無自覚である。缶コーヒーは糖分のほか、クリームなどの脂肪分がたっぷり。これは砂糖の点滴と同じ。糖尿病への特急切符である。
 乳ガンにかかった女性の多くが朝食にパンを食べている。砂糖と油脂入りのパンに、マーガリンとジャムを塗りたくり、わずかな生野菜にマヨネーズやドレッシングで油脂まみれにして食べ、糖分たっぷりの甘いヨーグルトを食べている。いわば食事をとらずにお菓子を食べているのと同じ。これは大変です。みんなに知ってほしいですよね。
 ハンバーガーは食事ではない。ふむふむ、なるほど、そうなんですね。
 いやあ、考えさせられました。私はいま典型的なメタボになってしまいました。そこで、ダイエットを宣言し、実行しています。ともかく食べる量を減らすのです。ガマンガマン、これを合言葉に、いつもお腹が空いている状況に耐えています。さすがに年齢(とし)をとって、空腹には耐えられるようになりました。美味しいものを少しだけ、ということが実践できるようになったのです。うれしいやら悲しいやら、です。だって、来年には還暦を迎えようとするのですから、健康第一ですよね。
(2007年9月刊。700円+税)

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糖質制限食、夏のレシピ

社会

著者:江部康二、出版社:東洋経済新報社
 大変です。胴まわりが2センチも増えてしまいました。まさか、の油断です。まったくメタボリック症候群になってしまいました。ズボンがきつくなっています。毎年、夏になると、いつも太るのですが、今年は秋になっても減りません。深刻に反省しています。
 そんなとき、宮崎へ出かけて、夜のスナックで隣にすわった衛藤彰弁護士から耳寄りの話を聞きました。糖尿病も肥満も、たちまち解決する食事療法があるというのです。しかも、ごはんとメン類を抜かすだけでよく、肉も野菜も食べていい。日本酒やビールはダメだけど、焼酎なら飲んでいいというのです。いやあ、それなら私もやれそうです。さっそく私はこの本を買って、少しずつ実践しています。とりあえず、食べる量をぐーんと減らしました。ごはんは、もともとあまり食べていませんでしたが、意識的に減らしました。大好物のスパゲッティも、当分やめることにしました。博多駅の地下に行きつけの美味しいパスタの店があるのですが、しばらく遠ざかることにしました。
 しっかり食べてダイエット。これがいいですね。
 それでなぜ、ダイエットできるのか。
 精製された炭水化物、つまり白パン、白米、うどん、パスタ、白砂糖、お菓子、これらの過剰摂取が肥満や生活習慣病の根本原因である。
 血糖値を上げるのは糖質。糖質は摂取したら100%血糖に変わる。しかし、たんぱく質が糖に変化するのは50%。脂質なら10%未満。腸から消化吸収されて血糖値を上昇させる時間は、食べ物を口にしてから糖質はわずか15分、たんぱく質や脂質は3〜4時間かかる。糖質を摂取したら、まず血糖値が上昇する。そして、体内にインスリンが分泌され、筋肉などの体組織に血糖をとりこませて血糖値を下げようとする。次に、取りこみきれなかった余剰の血糖は、インスリンにより中性脂肪に変えられ体内に蓄積される。
 糖質を制限すると、肥満ホルモンたるインスリンが分泌されない。尿中にカロリーとともにケトン体が排泄される。体内脂肪が常に燃えているから、やせる。
 糖質制限食10ヶ条を紹介します。
1、たんぱく質も脂質もOK。
  肉も魚貝も、豆腐、納豆、チーズも、みんなOK。
2、白米、白パン、パスタ、お菓子、砂糖は、みんなダメ。
3、玄米ごはん、全粒粉パン、十割そばならOK。
4、牛乳も果汁もダメ。成分無調整豆乳はOK。
5、野菜、海草、きのこはOK。糖質をふくむ果物は少しだけならOK。
6、オリーブ油と魚油はOK。リノール酸は減らす。
7、マヨネーズ、バターはOK。
8、日本酒、ビールはダメ。焼酎、ウイスキーはOK。
9、間食やおつまみにチーズとナッツはOK。ドライフルーツはダメ。
10、化学合成添加物はダメ。
 私は始めて1週間で体重が1キロ減りました。これは、食べる量をぐっと減らしたので当然です。これくらいなら、すぐリバウンドします。でも、がんばってみるつもりです。みなさん、ぜひ応援してください。
(2007年5月刊。1500円+税)

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2007年11月21日

弁護士道に向けて

司法

著者:渡辺洋一郎、出版社:G.B.
 弁護士業は、いわゆるケンカの代行業のようなもの。ヤクザと違うのは、暴力で解決しようとするか、法で解決しようとするか、という解決手法だけ。
 だから、決してきれいな仕事ではない。また、勝ち負けを争うから、精神的にプレッシャーもかかる。少しでも早く何か正業に就かなければと思いながら、40年間、弁護士を続けてきた。
 うむむ、こうまで言われると、どうなのかなと、つい思ってしまいました。だけど、正業云々はともかくとして、あとは著者の言うとおりだと思います。
 依頼者の主張には簡単に迎合しないほうがいい。トラブルが起きそうなときには着手金をもらわず、様子をみる。依頼者とのギャップが具体化したときには、さっさとお金を返すか、自分の気持ちをおさえて、その人のサーバントになった覚悟で徹底的に誠意をもって終わらせ、次から二度とかかわらない。トラブルに巻きこまれるよりは、仕事しないでやせ我慢していたほうがいい。
 私も、これにはまったく同感です。だから、私は、いつでも返せる金額の着手金しかもらわないようにしています。
 準備書面をつくるときには、動かない事実を前提にして、それをしっかりおさえて書く。主張は、証拠からこうだと言い切る必要がある。評論家のような、第三者のような、他人事(ひとごと)みたいな表現では迫力がない。
 いやあ、なるほど、そうなんですよね。なにしろ裁判官を納得させようというのですから、迫力が必要です。
 反対尋問は準備なくして絶対に成果が出ない。尋問は淡々と行うのが原則。質問にこめた真意を裁判所に伝える。相手方の矛盾点をさらけ出す。証人にはできるだけイエス、ノーで答えさせる。あまり深追いしないこと。
 ふむふむ、そうなんです。でも、実に難しいのです、これが・・・。
 和解の場は、裁判官の心証をつかむ絶好の機会である。相手方が物わかりの悪い人のときには、それと同じくらい物わかりを悪くする。というのも、裁判官は、事件を早く解決させたいので、物わかりのいいほうを説得しようとする傾向があるから。
 和解の場で理屈ばかり言うのは得策ではない。
 依頼者の説得が実は一番難しい。そこで、依頼者への話しもよく考える。和解が現実化してくると、依頼者は自分が損する面ばかり考えがち。だから、依頼者の心理をよく読んで、和解できることに感謝の気持ちがある状況で行うことが大切。最後には、決めるのは本人であることを、淡々と損得両面を話す。積極的に説得しすぎない。
 顧問契約は、相互にいつでも解約できると明記しておく。ともに人間として育ちあっていく関係にあることが大切。
 弁護士会の活動を通じて思ったことは、自分の目の前で起きていることが、それを放置しておいたら、次の世代に申し訳ないような結果になりかねないことだと思ったら、自分ひとりの力は、石を一個投げるしかなくても、その石を必ず投げること。また、投げる責任があるということ。石を投げれば、そこに波紋が広がる。同じ考えの人が次々に石を投げれば、それは大きな力になる。
 私より先輩の弁護士が若手弁護士向けの研修会で語った講話をまとめたものですので、大変読みやすく分かりやすい。しかも大いに勉強になる内容になっています。
 ただ、著者が、当時の司法修習生500人のうちの1割、50人くらいしか法律を理解して合格したとは思えないとして言っていることには首をかしげました。まあ、そういわれたら、私なんかは残る9割のほうに入っているに違いないのですが・・・。
(2007年11月刊。2310円)

