弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年4月 1日

ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで

社会

(霧山昴)
著者 真梨 幸子 、 出版  幻冬舎

デパート外商部で働く人々を主人公とする連続小説です。主人公が次々に入れ換わりますので感情移入は難しいのですが、多面的に多角的にデパートの内外で働く(うごめく)人々を描いていて、読みはじめたら最後まで目が離せませんでした。つまり、私の得意とする読み飛ばしは出来なかったということです。
ただし、しっとりとした情緒とか雰囲気を味わうというものでもありません。この人たちの人間関係は次にどう展開していくのだろうかと、関心が先へ先へ進んでいくのです。
いろんな略語が出てきます。そのひとつがトイチです。トイチっていったら、ヤミ金。10日で1割の高利金融のことかと思うと、さにあらず。トイチとは、上得意客をさす。上という漢字をバラすと、カタカナのトと漢数字の一になることから来るコトバ。
デパートの外商とは、店内の売場ではなく、直接、顧客のところへ出かけて行って販売すること。外商という部門は、もともと呉服屋のご用聞き制度がルーツ。店舗では、店員と客は、その場だけの関係だが、外商と顧客の関係は、それこそ一生もので、「ゆりかご」から「墓」までお世話するのが外商の仕事。ある意味で、執事または秘書とも言えるし、顧客の話し相手になったり、日々の相談に乗ったりするのも外商の仕事なので、コンパニオンとも言える。
外商は究極の営業職だ。なので、誰かれ構わず愛想を振りまいていては、いざというときにエネルギー不足になる。エネルギーは、大切なお客様のためにとっておかなければならない。だから、優秀な外商は、めったやたらに笑うことはないし、口数も少ない。
なるほど、そういう仕事なんだと納得させてくれるショート・ストーリーが次々に展開していきます。そして、そこに現代社会の怖い落とし穴まであるというわけです。
でも、デパート自体が落ち目ですよね。今は、どうなんでしょうか。今後も生きのびられるものなのでしょうか・・・。外商を支えてきた超富豪は日本でも増加する一方なので、恐らく生きのびてはいくのでしょうが・・・。
軽い読み物とは思えない、ホラーストーリーのおもむきもある本でした。

(2018年1月刊。1400円+税)

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2018年4月 2日

読むパンダ

生物

(霧山昴)
著者 黒柳 徹子・日本ペンクラブ 、 出版  白水社

はるか昔、上野動物園に来たばかりのパンダを見に行ったことがあります。遠くのほうにじっとしていて、ガッカリでした。少し前に和歌山(南紀白浜)のアドベンチャーワールドに行きましたが、ここは素晴らしいです。わざわざ行った甲斐がありました。パンダを真近で、じっくり観察し、楽しむことができます。ここでは中国と直結してパンダの繁殖に貢献していますが、すごいことだと思います。
この本は、日本にパンダが初めてやってきたときの苦労話から、つい先日のパンダの赤ちゃん誕生まで縦横無尽にパンダを語っています。写真もそれなりにあって楽しい、パンダ大好き人間にはたまらない本です。
パンダなんて、「女子供」がキャーキャー騒いでいるだけじゃないかという偏見をもっている人には、いちどパンダの実物をじっくり見てほしいと思います。もとは熊なのに竹を主食としてあの愛くるしい丸っこい形と白黒パンダ模様はたまりません。そして、動作だって、人間の赤ちゃんか幼児みたいに愛嬌たっぷりなので、見飽きることがありません。誰が、いったい、こんな形と色を考えたのでしょうね。
パンダは木のぼりが上手ですが、それでも落っこちます。ところが、木から落ちても平気な身体をしているのです。
パンダの身体は甘酸っぱい匂い、芽香がする。不快感を与えない。同じことは、パンダの糞についても言える。これは、要するにパンダの主食が竹(笹)によるものでしょうね。肉食だったら、猫の糞のように不快な臭いのはずです。
パンダは鳴く。クンクン、クンクン、クゥンクン。メスがオスを交尾相手として受け入れるときには「メエエエ」と羊鳴きをする。相性が悪いと、「ワン」と犬鳴きをして「近寄らないで」と警告する。
パンダも人間と同じで好き嫌いははっきりしているのです。ですから、パンダの繁殖は難しいのです。それでも日本の動物園で赤ちゃんを育てるのに成功しているのですから、すごいですよね。
パンダファンには絶対おすすめの一冊です。
(2018年3月刊。1400円+税)

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2018年4月 3日

昭和解体

社会

(霧山昴)
著者 牧 久、 出版  講談社

国鉄の分割・民営化はどうやって実現したのかを30年たって真相をたどった本です。読みすすめむにつれて、どんどん暗い気分になっていき、心が沈んでいきました。日本の民主主義は、こうやって破壊されていったんだな、それを思い知られていく本でもあるのです。
国鉄の分割・民営化を実現したことを自分たちの手柄としてトクトクと語る人々がいます。それは今のJR各社のトップにつらなる人たちです。でも、どうでしょう。JR九州の3月ダイヤ改正は見るも無残です。そこには、公共交通機関を支えているという理念はカケラもなく、純然たる民間会社として不採算部門(列車)を切り捨てて何が悪いのかという開き直った、むき出しの資本の論理があるだけです。過疎地に住む学生や年寄りといった人々の利便など、まったく視野のうちにありません。すべてはもうけ本位。いまJR各社は豪華なホテルを建て、ドラッグストアーを展開し、海外進出にいそしんでいます。
私が弁護士になって2年目の1975年(昭和50年)11月に1週間のスト権ストが打ち抜かれました。日本で最後のストライキと言えるでしょう。この闘争の敗北によってストライキが死語になり、日本の労働運動は衰退してしまいました。
労働者が労働基本権を主張すると、「変なヤツ」と見られる風潮が広がり、それは「カローシ」という国際的に通用する現象につながってしまいました。そしてやがて、「自己責任」というコトバが世の中にあふれました。さらに、貧乏なのは本人の努力が足りないからで、同情に価しないという冷たい心情をもつ人が増えてしまいました。
労働組合が頼りにならなくなり、あてにされないなかで、連帯とか団結という気持ちが人々に乏しくなってしまったのです。
目先の利益に追われ、軍事産業であっても仕事さえくれたら、食べられたらいいという人が増えてしまいました。
順法闘争が起きたとき、マスコミは人々の募った不便をことさらあおりたて、ついに人々は駅舎を襲うという暴動まで起こしたのでした。たしかにストライキが起きると、誰かが迷惑を受けます。でも、それが他の人々の権利行使だと分かったら、少々のことは我慢するしかありません。
たしかに、労働組合の暴走も現場にはあったのでしょう。だからといって、憲法に定められた労働基本権を無視するようなマスコミ報道は許されないはずです。
権力側は、戦後の日本の労働運動を中枢となって進めてきた国労をぶっつぶすことを目標として、あの手この手と周到に準備していたことがよく分かる本です。やはり情勢の正確な認識は難しいのです。
JR九州をふくめてJR各社が民間企業としてもうけを追及するのは当然です。でも、あわせて乗客の利便・安全性も忘れずに視野に入れておいてほしいと思います。九州新幹線のホームに見守る駅員がいないなんて、恐ろしすぎます。テロ対策どころではありません。JR各社には反省して是正してほしいです。

(2017年6月刊。2500円+税)

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2018年4月 4日

記者襲撃

社会


(霧山昴)
著者 樋田 毅 、 出版  岩波書店

アベ首相の朝日新聞バッシングは異常です。権力による言論弾圧としか言いようがありません。ウヨクによるアサヒ叩きも、同じように日本の言論の自由を制圧するものでしかありません。
今度の朝日の財務省の文書改ざんに関するスクープはまさしくクリーン・ヒットでした。さすがのアベ首相も朝日新聞は間違いだと言えず、3秒間だけ頭を下げて神妙な顔で申し訳ないと国民に対して謝罪せざるをえませんでした。
この本が問題にしたのは、今から31年前の1987年5月3日の朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)が散弾銃を持った目出し帽の若い男に襲われ、29歳の記者が亡くなり、42歳の記者が重傷を負ったという日本の言論史上かつてないテロ事件です。残念なことに「世界一優秀」であるはずの日本の警察は犯人を検挙できないまま時効となりました。
この事件を事件の前に阪神支局に勤めていた著者が執念深く追求していったのです。その真相究明の過程が詳しく語られています。
後半のところに勝共連合・統一教会も疑われていたこと、統一協会には秘密組織があったことも紹介されています。でも、私には「赤報隊」の声明と統一協会とは全然結びつきません。やっぱり、テロ至上主義の過激な日本人右翼が犯人だったとしか思えません。
朝日新聞については、私はそれなりの新聞だと評価しています。それは、今回の財務省の改ざんスクープでも証明されました。それでも、この本が問題としている役員応接室での右翼(野村秋介)の自殺における朝日新聞社の対応には疑問を感じます。自殺した右翼男性は2丁拳銃をもっていたのでした。1丁は朝日新聞の社長に、1丁は自分に・・・。しかし、実際には2丁とも自分に向かって発射し、朝日新聞の社長は無事だったのでした。さらに、このとき、朝日新聞社は社会部に知らせていなかったというのです。これも、おかしなことです。
アベ首相が朝日新聞を叩くとき、それに手を貸すようなマスコミがいるというのもまた信じられないことです。昔から、独裁権力は各個撃破するのが常套手段です。「明日は我が身」と考えるべきなのに、対岸の火事のようにぼおっと見過ごしているなんて、信じられないほどの感度の鈍さです。
マスコミ、言論の自由の確保は、私たち国民ひとり一人の自由に密接にかかわるものとして大切なことだと痛感させられる本でもありました。

(2018年2月刊。1900円+税)

