弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年4月27日

戦争請負会社

著者:P・W・シンガー、出版社:NHK出版
 現代の戦争が大きく様変わりしていることがよく分かる本です。アメリカでは刑務所の民営化がすすんでいるそうで驚きますが、戦争まで民営化がすすんでいるというのです。それは同時に、国家権力とか「文化統制」まで空洞化されるという大きな問題もはらんでいるという指摘がなされています。うーん、そういう問題があるのか・・・。頭をかかえこんでしまいました。
 民間企業が賃金をもらって軍事業務を提供するという現象が広がっている。しかし、軍事請負業の実体は謎のまま。その民営軍事請負企業(PMF)の実態と、その問題点を批判的に暴いています。
 アフリカでPMFをつかうのは政府や多国籍企業だけではない。ブルンジではフツ族の反乱軍が南アフリカのPMF(スプアネット社)から兵器や訓練・作戦指導を受けたし、スーダンの反政府同盟もPMF(ダインコープ社)から兵站支援を受けた。
 サウジアラビア国防軍はヴィネル社から訓練を受けているが、ヴィネル社には1400人の従業員がいて、その多くはアメリカの元特殊部隊員。8億ドルで契約している。
 しかし、PMFにもっとも高額のお金を支払っているのはアメリカ。1994年から2002年までに、アメリカのペンタゴン(国防総省)は、PMFと3000件、3000億ドルの契約を結んだ。ペンタゴンは物資集積所や基地の維持から軍の飛行訓練の7割以上まで外注している。たとえば、キューバのグアンタナモ米軍基地内にある捕虜収容所はBRS社によって4500万ドルで建てられた。また、ワッケンハット社はアメリカの13州と4つの外国で刑務所を経営している。
 エクゼクティブ・アウトカムズ社の平均給与は、兵士が月3500ドル、将校が4000ドル、空中勤務員は7500ドル。MPRI社は、アメリカの上級将校だった8人が設立した会社で、売上は1億ドル。1万2500人が待機している。
 コソボに配置されたBRS社は、兵舎192棟を建て、17000人の兵士を収容し、ヘリコプター発着所13ヶ所、航空整備施設2ヶ所、厨房兼食堂施設12ヶ所、大食堂施設2ヶ所、臨時浴場37ヶ所を建設した。良質の食事113万5000食、水5000万ガロン、ディーゼル油40万ガロン。便所700ヶ所で3万回のくみ取り、8万立方メートルのゴミを収集した。BRS社はアメリカ軍の補給部隊と工兵部隊を企業法人の形にまとめたもの。BRS社はバルカン半島のアメリカ軍に食糧を100%、戦術的また非戦術敵車輌の整備を100%、危険物の取扱を100%、給水90%、燃料供給の80%、建設機材と重機の75%を引き受けた。
 BRS社の親会社は、チェイニー副大統領がいた有名なハリバートン社であり、アフガニスタン、ウズベキスタン、グアンタナモなど、テロとの戦争が行われているあらゆるところで大金を稼いでいる。BRS社はロシア海軍とも契約した。沈没した原潜クルスクを引き上げる仕事を900万ドルで請け負った。
 ところで、PMFに外注化したからといって必ずしも経費の節約になるとは限らない。しかも、PMFに従事する兵隊が十分に働く(つまり敵をやっつける)かも疑問だ。PMFというのは、実は、もっとも肝心なときに雇主を見捨てたり、逆に雇主を支配する危険がある。というのは、PMFの社員が戦場を離脱しても、脱走罪にはならない。単なる契約違反にすぎない。強制力はまったくない。雇われ部隊の義務感とか責任感というのは、まったくあてにならない。負けそうだと思えば、さっさと戦場から逃げ出す心配がある。オレたちは、こんなやばい目に遭うほどのお金はもらっていないという口実で・・・。たとえ企業が顧客に忠実であったとしても、従業員の信頼性までは確実ではないのだ。
 国連の平和維持の役割をPMFにまかせようという議論がある。たしかに、PMFがルワンダに介入したとしたら、1日60万ドルで何十万人もの生命が助かった可能性がある。国連の作戦は1日300万ドルもかかったあげく、何十万人もの生命が奪われてしまった。ただし、たとえ、PMFが有効だったとしても、紛争を長期的に解決できるかどうかは別だということもみておかなければいけない。
 さらに、PMFは一国内の政治体制と軍隊とのバランスをつくり変え、文民と軍人の関係も大きく変えてしまう。
 PMFが社員に支払う給与は軍人に支払われる給与の何倍にもなることが多い。それは軍人に対して悪影響を与えてしまう。PMFと政府軍とが戦闘したという実例すらある。
 外交政策の道具としてPMFをつかうというのは、国家の仕事を民間会社に外注すること。しかし、民間会社は公的支配の外にある。監視できない存在だ。
 9.11のあと、多くのPMFが、ぼろもうけの列車に乗り遅れるなと言っていた。
 うーん、本当にいろいろ考えさせられる指摘です。戦争も軍隊も、すべては民間企業とそのトップの利益になっていくというのです。大勢の人を効率的に殺せるというのがビジネスになるなんて、本当におぞましいことです。あまりのひどさに読み終わって(いえ、読んでいる最中から)、身体中がブルブル震えてしまいました。

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2005年4月26日

いま弁護士は、そして明日は?

著者:日弁連業務改革委員会、出版社:エディックス
 司法試験の合格者が3000人になるときが間近に迫っています。私のころは500人でしたから、6倍です。今2万人の弁護士が、やがて3万人となります。「目標」の5万人となるのも遠い将来のことではありません。いったい、そんな状況で弁護士はどうしたらいいのか、弁護士会の役割はどういうものになるのかを考えた本です。
 統計でみると、平均的な弁護士の売上(粗祖収入)は年3800万円ほど。中央値は年2800万円です。経費を差し引いた所得は平均1700万円、中央値1300万円です。なるほど、そんなものかもしれないなと私は思います。もちろん、億単位の収入の弁護士も東京や大阪あたりでは少なくないのでしょうが、1000万円以下の所得しかない弁護士がかなりいることも間違いありません。
 東京などでは弁護士の専門分化がすすんでいるのかもしれませんが、全国的には、まだまだ小さな百貨店で、なんでも扱いますという弁護士が多いと思います。企業や自治体そして官庁に弁護士の資格で働いている人も、いるにはいますが、両手で数えられるほどです。九州・福岡では片手ほどもいないのではないでしょうか。いえ、決してそれがいいと言っているのではありません。
 私自身は、「地域弁護士」として今後とも生きていくつもりです。自分のことはともかくとして、弁護士がもっともっと多方面の分野に進出したら、もう少し日本もましな国になるのではないかと期待しています。あまりにも「法の支配」というのがないと思うからです。その意味では、このところ政治家になる弁護士が少ないのも気になります。とくに革新の側で激減していますが、なぜでしょうか・・・。
 日本がいつもお手本としているアメリカでは、弁護士の商業主義に対して繰り返し警告がなされているそうです。日本も、いずれそういう時代が来るものと思います。ますます多くの若手弁護士が弱者の人権救済に生き甲斐を見出すより、大企業の法務顧問として丁々発止の交渉に魅力を感じる。そんなビジネスローヤーを目ざしているという実情があります。団塊の世代である私などは、企業や組織に絶対忠誠を誓ったところで、報われるものは少ないと冷ややかに思うのですが・・・。これも、長年の弁護士生活のなかで、何事も疑ってかかることが習い性になっているからかもしれません。
 法科大学院の授業が始まっています。司法試験と無縁の人権課題の講義のときには耳栓して、試験勉強の内職をしているという話も聞こえてきます。
 企業合併やマスコミなどの陽のあたる場所だけが弁護士を求めているわけではありません。名も知れぬ多くの国民が人権をふみにじられている現実があります。そこに弁護士として関わって、何らかの役割を果たせたら、なによりの生き甲斐になる。そういう感覚の弁護士が大量にうまれることを願っているのですが・・・。
 弁護士会については、どこでも会長になりたい人はたくさんいても、実働部隊である副会長のなり手がなくて困っているという話があります。若手(といっても弁護士10年以上のベテラン)が、雑巾がけの苦労をしたくないということのようです。困った現象です。
 弁護士の明日を考えるうえで、いろんなヒントを与えてくれる本でした。