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2007年11月20日

新自由主義の犯罪

社会

著者:大門実紀史、出版社:新日本出版社
 またまた私の知らない言葉がありました。オンコール労働者です。みなさん、知っていましたか?
 オンコール労働者とは、企業が必要なときに呼び出し、必要なだけはたらかせる労働者のこと。呼び出しは、企業の都合によっておこなわれ、労働者は前日の呼び出しでも応じないと、次の仕事が得られないという、強制的かつ不安定な状態におかれる。就労日数も、一日から数週間と、企業の需要に合わせて決められる。
 これはアメリカの労働者についての言葉です。日本では、ワンコール労働者というのがあります。私は、これも知りませんでした。ワンコール労働者とは、電話一本で呼び出される労働者のこと。アメリカのオンコール労働者とほぼ同じで、一日単位の仕事について電話で派遣会社に仕事情報を照会し、直接、派遣先に出向いて就労する派遣労働者のこと。日雇派遣とかスポット派遣とも呼ばれる。
 ワンコール労働者に登録している労働者は、グッドウィルで270万人。同じ派遣大手のフルキャストで175万人もいる。日給は5000〜8000円だが、毎日仕事があるわけではないので、月収は10〜13万円程度。アメリカのオンコール労働者と同じく、低賃金で雇用保険も社会保険も適用されない。
 いやあ、これってひどいですよね。だって、昇給も昇進もまったくないのですよ。これでは人生設計なんて、まるで出来できませんよ。
 偽装請負とは、実態は派遣労働なのに、契約上は業務請負と偽装し、本来は派遣先企業が負うべき労働者の使用にともなうさまざまな責任を免れようとするもので、職業安定法や労働者派遣法に違反している。
 偽装請負では、請負会社は求められた人数の労働者をメーカーに派遣するだけで、指揮命令するのはメーカーだ。誰が仕事の指揮命令をするのかは、いざというときの使用者責任を問い、労働者の権利を守るうえで重要な分かれ目になる。
 この本に完済の大手電機メーカーN社というのが登場します。あくまで人件費が安上がりですむクリスタルとの取引を継続しようという勢力と、自社グループ内で技能社員を養成していこうという勢力との争いがあったというのです。長い目で見たら、技能社員を大切にして養成していくべきことは明らかだと思うのですが、目先の利益を追うと、そんなことを考えるゆとるはなくなるのでしょうね。
 この本には病院ファンドについても紹介されています。今、全国の病院、とりわけ自治体病院の経営が苦しい状況です。そこにつけこんでもうかろうという企業グループがあるというのです。とんでもない連中です。
 新たな投資分野なので、銀行や商社、不動産会社などが次々にファンドを立ち上げている。このファンドは私的病院だけでなく公的病院もターゲットとしている。現在、自治体病院600のうちの9割以上が赤字で、そのほかの公的病院も6割赤字経営。ここに公的病院の民営化がすすみ、ファンドのもうけの場となっている。
 いやですね、人間(ひと)の生命・身体を、もろに金もうけの道具にするなんて・・・。
 クレジット・サラ金による被害者救済を充実させるため全国を飛びまわっている福岡の椛島敏雅弁護士のすすめで読みました。勉強になりました。ありがとうございました。
 日曜日に、仏検(準一級)を受けました。晴れた青空の下、室内にいるのがもったいないような気がしましたが、2時間半ほどのテストが終わったときには花王石鹸のマークのような半月が空高く輝いていました。今回も事前に十分な予習できなかったのですが、前日と当日午前中、フランス語の勘を取り戻そうと、必死に辞書をめくって単語を復習しました。自己採点で78点です(120点満点)。まあ、なんとかパスしたかなと思い、秋風の寒さを身にしみながら帰路につきました。
(2007年10月刊。1700円+税)

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2007年11月19日

私訳・歎異抄

社会

著者:五木寛之、出版社:東京書籍
 善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他人の意識にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他人をたのむこころにかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報士の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
 親鸞の有名な文章です。これを著者は次のように現代語訳しました。
 いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力(たりき)に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。
 だが、そのようないわゆる善人であっても、自力(じりき)におぼれる心をあらためて、他力の本願にたちかえるならば、必ず真の救いをうることができるにちがいない。
 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。
 山に獣を追い、海河に魚をとることを業(ごう)が深いという者がいるが、草木国土のいのちをうばう農も業であり、商いもまた業である。敵を倒すことを職とする者は言うまでもない。すなわち、この世の生きる者はことごとく深い業をせおっている。
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるであろう。
 おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。
 正直いって、私には、この解説ではもうひとつよく分かりません。あるときには分かったようなつもりになりましたが、本当の意味で理解したというのにはほど遠い状況です。
 わたしたちは常に現世への欲望や執着にとりつかれた哀れな存在であり、それを煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぷ)という。
 これは、私にも、よく分かります。まさしく私は煩悩具足の凡夫そのものです。
 阿弥陀仏の救いに甘えてつくる罪もまた、過去の世の行いの結果である。善い結果も悪い結果も、その業(ごう)の結果であると認識し、ただ仏の慈悲にすがることが、「他力」(たりき)の道なのだ。
 ここらあたりが、私にピンとこないのです。いったい、これはどういうことなのでしょうか。 何度よみ返しても、よく理解できません。果たして、一日一善を心がけてよいものなのでしょうか。それとも無意味なことだというのでしょうか。
 念仏をしようと思いたったとき、その信心は、阿弥陀仏からのはたらきかけによって生じ、阿弥陀仏のちからによってなされるものである。その時点ですでに仏の光明に照らされているのだ。だからこそ死ねば執着を脱し、罪をぬぐい、浄土に導かれるということである。
 それはあくまで仏の大きな慈悲の心によるものだ。このはからいによらなければ、われわれのような罪深い人間が浄土へと往生できるわけがない。一生の問いにする念仏の数々は、この仏の恩を感謝する念仏であると考えよう。
 念仏によって罪を消滅できると期待することは、その行為に励むことによって自己の罪を消し去ろうとする「自力」の行為である。もしそれで浄土へと往生できるのなら、死ぬまで一刻もたえまなく念仏しなければならないが、念仏とはそういうものではあるまい。
 いやあ、なかなかに味わい深い文章であることは間違いありません。とても平易な文章なのですが、まだまだ凡夫の私が理解するのには相当の年月を要すると思いました。
 先週、上京して日弁連会館での会議に参加する前に、日比谷公園で菊花展があっていましたので、立ち寄りました。見事な菊の花がずらりと並んでいて壮観でした。丹精こめた大輪の菊の花が、香りも高らかに美を競いあっていて、ついつい見とれてしまいました。それにしても、いろんな形の菊の花があるのですね。まるで花火のような形をした菊の花を眺めて、手入れがさぞかし大変なことだろうと推察しました。
(2007年9月刊。1200円+税)

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佐藤可士和の超整理術

社会

著者:佐藤可土和、出版社:日本経済新聞出版社
 小さなころから、僕は整理するのが好きだった。整理したあとの、なんとも言えないスッキリ感がたまらなかった。もやもやした霧がパッと晴れたような爽快感といったらいいだろうか。整理すること自体が、僕にとって何よりのエンタテイメントだった。
 いやあ、これって私にもピッタリです。私も、大学受験勉強のころ、気分転換にすることと言えば、子ども部屋の模様変えでした。整理整頓して部屋のなかをスッキリさせると、気分までスッキリ爽快となり、勉強もはかどりました。
 答えはいつも、自分ではなく、相手のなかにある。それを引き出すために相手の思いを整理するのが、すごく重要なこと。
 整理するには、客観的な視点が不可欠。対象から離れて冷静に見つめないと、たくさんの要素に優先順位をつけたり、いらないものをバッサリ切り捨てたりすることはできない。徐々に大切なものに焦点をあわせ、磨きあげて、洗練されたかたちにしていく。
 なーるほど、ですね。著者は、とても若い人ですが、大いに学ぶところのある、鋭い指摘だと感心しながら読みました。
 現代社会は非常に複雑な状況にある。いくつもの世界が混在し、とてつもないカオス状態が蔓延している。混沌としている現代社会においては、現状を把握するのが、不可能なほど難しい。
 空間の整理の目的は、快適な仕事環境をつくること。
 捨てることは不安との闘いである。
 捨てることは、「とりあえずとっておこう」との闘いでもある。
 広告が単に刺激的なだけでは、一瞬目を引くだけで終わってしまう。心の奥までは浸透していかない。
 相手の理解を得たり興味を引いたりしないと、本当に心を捉えたことにはならない。まず何が言いたいのかという趣旨をはっきりさせ、そのうえでどんなトーンで伝えるのかという工夫をすることが大切。
 思考を情報化するためにはどうしたらいいか。必要不可欠なのが、無意識の意識化というプロセス。漠然とした状態の心理や、心の奥深くに埋もれている大切な思いなどを掘り起こして、はっきりと意識する。そのとき一番大切なことは、言語化していくこと。言語かすることで、思考は情報になる。
 そうなんですね。すべては、コトバにすることから始まるのです。しかも、そのコトバが鮮烈な印象を与え、心をゆさぶるものになるためには、大いなる工夫が求められるのです。そこが難しいんです。モノカキをこころざす私は、一見、簡単にみえる言語化が難しいことを、日々、実感しています。
 Tシャツをペットボトルで販売するということを考え出した著者の大胆な発想とそれを支えているユニークかつ堅実な発想にも大変刺激を受けました。
(2007年9月刊。1500円プラス税)

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森の「いろいろ事情がありまして」

生き物

著者:ピッキオ・石塚徹、出版社:信濃毎日新聞社
 カラー写真を眺めているだけでも楽しい本です。長野の森に生きる大小さまざまな動植物が生き生きと紹介されています。
 軽井沢に野鳥の森があり、クマが町中にも出没していることを知りました。小鳥たちのたくさん棲む森なのですが、かつては、今の何十倍もの小鳥たちがいたというのです。人間の乱開発は小鳥たちの棲み家を奪っているわけです。
 春夏秋冬の四季に分けて、長野の森とそこに躍動する生き物の姿が描かれています。早春に咲くアズマイチゲの白い花は、地上に芽を出してから花が咲くまで、わずか3日、その後10日間咲いて、実をつけた半月後には葉も枯れはじめ、芽を出して1ヶ月半後には地上から姿を消す。1年間も姿をあらわさず、その間に葉はあわただしく光合成して、その養分を地下にたくわえる。これを毎年くり返し、10年目にしてようやく花をつけるという。つまり多年草なのです。
 スミレは、種をたくさん詰めこんだ袋をはじけさせて遠くへ子どもたちを飛ばす。このほか、アリに食べてもらって、遠くへ運んでもらう。こうやって、遠くへ遠くへ子孫を残していく。
 軽井沢の町周辺に出没するツキノワグマの生態も明らかにされています。電波発信器をつけて探ったのです。それによると、オスとメスとでは、断然、行動範囲が違います。メスは東西5キロ、南北4キロとか、東西2キロ、南北2キロという狭い範囲でしか行動していない。オスは、東西15キロ、南北10キロ、また東西15キロ、南北8キロという広さで行動していた。
 軽井沢の町はクマの行動圏内なのですね。
 ニホンザルも軽井沢の町周辺に2群いるそうです。同じようにサルにも電波発信器をつけて調べました。
 ミソサザイという小鳥の調査も面白いですよ。大きな鏡を彼のナワバリのなかにすえつけ、テープレコーダーで仲間の声を流したのです。すると、すぐに飛んできてさえずりして応戦します。鏡にうつった自分の姿を見て、反応しました。くるっ、くるっとその場で一周ずつ回転しては、翼をぱっぱっと半開きしたり閉じたり、鏡の中のライバルに自分の姿を見せつけ、回転ダンスの儀式で決着をつけようとした。ミソサザイは尾を立てて歌い、それを回す動作は模様のコントラストを誇示し、それで相手をひるませたり、メスに選ばれたりする効果があるのだ。その写真を見ると、なるほどね、と思います。鏡にうつった自分の姿に真剣に対抗しようとする姿には笑ってしまいます。
 秋になってヒタキの声がします。ジョウビタキと思うのですが、残念なことに、まだ姿を見ていません。いつも秋から冬にやって来る、お腹ぷっくりの可愛らしい姿を早く拝みたいものです。
(2007年7月刊。1600円プラス税)