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2018年4月 5日

収容所のプルースト

ポーランド

(霧山昴)
著者 ジョセフ・チャプスキ 、 出版  共和国

第二次世界大戦のなかで、ポーランド軍の高級将校がごっそり行方不明となってしまいました。カチンの森虐殺事件です。ソ連はヒトラー・ナチス軍が犯人だと名指ししました。ヒトラーは逆にソ連軍こそ犯人だと反論し、欧米が静観したこともあって容易に決着がつきませんでした。今では、スターリンの指示によるポーランド知識層の抹殺を企図した大虐殺事件だったことが判明しています。スターリンはソ連国内で、大粛清をすすめましたが、ポーランドを思うままに支配するために、とんでもない虐殺を敢行したのです。悪虐な独裁者だというほかありません。
この本はカチンの森虐待事件の被害者になる寸前に助かったポーランド人の高級将校が、収容所内でプルーストの「失われた日を求めて」を講義していた事実を再現しています。実は、私もプルーストの「失われた日を求めて」に挑戦し、挫折してしまった者の一人です。なにしろ長文の小説です。「チボ―家の人々」はなんとか読破しましたが、「失われた日を求めて」は、読みはじめてまもなく投げだしてしまいました。
なぜ、明日をも知れぬ身に置かれながら、プルーストの小説についての講義を収容所内で受けていたのか・・・。それは、人間とは、いかなる存在なのか・・・という重要命題そのものなのです。
ハリコフに近い町の15ヘクタールほどの土地に4000人ものポーランド人将校が押し込められ、1939年10月から1940年春までを過ごした。精神の衰弱と絶望を乗りこえ、何もしないで頭脳がさびつくのを防ぐため、ポーランド人将校たちは知的作業に取りかかった。軍事、政治、文学について講義をし、語りあった。結局、この4000人のうち800人ほどしか生き残っていない。それでも人々は零下45度にまで達する寒さのなかで、労働のあと、疲れきった顔をしながら、自分たちの置かれた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて耳を傾けた。
プルーストは、出来事に対して、遅れて、そして複雑に反応する。
プルーストは、何らかに印象に触れた瞬間の感激をすぐに吐き出すのではなく、印象を深め、正確に見極め、その根源にまで至ることで、それを意識化することこそ、自分の義務だと考えていた。
匂いのしみついたマドレーヌとともに、この紅茶のカップから浮かび上がってきたのは、無意識的な喚起だった。マドレーヌの匂いによって喚起された記憶が立ち上がり、深まり、しだいにプルーストの生家やゴシック様式での古い教会や少年時代の田園風景のかたちをとり、年老いた伯母たちや料理人や家の常連といった、母や祖母が愛した人たちの顔が浮かび上がってくる。主人公は、自分の人生に関わった多くの知人・友人たちが、時の作用によって変貌し、老い、膨れあがり、あるいは、かさかさに乾いてしまったのを目撃した。
プルーストとは、顕微鏡で見た自然主義である。
スワンの魅力の本質は、このうえない自然さと、一貫して優しいエゴイズムにある。金も人脈も、それ自体が自然なのではなく、自分がいちばん自分らしくいられる場所へと導くための手段でしかない。
プルーストの作品には、いかなる絶対の探究もなく、あの長大な数千ページのなかに「神」という言葉は一度も出てこない。
収容所の講義に使われたノート、あるいは、講義を受けた人の書いたノートがカラーコピーで紹介されています。すごいものです。
人間が人間たる所以(ゆえん)は、こうやって死の迫る状況下でも、頭のなかは自由に物事の本質を深く交めたいという思い(衝動)なのだ。このことがよく分かる本でした。
精神的活動がなければ、日々はただ生存の連結にすぎなくなってしまう。精神の活動こそが、今日を昨日と区別し、わたしを他者と区別する。つまり、人間を人間たらしめてくれる。多くの収容者が必至で日記をつけようとするのも、このためである。読書の機会は、他にかけがえのないものとなる。
人間とは何かを改めてじっくりと考えさせてくれる、まれに見る良書でした。

(2018年1月刊。2500円+税)

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2018年4月 6日

日米地位協定

社会

(霧山昴)
著者 明田川 融 、 出版  みすず書房

読めば読むほど腹の立つ本です。いえ、もちろん著者に対してではありません。歴代の日本政府に対して、そのだらしなさというより、もっとはっきり言えば、ひどい売国奴(ばいこくど)根性に怒りを覚えます。
日本はアメリカの全土基地方式を受け入れている。これは、アメリカ軍がいざとなれば、日本国内のどこであっても好き勝手に基地として使えるというものです。こんな屈辱的な方式を日本政府は受け入れているのです。許しがたいことです。そして日本の外務省は、その日本政府の方針の下で唯々諾々とアメリカの言いなりに動いています。日本の官僚機構として恥ずかしい限りの集団というほかありません。
日本占領軍のトップだったマッカーサーは、一貫して強固な沖縄要塞化論者だった。日本本土は徹底した非軍事化でよいが、沖縄は徹底した軍事化でのぞむという二つの顔があった。マッカーサーは沖縄の人々は、民族的にも文化的にも日本本土の人々とは異なると考えていた。とんでもない思い違いです。
日本地位協定についてのアメリカの基本的な考え方は、アメリカ軍の駐留を日本から要請し、アメリカが同意するという論理、つまり、日本に頼まれてアメリカ軍を置いてやるのだから、アメリカ軍や軍人・軍属・家族の権益くらいは日本は受忍してもらわないといかん。そして、そこは、当然に治外法権だし、すべての駐留費用は日本が負担すべきだというものです。ひどい話です。
アメリカ軍が基地としていたところに環境汚染物質が埋められていたとき、その現状回復義務をアメリカは負わず、すべてを日本側の負担となっている。情けない話です。まるで日本はアメリカの植民地です。
沖縄国際大学にアメリカ軍ヘリコプターが墜落したとき、その一帯をアメリカ軍がたちまち立入り禁止区域とし、日本の警察・消防の立入まで拒否した。ええっ、ウソでしょ。そう叫びたくなりますが、そんなアメリカ軍の横暴を許しているのが日本地位協定なのです。
アメリカ軍の将兵が日本で犯罪を起こしても日本側は一次裁判権を放棄するという密約にしばられて手を出せません。いかにも不平等・不公平・不条理です。これは、日本政府のアメリカへの忠実さと誠実さですが、同時に日本国民への不忠・不誠実でもあります。
日本は憲法にしたがって十分な防衛力をもっていないので、自国の安全をアメリカに依存しているのだから、モノ(基地)とカネ(防衛支出金)でアメリカに「貢献」しまければならない。この論理に自民党政府と外務省はとらわれている。
アメリカ軍の駐留経費の7割を日本は負担している。ドイツは3割でしかなく、韓国・イタリアだって4割なのに、異常な比率となっている。しかも、日本は光熱水料を全額負担している。
日本は、モノ・カネ・ヒトの三分野で、アメリカに全面的に協力させれているが、そんな国はほかに存在しない。いったい日本はアメリカに対し、どこまで「協力」したらよいのか・・・。
憲法についてアメリカ押しつけ憲法だと叫ぶ人は、日本地位協定の屈辱的な内容と運用については沈黙を守っています。すべてはアメリカに日本の安全を守ってもらっているからという幻想によります。一刻もはやく目を覚ましてほしいものです。
本分282頁の堂々たる研究書です。ご一読下さい。

(2018年2月刊。3600円+税)

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2018年4月 7日

母の家がごみ屋敷

社会

(霧山昴)
著者 工藤 哲 、 出版  毎日新聞出版

いま全国各地で問題になっているゴミ屋敷について、その現状と対策が具体的に紹介されていて大変勉強になりました。
ゴミ屋敷を生み出している当の本人やその家族には既に問題解決能力を喪っている人が多いようです。ですから、行政的に解体・撤去すれば終わりということではなく、そのケアも大切だということです。なるほど、そうだろうなと思いました。
セルフネグレクトは、自己放任。自分自身による世話の放棄・放任だ。この状態が続けば、室内(家屋内)にゴミや物がたまって不衛生になり、何かのはずみで引火して火災を起こして本人ないし周囲に迷惑をかける。また、本人の健康も悪化していく。
本人が認知症にかかっていたりして、自覚がなく、ときに開き直るので、行政もうかつに手出しができないことも多い。
たまっているゴミが歩道を占拠しているときには、道路交通法違反として逮捕した例もある。また廃棄物処理法違反で摘発した例は少なくない。自治体が行政代執行で撤去することもある。放置されたゴミの撤去費用として200~300万円かかることがある。
地方自治体では、このための条例を政令したり、専門部署を設けて対応しているところも少なくない。埼玉県所沢市では、「ゴミ出し支援制度」をもうけていて、利用者が10年間で500世帯超と、3倍に増えた。
この本を読んで驚いたのは、実は、20代、30代の若い人でもゴミ屋敷のようになってしまう人が増えているということです。何らかのきっかけで、無気力、ひきこもり状態になってしまった結果なのです。
モノはあふれているけれど、住む人はますます孤立しているというのが、現代の日本社会だということです。直視すべき日本社会の現実のひとつだと思いました。
(2018年2月刊。1400円+税)

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2018年4月 8日

太王四神記(上)

