弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年9月 1日

マフィア国家、メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

メキシコ


(霧山昴)
著者 工藤 律子  、 出版  岩波書店

いやあ、正直言って、メキシコがこんなに怖い国だとは知りませんでした。
トランプがメキシコ国境との間に壁を築くというのは悪い冗談だとしか思えませんが、メキシコ政府がそんなに腐敗しているのかって、想像を絶します。
日本の官僚制度もアベ政権の人事局長システムで悪いほうに変容されつつありますが、それでも前川さんのような骨のある人を支持する土台がまだあると信じています。メキシコには、残念なことにそれがないようです。
メキシコでは、政府が深刻な腐敗をかかえ、麻薬マフィア国家と化している。連邦政府、地方政府、あらゆるレベルで多くの人間が犯罪組織とつながっている。その結果、2006年12月から2015年8月までの行方不明者は3万人、殺害された人が15万人。その犯罪の9割は裁かれない。
仕事帰りの若い女性、14歳から22歳前後の貧困層の女性が誘拐されたり、失踪される事件が多発している。人身売買の犠牲となっている。
麻薬カルテルという呼び名は、今やまとはずれだ。現在では、犯罪の多国籍企業化し、世界54ヶ国を舞台として、多様な犯罪ビジネスを展開している。麻薬、武器、石油、臓器売買、DVD,CDの海賊版販売など・・・。
犠牲者が出ても、分裂した国家内部の汚職と腐敗のために、罰せられるべき人間が罰せられない。メキシコでは、誘拐・失踪事件の99、9%が未解決。真犯人は、権力内部の協力者や仲間に守られ、法で裁かれない。
2016年にメキシコで起きた殺人事件は2万3000件。これは、内戦中のシリア(6万件)に次いで、世界で2番目に多い。
その主犯が麻薬カルテルと断定できないところにメキシコの抱える問題の深刻さがあります。つまり、軍や連邦警察も、「殺人」に加わっているようなのです。これでは、国民は誰を信じていいのか分かりません。困ってしまいます。
そして、メキシコの犯罪多発に「加担」しているのがメディアです。権力の言いなりでしかなく、言論の自由がない。
日本のマスコミもアベ政権の顔色をうかがうばかりになってはいますが、ときとして真実を伝えようとしているところが違います。
暴力に暴力で立ち向かっても解決にもならないことを学んだという元ギャング団リーダーの言葉が紹介されています。本当にそのとおりです。
こんな危険なメキシコに現地取材した著者の勇気に心より敬意を表します。これからも生命・健康に留意しつつ、適切な情報を日本に伝達していただくことを期待します。
(2017年7月刊。1900円+税)

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2017年9月 2日

中世ふしぎ絵巻

日本史(中世)

(霧山昴)
著者 西山 克(文)、北村 さゆり(画) 、 出版  ウェッジ

変わった(凝った)装丁の本です。絵を主体として、解説しているように見えて、やはり文章が主体の絵巻解説本です。
『百鬼夜行絵巻』とか『百怪図巻』というものがあるそうですが、この本はそれをやや現代風にアレンジした感じの妖怪たちが描かれています。
そして、厩(うまや)につながれている馬が人の言葉をしゃべったという話ものせる怪異譚(たん)が紹介されています。
若い女は孤の化身だったとか、病気になった関白の肩に「小さき孤の美しげなる」が乗っていたのが目撃されたという話も紹介されています。
皆既日食をパロディー化した『百鬼ノ図』がある。日食の時間帯に、御法度(ごはっと)の歌舞音曲を楽しむ妖物たち。日食の間を待ちかねてメイクを始める化粧道具の怪。その闇の中で、妖物たちを解放する鬼卒(きそつ)。
『妖物記』は、寛正(1460年ころ)の飢饉という、大災害の記憶を留めるものとして描かれた。
天皇の家政機関に「作物所」があった。「つくもどころ」と呼ぶ。
先食台(せんじきだい)は、本当は施食台(せじきだい)であり、死者、いわば餓鬼や鬼神たちが一飯に与(あず)かっていた。
不思議な花があった。金花、銀花。本当に花なのか・・・。二人の陰陽師(おんみょうじ)の一人は花と言い、他方は花ではないと断言する。その正体は、クサカゲロウという昆虫の卵。
昔から日本でゲイの人を「おかま」と呼ぶことがあるのは、釜鳴りを鎮める呪法には異性装がからんでいた。そして、釜鳴りを鎮める呪法とかかわっていたから、「おかま」と呼ばれるようになったのではないか・・・。
なかなか読ませて魅せる長文の解説付きの妖怪絵本です。少し高価なので、せめて図書館で閲覧してみて下さい。
(2017年6月刊。3200円+税)

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2017年9月 3日

猿神のロスト・シティ

アメリカ


(霧山昴)
著者 ダグラス・プレストン 、 出版  NHK出版

中米ホンジュラスに、地上最後の人跡未踏の地があるというのです。そこには、恐ろしい毒ヘビやジャガーがいるので、人間はうかつに近づけません。といっても、現地に人々は住んでいます。
文明国が派遣した調査国は、ベテランであっても、1日10時間はたらいても、1日に3キロとか5キロしか前へ進めないというほど深いジャングル(密林)があります。そのうえ、ホンジュラスは、殺人事件の発生率が世界一。麻薬カルテルが周辺土地の大半を支配している。ホンジュラスのあるところでは、請負殺人の費用は25ドルでしかない。
ジャングルで最大の危険は毒ヘビ。夜行性で、人や動くものに引き寄せられる。攻撃的で、過敏で、敏捷だ。
そして、ジャングルでは道に迷いやすい。迷ったと思ったら、もう動かず、救いを求める笛を吹いて、誰かが迎えに来てくれるのを待つしかない。調査国のメンバーが現地から帰国してしばらくすると、その半数が謎の病気を発病していった。それはリーシュマニア病という熱帯病で、マラリアに次いで世界で2番目に致死性の高い寄生虫病だった。
5世紀ころ、ここに国王が存在していた。国王は16代も続いている。
8世紀ころ、旱魃(かんばつ)による飢饉(ききん)が頻発して、平民を苦しめたことから、王国の存立が危うくなった。
ところで、この古代文明は毒ヘビそして病気から身を守っていたのか・・・。
同じ中米にあるコスタリカという平和な国の話を読んだ直後でしたので、この二つの国の違いはどこにあるのか、不思議でなりませんでした。
私は、もちろんホンジュラスのような物騒な国には住みたくありません。やっぱり住むなら、平和の国ニッポンかコスタリカですよね。そのためにもアベ退陣を一刻も早くして実現してほしいです。
(2017年4月刊。2200円+税)

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2017年9月 4日

役に立たない読書

人間

(霧山昴)
著者 林  望 、 出版  インターナショナル新書

ほとんど同世代の著者と私は読書に関しては、かなり共通した考えです。
本は買って読むもので、図書館から借りて読むものではない。読んできた本を振り返ることは、自分の人生を振り返ることに他ならない。文学作品を味わう醍醐味の一つは、登場人物の中に自分自身の分身を発見することにある。
自分が読みたい本を読む。これが読書するときの鉄則。そのとき、間口(まぐち)はできるだけ広くしておいたほうがいい。
図書館で借りて読んだ本の知識は、しょせん「借りも物」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んでよかったと感じた本は、座右に備えておくべきだ。
「自腹を切る」ことの対価は、たしかにある。
著者は、自宅の地下に2万冊は入る書庫があるそうです。わが家にも1万冊とは言わない、2万冊近くの本があるように思いますが、最近、少しずつ引き取り手を探して押しつけつつあります。なにしろ、年間500冊以上の本を買って読んでいますので、その行方(所在)は困るばかりなのです。
読書するのには、あらゆる細切れの時間を大切にする必要がある。10分間だけ、別世界を旅する。
まさに、そのとおりです。ですから私は、バス停に立ったら、私のカバンの外側に入れている新書が文庫本を取り出して、立ち読みを始めます。中に入って座れたら(立っていても)ソフトカバーの本を読み出します。ですから、電車の中ではなるべく顔見知りの人と一緒になったり、同席したくはありません。
「我が本」を文字どおり「我が物」にする。これは、借り物ではないのだから、きれいな姿で、次に古本屋に売ろうと思っていないということです。気に入ったらところは折り曲げたり、付箋をつけたり、傍線を引いたり、欄外に注記を書き込んだりする。
書評には、面白くないと思った本は取りあげない。私も同じです。面白くもない本を読み返すほど、私はヒマでありません。何か面白いと思えるところがある本しか、このコーナーで取りあげたことはありません。
日本では昔から識字率も高く、本を読まずにはいられない人が少なくなかった。
滝沢馬琴の本を江戸時代の人々が熱狂していたというのは、現代の私にもよく分かります。ともかく面白いストーリー展開でした。
著者は、漢字仮名まじりの文化が定着している日本では、電子書籍は普及しないと予測しています。紙の本でないと読んだ気がしないというのは、日本語独特の問題があるからだ・・・。日本語は、世界一、同音異義語が多い。多すぎる。
読書には、大きな意味がある。人生は、できるだけ楽しく、豊かに送りたい。豊かに楽しく生きることのヒケツが、すなわち自由な読書だ。それは強制された読書ではない。自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。ただ、それだけのこと・・・。まったく同感です。反語的タイトルの本です。
(2017年4月刊。720円+税)

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2017年9月 5日

あのとき裁判所は?

