弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
世界(フランス)
2018年2月25日
パリのすてきなおじさん
(霧山昴)
著者 金井 真紀 、 出版 柏書房
もう何年もパリには行っていませんが、フランス語を毎日勉強している身としては、またぜひ行きたいところです。
この本はパリ在住40年という日本人(広岡裕児氏)の案内でパリの各所で出会った男性をイラストつきで紹介しています。さすがプロのイラストレーターだけあって、おじさんたちの肖像がよくとらえられています。このイラストをながめるだけでも楽しい本です。
パリの女性は服をたくさんもっていないけれどエレガントに装って生きている、そんな本が日本でも売れましたよね。この本には服も靴もほとんど持っていないという男性が登場します。持っているのは長袖シャツ5枚、デニムを5本、黒いスニーカーを4足だけ。スーツを1着持っているが、ほとんど着ることがない。服に求めるのは、目立たない色と実用性。服を選ぶときに、あれこれ迷って悩むのは時間のムダ。2分考えればすむことを、人は大げさに考え過ぎている。人生はシンプルに考えるべき。人生には予想外のことが起きる。そして、限りがある。だからこそ、本質的なことだけに目を向けるべきだ。
その反対に、夫婦ともに弁護士の39歳の男性はお気に入りのスーツは30着、靴も30足もっていて、そのほとんどがオーダーメイド。ローマとミラノにわざわざ服をつくりに行く。
アフリカのマリから出稼ぎに来ている男性は出身地や共同体で人を一般化したらいけないという。この国の人はこういうタイプ、なんていうのは全部がウソ。本当にそのとおりです。日本人にしても一般的な傾向は言えるとしても、そもそも日本人は裁判が嫌いだなんていうのがウソであるのと同じように、下手な日本論をふりかざすのは認識を間違ってしまうだけです。
パリの演劇人が、どうやって生活しているかという話は興味深いものがあります。フランスのショービジネス業界の失業保険制度で演劇人は暮らしが安定している。映画・演劇・キャバレーなどで働くフリーランスは、前年にはたらいた時間と収入額の証明書を提出すると、それに応じて、次の年に最大6ヶ月分の失業手当が出る。取材を受けた36歳の男性は月1600ユーロの収入があって、なんとか暮らしていけるとのことです。
イラストのうまさに惹きつけられて、あっというまに読み終えてしまいました。人間って、顔も皮膚も違っていても、あまり頭の中は変わらないんだな、そう思わせる本でもありました。平和が一番です。
(2017年12月刊。1600円+税)
2017年9月 7日
私にはいなかった祖父母の歴史
(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版 名古屋大学出版会
ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦によって殺されていったユダヤ人たちの生きざまを丹念な取材によって極力再現しようとしたフランスのユダヤ人歴史学者による力作です。
先日、天神の映画館でみた映画「少女ファニーと運命の旅」の背景にあった歴史的事実も紹介されています。
ユダヤ人住民の保護を組織する機関の一つ「アムロ委員会」は、フランスにおけるレジスタンス組織のなかではもっともはやい時期に成立した。「休暇学校」は、ユダヤ人の子どもたちを田舎に住まわせ、強制収容所に小包を送る。1943年来、500人のユダヤ人の子どもが隠れて生活していた。パリに近い、パリから300キロの範囲内。農村家族による受け入れが目立つ。受け入れ家族に頼り、子どもたちを分散させる。
そして、強制(絶滅)収容所におけるゾンダーコマンドが、これまた映画「サウルの息子」に描かれた状況ですが、詳細に再現されています。私は、ゾンダーコマンドが武器をもって反乱に立ち上がったこと、そして死体焼却棟を必死で爆破しようとしたことに深い感銘を受けました。人間の崇高さを感じ、頭が下がります。
1943年3月4日の晩に第49番列車から降ろされたユダヤ人は993人。そのうち男性100人と女性19人が選別され、残り874人は収容所に入ることもなく、ただちにガス室で殺された。彼らにとってアウシュヴィッツは、ただ殺害されるだけに降りた鉄道の終着駅だった。