朝鮮

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩餐社

高句麗の広開大王の愛と戦いのドラマを描いた面白い本です。まだ、上巻のみですが、手に汗握る面白さなので、記録ファイルそっちのけで一日中よみふけってしまいました。
高句麗と百済が戦う時代です。のちの広開大王は、若き太王として談徳(タムドク)と呼ばれています。周辺国を連破して一大強国を打ち立てた英雄、征服王です。
日本にとって広開大王とは、その石碑で有名です。日本軍が朝鮮半島まで進出し、かなりの土地を支配していた証(あかし)とされていました。しかし、今では研究が進んで、日本(倭)が朝鮮半島(の一部)を支配していたのではなく、逆に朝鮮半島の勢力が九州の一部に上陸し、支配していたということのようです。「任那日本府」なるものも、日本の支配勢力の証明ではなかったとされています(私の理解です)。
ただし、朝鮮半島の南部と北部九州は相互に緊密な連携関係にあったことは事実で、そのため、太宰府には水城(みずき)があったりしたわけです。九州が朝鮮半島の勢力から攻めこまれたときののろし火の連携プレーなど、それなりの対策が確立していました。
この本では、朝鮮半島から中国の山東半島にかけての戦いが描かれています。
談徳(広開太王)は知恵と勇気ある若き太王として、雄々しく戦い、勝利をおさめていきます。城を立て籠って戦う将兵を攻城器が出動して攻めたてます。石や火炎球を投げ込むのです。守る側は石垣を補強して対抗します。
敗走するとみせかけて追いかけてきた敵軍を伏兵で取り囲んで全滅させるなど、知恵比べの戦いも展開します。
広開大王の人智を尽くした戦いをたっぷり堪能できる古代朝鮮史をめぐる小説です。下巻が楽しみです。
(2008年4月刊。1500円+税)

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2018年4月 9日

北斎漫画(1)

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 葛飾 北斎 、 出版  青幻舎

江戸時代を生きていた日本人がどんな生活をしていたのか、ビジュアルに分かる漫画です。
「北斎漫画」は葛飾北斎(1760~1849)が弟子たちに絵の手ほどきをするための教科書として描いた絵手本。弟子はかりでなく、一般の庶民にも親しまれ、江戸時代のベストセラーとして、10編で完話しても、さらに続編が続き、ついに15編がプラスされた。
ただし、その15編完話編が出版されたのは明治11年といいますから、なんと西南戦争の翌年なのです。もちろん北斎自身は30年近く前に亡くなっています。
「北斎漫画」の総ページ数は970。図版は4000をこえる。
人物、動植物、風俗、職業、市井の暮らしぶり、建築物、生活用具、名所、名勝、天候、故事、説話、妖怪、幽霊と百科事典さながら。
この第一巻は、「江戸百態」として、市井の人々の姿や風俗、生活用具や建物などの江戸の日常が描かれている。
「北斎漫画」は19世紀後半にヨーロッパで巻きおこったジャポニズム旋風の引き金となった。かのシーボルトは、「北斎漫画」をひそかにオランダに持ちかえったとのことです。
江戸時代の後期には、江戸だけで学術書を扱う出版社が70軒、娯楽性の高い絵草紙などを扱った出版社が150軒あった。そして、600軒以上の貸本屋があり、本が買えない庶民でも、気軽に読書できる状況がつくられていた。
子どもたちが将棋をして楽しんでいる絵もあります。
人々が農作業をしていたり、また旅姿の人々がいます。日本人は昔から旅行大好き民族だったことがよく分かります。
私も江戸時代のことについては、いろいろ本を読んできましたが、やはりこのようなイメージをしっかりもちながら、江戸時代の社会を論じる必要があると思ったことでした。少々値がはりますが、読む価値は十二分にあります。
(2017年10月刊。1500円+税)

春らんまんの候です。形も色もとりどりのチューリップが全開、青紫と紅いアネモネと美を競っています。シャガの白い花、白いなかに黄色の気品あるアイリスも咲きはじめました。足元にはピンクのシバザクラも地上を飾っています。
春の味覚、アスパラガスが昨日にひき続いて今日も一本、収穫できました。

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2018年4月10日

朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか

朝鮮

(霧山昴)
著者 五味 洋治 、 出版  創元社

北朝鮮の最新のミサイル発射台は、タイヤのついた可動式なので、発射地点を衛星から特定するのは非常に困難。また、固形式燃料を使えば、発射準備から発射するまで30分しかかからない。北朝鮮から発射されたミサイルが日本に着弾するまで8分ほどでしかない。
ですから、イージスアショアに2000億円もかける意味なんてないのです。そして、日本には全国50ケ所以上に原発(原子力発電所)がありますので、戦争になったら、日本列島に住むところはありません。なので、朝鮮半島で戦争を起こさせないようにすることこそ最優先の課題だということは、はっきりしています。そのため、米朝協議は必要です。
1950年に始まった朝鮮戦争は、1953年に「休戦」になっただけで、法的には今なお戦争継続状態にある。そして、「国連軍司令部」はいまも韓国にあり、東京の横田基地には国連軍後方司令部が置かれ、日本国内の7つのアメリカ軍基地は後方基地として指定されている。
平時の作戦指揮権は韓国軍に返還されているが、戦時の作戦指揮権はアメリカ軍が依然としてもっている。
朝鮮戦争の直後に7万人いたアメリカ軍は、今は2万8000人まで減っている。2万人の陸軍と、8000人の空軍である。朝鮮の国連軍は、朝鮮半島で戦争が起きたときは、日本国内のアメリカ軍基地を自由に使う権利をもっている。
朝鮮国連軍の指揮権はアメリカ軍司令官が握っていて、国連の安保理の許可を得ることなく、自由に軍事行動できる。
アメリカは、北朝鮮と中国に対抗するため、アメリカ軍司令官の指揮のもとで機能する「日本韓の軍事協力体制」を強化したいのだ。
朝鮮戦争で大量の中国義勇軍が参戦してアメリカ軍が劣勢になったとき、それを押し直すためにマッカーサーは、原爆26発さらに追加して8発の使用をアメリカ政府に求めました。マッカーサーの考えはこうです。朝鮮戦争を10日で終らせるため、満州に30~50発の原爆を投下し、強烈な放射線を出す「コバルト60」のベルト(地帯)をつくる。それで60年間は中国から陸路で北朝鮮に侵入することはできなくなる。
 いやはや、マッカーサーって、とんでもないことを言い出す将軍でした。トルーマン大統領が怒って(心配して)マッカーサーを解任して、本当に良かったですね。
安倍首相のように、朝鮮半島の危機をあおるだけであってはいけません。
「米朝対話」が少しでも進展するように日本政府も努力すべきです。
(2017年12月刊。1500円+税)

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2018年4月11日

避けられたかもしれない戦争

アフリカ

(霧山昴)
著者 ジャン・マリ―・ゲーノ 、 出版  東洋経済新報社

国連PKOの責任者だったフランス人が世界各地の紛争現地の実情をふまえて、国連のなすべきことを提言した貴重なレポートです。
この本を読むと、つくづく日本のなすべきことは、他の国と違って戦争放棄を定めた憲法をもつ平和国家としての提言であり、その立場からの貢献だということです。要するに、アフガニスタンでがんばっている中村哲医師のような地道な活動をこそ日本のなすべきことです。日本が他の国と同じように武力で紛争の現場に出かけたところで、何の力にもならないことは明らかです。
日本は軍事力という現実を認めながらも、対話と外交の価値を推進するという平和の文化を築くことに、国家としても、これから国連で働く日本人職員の手によっても、大きく貢献できる立場にある。著者は、このように強調しています。
アフガニスタンに注ぎ込まれた数十億ドルもの資金は、たいていムダにされた。現実には、その資金のほとんどは、本来の目的のためには使われなかった。たとえば、日本からの資金援助で、莫大な費用をかけて環状道路の一部が敷設された。しかし、その効果的な維持管理対策は講じられなかった。過酷な冬が、この投資をダメにしている。
軍隊だけではアフリカの紛争地帯に平和をもたらすことはできない。
国連にあってほかの国にないものは、自分たちが公明正大であるという信用を築く力である。それは、きわめて厳格で規律ある武力行使が求められる。
国連も高度な訓練を受け、迅速に反応できる部隊をもつ必要性を痛感した。何より肝心な要素は、和平を支える政治基盤なのである。
アフリカの腐敗したエリート層は、自分の財産を先進国の銀行に預け、先進国の法律から恩恵を受けている。自国の無法状態のおかげで、利益を独占し、恩恵を受けている。
脆弱(ぜいじゃく)国家からは優秀な人材が流出していく。欧米で暮らしたら、母国にいるより豊かになり、自分も子弟も高い学歴が得られるからだ。
国連が助けようとしている国に成功をもたらすことが出来るのは、その国の人々だけ。
グローバル化した世界では、愛国心はますます古臭く見えるが、実は愛国心がなければ失敗する可能性は高い。
600頁をこす大著ですが、国連PKO担当事務次長として世界各国の紛争の現場に立った体験をふまえている本なので、説得力があります。著者は私と同じ団塊世代です。1968年に起きたパリのカルチエ・ラタン騒動の世代でもあります。
(2018年1月刊。3400円+税)

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2018年4月12日

5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人

ドイツ

(霧山昴)
著者 熊谷 徹 、 出版  SB新書

ドイツでは、1日に10時間をこえて働くことが法律で禁止されている。また、ドイツは、日曜・祝日の労働も法律で禁止している。
有給休暇は法律で最低24日としているが、実際には年30日の有給休暇を認める企業がほとんど。そして、有給休暇の100%消化は当然のことで、2~3週間のまとまった長期休暇もあたりまえにとっている。
電通の社員(高橋まつりさん)の過労自殺など、ドイツでは考えられもしないこと。
こんなに休んでいるドイツなのに、経済成長率は、2013年以降、右肩上がりになっている。そのうえ失業率がEUのなかで一番低い。
日本の残業規制は1年あるいは1ヶ月を単位としているので、ドイツに比べると、はるかに甘い。
日本政府の「働き方改革」は、ジェスチャーにすぎず、実際には、労働者のためではなく、使用者(資本)の利益優先、つまり「働かせ方改革」でしかない。
ドイツでは、病気やケガのために有給休暇を消化するなんて、ありえない。
ドイツは、日本とちがって労働組合は依然として強力な存在であり、徐々にストライキが増えている。
これに対して、日本はストライキが世界でもっとも少ない国になっている。1974年にストライキが9000件をこえていたのに、2011年にはわずか57件でしかない。今では、まったくの死語になってしまっている。
余裕があってこそ良質な仕事ができる。
日本人は勤勉だとよく言われますが、上からの命令で大人しく従っているだけでは、創意工夫もなく、過労死につながり、やがては企業社会自体が消滅してしまうこと必至です。
日本人に大いに反省を迫る本でした。ご一読をおすすめします。