司法

(霧山昴)
著者 宮本 康昭ほか 、 出版  ひめしゃら法律事務所

あっと驚く事実が満載の、強烈なインパクトたっぷりのブックレットです。
あの宮本康昭さんが、もう80歳を過ぎていたなんて、信じられません。それより、もっと驚くのは、1970年(昭和45年)ころ、青年法律家協会(青法協)に所属していた裁判官が350人もいたこと、最高裁に勤務していた局付判事補15人のうち10人が青法協会員だったこと、東京地裁に配属された新任判事補12人のうち10人が青法協会員だったこと、その圧倒的人数と比率に思わず叫びたくなるほど驚かされます。
さらには、宮本判事補の再任拒否に対して、当時の裁判官1850人のうちの3分の1をこえる650人が抗議文を出したというのにも腰が抜けるほど驚きます。今では、とてもそんな数の裁判官は沈黙したままで、抗議の声をあげないのではないでしょうか、残念ながら・・・。
なにしろ、1970年1月から1971年までの1年間で、350人いた裁判官部会の会員が158人も脱退して200人になったのでした。このころ、著者は、何回も血を吐いたとのことです。ストレスから胃潰瘍になったのです。良かったですね、それを乗りこえて長生きできて・・・。
当時の熊本地裁の所長(駒田駿太郎)が著者に青法協をやめろと言うので、所長も日法協に入っているでしょ、と問い返すと、「オレも日法協をやめるから、オマエも青法協をやめてくれ」と切り返されたといいます。
実は、私も、いま日法協の会員(会費だけの・・・)なのです。弁護士会の役員になったおつきあいで加入しているだけなのですが・・・。
この本で、著者は青法協を脱退した158人のその後を紹介しています。
最高裁判事6人、検事総長1人、内閣法制局長官1人、高裁長官12人、地裁所長64人。これに対して青法協に残った200人のうちでは、高裁長官が2人、地裁所長は3人だけ。このように歴然たる違いがあるのです。そして、著者に対しては露骨な差別扱いがされました。弁護士になるときに最高裁判所が経歴保証書を出さなかったというのには呆れました。
著者は判事補に再任されなかったけれど、簡裁判事として残ったのですが、宿舎から追い出されそうになったり、裁判官送迎バスの対象者からははずされたりという嫌がらせも受けています。裁判所のイジメって、陰湿ですよね・・・。それでも、著者はめげずにがんばったのですね。すごいです。給料にしても、当時で月に7万円から8万円も低かったというので、同期の裁判官たちがカンパしていたというエピソードも紹介されています。
著者とは灯油裁判で一緒の弁護団だったこともあり、親しくさせていただいていますが、人格・識見ともきわめてすぐれた人物です。こんな人を裁判所から追い出すなんて、本当に国家的損失だと実感します。
裁判官が公安によって尾行されていたとか、スパイがいたのではないかという話もあります。私のときにも、司法修習生のなかに明らかにスパイ活動していると確信したことがありました。司法界と公安、スパイというのは切っても切れない関係なんだなと改めて思いました。
貴重な本です。今の裁判所内に気骨ある人が少ないのは、その負の遺産だと思います。私の個人的経験でいうと、騙された奴が悪いなんていう若い裁判官の発想は、その典型の一つだと思います。本人は無自覚なので、始末が悪いです。
(2017年8月刊。500円+税)
9月に入って急に涼しくなりました。右膝が痛かったのも少しおさまりましたので、夏草が庭一面を覆っていましたので、日曜日に雑草とりに精を出しました。頭上でツクツク法師が鳴いて、夏の終わりを告げてくれました。日の沈むのも早くなり、夕方6時半に切り上げ、風呂場に直行しました。
湯あがりに息子が贈ってくれた甲州産の赤ワインを美味しくいただきました。平和なひとときです。

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2017年9月 6日

暴走する自衛隊

社会

(霧山昴)
著者 纐纈 厚 、 出版  ちくま新書

自衛隊は今日、世界有数の実力をもつ武力組織にまで成長している。24万人の自衛官から構成される自衛隊は、高度に組織化された専門職能集団でもある。自衛官は国家防衛を目標とし、きわめて強固な団結心で結ばれている。自衛隊を特徴づける高度な技術性・一体性という性質は、日本国内における諸組織のなかでも際だっている。
安倍首相は、本来なら「自衛隊は・・・」と言うべきところ、思わず「わが軍は・・・」と国会(参議院予算委員会)で答弁した。安倍首相は、自衛隊が名実ともに軍隊以外の何ものでもないと捉えていると思わせるに十分な発言だった。
自衛隊の正面装備を外観すれば、先進諸国の軍事大国の軍と肩を並べるに十分な質と量を備えていて、国際社会ではすでに「軍隊」として通用している。
2007年1月に、防衛庁が防衛省に昇格した。これは単独予算編成権を獲得したということ。
そして、事実上の文官統制廃止が実現した。
シビリアン・コントロールといっても、シビリアンなるものが稲田朋美のような、政治による統制に積極的に服従する、軍人以上のミリタリズムへの信奉者であったり、非妥協的で露骨な軍事政策を強行しようとする政治家であれば、ほとんど意味がない。
海上自衛隊は、陸上自衛隊と違って、旧日本軍の組織論や教育論がストレートに持ち込まれた。したがって、文民統制という政治による統制には、強い抵抗感を示してきた。
田母神論文は、自衛隊の国防軍化への強い要求があることを意味している。自主防衛・自主独立の志向がある。つまり脱アメリカへの転換を目ざす。
現行憲法を正確に読めば、自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。
安倍首相の加憲論は、自衛隊の違憲性を払拭するだけだと言いつつ、実質的な国防軍化を目ざすものですから、まさしくアベ流ごまかし政治です。
自衛隊の本質は、効率的な大量人殺しを任務とする軍隊です。ところが、世間一般がそう思ってはいません。大災害のときにいち早く出動して被災者を救助する救助隊という善意のイメージが本質を見えにくくしています。そして、見えないものは存在しないことになるのです・・・。
(2016年2月刊。820円+税)

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2017年9月 7日

私にはいなかった祖父母の歴史

世界(フランス)

(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版  名古屋大学出版会

ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦によって殺されていったユダヤ人たちの生きざまを丹念な取材によって極力再現しようとしたフランスのユダヤ人歴史学者による力作です。
先日、天神の映画館でみた映画「少女ファニーと運命の旅」の背景にあった歴史的事実も紹介されています。
ユダヤ人住民の保護を組織する機関の一つ「アムロ委員会」は、フランスにおけるレジスタンス組織のなかではもっともはやい時期に成立した。「休暇学校」は、ユダヤ人の子どもたちを田舎に住まわせ、強制収容所に小包を送る。1943年来、500人のユダヤ人の子どもが隠れて生活していた。パリに近い、パリから300キロの範囲内。農村家族による受け入れが目立つ。受け入れ家族に頼り、子どもたちを分散させる。
そして、強制(絶滅)収容所におけるゾンダーコマンドが、これまた映画「サウルの息子」に描かれた状況ですが、詳細に再現されています。私は、ゾンダーコマンドが武器をもって反乱に立ち上がったこと、そして死体焼却棟を必死で爆破しようとしたことに深い感銘を受けました。人間の崇高さを感じ、頭が下がります。
1943年3月4日の晩に第49番列車から降ろされたユダヤ人は993人。そのうち男性100人と女性19人が選別され、残り874人は収容所に入ることもなく、ただちにガス室で殺された。彼らにとってアウシュヴィッツは、ただ殺害されるだけに降りた鉄道の終着駅だった。
1944年10月7日に起きたゾンダーコマンドの反乱は、第49番移送列車にいて選別された男性100人のうちの二人によって指揮された。この二人は、戦間期のパリで活動していたポーランド人組合活動家だった。
死体焼却炉をつくったトプフ社は、5台の焼却炉で1日につき1140体まで燃やすことできると言っていたが、実際には1日に1000「個」までいかなかった。それでも、トプフ社のナチ技師は自分の発明に大きな誇りをもって特許をとった。
ガス室から死体を引き出すのはユダヤ人からなる特別作業チーム「ゾンダーコマンド」。生き残った人は次のよう語る。
「一番ひどい瞬間はガス室を開けるときだった。あの耐え難い光景。人々は玄武岩のように押しつぶされ、固い石塊になり、なんとガス室の外に崩れ落ちてきた」
死体を焼くときには、人体の脂は燃焼を助けるが、「ムズルマン」と呼ばれる絶望した人々の死体を焼くときには体に脂がないので、コークス発生炉を運転させた。よく燃えなかった骨盤は取り出して砕く。
死体焼却炉で人々が焼かれる状況が描写されます。
「最初に火がつくのは髪の毛である。肌は気泡で膨れ、数秒にして破裂する。腕と脚はよじれ、血管と神経は引っ張られて四肢が動く。すでに体全体に炎がまわり、肌は破れて、脂が流れ出す。烈火の燃え盛る音が君にも聞こえるだろ。もう体は見えず、地獄の猛火が内側で何かを焼き尽くすのが見えるだけだ。腹が破裂する。腸や内臓が噴き出し、数分でもう跡形もない。頭は燃えるのに、もう少し時間がかかる。二つの小さな青い炎が眼窩の中で瞬いている。一番奥にある脳漿とともに燃え尽きていく眼だ。口の中では舌がまだ焦げている。全過程は2分続く。そして、一つの体、一つの世界が灰に帰す」
1944年夏。ハンガリーのユダヤ人絶滅のため、死体焼却炉はフル稼働し、このときゾンダーコマンドの人員は900人と最大になった。
1943年夏以降、ゾンダーコマンドの内部に抵抗の核が形成された。
1944年6月、ナチは反乱の計画を察知し、ゾンダーコマンドを昼も夜も死体焼却棟の中に閉じ込めた。
アウシュヴィッツの非ユダヤ人抵抗者は、できる限り長く持ちこたえるべきだと考える。それに対して、ゾンダーコマンドのユダヤ人は、自分たちがいつでも粛清される恐れがあることが分かっている。
レジスタンスたちは、外部のポーランド・レジスタンスと連携し、死体焼却棟における女性たちのガス殺の写真をとってひそかに外部へ送る。弾薬工場で働く女性たちが生命の危険を冒して渡してくれた爆薬を蓄えていく。
そして、1944年10月7日、パリ解放の1ヶ月半後、ゾンダーコマンドたちは決起した。大勢が収容所の外へ逃げていくとき、二人が残って死体焼却棟を爆破する。決起・反乱は失敗し、450人のゾンダーコマンドはナチによって処刑された。
指導者の一人は、収容所で起きたことを書いて、ガラス瓶に入れて地面深く埋めた。戦後になって発見され、活字になって紹介されたが、それは1970年代になってからのこと。
本書はフランス学士院賞をとったとのことです。思わず息を吞みこむほど、大変な迫力のある力作でした。
(2017年8月刊。3600円+税)