1944年10月7日に起きたゾンダーコマンドの反乱は、第49番移送列車にいて選別された男性100人のうちの二人によって指揮された。この二人は、戦間期のパリで活動していたポーランド人組合活動家だった。
死体焼却炉をつくったトプフ社は、5台の焼却炉で1日につき1140体まで燃やすことできると言っていたが、実際には1日に1000「個」までいかなかった。それでも、トプフ社のナチ技師は自分の発明に大きな誇りをもって特許をとった。
ガス室から死体を引き出すのはユダヤ人からなる特別作業チーム「ゾンダーコマンド」。生き残った人は次のよう語る。
「一番ひどい瞬間はガス室を開けるときだった。あの耐え難い光景。人々は玄武岩のように押しつぶされ、固い石塊になり、なんとガス室の外に崩れ落ちてきた」
死体を焼くときには、人体の脂は燃焼を助けるが、「ムズルマン」と呼ばれる絶望した人々の死体を焼くときには体に脂がないので、コークス発生炉を運転させた。よく燃えなかった骨盤は取り出して砕く。
死体焼却炉で人々が焼かれる状況が描写されます。
「最初に火がつくのは髪の毛である。肌は気泡で膨れ、数秒にして破裂する。腕と脚はよじれ、血管と神経は引っ張られて四肢が動く。すでに体全体に炎がまわり、肌は破れて、脂が流れ出す。烈火の燃え盛る音が君にも聞こえるだろ。もう体は見えず、地獄の猛火が内側で何かを焼き尽くすのが見えるだけだ。腹が破裂する。腸や内臓が噴き出し、数分でもう跡形もない。頭は燃えるのに、もう少し時間がかかる。二つの小さな青い炎が眼窩の中で瞬いている。一番奥にある脳漿とともに燃え尽きていく眼だ。口の中では舌がまだ焦げている。全過程は2分続く。そして、一つの体、一つの世界が灰に帰す」
1944年夏。ハンガリーのユダヤ人絶滅のため、死体焼却炉はフル稼働し、このときゾンダーコマンドの人員は900人と最大になった。
1943年夏以降、ゾンダーコマンドの内部に抵抗の核が形成された。
1944年6月、ナチは反乱の計画を察知し、ゾンダーコマンドを昼も夜も死体焼却棟の中に閉じ込めた。
アウシュヴィッツの非ユダヤ人抵抗者は、できる限り長く持ちこたえるべきだと考える。それに対して、ゾンダーコマンドのユダヤ人は、自分たちがいつでも粛清される恐れがあることが分かっている。
レジスタンスたちは、外部のポーランド・レジスタンスと連携し、死体焼却棟における女性たちのガス殺の写真をとってひそかに外部へ送る。弾薬工場で働く女性たちが生命の危険を冒して渡してくれた爆薬を蓄えていく。
そして、1944年10月7日、パリ解放の1ヶ月半後、ゾンダーコマンドたちは決起した。大勢が収容所の外へ逃げていくとき、二人が残って死体焼却棟を爆破する。決起・反乱は失敗し、450人のゾンダーコマンドはナチによって処刑された。
指導者の一人は、収容所で起きたことを書いて、ガラス瓶に入れて地面深く埋めた。戦後になって発見され、活字になって紹介されたが、それは1970年代になってからのこと。
本書はフランス学士院賞をとったとのことです。思わず息を吞みこむほど、大変な迫力のある力作でした。
(2017年8月刊。3600円+税)
2017年7月17日
「レ・ミゼラブル」の世界
(霧山昴)
著者 西永 良成 、 出版 岩波新書
ヴィクトル・ユゴーと、「レ・ミゼラブル」について掘り下げた本です。あの大作を改めて読みたくなりました。といっても、実は、私は全文を通して読んだことはないと思います。子ども向けの本はもちろん読みましたし、フランス語を勉強していますので、いくつかの章は原文でも読んではいるのですが・・・。
ユゴーが死刑廃止を必死で訴えていたというのを初めて知りました。日本の弁護士には、死刑制度の存続を強烈に主張する若手弁護士の集団がいて、私には違和感があります。
死刑とは何か? 死刑とは、野蛮さの特別で永遠のしるしである。死刑が乱発されるところは、どこでも野蛮が支配する。死刑がまれなところは、どこでも文明が君臨する。
驚くべきことに「レ・ミゼラブル」は、カトリック教会の禁書リストに1962年まで入っていた。それは、協会の正統的な教義に反する深刻な内容がふくまれていたからだ。
ユゴーは、洗礼を受けておらず、自分が新でも宗教的儀式とすることを禁止した。しかし、ユゴーは無神論者ではなかった。
