弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2024年3月 7日

古代アメリカ文明


(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 講談社現代新書

 「世界四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)というのが、実のところ、学説でもなんでもなく、ヨーロッパやアメリカにはない、特異な文明観だというのを初めて知り、ショックを受けました。有名な考古学者である江上波夫が口調がいいというので教科書に書いたのが日本で広まり、定着しただけなんだそうです。ええっ、一杯くわされたのか...、そう思いました(プンプンプン)。
この本は、それに代わって「世界四大一次文明」を提唱しています。メソポタミア文明と中国(黄河)文明のほか、メソアメリカ文明(マヤ文明とアスデカ王国)とアンデス文明(インカ国家)です。
マヤ文明は、政治的に統一されていないネットワーク型文明。統一王朝が形成されることはなかった。そして、マヤでは鉄はまったく使用されず、16世紀まで石器を主要利器として使い続けた。マヤ文明は、機械に頼らない「手作りの文明」だった。家畜は七面鳥とイヌだけで、牧畜はなかった。大型家畜がいなかったので、荷車なども発達しなかった。牛や鳥もなしで、人力だけで大型建築物を建設した。
そして、マヤ人はゼロの文字を独自に発明した。
マヤ文字は、漢字のように意味を表わす表語文字と、仮名文字のように音節を表わす音節文字から成る。なので、マヤ文字は漢字仮名まじりの日本語とよく似ている。
マヤ文字は話し言葉を体系的に表す文字だったが、支配層だけが使う宮廷言葉だった(可能性が高い)。
マヤ人は、叩き石を用いて、イチジク科の木の樹皮から紙を製造した。
マヤの数字は20進法で、貝の形がゼロを表わした。
マヤ文明は多神教だった。
アステカ王国は、インカ帝国とほぼ同じ15~16世紀に、メキシコから中米北部にかけてのメソアメリカに栄えた。
アステカ王国は、今のメキシコあたりに、それぞれに王を戴(いただ)く三つの都市国家が連合し、主に貢納を課すことで支配領域を広げていった。
 三つの都市国家はお互いに戦争しあうものであって、そもそも一枚岩ではなかった。
 アステカ王国では宗教儀礼としての人身御供(生贄)が長らく実践された。
インカ王国のナスカとは何者なのか...。
 ナスカの地上絵は、ナスカ台地に1500点、北部に600点が確認されている。地上絵は、ナスカ台地に広がる黒い石を線状に取り除いて、その下の白い地面を露出する手法で制作されている。
 地上絵には三つのタイプがある。直線の地上絵、幾何学的な地上絵、そして印象的な地上絵。線タイプ(全長90メートル)と、面タイプ(同9メートル)の二つがある。
 当時の人々は、地上絵を歩きながら見る行為を繰り返しながら、人間と動物をめぐる分類を共有していたのだろう。地上絵を見ながら歩く行為は、社会的に重要な価値観や秩序を共有し、記憶するための必要不可欠な活動であった。
 このように著者は考えています。なるほど、上空から眺めるわけにはいかなかったでしょうからね...。
 インカ王は絶対的な支配者・権力者ではなかった。彼らは山の神々を怖れ敬い、その超大な力との関係を維持しながら統治した。
 古代アメリカ文明は、今の私たちが体験にもとづいて想像するような統一王国ではなかったようです。そのことを知っただけでも、本書を読んだ意味がありました。
(2023年12月刊。1200円+税)