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2017年9月 8日

現代史とスターリン

ロシア


(霧山昴)
著者 不破 哲三、渡辺 治 、 出版  新日本出版社

この本を読んで、スターリンという独裁者は、ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと同じレベルの最悪・最凶の人物だったとつくづく思いました。
たとえば、朝鮮戦争が始まったとき、国連の安保常任理事会にソ連代表は欠席したわけですが、これまで私はなぜなのか不思議でした。この本によると、スターリンは、アメリカを朝鮮半島で戦争に巻き込みたかったのです。それは、アメリカがソ連との間で二正面作戦をとることにつながり、それだけソ連への直接的な圧力が弱まることを狙ったというのです。アメリカとソ連がヨーロッパで直接対決する事態が生じないように、「第二戦線」をアジアにつくる狙いがあったわけです。
毛沢東も、スターリンの思惑を承知して、新生中国の力を見せつけるべく大量の人民義勇軍を朝鮮半島に送り出したということなのです。
うひゃあ、そうだったのか・・・、そんな驚きに満ちている本でした。
そして、ヒトラーによるナチス・ドイツ軍の電撃的なソ連侵攻をスターリンが最後まで信じなかったのは、スターリンはヒトラーと手を組んで、世界を独・伊・ソ連そして日本の四ヶ国で再分割しようという、ヒトラーの謀略的誘いに騙されていたからだというのです。ヒットラーのほうが、スターリンより騙しの役者の点では一枚上だったというわけです。
ところで、この本は、スターリンがヒトラーの侵攻で不意打ちを喰って1週間ほど雲隠れしていたという説をとっていません。ええっ、本当でしょうか・・・。ヒトラーにすっかり騙されたスターリンが、しばらく気落ちしていたというほうが私にとって素直に理解できるのですが・・・。
フランス共産党がフランス人民戦線政府に参加していたら、もっと世の中はいいほうに変わっていたと思うのですが、スターリンは断平として、それを認めませんでした。フランスの進歩など、スターリンにとってはどうでもいいことだったのです。
そして、ポーランドです。スターリンは、ドイツと分割統治の秘密合意を成立させ、ポーランドの共産党を壊滅させ、反対しそうな知識層を一掃しようとしました。すべては、自分のソ連領土の拡張のためなのです。
いま安倍首相の下に内閣人事局が置かれ、警察官僚がトップにすわっています。トップが「一強」としてすべてを支配しているとき、身内びいきから腐敗が起こり、官僚政治がズタズタにされるという状況が日本で展開しています。これにメスを入れてたださないことには、完全な独裁政治体制になってしまうと思います。
大変知的刺激にみちみちた本でした。80歳をすぎても学問的に究明しようとする不破さんには心から敬意を表します。
(2017年6月刊。2200円+税)

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2017年9月 9日

アルカイダから古文書を守った図書館員

世界(アフリカ)

(霧山昴)
著者 ジョシュア・ハマー 、 出版  紀伊國屋書店

西アフリカのマリ共和国の都市トンブクトゥは、古くからコーラン学校やモスクが存在する学術都市だ。そこに保存されてきた古文書がアルカイダによって廃棄される危険が迫ったとき、図書館員たちが身を挺して守り抜いたという実話も紹介した本です。なにより、アフリカの古都に大量の古文書が保存されていたというのが驚きです。
本に使われる紙は、ぼろ布を原料としていた。インクと染料は、砂漠の植物や鉱物から抽出された。本の表紙は、山羊や羊などの革からつくられた。当時は製本術が伝わっていなかったので、リボンや紐できつくしばっていた。
先日、太宰府の国立博物館でラスコー展をみてきましたが、2万年も前に、今も鮮やかに残る顔料で色彩豊かに牛などが描かれているのに圧倒されました。やはり、古いものは、きちんと保存すべきですよね・・・。
トンブクトゥの書物のなかには、男女の性の喜びを最大限に高めるための秘訣を伝えているものがあるそうです。驚くほかありません。
トンブクトゥは、からからに乾ききっているから、古文書が残った。ナイジェリアのような蒸し暑い地域だったら、とっくの昔に台無しになっていた。
トンブクトゥは、アラビア語の古文書保存の世界的な中心地のひとつとして復興している。町全体で38万冊もの古文書が収蔵・保存されている。
アルカイダの武装勢力は、貴重な古文書をバーミヤンの仏像と同じく敵視していますから、見つかったらすぐにも破壊されてしまいます。そこで、大量の古文書を避難させる作戦が始まったのでした。
貴重な古文書を後世に伝えるのは、今を生きる私たちの当然の責務だと思います。アフリカの地で大変な苦労があったようですが、とりあえず、めでたしめでたしの結果だったようで、ほっとしています。それにしても、文字の解読には苦労しなかったのでしょうか。
(2017年6月刊。2100円+税)

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2017年9月10日

紫式部日記を読み解く

日本史(平安時代)


(霧山昴)
著者 池田 節子 、 出版  臨川書店

「源氏物語」の紫式部より、「枕草子」の清少納言のほうが10歳ほど年長と推測される。「蜻蛉(かげろう)日記」の道綱母は、紫式部より40歳ほど年長である。
「源氏物語」の作者である紫式部とは、いったいどんな女性だったのか・・・。
「紫式部日記」は、紫式部による宮仕え生活の記録。しかし、これは、通説の言うような公的な記録ではなく、第三者的な見聞録にすぎない。
紫式部の娘(大弐三位)は後冷泉天皇の乳母になった。天皇の乳母になることは、中流貴族女性にとって最高の出世である。つまり、紫式部は、女手ひとつで娘を心確かな女性が選ばれる天皇の乳母に育てあげた。
紫式部は、「おっとりした人」のふりをしていたのではないか・・・。
紫式部は21歳で結婚しているが、当時の女性としては結婚が遅かった。
ええーっ、21歳の女性で晩婚とは、信じられません・・・。
紫式部と藤原道長とのあいだに男女関係があったとしても、それは召人の関係にすぎなかった。紫式部は道長の訪問を受けて、うれしかった。悪い気がしなかった。それは、女としてうれしいというだけでなく、道長からサービスされる自分、女房として大切に思われていることへの喜びもあった。
「源氏物語」をもう一度じっくり読み返してみたいと思わせる本でした。
(2017年1月刊。3000円+税)

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2017年9月11日

山と河が僕の仕事場2

生物

(霧山昴)
著者 牧 浩之 、 出版  フライの雑誌社

神奈川県川崎市で生まれ育った都会っ子が宮崎県高原町で山の生活を謳歌しているという、読んで、また見て楽しい、写真たっぷりの体験記(レポート)です。
フライフッシングの毛鉤(けばり)づくりの仕事に始まり、山でシカやイノシシそしてカモなどを捕まえる猟師となり、果てはシイタケ栽培やら農業にまで手を広げていくのです。
毎日が、生き物を相手としていますので、予定が狂わされることも多いようですが、次第にネットワークが広がっていく様子は頼もしくもあります。
著者はよほど器用な人なのでしょうね。
フライフッシング用の毛鉤をつくっていく過程が写真でも紹介されていますし、シカやイノシシを解体・精肉化していく様子も見事です。
九州は宮崎の山の中で住むのって、虫やら蛇やらいて、大変じゃないかと思いますが、地元出身の気丈夫な奥様とうまく折りあっていきながら、毎日、楽しそうです。
マガモの尻に生えている羽はCDC(フランス語です)と呼ばれる特別の羽。フライフィッシングにはもってこいの羽だ。
罠にかかったメスジカは最後まで逃げようとするが、オスジカは、意を決すると、角で人間に向かってくる。ええって、こんな違いがあるのですね・・・。
シカと同じようにイノシシも罠にかかっても危険なようです。うかつに近づくと踏み倒されそうです。
霧島山麓には、1平方キロメートルに50頭ものシカが生息するとみられている。
シカやイノシシが村人の畑を襲い、日常的に被害を与えているのです。ですから、人間と共存するためには、一定の駆除は必要だとのことです。現実は、単純に野生動物を保護しましょうとはいかないのですね・・・。
著者は猟師になってからアルコールを絶っているとのこと(なぜなのか、理由は書いてありません)。代わりに奥様がビール党としてがんばっているようです。
読んで楽しい、大自然の中で楽しく生きているという素晴らしいレポートです。前の本とあわせて、一読をおすすめします。
(2017年2月刊。1600円+税)

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2017年9月12日

復讐者マレルバ

イタリア

(霧山昴)
著者 ジュセッペ・グラッソネッリ、カルメーロ・サルド 、 出版  早川書房

イタリアのマフィアに挑んで生き残ったグループのリーダーであり、ヒットマンの青年の回想記です。ときは、検察官が公道上で爆殺されたころの話です。
1992年、27歳で逮捕された著者(本名がグラッソネッリで、本書ではアントニオ・ブラッソ)は終身刑4回と懲役30年の判決によって、現在も服役中。すでに20年をこえているが、妨害的終身刑なので、外出許可は認められない。つまり、普通終身刑なら20年間服役したあとは、1日、2日単位の外出許可を申請して認められることがあるけれど、妨害的終身刑の囚人は、塀の中で死ぬ運命にある
妨害的終身刑とはマフィアの抗争がらみの殺人を犯した者だけを対象とする刑だ。ちなみに、イタリアは日本と違って死刑は廃止されている。
著者は、3年間の昼間単独室処遇のあと、15年間の厳重拘禁措置がとられ、現在は、「高度に危険な囚人』扱いとなっている。ところが、著者は小学校しか出ていなかったが、塀の中で中学・高校の卒業資格をとり、ナポリ大学の特別講義も所内で受講し、ついに2013年、48歳で、文学・哲学科を満点評価で卒業した。
ですから、この著者が書いた回想録なのです。迫真性にみちみちているのは、そのためです。殺人場面など、下手な小説どころではありません。
著者は司法取引を拒否しています。いわゆる「改悛者」になると、かつての仲間たちからは裏切り者とされ、家族をすくめて報復の恐れがあるからです。
逮捕され、裁判になってから著者は多くの真実を知りました。
敵と味方どちらの陣営にも、ありとあらゆる卑劣な行為と裏切りがあった。していたことは、まったく気高くもなければ、名誉のかけらもない戦いだった。殺しにしても身勝手な理由、都合よくねじ曲げた理由で命じられたものばかりで、ひどいものだった。
それなりに崇高で明確な目的のために殺していたつもりだった。だけど、あんなに単純な理由で仲間を殺す人間がこんなに多いとは思わなかった。ヤクの代金を払いたくなかったとか、借金を返したくなかったとか、妻の愛人らしいとか・・・。
そして、どんな殺しにも偉大な理想の衣装を着せることが何より大切だった。
恐ろしい悪行の数々がこうして正当化された。
著者はシチリア(シシリー島)に1965年に生まれ、幼いころからワルで、盗みを重ね、少年ギャング団の頭となり、ついにはドイツへ逃亡し、ハンブルグでいかさまギャンブラーになって、生計を立てていた。それが、1986年夏、21歳のとき、シチリアに里帰りしていたとき、マフィアによって祖父たちが虐殺されたことから大暗転した。その報復を目ざして、ついに4年後に地元マフィアのボスたちの暗殺に成功した。
暴力とギャンブルそしてセックスがらみの放蕩の青春時代が生々しく描かれています。大薮春彦の小説顔負けです。
殺人は報復の連鎖を生むという実例でもあります。
ひるがえって日本の暴力団は、公共事業を安定的財源としていることは世間公知の事実ですが、なぜか警察はその点を一向に究明しようとしません。
いくら集会やデモ(パレード)で暴力追放を叫んでも、その点にメスを入れないと暴力団の資金源を断つことは出来ないと私は思います。イタリアのマフィアに関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2017年6月刊。2200円+税)