(2017年10月刊。800円+税)

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2018年4月13日

職場を変える秘密のレシピ47

社会

著者 アレクサンドラ・ブラックベリーほか  、 出版  日本労働弁護団  

今や労働組合の存在感があまりに薄くて、連合と聞いても、有力な団体というイメージがありません。かつて、総評というと、医師会以上の力をもって社会を動かしていたと思うのですが、医師会も自民党の支持母体というだけで社会的に力がある団体とは思えません。
この本は、アメリカで労働運動に運動を取り戻すということで1979年に発足した「レイバー・ノーツ」が発行したものです。日本労働弁護団は、この本(英語版)をテキストとして2017年2月から月1回の読書会を開いてきたとのこと。なるほど、アメリカノ労働運動の実践をまとめた本ですが、日本でも大いに参考になるものだと読んで思いました。
「誰も会議に来てくれない」と嘆く前に、Eメールや掲示板での知らせでは不十分なので、個人的に会って一対一で勧誘する。そして、会議に来てくれたら、気持ちよく有意義な会議にする。事前にちゃんと準備しておき、参加してくれたことに敬意を示す。議題設定は参加したいと思うようなものにする。
組織化するためには、聴くのが8割、話すのが2割(多くとも3割にとどめる)とする。話すときに携帯電話はしまい、相手の目を見て話す。時間をかけて話を全部聴く。誘導せず共感する。
「私がリーダーです」と言ったり、リーダーに自ら名乗り出る人は、たいてい本当のリーダーではない。情報通になりたがったりするだけであったり、最後までやり通せないことが多い。仲間からあまり好かれていなかったりもする。本当のリーダーは、みんなが自分で行動するようにすることができる人。
仲間を増やすには、まず一つは勝利をあげる必要がある。それによって、懐疑的な人たちをその気にさせる。奥の手はいきなり出さず、小さく産んで育てていく。最初に大失敗してしまうと、キャンペーンは行き場を失い、打ち切るしかなくなる。
キャンペーンの勝利は、それまで築いてきたコミュニケーションのネットワークを通じた一対一の対話によって得られる。SNSもビラも新聞もいいけれど、一対一の面と向かった対話を何より優先させること。
アメリカのレイバー・ノーツの全国大会には2300人もの参加があり、日本からも多くの人が参加しているとのこと。なるほど、この本に書かれているような経験交流が全国規模でなされるのであれば、大きな意義があると思います。
憲法に定められた労働基本権がまったくないがしろにされているような日本の現状です。ストライキが死語になっている社会なんて絶対おかしいと私は思います。なんでも自己責任ですませてしまい、弱者をたたいて喜ぶ風情、流れは一刻も早く変えたいものです。とても実践的な、いい本です。大いに活用されることを心から願います。

(2018年1月刊。1389円+税)

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2018年4月14日

黙殺

社会

(霧山昴)
著者  畠山 理仁 、 出版   集英社

選挙権を得てから私は棄権したことがありません。投票所で入れたい人がいないときは、わざわざ「余事記載」をして無効票を投じます。私にとって、投票するのは権利であって、義務でもあります。最高裁の裁判官の国民審査にしても、ムダなことだと分かっていても、ご丁寧に全員に×印をつけています。
みんなが投票なんてムダなことだと思っていたら、この社会には民主主義はないし、専制君主による独裁を甘んじて受けいれるしかなくなります。権利に甘えてはいけません。
ところで、誰が候補者になっているのか、その人は何を訴えようとしているのか、きちんと考えずに投票している人が少なくないのも現実です(少なくとも、私はそう考えています)。
初めから当選しそうもない候補者をマスコミは「泡末候補」と呼び、その政策をまともに紹介することはありません。著者は、その「泡末候補」にながく密着取材してきた。フリーの記者です。「泡末候補」と呼んではいけない、あえて呼ぶなら「無頼系独立候補」と呼ぶことを提案しています。
いまの選挙制度はおかしいことだらけです。その最大は死票続出の「小選挙区制」です。「政治改革」の美名のもとに、あれよあれよというまに実現してしまいました。「アベ一強」という、おかしな政治がまがり通っているのも、この小選挙区制の結果です。
もう一つは戸別訪問の禁止です。欧米の選挙運動では、テレビのCMとあわせて戸別訪問を活発に展開していますが、当然のことです。ところが、日本では戸別訪問は買収供応の温存になるとか、まるで客観的根拠のない不合理な理由で全面禁止のままです。これは現職有利にもつながります。
この本では、さらに供託金制度も問題視しています。フランス、ドイツ、イタリア、アメリカには供託金制度そのものがありません。供託金制度のあるイギリスでも7万5千円、カナダとオーストラリアは9万円。韓国は高くて150万円。ところが日本では、衆・参議員は300万円、政令指定都市については240万円。
かつてはフランスにも供託金制度があった。ただし、4千円から2万円ほど。それでもフランスでは高すぎる、必要ないという声があがり、1995年に供託金制度は廃止された。日本で供託金制度が出来たのは1925年のこと。普通選挙の施行とあわせて、供託金制度がスタートした。
「無頼系独立候補」の素顔を知ることができる本でした。

(2017年11月刊。1600円+税)

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2018年4月15日

健康格差

社会

(霧山昴)
著者 NHKスペシャル取材班 、 出版  講談社現代新書

貧困家庭の子どもたちに肥満が増えている。
アメリカでは大人も子どもも、肥満しているということは貧困のあらわれです。食生活が十分でないことを意味しているからです。スリムな身体を維持するためにスポーツジムに通うようなことは、金銭的な余裕のない低所得層には不可能に等しいのです。
非正規雇用の人は正社員より糖尿病(網膜症)を悪化させる割合が1.5倍も高い。30代から40代の現役世代に糖尿病患者が増えている。歯周病の悪化がそれをもたらしている。
非正規雇用の人々は、炭水化物を多くとる食事に偏りがち。米、小麦、じゃがいもの3点セット。安くて、こってり味で、すぐに腹一杯になるものを好む。激安の牛丼は、その最たるもの。牛丼やラーメンを好む。逆に、野菜、魚、肉は高いので買えず、食べない。
50代の男性の5人に1人弱がひとり暮らし。30年前の3倍強に増えた。女性では、80歳以上の女性の4人に1人がひとり暮らし。30年前の9%が今では26%になっている。
肥満防止対策としては、先に野菜を食べ、10分おいて炭水化物をとること。ベジ・ファーストと呼ぶ。
カップラーメンには、1食あたり5グラムの食塩がふくまれている(大盛りサイズだと9グラム以上)。一食だけで、塩分のとりすぎになる。
健康対策で見落とされがちで、意外に有効なのは「歯磨き」。そうなんですよね。ですから私も、朝に3分間、夕に5分間、タニタの時計を目の前にして励行しています。
両親が生活に追われていて余裕のない世帯に低体重児が多い。
健康格差は、自己責任論では解決できない。日本では、健康格差は、雇用の問題が大きい。健康格差を放置すると医療費が増大し、国家支出が増えてしまう。その前に対策・予防すると、みんなが助かる。
自己責任論のマジックから一刻も早く脱却したいものです。
(2017年11月刊。780円+税)

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2018年4月16日

夢を食いつづけた男

人間


(霧山昴)
著者 植木 等 、 出版  ちくま文庫

私が大学生のころ、植木等(ひとし)は、日本一の無責任男だと評判を呼んでいました。いかにも軽薄そのもので、小心者で頭の固い田舎者のぼくはいささか鼻白んでいました。
ところが、この本を読むと、その内実は、とても真面目な人物だったようです。そして、それは父親譲りだったのです。
植木等の父親は植木徹誠。三重県にある小さな山寺の住職もしていました。そして、その前は東京にあった御木本(みきもと)の工場で働き、社会主義に目覚め、活動していたのです。おかげで特高に捕まり、子どもの植木等は警察署へ差し入れの弁当を毎日自転車で届けていました。だから、植木等は大きくなってからも共産党と聞くと怖いという思いがあり、好きになれなかったといいます。父親はあとで東京に出て新宿民商の会長になり、共産党員としても活動しました。
植木徹誠が東京で労働運動に没入していたころ、アナーキストの大杉栄(関東大震災のとき、憲兵隊の甘粕大尉などに虐殺されました)も講師としてやって来て話を聞いています。
その後、徹誠は山寺の住職となり、部落差別に怒りをもって運動し、昼間はお年寄りに地獄と極楽の話をし、夜になると青年たちに革命の話をしていた。
すごいね。讃美歌をうたい、労働歌をうたい、もっと若いころには義太夫もうなっていたのです。まことに芸達者です。植木等は、きっとその血をひいたのでしょう。
しかし、治安維持法違反で検挙されるのです。このころ、小学生の等に対して担任の教師はこう言って励ました。
「きみのお父さんは立派なんだ。ただ、今のご時世にあわないのだ。進みすぎているのだ」
なるほど、そういうことなんですよね・・・。それでも等少年には辛い体験だったようです。
そして、親子は、ついに郷里から石もて追われるようにして立ち去るのでした。
父・徹誠は3年ものあいだ、各地の警察署を転々としていたそうです。大変な目にあったのですね。住職として戻って、檀家の人が寺にやって来て、召集令状が来たというと、徹誠はこう言った。
「戦争というのは、集団殺人だ。それが加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では、弾のこないような所を選ぶように。まわりから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか言われたって、絶対、死んじゃダメだぞ。必ず、生きて帰ってこい。死んじゃったら、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな」
偉いですね。戦争中にここまで、言えるなんて・・・。映画「二十四の瞳」の大石先生も、心の中はともかく、言葉に出しては言えないセリフでした。
植木等の父親を語る心のうちには、とても温かいものを感じました。無責任どころではありません。
(2018年2月刊。860円+税)