2024年3月 5日

スーザン・ソンタグ


(霧山昴)
著者 波戸岡 景太 、 出版 集英社新書

 2004年に71歳で亡くなったスーザン・ソンタグは、現代アメリカを代表する知識人の一人。
 写真や映画といった映像文化に造詣(ぞうけい)が深く、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも敏感。結核やガンといった病気についても熱心に議論した。そして、ベトナム戦争以来、9.11に至るまで、ずっと社会問題に反応し、政治的な発言を続けた。
 私にとっては、ベトナム戦争反対の声を上げていたアメリカの知識人の一人という印象です。
 評論家、映画監督、活動家という肩書きをもっていた。
知性には具体的なかたちがない。知性というのは、本質的に、見たり触ったりすることができない。
 物書きたるもの、意見製造機になってはならない。私はモノカキを自称していますが、「意見製造機」にはなっていませんし、なるのは無理だと考えています。この世の中は私にとって、あまりに理解困難なことが多すぎます。
 たとえば私は、なぜ鉄下鉄の中で携帯電話で話が出来るのか、まったく理解できません。
 ヴァルネラブルというコトバが何回も本書に登場します。脆弱性、被傷性、可傷性、攻撃誘発性など、さまざまに訳されている、難しいコトバです。
 「人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆(もろ)いものですね。いつ、どんなことで、どんな死にようをしないとも限らないから」(漱石の『こころ』)
 カメラは銃を理想化したもの。誰かを撮影することは、理想化された殺人、悲しく、怯えた時代にぴったりの、ソフトな殺人を犯すこと。これはソンタダの「写真論」の一節。
 カメラには「暴力性」があるというのです。うむむ、よく分かりませんよね...。
 愚か者たちの村、その名はアメリカ...。これはよく分かる気がします。
 だってバイデンは80代で、記憶喪失が心配されているのに、代わりの候補者がいない。トランプに至っては、私には大金持ちで、一般人を見下している、狂気の人としか言いようがありませんが、にもかかわらず、大勢の一般人が信者として存在するというマカ不思議さ。
 ソンタグは何人かの男性を愛し、何人かの女性を愛した。
 結婚して、子(息子)をもうけたソンタグはレズビアンでもあったようです。
 人間には、いろんな側面があるものなんですよね...。

(2023年10月刊。1210円)

2024年2月24日

南北戦争を戦った日本人


(霧山昴)
著者 管 美弥・北村 新三 、 出版 筑摩書房

 アメリカの南北戦争は1861年4月から1865年5月までの4年間、続きました。日本の明治維新は1868年ですから、その直前になります。そのため、官軍と幕府軍の戦闘のとき、南北戦争が終結して不要となった大量の武器がアメリカの武器商人によって日本に持ち込まれたのです。
 アメリカの南北戦争では、両軍の動員総数は326万人、戦死者は62万人超です。その内訳は北軍が36万人、南軍が26万人弱となっています。
 この南北戦争に2人の日本人が参加していたという記録があるというのです。著者は、幕末なのでアメリカへの渡航が禁止されていたはずなのに、なぜアメリカ軍の兵士として日本人が参加できたのか、その可能性を探ったのでした。
 日本人2人の日本名は不明で、1人はサイモン・ダン(21歳)、もう1人はジョン・ウィリアムズ(22歳)。どちらも戦死せず、1865年に除隊しています。目の色も髪の毛も黒く、肌の色は浅黒いとありますから、日本人に間違いないようです。身長は152センチと155センチなので、こちらも当時の平均日本人の身長。
 南北戦争のとき、兵士の人数を確保するため、移民も容易に兵士になれるようにし、帰化権を与えることにした。その結果、北軍兵士の4分の1から5分の1を移民が占めた。
 海軍においては、黒人兵士は全体に占める割合は20%で、陸軍の比率より2倍も多かった。
 著者は、この南北戦争に参加した2人の日本人は漂流者あるいは密航者だった可能性があるとしています。たしかに、日本の漁民が海の時化(しけ)にあって遭難し、はるばるアメリカにまで漂流していった人は何人もいます。音吉、ジョン・万次郎、ジョセブヒコが有名です。
 次に、密航者です。吉田松陰も密航を企てた一人です。新島襄も1864年に箱館港から米船ベルリン号で出国し、中国・上海にしばらく滞在してボストンに着いています。
 著者は、目的のある密航者よりも、漂流者のほうに南北戦争に従軍した可能性は高いとしています。なるほど、ですね。
 江戸幕府は、その最終期に、6つの使節団をアメリカとヨーロッパに派遣した。いやあ、6つもの施設団を送っていたのですか...、知りませんでした。
 また、幕末に海外に留学していたのは合計148人に達するそうです。これまた意外に多いですよね。しかも、幕府が留学生として派遣したのは「士分」(侍)の9人だけでなく、現場での技術・運用を担当する「職方」(6人)を含んでいた。「職方」とは何でしょうか...。町人と解してよいのでしょうか。
 南北戦争に日本人兵士は従軍していただなんて、想像もしませんでした。
(2023年9月刊。1700円+税)