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2017年9月13日

崩れた原発「経済神話」

社会

(霧山昴)
著者 新潟日報原発問題取材班 、 出版  明石書店

世の中には不思議な、信じられないような現象が多々ありますが、今なお「原発」がなければ日本経済は成り立たないと信じ込んでいる(信じ込まされている)人が少なくないのには驚き、かつ呆れてしまいます。
3.11のあと、「福一」の原子炉は今なおまったく手つかずで放射能を出し続けていて、人間が近づくのを許しません。たまる一方の放射能廃棄物は地下に埋めようもないのです。
原発をつくるときには地元は景気が良かった。しかし、その恩恵は一過性にすぎなかった。原発が出来ても、思ったほど人口は増えなかった。原発は装置産業なので、装置をつくってしまえば、その後は保守管理に関わる雇用しか生まれない。原発誘致で地域経済が活性化するというのは幻想だ。
大都市に原発は今もない。なぜか・・・。大量の冷却水を得られるような海岸地域に未開発地はほとんどない。要は、事故が起きたとき、大都会の住民に補償なんてとても出来ないからだ。つまりは、原発の危険性を電力会社も国も承知のうえなのです。知らない(知らされていない)のは、「田舎」の住民だけ。
3.11福島事故で東電が被災者に支払った賠償額は、5年間で6兆円をこえた。でも、自分の家に住めないときに、たとえ1000万円もらってもどうしようもありませんよね。それが何十万円だったら話にもなりません。
そして、日本は原発に頼る必要はないのです。火力発電所では、LNGが52%、石炭が37%、石油が8%。LNGの中東依存度は29%でしかない。LNGの輸入先は、オーストラリア、マレーシア、インドネシアと分散している。アメリカ産シェールガス由来のLNGも日本は輸入しはじめている。
ひとたび事故がおきたら人間の手の及ばない原発は経済的に見合わない。
私は、一刻も早く、ドイツのように政府は脱原発宣言をして、全面的廃炉に向けて着実に手をうつべきだと思います。
東電の柏崎刈羽原発をかかえる地元新聞社として、原発「神話」に真正面から取り組んだ力作です。
(2017年6月刊。2000円+税)

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2017年9月14日

ボコ・ハラム

アメリカ

(霧山昴)
著者 白戸 圭一 、 出版  新潮社

2014年4月16日、アフリカのナイジェリアの中高一貫制女子高の寄宿舎を武装集団が襲撃し、女子生徒300人近くを連れ去ったというニュースは、私にとっても衝撃的でした。被害者の年齢は16歳から18歳で、今なお、その行方は判明していません。自爆テロ要員になっているのではないかという報道もあり、私も及ばずながら心を痛めています。
犯人とされるボコ・ハラムは、この事件で一躍、全世界に知られるようになりました。
ボコ・ハラムのボコとは、ナイジェリア北部で広く話されているハウサ語で「西洋の知、西洋の教育システム」を意味し、ハラムはアラビア語で禁忌・禁止を意味する。
つまり、西洋に源流をもつ価値・技術を否定し、イスラム国家の樹立を目指す集団だ。
ボコ・ハラムが2014年に殺害した民間人は6644人。これは、ISのテロによる民間人犠牲者6073人を上回る。
この本は、ボコ・ハラムとは何か、なぜ生まれたのかを追跡しています。そのためには、ナイジェリアという国を知る必要があります。
ナイジェリアは、北部アフリカ随一の経済大国。石油産業が支えている。ナイジェリアの石油生産能力は1日最大250万バレルで、アフリカ最大。ナイジェリアは人口大国でもある。日本の2.5倍の国土に、総人口1億8220万人、世界で7番目に多い。ナイジェリアの政情は安定せず、これまで軍事クーデタが7回も起きている。
ボコ・ハラムは、単なる「反キリスト教」の組織ではない。ボコ・ハラムの犠牲者の多くは、同じ北部のイスラム教徒なのだ。
ボコ・ハラムは一枚岩の組織ではなく、2014年4月時点で、6つの派閥があった。ボコ・ハラムは、確たる指揮と統制を有したことがない。
ナイジェリアでは、現場の兵士や警察官の士気は著しく低い。ボコ・ハラムとの戦闘をサボタージュするケースも多発している。
少女による自爆テロが頻発している。これは、ボコ・ハラムから強要されているから殺害されていると言ったほうが実態に即している。
政府と官僚組織がこわれてしまうと、国家の体裁をなさなくなるのですね・・・。
(2017年7月刊。1300円+税)

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2017年9月15日

在日米軍

社会

(霧山昴)
著者 梅林 宏道 、 出版  岩波新書

首都東京に巨大な外国軍の基地があって、アメリカ人が自由気ままに入出国しているなんて、まるで日本はアメリカの植民地です。しかも、その外国軍たるや日本を守るためにいるわけではありません。すべてはアメリカ本土の命令に従うだけです。
なんで、こんな巨大な外国軍が戦後70年以上も日本に居すわっているのか・・・。要するに、日本が至れり尽くせりの優遇をしているからです。例の「思いやり予算」です。日本の高速道路だって、アメリカ軍人はタダで走っているとのこと。ひどい話です。
諸外国では兵力を半減しているのに、日本は相変わらず、24万人の将兵をかかえています。そして、軍事予算が安倍政権になってから増え続け、今では5兆円を軽く超えています。例の北朝鮮ミサイルうち上げの「効果」です。
日本の高額支援のおかげで、アメリカ軍を配備するのに、日本はアメリカ国内まで含めて世界でもっとも安上がりの場所だ。
日本のアメリカ軍の駐留経費の負担率は74%をこえ、同盟国のうちでトップ。ドイツの32.6%、韓国の40%、イタリアの41%を大きく上回っている。
在日アメリカ軍は5万人で、海軍と海兵隊が、それぞれ2万人ずついる。
在韓アメリカ軍は3万人弱。
沖縄は、海兵隊の練度を退化させる。沖縄は利用できる訓練区域はとても少なく、スペースが小さい。地域の政治問題があるので、実弾砲弾射撃は許されていない。訓練の必要性をみたさないので、アメリカ本土で身につけた技術は徐々に退化してしまう。
アメリカ軍がアジアにいる結果、中国や北朝鮮の軍拡を推進してきたという側面は大きい。
横須賀を母港とする原子力空母、ジョージ・ワシントンは加圧水型軽水炉2基で動力をまかなっている。東京湾に原発が浮かんでいることのリスクは、きわめて大きい。
ロナルド・レーガンは3.11のあと「トモダチ作戦」に従事したが、多くの乗組員が被曝し、アメリカの裁判所で裁判が始まっている。
2001年(平成13年)の9.11のあと、根拠もなくイラク戦争に走ったアメリカは、国際法も無視した無法国家そのものだった。
日本にいるアメリカ軍が日米安保条約の取りきめにしたがって、日本を守るなんてことは絶対にありえないし、起こりえるはずもありません。
兵士の精神状態、士気を維持し、向上させるためには、使命感と特権意識を植えつける必要がある。なるほど、戦前、大坂で起きた「ゴー・ストップ事件」で、それが認められます。
トランプ大統領のSNSをみていると、アメリカこそ世界最大の「ならずもの国家」ではないかという気がしてなりません。あんな大統領が核のボタンを持っていることを考えると、北朝鮮なんて、まだかわいいと思えてしまうほどです。
そして、日本ではアベ首相がもっとも危険人物と考えるべきではないでしょうか・・・。
(2017年6月刊。880円+税)

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2017年9月16日

25年目の「ただいま」

インド

(霧山昴)
著者 サルー・ブライアリー 、 出版  静山社

映画「ライオン」の原作本です。私は涙を流しながら読みすすめめした。なにしろ、5歳の男の子が言葉もよく通じない喧騒の大都会カルカッタ(今はコルカタ)で、一人ぼっちで数週間、路上生活して生き延びたのです。そして警察に行き、施設に入れられてオーストラリアへ養子としてもらわれていったのでした。
この本を読むと、世の中には危険がたくさんあり、悪い人間(子どもを金もうけのために騙す奴)も多いけれど、善意の固まりのような人だって少なくないということを実感させられます。
25年たって、大人になってグーグルアースで記憶をたどってインドの生まれ故郷を探しあてたというのも驚異的ですが、なにより故郷に実母がそのままいて、息子の帰りを待ち続けていたというのには胸を打たれます。なにしろ25年間も息子が生きて帰ってくるというのを信じて動かなかったというのです。信じられませんよね。母の愛は偉大です。
5歳の男の子がカルカッタの路上で数週間も生きのびられたというのには、もともとこの男の子が貧乏な家庭で生まれ育っていたので、食うや食わずの生活に慣れていたということもあるようです。みるからに賢い顔をしています。とはいっても、インドでは学校に通っていません(5歳だからではなく、貧乏だから、です・・・)。
家に食べるものがないため、ときには母親に鍋をもたされて、近所の人たちの家をまわって、残り物を下さいとお願いして歩かなければいけなかった。夕方になれば家に戻って、手に入れたものをテーブルの上に出し、みんなで分けあった。いつも腹ペコだったが、それほど辛いとは感じていなかった。
やさしい母親がいて、二人の兄たちそして面倒をみるべき妹がいて、楽しい家庭だったのです。
家にはテレビもラジオもなく、本も新聞もなかった。単純で質素な生活だった。そんな5歳の男の子が突然1000キロも離れたカルカッタへ列車で運び込まれ、ひとり放り出されたのです。
カルカッタは、無秩序に広がる巨大都市。人口過密と公害、圧倒的な貧困で悪名高い。世界でもっとも恐ろしくて危険な都市の一つ。そこへ裸足、お金も何も持たない5歳の男の子が駅の大群衆にまぎれ込むのです。
警察官に見つかったら牢屋に入れられると思ったので、警察官や制服を着た人々は見つけられないようにした。地面に落ちた食べもののかけらを拾って生き延びた。
危険はあまりに多く、見抜くのは難しい。他人に対する猜疑心が強くなっていた。
世の中の人たちのほとんどは無関心であるか、悪者であるかのどちらかだ。同時に、たとえ滅多にいないとしても、純粋な気持ちで助けてくれる人がいる。
何に対しても注意深くあらねばならない。警戒すること、チャンスを逃さずつかむこと、その両方が必要だ。
インドでは、多くの子どもたちが性産業や奴隷労働、あるいは臓器摘出のために売り飛ばされている。その実数は誰にも分からない。
映画をみなかった人にも、ぜひ読んでほしい本です。5歳の男の子がどうやって危険な大都会のなかで生き延びていったのか、その心理状態を知ることは、日本の子どもたちに生きる力を教えてくれると確信します。
(2015年9月刊。1600円+税)