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2018年4月17日

ナチスの「手口」と緊急事態条項

ドイツ

(霧山昴)
著者 長谷部 恭男、 石田 勇治 、 出版  集英社新書

自民党の憲法改正案のなかに緊急事態条項が入っています。災害等の非常事態のときには、国民の基本的人権の保護を停止して、国家権力が好き勝手に国民を統制できるようにしようというものです。
これは、ナチス・ヒットラーが国民を統制する手法でした。麻生大臣がヒトラーの手口の学べといったのには根拠があるのです。では、この緊急事態条項を導入すると、どんな危険が国民にふりかかってくるのか、それをドイツの例をひいて説明しています。
まずもって、コトバの魔術(マジック)に惑わされてはいけません。「基本的人権に関する憲法上の規定は、最大限に尊重されなければならない」と書いてあると、それは、「場合によっては、基本的人権が制限されることになる」ということなのです。つまり、「最大限に」というのは、「できる限り」、つまり「できないときもある」ということです。
ヒトラーのナチス政権は、スタートしたときの議席は国会の3分の1でしかなかった。連立与党をあわせても4割を少しこえた程度だった。1930年9月の選挙で、ナチ党は18.3%、共産党は13.1%の票を獲得した。そして、1932年7月の選挙で、ナチ党は37.3%と倍増した。ただし、共産党も14.3%へと伸ばした。ところが、1932年11月の選挙では、ナチ党は33.1%へと後退した。これに対して、共産党は16.8%へ躍進した。
ヒトラーが首相に任命されたのは、1933年1月30日。首相になったヒトラーには3つの道具があった。ひとつは大統領緊急令。ふたつ目は突撃隊と親衛隊。三つ目は大衆宣伝組織。
2月にヒトラー政府は、大統領緊急令をつかって言論統制をはじめる。2月末の国会会議事業炎上事件をきっかけとして、大統領緊急令を出した。これによって、共産党の国会議員をはじめとする急進左翼運動の指導者たちが一網打尽にされた。このときの放火はヒトラーの下にある突撃隊の一派がひきおこしたものだということが明らかになっている。
ヒトラーは、授権法を制定した。これは、憲法の変更をふくむ立法権を政府に与えるというもの。とんでもない法律です。これで国会はなくなったわけです。ヒトラーが首相になって授権法が制定されるまでの、わずか50日間、ナチ党以外一切の政党を禁じてナチ党独裁ができるまで半年。ヒトラーが「総統」になるまで1年半。あっというまに独裁体制ができ上がった。
内外の不安をあおって、強いリーダーに権限を集中させ、政府の権限を驚異的なまでに拡大させたのが、まさにナチ・ドイツだ。
アベ首相のような人物が独裁的権限を思う存分ふるえるようになったら、まさに日本は一挙に戦前のような暗黒社会に転落してしまうでしょう。
そうならないためにも、憲法「改正」論議の行方をしっかり見守っていきたいものです。

(2017年8月刊。760円+税)

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2018年4月18日

新・日本の階級社会

社会


(霧山昴)
著者 橋本 健二 、 出版  講談社現代新書

現代日本の貧富の格差は拡大する一方ですが、著者は、もはや「格差」ではなく「階級」になっていると主張しています。
900万人もの人々が新しい下層階級(アンダークラス)に属しているといいます。
ひとり親世帯(その9割が母子世帯)の貧困率は50.8%。貧困率の上昇は、非正規労働者が増えたことによる部分が大きい。アンダークラスの男性は結婚して家族を構成するのがとても困難になっている。アンダークラスには、最終学校を中退した人が多い。資本家階級には、世襲的な性格がある。
資本家階級の人の身長がもっとも高く、アンダークラスはもっとも身長は低い。体重は、資本家階級がもっとも重く、アンダークラスがもっとも軽い。その差は7.1キロ。これって、アメリカでは、逆なんじゃないでしょうか。超肥満は貧困を意味し、スーパーリッチな人々はとてもスリムだと聞いています。お金をかけてダイエットし、スポーツジムで鍛えているのです。
排外主義の傾向が強いのは男性であって、女性ではない。自己責任論は、資本家階級と旧中間階級に肯定する人が多い。パートで働く主婦層は自己責任論を強く否定している。
アンダークラスの人々は、格差に対する不満と格差縮小の要求が平和への要求と結びつかず、むしろ排外主義に結びつきやすい。
自己責任論は、本来なら責任をとるべき政府を免責し、実際には責任のない人々に押しつけてしまう。「努力した人が報われる社会」というスローガンは、単に格差を正当化するためのイデオロギーになっている。
アンダークラスの人々が絶望感から排外主義に走り、また投票所に出向かないことによって、特権階級は金まみれの生活を謳歌しているというのが日本の現実ではないでしょうか。やはり、国民みんなが投票所に出向いて、日頃の生活実態にもとづいて、自分の要求を素直に反映して投票したら、この日本の恐らくもっとまともなものに変わると思います。投票率が5割ちょっと、というのではアベの専横独裁を許すことになり、私たちの生活はいつまでたっても良くなりません。
(2018年1月刊。900円+税)

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2018年4月19日

レーニン、権力と愛(下)

ロシア

(霧山昴)
著者  ヴィクター セベスチャン、 出版  白水社

 私はソ連にもロシアにも行ったことがありません。レーニンの遺体は、その意思にさからって防腐処置をほどこして、公開展示されています。この処置には実は莫大なお金を要するようです。まったくもったいないお金のムダづかいだと私は思います。レーニンの霊魂が安らかに眠れることを願います。
 下巻は、いよいよロシア革命に突入します。1916年ころ、ロシアの自殺率は3倍に増加した。主として28歳以下の若者を襲った。ロシアの特高警察オフラーナは、大衆の気分に気がついて、政府に対して繰り返し警告した。体制が懸念すべきは、もろもろの革命グループではなく、人民である。いまや怒りは、政府一般ではなく、皇帝に向けられている。
皇帝は閣僚と参謀本部の助言に逆らって、軍の指揮を自らとっていた。これは、状況が悪くなったとき、野戦司令官に責任を負わせることができず戦争遂行に対する責任を自ら負うことになる。皇帝は、街頭示威行動について聞いてはいたが、その深刻さを理解していなかった。
 1917年2月に起きた二月革命は、完全に自然発生的、怒りの発露だった。このとき、ボリシェヴィキは、ロシア国内にせいぜい3000人と弱体で、ほぼ一文なしだった。
 レーニンは封印列車でスイスからドイツ経由でロシアに戻ってきた。ペトログラードの市民はレーニンを鳴物入りで歓迎した。レーニンは興奮していて、最後の2日間は眠っていなかった。しかし、すぐさま2時間に及ぶ演説を始めた。雷鳴のような演説で、聴く人々の心を打った。
 二月革命は、突如として、ロシアにかつてなかった。そして、それに人像もない、政治的自由をもたらした。
 レーニンは、1917年に巨額の資金源を手にして楽観することができた。ボリシェヴィキの党員は3月初めに2万3千人だったのが、7月までに20万人に達していた。
 ボリシェヴィキの運勢を大きく上向かせたのは、敵の無能ぶりが大きな要因だった。
 戦争で疲弊したロシアに戦争を継続するよう最大限の圧力をかける連合諸国の政策は、レーニンにとって利益となった。
 8月には、レーニンと「売国奴ボリシェヴィキ」に対する憎悪キャンペーンが最高潮に達した。
 歴史をつくるのは個人ではなく、広範な社会的・経済的権力だとするマルクスの観念の間違いを証明するものがあるとすれば、それはレーニンの革命である。レーニンは、策略と道理、怒鳴り声、威嚇、そして静かな説得をない交ぜにして使った。
 レーニンが3ヶ月のあいだ潜伏していたとき、党員になったばかりのトロツキーがボリシェヴィキの表の顔となった。トロツキーは、ロシア国内ではレーニンより、はるかに知名度が高く、はなばなしく脚光をあびていた。レーニンにはオフィスがいるが、トロツキーには舞台がいると言われていた。
レーニンは、トロツキーに大いに頼った。この二人は個人的には決して近くなかったが、両者のあいだに政治的な違いほとんどないことを、二人とも認めていた。
レーニンは、暴力の快楽を味わうことはしなかった。レーニンは他の多くの独裁者が好む軍服ないし、それに準ずるものを身につけることはなかった。
レーニンは、ろくに食事をとらず、健康にあまり気をつけていなかった。会議は午後5時に始まり、ほとんど休憩なしに6時間から7時間かけて降りてきた。
レーニンは、1918年7月に皇帝一家の殺害を副官だったスヴェルドロフに対して口頭で命じた。レーニンは王殺しに罪悪感はなかった。ロシア国内の世論を気にする必要もなかったことになる。
殺害される前、ロマノフ一家は、何人かの廷臣、6人の侍女、2人の従女、3人の料理人とともに元知事公邸で快適に暮らしていた。当時、ロシア皇帝はあまりに不人気だった。1918年に、レーニンの車は1日に3度も撃たれた。
レーニンの遺体をこれまで見たのは少なくとも2000万人。苦しいなかで、ロシア革命は社会主義を目ざすことになった。その結果をまったく全否定していいとも思われないのですが・・・。
(2017年12月刊。3800円+税)