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2007年11月16日

マツヤマの記憶

日本史(現代史)

著者:松山大学 出版社:成文社
 日露戦争100年とロシア兵捕虜というサブ・タイトルがついた本です。203高地争奪戦のあと、旅順を守っていたロシア軍が降伏すると、日本へ大量のロシア兵捕虜が連行されてきました。当時の日本は、捕虜を人道的に扱い、国際社会で名誉ある地位を占めました。この本では、その実情と、隠された捕虜虐殺、そして捕虜処遇費用をロシアに全額弁償させた事実が紹介されています。飫肥に行ったときに小村寿太郎記念館で買い求めた本ですが、勉強になりました。世の中には知らないことって、ホント、たくさんあります。
 1904年の日露戦争開戦は、ひとつくれよと露にゲンコ、というゴロあわせて暗記しました。2004年は、開戦100年にあたります。
 松山収容所には、最大瞬間人員で3000人台後半から4000人台前半いた。埋葬者数は98人で、全国でもっとも多い。
 松山が捕虜収容所として選ばれたのは、道後温泉が近くにあるため。日本側は、捕虜となるのは戦傷病兵で、戦闘意欲を失った兵達だろうと予測していたから。つまり、松山収容所の特色は、将校と傷病兵を主として受け入れたことにある。
 ロシア兵捕虜の総数は7万9000人。捕虜になった場所は、旅順・開城4万4000人、奉天2万人、日本海海戦6100人、サハリン4700人だった。日本に連れてこられたロシア兵捕虜は、1905年11月から1906年2月にかけてロシア側に引き渡された。
 戦争の最中、松山は、帝国の品位をかけて捕虜優遇策をとった。官民あげて観光客なみにもてなした。たとえば、朝はバター付・パンと牛乳入り紅茶。昼はバター付パンとスープ玉子付のライスカレー、紅茶。夕はバター付パンと野菜スープ、タンカツレツ、紅茶。そして、将校のなかには、町中に日本家屋を借り、女中を雇うのものもいた。
 日本政府は、ロシア兵捕虜の給養に莫大な金額をつかった。食費だけで、将校には一日あたり60銭、下士官と兵卒には30銭を充てた。これに対して、日本の兵卒の食費は一日16銭にすぎなかった。破格の厚遇である。
 日本政府は、戦争中、捕虜のため4900万円もの予算を割りあてた。これは開戦前の国家予算の2割にあたる。この経費は、日本政府が国の内外から借金してまかなった。そして、これを戦後になって、ロシア政府に返済させた。
 日本側のかけた費用は、5000万円に達した。ロシア側は、2000人の日本人捕虜に対して、160万ルーブルをつかった。
 捕虜将校には、自由散歩制度がとられていた。月水金は午前6時から正午まで、火木土は正午から午後6時まで。海水浴が許され、自転車で外出することも認められていた。
 捕虜の将校は所持金も多く、戦時下の松山経済に好影響を与えた。当時の道後温泉は史上最高の収益を上げた。ロシアの捕虜は個人で1円50銭の貸し切りで1時間も楽しんだ。1日に300人も400人も入浴した。日本人は一人5厘、捕虜は一人1銭だった。
 ところが、日露戦争の末期、南樺太(南サハリン)で、日本軍はロシア軍の敗残兵を捕虜としたのち、翌日、残らず銃殺した。ロシア兵捕虜を優遇しただけではなかったのです。
 ふむふむ、知らなかったことだらけです。
(2004年3月刊。2000円+税)

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2007年11月15日

ウォルマートに呑みこまれる世界

アメリカ

著者:チャールズ・フィッシュマン、出版社:ダイヤモンド社
 毎週1億人以上が、アメリカ国民の3分の1がウォルマートで買い物している。1年を通すと、アメリカの全世帯の93%が少なくとも一度はウォルマートで買い物をしている。2005年のアメリカでのウォルマートの売上げは、一世帯あたり2060ドルをこす。
 ウォルマートは、メキシコ、カナダにおいても最大の小売企業である。イギリスでは食品小売業として第2位。全世界で2006年にウォルマートで買い物した客は72億人にのぼった。世界の人口65億人よりも多い。
 ウォルマートの従業員は160万人。エクソンモービルの従業員は9万人。300万人もの人がウォルマートに商品供給する仕事に従事している。
 ウォルマートは旧態を打破できず、進化できないでいる。つまり、労働環境に問題がある。2005年秋までにアメリカ各地でウォルマートに対して従業員から40件もの訴訟が起こされた。休憩時間なしで働かされたとか、退社時刻のあとも無給で働かされたというもの。そして、外国人従業員245人が不法就労者として逮捕され、ウォルマートは連邦政府へ1100万ドルもの制裁金を支払った。
 サム・ウォルトンが1992年に亡くなったとき、ウォルマートの年間売上げは440億ドル、従業員は37万人だった。死後13年たった2005年に従業員はさらに120万人、売上高は2400億ドルも増えた。
 ウォルマートには、長年、一サプライヤーの売上げの30%以上のシェアは占めないという非公式のルールがある。一企業の運命を左右するという見られ方をしたくないから。つまり、ウォルマートと最大30%まで取引している企業でも、残り70%は他の販路を通じて販売している。
 ウォルマートは、やはり最後は価格がものを言うと主張している。他社より少しでも安く、というわけだ。
 ウォルマートの新規出店は、アメリカの雇用を増やしているのか、単に自社の従業員を増やしているだけなのか。
 過去7年間のアメリカ小売業界の雇用増加分の7割以上はウォルマートの成長によるものだった。ウォルマートが新規出店すると、最初の年は、地域の雇用は100人ふえる。つまり、ウォルマートの従業員が150人、同じ地域内で小売の仕事についていた50人は職を失う。ウォルマートの出店後、数年にわたって、小売業の雇用数は減り続け、5年たつと小売業の新規雇用数は100人ではなく50人にまで減る。
 人口500人から1000人の小さな町で小売店の売上げが47%も減っている。住民の多くがウォルマートへ来るまで買い物に出かけたからだ。アイオワ州内のウォルマートの店舗が45にまでふえたため、男子・紳士衣料品店の43%が閉鎖した。
 ウォルマートは、進出した地域の食品小売ビジネスの15〜30%程度のシェアを一気に地元の既存の食品店から奪いとる。
 従業員が20人未満の小さい小売店の数が減る。ウォルマートの新規出店から2年以内に3店がつぶれ、5年内に4店が閉鎖する。つまり、ウォルマートの出店とその成功は、既存の地元小売店の犠牲の上に成りたっている。新しく出店したウォルマートは、たしかに従業員を新規に300人雇用するかもしれない。しかし、その一方で、近くの小売店の従業員250人が職を失い、小売店4店が姿を消している。
 つまり、ウォルマートは何百人もの従業員を雇うが、新規出店から5年たつと、創出された新規雇用数合計は50人ではなく、20人を差し引いて30人になってしまう。たったの30人である。結論として、世論の関心度の高さに比べて、ウォルマートの新規出店による雇用創出効果はそれほど大きいものではなかった。
 私の生活する町の近くにイーオンが、でっかい郊外型ショッピングセンターをつくると言います。先日、宮崎に行ったら、郊外にありました。町中のシャッター通りはひどいものです。便利さの裏で、歩いて安心して買い物できる地域環境がなくなっています。
 ウォルマートで買い物する人は、ふだん忙しくて一度に大量に物を買う人たち。安くて質が悪くても、あまり気にはしない。
 ウォルマートが原因で地域に貧困世帯が増えている。アメリカ全国にすると2万世帯が貧困に陥っている。ウォルマートが新規出店して5年内に4つの小規模ビジネスが姿を消している。ジョージア州の貧困世帯の健康保険制度に加入していた子どものうち1万人以上が親はウォルマートで働いていた。
 ニューヨークにも、インドにもウォルマートは一店もない。ドイツや日本でも苦戦している。
 アメリカで消費されるサケのほとんどはアトランティック・サーモンだ。養殖サケの 95%を占める。チリ産だ。養殖サケは、養豚場の豚と同じ。狭いところに押しこまれ、病気を治すためでなく、予防のために大量の抗生物質がつかわれている。海底には大量の排泄物が堆積し、その周囲は死の海と化す。100万匹のサケが出す排泄物の量は、人口6万5000人の町の排泄量に相当する。そのうえ、サケに与えるエサも海洋汚染の原因になっている。
 大きいことはいいことだ。安いことはいいことだ。価格破壊、万歳。こう叫んでいるツケは高いと思いました。
(2007年8月刊。2000円+税)

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2007年11月14日

ある日、あなたが陪審員になったら・・・

世界(フランス)