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2017年9月17日

大坂商人旅日記、薩陽紀行

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 高木 善助(東條 広光) 、 出版  鹿児島学術文化出版

江戸時代も末の文政・天保のころ、大阪と鹿児島を10年間のうちに6回も往復した大坂商人がいました。片道20日ほどもかけています。あちこち寄り道して、それを画張にスケッチして残したのです。
ときの薩摩藩主は島津重豪、そして調所広郷が財政改革にとりくんでいた当時です。従来の銀主(大名貸しの商人)たちに見放された薩摩藩は新しい銀主を求めて、著者たちを重用することにしたのでした。
大坂の豪商・平野屋五兵衛の分家筋にあたる著者は、そんなわけで薩摩の現地まで出かけたのでした。当時の大名貸しの平均的な利息は年利9.6%(月利0.8%)だったのに対して、年利2.4%におさえたというのです。
それでも、新しい銀主には、俸禄や資金運用でのメリットがあったのでしょう。
薩摩藩は、紙の原料である楮(こうぞ)の皮を年貢の一つとして領民に納めさせ、地域の紙漉(かみすき)職人に下げ渡して、紙を漉かせて、お金を払って藩に納めさせていた。
この紙をなるべく高く、大坂で売りさばいて収入を得ようというのです。
この著者の旅日記には、当然のことながら、その経済的な仕組みは書かれていません。
著者の描いた絵は島の目で見たような風景画です。よほどの観察眼がなければ描けません。ただ、残念なことに人物はほとんど描かれていません。
したがって、当時の人々の生活を知ることは難しいのですが、江戸時代の風景画としては、感度(構図も写真も)は良好です。
(2016年10月刊。1482円+税)

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2017年9月18日

「男はつらいよ」を旅する

社会

(霧山昴)
著者 川本 三郎 、 出版  新潮選書

1969年(昭和44年)夏、私が大学3年生のときにスタートした映画です。その年の1月に、東大安田講堂「攻防戦」があり、3月から授業が再開されました。
私の記憶では、東大の五月祭のとき、25番大教室でみたと思うのです。少なくとも翌年の五月祭です。大教室が学生の笑い声で揺れ、心の震える思いがしました。大学紛争(私たちは闘争と呼んでいました)で荒さんだ学内で、久しぶりに学生の笑いがはじけたのです。泣き笑いのある、ホロリとさせる人情話でもあります。
当初の観客は50万人。第8作(1971年)で100万人をこえ、第10作では200万人突破というのですから、そのすごさに声も出ません。
1年に、夏と正月に、律気に繰り返された寅さん映画の大半を私はみています(残念なことに全部ではありません)。
寅さん映画を「なまぬるい」と評する映画評論家がいるそうですが、私には理解できません。といっても、同世代の女性にも、「私はみないわ」と断言する人がいて驚きました。好きなら好きで、はっきりしてよ、私はどっちつかずのストーリーなんて見てられないのよ、というんです。なーるほどね。でも、その、うじうじしているところがまたいいんですけど・・・、と反論しようとして、思いとどまりました。
葛飾柴又には、最近行ってませんが、私も2回か3回は行ったことがあります。いかにも東京の下町風情だと思ったのですが、この本によると、柴又は決して下町ではなく、市中から遠く離れた「近所田舎」なのだそうです。つまり、郊外の行楽地なのです。下町ではないんですね・・・。
おいちゃんの店は、39作までは「とらや」、そのあと「くるまや」に変わっているとのこと。気がつきませんでした。現地に行くと、そっくりの草だんごを売っている店がありますよね。
さくらが博さんとアパートを出て、一戸建ての家に住むようになった家は、平成3年(1991年)、鉄道開通のときに撤去されて今はないそうです。
私は、弁護士になってまだ10年にもなっていないころ、NHKの朝の番組に出演し、おばちゃん(三崎千恵子)と話したことがあります。生放送(全国放送)でしたから緊張もしましたが、いい経験でした。
この本は、寅さん映画で登場している全国各地を著者が取材してまわってレポートしたものです。映画が撮影された当時にはあった線路や駅、そして商店街がなくなっていることが次々に伝えられ、物悲しくなってきます。
JR各社は金もうけ本位で、金持ち向けの七つ星とかナンタラには力を入れて、田舎のローカル線をどんどん廃線にしていきました。公共交通機関としての使命を投げ捨ててしまっていることに怒りを感じます。国労つぶしの負の遺産です。
先日の大雨で被害にあった日田市の小鹿田(おんだ)焼の里までロケ地だったなんて知りませんでした。第43作、「寅次郎の休日」です。後藤久美子が出ていて、宮崎美子も出演している映画なので、みているはずなのですが・・・。
寅さん映画48作の全作品に出演している女優がいるというのを初めて知りました。谷よしのという脇役専門の女優です(2006年に死去)。商人宿に寅が泊まって、「いらっしゃい」とお茶を運んでくる女中役です。「邪魔にならない。目立たない。まるで風景のように歩いたり、たたずんだりできる人」、というのは山田洋次監督のほめ言葉です。60年以上の女優生活で1000本の映画に出たというのですから、想像を絶します。
著者は、寅さんシリーズが長続きした理由のひとつに出演者の顔ぶれが固定していたことをあげています。おなじみの俳優が出演して、観客に、そこに家族がいるような安心感を与えた。この点は、私も、まったく同感です。そして、山田監督があきさせないマンネリズムから脱却し続けたという点に頭が下がります。
女優ナンバーワンは、なんといってもリリーさん(浅丘ルリ子)です。
「幸せにしてやる?大きなお世話だ。女が幸せになるには、男の力を借りなきゃいけないとでも思っているのかい?」
胸のすくタンカです。浅丘ルリ子は、これで女を上げた。
「寅さんロケ地ガイド」という本(DVDマガジン)があるそうですね。まだまだ日本全国には、行ったことのない、行ってみたいところがたくさんありますよね。それを知ることのできる本でもありました。いい本をありがとうございました。
(2017年5月刊。1400円+税)

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2017年9月19日

ぼくの村がゾウに襲われるわけ

アフリカ

(霧山昴)
著者 岩井 雪乃 、 出版  合同出版

アフリカのセレンゲティ国立公園というと、私が毎週欠かさず楽しみにみているNHK番組「ダーウィンが来た」に舞台としてよく登場して、なじみの場所です。アフリカのタンザニアにあります。ケニアの隣国です。
この近くの村では、野生のゾウに人間が殺され、作物を荒らされているというのです。ところが、ゾウを殺してはいけない。ゾウから殺されても国が補償することはない。
では、なぜ、ゾウが村人を襲うのか・・・。
著者は20年来、このタンザニアの村に出かけ、定点観測を続けています。
今では、早稲田大学の学生も同行しています。私も大学生だったら、連れていってほしいと思いました。
野生のゾウは、「やさしい動物」ではない。村にトウモロコシ畑があれば、巨大なからだで木の柵を押しつぶして入ってきて、根こそぎ食べてしまう。それも、1頭や2頭ではなく、ときには200頭もの大群で村を襲う。畑に入るのを邪魔する村人を踏みつぶし、あの大きくて長い鼻で、ふっ飛ばしてしまう。
ゾウが村に押し寄せてきても、村には銃も車もない。犬が吠えかかると、鼻をブルンと振りおろして、犬をたたき殺してしまう。ここでは犬は単なるペットではなく、野生動物たちからの危険を知らせる重要な役目を果たしている。
ゾウの走る速さは、時速40キロ。ヒトは、平均して時速24キロ(100メートルを15秒)。だから、ゾウから追いかけられると、ヒトは逃げ切れない。
タンザニアの人口は5000万人。日本の半分以下。ところが、年に3%ずつ増えている。ここが日本とは異なる。タンザニアには、130もの民族がいて、スワヒリ語を国語としている。このため国民全員が一体感をもっている。これが民族紛争を防いでいる。
小学校ではスワヒリ語で授業があるが、中学校以上の授業は英語。
小学校の就学率は94%。中学校になると3%に下がる。大学へはわずか3.6%。タンザニアでは、大学生は超エリート。
セレンゲティ国立公園に世界中からやって来る観光客は年間35万人。入園料は大人1日で7800円。タンザニア人だと大人500円。ところが、車のレンタル代やガソリン代が高いので、タンザニア人がセレンゲティ公園に入って観光することはほとんどない。
タンザニアでは、ゾウは200万円、ライオンは80万円でハンティングできる。
タンザニアは、お金は信用されていない。政治が不安定になったりすると、お金の価値が下がってしまう。家畜が食料であるとともに、大切な財産である。
ゾウは、食料を奪うだけでなく、人間の命も奪う。1年間に6人が殺された。ゾウは、怒ると人間を鼻ではたいて投げ飛ばし、とどめに足で踏みつける。ゾウを殺すことは許されていないので、村人はバケツをたたいて大きな音を出す、懐中電灯の光をあてるという、ささやかな抵抗しかない。
いまアフリカゾウは50万頭ほど。その半数がタンザニア、ボツワナ、ジンバブエの3ヶ国にいる。
1980年代の日本こそがゾウ減少の犯人だった。象牙の印鑑が大量につくられた。1984年に象牙が470トンも輸入された。これは、ゾウ1万頭分だった。
野生動物と人間の共存の難しさを考えさせる本でした。それにしても、著者はスワヒリ語が自由に話せるようです。これって、すばらしいことですよね。
(2017年7月刊。1400円+税)