2024年2月18日

フロッグマン戦記


(霧山昴)
著者 アンドリュー・ダビンズ 、 出版 河出書房新社

 第2次世界大戦での米軍水中破壊工作部隊の活躍を紹介した本です。
 アメリカ海軍の特殊部隊として有名なネイビーシールズはベトナム戦争のときに発足した。その前身が、本書で紹介されている水中解体チーム(フロッグマン)。
 第2次世界大戦中のアメリカでは、民家の窓に赤い縁取りの白い旗が取り付けられた。この旗の中央に星がついていて、青い星だと、家族が出征中という意味で、星が金色なら出征した家族が死亡したということ。戦争が2年目に入ると、次々に青から金色に変わっていった。
 フランスに上陸するノルマンディー上陸作戦のときは、解体部隊は30分のうちに、潮が引いているうちに、ナチス・ドイツ軍が設置した海岸防御を突破し、障害物を除去しなければならなかった。オマハビーチに向かった解体部隊は、ナチス・ドイツ軍の障害物を全部で16ヶ所、撤去する任務を負った。重い鉄鋼、木、セメントの障害物のベルトに16列の突破口を開ける。イギリスの帆布職人が負った帆布パックを使って、それに20個の爆薬を詰めた。
 オマハビーチの解体部隊は16列のうち13列の突破口を開けることができた。しかし、解体部隊員の31人が死亡し、60人が負傷した。死傷率は52%に及んだ。
 日本軍を相手とするサイパン占領のときには、200人の水泳隊員の活躍で、1日に2万人の部隊が完璧に上陸できた。
 水中では、隊員は横泳ぎと平泳ぎですすむ。脚と腕は決して水面より上に出してはいけない。多くの水しぶきをあげるクロール泳法は、緊急時のみ許される。特殊な背泳ぎも学んで実行する。
水中で息を止めるコンテストがあった。意識を失わずに4分をこえた者はほとんどいない。あるスイマーは5分5秒を記録したが、2分45秒も息をとめられたら、すごいことだ。
 たしかに、水中工作物の除去が必要なことはあったでしょうね。そしていささか特殊な訓練と技能が求められますよね。いろいろ教えられました。
(2023年7月刊。3960円)