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2018年4月20日

「北朝鮮の脅威」のカラクリ

社会

(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版  岩波ブックレット

アベ内閣が窮地におちいる状況になると、北朝鮮がミサイルを打ち上げ、Jアラートが発令され、アベ内閣は国民の目をそらして危機を切り抜ける。こんな構図が何回も繰り返されてきました。アベ内閣が北朝鮮へ内閣官房機密費から、いくらかまわしているのではないかという噂は絶えませんし、信じたくもなります。
いったい「北朝鮮の脅威」なるものは本当にあるのでしょうか。東京の地下鉄を10分間も停めるというのが、果たして何らかの対策になるものなのでしょうか。日本全国に50ケ所以上もある原子力発電所にミサイルが打ちこまれたらどうなりますか。それを喰いとめる手だては実際上なにもありませんが、それについてアベ政府が何か対策をとったという話はまったくありません。
2017年9月15日に北朝鮮が打ち上げたミサイルは高度750キロメートルの上空、すなわち人工衛星の周回する宇宙空間を飛んだ。このミサイルがもし日本に打ち込まれたとしたら、住民が両手で頭部を守って、しゃがみこむ訓練なんて、何の役にも立たない。
アベ政府のJアラート発令は、北朝鮮はアメリカを狙っていることが明白なのに、あたかも日本を攻撃しているかのように日本国民を勘違い、錯覚させてしまうものでしかない。
実は、北朝鮮は、これまで一度も日本を攻撃対象として、ミサイルを打ち上げたことはない。
北朝鮮の特殊部隊は、原発を攻撃すると想定するのは、空想的すぎると楽観的に考えられているが・・・。日本の原発にある圧力容器や使用済み可燃料プールに命中したら、甚大な被害が出るのは間違いない。この点の心配こそ先決ですよね。要するに50ケ所もの原発が存在するというのは、人質にとられているも同然なのです。
北朝鮮の軍隊は、ヒト・モノ・カネの点で国から優先的に配慮してもらっている。しかし、北朝鮮の国内は深刻な脅威に直面している。たとえば、燃料が不足して軍隊は訓練すらままならない状況にある。ただ、8万8千人もいる世界に例のない大規模な特殊部隊を持っていて、これが日本の原発や新幹線を狙ったら、どうなるのか、それがもっとも心配なこと。
アベ政治には一刻も早く退陣していただくほかありませんよね。わずか60頁あまりですが、内容はとても濃密です。これで520円とは申し訳ないほどです。
(201年3月刊。520円+税)

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2018年4月21日

西南戦争、民衆の記

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 長野 浩典 、 出版  弦書房

この本を読むと、西南戦争って、いったい何だったんだろうかと改めて思わざるをえませんでした。
西郷隆盛たちは、陸路、東京まで何を目ざしていたのでしょうか・・・。
熊本城を攻略できないまま、熊本にずるずると居続けていたのは、なぜだったのでしょうか・・・。そこにどんな戦略があったのでしょうか・・・。
西郷隆盛が陣頭指揮をとった戦闘は2回だけのようです。では、あとは何をしていたのでしょうか・・・。
薩摩軍には戦略がなかったと指摘されていますが、まったく同感です。熊本城包囲戦に成功せず、田原坂の戦いで勝つことが出来ず、兵站(へいたん)に失敗してしまったのですから、戦争に勝てるはずもありません。それでも若者たちを率いて戦場に出向いて、あたら前途有為な青年を死に追いやったのです。西郷隆盛の責任は重大だと思います。
この本は民衆の視点で西南戦争が語られますので、民衆が被害者であったと同時に観客であり、また戦争で金もうけをしていたことも紹介しています。
残酷無比な戦場に、戦闘が終わるとすぐに民衆は出かけていき、戦死者から、その衣服をはぎとっていました。
民衆は軍属として徴用されましたが、戦場の最前線まで武器・弾薬や食糧を届けるのですから、とても危険でとてもペイしませんでした。無理に徴用しても逃亡者続出だったようです。
犬養毅が慶応大学の学生のとき、記者として戦場に出向いて戦場のレポートを新聞に書いていたというのには驚きました。新聞は戦場のことを書くと売れるのです。
西南戦争とあわせて、農民一揆も発生していたのですね。そして、山鹿には数日間だけでしたが、コンミューン自治が実現しました。
それにしても、参加者5万人という薩摩軍は何を目指してしたのでしょうか、さっぱり分かりません。当時の民衆の対応が手にとるように分かり、西南戦争の全体像を改めてつかむことができる本でした。
(2018年2月刊。2200円+税)

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2018年4月22日

ルポ・川崎

社会

(霧山昴)
著者 磯部 淳 、 出版  サイゾー

私は大学生のころに川崎に住んでいました。セツルメントに入ってすぐ、川崎区桜本に住んでいた先輩セツラーの下宿に行きました。そこは、今でいうコリアン・タウンでした。いわゆる下町とも、ちょっと違った雰囲気だと感じました。そこで、セツルメントの学生集団(セツラーたち)が子ども会活動をしていたのです。とても、大変な活動だと分かって、勇気のない私は中部の労働者住宅街(幸区古市場)の若者サークルに入りました。
そして、弁護士になって川崎区にある法律事務所で活動するようになりました。しかし、弁護士としては、川崎区の地域問題というより、労働災害や労働運動にかかわることが多く、ほとんどコリアン・タウンに関わることはありませんでした。
いま、ヘイト・スピーチをすすめる差別主義者の集団は川崎区をターゲットにしています。彼らは諸民族が平和共存するのを許さないというのです。なんという愚かな言動でしょうか、信じられません。金子みすずの詩ではありませんが、みんな違って、みんないい、この精神に立たなければ世界と日本の平和はありえません。オレが一番という、トランプやアベ流の発想では戦争を招いてしまいます。「核」の時代に戦争だなんて、とんでもないことです。
この本は現代の川崎市川崎区の実情に足を踏み込んでレポートしています。
川崎区は、暴力団がいまもって深く根を張っている。性風俗の店と暴力団は、残念ながら、昔から切っても切れない関係にあります。
この川崎区にもアベノミクス効果は、まったく及んでいません。アベ首相の眼は、タワーマンションに住むような東京の超富裕層にしか向いていませんので、当然のことです。
暴力団予備軍が次々と再生産している現実があります。親が子どもをかまわない。放任された子どもは仲間とともに非行に走っていくのがあたりまえ・・・。寒々とした状況が明らかにされています。
私が40年前、川崎にいたころに既にあった、マンモス団地の河原町団地は今もあるようです。当然のことながら、その住人の高齢化はすすみ、デイケアの送迎車が目立ちます。
在日コリアンの集住地域だった川崎区桜本にもフィリピン人が転入してきている。仲間、家、仕事。この3点セットを求めて移動してきたのだ。今ではそれに加えて、南アメリカの人々もいる。
川崎区のひどい環境から抜け出すには、ヤクザになるか、職人になるか、はたまた警察に捕まるしかなかった。最近は、これにラッパーになるという選択肢が加わっている。
ヘイト・スピーチをしている人たちも、過去に差別されたり冷遇されたりして、自分を大切に扱われてこなかったという寂しい生育環境のもとで大人になったと思います。気の毒な人たちです。でも、かといって、他人まで、自分が味わったと同じ、みじめな境遇を味わせようなんて、心があまりにも狭すぎます。もっと大らかに、くったくなく、一度だけの人生を楽しみたいものです。川崎区の現実を断面として切り取った迫真のルポルタージュでした。
(2018年3月刊。1600円+税)

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2018年4月23日

モノに心はあるのか

人間


(霧山昴)
著者 森山 徹 、 出版  新潮選書

心があるのは人間だけに決まっている。なんて変なタイトルの本なんだ。モノに心はない。心がないからこそ、人間とちがってモノなんだ・・・。
著者は、子どものころ、死ぬと決して生き返ることはない。死ぬと夢を見ないで寝ているのと同じ状態になることを確信した。人間は、死ぬと、まったくなくなってしまう。そして、世界は、自分の生まれる前から、そして自分が死んでからも存在するということを実感した。
この点は、私もまったく同じです。ですから、私は、この世に自分というものが存在したことを、たとえ小さなひっかきキズでいのでなんとかして残したいと考え苦闘してきました。こうやって文章を書いているのも、そのあがきのひとつなのです。
心とは、隠れた活動体、すなわち潜在行動決定機構群だ。それは、動物行動学の言葉を用いたら、自立的に抑制する複数の定型的行動の欲求だ。
石においても、隠れた活動体は存在している。つまり、石にも「心」が存在する。石器職人が石を割るとき、自分の力だけで石を思いどおりに割ったとは考えていない。職人は石の自律性を感じている。石の個性に気がついた職人は、石の内部でそれを生成する何者か、すなわち「隠れた活動体」の存在を知ることになる。
アメーバ動物である粘菌が迷路のスタートとゴールを結ぶ最短経路を探し出せること(知)、魚が恐怖や不安の反応を示すこと(情)、ザリガニの脳内には自発歩行の「数秒後に」活動しはじめる神経回路があること(意)が判明している。これらの研究報告は、無脊椎動物をふくむヒト以外の多くの動物に、知・情・意を代表とする精神作用が備わっていることを示唆している。したがって、心はヒトに特有なものではなく、あらゆる動物に備わるものだということになる。
この本は、「心」というものを平易で明瞭なコトバでもって語り尽くそうとしています。読んでいると、なるほど、なるほど、そういうことだったのかと思わずひとりつぶやいてしまいます。
(2017年12月刊。1200円+税)