ユゴーはルイ・ナポレオンを初めは賛美していたが、あとではナポレオン3世を徹底的に批判した。「レ・ミゼラブル」の発表から8年後、1870年にナポレオン3世は、普仏戦争で捕虜となって退位する。そして、ユゴーは、亡命先からフランスに戻った。1885年に亡くなり、国葬とされたときには、200万人もの人々が葬列に加わった。
ユゴーは、貧困が犯罪を生み、刑務所が犯罪者をつくり出すと考えた。
これは、弁護士生活40年以上になる私の実感でもあります。
ジャン・ヴァルジャンは、意図的に何度もイエス・キリストになぞらえられ、あたかも殉教者のように描かれている。
500頁の文庫本で5冊という大長編小説。登場人物も100人をこえる。
フランスでは、聖書に次いで読まれている。
いやはや、大変な大長編小説なのですね。どうしましょうか・・・、読むべきか、読まざるべきか、それが問題だ。
(2017年3月刊。780円+税)
2017年6月25日
フランスの美しい村・愛らしい町
(霧山昴)
著者 上野 美千代 、 出版 米村推古書院
フランスには、「もっとも美しい村」と認定された村々があります。私も、そのうちのいくつかに行ったことがありますが、たしかに「もっとも美しい村」だと名乗っていいところだと思いました。
フランスが日本と違うところは(私がそう思うのは)、日本のように派手な広告・看板・ネオンサインがなく(少なく)、昔の外観を残して(内装は近代化しても)いることです。ですから、そこに行くと、心が本当に落ち着くのです。
そして、人々はテラス席、つまり店内よりも店の外のテーブルで飲食し、談笑し、のんびりと時を過ごしています。それは、、なぜか不思議なのですが、蚊やハエがいない(少ない)ことにもよります。日本だったら、蚊取り線香やらハエ取り紙をそこらじゅうに置いておかなければいけないのに、フランスは夜になっても外で食事をしても虫が寄ってこないのです。本当に不思議です。
そして、南フランスだと、夏に雨が降ることはなく、夜の8時まで昼間のように明るいのです。ああ、こんなことを思い出すと、またぜひフランスに行ってみたくなります・・・。
毎年のようにフランスに行っていたのですが、このところ残念なことにフランスに行っていません。それでも、フランス語のほうは日夜話せるように勉強し、努力しています。
この本の著者は英語オンリーでフランス中をまわったようですが、やはりフランスではフランス語を話せるのにこしたことはありません。私のフランス語力はたいしたことはありません(残念なことに・・・)が、それでもフランスで旅行するのには困らない程度のレベルではあるのです。なにしろ、弁護士になって以来、つまり40年以上、NHKのラジオ講座を聞き、仏検を受験しているのですから・・・。
フランスの美しい村、愛らしい町として本書に登場してくる場所のいくつかは、私も訪れたことがあります。南フランスのエクサンプロヴァンスには2回も行ってきました。初めは40代のとき、「独身」と詐称して妻子を置いて4週間も学生寮に入り、外国人向けの夏期集中講座に参加したのです。私は、これでフランスで暮らしていけるという自信がつきました。
日本にも、たくさんの美しい村や愛らしい町があります。いま私は、そんな町や村になんとかして残らず行ってみたいという「野望」に燃えています。
フランスの地方の良さがコンパクトに凝集された写真で、一見の価値があります。お値段も手頃です。著者の女性は、なんと福岡県は門司港近くでカフェを営んでいるとのこと。ぜひ、ご挨拶したいものです。
(2017年3月刊。1780円+税)
2017年5月20日
写真家ナダール
(霧山昴)
著者 小倉 孝誠 、 出版 中央公論新社
この本で、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・マゴー、ジョルジュ・サンドなどのくっきりした肖像写真に接し、彼らの人柄を初めて具体的にイメージすることができました。
詩集『悪の華』で有名な詩人ボート・レールが、「ナダールは生命力のもっとも驚くべき表現である」と高く評価したという写真家ナダールを紹介した本です。豊富な写真のあるのがうれしい限りです。
ナダールは1820年に生まれ、第一次世界大戦の始まる前の1910年に亡くなっていますので、19世紀フランスに生きた人だと言えます。