2024年2月 1日

ラパスの青い空


(霧山昴)
著者 下村 泰子 、 出版 福音館日曜日文庫

 1995年11月発行の古い本です。このころ30歳代の若い日本人女性がボリビアに1年間滞在したときの生活と苦労話が紹介されています。ずっと前から我が家の本棚にあったのですが、読んでいないので、思い切って読んでみました。とても面白い本でした。
 著者は京都YWCAに勤めて不登校の若い人たちと交わるなかで、このままなんとなく流れに乗ってやっていては、いつか足元にぽっかり穴があいてしまう。ここはいっぺん、まるごと自分をリフレッシュせなあかんと思い立ったのでした。そこで、まずは仕事を辞めたのです。なんのあてもないまま...。そして、募集記事を見てボリビアに行くことを決めました。先住民の人口比が多い国だというのもボリビアを選んだ理由の一つでした。
 ボリビアの首都ラパスは標高4千メートル超ですので、たちまち高山病にかかりました。どこかふわふわと漂っている感じがして、足どりも頼りない。そして、飛行機に乗る前に預けた荷物は出てきませんでした。やむことなくガンガン襲ってくる激しい痛みのため、時差ボケもあって、眠れません。辛いですよね、これって...。
 明るすぎる日差しには、現地の女性がかぶっているフェルトの山高帽は、この日差しをさえぎるのにぴったりということが分かりました。
 腹痛と吐き気がひどいとき、甘くておいしい葛湯(くずゆ)のようなものと、砂糖のたっぷり入ったコカ茶を飲むと、少しずつ楽になっていったのでした。
 最初に生活した家は裕福な家庭で、お手伝いの女性がいます。たとえば朝食は家族みな別々で、お手伝いのイルダが、それぞれの部屋に運びます。
 ボリビアでは、昼12時から午後3時まではレストランを除いてほとんどの会社、商店などが休み。みな自宅に戻って昼食をとる。ボリビアでは1日の食事のうち昼食が質・量ともにメイン。
 日本人の著者は「チノ」と呼ばれます。「チノ」は本来は中国人を指しますが、東アジアの人を広くさすコトバとしても使われているのです。
 お手伝いのイルダは家族と一緒に食事することは全然ない。家族のように仲良くしようという発想がない。はっきり違った二つの階層が、ひとつ屋根の下に存在して生活している。
 ボリビアでは、お客のもてなしは、ます一杯のコーラから始まる。
女性たちは、コカの葉を口に入れてもぐもぐさせている。コカの葉は女性たちの大好物。コカには寒さや空腹感、疲労感をマヒさせる作用がある。
 公立学校の教師の給料はひどく安く、ほとんどの人が副業をもっている。たとえばヤミ両替商をしている。
 ボリビアは1年中、祭りの絶えない国。そのなかで、一番盛り上がるのはカルナバル(カーニバル)。
 著者はボリビアに1年間いるあいだに体重が5キロも増えたとのこと。慣れない土地で健康に過ごすには、のんきさも大切だと著者は強調しています。まったく異論ありませんが、私にはとても出来そうもありません。
 著者はボリビアでいろんな人と知りあい、一緒に生活し行動するなかで、まさに「そのとき」を生きている実感があったとのこと。そのことがよくよく伝わってくる文章であり、何枚かの写真でした。
5年後にボリビアを再防したときのことも少し紹介されています。今を大切にして生きることの意義を感じさせてくれる本でもありました。著者は現在65歳のはずです。どこで何をしておられるのでしょうか...。
(1995年11月刊。1400円)

2024年1月16日

創造論者VS無神論者


(霧山昴)
著者 岡本 亮輔 、 出版 講談社選書メチエ

 アメリカという国は、本当に不思議な国です。月世界を歩く飛行士がいるかと思うと、アメリカ人の40%は人間は1万年前に神によって創造されたと今でも真面目に信じているというのです。つまり、人間の先祖はサルではなくて(これは本当です)、初めから人間だったというのです。
 つまり、生物(生命)誕生から何億年、何万年もかかって進化していって人間が生まれたという進化論を信じていないわけです。
 これだけ多種多様な生命体が存在するのに、それをみな、万物の創造主は神、それも唯一神だとするのは、あまりに無理があると私は思うのですが...。
 アメリカには無神論者はわずか4%しかいない。
 「ある人が心の底から神を信じているのか、それとも神を信じるのは良いことだと信じているのか、両者の区別はそれほど明確ではない」
 この指摘には、まったく同感です。無神論者の私だって、「苦しいときの神頼み」はしていますし、ゲンをかついだり、お寺の仏像の前では深々と頭を下げて、お願いごとを心の中で唱えます。そのとき、何のこだわりもありません。
 スパモン教なるものが存在するというのには驚かされました。「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教会」です。
 1952年にアメリカはテネシー州のデイトンという田舎町で起きたモンキー裁判の紹介には目を洗わされました。進化論を学校で教えた若い教師(スコープス)がバトラー法違反で裁判にかけられ、全米の耳目を集めた事件です。
 そもそも、この裁判は、衰退してしまった町(デイトン)の町おこしとして全米から注目してもらおうとして事件になったものだというのです。これには心底から驚かされました。全米の話題になって観光客や投資を呼びこもうと町の有力者たちが考えたというのです。いやはや、まったく呆れてしまいました。
 そして、裁判は案の定、全米の注目を集め、マスコミが乗り込んできて裁判は全米に実況中継されます。当初は進化論否定派が有利でしたが、進化論者の弁護士は聖書絶対派に質問して、局面が大転換します。
 つまり、聖書絶対論者はあまりに歴史的事実と違いすぎるので、身がもちません。
 聖書絶対論者によると、天地創造は紀元前4004年10月23日になる。多少の前後はあっても、だいたい、それくらい。ところが、それでは科学的に何万年も前のことだと証明されているのと、あまりに違う。
 また、「地球は6日で創造された」というのも、いくらなんでも...。
 アメリカの歴代の大統領は、就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。また、折にふれて神の名を口にする。つまり、アメリカはキリスト教国家だということ。でも、イスラム教徒や仏教徒もいるんでしょ...、どうなってんのかしらん。
 それでも、今後は、無神論者より信者のほうが増加するとみられているのです。イスラム教徒はキリスト教徒と同じく世界人口の3割を占める(2050年)。そして、ヒンドゥー教徒は14億人になるだろう...。いやはや、日本は世界のなかで、きわめて特異な国なんですね...。改めて知って、驚きました。
(2023年9月刊。1800円+税)