著者:オリヴィエ・シロンディン、出版社:信山社
 フランス重罪院のしくみ、というサブ・タイトルがついています。日本の裁判員制度にフランスの陪審制は参考になるという紹介がありましたので、フランス語が少々できる私としてはぜひ読んでみようと思った次第です。
 フランスでは、毎年2万人ほどの市民が陪審員になるべく招集される。1978年以来、選挙人名簿に登録された23歳以上のすべての市民は陪審員に任命される可能性がある。パリだと1800人、その他の県だと人口1300人に1人の割合で選出される。
 市長は公衆の面前で、選挙人名簿をもとに23歳以上の人からくじを引いて、定数の3倍までしぼりこむ。そこから、法曹三者などから成る委員会が不適格者を除外する。そして、2度目のくじ引きが裁判の始まる30日前までに行われる。これも公開の法廷でのくじ引き。40人と予備員12人を選び、期日に召喚される。そして、開廷日の初日に3度目のくじ引きとなる。
 重罪院は、3ヶ月に一度、2週間の開廷期で開かれる。
 陪審員は、5年間のうち一開廷に限られる。
 人を裁くなんて、神以外の誰にもできるはずがないと言われた。私が人を裁くなんてできるはずがないと思ったし、自分の意見をもつのも得意ではないので悩んだ。それでも、政治意識から召喚を拒否しなかった。
 理由なく陪審員が欠席したら、3750ユーロの罰金が科される。
 困難な任務にもかかわらず、いつも陪審員の熱意と真面目さと努力に驚かされる。
 もし重罪院が舞台なら、そこで演じられているのは悲劇だ。陪審員のなかには、泣いたり、気を失ったり、部屋を出てもいいかと頼む者がよく出てくる。救急車が重罪院に頻繁にやって来る。
 陪審員は、あなたは心底から確信しているか、と自らに問いかける。
 評議室は閉ざされ、出入り口は守衛によって警備される。評議室から出ることはできず、トイレに行くときも、警備員が付き添う。外部からの接触は一切排除される。
 ここは、人間がふだんの自分以上の、崇高な存在になれる場所なのだ。
 陪審員による投票は2回に分けて行われる。まずは有罪か無罪かについて。そして有罪と決まったときには、量刑について投票する。有罪についての評決は12人のうち8票の多数を必要とする。量刑については7票でもいいが、法定刑の最長期の刑を言い渡すときには8票を要する。ちなみに、フランスは死刑判決はない。
 フランスの弁護士は3万9000人いるが、刑事弁護士と呼ばれるごく少数が重罪院で活動している。
 重罪院にかかった事件のうち無罪になるのは7%。2002年から無罪判決に対して検事長は控訴することができるようになった。控訴率は24%。
 2002年に重罪院の判決は2825件だった。17%は故殺、13%は凶器所持強盗、52%が強姦事件。
 いろいろ勉強になりました。イラスト入りでかかれた読みやすい本です。
(2005年11月刊、3200円)

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2007年11月13日

プーチン政権の闇

世界(ロシア)

著者:林 克明、出版社:高文研
 プーチン大統領の支配するロシアって、本当に底知れない恐ろしさをもつ国だとつくづく思いました。もっとも先日みたアメリカ映画『グッド・シェパード』で描かれていたCIAの暗躍ぶりと対比させると、アメリカもロシアと同じような強暴な国だと思いましたが・・・。
 邪魔者は消せ。ロシアは、このひと言に言い表せるような、暗殺天国になってしまった。政府・軍・警察・官僚の不正をあばこうとする人物が、次つぎに消えていく。
 2006年10月7日、チェチェン戦争報道でプーチン政権を痛烈に批判してきたアンナ・ポリトコフスカヤ記者が自宅アパートエレベーター内で射殺死体となって発見された。
 11月23日、ロンドンに亡命していた元FSB中佐のアレクサンドル・リトビネント氏が放射性物質ポロニウム210を盛られて死亡した。
 2004年9月、南ロシアで起きた学校人質事件では、武装勢力が子どもたちを人質にとり、特殊部隊の突入で、330人が犠牲となった。この学校占拠グループで指揮していたのはロシア人である可能性が高く、犯人のかなりの部分を地元民が占めている。何らかの謀略の可能性は相当高い。
 最初の攻撃がゲリラ側からではなく、ロシア諜報部からのものであった。330人もの人質の死の責任はロシア治安部隊にある。
 そうだったのですか。それにしてもむごい事件でした。テロリストが劇場や学校を占拠し、特殊部隊が突撃して「解決」を図るなんて、考えただけでもぞっとします。
 第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要だった。第二次チェチェン戦争はエリツィン大統領が自ら選んだ後継者であるプーチン首相が世論調査で順位を上げるために必要とされた。
 ロシアでは、もう長いこと公式には死刑が執行されていない。しかし、ロシアの特務機関は、邪魔な人々を裁判後に殺してきた。裁判によらない処刑が行われている。
 1994年に戦争が始まって以降の歴代独立派チェチェン大統領は、全員殺害されている。「独立宣言」したドゥダーエフ大統領、あとを継いだヤンダルビーエフ大統領代行、史上初めて民主的な選挙で当選したマスハードフ大統領。さらに、ゲラーエフ国防大臣、有名なバサーエフ野戦司令官。日本の岩手県ほどのチェチェン共和国で、2000年から2004年末までのあいだに、1万8000人が行方不明になっている。
 ひゃあ、チェチェン共和国って、岩手県くらいの大きさしかないのですか・・・。そこから「テロリスト」が東京にやって来る構図を描いたら、ぞっとします。まさに、報復の連鎖しかありませんね。
 2006年に「国境なき記者団」が発表した報道の自由ランキングでは、168ヶ国中、ロシアは147位。プーチンが権力の座についてからのロシアでは、戦場でなく、平時にジャーナリストが暗殺されている。世界でジャーナリストにとってもっとも危険な国のトップはイラク、2位はアルジェリアで、3位はロシアである。
 いやはや、ホント、恐い、怖い、ゾクゾクしてきました。
(2007年9月。1200円+税)

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2007年11月12日

ウナギ

生きもの(魚)

著者:井田徹治、出版社:岩波新書
 ウナギは私も大好物です。私の事務所には、ヘビみたいで苦手だという女性がいますが、それは気にしすぎです。とても美味しいし、栄養満点なんですからね。柳川が本場のウナギのセイロ蒸しなんて、最高ですね。熱々のごはんと一緒にいただくと、ほっぺたが落ちそうです。思い出すだけでも、ゴクンと喉がなります。
 でも、この本を読むと、いやあ、このまま日本人はウナギを食べ続けていいのかな、と反省させられます。
 ウナギの資源は危機的な状況にある。日本人が長く食べてきたニホンウナギはもちろん、アメリカやヨーロッパのウナギ資源が急激に減少し、その将来が危ぶまれている。
 日本人は世界のウナギの70%を食べている。しかも、日本人の食べるウナギの量は過去15年間に急増した。
 ニホンウナギは日本から200キロも離れたグアム島近くの海で生まれる。生まれた直後のプレレプトセファルスほとんど泳げず、海流に乗ってながされるようにして移動する。
 日本のウナギ資源が大きく減った原因の一つは、湿地や干潟など汽水域の環境が開発によって破壊されたことにある。ウナギはそこで骨休みをし、長旅の準備をする。
 ウナギは長い距離を長時間かけて遡上する。川を上り、自分の気に入った場所を探す。50キロや100キロはざらで、信濃川では河口から200キロ、木曽川では180キロの地点まで遡った記録がある。
 ウナギは大食漢で、長寿だ。飼育下で37年間も生きた記録がある。世界でもっとも長生きしたウナギは84年。
 自分のすみかを見つけたウナギは、オスの場合に3〜5年、メスはさらに10年かけて成熟する。成熟したウナギは再び川を下って海に向い、そこで産卵して一生を終える。この降りウナギが一番美味しい。脂肪をたっぷり蓄えているから。
 ウナギは生では食べられない。ウナギの血液中には毒性物質が含まれていて、人間が食べると下痢や嘔吐をおこし、ひどいと呼吸困難をもたらす。ただ、65度以上の高熱にさらされると、無害になってしまう。だから蒲焼きしたら大丈夫。
 ウナギを養殖して得られるのは、ほとんどオス。ウナギの養殖は大変で、お金もかかる。ウナギの親は、1回に100万個の卵を産む。その卵のなかで100日まで生きるのは、0.026%だけ。さらに、シラスウナギにまで変態するのは3分の1だけ。養殖するときのエサが大変。今は、サメの卵を主成分とするエサを与えている。このサメが絶滅の危機にある。
 ウナギのメスに卵を産ませる最後のきっかけをつくるPHPという物質は10ミリグラムで2万円もする高い薬。今の手法では年に100匹程度のシラスウナギをうみ出すのが限界。しかし、日本で1年間に必要なシラスウナギの数は何と1億匹。とても釣り合わない。
 日本のウナギ市場は年間、数千億円にもなる。だから、世界のウナギ資源の保全に大きな責任がある。
 天然ウナギの漁獲量は、600トン程度でしかない。2000年に日本人が食べたウナギの消費量は、原魚換算で17万トン。だから、日本人が食べているウナギの99.5%は養殖ウナギ。
 外来種であるヨーロッパウナギが、日本各地の河川に定着している。日本固有のウナギの遺伝子は、ヨーロッパウナギの遺伝子によって攪乱されつつある。
 ウナギは体内に脂肪の量が多いため、それだけ有害物質を体内に蓄積しやすい。
 ウナギは、有害化学物質の影響を受けやすい条件を多くもっている。
 ヨーロッパやアメリカのシラスウナギを飛行機で、中国の内陸部に運び、そこで養殖し、加工までして、最終的に日本の市場に大量に流れこんでいる。
 いやあ、なんだかウナギを食べるのが怖くなってきましたね・・・。
(2007年8月刊。740円+税)