ナダールはボヘミアン的作家、ジャーナリスト、風刺画家、そして写真家であり、気球冒険家でした。1857年に初めて気球に乗ったナダールは気球から地上の写真も撮っています。そして、写真家としては、パリの地下水路やカタコンベ(地下墓地)まで撮影しているのです。
アレクサンドル・デュマは『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で名高い作家ですが、その肖像写真は、「根拠ある自信にあふれた表情」というキャプションがついています。なるほど、今にも何か話しかけてきそうな顔写真です。
シャルル・ボードレールはナダールの親しい友だちでしたが、何かもの言いたげな表情をしています。
パリ・コミューンを圧殺した政治家であるティエールは、権力欲に取りつかれた野心たっぷりの表情です。そのほか、エミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサン、オーギュスト・ロダン、クロード・モネなど、当時のフランスを代表する著名人の顔写真がたくさん紹介されていて飽かせません。
(2016年9月刊。2600円+税)
2017年3月14日
フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか
(霧山昴)
著者 ヴァンソン藤井由美、宇部宮浄人 、 出版 学芸出版社
日本全国、どこに行っても中心街のさびれ方はすさまじいものがあります。どこもかしこもシャッター通り商店街になっています。残念です。ところが、フランスでは地方都市の中心部には人が集まっていて、シャッター通りにはなっていません。その理由を探った本です。写真もたくさんあって、納得できる理由が示されています。まずは、日本の現状です。
日本の商店数は半減し、年間販売額も3分の2以下となった。人口10万人未満の小都市だと、商店数で3分の1、年間販売額は半分以下。人口10万人から100万人未満の都市や100万人以上の大都市も、商店数は半減し、年間販売額は7割以下ないし6割まで低下している。
フランスの地方都市の中心市街地は、「歩いて楽しいまちづくり」が出来ているので、土曜日など、身動きできないほど混雑する。
フランス人は、日本人が定年してから故郷へUターンを考えるというのではなく、大学と最初の就職を終えて、30代半ばから地方都市での生活を考える。これは日本と違いますね・・・。
フランスの小都市でも、郊外には大型店舗がある。フランスでも、クルマは生活必需品だ。しかし、中心市街地にはクルマを乗り入れないように計画されている。市内電車だ。低床でカラフルな市内電車が市街地を走り、そこにはクルマの乗り入れを禁止している。
歩行者優先のまちづくりをすすめている。
自転車が大いに奨励されている。電動自動車の普及率も37%。自転車レンタルシステムもあるが、1年間、自転車を無料貸し出しする都市もある。
久留米市でも自転車のレンタルシステムが出来ていますが、実際の利用率はどうなのでしょうか・・・。
フランスでシャッター通りにさせない工夫の一つとして、「空き店舗税」があります。1年以上も空き家にしておくと、所有者には「空き家税」が課税されるのです。これによって、所有者の貸し渋りがなくなります。
にぎわう中心市街地に店をかまえている人々に、古くから住人でいるオーナー店主は少なくて、ほとんどがテナント店主。
そういうことなんですね。人々が集まることが先決なので、古くから、そこにいる人々のために何かがされているのではないようです。発想の転換が必要です。
フランス人は、食料品買い出しの72%を大型スーパーでし、残りをまちのパン屋、肉屋、惣菜屋で購入する。そして衣料品は、スーパーより個人店舗で購入している。DVDや本はインターネット購入する。
日本人も、こんな買い分け方をして、個人商店の利用をもっと考えたら、中心地の商店も生きていけるのですね・・・。
わずか200頁のブックレットですが、今後の日本の中小都市にとって役に立つ本だと思いました。
(2016年12月刊。2300円+税)
2017年3月 1日
フランスはどう少子化を克服したか
(霧山昴)
著者 髙崎 順子 、 出版 新潮新書
保育園落ちた。日本、死ね