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2005年4月25日

ノモンハン

著者:アルヴィン・D・クックス、出版社:朝日文庫
 1939年5月から8月にかけて当時の満州国とソ連との国境付近で起きたノモンハン事件、ロシア側の呼び方ではハルヒンゴール(ハルハ河)紛争は、今や多くの日本人に忘れ去られています。日本に住んだこともあるアメリカ人の学者によるノモンハン事件戦の本格的な研究書です。のべ400人もの日本軍関係者にインタビューしたとあって、臨場感にあふれる戦史となっています。文庫本で4巻あります。
 できたばかりの第23師団の師団長となった小松原道太郎中将は、このとき53歳、ロシア駐在武官の経歴をもってロシア語に通じ、日本陸軍有数のロシア通とされていました。
 ノモンハンでは、日本とソ連の双方の戦車群が対戦しましたが、日本の戦車砲は射程においても、破壊力においても、装甲貫通力においても、ソ連軍のBT戦車とT26型戦車に比べて、格段に劣っていました。日本軍の戦車73両のうち、44両(6割)がたちまち行動不能にさせられました。日本軍の戦車は中戦車で時速25キロ、軽戦車で45キロだったのに対して、ソ連軍の戦車はキャタピラのとき時速50キロ、車輪だったら80キロ近くで走れた。しかも、日本軍の戦車は故障が多く、装甲板はほとんど効果がなかった。
 ソ連軍の狙撃兵は800メートルの距離から狙って優秀だったが、日本軍の方は照準鏡の倍率が3分の1しかないため300メートルに近づかなければ射てなかった。
 日本軍は射撃技量や訓練を自慢していたが、ソ連軍の方がはるかに大砲の数が多くはるかに優秀な重砲をもっていて、弾薬の補給もぜいたくだったし、効果的に機敏に移動する能力を備えていた。日本軍が1万発うてば、ソ連軍の砲兵は3万発をお返しした。標定技術もソ連軍の方がはるかに秀れていた。
 日本軍はノモンハンでの惨敗をひた隠しにして、そこから何の教訓も引き出そうとはしませんでした。敗戦の責任は現地の将兵に全部押しつけてしまったのです。ノモンハンの敗因のひとつに、当時、ソビエト赤軍の大物スパイであったゾルゲが東京で日本支配層の意向を探知し、現地の関東軍とは異なり、日本軍の上層部が不拡大方針をとっていたことをソ連に通報していたこともあげられています。
 日本軍の人的損害は5万人ほど、戦死者は2万5千人にものぼります。たとえば、小松原中将の指揮する第23師団は戦死30%をふくめて76%の損失を蒙っています。しかも、大隊長以上の幹部将校は82%の損失率となっています。最前線の将校の損耗率がきわめて高いのが特徴でした。
 将兵は生きて虜囚の身となるなかれという不文律にとらわれており、このため日本軍の犠牲が大きくなりました。また、軍旗を守れという意識からも犠牲者が続出しています。不幸にして捕虜となり、生きて送還された将校には自決用の拳銃が渡されました。ところが、軍の最上層部は責任を問われることはなかったのです。
 若手の将校は、俺は不死身だと言いつのって身をかがめることもなく壕の上に立っていることが多く、そこをソ連の狙撃兵に狙われて次々に倒されていったという話が紹介されています。いかに狂信的な将校が多かったことがよく分かります。
 日本軍は、ソ連軍を日露戦争のときのロシア軍と同じとみて馬鹿にしていたようです。簡単に蹴散らせるなどと軽く考えていて、ソ連軍が実際には人員も武器も増強されているのに、逆に戦線から早くも撤退・逃亡しているなどと根拠のない楽観論に支配されていました。精神論で戦争に勝てるものと思っていたわけです。
 日本軍は単なる国境紛争としてごまかしましたが、実際には関東軍とソ連軍ががっぷり四つに組んでたたかわれた近代戦であったことが、この本を読むとよく分かります。それにしても日本軍の指揮命令と兵站活動のお粗末さ加減には腹が立ってくるほどです。
 大勢の有為な日本青年が次々と戦死させられていく状況がことこまかく描かれていますので、さすがの私も、いつものように飛ばし読みすることはできませんでした。
 ノモンハンでソ連軍の実戦力の強さと敗因をきちんと分析していたら、あとの展開もずい分と変わっていたのでしょう。でも、戦争という異常事態のもとでは、声の大きい者が何の根拠もなくのさばるようです。嫌になってしまいます。戦争も軍人も、殺すのも殺されるのも、私は嫌いです。
 かつて日本軍が中国大陸で何をしていたのか、現代日本人は忘れていますが、被害者となった民衆が60年たったくらいで忘れるはずはありません。最近の中国での反日暴動を見るにつけ、日本政府は過去の誤りをきちんと正さなければいけないと痛感します。

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2005年4月22日

追及・北海道警「裏金」疑惑

著者:北海道新聞取材班、出版社:講談社文庫
 日本の警察が「裏金」をつくっているというのは今や世間の公然たる事実だ。しかし、公金横領事件という犯罪事実のはずなのに、誰も立件しないし、刑事犯罪とはならない。それもそのはず、警察を指揮・監督する立場の検察庁も同じような「調査活動費」(調活費)疑惑をかかえているので、摘発するのに腰がひけている。マスコミは、いつも警察からネタを教えてもらうので弱い立場にある。権力にすり寄るのが昨今のマスコミの悲しい性(さが)なので、なおさらのこと。そこを敢然と「道新」(どうしん)は乗りこえてしまった。
 この本を読むと、高橋はるみ知事の不甲斐なさ、共産党のみが孤軍奮闘しても道議会が動かないというじれったさを、つくづく感じる。民主党って、自民党とまったく同じなんだね。そう言えば「野党」と呼んでほしくないって言ってたっけ・・・。
 でも、真面目な警察官は、きっと怒っていると思う。福岡県警はどうなっているのだろう・・・。『うたう警察官』(角川春樹事務所)は、この本を推理小説に仕立てあげたような本。どちらも面白いけれど、読んでいるとムラムラと腹が立ってくる本でもある。それが嫌になるけれど、目をそむけるわけにもいかない。あー、いやだ、いやだ。これは寅さん映画に出てくるタコ社長の口癖だったかな・・・。

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死との対話

著者:山田真美、出版社:スパイス
 とても信じられないような話のオンパレードです。何もかもびっくり驚天です。
 ヒンドゥー教のお葬式は、わずか5000円の費用しかかからない。5000円は何かというと、死体を焼くための薪の値段。棺桶も霊柩車もお墓も骨壺も不要。戒名なんて日本独特のもので、中国にもない風習。
 ゾロアスター教は鳥葬で有名だが、最近は、ハゲタカが激減して、成りたたなくなっている。チベットとの国境に近いインドの奥地では昔から薪が十分にないため、死体を細かく刻んで川に撒いて魚に食べさせている。
 男女ともに日本で自殺率が一番低いのは四国の徳島県。理由は5つある。自己中心的で信仰心が強く、遊びに寛容で大食漢。そして女性は内助の功が得意。つまり、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損という県民性は、リオのカーニバルで踊り狂うブラジル人に似ているということ。
 それにしても、ここに紹介しませんでしたが、インドのすさまじい状況は、ますます私に行く気を喪わせました。路上に死者がゴロゴロしていて、つまづいてころんだときに下を見たら死体だったなんて、私にはとてもとても耐えられそうにありません。

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眞説・光クラブ事件

著者:保阪正康、出版社:角川書店
 戦後まもなくの1949年11月25日、現役の東大法学部生が社長をしていた光クラブが行き詰まり、山崎晃嗣社長が服毒自殺した。このことは私も知識としては知っていましたが、この本を読んで、少し状況が分かりました。
 27歳で現役の法学部生というのはどういうことかなと不思議に思っていましたが、彼は戦争帰りなのです。北海道の旭川で陸軍主計少尉として終戦を迎えています。ところが、山崎は横領罪で逮捕され、刑務所に3ヶ月間勾留されています。判決は執行猶予でした。
 東大に復学してから山崎は猛勉強し、20科目のうち17科目で優、残る3科目は良をとりました。すごい成績です。ちっとも自慢になりませんが、私は大学時代に優をとったことがほとんどありません。せいぜい良、たいてい可ばかりでした。単位不足のため、あやうく卒業できないという寸前の状況でした。
 三島由紀夫が山崎と同じころに東大法学部にいて、山崎をモデルとして『青の時代』という小説を書いているそうです。どちらも11月25日に自殺しているという共通点がありますが、2人ともクラス内に友人がほとんどできなかったという点も似ていました。
 山崎は、今でいうヤミ金融のはしりです。派手に広告をうってお金を集め、お金を貸していました。ヤミ金融がいかに綱渡りの存在であるか、山崎は自殺ということで証明してしまいました。でも、今のヤミ金融の連中は簡単に自滅しそうもありません。