2023年12月28日

奴隷制の歴史


(霧山昴)
著者 ブレンダ・E・スティーヴンソン 、 出版 ちくま学芸文庫

 奴隷制は、私人や国家による奴隷たちへの残酷な搾取行為であると同時に、きわめて収益性の高いシステムである。
 奴隷制は過去のものではなく、今なお存在している。世界中で、2000~3000万人もの人々が債務奴隷、性奴隷あるいは強制労働者として、今も奴隷状態にあると考えられている。
 奴隷制の歴史は長く(古く)、世界中で広く活用されてきた。奴隷制はアメリカ合衆国史にとって本質的な経験である。
 古代ローマには数百万人の奴隷がいて、人口の15~35%を占めていた。奴隷は家財または財産であった。奴隷は財産を持つことも、結婚することも、自分たちの家族を持つこともできなかった。
 シルクロードでは、奴隷は一般的かつ重要な交換品目だった。
 奴隷は、アメリカにおいて、土地とは異なり、譲渡可能な財産であったため、経済単位としてとくに重要だった。
 アメリカ大陸で奴隷となったアフリカ人は、1250万人。ところが、アフリカ大陸では2800万人もの人々が奴隷として取引された。この差は何か・・・。運ばれる途中での死亡(病気や自殺など)した何百万人もの人々がいた。
 スペインはアメリカ大陸にアフリカ人を奴隷として送った最初の国。アメリカ大陸で最も高値で取引されたのは10代半ばから30歳までのアフリカ人男性だった。
 アメリカのヴァージニア州では、1750年に奴隷人口は全住民の半数近い46%を占めていた。
 アメリカの州政府は奴隷貿易から税収を得ていたし、新聞社も逃亡奴隷に関する報酬金の広告により収入を得ていた。
 奴隷を所有する人々は、奴隷の文化表現を抵抗の陰謀の隠れ蓑ではないかと、警戒した。奴隷たちは、独自の文化を生み出していた。
 奴隷主(主人)は、奴隷が貴重な財産なので、家族を崩壊させる「権利」をしばしば行使した。
ジョージ・ワシントン夫妻は200人以上の奴隷を所有していた。彼ら愛国者も、黒人は白人と根本に異なっていて、黒人は劣っていると疑うことなく確信していた。白人の大多数は、黒人は知力的にも肉体的にも道徳的にも白人より劣っていると信じ込んでいた。裁判官は「黒人は市民ではない」と公然と宣言した。
 18世紀末、アメリカはアフリカからの奴隷輸入を禁止した。しかし、現実には、その後も輸入は続いていた。1789年に発効したアメリカ憲法は、奴隷制の問題には直接言及していない。しかし、奴隷の黒人は完全な人間とはみなされていなかった。アメリカの北部でも、「自由」な黒人にとって、人種的平等を約束する天国ではなかった。
 南部に住む多くの白人女性は「私たちは、娼婦に囲まれて暮らしている」という不満を抱いていた。黒人女性は邪悪で人を操る誘惑者であり、その飽くなき性欲を私利私欲のために利用する女性、雇われた売春婦と断じていた。
 南部の白人男性は、奴隷労働の一部として性的行為を黒人女性に要求していた。主人である白人男性の要求を拒絶すると、激怒した主人たちは手ひどい復讐をした。
 なぜ、今日でも世界に2000万人以上もの奴隷が存在するのか?
自由とは何か・・・。自由とは不平等の暗黙裡の需要を打破することである。そして、抵抗は、奴隷制の遺産の一つでもある。この抵抗はまさに維持し、支えていく価値がある。
合衆国がイギリスから独立するとき、イギリス軍は自分たちと共に戦えば自由を約束するとしたことから、多くの黒人奴隷たちが、イギリス軍とともに愛国者たちと戦ったという歴史的事実がある。これには驚かされました。ワシントンが初めて奴隷に自由を与えたのではないのですね...。
 現代において奴隷は大幅に増加しているのが現実です。いったい、なぜ、そんなことになってしまったのでしょうか・・・。大変勉強になった文庫です。
(2023年8月刊。1400円+税)

