弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年11月 2日

野の鳥は野に

生き物(小鳥)

著者:小林照幸、出版社:新潮選書
 「日本野鳥の会」の中西悟堂の一生をたどった本です。改めて、すごい人だったと思いました。ただ、晩年は、組織を私物化した面もあるようです。やはり、どんな偉人であっても老害は避けられないのでしょうね。
 中西悟堂は明治28年(1895年)に金沢市で生まれた。1歳のときに両親を失った(父は戦傷死。母は行方不明)。10歳のとき、虚弱体質の改善のため秩父の寺に預けられ、山中で150日間、滝行、座行、断食行を課された。この修業により体質を改善し、一種の透視力を得た。
 18歳のとき、遊泳中に眼を痛めて失明状態となり、兵隊検査は不合格となった。
 30歳のとき、世田谷区にあった山野(武蔵野)の一軒家を5年分の家賃を前払いして借りた。3年半のあいだ、米食と火食を断った木食(もくじき)採食生活を送った。主食は水でこねたソバ粉。茶碗もハシもつかわず、木の葉や野草は塩でもんで食べた。風呂がわりに川に入り、雑木林の中に敷いたゴザの上を書斎として、多くの書に触れた。木食生活は自然との一体感を養い、鳥、昆虫、魚、蛇などをじっくり観察する時間でもあった。
 33歳のとき、杉並区善福寺に移り住んだ。悟堂は鳥の習性を徹底的に把握すべく、小鳥屋から鳥を買い、鳥の放し飼いを始めた。籠に入れず、書斎の隣に金網で囲った部屋をつくり、鳥が慣れたころ書斎に通じるようにした。鳥の放し飼いは悟堂が考案した。
 鳥の糞を見て汚い、と思う人に鳥は馴れない。糞をとっさに見分けて、腸の具合を考える神経をつかう者に鳥は馴れるのだ。
 なーるほど、ですね。でも、これってなかなか出来ないことですよね。
 悟堂は愛鳥の観念を変えたかった。当時、鳥は鳥かごに入れて飼うことが当たり前だったが、これを止めたい。鳥かごをふみつぶし、野に自然のままの鳥を観賞する。それが本来の愛鳥である。
 昭和27年、57歳となったとき、梧堂は冬でもパンツ一枚、上半身は裸で過ごすようにした。朝食は梅干し一つに番茶だけ。それから、庭に出て一時間たっぷり柔軟体操する。お昼は、そばがきか食パン一枚。夕食は、玄米に菜っ葉のごく平凡なもの。
 家にいるときは、いつも活字を離さず、つい夢中になって徹夜してしまう。夜が勝手に明けたといって怒った。常識というものをどこかに置き忘れてきたような人だ。これは、妻の評言。睡眠時間は3時間。すごい人です。まさに超人的な生き方です。とても真似できません。
 わが家の建物には恐らく2家族のスズメ一家がすみついています。建物を出入りするときには静かに、そして庭ではチュンチュン大きな声で鳴いて飛びまわり、下の田んぼでも楽しそうに群れをなして遊んでいます。カササギがたまにやってきます。朝一番にうるさいのはヒヨドリです。秋は百舌鳥の甲高い声が響きます。モズのテリトリー争いを解説した面白いテレビ番組をビデオで見たことがあります。彼らも自分のナワバリを守るのに汲々としているようです。あっ、もうひとつ、ヤマバトもいました。そろそろエサをやりましょう。春になると、メジロがやって来ます。せわしく桜の花を蜜を吸っています。庭に小鳥のための水場をつくってみようかなと考えています。
(2007年8月刊。1100円+税)

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