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2007年11月 9日

壊れる日本人

社会

著者:柳田邦男、出版社:新潮社
 日本人の大学生が提携先のアメリカの大学に留学したとき、そこではケータイの使用が禁止された。すると、日本人学生は、心の支えがなくなったような、いつも何かが満たされないでいるような不思議な不安定感にとらわれた。ケータイなしでも不自由さや不安定感を感じないで生活できるまで、2週間かかった。これは麻薬中毒的なケータイ依存症にあったと言える。
 そうなんですよね。私自身は、ケータイこそ持っていますが、いつもカバンのなか。ケータイで写真をとったり、メールを送ったりなんかできません。あくまで公衆電話(めっきり姿を消してしまいました)の代わりです。
 ケータイ・ネット依存症を克服するために、非効率主義をすすめる。じっくり考える習慣、ナイーブな感性、画一的でないタイ人対処の仕事の仕方、豊で味わいのある言葉、ゆとりや間(ま)や沈黙を大事にする生活と人間関係など、人間が人間らしく生きるうえで大事なものを忘れてはならない。
 新約聖書をケセン語(日本語です)に訳した人がいるそうです。「マタイによる福音書」のなかに、有名な文句があります。
 心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
 これがケセン語訳では次のようになります。
 頼りなぐ、望みなぎ、心細い人ア幸せだ。神様の懐(ふところ)に抱がさんのアその人達だ。
 ケセン語というのは東北弁のなかの一つで、岩手県最南部の気仙地方の方言のことです。
 方言を文化レベルの低い恥ずかしいものだと考えて、忌避する風潮が、ようやく排除されるようになったことを堂々たるケセン語訳は象徴的に示した。
 なーるほど、なるほど。まったく、すばらしい偉業です。連帯の拍手を送ります。
 1998年時点で、保育士が子どもたちの傾向として、次のようなことをあげた。
 夜型生活。自己中心的。パニックに陥りやすい。粗暴。基本的なしつけの欠落。親の前では良い子になる。
 これは、9年前の指摘です。でも、この傾向は強まっているのではないでしょうか。
 言語化の作業が苦手という子どもは、心の発達の未熟さと裏腹の関係にある。言語化とは、感情や考えたことや心の中に渦を巻いている葛藤や苦悩などを整理し、一筋の文脈のあるいわば物語(の、一部)として表現する作業だ。知能の発達、心の発達が遅れていると言語化の能力の発達も遅れる。
 なーるほど、ですね。日本人の危なっかしいところを振り返り考えさせられました。
(2005年3月刊。1400円+税)

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蘇る「王家の谷」

著者:近藤二郎、出版社:新日本出版社
 最新エジプト学というサブ・タイトルがついています。エジプト現地で30年も調査を続けてきた日本人学者による親切な解説本です。
 最古の人工ミイラの出現は、古王国時代(前2682〜前2145年)。古王国時代には、再生と復活の権利は、王族や一部の高官が独占していて、ミイラも王族や高官のものだった。
 中王国時代(前2025〜前1794年)に、人は誰でも死ぬとオシリス神となって、死後に再生・復活を果たし、永遠の生命を得るという、オシリス信仰の大衆化が起こった。
 新王国時代(前1550〜前1070年)になると、ミイラづくりが確立した。
 その後、ローマ支配時代まで、エジプト人は、オシリス信仰を持ち続け、遺体をミイラにする習俗を続けた。古代エジプト人は、脳を大切なものと扱わず、心臓こそ精神の働きをつかさどる中心的な器官とみていた。
 王のミイラはもちろん、ペットとしていたイヌやサル、そして神として崇めていたワシや魚、鳥などのミイラも多数のこっている。
 ピラミッド建設について、かつては専制王による奴隷労働と考えられていたが、最近は、国家の巨大事業として、農閑期の農民を中心とする余剰労働力を駆使して建設された失業対策事業であるとする説が多くの支持を受けている。
 ピラミッドを建設する作業員の大型住居も発掘されている。
 古代エジプトの人口は、200〜300万人とみられている。ナポレオンエジプト遠征時でも250万人だった。19世紀末に800万人、1945年に2000万人、現在は7000万人と、人口が急増している。
 エジプトには行ってみたいとは思いますが、なにしろ遠いでしょ。二の足をふんでしまいます。それで、こうやって、せっせとエジプト学の本を読んで我慢しているのです。
 それにしても、今が2007年でしょ。キリスト「生誕」年から2000年以上さかのぼって、さらに前にエジプト古王国は存在したのですよね。エジプト王国の息の長さをつくづく感じます。
(2007年9月刊。1400円+税)

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銀しゃり

江戸時代

著者:山本一力、出版社:小学館
 いやあ、うまいですね。何が、ですって?そりゃあ決まっています。本のつくりといい、出てくる鮨の美味しそうなことと言ったら、ありゃしませんよ。思わず、ごくんとつばを飲みこんでしまいそうです。
 ときは、江戸も寛政2年(1790年)。木場で働く川並(いかだ乗り)や木挽き職人相手の飯屋で働く職人の話。
 手早く米を洗い、米は1升五合に加減した。水は心持ち多目にした。重たい木のふたから出る湯気は勢いがよかった。シュウッと力強く噴き出した湯気が、炊き上がりの上首尾を請合っているようだった。鮨飯には、シャキッと硬い飯の腰が命だ。
 21歳の新吉は、もっとも江戸で手間賃が高いと言われる、腕利きの大工と肩を並べる給金をもらっていた。最初の給金が24両。月にならせば2両である。天明4年(1784年)は、飛びきり腕のよい大工の手間賃が出づら(日当)700文だった。月に20日、働いたとして、大工の手間賃が14貫文。金に直せば2両3分だ。
 炊き口で火勢を見ている新吉は、薪を動かして炎を強くした。重たい木ぶたの隙間から湯気が立ち始めれば、火をさらに強くするのがコツである。
 煙を出していた薪から、大きな炎が立った。へっついの火が、さらに勢いを増した。炎につられたかのように、湯気が噴き出し始めた。
 木ぶたのわきに手を置くと熱い。すぐさま炊き口の前にしゃがむと、まだ燃え盛っている薪を取り出した。三本の薪を取り除いたところで、湯気の勢いが弱くなった。飯が炊き上がりつつある。思いっきり細めた火が燃え尽きたところで、へっついから釜をおろす。そして、しっかり木ぶたを閉じた。ここからゆっくり三百を数え終われば、飯が一番うまく蒸し上がる。
 うまいものですね、この描写。本当に飯がうまく熱々に炊き上がる情景が眼前に浮かんできます。子どものころ、キャンプ場で飯ごう炊飯しました。夏休みに兄と田舎のおじさん家に行くと、炊事場にはへっついや釜がありました。なつかしく思い出します。
 湯気が消えて、釜のなかの飯が見えた。ひと粒ひと粒、きれいに立っている。一合の酢に40匁の砂糖をつかう。
 炊き上がった賄いメシを口に含んだとき、新吉は心底から驚いた。米粒が艶々と光っていたし、米には旨味が加わっていた。旨味はコンブのものだけではなかった。井戸水の塩気を巧みに残し、その味にコンブの旨味を乗せていた。
 こいつあ、てえした按配だ。
 私と同年生まれの著者の筆力には、いつもほとほと感嘆させられます。
(2007年6月刊。1600円+税)

