弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年4月 5日

収容所のプルースト

ポーランド

(霧山昴)
著者 ジョセフ・チャプスキ 、 出版  共和国

第二次世界大戦のなかで、ポーランド軍の高級将校がごっそり行方不明となってしまいました。カチンの森虐殺事件です。ソ連はヒトラー・ナチス軍が犯人だと名指ししました。ヒトラーは逆にソ連軍こそ犯人だと反論し、欧米が静観したこともあって容易に決着がつきませんでした。今では、スターリンの指示によるポーランド知識層の抹殺を企図した大虐殺事件だったことが判明しています。スターリンはソ連国内で、大粛清をすすめましたが、ポーランドを思うままに支配するために、とんでもない虐殺を敢行したのです。悪虐な独裁者だというほかありません。
この本はカチンの森虐待事件の被害者になる寸前に助かったポーランド人の高級将校が、収容所内でプルーストの「失われた日を求めて」を講義していた事実を再現しています。実は、私もプルーストの「失われた日を求めて」に挑戦し、挫折してしまった者の一人です。なにしろ長文の小説です。「チボ―家の人々」はなんとか読破しましたが、「失われた日を求めて」は、読みはじめてまもなく投げだしてしまいました。
なぜ、明日をも知れぬ身に置かれながら、プルーストの小説についての講義を収容所内で受けていたのか・・・。それは、人間とは、いかなる存在なのか・・・という重要命題そのものなのです。
ハリコフに近い町の15ヘクタールほどの土地に4000人ものポーランド人将校が押し込められ、1939年10月から1940年春までを過ごした。精神の衰弱と絶望を乗りこえ、何もしないで頭脳がさびつくのを防ぐため、ポーランド人将校たちは知的作業に取りかかった。軍事、政治、文学について講義をし、語りあった。結局、この4000人のうち800人ほどしか生き残っていない。それでも人々は零下45度にまで達する寒さのなかで、労働のあと、疲れきった顔をしながら、自分たちの置かれた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて耳を傾けた。
プルーストは、出来事に対して、遅れて、そして複雑に反応する。
プルーストは、何らかに印象に触れた瞬間の感激をすぐに吐き出すのではなく、印象を深め、正確に見極め、その根源にまで至ることで、それを意識化することこそ、自分の義務だと考えていた。
匂いのしみついたマドレーヌとともに、この紅茶のカップから浮かび上がってきたのは、無意識的な喚起だった。マドレーヌの匂いによって喚起された記憶が立ち上がり、深まり、しだいにプルーストの生家やゴシック様式での古い教会や少年時代の田園風景のかたちをとり、年老いた伯母たちや料理人や家の常連といった、母や祖母が愛した人たちの顔が浮かび上がってくる。主人公は、自分の人生に関わった多くの知人・友人たちが、時の作用によって変貌し、老い、膨れあがり、あるいは、かさかさに乾いてしまったのを目撃した。
プルーストとは、顕微鏡で見た自然主義である。
スワンの魅力の本質は、このうえない自然さと、一貫して優しいエゴイズムにある。金も人脈も、それ自体が自然なのではなく、自分がいちばん自分らしくいられる場所へと導くための手段でしかない。
プルーストの作品には、いかなる絶対の探究もなく、あの長大な数千ページのなかに「神」という言葉は一度も出てこない。
収容所の講義に使われたノート、あるいは、講義を受けた人の書いたノートがカラーコピーで紹介されています。すごいものです。
人間が人間たる所以(ゆえん)は、こうやって死の迫る状況下でも、頭のなかは自由に物事の本質を深く交めたいという思い(衝動)なのだ。このことがよく分かる本でした。
精神的活動がなければ、日々はただ生存の連結にすぎなくなってしまう。精神の活動こそが、今日を昨日と区別し、わたしを他者と区別する。つまり、人間を人間たらしめてくれる。多くの収容者が必至で日記をつけようとするのも、このためである。読書の機会は、他にかけがえのないものとなる。
人間とは何かを改めてじっくりと考えさせてくれる、まれに見る良書でした。

(2018年1月刊。2500円+税)

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