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2005年4月21日

アメリカは正気を取り戻せるか

著者:ロバート・B・ライシュ、出版社:東洋経済新報社
 著者はクリントン政権時代に労働長官をつとめていました。私と同じ団塊の世代です。
 ネオコンという言葉は最近ようやく日本人にも定着していますが、この本ではラドコンという言葉が登場しています。耳慣れないのですが、過激保守派ということです(ラジカル・コンサーバティブ)。ラドコンは強い信念をもっている。それが強さになっている。自分たちは悪との戦いにおける善の力を代表していると確信している。
 ラドコンに同意しない人々は政治に幻滅し、意気阻喪しており、反撃しても仕方がないと思っている。公共の場ではリベラルの思想や理想が語られなくなっている。
 ラドコン版の繁栄は、金持ちに報い、中産階級にはほとんど何も与えず、貧困者は不利な状況に追いやる。トップ経営者が巨額の報酬をさらに増額させている一方で、中間レベルの経営者や時給で働く労働者は仕事を失ったり、定年のための貯えを年金給付もカットされている。
 トップ経営者の所得は1980年に平均的労働者の賃金の42倍だったが、1990年にはそれが85倍となり、今は280倍にもなっている。それも会社の業績自体は悪化しているのに・・・。昔は限度というものがあったが、今はない。
 アメリカの高額所得者の所得税率は、第一次大戦中は77%、第二次大戦中は90%。それが、1980年に70%だったのが、レーガンが28%にまで大幅に下げてしまった。健康保険の民営化は金持ちにとっては良いアイデアだが、そうでなければ悲惨な目にあう可能性がある。
 ラドコンのすすめる武力行使は無責任だ。その結果、テロ行為を増やしてしまうからだ。
 アメリカは、イランのシャー、コンゴのモブツ、ニカラグアのソモサ、ギリシャや韓国の将軍、チリのピノチェト、フィリピンのマルコス、アフガニスタンのムジャヒディンを援助してきた。アドバイスを与え、暗殺団や拷問の専門家を訓練し、設備を提供し、さらに独裁者が蓄えた巨大な富を隠すのに手伝ってきた。ラドコンは世界から危険を取り除くどころか、一段と世界を危険なものとしている。
 リベラル派が勝利するのには、熱意つまり情熱が必要だ。リベラル派は今こそたたかいを開始しなければならない。多くの真面目な有権者が政治に幻滅を感じて棄権している。そんな有権者は、腐敗したシステムを変えるのには上品なだけではダメだということを知っている。やはり、真の改革者であるという熱情をもって訴えなければいけないのだ。しかも、それを楽しくやらなければならない。希望とユーモアの気持ちをもって政治を実践しなければならない。
 この最後の訴えかけに私もそうだ、そうだと心が震えました。今は状況に負けて、愚痴をこぼしているときではないのです。9条改悪なんて許さないぞ。さあ、明日から、もうひとがんばり楽しくたたかおう。この本に勇気をもらって、ますます元気になりました。

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2005年4月20日

悪魔のマーケティング

著者:ASH、出版社:日経BP社
 タバコを吸うと、ひとは快感を得る。ただし、30分程度しか快感は続かない。30分過ぎると、ニコチン切れの状態に陥り、イライラするなど不愉快な禁断症状が出てきて、タバコが吸いたくてたまらなくなる。ニコチン依存症だ。喫煙者の大半は本人の意思ではなく、ニコチン依存症のせいで、タバコを吸わされている。ニコチンは脳のドーパミン系に作用して、ヘロインやコカインなどの麻薬と似た働きをする。
 紙巻タバコには、ニコチンの体内吸収を促進する添加物が含まれている。紙巻タバコは、ニコチンを注入する注射器なのだ。タバコの煙には、4000以上の化学物質が含まれている。その多くは、発癌性物質であり、変異原性物質であり、有害なもの。タバコを原因として死亡する人は日本で年に9万5000人と厚労省は推定している(1995年)。
 24歳をすぎてタバコを吸いはじめるのは5%以下。だからタバコ産業のターゲットは18歳。18歳でタバコを吸いはじめると、その銘柄を忠実に吸い続け、年をとっても銘柄を変えることはない。もし、ヤングアダルト・スモーカーがタバコを吸い続けなければ、タバコ産業は衰退していく。
 紙巻タバコからニコチンを全部とり除くことは実は可能。しかし、ニコチンが少なすぎると、人気を失ってしまう。ニコチン中毒者が生まれないとタバコ産業もなりたたない。低タールタバコは、喫煙者が禁煙するのを遅らせたり、断念させたりするための戦略の一部である。
 女性は男性に比べると、タバコによる健康影響が出やすい。乳癌で亡くなった女性は1万人足らず。子宮癌は5千人ほど。ところが、肺癌は1万5千人もいる。女性はホルモンや体格のうえで、タバコ依存症にもなりやすい。タバコはダイエットに良いどころか、逆に美容の大敵。肌荒れ、しみ、歯と歯茎の病気、しわが増加する。ところが、第三世界で女性の喫煙率は急スピードで上昇している。
 タバコを吸うのが経済発展の象徴であるかのような幻想が第三世界に広がっている。世界で生産される7%のタバコが輸出にまわされ、そのうち3%が密輸されている。
 もちろん、俺たちはそんなもの(shit)は吸わない。ただ売るだけ。タバコを吸う権利なんざ、ガキや貧乏人、黒人そのほかのおバカな方々に謹んでさしあげる。
 こんなに馬鹿にされて、それでもあなたはタバコを吸い続けますか・・・?

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2005年4月19日

東大で教えた社会人学

著者:草間俊介、出版社:文芸春秋
 私と同じ団塊の世代が東大工学部で学生に対して、知っておくべき社会の「暗黙知」を教えた授業が本になっています。うんうん、なるほど、そうだよな。つい我れ知らず頭を上下にふりふりさせながら面白く読みました。
 日本の土地神話は銀行の担保主義に支えられてきた。土地の資産価値は下がらない。つまり、地価は上がり続けるという幻想があったから、銀行は土地を担保に取ってきた。そして、銀行が担保にとるから土地の値段がついてきた。しかし、その銀行も今では、その土地がどれだけ収益を生むのかという評価に変わってきている。これからは収益の上がらない土地の地価上昇はないと考えるべきだ。
 対米追従は従来型システムの典型。自国の正義を声高に主張するアメリカには自分の醜さが見えていない。それがアメリカの浅はかさであり、恐ろしさだ。そんなアメリカに依存して生きなければいけない日本は危うい。
 日本の政治家や官僚には、アメリカを怒らせたくないという恐怖心が根底にある。アメリカが守ってくれるという対米従属の体質が骨の髄まで染みついている。アメリカから文句を言われると、「はい、そうですか」とすぐに言うことを聞いてしまう。こんな思考停止状態を続けていたら、日本はいつまでも国家ビジョンをもちえない。
 日本の製造業が強くなったのは、人材の有能さだけでなく、しっかりした人材育成をしていたから。誰にでも潜在能力がある。これは、トレーニングによる日々の鍛錬と本人のやる気のうえに、チャンスが重なって初めて発現する。開拓せずに放っておくと潜在能力はいつのまにか消失してしまう。だから、フリーターが潜在能力を開花させるのは至難の技だ。どこの会社でも、給与は自分の稼いだ額の3分の1しかもらえないもの。つまり、会社としては給料の3倍は働いてもらわないと人件費がペイできない。立派な戦力として評価されるには5倍は働かないといけないものだ。
 トップと同じような考え方をする人間ばかりの会社は居心地がいいかもしれないが、周囲の状況変化への対応力は極端に低い。変化の激しい今の時代で生き残るには、同じような考え方の人ばかりではダメ。
 30年前、「会社の命は永遠。その永遠のために奉仕すべき」という遺書をのこして自殺した大商社の常務がいた。しかし、会社は決して永遠ではない。昔からそうなのだ。会社に殉ずる人生など、自己満足にすぎない。まず個人として独立した考えと価値観をもつ。会社の論理や都合なんて、その次でいい。
 年齢(とし)をとると判断が早くなる。これは頭のなかでパターン認識ができるということ。だけど、パターン認識だけで仕事をしていると、いつのまにか思考の柔軟性がなくなってしまう。新しいことを経験しないと頭が固くなる。
 人は能動的に頭をつかって何かアクションをしようとする思考回路ができる。受け身のときにはできない。この思考回路を何度もつかっていると、脳内で前より200倍も早く信号が流れ、超高速で思考できるようになる。一度この思考回路ができると、別のことを思考するときにも超高速でできるようになる。
 うーん、いろいろ勉強になりました。大学時代というのは生涯の友人をつくるのに最適の時期だという指摘がなされています。私も4年間も学生セツルメントにうちこんで生涯の友人を得ることができ、人生の宝だと今も瞳のように大切にしています。