昨年のちょうど今ごろの叫びでした。今年も4月からの保育園入園をめぐって、多くの父母がてんやわんやです。ところが、この本を読むと、フランスでは3歳児からの保育園学校に全入制が実現しているというのです。しかも、保育料がタダ。これだったら、安心して子どもを産み、育てることが出来ますよね。それが出来ない日本なんて、まさしく日本、死ね、です。国を愛するどころではありませんよ。
フランスでは、毎年9月、その年に満3歳を迎える子どもが一斉に保育学校に入る。
義務教育ではないものの、教育費は無料、入学率はほぼ100%(2015年)。
3歳児以上の「待機児童」なるものはフランスには存在しない。
なんと、うらやまいしことでしょう。安倍首相も少子化対策を口にするなら、すぐやるべきです。
フランスでは、子育ては大変なことだと社会全体が認めている。
フランスでは、父親が育児に参加するのはあたりまえ。
父親にも3日間の出産有給休暇が認められているうえに、11日連続の「子どもの受け入れと父親休暇」がとれる。これは7割の父親がとっている。つまり、14日間の「男の産休」が認められている。この14日間のうちに男たちは父親になっていく。
いま雇用現場で、子どもの出産で父親が休むことは、絶対不可侵の神聖な休暇と考えられている。これはこれは、日本でも早くそんな考え方を普及したいものです。
それでも、フランスでも父親の育児参加が本格化したのは2000年代になってから。
フランスで出生率が回復した原因の一つに、無痛分娩の普及があげられる。
フランスの出産は無料。
フランスの保育学校では、おむつやエプロンは園から支給される。親は持参することも、持ち帰ることもない。
フランスでは、3歳児からは、「保育」ではなく、「公教育」の対象と考える。
母と子に優しいフランスに日本は大いに学ぶべきです。
みなさん、ぜひ読んで、目を大きく見開きましょう。
(2016年10月刊。740円+税)
2017年1月27日
哲学する子どもたち
(霧山昴)
著者 中島 さおり 、 出版 河出書房新社
フランスで子育て中の日本人女性によるフランス教育事情の体験レポートです。大変面白く、かつ、日本人として大いに考えさせられました。
フランスでは小学校から大学まで公立教育費は無料、そして、子ども代表は学校の成績査定会議に出席して意見を述べる。そして、高校生のデモはあたりまえ。
フランスでは子どもと教育が本当に大切にされている国だと思います。
今の日本は受験戦争、そして何でも自己責任、自己負担。国立大学の授業料は私のときは月1000円。そして、月8000円の奨学金(うち3000円は貸与制)がありました。今では年間の授業料が私立大学と変わらなくなり、奨学金は利子までついて、まさにローン地獄化しています。ハコものや軍事予算に使うお金はあっても、人材育成につかうお金がないなんて、日本の政治は根本から間違っています。
フランスでは、3歳での保育学校(日本の幼稚園)から高校まで、公立校だと授業料はタダ。国立大学(フランスに私立大学はほとんどない)は年に数万円の登録料だけで、授業料なし。
3歳児からの保育学校全入は、フランス女性の社会進出を大きく支えている。
フランスの教育の三大原則は、義務性、無償性そして非宗教性である。
フランスの高校生が卒業するときに受ける国家試験(バカロレア)のトップは「哲学」の試験。そのテーマは、たとえば「自由とは、何の障碍もないということか?」、「不可能を望むのは不条理か?」
こんな問題が出題されます。いったい、どう答えたらいいのでしょうか・・・。
これは論理的な文章を書く練習にもなっている。
高校で勉強するのは哲学ではない。哲学することなのだ。哲学を通じて自由に考える市民を養成すること。これが目的だ。
学校の成績会議には、保護者代表と生徒代表も参加する。これは1975年の改革以来、すっかり定着している。
中学から高校まで、留年制度があり、1割くらい留年しても、あまり強い抵抗はない。そして、飛び級も許されている。
生徒代表を選ぶのは生徒による選挙。かなり派手な選挙運動が学校内で展開する。
フランスには高校入試がない。中学の成績で決まる。決めるのは中学の教師たち。
これでは、日本よりも伸びのびとフランスの子どもが育つのも当然ですね。
(2016年11月刊。1600円+税)
2016年11月22日
戦地からのラブレター
(霧山昴)
著者 ジャン・ピエール・ゲノ 、 出版 亜紀書房