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2017年9月20日

象徴天皇制の成立

社会

(霧山昴)
著者 茶谷 誠一 、 出版  NHKブックス

今の天皇は象徴天皇制をまさしく慎み深く実践していると思いますが、昭和天皇は戦前の延長線上の考えを最後まで捨て切れなかったようです。
昭和天皇は首相や大臣から内奏(ないそう)と称する政治報告を受け、感想と称して自分の考えを述べ、政治への影響力を保持しようとしていたのでした。驚くべき事実です。
昭和天皇は、「立憲君主」としての自覚のもと、安全保障問題と治安問題に対して関心を示し続け、積極的な姿勢をとっていく。昭和天皇の安保と治安への関心は、反共主義(対ソ脅威論)にもとづく政治信条に由来していた。
昭和天皇は、象徴天皇を実質的な国家元首として認識していたようだ。
昭和天皇は、憲法施行後も、首相や外相などの主要閣僚に対して必要に応じて政務報告を求めた。内奏は、大臣から相談を受ける権利にあたる。天皇からの指摘を受けて再考を迫られることがあった。激励する権利、警告を発する権利をも行使していた。
戦前・戦後の国家指導者層のなかには、天皇制の存続(皇統の維持)と昭和天皇の戦争責任問題を切り離し、前者を後者に優先させる者たちもいた。東久邇宮、高松宮、三笠宮らの皇族や重臣の近衛も天皇制の存続を最優先事項とし、場合によっては昭和天皇を退位させて戦争責任を一身に負ってもらい、皇統の維持をはかるという案を考慮していた。
これに対して昭和天皇は、幼い息子を天皇にしたときに摂政となるべき弟たちを信用できず、退位は出来ないと考えていた。
昭和天皇はアメリカ軍によって日本の安全保障を確保するというのが持論だった。その結果、在沖米軍による日本防衛という形式を考慮し、その意見をGHQ最高司令官のマッカーサーではなく、GHQ外交局長のシーボルトに伝えていた。
そして、天皇の「沖縄メッセージ」は、アメリカの意思決定に影響を与えた。
昭和天皇は、日本国内での共産党の言動にも敏感に反応していた。昭和天皇は、野坂参三の巧妙な宣伝街に不気味さを感じ、潜在的な脅威として警戒心を募らせていた。
昭和天皇と明仁天皇との間には、国民との接し方において違いがある。
昭和天皇は、戦前からの伝統にしたがい「上から」の仁慈の施しという側面が強い。明仁天皇は、国民とのより「対等」な視線での思いやりの施しがにじみ出ている。
昭和天皇は、国家の繁栄が前面に出てくるのに対し、明仁天皇は、国民の幸福を語る。真の意味での象徴天皇制の歴史は、まだ30年ほどでしかない。
今の天皇の生前退位をめぐって、象徴天皇とは何かを日本人はもっと大いに議論すべきだと思います。その点、この本は考えるべき手がかりをたくさん与えてくれます。一読してみて下さい。
(2017年5月刊。1600円+税)

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2017年9月21日

モンゴル帝国誕生

中国

(霧山昴)
著者 白石 典之 、 出版  講談社選書メチエ

チンギス・カンの実像を垣間見た思いのする本です。
なにしろ、チンギス・カンの宮殿跡が発掘され、その遺跡からチンギス・カンの国のなり立を推測しているので、具体的根拠があります。なかでも私が注目したのは、鉄との結びつきと気候変動の点です。
チンギス・カンの宮殿は、大草原の大天幕というのではなく、鉄と骨角でつくられた武器を用い、土とレンガでつくられた家に住む、そんな暮らしぶりだった。
チンギス・カンの生まれた年は1154年、1155年、1162年、1167年と定まっていない。没年は1227年と確定しているが、死因や死んだ場所には不明なところが多々ある。
チンギス・カンの「カン」は王という意味。息子で第二代君主からは「カアン」と名乗った。これは唯一無二の君主という意味で、皇帝にあたる。ではなぜチンギス・カンは、カアンを名乗らなかったのか・・・。
モンゴルに逆らわなければ、信教の自由と自治を認めた寛容さは、抵抗すれば容赦なく殺戮するという残虐さの裏返しでもあった。
アウラガ遺跡には、チンギスの宮殿、その死後に霊を祀った廟、武器をつくった工房跡が見つかった。
天幕の大きさは、とても100人入れないくらい。基礎に掘立柱と日干しレンガを使った質素な構造だった。鍛冶だけに特化した鉄工房も見つかった。
貴族の墓の副葬品には、馬具一式のほかは、鉄製武器、金メッキの青銅帯金具と銀椀が出土するくらいだ。
モンゴル高原は、際だって気候の厳しい地域だ。夏は最高40度、冬にはマイナス40度まで下がる。なんと、80度も上下する。
草原は意外にデリケートで、夏季の気温が1度上下しただけで、草の生育に大きな影響が出る。それが2度も上下すると、遊牧にダメージを与える。
樹木の年輪を利用してチンギスの時代の気候を探ると、やや温暖で湿潤な時期だった。
アウラガ遺跡の周辺では、農耕もおこなわれていた。そして、アウラガ遺跡の食物残渣からは、サケ科やコイ科の魚骨が少なからず出土した。チンギスのころは魚を食べない仏教が普及しておらず、魚をふつうに食べていたのだ。
モンゴル高原に暮らす人々の馬への愛着は強く深い。モンゴルでは3600万頭の家畜が飼育されているが、その6%の200万頭が馬だ。
モンゴルの男子は15歳になると、兵士として戦争にかり出された。歩兵ではなく、騎兵だ。チンギスの騎馬軍団の主力は、モウコ種、小柄の馬が中心だった。モウコ種は、体高が低いため、乗りやすく安定もいい。持久力にも優れている。耐塞性があって、餌の少ない状況に耐え抜く能力をもっている。大草原では、平時でも戦時でも、長距離移動が欠かせないので、このモウコ種が適役だ。
オルズ川の戦いの勝利で、「金」側の部将として頭角をあらわしたチンギスは、鉄資源の入手に大きな関心をはらった。チンギスが親金派に寝返り、そのうえ、ジュルキンからバヤン・オラーンを奪ったのは、「金」の鉄資源を手に入れ、それを大量に運ぶ交通路の確保のためだった。チンギスにとって、鉄は国づくりの基本だった。
鉄は鉄鉱石ではなく、製錬を経た加工しやすいインゴットとして運んだ。
小型で、軽量のインゴットをモンゴルの鉄器生産に導入したのは、チンギスのオリジナル。インゴットと簡便な鍛冶道具を携えると、戦いの前線でも武器の製作や防具の修繕が可能だった。これにより臨機応変で、機動・可動的な鉄生産が可能になった。チンギス当時の軍隊の進軍スピードは、1日20キロメートルほどだった。
こんなふうにチンギス・カンの時代の具体的な状況を紹介されると、イメージが一新されますよね。
厳しい気候のモンゴル現地に著者は何ヶ月間も滞在したこともあるそうですが、その労苦が、こうやって本にまとまり、居ながらにしてチンギス・カンのことを教えていただけるというのは、まことにありがたいことです。
(2017年7月刊。1650円+税)

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2017年9月22日

日中戦争全史(上)

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 笠原 十九司 、 出版  高文研

日本が戦前に中国大陸で何をしたのか、日本人は忘れてはならないことだと思います。
私の父も中国戦線にかり出され、病気のため内地送還になって終戦を迎えて私が生まれました。その父が中国大陸で何をしていたのか、改めて考えさせられました。
日中戦争は、徴兵制によって召集された日本の成年男子が中国戦場に駆り出され、中国の軍民を大量殺害した侵略戦争であった。日本国内では人に危害を与えたこともない善良な市民であった日本兵を中国戦場においては殺人者に仕立てる巧妙な日本軍隊の仕組みがあった。
いったい、どんな巧妙な仕掛けがあったというのでしょうか・・・。
戦争とは、国家あるいは民族の名において、敵とみなした相手国の兵士さらには民衆を殺害する、それも大規模、大量に殺害すること。ところが、日本人の多くには、戦争とは、人を殺すこと、それも大量殺人をする行為であるという認識や想像力が欠けている。そのため、膨大な日本軍が中国大陸において長期にわたって膨大な中国兵と民衆を殺害した戦争であったという本質を知らないでいる。
その根本的な理由は、日中戦争の戦場は、すべて中国であり、日本兵が中国兵や民衆を殺害する場面を目撃していないことによる。また、中国戦線から帰還した日本兵の多くが日本国内において中国大陸で自らのした殺害体験を語らなかったことによる。
それは、フランスやドイツのように国民が身近に殺し、殺される現場を目撃したのとは決定的に異なっています。
日本兵の新兵教育では、「刺突訓練」と呼ばれた、無抵抗な捕虜や民間人の両手をしばって杭にしばりつけ、それを三八式歩兵銃の銃剣で刺殺させた。この刺突を拒否した新兵はどうなるか。すさまじいリンチにあう。上官から、また新兵仲間からリンチの連続であった。ほぼ100%の兵士が目をつぶって最初の殺人を体験した。
私の父も病気になる前には前線で戦ったことがあり、「戦争ちゃ、えすかばい」と私に語ってくれました。「えすか」(怖い)というのは、自らも「刺突」したことも含んでいたんじゃないかと今になって私は思います。
朝鮮人を「鮮人」「チョン」と呼び、中国人を「シナ人」「チャン」などと蔑称して見下す差別・蔑視意識が日本の朝鮮植民地支配と、中国侵略戦争に加担していく日本人の国民意識を助長していた。
ひところ「バカチョン」カメラと言っていたことがありました。これも差別語を前提していたことを知ってから使われなくなりました。「ジャップ」と同じですよね。
映画「猿の惑星」の「猿」は日本人をイメージしているというのを聞いて、差別意識は諸国に普遍的に存在していることを知りました。それでもダメなものはダメなのです。
張作霖爆殺事件が起きたのは1928年(昭和3年)6月4日のこと。日本軍による謀略作戦であることは、当初から明らかだった。これを知った27歳の昭和天皇は怒って首相の田中義一に辞表を出せと迫った。そのショックから田中義一は辞職して2ヶ月後には狭心症で死んだ。
同じ1928年に治安維持法が強化され、日本は戦争「前史」から戦争「前夜」に転換した。捕虜の待遇に関するジュネーブ条約を日本は調印したものの、軍部の反対にあって批准しなかった。日本の軍部が反対したのは、日本軍兵士が捕虜は保護されることを知ったら、すすんで投降して捕虜になるのではないかと心配したからだった。
「捕虜をつくるな」という作戦方針は、日本兵の自決・玉砕となって捕虜となるなということの反面で、投降した中国人軍将兵を虐殺することになった。これこそ天皇の軍隊の一枚のコインの両面である。
南京戦に至る日本軍は補給を無視した強行軍を余儀なくされていた。
日本軍は現地調達主義をとった。その現実は、通過する地域の住民から食糧を奪って食べることであった。これは、戦時国際法に違反した略奪行為だった。
上巻だけで300頁あまりある大部な本ですが、日本人が、戦前、何をしていたのかを直視するための絶好のテキストだと思いました。
この本は、戦前の実際を知るうえで必須不可欠だと思います。とりわけ若い皆さんに一読を強く強くおすすめします。
(2017年7月刊。2300円+税)