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2005年4月18日

回想のドストエフスキー

著者:アンナ・ドストエフスカヤ、出版社:みすず書房
 ドストエフスキーの奥さんが速記者だったというのを初めて知りました。「罪と罰」の作者としてすでに有名だったドストエフスキーは、大変な借金をかかえて、短期間のうちに小説を書きあげなければいけませんでした。自分で書いているヒマなんかありません。そこで、周囲の誰かが速記者を雇ったらいいと入れ知恵をしたのです。呼ばれたのは20歳になったばかりの若い女性でした。ドストエフスキーのかかえていた借金は3000ルーブル。これが払えないときには債務監獄に入れられてしまうのです。そのとき、ある出版社が3000ルーブルで全集の版権を買ってもよいと申し出ました。もちろん、ドストエフスキーはすぐに応諾。ただし、あらたに小説を一篇書き足すことが同時に条件となっていたのです。
 ドストエフスキーは、たちまちうら若い乙女の速記者に魅せられてしまいました。大作家から結婚の申し入れを受けたときの様子が本人の口から本当にういういしく語られています。その場で目撃しているかのように、読んでいるこちらの胸までドキドキときめきを感じたほどでした。
 ドストエフスキーは、たとえ話で彼女に迫りました。年をとって、借金に苦しめられている病身の画家が若くて健康で快活な娘さんに何を与えることができるでしょうか。これほど性格も年齢も違っている若い娘が、この画家のような男を好きになることがあるものでしょうか。
 彼女のこたえはこうでした。どうしてありえないわけがあるでしょう。やさしい思いやりのある人でしたら、その画家を好きにならない理由などありませんわ。その人が病気で貧しいことなど、いったい何でしょう。外見やお金だけで人を愛するということができるものでしょうか。その人が好きでありさえすれば、自分でも幸せにちがいありません。
 そこで、ドストエフスキーは、彼女にこうたずねました。その画家がわたしで、わたしがあなたに恋をうちあけ、妻になってほしいと頼んでいるとします。聞かせてください。なんと答えますか。
 彼女は、わたしだったらこう答えますわ。あなたが好きで、一生ずっと愛しつづけますわ、と。
 心をうつやりとりです。こんなことも紹介されています。
 1867年の冬。そのころできたばかりの陪審員の役割にドストエフスキーは非常な興味をいだいていました。彼らの公平で理性的な答申に感服し、感動していました。新聞を読みながら、法の生命にも関係するすぐれた実例を妻に絶えず話してきかせていたのです。
 ドストエフスキーを久しぶりに読んでみたくなりました。

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2005年4月16日

日本のお金持ち研究

橘木俊詔・森剛志/著、日本経済新聞社
 「全国規模のアンケート調査とデータから現代日本の富裕層とは誰かを浮き彫りにし、金持ちになった背景や社会制度の実態に迫る興味深い1冊」とネットで紹介されているとおり、社会学の学者による日本の金持研究です。
 目次をぱらぱらと見たところ、医師・弁護士・経営者などアンケートを踏まえて、お金持ちに関する分析がされていましたので、弁護士の欄と医者の欄を本屋で立ち読みで対比しました。
 「弁護士はなるまでのリスクやその労働時間に比べると、医師やほかの仕事に比べて経済的に報われていない。ロースクールができても、現状程度の収入であれば、優秀な人間はますます他業種に流れてしまう」「裁判官と弁護士は有名になればなるほど忙しくなるが、検事は逆にヒマになる」等等フムフムと自分と対比して納得できる部分もあれば、ええっ弁護士はこんなに他業種に比べ(金銭的に)報われていないの?と驚かされる部分もあり、買う気が失せました(TT)。高額所得弁護士の4タイプの中身は忘れましたが、自分はそののどれにも当てはまりませんでした(ガックシ)。
 眼科の業界で、白内障バブルなんて事象があったことも知りませんでした。弁護士業界の倒産バブル(東京で高額納税弁護士の相応の割合を倒産関係の弁護士が占める)のようなものなんでしょう。目次だけでも学者の論文にしては目を引くものです。読んだ上で買えたアナタの性根は強いですよ、マジ。

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2005年4月15日

武装解除

著者:伊勢崎賢治、出版社:講談社現代新書
 紛争屋という職業についている48歳の日本人男性の体験にもとづいた本です。すごい日本人だと感嘆します。いえ、日本人女性もいるそうです。すごいですね。このような人たちがいるおかげで、日本人も少しすこしは国際平和に貢献していると言えるのですね。なにも平和貢献は自衛隊の専売特許ではありません。
 東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンの現地に出かけ、ゲリラと政府軍のあいだに入って武装解除をすすめるのです。もちろん、実際にはたびたび難問にぶつかります。それを丸腰でさばいていくのですから、たいしたものです。勇気があります。
 人道援助は、もはや戦争利権のひとつになっている。人道援助の利権をめぐって、NGOと営利企業とが競うような時世になっているのです。
 世界の紛争現場に身を置いてきた著者は憲法改憲論に組みしないと強調しています。
 海外派兵はおろか軍隊の保持をも禁止している現行憲法下でひどい状況が生まれているから、たとえ平和利用に限定するものであっても海外派兵を憲法が認めてしまったら、違憲行為はさらに拍車がかかるのではないか。
 つまり、現在の政治状況、日本の外交能力、大本営化したジャーナリズムをはじめ日本全体としての「軍の平和利用能力」をみたとき、憲法とくに9条には愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。あえていう。現在の日本国憲法の前文と第9条は、一句一文たりとも変えてはならない。
 世界の内戦の現場で、身を挺して平和を守ってきた著者の言葉にはズッシリとした重みがあります。

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政策秘書という仕事

著者:石原伸晃、出版社:平凡社新書
 日本の大学を卒業して、外資系銀行のディーラーとして活躍したあと、離婚の試練を経て司法試験に挑戦して合格。ところが、司法修習が終わって、川田悦子議員(無所属)の政策秘書となる。川田議員が落選して今は弁護士。そんな著者の経歴はまさに異色。
 政策秘書試験は合格率が4.7%という難関。ところが、合格しても政策秘書になれる人はほとんどいない。大半は、別の審査認定を受ける方法によっている。
 著者は秘書が議員へ献金するのを禁止すべきと提言しているが、まったく当然のこと。なぜ議員へ献金なんかするのかと不思議に思うと、実は、議員の集金方法のひとつになっているから。
 類書がたくさん出ているなか、無所属議員の秘書から見た国会という点で目新しいところがある。

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つくられる命

著者:坂井律子、出版社:NHK出版
 AID(人工授精。夫以外の男性の精子をつかうもの)で生まれた子どもは、すでに全世界に100万人以上いる。日本でも1万人以上はいる。
 1人の医学生が1年間で最大10人に精子を提供する。液体窒素で精子は冷凍され、アメリカだったら1回分が2万5千円で売買される。
 体外受精も、現在では日本の赤ちゃんの100人に1人がこの技術で生まれるほど普及している。人工受精児が成長したとき、自分の父親を知りたいと思ったときどうなるのか・・・。ここには、きわめて難しい問題がふくまれています。遺伝学上の病気の対策をとるためにどうしても知る必要がある。そう言われたときにどう対処したらよいか・・・。長いあいだ父親だと思っていたのに、実は違っていた。それを知らされたとき、子どもは親に裏切られた思いを抱くに違いない。その心の痛手はいかにしたら回復できるのか・・・。重い問いかけがなされている。

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2005年4月14日

暗殺・伊藤博文

著者:上垣外憲一、出版社:ちくま新書
 伊藤博文暗殺事件と大逆事件がほぼ同時期だということを初めて自覚しました。
 韓国併合を推進していた桂太郎総理と小村寿太郎外相にとって、伊藤博文は最大の障害であった。といっても、伊藤が韓国で行ったことはひどいものだった。しかし、伊藤が死んだあと、中心になると思われる桂や寺内はもっと過酷なことを行うのではないかと心配する。中国の新聞は当時、このように的確に論評しました。まさに、そのとおりのことがおきました。伊藤博文はつねに対外軟弱論者として攻撃の対象になっていました。内治優先型の志向をもっていたからです。といっても、対外戦争も同時に想定していたのですから、平和主義者ではありませんでした。世論の動向には決して逆らわず、権力の中心に居つづけるのが伊藤博文の習い性だったのです。
 明治天皇は、日清戦争について、「朕(ちん)の戦争ではない」として、伊勢神宮への戦況報告を拒んだそうです。これも初めて知りました。聖裁を仰いだと称して、勝手に戦争を始めた軍部の者たちに怒っていたというのです。
 日本軍は日清戦争のときにも旅順要塞を攻撃し、占領しています。そして、そのとき市民を多数虐殺したことが欧米の新聞に報道され、非難をあびました。この虐殺には、乃木希典少将のひきいる歩兵第一旅団も加わっていたそうです。乃木将軍の影の部分です。
 伊藤博文は日清戦争が始まったときに、軍部の謀略にしてやられたことを知って、真っ赤になって怒り出しました。同じことが閔妃殺害時件のときにも起きたようです。
 いえ、伊藤博文が日韓併合に反対していたというのではありません。もっと抵抗の少ない巧妙な方法で朝鮮半島を支配すればいいと考えていただけです。ところが、日韓併合を即時断行しようという右翼や軍部の強硬派からみると、伊藤博文の対韓政策は穏健策に過ぎ、手ぬるいものであり、日韓併合を容認しないものと見えていたのです。朝鮮を日本の純然たる領土にしなければ気がすまないというのですから、まさに狂信的な連中です。
 その連中に伊藤博文は消されてしまったのではないか、というのが著者の考えです。福岡の玄洋社、とくに杉山茂丸が関わり、また、明石元二郎の指揮する韓国駐在の日本憲兵隊の手先である韓国憲兵隊補助員が実行犯だというものです。それは安重根がもっていたブローニング拳銃ではなく、フランス騎馬銃(カービン銃)によるものだということによります。
 手にとったらいかにも軽い新書ですが、歴史の闇が深いことを実感させられる、ずっしりと重い本ではありました。