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2007年11月 8日

伝統の逆襲

社会

著者:奥山清行、出版社:祥伝社
 かつては日本の技術が「猿真似」だと非難されることもあった。しかし今では、そんな批判があたらないということが世界的に認知されている。元のオリジナルが何であったのか分からないほど、完全に自分のものとしてマスターし、新たな日本の「オリジナル」となっているからだ。
 器用さと開発能力に加えて、日本の職人には大きな特徴がある。寡黙なことだ。
 トリノの塗装職人は、日本円にして年収3000万円を得ている。しかも、イタリアのマエストロは社会的地位が確立していて、周囲から尊敬の念をもって迎えられている。日本の大企業の役員に匹敵する。日本の家具メーカーのトップクラスの職人は、世界的に高い技術を持ちながら、年収は300万円ほどでしかない。
 著者は日本の美大を卒業したあとアメリカに渡りました。そこで、カーデザインを専門に学ぶ大学に入り、GMから奨学金をもらいました。1年間に350万円もの奨学金をもらっていたのです。ですから、卒業後、GMに入り、その研究センターに入りました。そして、1500人いるデザイン部において社内評価が3年続けて1位になったというのです。才能と努力、どちらもすごいですね。
 30歳のとき、ポルシェに移り、新型911のデザインにとりくんだ。そして2年後、またGMに戻った。4年後、イタリアのピニンファリーナに移った。フェラーリをはじめ、世界の名だたる名車のデザインをしている会社だった。しかし、給料はGMのときより3分の1に下がった。秘書なし、オフィスなし、肩書きなし。しかも、言葉も話せない。それでも移ったのは、自分の作品をつくりたい、残したいと熱望したから。
 うーん、すごいことです。若いからやれたのでしょうね。
 1995年にピニンファリーノに入ったとき、デザイナーはわずか5人だけ。この5人は1人ずつ独立して仕事をする。社長がそのうちの2〜3人のアイデアを選ぶ。選ばれたデザイナーは、プロジェクトの最後まで一人で関わる。ほかの人が手伝うことはない。勝者だけが次にすすみ、敗者には仕事がない。敗者はコーヒーでも飲みながら、勝者の仕事を見ているしかない。これは、デザインのようなクリエイティブな要素は、結局、個人の頭の中から出てくるもので、集団で議論してつくるものではない、という考えによる。
 仕事はムチばかりの恐怖政治では人は動かない。モチベーションを上げて、気持ちよく仕事をしてもらうのが本筋だ。ところが、欧米の経営者やマネージャーには、自分がいなくても成り立つような組織をつくろうとする人間はまずいない。逆に、自分がいなければ問題が起きる仕組みや、短期的に業績が上がって自分の給料も上がり、辞めたとたんに業績が落ちるような仕組みをわざとつくる。
 むむむ、そうなんですか。日本でも後者のようなことはあるんじゃないでしょうか。
 アメリカの特徴は、大きなスケールで「もの」をつくることが絶対的な善であると考えていること。ある程度の数がこなせてこそビジネスが成立するという考え方。だから、どうしても大量生産を主眼にした開発や生産に力点が置かれる。
 アメリカがインチ表記を続けている限り、緻密なものづくりは難しい。アメリカ製品が総じて大雑把につくられている最大の理由は、インチという単位にある。
 ドイツ人は不器用であるかわり、ひとつの仕事をするのに非常に時間をかけ、精魂を傾けて道具をきちんとつくる。
 イタリアは厳しい階級社会のため、名家の出身でもない限り、いくらがんばっても社会的に高い地位にはつけない。どうせ上には行けないのだから、今のレベルで楽しもうという「あきらめ」が根底にある。
 ヨーロッパにおけるイギリスの絶大な存在感。イタリアの上流階級は、ほとんどが子女をイギリスに留学させる。
 日本人は想像力に長けているおかげで、深い思いやりと洞察力をもっている。
 日本人の問題解決能力は非常に高い。課題が与えられたら、苦労しながらも、工夫と努力で解決してしまう。
 フェラーリは、社員3000人、年間の生産台数は5000台。ポルシェは10万台。フェラーリは2000〜3000万円台。
 2002年に発表したエンツォ・フェラーリは1台、7500万円。著者が最初から最後までデザインを担当した。これを349台、限定販売すると発表したら、世界中から 3500人もの顧客が押し寄せた。そこで、フェラーリは、申込金を預かったうえで審査した。年収、社会的地位はもちろん、レース経験、フェラーリの所持実績(2台以上もっていたか)など、ブランドにふさわしい人物を選んだ。投機目的の人を排除し、希少性を保った。
 いやあ、世の中にはすごい人がいるものです。たいしたものです。
(2007年8月刊。1600円+税)

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2007年11月 7日

暴走老人

社会

著者:藤原智美、出版社:文藝春秋
 成熟した高齢者が中心の社会になれば、時間はゆったり、のんびり流れるだろう。社会をとりまく空気も穏やかでゆとりのあるものになり、ぎすぎすした雰囲気は消えるかもしれない。漠然と、そう考えていた。しかし、現実は違う。穏やかな社会というのは大いなる幻影ではないか、むしろ私たちが進もうとしているのは、今まで以上にストレスのかかる高齢化社会ではないのだろうか。
 残念ながら、そのようです。私は、後期高齢者に医療費を負担させようとする今回の政府の施策は根本的に間違っていると思います。75歳になったら、医療費を全部タダにして、死ぬまで安心してゆっくり、のんびりお過ごしください。このように言うのが政治の責務というものではありませんか。軍事予算にまわすお金はあっても、老人福祉にまわすお金はないなんて、まったく政治が間違っています。
 お年寄りを大切にしないどころか、あからさまに早く死ねと言わんばかりの政治がすすめられています。だから、キレて叫ぶ老人が頻出するのは、ある意味で当然です。誰だって、無視されたくはありません。大事にしてもらいたいのです。お金がなければ虫ケラのように扱われる。そんな日本に誰がしたのでしょうか。プンプンプン、私だって怒ります。
 若者による殺人などの凶悪事件は、1958年をピークに減少し、現在、ピーク時より圧倒的に少ない。反対に、「いい歳をした」危ない大人が増えている。2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上が4万7000人。1989年に9600人だったので、わずか 16年間で、5倍にも増えてしまった。ちなみに、この間の高齢者人口の増加は2倍。
 60歳以上でみると、2000年から2005年までの6年間で、刑法犯は4万人から7万5000人へ、1.8倍も増えている。
 老人が暴走する原因は、社会の情報化にスムースに適応できないことにある。病院で、突然キレて暴力をふるう患者が10年前から増えている。1年間に看護師の55%が何らかの暴力被害にあっている。仕事をしていて暴力を受ける確率が半分以上という職場は、ほかに考えられない。ひゃあ、知りませんでした。大変なことですよね、これって・・・。
 歳をとるごとに時間が早くたつと感じる理由は、高齢者のほうが子どもより体内時計のすすみ方が遅いから。体内時計が遅いと、現実の時間は早く感じられる。逆に子どもは体内時計が早くすすむため、現実の時間を遅く感じる。この体内時計は代謝の速さに対応している。それは酸素消費量による。それが少なければ、体内時計の進行は遅い。消費量が多ければ、速い。この消費量は脈拍数から推測できる。高齢者の脈拍数は毎分50、子どもは70。この差が体内時計の差になる。
 ふむふむ、なるほど、そういうことなんですか。本当に月日のたつのは早いものです。このあいだまで暑い暑いと言っていましたが、いつのまにやら寒さを感じるようになり、今年も残すところ2ヶ月ないというのですからね。私も来年には還暦を迎えます。ええーっ、と我ながら驚いてしまいました。
 現代の権力とは、時間をコントロールする力のこと。現代の権力とは、まさに時間を私物化すること。時給、月給、年俸と、収入が時間の単位で計算されるのも、時間のコントロールこそが現代人の最大のテーマになっているから。
 いま、地域が抱える大きな問題の一つに、全国各地に誕生しているゴミ屋敷。この住人の大半は独居老人である。マンションのなかにも、ゴミ・マンションが存在する。
 いやあ、キレる老人がこんなにも増えているのかと、今さらながら驚きました。それにしても、私自身が老人と呼ばれる年齢になりつつある今、なぜ老人がキレやすいのか、社会はもっと老人を大切にすべきだと、声を大にして叫びたいと思います。
 年金額を増やせ、医療費をタダにしろ。どうですか、みなさん。ご一緒に叫び声を上げましょう。
 先週の土曜日に天竜川下りをしました。おだやかな秋晴れの下で、小一時間ほど、ゆっくり広々とした天竜川に下っていきました。シラサギやアオサギが川辺にじっと立って小魚をとらえて食べる場面にも遭遇しました。飛ぶ宝石とも言われる鮮やかに青いカワセミ、黄色の目立つ可愛らしいキセキレイの姿も見かけました。柳川の川下りも情緒がありますが、天竜川下りもいいものです。徳川家康ゆかりの二俣城跡も川沿いにありました。川の中、時間はゆったり、のんびり過ぎていき、しばし心の洗濯ができました。名古屋の成田清弁護士のおかげです。お礼を申し上げます。
(2007年8月刊。1000円+税)

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2007年11月 6日

さよなら、サイレント・ネイビー

社会

著者:伊東 乾、出版社:集英社
 オウムには、きちんと整合、首尾一貫した教義は存在しない。金剛乗仏教だと言っているが、主神とされるシヴァ大神はヒンドゥーの神様だし、ハルマゲドンはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の概念だ。典型的な新興宗教による教義の合金(アマルガム)。どんな非現実的なストーリーでも、自分たちは攻撃されているという被害者意識にとらわれたら、人は簡単に隘路におちこむ。
 麻原が説く潜在意識は徹頭徹尾「孤独」だ。人間として受け容れ、あるいは受け容れられるという豊かな経験を一度も持つことがないまま歪んだ松本の欲望は、自分を神聖な存在=グルと位置づけることで、それこそ顕在意識レベルの解消を図ろうとする。
 オウムの信者であった豊田亨は、東大でも最難関の物理学科を卒業した。その出家期間は、わずか3年にすぎない。オウム自作自演の「ハルマゲドン」を演出するために、東大卒の物理学者が必要だった。ただそのためだけの出家=拉致。いったん出家した後は、自身が関わってもいない「実験」の説明をテレビカメラの前でさせられたり、教祖に都合のよい会話の相手役をさせられたり、あげくの果てに、地下鉄に毒ガスを散布する実行役を押しつけられてしまった。
 どうして、東大でも最難関の理論物理学教室に入って勉強していた優秀な人物が、あんなエセ宗教に身も心もささげて、殺人までしたのか、本当に不思議でなりません。この本は、豊田亨の同級生の著者がその点を追究しようとしたものですが、私には今ひとつよく分かりませんでした。
 次に紹介するアフリカ・ルワンダの話は、すごいことだと思いました。出張したとき、私が福岡で見損なった映画『ホテル・ルワンダ』をたまたまビデオで見ることができました。権力を握った者の扇動によって大勢の人々が狂気にかられ、客観的には同じ民族を大量に虐殺していったというおぞましい事態のなかで、勇気ある人もいたという映画です。
 1994年の4月から7月にかけて、アフリカのルワンダでは、たった3ヶ月間に、 100万人の人々が虐殺された。主な凶器は鉈(なた)。ということは、その実行にも  100万人規模の人間が関わったことを意味している。治安が回復して、これらの人間を裁かなくてはいけなくなった。でも100万人の人間を殺した100万人の人間を再びすべて死刑にしたら、虐殺を二度くり返すことになる。本当に国が滅びてしまう。実際には、100万人の犠牲者に対して、1996年に22人の虐殺指導者を処刑したにとどまる。
 ルワンダ政府は、容疑者を4つのランクに分けた。第一は虐殺を計画した者、第二はそれを実行した者、第三は殺人は行わなかったが略奪などした者、第四は、自分の家族や財産などを守るために正当防衛した者。
 第一ランクの容疑者だけで3000人をこえてしまう。全員の処刑など、現在の国際世論が決して許さない。これらの容疑者を裁くために、「ガチャチャ」と呼ばれる伝統的な裁判が大量に組織された。地域の信頼される長老を中心に16万人の裁判官が選ばれ、1万2000の法廷がつくられた。2005年現在も、毎週土曜日に法廷が開かれ、いまだ裁判は終わっていない。
 ガチャチャは糾弾・断罪ではなく、和解と補償を勧めている。赦しは、ときに処刑より強い刑罰となりうる。すでに10万人規模の受刑者を抱えるルワンダの刑務所は、これ以上の犯罪者を収容できない。
 虐殺に関係した多くの人々は、灰燼に帰した祖国の土を耕し、家を建て、外貨を獲得できる作物であるコーヒーを育てる。日々、生きるために労働しながら、虐殺の実行者たちは、自分の行為のトラウマから逃れることは終生ない。
 すごく重い事実ですね、これって・・・。
(2006年11月刊。1600円+税)