第一世界大戦の最前線で死んでいった兵士が家族に宛てた手紙が集められた本です。涙なくして読めませんでした。まことに戦争とはむごいものだとつくづく思いました。まだ10代、20代、せいぜい30代と若いのに、むなしく無惨に殺されてしまうのです。
そして、前線の兵士たちは、国の指導者、そして戦争をあおり美化するマスコミ・ジャーナリストを呪います。本当に、その気持ちがよく分かります。
戦争は4年も続いたが、全戦死者の実に6分の1が最初の2ヶ月で死んでいった。夏のわずか5日間で14万人もの死者。なかでも、熾烈を極めた一日、1914年8月22日だけで、なんと2万7千人が戦死した。
最初の夏(1914年)、まだ皆、甘く考えていた。激戦は長く続かないだろう。ウィルヘルム二世(ドイツ帝国皇帝)は、早々に兵を引くに違いないと思っていた。激しいプロパガンダ合戦は始まっていたが、ほとんど人たちは、そんなものに関わっていなかったし、兵士たちは、この先に何が起こるのか分からず、ただ不安を抱えたまま、家族や職場に別れを告げた。
兵営や塹壕の腐臭が、僕らの抵抗が、僕らの苦痛が正義や幸福をつくるとは思えない。
名誉とか軍の義務とか、犠牲とか、そんなものは見かけ倒しにすぎず、戦争というのは、結局、なかに隠された骸骨のことではないのか。
戦争という娼婦は、その戦争を支える多くの連中の快楽によって出来ている。
「隠そうとしても無駄だから言っておく。今ぼくらは危険な状態にあり、惨劇が予想される。でも、落ち込んだりしないでくれよ。どうせ、皆、いつかは死ぬんだ」
わずか5ヶ月間で100万人のフランス兵が死んだ。当初の召集兵の4分の1だ。
「ぼくらは、まるで一人の人間のように一丸となって進む。そう、ぼくらは、このとき、殺すこと、皆殺しにすることだけしか考えないけだものになっていた」
「人は知るべきだ。この酷すぎる事実を知るべきだと思う。神の力って、どんなものなんだろう・・・」
「わが軍と敵軍、どちらの歩兵部隊も疲弊しており、最初に仕掛けたほうが、先に死ぬのは目に見えている。実際、皆、重機で倒されているのだ。もはや、人と人との戦闘ではなく、人が機械に挑んでいる」
「新聞に書かれているような快進撃なんて、ありはしない。新聞は国民を奮い立たせようと嘘を書くペテン師だ。あんな記事を信じてはいけない。兵士を消耗させるだけなのが戦争だ。戦争はペテンだらけだ。ぼくらはあらゆる業種からかき集められた労働者で、上の奴らは安全な後方で爆弾をつくっている。上の奴らだけが大金を手にし、ぼくらの受けとる俸給はごくわずか。ぼくらはお人好しだな。要するに馬鹿なんだ」
「軍隊に規律なんてない。まるで囚人や奴隷のような扱いだ。若い将校は出世のことしか考えていない。攻撃で手柄を立てるが、陣地を護ることで手柄を立てるが、それしか考えていない。どっちみち、下っ端の兵士が犠牲になる。将校には計画性がない」
そして、映画にもなっていますが、最前線にいたドイツ軍とフランス軍がクリスマス休戦をしたのです。お互いの塹壕を訪問しあい、煙草や葉巻を交換しあった。
「こっちも泥だらけなら、向こうも泥だらけ。ぞっとするほど汚くて、ああ、あいつらもきっともう嫌になっているんだなと思った」
「敵兵もフランス兵もひきつった死に顔は同じだ。はぎとられ、暴かれ、まざりあい、風が吹きつける戦場に散らばっている。弔ってくれる新しい者も聖職者もいない。朽ち果てていく死体には敵も味方もいない」
「戦争が2年も続いているうちに、人々が徐々に利己的になり、戦争に無関心になってきたのを感じる。ぼくたち兵隊のことなど忘れてしまったかのようだ。故郷に帰っても、まるで無関心の人がいる。おまえ、まだ生きていたのかと驚かれる」
「ドイツ兵捕虜の手紙を読んだ。彼らの手紙はぼくらの手紙と同じだった。みじめな生活。和平を心待ちにする思い。あらゆる行為の馬鹿馬鹿しさ。つらい思いは、みな同じだ。あいつらも、ぼくたちと同じ人間なんだ。不幸せな人間であることに変わりはない」
「新聞は腐りきった財界人と政治家の言いなりだ。戦争支持者と残酷な勇者を讃えるばかり」
「ぼくらは獣によりさがっている。まわりの兵を見ていて、そう思うし、自分についてもそう感じる」
『聞け、わだつみの声』を思い出しましたし、第二次大戦で生き残った日本兵の手記を読んでいる思いがしました。