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2017年9月23日

商売は地域とともに

社会

(霧山昴)
著者 NPO法人神田学会 、 出版  東京堂出版

神田百年企業の足跡、というサブタイトルのついた本です。
私は神田の古本屋街を年に何回かは歩いています。送られてくる古書のカタログも楽しみの一つです。
そんな神田には創業100年をこす社会や商店がいくつもあるというのです。どんな会社なのか、100年も生き残れる秘訣は何なのか、それを知りたくて読んでみました。
冒頭に、世界最古企業ベスト10が紹介されていて、あっと驚きます。なんとなんと、ベスト10のうち7社までが日本の起業であり、トップからベスト6位まで全部が日本の企業なのです。これって、信じられますか・・・。トップ(1位)は、あの社寺建築の奈良の金鋼組です。2、3、4位は、旅館なのです。2位は山梨の西山温泉慶雲館。ギネスが認定する世界最古の旅館だそうです。3位は兵庫県城崎温泉の「古まん」という旅館、4位は、石川県粟津温泉の法師旅館です。す、すごいですね。そんな古い、古い、伝統ある旅館が連綿と生き続けているとは・・・。
ものづくりの企業が日本には多いから老舗企業が多いとのこと。サービスを売る商業組織では、中世にまでさかのぼるのはまず存在しない。
神田は、日本橋に次いで老舗が多い。創業100年をこえる老舗が神田には170軒もある。もっとも古いのは慶長元年(1596年)創業の酒店、豊島屋本店。白酒の製造販売で有名なこの店は関ヶ原の戦い(1600年)より前の創業なのです。つまりは、江戸時代より前からということになります。そして、宇津救命丸も慶長2年(1597年)です。はじめは、下野(しもつけ)の国でしたが、江戸に出てきて、神田の地に根をおろしました。
現在の神田は「住むまち」ではなくなりつつある。その象徴が浴場の減少。今は3店のみ。理容室、美容室、クリーニング店も神田から少なくなりつつある。
神田っ子の特徴は、見栄とやせ我慢。なるほど、江戸っ子ですね・・・。
神田に中華料理店が多いのは、中国から日本へやって来た留学生が多かったことによる。明治37年には日本への留学生は1000人をこえ、明治後期には5万人もの留学生が日本にいた。
揚子江菜館の五目涼拌麺(ごもくひやしそば)が写真つきで紹介されています。ぜひ食べてみたいです。ぬきすし総本店の笹巻鮨は美味しそうですね。いちど食べてみましょう。
神田の古書街には160軒以上の古書店があり、世界最大。そこで売られている本は1千万冊だといいます。
ちなみに、私の東京の定宿の一つは山の上ホテルです。すぐ近くのイタリアン・レストランが美味しくて、最近の行きつけの店です。
神田の歴史の一端を知ることが出来ました。
(2017年5月刊。2800円+税)

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2017年9月24日

日本再生は生産性向上しかない

社会


(霧山昴)
著者 デービッド・アトキンソン 、 出版  飛鳥新社

著者の提言には思わず首を傾けてしまうものが多々あります。たとえば、日本にはヨーロッパの大富豪が泊まるような超高級ホテルがない。1泊なんと500万円とか600万円という部屋をもつホテルがないのを著者は問題にしているのです。ええっ、これ以上、日本を超格差社会にしようというのかいな・・・、そう思ってしまいました。
またカジノ主体のIRについても、著者は積極的に導入せよと断言しています。カジノとパチンコを比べるのは、懐石料理の店と牛丼の立喰い店を比較するようなもので、サービスも客層も全然ちがうのだから、比較すること自体が間違いだとします。
著者は、海外のチョー大金持ちをもっと日本に来させるようにすべきだ、それが日本の観光立国につながるというのです。本当でしょうか・・・。日本国内に沖縄の米軍基地のような治外法権の地域をつくるだけのような気がしてなりません。
著者の指摘に納得できない内容ばかりなら、このコーナーで私は紹介しません。実は、なるほど、そうだよね、という点がいくつもあるので、こうやって紹介したいのです。
著者の会社は、文化財保護に関わっていますが、そこで大切なことは、安定的な技術の伝承だというのです。そのときの修理も大事だけど、30年後、50年後の修理も大事なので、ベテラン職員は頼もしいけれど、長く見てくれる若い職人が来てくれると、それもうれしいと言います。なるほど、そういうことなんですね・・・。
日本に来た外国人が日本食をみな好むとは限らないという指摘も、なるほどと思いました。日本人だって、いつも和食を食べているわけではありません。
和食は、みな同じような味だし、満腹できないというのです。
高級な寿司店で、マグロとサーモンだけをひたすら食べている外国人の例も紹介されています。日本人の私からすると信じられない話ですが、そこはやはり食習慣の違いなのでしょうね。
著者は、日本人の心の狭さが目立っているとも指摘しています。これって、ヘイトスピーチの横行に端的にあらわれていますよね。経済状況が悪くなると、心が貧しく、狭くなるのでしょう。これも、例の「アベノミクス」なるものの「成果」(結果)です。貧すれば、鈍す、なのです。
日本は、かつては笑顔の国だったのに、今では、すっかり「暗い印象の国」になってしまったという指摘には、私も正直いって、ドキリとしてしまいました。
日本人は、「日本はすべてにおいて世界のトップ」という思い込みがあるため、日本に欠けているところがあることを認めようとしない。実績を伴っていない、現実認識が欠けている。
これは本当に耳の痛い指摘です。日本が世界で一番だなんて、ネトウヨの世界でしょうね。やはり、謙虚に反省すべきです。どこかの国の首相のようね、うわべだけのポーズではなくて・・・。
(2017年6月刊。1296円+税)

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2017年9月25日

にっぽんスズメしぐさ

生物(鳥)

(霧山昴)
著者 中野 さとる 、 出版  カンゼン

夕方になると、駅前の街路樹でスズメの集団がかまびすしいですよね。大勢のスズメたちが、あっちうろうろ、こっちうろうろして、鳴きかわしています。いったいぜんたい、何を話しているのでしょうか・・・。私は、ぜひぜひ、その会話の中味を知りたいです。
この本は、日本のスズメの生態を写真で紹介するシリーズ第二作。
スズメは、3月、桜の花が咲くころ、メスは卵を産みはじめる。産んだ卵をすぐに温めるのではなく、すべての卵を産み終えてから抱卵をはじめる。これは産卵順で成長に差が出ないように、卵のかえるタイミングをそろえるため。卵のほうも、温められてから成長スイッチが入るようになっている。
抱卵して2週間ほどでヒナが誕生する。そして、親は毎日せっせとエサを運ぶ。1日300回、2週間で4200回、親はエサをヒナに運ぶ。そして、ヒナのフンを外へ放り出して、巣の中を清潔にたもつ。
巣だってしばらくの間も、エサをとるのが苦手な幼鳥は親鳥がエサを与えて、ケアする。
その後、親は次の子育てに入り、8月から9月にかけて2回、多いときには3回も子育てする。そんなにヒナの子育てしたら、スズメが爆発的に増えるはず。ところが、現実には、そんなにスズメは増えていない。なぜか・・・。
野生のスズメの平均寿命は1年3ヶ月。自然のなかでは仔スズメは、ほとんどが生きのびれない。生き残った、ほんの一部が子孫を担うことで命がつながっている。
カラスやツミがスズメのヒナを襲う。
亡くなった作家の半村良は、スズメが大好きで、庭に来る100羽のスズメの全部に名前をつけて個体識別していた。
山の中で道に迷ったらスズメを探したらよい。なぜか・・・。日本のスズメは、人の暮らしの周囲にしかいないので、山の中でスズメに会ったら、人家が近くにあることを意味しているからだ・・・。
スズメは、水浴びと砂浴びの両方をやる。そして、不思議なことに水浴びのほうが先。そのあと砂浴びをする。
スズメの生態をよくとらえた写真集です。
(2017年5月刊。1400円+税)

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2017年9月26日

武士道の精神史

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 笠谷 和比古 、 出版  ちくま新書

頭がクラクラッとするほど面白い本です。ええっ、そうだったの・・・、と何回も心の中で叫んでしまいました。
武士道って、簡単に死ねばいいっていうものじゃないんです。必要なら主君にタテつかなければいけないし、みんなで主君を座敷牢に閉じ込めないといけないのです。その仕返しを恐れて何もしないというのは許されないのが武士道。
庶民にまで武士道は広まり、仇討ちが広まったのは江戸中期以降で、庶民までも実践していたというのです。
さらに、鹿児島での幕末の薩英戦争はイギリス艦隊の大勝利とばかり思っていましたが、違うというのです。鹿児島市街はなるほど焼け野原になったけれど、その前にイギリス艦隊は旗艦の艦長が薩軍の新式大砲の砲撃で戦死させられ、慌てて鹿児島湾から逃げ出したというのです。それは、フランス製のペキサンス砲のこと。着弾したら炸裂する強力な大砲を薩摩藩は備えていました。
230頁あまりの新書ですが、私にとっては驚きの連続というほかない内容でした。
一生懸命は、本当は一所懸命。一つの所のために命を懸けてがんばるという意味。一つの所とは「所領」のこと。父祖が命を懸けて獲得してきた所領は、命を懸けても守り抜くという意味。
『甲陽軍艦』の武士道は、戦場における勇猛果敢な振る舞い、槍働きの巧妙、卑怯未練なことなく出処進退を見事に貫くこと。そして、君主に対する忠誠。
『可笑記』では、命を惜しまないことばかりが有能な侍ではないと明言している。むしろ、人間としての「徳義」こそが重要であり、それを磨き、極着することが武士の心得だ。
『葉隠』には、ただ黙って主君に従うことが忠義ではないとしている。むしろ、即座に諫言を呈する気概と能力のある者こそが真の侍なのだ。つまり、主君に対する忠義にもグレードがある。初級とは別に高いレベルでの忠義というものがある。
『葉隠』の武士道は死ぬことが目的でもないし、死が武士の究極のありようでもない。いかにすれば、武士として理想的な「生」が得られるかが追究されている。
『葉隠』のもう一つ重要なテーマが「自由」ということ。「死の武士道」どころか、「自由の武士道」なのである。
次は米沢藩の藩主だった上杉鷹山の言葉です。
「国家人民の為に立たる君にして、君のために立たる人民には無之(これなく)候(そうろう)」
これって、まるでアメリカの人権宣言みたいですよね、たしかに・・・。
最後に、徳川時代の日本人の体格が紹介されています。徳川時代の成人男性の平均身長は150センチほど。いまの小学5年生の平均身長と同じくらい。武士はやせて貧相な人ばかりで、栄養のいい商人のほうは顔も体もふっくらしていた。
徳川綱吉は身長120センチほどで、強い劣等感が専制政治に走ったとみられている。
八代将軍の吉宗は身長180センチ。母が百姓の娘だったからではないか、というのです。いやはや、本当に世の中は知らないことだらけですね・・・。
この本を読むと、それを実感して、胸がワクワクしてきます。あなたも、どうぞご一読ください。
(2017年5月刊。800円+税)