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2007年11月 5日

「白バラ」尋問調書

ドイツ

著者:フレート・ブライナースドルファー、出版社:未来社
 無責任な暗い衝動に駆り立てられた支配者の徒党に、抵抗もなく「統治」を許すことほど、文化民族の名に値しないことはない。誠実なドイツ人ならば、今や誰でもおのれの政府を恥じているのではないか?
 これは「白バラ」が1943年1月にまいたビラの冒頭の文章です。その格調の高さに圧倒されます。20代も前半の学生が中心のグループが書いたのです。
 ドイツ民族のこのがん腫瘍が、初期にはそれほど目につかなかったとすれば、それを押さえるのに正義の力がまだ十分に力を発揮していたからに過ぎない。しかし、腫瘍がだんだん大きくなり、ついに忌まわしくも政治を腐敗させて権力を握り、同時にその腫瘍が破裂し、全身に毒が回ると、かつて反対した者の大多数が姿を消し、ドイツの知識人たちは地下の穴蔵に逃げ込んで、闇に生きる植物のように、日の光を浴びぬままやがて息絶えてしまった。今や、我々は終末を目前にしている。
 私は諸君に問いたい。もし知っているのなら、なぜ動かないのか。
 人間は、おのれの権利を要求する力すら残っていなければ、必然的に破滅してしまう。諸君の臆病さを、賢明さというマントの下に隠してはならない。
 これも同じく「白バラ」のビラの文面です。すごい問いかけですよね。
 「白バラ」は、ビラを9000部印刷し、計画的に配布した。アレクサンダー・シュモレルは1500通の封筒に入れたビラが入った荷物をもってウィーンに行き、そこから、フランクフルトなどへ発送した。ゾフィー・ショルは2500部のビラをハンス・ヒルチェルに渡した。シュモレルとハンス・ショルは、ミュンヘン市内中心部の路上に、夜間、5000部のビラをまいた。
 これらのビラは、大きな動揺をナチ党指導部に引き起こした。
 ゲシュタポに依頼された古典文献学者ハルダー教授は、次のように鑑定した。
 この作者は天分ある知識人であり、自分のプロパガンダを大学関係者、とくに学生のあいだに広めようとしている。文章にはある程度勢いがあり、政治的な意思による固い決断を感じさせるが、この知的産物は、しょせん机上の空論である。絶望視孤立した者の口調ではなく、背後に一定の仲間はいるようだが、政治的な力を持って活動しているグループから派出したものではない。それには文章が抽象的すぎる。これでは兵士や労働者から幅広い反響を得ようとしているとは、また得られるとは思えない。
 さすがに、なかなか鋭い分析で、感心します。
 「白バラ」の活動家たちは、仮面をかぶるのではなく、ごく普通に生活していた。それが隠れみのとして有効だった。
 「白バラ」はミュンヘン以外の都市にも定着させ、広域で把握しにくい、強力な組織をつくりあげようしていた。それが不首尾に終わったのは、声をかけられた人々の大多数がそれに応じなかったから。「白バラ」の活動がミュンヘン、しかも大学周辺の狭い範囲で行ったため発見される危険がますます大きくなったのは、単に協力者が少なかったからに過ぎない。
 うーん、そうなんですか、そうなんですね。まさしく、悲劇ですよね、これって。
 「白バラ」グループに関わっていたクルト・フーバー教授は、ドイツ人が犯した戦争の残虐行為の責任はひとえにナチス親衛隊にあると考えていた。しかし、前線での戦争体験をもつ「白バラ」の学生たちは、違った。国防軍は、後方での殺人行為を許し、見て見ぬふりをし、ヒトラーを止めようとはしなかった。国防軍は軍人の礼節のよりどころではなかった。ヒトラーの思いのままに操られる道具だった。やはり、軍隊ってー、どんなに起立がたもたれていたとしても、しょせんは人殺し集団なんですよね。
 法廷で「白バラ」のショル兄妹の裁判を目撃した人(司法修習生)は次のように語った。
 被告の態度に深い感銘を受けたのは、私だけではないだろう。そこに立っていたのは、まぎれもなく、自分たちの理想に満ちあふれた人物たちだった。被告たちは冷静沈着で、明晰かつ毅然とそれに答えていた。
 公判の日程は公表されず、傍聴席は、このために動員されたナチ組織のメンバーで占められていた。昼12時45分に死刑判決が宣告された。宣告後、親との面会が許され、看守は3人に一本のタバコを一緒に吸う機会を与えた。そして、17時、3人はギロチンで処刑された。
 「ついさっき、僕にはあと1時間しか残されていないと聞かされました。僕の死は安らかで、喜びに満ちていたと伝えてください」
 なんという気高い言葉でしょうか。
 ショル家の父親は、はじめからナチに対して非常に批判的でした。しかし、その子どもたち(殺された兄妹のことです)は3年間も、リベラルな父親の意見を聞く耳をもたず、ヒトラーを熱狂的に歓迎し、ヒトラー・ユーゲントに所属して、そのリーダーになっていたというのです。
 真実を見抜くには時間がかかる。そして、真実を実現するのは勇気が必要だ。こういうわけです。
(2007年8月刊。3200円+税)

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2007年11月 2日

野の鳥は野に

生き物(小鳥)

著者:小林照幸、出版社:新潮選書
 「日本野鳥の会」の中西悟堂の一生をたどった本です。改めて、すごい人だったと思いました。ただ、晩年は、組織を私物化した面もあるようです。やはり、どんな偉人であっても老害は避けられないのでしょうね。
 中西悟堂は明治28年(1895年)に金沢市で生まれた。1歳のときに両親を失った(父は戦傷死。母は行方不明)。10歳のとき、虚弱体質の改善のため秩父の寺に預けられ、山中で150日間、滝行、座行、断食行を課された。この修業により体質を改善し、一種の透視力を得た。
 18歳のとき、遊泳中に眼を痛めて失明状態となり、兵隊検査は不合格となった。
 30歳のとき、世田谷区にあった山野(武蔵野)の一軒家を5年分の家賃を前払いして借りた。3年半のあいだ、米食と火食を断った木食(もくじき)採食生活を送った。主食は水でこねたソバ粉。茶碗もハシもつかわず、木の葉や野草は塩でもんで食べた。風呂がわりに川に入り、雑木林の中に敷いたゴザの上を書斎として、多くの書に触れた。木食生活は自然との一体感を養い、鳥、昆虫、魚、蛇などをじっくり観察する時間でもあった。
 33歳のとき、杉並区善福寺に移り住んだ。悟堂は鳥の習性を徹底的に把握すべく、小鳥屋から鳥を買い、鳥の放し飼いを始めた。籠に入れず、書斎の隣に金網で囲った部屋をつくり、鳥が慣れたころ書斎に通じるようにした。鳥の放し飼いは悟堂が考案した。
 鳥の糞を見て汚い、と思う人に鳥は馴れない。糞をとっさに見分けて、腸の具合を考える神経をつかう者に鳥は馴れるのだ。
 なーるほど、ですね。でも、これってなかなか出来ないことですよね。
 悟堂は愛鳥の観念を変えたかった。当時、鳥は鳥かごに入れて飼うことが当たり前だったが、これを止めたい。鳥かごをふみつぶし、野に自然のままの鳥を観賞する。それが本来の愛鳥である。
 昭和27年、57歳となったとき、梧堂は冬でもパンツ一枚、上半身は裸で過ごすようにした。朝食は梅干し一つに番茶だけ。それから、庭に出て一時間たっぷり柔軟体操する。お昼は、そばがきか食パン一枚。夕食は、玄米に菜っ葉のごく平凡なもの。
 家にいるときは、いつも活字を離さず、つい夢中になって徹夜してしまう。夜が勝手に明けたといって怒った。常識というものをどこかに置き忘れてきたような人だ。これは、妻の評言。睡眠時間は3時間。すごい人です。まさに超人的な生き方です。とても真似できません。
 わが家の建物には恐らく2家族のスズメ一家がすみついています。建物を出入りするときには静かに、そして庭ではチュンチュン大きな声で鳴いて飛びまわり、下の田んぼでも楽しそうに群れをなして遊んでいます。カササギがたまにやってきます。朝一番にうるさいのはヒヨドリです。秋は百舌鳥の甲高い声が響きます。モズのテリトリー争いを解説した面白いテレビ番組をビデオで見たことがあります。彼らも自分のナワバリを守るのに汲々としているようです。あっ、もうひとつ、ヤマバトもいました。そろそろエサをやりましょう。春になると、メジロがやって来ます。せわしく桜の花を蜜を吸っています。庭に小鳥のための水場をつくってみようかなと考えています。
(2007年8月刊。1100円+税)