2023年9月18日

風の少年ムーン


(霧山昴)
著者 ワット・キー 、 出版 偕成社

 さすがにアメリカは広い国ですね。森の中に父と子がひっそりと隠れ棲むことができていたというところから話が始まります。少し似ているのが『ザリガニの鳴くところ』です。この話の展開には泣けて泣けて仕方がありませんでした。身近な女性に勧めたところ、翌日、本が戻ってきたので、あれっ、気に入らなかったのかな、そんなはずはないけど...と思うと、意外なことに、読みはじめたら、途中で止まらなくなって、ついに一晩で読了したというのです。これにはたまがりました。あれこれの人に貸していたら、現在、所在不明です。もう一冊、買おうかどうか思案中です(誰かに勧めるために...)。
 哲学者ソローの森の中で暮らす話にも心が惹かれますが、森の中で本当に何十年も暮らしたという実話にも驚きました。
さて、この本は、森の中、奥深く、父親が10歳の男の子と二人で生活しています(小説です)。母親は先に死亡しました。父親はベトナム戦争に参加した復員兵。政府に頼ったらいけないどころか、明らさまな反政府の思想をもっています。といっても、反政府活動をするというのではなく、森の中で、政府に頼ることなく生活するだけです。といっても、森の近くの雑貨商には、ときどき行って、銃の弾丸(たま)など、森の中での生活に必要なものは仕入れていきます。そのとき、森の中で獲った動物や、自分たちで育てている野菜を買い取ってもらい、その代金で、弾丸などを購入します。
 森で生き抜く知恵と術(すべ)を10歳の息子に伝えきったところで、父親は森で転倒、骨折し、傷が悪化して亡くなってしまいます。
 さあ、10歳の少年は森の中で一人で生きていかなければなりません。父親のすすめを真に受け、少年は遠いアラスカを目ざすことにします。でも、少年は警察官に見つかり、施設に収容されます。自由奔放に生きてきた少年には耐えられません。しかも、アラスカに向かう夢があるのです。収容者仲間(もちろん同じ少年です)と一緒に施設を逃げ出し、森に入り、生活しはじめます。少年を一度つかまえた警察官が追ってきます。どうやってそれをかわすか...。
 お盆休み、よくエアコンのきいた喫茶店で一心不乱に読みふけり、厚さを忘れ(外は炎暑ですが、店内は快適温度)、一気に読了しました。
 アメリカ・アラバマ州の森で狩猟や釣りをして幼少期を過ごしたという著者の体験が見事に生かされていて、ノンフィクション自伝かと思ったほどです。わが家の本棚に前から飾ってあって気になっていたので、お盆休みに挑戦してみたのです。時を忘れるとは、このことでした。
(2010年11月刊。1800円+税)