そして、いま、日本の自衛隊が遠いアフリカまで出かけていって、ついに「戦死」者を出そうとしています。とんでもない事態です。愚かな財界人と政治家たちの金もうけのためにアフリカの地で、日本の平和とは関係なく「戦死」させられる若者の生命がいとおしくてなりません。今に生きる貴重な本だと思います。
(2016年10月刊。1900円+税)
2016年9月23日
ぼくは君たちを憎まないことにした
(霧山昴)
著者 アントワーヌ・レリス 、 出版 ポプラ社
ここ数年、フランスに行っていませんが、ひところは毎年フランスに行っていました。
毎日、毎朝、NHKのフランス語ラジオ講座を聴いて、聞きとり、書きとりをしているのもそのためです。英語は全然話せませんが、フランス語なら多少は話せます。駅やレストランでも大丈夫です。そんなフランス大好きな私にとって、パリで無差別テロだなんて、本当に許せませんし、信じられません。
昨年11月13日、パリ中心部で同時多発テロが起きて、130人以上の罪なき市民が亡くなってしまいました。著者の奥様もその一人です。バタクラン劇場にいたのでした。
ジャーナリストの著者は、1歳5ヶ月の長男とアパルトマンで留守番して、妻の帰りを待っていたのです。
憎しみは犯人への罪を重くすることに役立つかもしれない、被害を量る裁判のために。でも、人は涙を数えることはできないし、怒りの袖で涙を拭うこともできない。相手を非難しない人々は、悲しみとだけまっすぐに向き合う。ぼくは自分がそういう人間だと思う。
やがて、あの夜に何が起こったのかを訊いてくるに違いない息子と一緒に、向き合おうと思う。
もし、ぼくたちの物語の責任が他人にあるとしたら、あの子に何と言えばいいのだろう?
あの子は答えを求めて、その他人に、なぜそんなことをしたのはと問い続けなければならないのだろうか?
死は、あの夜、彼女を待っていた。彼らは、その使者でしかなかった。彼らはカラミニコフを撃って、ぼくたちのパズルをめちゃめちゃにした。ぼくたちが、それを一枚ずつ元に戻したとしても、もう前と同じにはならない。パズルボードの上には、もう彼女はいない。ぼくたち二人しかいない。けれどぼくたちは最後まで、ピースを埋めていくだろう。彼女はすぐそばで、見えないけれど、一緒にいてくれるだろう。
人は、ぼくたちの目の中に彼女の存在を感じ、彼女の炎がぼくたちの喜びを輝かせ、彼女の涙がぼくたちの血管の中に流れていることが分かるだろう。
元の暮らしには、もう戻れない。だが、ぼくたちが彼らに敵対した人生を築くことはないだろう。ぼくたちは、自分自身の人生を進んでいく。
金曜日の夜、きみたちはかけがえのない人の命を奪った。その人はぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。それでも、きみたちがぼくの憎しみを手に入れることはないだろう。きみたちが誰なのか、ぼくは知らないし、知ろうとも思わない。
きみたちは魂を失くしてしまった。きみたちが無分別に人を殺すことまでして敬う神が、自分の姿に似せて人間をつくったのだとしたら、妻の体の中の銃弾の一つ一つが神の心を傷つけるはずだ。だから、ぼくはきみたちに憎しみを贈ることはしない。きみたちは、それが目的なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、きみたちと同じ無知に陥ることになるから。
きみたちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見て、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、きみたちの負けだ。ぼくたちは、今までどおりの暮らしを続ける。息子とぼくは二人になった。でも、ぼくたちは世界のどんな軍隊より強い。それにもう、きみたちに関わっている時間はない。この幼い子どもが、幸福に、自由に暮らすことで、きみたちは恥じ入るだろう。きみたちは、あの子の憎しみも手に入れることはできない。
幼い子と二人で生きていくという、きっぱりとした行動宣言に、心が揺さぶられます。
日本の若者がアフリカの「戦場」で殺し、殺されたとき、日本全国がテロの現場になっていく危険があります。暴力に暴力で対抗することほど愚かなことはありません。
本当にいい本でした。お二人の今後の平和な生活を心から願っています。
(2016年6月刊。1200円+税)