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2005年4月13日

大人の食育

著者:服部幸應、出版社:NHK出版
 本来、日本人は8000個ほどの味蕾をもっているのに、そのほとんどがきちんと機能しなくなっている。味覚障害がふえている。濃度を高くしないと味を感じない人が多くなっている。それはインスタント食品などの調理済加工食品を小さいころから食べ続けていることが原因になっている。インスタント食品やスナックなどの加工食品には苦みの強い防腐剤などが多く入っているので、その苦みを消そうとして調味料を大量につかうため、微妙にまずくなる。それがひとの味覚を麻痺させている。
 味蕾はリキッド状のものでないと感知しない。食べ物を口に入れてよくかみ、唾液とまぜて初めて味蕾は味を感じる。舌は、先よりも奥の方がセンサーがより密集している。味は舌で65%、上あごで10%、のどで25%感じる。ビールはのどごしという。たしかに、舌の真ん中からのどまでが、味の70%を感じる。
 味覚の基本は8歳までに決まる。なるほど、ですね。マックやケンタなど、ごまかしの味に小さいころから慣らされてしまったら、食べる前からジャブジャブとソースをかけてしか食べられない。なんでもかんでもマヨネーズをたっぷりかけてしまうという人間ができあがってしまうのですよね。可哀想です。
 ワインのテイスティング。アロマをまず鼻でかぎとります。それまで閉じこめられていたぶどう品種の香りです。次ぎにグラスをそっとクルクル揺らしてみます。これをスワーリングといいます。立ってきた香りがブーケです。次ぎにワインを口に含みます。含んだとき、軽く空気を吸って、鼻からフワッと出します。そのとき感じる香りがパルファンです。この3段階がワインのテイスティングです。なるほど、今度これを覚えてやってみることにしましょう。
 フランスの3つ星レストランに友人のため予約しておいたところ、その友人たち(5人分)が無断で行かなかったとき、パリまでトンボ帰りでお詫びに行ったという話が紹介されています。それほど、友情を大切にするのかとびっくりしてしまいました。
 鉄板焼きのステーキ店は、実は、美味しい食べ方ではないそうです。むしろ、3ミリくらいに肉を削ぎ切りして、表面をカリッと焼いて食べる方が香りも高く、味も出て美味しいということです。厚い肉を鉄板で焼くと、中の血液や水分によって肉が蒸されて、長く焼くと、それだけ肉はまずくなるといいます。
 へー、そうなのか、知らなかった・・・。さすが料理学校の校長先生だけあります。やっぱり、美味しいものをおいしくいただきたいものです。ファーストフードとか、まがいものはいやですよね。

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2005年4月12日

怪帝ナポレオン?世

著者:鹿島 茂、出版社:講談社
 すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれる。一度目は悲劇として、二度目は茶番として。ヘーゲルはこう述べた。これはマルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の一節です。私にもそのイメージは強烈でした。私と同世代の著者によるナポレオン3世を復権させようと試みられた本です。
 なるほど、その目的はかなり達せられているように思います。でも、結局のところ本当は茶番だったのではないのか。そういう思いも拭いきれないものがありました。466頁もの大部な本です。ナポレオン3世の生い立ちから、その限界まで、かなりよく分かる本となっています。
 ルイ・ナポレオンは、若いころ牢獄でサン・シモンやプルードンを読み耽っていたというのです。その影響はずっと続いていました。
 労働者階級は、なにものも所有していない。なんとしても、これを持てる者にかえなければならない。労働者階級は、現在、組織もなければ連帯もなく、権利もなければ未来もない。彼らに権利と未来を与え、協同と教育と規律によって、彼らを立ち直らせなければならない。
 これが「共産党宣言」が書かれる4年前のルイ・ナポレオンの言葉だというのには腰が抜けるほど驚いてしまいました。ルイ・ナポレオンが大統領に当選したのは、フランスの田舎に住む人々の大半が読み書きができず、ただ耳から入った候補者の名前が親しみのあるものかどうかだけで選ばれたということによる。これにもびっくりします。まるで今日のイメージ選挙と同じです。
 ルイ・ナポレオンの反対派は普通選挙の廃止を狙った。直接的にそれをしたのでは民衆が暴動を起こすので、骨抜きにする方法を考え出した。左翼的な都市部の労働者からのみ選挙権を取り上げるために、有権者の資格を定住期間3年以上の者に限るとした。都市部の労働者の多くは出稼ぎの季節労働者の多くは出稼ぎの季節労働者だったから、これによって1000万人の有権者のうち300万人が参政権を失った。パリでは有権者の63%が資格をなくした。
 でも、今の日本でも同じことが行われましたよね。小選挙区制です。お金のかからない選挙になるという「美名」で(もちろん、真っ赤な嘘です)小選挙区制になって、国民のさまざまな意見が国会に反映するのが本当に難しくなりました。今では、中選挙区制に戻すべきだというのが、良識ある人の常識になっているように思います・・・。
 ルイ・ナポレオンはナポレオン3世になってから、労働者階級に向けた政策を実施していきました。労働者共同住宅をつくり、親が授業料を支払えない子どもへの無償教育の保障、困窮者への裁判費用の免除と官選弁護人の選任、などです。
 オスマンと組んでパリの大改造にも着手し、断行しました。今のパリをつくりあげたのです。しかし、晩年のナポレオン3世はドイツとの戦争にみじめに破れ、ドイツの捕虜になってしまいました。ここらあたりの記述になると著者の弁論は冴えません。やっぱり茶番だったな、そう思ってしまいました。
 マルクスの本を久しぶりに読み返してみたいと思ったことです。

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2005年4月11日

洗脳選挙

著者:三浦博史、出版社:光文社ペーパーバックス
 イメージ選挙を演出して何度も勝った実績を誇る選挙プランナーによる選挙必勝のマニュアル本です。選挙の裏側って、こんなことにもお金が動くのかと思うと嫌になりますが、事実から目をそむけるわけにもいきません。
 選んだつもりが、選ばされていた。サブ・タイトルにあるとおり、徹底して候補者について虚像のイメージを有権者に売りこみ、投票に駆りたてます。その手の内を知れば知るほど、有権者はもっと賢くならなければいけないんだな・・・と、つくづく思います。
 人の印象は目からの情報によってほとんど決まってしまう。人の印象を決めるのは、服装や身体の動きといった目からの情報が55%、声の調子や話し方が38%、話の中身が7%である。要するに、演説内容よりも外見が大切なのだ。だから、候補者には歩き方まで直してもらう必要がある。候補者は自分の十八番の演説をすればいい。街頭演説は、とにかく十八番を絶対に歌い続けること。演説の中身は関係ない。
 マニフェスト(政策)パンフは売れなくてもよい。売る姿勢が大切。
 選挙用ポスターの写真を選ぶときには候補者の要望は無視する。カメラマンも、いきなりポーズをとらせるようなのはダメ。はじめに30分ほど候補者と雑談し、候補者のいろいろな顔を客観的に見て、自然な顔を頭に焼きつける。そのイメージした笑顔がとれるようにシャッターを押す。これが本物のプロだ。
 選挙カーは、いつものウグイス嬢にまかせるより、男、つまりカラスボーイの素人っぽい熱意でやる方が今では受ける。
 選挙では、普段やっていないことは絶対にやってはいけない。奇をてらったパフォーマンスは、一時的に話題になっても、全体としては候補者にとってマイナスでしかない。
 アメリカの大統領選挙の投票日の3日前にビンラディンのテープが全米でテレビ放映されました。このビデオは、事前に押収していたテープを使ったブッシュ陣営の「最終兵器」だと著者は解説しています。ビンラディン・サプライズの効果でブッシュは大統領選挙に勝てたというわけです。これが本当なら、誤った世論操作もいいとこですよね。それでも、権力には「寛大な」アメリカでは、ほとんど問題になっていません。アメリカ国民は、それほどみな飼い慣らされてしまったのでしょうか・・・。
 それにしても、選挙プランナーがこんなにも活躍できるなんて、馬鹿げています。日本の有権者はもっと目を覚ます必要がある、しみじみそう思ったことです。

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2005年4月 8日

ストレスとうつ

著者:徳永雄一郎、出版社:西日本新聞社
 日本人の自殺者は1978年から1997年までは年間2万人から2万5000人でした。ところが、1998年から年間3万人台になって、今日に至っています。男女比では男が72.5%。50代が25%、40代が16%、30代が13%です。働き盛りの男性の自殺が増えているのです。たしかに、弁護士である私も自殺のケースを扱うことがしばしばです。
 うつ病は人口の5%、軽いうつ状態の人は15%いるとみられています。年間35万人がうつ病によって退職し、軽いうつ状態を含めると105万人が退職していると想像されます。現在の高校中退者は8万2000人。高校生の5%がうつ状態に陥っているとすると、4200人がうつ状態で退学している可能性があります。
 著者は、うつ病を病気ととらえず、1人の人間の生き方が壁にぶつかったと考えて診察していると言います。有明海に面した「海の病棟」というストレス専門の病棟をもうけているのが全国的にも有名です。 私も見学したことがありますが、精神科の閉鎖病棟とはまったく違って、明るいホテルのような病棟でした。有明海の潮の満ち引きを窓からゆったり眺めることによって、自然の変化するリズムをじっくり身体で感じることができるのです。朝、のぼってきた太陽の光を全身に浴びて、自分が地球の生き物のひとつであることを実感することができます。そのことによって、それまで自分こそ社会の中心だと思って張りつめていた気持ちがふっと解き放たれていくのです。
 実は著者は、私の中学校のときのクラスメートなのです。おだやかな人柄です。うちの人間ドッグに入りに来いよ。頭のなかまで診てあげるから、と親切な言葉をかけられました。とんでもない。身震いして、ありがたくお断りしました。脳の異常がついに発見された、なんてなりたくありませんからね・・・。あなただったら、どうしますか。診てもらいますか。入りたいなら、紹介しますよ・・・。

