弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年9月20日

象徴天皇制の成立

社会

(霧山昴)
著者 茶谷 誠一 、 出版  NHKブックス

今の天皇は象徴天皇制をまさしく慎み深く実践していると思いますが、昭和天皇は戦前の延長線上の考えを最後まで捨て切れなかったようです。
昭和天皇は首相や大臣から内奏(ないそう)と称する政治報告を受け、感想と称して自分の考えを述べ、政治への影響力を保持しようとしていたのでした。驚くべき事実です。
昭和天皇は、「立憲君主」としての自覚のもと、安全保障問題と治安問題に対して関心を示し続け、積極的な姿勢をとっていく。昭和天皇の安保と治安への関心は、反共主義(対ソ脅威論)にもとづく政治信条に由来していた。
昭和天皇は、象徴天皇を実質的な国家元首として認識していたようだ。
昭和天皇は、憲法施行後も、首相や外相などの主要閣僚に対して必要に応じて政務報告を求めた。内奏は、大臣から相談を受ける権利にあたる。天皇からの指摘を受けて再考を迫られることがあった。激励する権利、警告を発する権利をも行使していた。
戦前・戦後の国家指導者層のなかには、天皇制の存続(皇統の維持)と昭和天皇の戦争責任問題を切り離し、前者を後者に優先させる者たちもいた。東久邇宮、高松宮、三笠宮らの皇族や重臣の近衛も天皇制の存続を最優先事項とし、場合によっては昭和天皇を退位させて戦争責任を一身に負ってもらい、皇統の維持をはかるという案を考慮していた。
これに対して昭和天皇は、幼い息子を天皇にしたときに摂政となるべき弟たちを信用できず、退位は出来ないと考えていた。
昭和天皇はアメリカ軍によって日本の安全保障を確保するというのが持論だった。その結果、在沖米軍による日本防衛という形式を考慮し、その意見をGHQ最高司令官のマッカーサーではなく、GHQ外交局長のシーボルトに伝えていた。
そして、天皇の「沖縄メッセージ」は、アメリカの意思決定に影響を与えた。
昭和天皇は、日本国内での共産党の言動にも敏感に反応していた。昭和天皇は、野坂参三の巧妙な宣伝街に不気味さを感じ、潜在的な脅威として警戒心を募らせていた。
昭和天皇と明仁天皇との間には、国民との接し方において違いがある。
昭和天皇は、戦前からの伝統にしたがい「上から」の仁慈の施しという側面が強い。明仁天皇は、国民とのより「対等」な視線での思いやりの施しがにじみ出ている。
昭和天皇は、国家の繁栄が前面に出てくるのに対し、明仁天皇は、国民の幸福を語る。真の意味での象徴天皇制の歴史は、まだ30年ほどでしかない。
今の天皇の生前退位をめぐって、象徴天皇とは何かを日本人はもっと大いに議論すべきだと思います。その点、この本は考えるべき手がかりをたくさん与えてくれます。一読してみて下さい。
(2017年5月刊。1600円+税)

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