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チョコレートの真実

アメリカ

著者:キャロル・オフ、出版社:英治出版
 私はチョコレートが大好きです。といっても、それほど食べているわけではありません。高級チョコのおいしさはなんとも言えません。それにしてもバレンタインデーが私の子どものころになかったのは良かったと思います。だって、あれって露骨に差別を見せつけるじゃありませんか。私は嫌いです。いえ、もらったチョコレートは喜んで食べます。
 この本はチョコレート生産現場の苦い真実を伝えています。
 世界のカカオの半分近くが、高湿な西アフリカの熱帯雨林に生まれている。カカオの木とは神々の食べ物ということ。熟した実をナタで切り落とし、割って中の宝物を取り出す。パルプと呼ばれる淡黄色の果肉に包まれて、くすんだ紫色をした、アーモンド大の種が数十個ある。向こうを見ると、バナナの葉を敷いた台の上に、取り出した種を果肉ごと積み上げてある。そうやって数日間、湿気と熱気の中で発酵させると、驚くべき錬金術が行われる。熱帯の強い日差しにさらされるうちに、果肉から甘くとろりとした液が浸み出し、種がその中に浸る。強烈な臭いを発しながら、微生物が働き出す。これが何の変哲もない豆を魔法のように、世界でもっとも魅惑的なお菓子に欠かせない原料に変える。異臭の中で、5、6日発酵させたあと、台に広げて乾燥させる。さじ加減の難しい、こうした手作業の積み重ねとチョコレート製造技術のおかげでチョコレートがつくられている。
 1万5000人のマリ人のこどもたちが、コートジボワールのカカオ、コーヒー・プランテーションで働いている。多くは12歳以下で、140ドルで年季強制労働に売られ、一日12時間、年に135ドルから189ドルで働く。
 『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がありました。2003年にクリーンダイヤモンド貿易法が出来て、奴隷労働が規制されています。同じような規制がカカオについても必要だと思いました。
 フェアトレード運動は、途上国の農民に恩恵を与えるよりも、先進国の人々の罪悪感をなだめるためのものだった。それでも、途上国の人間に多少なりとも公正になるようにはした。
 有機食品運動は、現在では、ほぼ全面的に市場原理主義に吸収されてしまった。この原理がアグリビジネスを動かし、世界中で農民を貧困に追いやった。
 コストは最小に、利益は最大に。この風潮を招いている本当の要因は消費者だ。安全性、手軽さ、手頃な値段がある限り、消費者は、生産者が誰なのか、原料が何なのか、あまり関心を持たない。
 駅にあるケンタ、赤坂交差点にあるマックに群がって買い求めている人々を見るにつけ、地球環境の保全は道遠しだな。私はつくづくそう思います。
(2007年9月刊。1800円+税)

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露の玉垣

江戸時代

著者:乙川優三郎、出版社:新潮社
 登場人物はすべて実存するという歴史小説です。窮乏にあえぐ越後の新発田藩。その家老たち一族の物語が史実をふまえて生き生きと語られます。
 話は天明6年(1786年)に始まります。家老の溝口半兵衛はまだ31歳の若さ。記録方で歴代藩主の廟紀(びょうき)を編纂(へんさん)していた。
 新発田藩は慶長3年に藩祖溝口秀勝が入封して始まった。5万石から、新田開発を続けて、実高は9万石をこえた。広大な平地と水に恵まれながら、潟や湿地が多く、米のほかにこれといった特産物がなく、ひとたび川が氾濫すると、水泡に帰してしまう。
 溝口家の祖は藩祖秀勝の弟である半左衛門勝吉にはじまり、以来、賓客として徒食を強いられてきた。家中に溝口を名乗る家はいくらかあるものの、先祖が家臣となったのちに溝口姓を賜ったものが多く、代々、半左衛門か半兵衛を名乗ってきた彼の家とは主家とのつながり方が違った。家老の溝口内匠(たくみ)の実氏は加藤であったし、武頭(ものがしら)で普請奉行の溝口数馬の先祖は坂井といった。どちらも元は織田家の家臣で、信長の死後、溝口に仕えた。彼らが高禄を食んで重く用いられてきたのに対し、半兵衛の父祖は賓客としての名誉を与えられたかわりに、およそ藩政や重要な役目に関わることはなかった。そのため、知行が増えることも減ることもほとんどなかった。
 家中の祖には織田をはじめ、逸見、斎藤、浅井、朝倉、柴田、蒲生、加藤といった家々の遺臣が多い。加えて松平や上杉、酒井や細川などから任官替えした家臣たちの子孫が城の周りに軒を並べている。もし一斉にかつての旗印を掲げたら、まるで乱世の縮図のようではないか。
 ひゃあ、そうだったんですね。江戸時代の藩士というのは、いろんな地方の元浪人を抱えこんで成り立っていたのですね。おどろきました。
 家老が博奕(ばくえき。バクチです)を好み、博打仲間が切腹させられ、本人は隠居させられるという事件も起きました。
 学問せぬものは、目なき擂鉢(すりばち)といって、人のためにも自分のためにもならん。当人はそのことにも気付かずに未熟な自分ひとりの考えを正しいと信じて一生を終えてしまうものだ。なーるほど、ですね。
 信長の死後、羽柴秀吉が明智光秀を討ち果たし、やがて天下取りをかけて柴田勝家と対立したとき、高浜城主となっていた溝口秀勝は羽柴方の丹羽長秀の武将として参戦したが、同時に柴田方へ家臣の柿本蔵人を、念には念を入れて羽柴方へ姉婿の加藤清重を送っている。やはり信長の遺臣で、勝吉とともに柴田に属した溝口久助こと丹羽久助秀友は清重の娘婿であったから、兄と弟、義父と婿、主君と家臣がそれぞれ敵味方に分かれて戦った。 藩主のお国入りの準備役が、本陣として予定していた町で大火が起きて予定が狂い、ほかにもいろいろ変更があって乱心し、同役を斬り殺してしまった。もちろん、切腹。やはり、すまじきものは宮仕え、なのですね。
 連年の災害と借上げ、終わりのない生活の苦しさも、そこへ巡ってきた馴れな役目と対象的な相役、予期しない日程の変更、津川の大火、そういうものが重なりあって悪く働いた結果の乱心ではないか。運の悪さは夫の罪ではない。乱心は御宿割の役目を果たしたあとのこと、重責やそこに至るまでの苦悩を斟酌しないのはおかしい。彼の妻はこのように言い募った。
 江戸の人々の生活と心理状態が見事に描かれた本です。さすがは実録歴史小説だと感嘆しました。私も一度はこういうものを書きたいと考えています(目下、挑戦中なのです)。
(2007年6月刊。1500円+税)

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2007年11月30日

やせるヒントは脳にある

社会

著者:瀬野文宏、出版社:西日本新聞社
 すっかりメタボになってしまった私は、ダイエットにすごく関心があります。目下、糖質制限食事をしていますが、今のところ2キロほど減量したまま足踏み状態です。ともかく食べる量は減らしました。でも、帰宅が遅くなって、夜10時近くに夕食をとることが珍しくありませんので、なかなかダイエットも大変です。
 ダイエットの主役は脳であり、首から下の肉体ではない。お腹が食べているのではない、脳で食べている。
 著者が一番強調していることです。私も、なるほど、と思います。
 この世に、食べて、健康的に減量し維持できる効果のある食物は存在しない。
 これは、ダイエット食品なんて、みんなウソっぱちだということです。私も、まったく同感です。食べながらやせる薬とか食品なんて、怖いですよ。私は、そんなものに頼りたくはありません。
 食べるという行動は、脳からの指令にもとづく。生命脳といわれる視床下部にある外側核(摂食中枢神経)が食べよというシグナルを出す。そして、大脳の運動野にその指令が届くと、私たちはたちあがって冷蔵庫のなかをのぞきこみ、アイスクリームを見つけて口に入れる。
 ダイエットをするにしても、食べるという行動は、脳の作用であることを認識することが大切である。
 夜に脂肪の原料になる食べ物を多く食べると、寝ているあいだにしっかり脂肪細胞に蓄えられる。脳の中枢神経の作用と視床下部の体内時計によって、肥満は夜につくられる。
 朝食前は、肝臓などに貯蔵されているグリコーゲンはほぼ底をついており、脳はブドウ糖の補給を待っている。
 カラダに良い水を毎日1〜2リットル飲むのがいい。がんになりにくい。
 女性がなぜ甘い物を好むのかについて、次のように説明しています。うーんそういうことなんでしょうね。
 女脳の腹内側核は、ブドウ糖を受容して満腹感を感じる満腹中枢と性欲ホルモンのエストロゲンを受容して満足感を感じる性欲中枢が同じ核内で近接しており、表裏一体の関係が成り立っている。女性の性欲ホルモン(エストロゲン)が満たされない場合は、サンマなどのタンパク質ではなく、ブドウ糖で代償的に満足させるシステムになっている。だから、男脳より女脳のほうが太りやすい。
 脳は甘味を求めているのではない、甘味にふくまれているブドウ糖を求めている。だから、サッカリンやアスパルテームなどの人工甘味料は合成化学物質であり、脳を満足させることができない。
(2007年10月刊。1500円+税)

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