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先物地獄のワナを解き明かす

著者:宮崎耕一、出版社:民事法研究会
 著者は法政大学経済学部教授。商品先物取引で大損をした人が知人にいて、その裁判に関わったことから、先物取引の実態を知り、このような本を書くようになったという。
 私は弁護士になってまもなくから先物取引被害の相談を受け、これまで20年以上にわたって、裁判をし、交渉をしてきた。今も進行中の事件が片手ほどある。
 先物取引は予測のつかない相場の世界。でも、間違いなく言えることは、長く取引をしていたら、確実に損をしてしまうということ。客は殺されもするし、自然死(自滅)もする。だから、なんでこんな客殺し商法が政府公認で存在しうるのか、不思議でならない。といっても、先物取引の会社に言わせると、証券会社もみんな同じ事をしている。なぜ、うちだけが目の敵にされなければいけないのか。年寄りが死蔵している金融資産を取引社会にひっぱり上げることで社会に大きく貢献しているのに・・・。
 うーん、そう言われたら、そうなんだろう・・・。でも、悪いものは悪いこと。巧妙なアプローチで近づき、甘言に乗せて大金をだましとる商法は許されないと思う。大勢の人に読んでほしい本だ。

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企業情報はこんな手口で盗まれる

著者:宮崎貞至、出版社:東洋経済新聞社
 元キャリア組の警察官僚だったせいか、著者が日本国憲法について「奴隷の平和」憲法だと悪罵を投げつけているのはいただけませんが、企業情報が盗まれている現実を知ることはできる本です。
 従来の秋葉原タイプのアナログ盗聴器だと、盗聴電波の監視装置ですぐ見つかってしまう。しかし、最近のモバイルフォンはデジタル波なので検知が難しい。だから、プリペイド式の携帯電話をオンにしてスパイを会議室にもぐりこませると、会議内容をリアルタイムで盗聴することができる。たとえば、携帯電話のバッテリーを、盗聴発信器を埋めこんだ別のバッテリーにすりかえたら、半永久的に盗聴できることになる。
 カメラ付き携帯が普及しているから、それで営業秘密を盗み出すのはしごく簡単になっている。会議のとき無線マイクをつかうと、かなり離れていても内容が傍受されている危険がある。無線LAN傍受器もはびこっている。
 名簿業者は1人あたり1円で情報を仕入れ、その100倍の1人あたり100円で販売する。個人情報で一番高く売れるのは金融系の借金履歴つきの顧客リストで、1人あたり1000〜2000円。デパートの外商の顧客リストは1人あたり500〜1000円。
 ファックスの信号傍受は、内容や宛先が正確なので、産業スパイの一番のターゲット。Eメールは、世界中で、100台以上のモニター機に監視されていると覚悟すべきもの。
 うーん、便利な情報化社会ですが、危険もいっぱいなんですね・・・。

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2005年4月 7日

司法改革

著者:日弁連司法改革実現本部、出版社:日本評論社
 司法改革とは何だったのか。その全体像をふり返るためには不可欠の本です。いわば日弁連による司法制度改革「正史」ですから、あまり面白くないと言えば、そのとおりです。
 そのなかでは、久保井・本林という2人の日弁連元会長のインタビュー記事が読ませます。やはり、会長として2万人をこえる弁護士をまとめるうえで、相当の苦労をされたからです。
 法科大学院には、600人の弁護士が実務家教員として出かけているそうです。単なる予備校にならないように弁護士もがんばっているわけです。
 本林前会長は、今の世の中の変化の速さに即応した日弁連の対応ができるようになったことを最後に指摘しています。常勤の弁護士スタッフを抱えてようやく実現した課題です。これまでは東京のほかは大阪・京都くらいでしたが、九州からもスタッフを送り出せるようになりたいものです。
 とにもかくにも、刑事裁判が裁判員制度の導入によって大きく変わりますし、新しく労働審判制度もできました。裁判所改革にしても、外部の意見を反映するシステムがつくられましたので、その透明化はぐんとすすみました。形式ができても、運用がこれまでと同じでは困ります。司法改革は、まさにこれからが正念場なのです。その意味でも、この本は心ある弁護士にとって必読文献だと思います。

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2005年4月 6日

ウルカヌスの群像

著者:ジェームズ・マン、出版社:共同通信社
 ブッシュ戦争内閣を動かす外交チームの実像に迫るとオビにあります。本文を読んで、なるほどと思いました。ウルカヌスというのは、ローマ神話の火と鍛冶の神であり、ライスやウルフォウィッツやアーミテージ、そしてチェイニーやパウエルというグループの自称です。
 ウルカヌスは伝統的な国家安全保障問題を中心的な関心事としていて、国際経済におけるアメリカの役割は民間の経済界にまかせている。ウルカヌスは、アメリカのパワーと理念は大きくみて世界に善をもたらすと信じている。アメリカは強く、そしてますます強くなると確信している。
 コリン・パウエルの考えはパウエル・ドクトリンとして公式化された。明確な目標の必要性、アメリカ世論の支持、圧倒的な兵力の投入。戦争は政治の最終手段であるべき。戦争をするときには、国民の理解と支持の得られる目的を持ち、その目的を達成するために国を挙げて資源を動員し、そして勝利しなければならない、というもの。
 パウエルは、貧しく教育のないアメリカ人ほど戦闘に駆りだされて死んでいく様子に深い不公平感を抱いた。有力者の子弟やプロ・スポーツ選手の非常に多くが予備兵や州兵にうまくもぐりこんだことに憤りを感じてもいた。
 パウエルにとって、アメリカの軍事力を維持するうえで大切なのは、それを控えめで慎重に行使すること。実際のところ、パウエルは世間が思っているようなハト派だったことは一度もない。パウエルは長期にわたる殺伐とした、コストのかかりすぎる軍事的介入をアメリカは避けるべきだという信念をもっていた。しかし、それは実際的な考慮からであり、平和主義的な信念からではない。パウエルがめざしたのは、ベトナム戦争のように泥沼に2度と入りこむことを避けながら、アメリカの軍事力を維持・増強していくこと。
 ウルカヌスのヴィジョンは先制行動論、他の追随を許さない超大国アメリカ、超大国アメリカはその民主的価値を海外で広めることを求める。という3つの要素を統合したものからなる。
 臆病者のタカとは、戦闘の経験がないにもかかわらず、戦争を鼓舞する者のことで、チェイニー、ウルフォウィッツその他のブッシュ政権内の兵役経験をもたない人たちを指していた。この25年間を通じてネオコンたちの根底にある関心は、一貫して変わらなかった。アメリカの主要な敵対者をうち負かすために自国の軍事力と理念を推進することがネオコンの一貫した立場である。
 ウルカヌスはアメリカの能力に対して底抜けの楽観主義を抱いている。
 ウルカヌスたちの予想がはずれてしまったのは、今日では明らかなのではないでしょうか。すでにアメリカ兵の戦死者は15000人をこえました。もっとも、イラク人の死者の方は10万人をこえたとみられていますが・・・。イラク占領の負担は、いまやアメリカ経済への限りない重圧になっているように思われます。いつまでもウルカヌスたちに我が世の春を謳歌させていくわけにはいきません。といいつつ、ライス国務長官の悪びれない自信にみちみちた笑顔には怒りをとおりこして呆れてしまう、というのが私の率直な感想なのです・・・。他国を平気で侵略して、何十万人もの市民を虐殺しておきながら、どうして、あそこまで自信満々でいられるのか、不思議でなりません。