 初夏と勘違いさせる陽気となり、ジャーマンアイリスが一斉に花を開いてくれました。ほとんどが青紫色で、いくつか黄色の花が混じっています。そのあでやかさは目を惹きつけます。チューリップは終わりました。庭の一区画からアスパラガスが次々に伸びて、春の香りを毎日のように味わっています。
 博多駅の映画館で韓国映画「タクシー運転手」をみてきました。1980年に起きた凄惨な光州事件がテーマです。軍隊が市民を守るものではないこと、当局はひたすら真相を隠してデマ宣伝をすることが描かれ、思わず鳥肌が立ちます。
 自衛隊がイラクのサマワに行ったとき、何が起きていたのか・・・。日報かくしは絶対に許せません。ぜひ時間をつくってみてください。

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2018年4月24日

日本の戦争、歴史認識と戦争責任

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 山田 朗 、 出版  新日本出版社

大変勉強になる本でした。司馬遼太郎の『坂の上の雲』がまず批判されています。なるほど、と思いました。日露戦争は、成功の頂点、アジア太平洋戦争は失敗の頂点と、司馬は単純に二分してとらえている。しかし、実のところ、近代日本の失敗の典型であるアジア太平洋戦争の種は、すべての日露戦争でまかれている。
日露戦争で日本が勝利したことによって、日本陸海軍が軍部として、つまり政治勢力として登場するようになった。軍の立場は、日露戦争を終わることで強められ、かつ一つの官僚制度として確立した。
日露戦争において、日英同盟の存在は、日本が日露戦争を遂行できた最大の前提だった。日露戦争の戦費は18億円。これは当時の国家予算の6倍にあたる。そしてその4割は外国からの借金で、これがなかったら日本は戦争できなかった。そのお金を貸してくれたのは、イギリスとアメリカだった。
日本海軍の主力戦艦6隻すべてがイギリス製だった。装甲巡洋艦8隻のうち4隻も、やはりイギリス製で、しかも最新鋭のものだった。このように、イギリスが全面的にテコ入れしたため、日本海軍は世界でもっとも水準の高い軍艦を保有していた。
日本軍は、大陸での戦いでロシア軍に徹底的な打撃を与えることが常にできなかった。その最大の要因は、日本軍の鉄砲弾の不足にあった。
「満州国」のかかげた「五族協和」でいう「五族」とは、漢・満・蒙・回・蔵の五族ではない。日・朝・漢・満・蒙の五族だった。
満州国には、憲法も国籍法も成立しなかった。日本は国籍法によって二重国籍を認めていない。満州国に国籍法ができると、満州国に居住する日本人は、満州国民となるのを恐れた。というのは、日本国籍を有しているのに、「満州国」に国籍法ができると、満州国に居住する日本人は「満州国民」になってしまう。
アベ首相がハワイの真珠湾を訪問したときのスピーチ(2016年12月27日)についても厳しく批判しています。日本軍が戦争を始めたのは、ハワイの真珠湾攻撃ではなかった。それより70分も前に、日本軍はマレーシアで戦争を始めていた。日本軍にとって、ハワイは主作戦ではなかった。つまり、マレーやフィリピンへの南方侵攻作戦が主作戦だった。ハワイ作戦は、あくまでも支作戦だった。
日本が韓国・朝鮮を植民地した当時に良いことをしたのは、あくまでも植民地支配のために必要だったから。統治を円滑におこなうためにすぎない。単なる弾圧と搾取だけでは支配・統治は成り立たない。地域振興とか住民福祉を目的とした政策ではない。そして、アジア「解放」のためという宣伝をやりすぎてはならないというしばりが同時に軍部当局から発せられていた。
戦後の日本と日本軍がアジアで何をしたのか、正確な歴史認識が必要だと、本書を読みながら改めて思ったことでした。
(2018年1月刊。1600円+税)

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2018年4月25日

炎と怒り

アメリカ

(霧山昴)
著者 マイケル・ウォルフ 、 出版  早川書房

トランプ大統領って、本当に知性のカケラもない人間だということがよく分かる本でした。
わがニッポンのアベ首相と共通点がありすぎです。
トランプには良心のやましさという感覚がない。
トランプとクリントンのアウトローぶりは、二人とも女好きで、セクハラの常習犯だ。そして、二人とも、ためらいなく大胆な行動に出る。
トランプのスピーチは、だらだらと長く、支離滅裂で、すぐに脱線し、どう思われようがおかまいなしの主張の繰り返しだ。
これも、わがアベ首相の国会答弁そっくりです。答えをはぐらかし、質問とかけ離れた持論をだらだらと展開し、変なところで急に断定する。
トランプは、社交の形式的なルールを一切身につけていない。トランプは礼儀をわきまえているふりすらできない。
トランプの髪型は、頭頂部にある禿(はげ)を隠すために、周囲の髪をまとめて後ろになでつけ、ハードスプレーで固定して隠している。
トランプを相手に、本物の会話は成り立たない。情報を共有するという意味での会話はできないし、バランスよく言葉のキャッチボールをすることもできない。
トランプの率いる組織は軍隊式の規律からほど遠い。そこは、事実上、上下の指揮系統は存在しない。あるのは、一人のトップと彼の注意をひこうと奔走するその他全員という図式のみ。そこでは、各人の任務は明確ではなく、場当たり的な対処しかない。
トランプは文字を読まず、聞くこともしない。常に自分が語る側になることを好む。実際には、つまらない見当違いだとしても、自分の専門知識をほかの誰よりも信じている。
トランプは文字を読もうとしない。読み取る能力が乏しい。トランプには、そもそも読書の経験がない。一冊も本を読み切ったことがない。話を聞くにしても、自分が知りたい話にしか耳を傾けない。トランプは、公式情報、データ、詳細情報、選択肢、分析結果を受けとることはない。トランプにはパワーポイントによる説明など何の役にも立たない。


トランプは集中力の持続時間が、きわめて短い。
トランプ政権の矛盾は、他の何よりもイデオロギーに突き動かされた政権であると同時に、ほとんどイデオロギーのない政権もあるということ。
トランプは驚くほど、アメリカの重要な政策をなにひとつ知らないし、知りたくない。
アメリカ・ファーストとは、アメリカさえ良ければ、あとはどうなってもかまわないという意味なのだ。
トランプには、そもそも読書の経験がない。一冊も本を読み切ったことがない。
よくぞ、こんな低レベルの人物が偉大なアメリカの大統領になれたものですね。
トランプは、自分を律することが出来ない。政治的戦略と立てる能力も皆無だ。どんな組織のなかでも歯車の一つになれず、どんな計画や原則にも従うとは思えない。
不動産業界出身の大統領は、トランプの前には一人もいない。というのも、不動産市場は規制が緩く、多額の債務と激しい相場の変動に耐えなくてはならない。
ホワイトハウスに入ると、「完全に健康体の人間」でも、やがて老いぼれて不健康になっていく。
噂どおりの本で、面白く読みました。しかし、同時にこんな男が核ボタンをもっているかと思うと背筋が氷る思いです。
(2018年2月刊。1800円+税

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2018年4月26日

否定と肯定

イギリス

(霧山昴)
著者 デポラ・E・リップシュタット 、 出版  ハーバー ブックス

映画の原作です。文庫本で580頁もあり、読むのに骨が折れました。あまりにシリアスなテーマだけに読み飛ばせなかったのです。
ナチスによる大量虐殺はなかった。これって日本軍による南京大虐殺なんてなかったというインチキ・プロパカンダとまるで瓜二つですよね。
アウシュヴィッツにガス殺人室はなかった。その証拠に、ガス抜きの煙突はなかったし、シラミを殺す濃度より低い濃度のシアン化合物毒しか部屋の壁から顕出できなかった・・・などと、まことしやかに語られるのです。それを「一流」として定評のある歴史学者が公然と言うのですから始末に悪いです。
シラミを駆除する毒性は人間を殺すより、はるかに高濃度でなければいけない。シラミの耐性は恐ろしく強い。それにひきかえ、人間はいちころで死んでしまう・・・。まるほど、そうなんですね。ガス室の煙突は、ちゃんと残っていて写真で確認できます。
リップシュタットの弁護団はアウシュヴィッツに出かけています。やはり現地に立ってみることは、法廷での弁論を支えるのですね・・・。
リップシュタットの代理人弁護士はインチキ学者を法廷で尋問するとき、わざと視線をあわせなかった。なぜか・・・。長いあいだ、人にじかに視線を向けつづけると、その相手とのあいだに絆(きづな)が生まれかねない。そんな絆なんて、まっぴらごめんだ・・・。もう一つは、インチキ学者の「業績」なんて、たかがしれている、そのことを態度で示すことだ。
アウシュヴィッツの焼却炉は、人間の脂肪を燃やして高温を維持するため、やせ衰えた死体とまだやせ衰えてない死体の両方を同時に火葬できる設計にする必要があった。やせ衰えた死体だけだと、絶えず燃料を補給しなければいけない。知りたくない知見ですね・・・。
もっとも過激な反ユダヤ主義者が、ユダヤ人の友人と親しくしている例は少なくなかった。そんな彼らは決まって、こう言う。ああ、この男は私の友人だ。例外さ。他のやつらとは違う。
イギリスでは名誉棄損の裁判では、訴えられた方が真実であることを立証しなければならない。立証責任がアメリカとイギリスでは正反対。アメリカでは立証責任は原告にあるが、イギリスでは逆に、真実であることを被告が立証しなければならない。