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2017年9月27日

他人をバカにしたがる男たち

社会

(霧山昴)
著者 河合 薫 、 出版  日経プレミア新書

自戒をこめて謹んで読んだ新書です。
日本企業に「ジジイの壁」は不滅だ。ジジイは肩書きや属性で人を見る。自分より上なのか、下なのか、で判断する。
自分の知っていることがすべてと信じ込んでいるので、どこの馬の骨か分からない人をバカにする。相手への敬意もへったくれもない。
ジジイとは、自分の保身のためだけを考えている人のこと。組織内で権力をもち、その権力を組織のためではなく、自分のために使う。会社のため、キミのためというウソを自分のためにつき、自己の正当化に長けている。
だから、50代でもジジイではない男性はいるし、女性や若い人の中にもジジイはいる。
社内的に残念な人ほど、社外では偉そうにふるまう。それは自尊心を守るため。
日本のサラリーマン社会は、見て見ないふり症候群の輩(やから)であふれている。人を見下したり、バカにしたり、攻撃する行為の裏側には、他者から評価されたい、認められたいという自己愛が存在している。
次の3つの条件を満たす人が会社では出世する。一に、失敗もしないけれど、成功もしない。二に、よく動くけど、勝手には動かない。三は、下には意見するけど、上には意見しない。
イギリスでの調査によると、階層の最下段にいる公務員は、トップにいる人々と比べて死亡率が4倍も高い。トップが長生きするのは、彼らは裁量権をもっているから。責任感や几帳面さはマイナスに作用する。
日本では管理職の自殺率が5年で7割も増加した。管理職の自殺率は1980年から2005年の25年内で271%も増えた。
かつての日本企業の強みは、従業員が私は会社から大切にされていると思える関係性があったことによる。ところが、それが薄れている。多くの企業が危機に直面しているのは、成果主義とか人件費切り捨て策で非正規ばかりに頼ってしまう企業体質からなのだと思います。
それにしても、つい昔の自慢話をしてしまうというのは要注意なんですよね。本人としては自分の経験を教訓として伝えたいという気持ちがあるのですが・・・。難しいところです。
(2017年8月刊。850円+税)

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2017年9月28日

捜査と弁護

司法

(霧山昴)
著者 佐藤 博史・指宿 信ほか 、 出版  岩波書店

私は今も国選弁護人は引き受けていますが、幸か不幸か裁判員裁判事件は担当していません。殺人事件の被疑者弁護人になったので覚悟していたら、罪名が嘱託殺人になって一般の刑事裁判で終わりました。
本書はシリーズ刑事司法を考える第2巻として発刊されたものです。科学的捜査を論じたところが私の印象に残りました。ここではDNA鑑定の危なさと、ポリグラフ検査の信用性について紹介します。
DNA鑑定を絶対視すべきではないと強調されています。DNA鑑定といえども、単なる検査方法の一つであって、対象試料としての物質の限界と検出方法の限界にとって不確定性を含んでいる。足利事件でも菅谷さんを有罪にするためにDNA鑑定が使われている。このとき、DNA型を判定するための検出技術が未完成だったことによる。最初の鑑定の誤りに早く気づいて撤回されていたら、菅谷氏は17年半に及ぶ刑務所生活は避けられていた。
ところが、足利事件を解決するという警察の威信をかけた大事件だったために、DNA鑑定によって解決できたと宣伝するために警察は強引に「解決」してしまった。
今でもDNA鑑定は無から有を生む、魔法のような方法ではない。
現在、大学の法医学教室の多くは、捜査サイド(すなわち警察の味方)に立って、それを支持することを本分としている。これは警察の信頼がなければ司法解剖をふくめて仕事が出来ないという現実から来ている。司法が正当に機能するためには、鑑定そのものの中立性を維持できるような国家制度を確立すべきだ。なるほど、なるほどと思いました。
ポリグラフ検査(CQT)は、正確性の問題などから、減殺では、ほとんど使われていない。
しかし、CITと呼ばれる隠匿情報テスト(犯行知識検査。CIT)のほうは、日本の警察が今もよく使っている。CITは、CQTと違って、比較的明確なロジックにもとづくものであるため、明確な質問表を複数個きちんと作成できたら、犯人なのかそうでないかを正確に判定できる。
うむむ・・・、本当にそうなんでしょうか・・・。そんなに違いのあるものなのでしょうか・・・。ちょっと信じがたいところです。
今のポリグラフ検査によれば、犯人でない人間を「犯人である」と誤って判定する率は0.4%でしかなく、きわめて小さい。捜査側の立場に立った論述だからとも言えますが、果たしてポリグラフ検査の信用性って、そんなに高まったのでしょうか・・・。
刑事弁護の実務を深めるのに役立つシリーズ第2弾の本です。
(2017年8月刊。3600円+税)

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2017年9月29日

わたくしは日本国憲法です

司法

(霧山昴)
著者 鈴木 篤 、 出版  朗文堂

医療分野で名高い弁護士ですが、憲法問題にも取り組んでいるのを初めて知りました。大学時代は私と同じ川崎セツルメントに所属していました。私の3年先輩になりますので、活動時期は重なっていません。
日本国憲法になり切って著者は訴えます。たしかにアメリカ軍による押しつけという側面があったことは事実だ。だからといって、そのことは憲法のなかみがもっている価値とは別の問題だ。憲法のもっている中身は決して否定されるようなものではない。むしろ問題なのは、押しつけであったために、憲法のもっている本当の価値が、その後のこの国の生活や政治のなかで十分に理解されず、いかされてこなかったことにこそある。私も本当にそう思います。
今の日本という国の現実は、わたくしが「こうありたい」、「こうあるべきだ」と言っていることとは大きくかけ離れている。
わたくしが番人として、きちんとその役割を果たすためには、国民がわたくしをちゃんと理解してくれて、わたくしを活かすために行動してくれることが大前提となる。
多数決を民主主義の原則だというのは根本的に間違っている。本当は、多数決は民主主義の本来の原則を守り抜いた後の問題解決の方法として、民主主義とは異質な原則を例外的に制度として取り込んだもの。つまり、多数決は、民主主義の限界を示すもの。
国民の4割ほどの支持しか受けていない政党が、小選挙区制と議会での多数決制度によって、文字どおり独裁的な権力を行使することができるような仕組みになっている。だから、わたくしから言わせれば、現在この国の権力を握っている者たちは、「国民の信託」をかすめとり、国民の代表を僭称(せんしょう)しているに過ぎない。だからこそ、この人たちは、国民が自分たちの意思を直接政治に反映させようとして直接請求や住民投票などの要求をすると、決まって排斥する立場に立つ。
集団的自衛権の行使は、日本に対する攻撃とか、日本を守るというものでは一切ない。日本の同盟国、つまり外国に対する攻撃に対して日本がそれに参加し応戦して反撃すること。つまり、日本が他国同士の戦争に加わる、巻き込まれるということ。これが日本国憲法に違反することは明らかです。
「どうせ自分が何を言っても自分の意見なんか誰も取りあげてくれない。何も変わらない」このようなあきらめの気持ちを多くの日本人がもっています。それが投票率の低下となってあらわれています。
既成事実への屈服、権限への逃避を特徴とし、成り行きに身をまかせ、どうしてこうなったには責任を負わないし、追及しようともしない。そんな精神構造に多くの日本人がなっている。しかし、そうではなくて、納得できないこと、ガマンできないことに対しては、はっきりモノを言う、声を上げることが大切です。著者は繰り返し、そのことを強調しています。私もまったく同感です。
4000部も売れたとのことですが、アベ流のインチキな「加憲」が提案されようとしている今日、そもそも憲法とは何のためにあるのかを分かりやすく問題提起した貴重な憲法に関する本です。ご一読を強くおすすめします。とくに、中学・高校生の子をもつ親には必読です。
(2014年10月刊。1200円+税)

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2017年9月30日

倍賞千恵子の現場

社会

(霧山昴)
著者 倍賞 千恵子 、 出版  PHP新書

「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」、「家族」「故郷」・・・みんな、すごくいい映画でした。倍賞千恵子が出てくると、何かしらほっとして安心してしまうのです。不思議な女優さんです。美人だと思いますが、決して絶世の美女ではない、なんとなく声かけやすい美女です。
渥美清っていう役者は、山田洋次監督の書いた台本をもうひとひねりしていたのですね。そして、それを山田監督が取り入れて、台本を修正する。それが号外として登場するのだそうです。
渥美清は衣装に着換えるとき、いつもと同じ担当者と軽口をたたきながらしていた。それが、寅さんになるときに必要な儀式だった。なるほど、ですね。ただ衣装を着たらいいというものではないのです。やはり、寅さんそのものになり切っていくための儀式があったのでした。
渥美清は、自分の私生活を最後まで語らなかった。代官山に家族とは別のマンションを構えていたが、それも知る人ぞ知る私生活の秘密だった。
精神をいつも鉛筆の先のように尖らせておく。だから一人でいたいんだよ。
「役者は役名でよばれるうちが花だよ」
渥美清が著者に言った言葉です。著者が周囲から「さくらさん」と呼ばれることをうとましく思っていると語ったときの反応でした。
渥美清は、余計なことをせず、必要なときに必要なことだけをする。そんな人間だった。「男はつらいよ」第一作は1969年に第一作でした。そのとき渥美清は41歳、著者は26歳でした。それ以来、26年間にわたって、兄と妹を一緒に演じたのです。すごいですね。
そして、渥美清は今から20年も前の1996年8月4日に、68歳で亡くなりました。最終作(1995年)の「寅次郎の花」では、おいちゃんの家の居間で横になっています。きっと体がきつかったのでしょう・・・。
著者は山田洋次監督について、一生懸命なあまり、すごくせっかちになったり、非常識だったり、ちぐはぐだったりすると評しています。そこが面白いとも言うのです。
山田監督は、自分の意図したイメージのほうへ強引に芝居をもっていくのではなく、役者のもっているいろいろな引き出しを開けて、「台本とは、ここの部分で合わなかったから、今度は違う引き出しを開けてみよう」と台本を手直ししたり、場合によっては、カメラの位置を変えたりする。
やっぱり映画は、お金を払って、映画館で見なくては・・・。照明がずっと落ちたあと、目の前いっぱいに広がる映像。劇場空間を満たす音。そして客席から一斉にわき起こる笑い声、すすり泣き。
本当にそうなんです。子どものころよくみていた西部劇の初めに出てくる大草原、そこにあらわれるヒーローのガンマン・・・。格好よかったですね、しびれましたね。いい本でした。渥美清の雄姿をまた映画でみたいものです。
(2017年7月刊。920円+税)

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