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2005年4月 5日

庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし

著者:成松佐恵子、出版社:ミネルヴァ書房
 江戸時代末期の日本では、成人男子の識字率が50%近くありました。これって、すごいことですよね。だから、日本全国いたるところに、武士から町人から村人まで、日記を書く人が多かったのです。今の日本人にブログがはやるわけが分かるでしょ・・・。
 この本は、今の岐阜県輪之内町、昔の美濃地方に住む庄屋の日記をもとに書かれたものです。西条村では、全世帯の6割以下が2石以下の零細農家でした。士農工商という身分は固定していたイメージがありますが、実は、農民出身の者が武家に養子に入り、郡奉行にまで出世するということもありました。婚姻を通しての社会移動というのがあったのです。
 庄屋を筆頭に、その補佐役の組頭と村民を代表する百姓代の三者を村方三役と呼んでいました。年貢は、江戸時代のはじめに5割をこえていたのが、年がすすむにつれて低下し、4割代になっていました。検見法は毎年の検見が必要でしたので、手間や費用がかかり、村側の賄賂による不正も少なくありませんでした。役人接待マニュアルまであったのです。それで、過去10年間の収穫から平均高を割り出し、租率を定めるのを定免法といい、これで村側は役人へ贈賄する必要もなくなりました。免とは租率のことです。
 一般に男子は成人するまでに、また成人してからも改名することがしばしばでした。一生のうちに3〜4回というのも珍しいことではありません。女性も結婚して名前を変えることがありました。乳幼児の死亡率は高かったのですが、60歳以上の人は少なくないし、80歳をこえる長寿の人も珍しくありませんでした。出産時に母親も死亡することは多く、生まれた子が死んでも、母体が無事であったら、それを感謝するお祝いもありました。母親死亡によって継母や腹違いの兄弟や後添(のちぞえ、後妻)は普通のことでした。
 妻がよく里帰りし、実家の姉妹と旅行に出かけるなど、自由を楽しんでいる様子もうかがえます。大勢の人が集まるときの料理づくりや跡片づけは男性が担当し、女性はしていませんでした。女性が台所仕事をしないというのは必ずしも非難されることではなかったのです。女性が家に拘束され、裏で下働きをさせられていたというイメージは実像からほど遠いようです。
 庄屋は生け花を見物に出かけ、菊づくりに励み、俳諧を楽しんでいました。そして、俳諧の交流のため遠方へも旅に出ていたのです。それは、近くの名古屋や大阪だけでなく、九州との交流もありました。旅行は一泊程度のものを含めて、50年間に計61回も記録されています。本当に日本人は昔から旅行がすきだったんですね。
 明治維新になっても、大きな混乱もなく、庄屋が戸長に名前を変えただけでした。そうなんだ・・・。江戸と明治が本質的なところで連続しているとなると、要するに今の日本人と江戸時代の日本人とで、そんなに変わってはいないということなのです・・・。

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2005年4月 4日

絵本の深層心理学

著者:矢吹省司、出版社:平凡社
 絵本は子どもが読む本というよりは、むしろ大人に読んでもらう本。つまり、絵本は大人が読む本。
 主体的な存在としての人間が、子どもという理由だけで親に支配される。この矛盾から、子どもは親に反抗する。
 子どもは親が頼みの綱、命の綱。その綱が切れてしまうんじゃないかという不安は強烈。
 たしかにそうです。私は小学生のころ、兄と2人で、父親の実家で夏休みを過ごすことがありました。昼間は魚釣りしたり楽しく過ごしましたから、いいのです。問題は夜です。広い座敷に兄と2人で寝ます。ボーン、ボーンと時計がうら寂しい音をたてます。ああ、家でお母ちゃんたちは何をしているかなー・・・。火事にでもあって、親が焼け死んで孤児になっちゃったらどうしよう・・・。夜ごとホントに真面目に心配していました。この世に自分ひとりが残されて天涯孤独の身になったとき、どうやって生きていくのかしらん・・・。心配でたまりませんでした。心細くなっているうちに、寝入ってしまいました。朝になったら、ケロリンコンです。
 いろんな浮き世のしがらみを断ち切って身軽な独り身になったら、自分の素晴らしさは今より際だち、みんなからもっとちやほやされるだろう・・・。機関車ちゅうちゅうは夢想した。しかし、それは経験を通して、完膚なきまでに否定されてしまった。自分のアイデンティティは自分ひとりでは生み出せない。それは他人との関係をへて完成し、他人との関係によって維持されるものだ。
 子どもにとって母の愛を信じられるということは、世界を基本的に信頼できるということを意味している。子どもは、しつけを強要する社会的な意思に逆らいたいという欲望も抱いている。社会的な欲求との両極端に子どもの心は分解しがち。このスイングを繰り返しながら、自分のなかの社会性と反社会性との葛藤に折りあいをつけ、そうすることで幅も深みも奥ゆきもある人格の土台を築いていく。
 子どもは人生の土台となる心の強さを身につけようとがんばっていて、それが切実な生活のテーマとなっている。人生の土台となる心の強さとは、基本的信頼、自律性、自発性のこと。基本的信頼とは、自分が現に生きているこの世界は、不都合な問題を次々と押しつけてはくるけれど基本的にはいいところだ、そうと信じてずっとここで生きてゆきたい、生きてゆけると実感できる能力のこと。自律性とは、自分の心と体はたとえ思いどおりにならないことがままあるとしても、基本的には自分の主体は自分であると実感できる能力のこと。自発性とは、自分は現実的にも心理的にもずいぶん抑圧されてはいるけれど、基本的には自由である、自分の意志で生きてゆけると実感できる能力のこと。
 うーん、いい言葉にめぐりあえました。なるほど、そうですよね・・・。いい本に出会うと、心のなかはすっきり洗われて、気持ちがあったまって、すがすがしくなります。
 モノカキを自称する私も絵本に挑戦してみましたが、残念なことに、売れゆきは芳しくありませんでした。何を訴えたいのか、もうひとつ明確でなかったことに主な原因があると反省しています。それにしても、絵本はいいものです。
 子どもたちが小さいときは、毎晩のように、絵本を読んでやっていました。それは自分に言いきかせるような内容だったのですから、読んでいる私の方が楽しくなって、励まされたりもするのです。まさに大人にとっての絵本でした。斎藤隆介「八郎」やかこ・さとしの「カラスのパン屋さん」などをすぐに思い出します。最近は大分の立花旦子弁護士にすすめられた「嵐の夜に」もいい絵本でした。
 ここに紹介されている絵本の半分ほどを読んでいたのも、うれしいことでした。

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2005年4月 1日

凶犯

著者:張平、出版社:新風社文庫
 中国の山村で、国有林保護監視員が村を牛耳る4人兄弟の言いなりにならず、ついには殺しあいに発展していく。すさまじい展開です。小説は事件発生の前と後とを時間刻みで交互に描いていきます。目まぐるしいのですが、それが緊迫感を生むのに成功していて、結末と原因が手にとるように分かります。
 中国の農村部で、取り残されたような農民の欲望に支えられ、絶大な実権を握って君臨する4人兄弟がうまく描かれています。殺人事件のあと、県から偉い役人が派遣されてきて、聞きとりが始まります。公正な結論が出ることを期待していると、とんでもない。でも、こんなものかなあー。日本だって、表面はともかく、本質的にはあまり変わらないよな。そう思わせる結末です。
 中国でベストセラーになったのも、うなずける凄い小説でした。

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ネパールに生きる

著者:八木澤高明、出版社:新泉社
 ネパールに行ってみたいと思ったことは何度もあるが、残念ながら行ったことはない。ヒマラヤのふもとの美しい大自然に囲まれた、のどかな暮らし。というより、最近では、まだ毛沢東主義者(マオイスト)がいて政府軍と殺しあっている。そんな物騒な国だというイメージの方が先に立ってしまう。
 著者は、まさにそのマオイストの軍隊に入りこんで取材し、写真つきで紹介している。表紙で微笑えんでいる女性兵士は戦闘中に死亡し、すでにこの世にはいない。のどかな山並みを背景とした写真なのに・・・。しかし、そこは厳しい戦闘地域だったのだ。
 マオイストは1万5千人もの兵力を擁しているという。女性兵士も少なくない。ネパールでは、2001年6月1日に、当時のビレンドラ国王夫婦が、ティペンドラ皇太子に殺害され、本人も自殺するという惨事が起きた。そのあとを前国王の弟であるギャネンドラ現国王が継いだ。そして、つい先日、国王親政を強引に始めた。
 ビレンドラ前国王は親中国派で、マオイスト対策に軍隊をつかうことに反対し、話し合いによる平和解決を望んでいた。ギャネンドラ現国王は、親インド派でマオイストの増長を警戒し、軍隊の出動を強く望んでいた。なるほど、そうだったのか・・・。
 マオイストの兵士は14歳から20歳が中心で、戦闘の前に酒や麻薬で無感覚になり、死を恐れずに突進する。村人は貧しいから、兵士になるしかない。それがマオイストの兵士であってもかまわないのだ。マオイストは酒と賭博を禁止している。集会に何万人も集めるだけの力がある。ところが、村人が途中で集会を抜け出そうとすると、若い女性が棒で叩いて坐らせてしまう。
 ネパール人女性と結婚した日本人カメラマンである。この本にある写真はネパールの実相を伝えてくれる貴重なものだ。