リップシュタットの代理人弁護団として、ダイアナ妃の離婚訴訟の代理人をつとめたイギリスの弁護士に依頼した。1時間5万円という料金の弁護士だ。
リップシュタットの弁護団は、アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷で証言させない。また、リップシュタット本人にも法廷で証言させず、沈黙して押し通すという戦術を貫いた。いずれも、日本人の弁護士には信じられない方針です。
アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷に立たせて、自分の体験していないことをいかに知らないか、インチキ学者の立場で責めたてさせ、悲しみ、辛さをかきたてたらまずいいという事情(情景)説明は、それなりに理解できます。でも、本人に沈黙を強いるというのは、どうなんでしょうか・・・。日本でも同じような作戦で法廷にのぞんだというケースがあるのでしょうか。私には心あたりがありませんので、知っている人がいたら、どんな状況でとった作戦なのか、ご教示ください。
もちろん、リップシュタットの側で、学者証人は何人も繰りだして、インチキ学者のインチキぶりを刻明にあばいていったのです。
リップシュタットの弁護団にかかった訴訟費用は200万ポンドという巨額でした。これはユダヤ人の組織と個人が多額のカンパで支えました。
結局、敗訴したインチキ学者は、この訴訟費用が支払えずに破産してしまったのでした。
戦前の日本軍は植民地を解放しただとか、国の近代化に大きく貢献したから、かえって感謝されるべきだいう声は、昔からほそぼそとですが、上がっていました。ところが、今では恥知らずにも声高で言いつのる人がいます。植民地の表通りだけがきれいになったとして、それを支配されている民族は喜ぶべきだなんて、そんな押しつけ論法はありえません。
かつての日本人は、貴重な血を無為に流させられてしまったのです。その反省なしに、今の日本の「繁栄」は続くわけがありません。
映画をみていない人にも一読をおすすめします。骨ある文庫本です。
(2017年11月刊。1194円+税)

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2018年4月27日

小説・司法試験

司法

(霧山昴)
著者 霧山 昴 、 出版  花伝社

ほとんどの弁護士にとって、司法試験とは悪夢のようなもので、とても思い出したくない、早く忘れ去ってしまいたいものです。ところが、著者は、その悪夢の日々を当時の日記やメモをもとに刻明に再現していきます。
それは、司法試験の勉強って、どうやって何を勉強するのか、授業には出席したほうがいいのか、ゼミでは何をどうやって議論するのか、それがまず明らかにされます。
そして、毎日の味気ない勉強をどうやったら集中して続けることが出来るのか、スランプに陥ったときの脱出法も語られます。たまには息抜きも必要です。アルコールにおぼれないように、健康管理しながら、意気高く、集中力を維持するにはどうしたらよいか。そのときには、笑いだって必要です。ええっ、受験生が笑って過ごしていいのか・・・。いや、むしろ必要不可欠だと著者は断言します。何を、どうやって笑うのか。
ついに試験本番に突入します。試験会場で心を落ち着ける秘訣は何か、もっている実力を過不足なく発揮するには、どうしたらよいのか。体調管理、とりわけ良質な睡眠時間をいかに確保するか・・・。時間配分はどうするか、正解なのか迷ったときの対処法、論文式試験で答案を書きすすめるときの筋道(アウトライン)のたて方をどうするか、そもそも文章を書きなれておくために有効なことはないか・・・。最後に遭遇する口述式試験で、試験官と気持ちよく対話するためにはどんな心構えが必要か。頭が白紙状態になったとき、どうやったら泥沼から脱出するか・・・。条文をおさえ、定義を述べて重要な論点を落とさない、そんな受験生になるためには、毎日、何が必要なのか・・・。
夏に試験勉強をはじめて5月に短答式を受けてなんとか乗り切り、7月の論文式には実力のすべてを出し切って、8月に山歩きをして、9月下旬の口述式試験では、試験官となんとか対話して合格にこぎつけた。そんな苦闘の日々が手にとるように刻明に再現された画期的な本です。
悪夢の日々が目の前によみがえってきます。全国の受験生を大いに励ましてくれると確信しています。480頁もある大作なのに、なんと定価は1500円。価値ある1500円です。ぜひ、手にとって読んでみてください。『司法修習生』(花伝社)の前編にあたります。
(2018年4月刊。1500円+税)

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2018年4月28日

弁護士50年、次世代への遺言状

司法

(霧山昴)
著者  藤原 充子 、 出版  高知新聞総合印刷

高知県での弁護士生活が50年になった著者が、その生い立ちから弁護士になるまでの苦闘の日々を振り返っています。
戦前は高等女学校に入ると、戦争たけなわですから、軍需産業へ女子挺身隊として駆り出され、勉強どころではありませんでした。学徒動員で働いていた工場がアメリカ軍の爆撃で焼失し、恩師も亡くなっています。
戦後は、大学に入ることができず、神戸経済大学専門部に入ります。そして、中学教師になるのでした。英語と高等科目を教え、日記は英語で書いていたのです。すごいですね。私もフランス語で日記を書こうかなとチラッと考えたことがありますが、すぐあきらめました。語学の勉強は毎日それなりの時間を確保する必要があるからです。私は読書のほうを選びました。
教師生活1年半のあと、三菱信託銀行神戸支店で働くようになりました。銀行では男女差別と果敢にたたかい、労働組合に婦人部をつくろうと必死でがんばります。銀行内には、男女差別は当然だという声が強くて、著者が支店で活躍するのを心良く思わない上司がいたようです。残念ですが、本当でしょうね・・・。
銀行で与えられた仕事についての不満から、次第に銀行を辞めて法曹界への転身を考えるようになったのです。著者は苦労したあげく司法試験に合格し、司法修習20期生になりました。同期には、江田五月、横路孝弘、高村正彦、そして宮川光治・元最高裁判事がいます。
著者は、原発と同じくアベ改憲は許さないと叫んで訴え、これまでスモン訴訟をはじめとする大型裁判にはいくつも加わっています。弁護士としての50年の歩みは下巻で紹介されていますので、今から楽しみです。
(2017年6月刊。1389円+税)

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2018年4月29日

出土遺物から見た中国の文明

中国

(霧山昴)
著者 稲畑 耕一郎 、 出版  潮新書

中国の古代文明が次々に地下から発掘されていて、その素晴らしさに圧倒されてしまいます。この本で紹介されている、いくつかは幸いなことに私は現地で拝観させてもらいました。
なんといっても、第一番にあげるべきなのは、秦の始皇帝の兵馬俑です。福岡市の博物館などの特設展で見たこともありますが、現地に行けば、口を開くことができないほど、(いえ、開けた口を閉じることを忘れるほど)圧倒され、感嘆のきわみに陥ってしまいます。なにしろ想像を絶するスケールです。東西230メートル、南北62メートル、6000体の実物大の将兵が地下で並び立っているのです。
日本ファーストなんて馬鹿げたことを言っている日本人は、これを現地で見てから死んでほしいものです(日光を見ないで死ねないのモジリです)。
曾候乙墓(そうこういつぼ)も、信じられないほどの見事さです。古代中国の音楽そして舞踏が、いかに発達していたかを十分しのばせてくれます。武漢の北側の湖北省から出土しました。紀元前433年ころに亡くなった曾国の君主の墓から出土した巨大な楽器です。長さ7.48メートル、高さ2.65メートル、総重量5トンというものです。
我が家には、感動のあまり現地で買い求めたミニチュアの楽器が今も飾られています。
四川省広漢市で発掘された三星堆(さんせいたい)は、残念ながら現地で拝んでいませんが、まことに奇妙な顔と眼をした青銅製の仮面です。黄金のマスクをした青銅の人頭像は、まるでピカソの抽象画を形にしたかのようです。
中国では、地下に埋もれている遺跡を慎重に発掘し続けているようです。現代人の好奇心を満足させるために掘りあげるだけなら簡単なことだけど、その科学的分析ときちんと永久保存するためには、最適の環境を保証する場所と最新の技術が必要だというのです。なるほど、と思います。
日本でも高松塚古墳などの保存には苦労しているわけですし、なにより「天皇陵」の発掘を少しずつ慎重にすすめていくべきだと思います。「日本民族」のルーツを探るのは国家の使命の一つなのではないでしょうか。いつまでも「タブー」であってはなりません。
(2017年11月刊。899円+税)

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2018年4月30日

太王四神記(下)

朝鮮

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩聲社

高句麗の広開土王の智謀あふれる勇猛果敢な戦いを眼前に見る思いのする歴史小説です。
広開土王の率いる高句麗軍は、精鋭の鉄騎を揃えた伽倻(カヤ)軍と、蛮勇で鳴らす倭(ウェ)軍を、ほとんど被害もこうむらずに壊滅させ、百済(ペクチュ)軍を撃退するという大勝利を収めた。この倭軍が、日本から朝鮮半島に進出していたと解されている軍隊です。この高句麗軍の大勝利を聞いて、後燕(フヨン)は撤退していった。
この小説の面白いところは、当時の戦争(戦闘)について、戦略を語ったうえで、個々の戦闘場面にまで実況中継のように詳細に語っているところです。
高句麗が後燕と戦っている間隙を縫い、帯方地域を急撃した百済と倭の連合軍は、悲惨な敗戦を迎えた。
広開土王碑は、次のように記録している。
「永楽14年、甲辰年に倭が法道に逆らい、帯方地域を侵略した。彼らは百残(済)軍と連合し、石見城を攻略した。王は自ら軍土を率いて、彼らを討伐するため平壌を出発した。揚花峰で敵に遭遇した。王は敵を防ぎながら、隊列を断ち、左右から攻撃した。倭冦壊滅し、死者甚大」
広開土王碑については偽碑とか改ざん説もありましたが、今では歴史的事実をかなり反映していると解されています(と思います)。
その広開土王碑の戦いを、こうやって小説として目の前で展開してもらえて、本当にありがたく、またワクワクしながら読みふけってしまいました。5世紀のころの話です。
(2008年6月刊。1500円+税)

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