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味ことばの世界

著者:瀬戸賢一、出版社:海鳴社
 デザートをいただくとき、それは別腹よ、なんて言葉があります。この本によると、それは実在するというのです。甘いものは身体にプラスになる。このプラス信号を口にすると、たとえ既にお腹がいっぱいのときであっても、たちまち胃袋は中身を押し下げてデザートの入るだけのスペースを空けるのです。えーっ、本当なの・・・。でも、真実のようです。
 味は舌で感じる。だが、おいしさは脳で感じる。ある食べ物を口にしたとき、右脳と左脳は同時に活動しはじめる。まず、右脳でおいしいかまずいのか判断をし、左脳の言語中枢を介しておいしいとかまずいと言葉で表現する。左脳の分析は複雑系になればなるほど分析結果に時間がかかり、その表現も難しくなる。おいしいかどうかは右脳ですぐ判断できるが、どこがどう違うのかを分析し、言語的に表現するのは左脳が担当し、それには時間がかかり、表現にも大きな個人差がある。
 味やおいしさを言い表すのは知的なゲーム。その人の人間としての経験の豊富さ、知的才能とその鍛錬・品格など、すべてにかかわる。おいしさを上手に伝えることのできる人は深みのある人である。
 味覚の情報は半分しか新皮質に入らない。だから、料理番組では「おいしい」としかレポーターは言えない。意識にのぼってくる部分しか表現できないから。視覚はすべて新皮質に入るから言葉にしやすいのに比べて、臭覚や味覚が言葉にしにくいのには根拠がある。なるほど、そうだったのか・・・。
 だから、私は、単においしかったとか、うん、うまい、などという言葉ではなく、どういう味だったのか、その場の雰囲気をふくめて、情景描写で美味しさを言葉にしようと努めています。なにしろ深みのある人間になりたいものですから・・・。

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2005年4月28日

死んでも返せ

著者:夏原武、出版社:宝島社
 ヤミ金融の内側へ突撃取材していますので、暴力金融の実態がそれなりに分かります。
 むかしは登録していない金貸しを「ヤミ金」と言っていましたが、今は登録していても「ヤミ金」と言います。とんでもない暴利をむさぼっている業者のことです。登録料はわずか15万円(ちょっと前までは4万円)で、これで新聞広告をうてるようになるのですから、安いものです。
 ターゲットは懲りない借金依存症の人々です。これが実に大群なのです。にもかかわらず、このところクレ・サラ相談が激減しています。東京では半減したそうです。福岡でもかなり減っています。なぜ?
 多額の借金をかかえて二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなった人は多いのです。ところがヤミ金からの取り立てにあって怖くならないと(お尻に火がつかないと)、公的な相談所にはいかず、その日暮らしをしてしまう人が多いということです。ヤミ金規制法が少し実効性をあげているため、相談にいくべき人たちが相談に出かけていないということだと思います。手遅れにならないうちに、然るべきところに相談に行った方がよいと思うのですが・・・。

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福祉工学の挑戦

著者:伊福部 達、出版社:中公新書
 カエルの眼の機能はミサイルの発射装置に利用されている。カエルの眼は静止しているものには反応しないが、動いているものには敏感に働く。ミサイル発射装置は飛んでくる飛行体をいち早く探知しなければならないからだ。
 ハエの舌はラジオのFM装置と同じ機能をもっている。ハエの舌からは一定の周波数をもった電気信号パルスが常に出ている。ハエの舌に甘いものが触れると急にパルスの周波数が高くなる。甘さの度合いによって周波数の高さが異なる。信号パルスの振幅を変化させず、周波数を変えて情報を伝えるのは、FM装置と同じ。
 福岡に天才的なインコがいた(今もいるのかな?)。鉄腕アトムやどんぐりころころなど20種類の歌がうたえ、笠地蔵や般若心経などの長文も話せる。
 人はヘリウムを吸うと、誰でもドナルドダッグのような声になる。これは、ヘリウムが窒素に比べて軽いため、音速が速くなり口のなかでの共鳴音が高くなるから。
 聾は社会活動をするうえで、また人間がものを考えるうえで必要な音声という道具を失うことになる。その意味では盲より聾の方が不自由である。これは三重苦のヘレン・ケラー女史の言葉。
 身体に障害をもつ人に役立つ技術の開発はどんどんすすめてほしいものだ。ところで、男と女で声の質が違うのはなぜなのか、以前から疑問を抱いている。どうしてなのか、その理由を知りたい。誰か教えてくれないかしらん・・・。

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江戸時代の村人たち

著者:渡辺尚志、出版社:山川出版社
 江戸時代の庶民の生きざまを知れば知るほど、日本人って昔からあまり変わっていないんだな、つくづくそう思います。この本は今の長野県諏訪地方の村々をターゲットにして、そこに住む人々の生活を残された資料にもとづいて再現したものです。
 村同士で治水や入会などでしきりに裁判をおこしていました。日本人って、昔から裁判が好きなんですよね。しかも、その裁判は江戸でするのです。ですから、今の長野県の人々が東京高裁に出かけるようなものでしょう。半年間で320両のお金をかけていました。仮に1両を10万円とすると、3200万円かけていたわけです。このお金を村は藩から借りたりしていました(公借)。利率は年12.5%です。村役人の名前で借りるのですが、その担保に村役人個人の所有地を提供したのです。ということは、村役人の個人所有地であっても、村全体の利益のためという制約が課せられて当然という法意識があったわけです。所有権絶対というのではないのです。
 また、裁判のために村の代表として江戸に出かけた人たちに不手際があったときには、村人の投票で新しい代表を選ぶことが行われていました。そもそも、村役人の選出も投票(入札、いれふだ)が一般的でした。ただし、投票できるのは戸主のみです。被選挙権についても大前(おおまえ。村役人に就任できる家柄の者)と小前(こまえ。大前以外の者)とで争いがありました。小前側は、これまで大前が独占してきた村役人の被選挙権を小前にも解放せよと要求したのです。最終的には5人の村役人のうちの1人が小前から選ばれるようになりました。
 村役人にはそれなりの能力が求められます。村に寺子屋がつくられ、師匠を村の外から5年の任期で招くということもありました。村人も教育熱心だったのです。同じように、医者も村外から招きました。

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城のつくり方図典

著者:三浦正幸、出版社:小学館
 お城のつくり方が写真と図解で示されていますので、よく分かります。写真と絵を見ているだけでも楽しい本です。いろいろ勉強になりました。
 城を築くことを城取りといい、縄張とは城の設計をいう。領国が拡大したら、それにともなって居城を変えるのは当然のこと。居城を動かさないような大名の末路は厳しい。武田は滅亡し、毛利も領国の大半を失った。
 本職を儒学としている軍学者たちが実戦を知らないまま城づくりについて観念論を述べているが、それはたいてい机上の空論だった。たとえば、江戸軍学の粋を尽くした福山城(北海道)の縄張は巧妙だった。ところが、明治1年に土方歳三(新選組出身の、あの土方です)に搦手(裏側)から攻められると、わずか1日で落城してしまった。敵は正面からくるものと考え、裏手はまったく無防備だったから。これには笑ってしまいました。
 普請(ふしん)とは石垣とか土居や堀を築くという土木工事のこと、御殿や城門や櫓を建てる建築工事は作事(さくじ)といった。城づくりは土木工事が主体で、建築工事は付属だった。土塀の外側を犬走(いぬばしり)といい、内側は武者走(むしゃばしり)という。水堀から立ち上がる石垣の下には松の胴木が敷いてある。ときどき干上がってしまうところだと、たちまち木材は腐ってしまう。しかし、ずっと水に漬かった状態だと松の木はほとんど腐朽しない。なるほど、そうなんですね・・・。
 熊本城の石垣は、高さの半分以上から反らせている。しかし、城づくりの名人であった藤堂高虎のつくった伊賀上野城は30メートルの高さの石垣が一直線となっている。
 天守に住んだ殿様は織田信長ひとりだけ。豊臣秀吉も徳川家康も天守には住んでいない。天守内部には、かつては畳が敷きつめられていた。名古屋城の天守は2000畳敷きだった・・・。うーん、すごーい・・・! 名古屋城の天守の屋根を飾っていた金鯱は、慶長大判の金貨1940枚(小判にすると1万8千両、純金で215.3キロ)をつかった。えーっ、すごい、すごすぎる・・・。
 天守と櫓(やぐら)の違いは、本丸御殿を見下ろす側に窓があるかどうか。天守は四方に窓を開けていた。多門櫓の多門とは長屋のこと。足軽たちが住んでいた。だから、お城の究極の防衛線だった。
 静岡県の磐田郡水窪町というところに、高根城という中世の山城が復元されているそうです。いかにも戦国時代にできたという、すごく実戦的な山城です。ぜひ一度行ってみたいと思いました。私は安土城にのぼってことがあります。織田信長の発想のスケールの大きさを、現地に立って実感しました。また、一乗谷の朝倉館にも行き、見事に復元された城下町に立って往事を偲びました。岐阜城、姫路城、松山城、松江城、そして大阪城にも行ってみました。あっ、そうそう、函館の五稜郭に行って、全周を歩いたことがあります。今度、島原の乱の原城跡にも行ってみたいと思っています。
 日本全国のお城をよく知るうえで欠かせない本として推薦します。

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