2023年9月14日

年間4万人を銃で殺す国、アメリカ


(霧山昴)
著者 矢部 武 、 出版 花伝社

日本では銃による死者は2021年は1人、多い年(2019、2020年)で4人です。負傷者数も多くて8人。100人あたりの銃所有率は0.3丁、10万人あたりの銃による殺人発生率は0.02人。
イギリスは、100人あたり4.6丁、10万人あたりの殺人事件は0.04。これに対して、アメリカは、100人あたり120.5丁、10万人あたりの殺人事件は4.12。
イギリスの警察官は銃を所持していない。日本の警察官は銃を持っていますし、毎年のように拳銃を使った警察官の自殺が報道されていますよね...。
アメリカの総人口は3億3千万人超。もっている銃は4億3千万丁と、1億も多い。こんな国はアメリカだけ銃によって死んだ人は、殺人、自殺、誤射をふくめて4万5千人をこえる(2020年)。2005年に年3万人をこえ、2015年から急増して、2019年に4万人近くとなって、さらに飛躍的に増えた。
ベトナム戦争によって死亡したアメリカ人兵士は5万5千人で、アフガニスタンとイラク戦争で死亡したアメリカ人の7千人をはるかに上回っている。まるで、内戦が起きているような状況。ウクライナでロシアとの戦争で死んだ兵士に匹敵する。
アメリカでは国民の銃所持の権利を優先させ、銃規制の強化を怠ったことから、銃による暴力がまん延し、人々は安心して外出したり、楽しく暮らす自由を失ってしまった。
 市民が助けを必要としているときに警察官はすぐに来てくれない。だから、自分の身は自分で守るしかない。そのためには銃が必要だ。そう考えているアメリカ人が少なくない。しかし、家に銃を置くと、安全にならないだけでなく、本人や家族が銃で命を失うリスクを大きく高めてしまう。
 アメリカ人が護身用に銃を持とうとするのは、心の中に強い不安や恐怖をかかえている人が多いから。銃を持っていると、「自分は強くなった」と勘違いしてしまう人が出てくる。
 そして、巨大ビジネスとしての銃産業がある。コルト、スミス&ウェッソン、ウィンチェスター、レミントンなど...。
 アメリカで銃規制を反対しているのは、全米ライフル協会(NRA)。500万人の会員をもち、強力なロビー活動をし、銃規制を強化しようとする議員については激しい落選運動を展開する。
 銃規制を強化しようとする政治家はバイデン・民主党の政治家に多く、有権者もそれを望んでいる。ところが、トランプ前大統領の支持者は銃規制の緩和を求め、規制強化を妨げようとする。民主党と共和党の支持者は、規制強化と緩和に直結している。
 銃撃戦のとばっちりから半身不随になった若者の話も紹介されていますが、なぜカナダやイギリスで銃が厳しく規制されているのにアメリカで出来ないのか、不思議でなりません。
(2023年6月刊。1650円)

2023年8月14日

冬のデナリ


(霧山昴)
著者 西前 四郎 、 出版 福音館日曜日文庫

 北米大陸最北かつ最高峰のアラスカにそびえ立つマッキンレーのデナリに厳冬登山。まさしく無謀そのものです。マイナス40度、いや50度という厳しい寒さのうえ、峰々に吹き渡るブリザード(嵐)。そして途上の氷河には底知れぬクレバス(割れ目)がある。いやはや、とんでもない冒険をしようという男たちが7人も8人も集まったのです。いえ、初めは賛同者は誰もいませんでした。それがいつのまにか志願する男たちが寄ってきて...。
 メンバーの年齢構成は20代の青年ばかりではありません。最年長は39歳の外科医。身長190センチ、体重100キロです。最年少は22歳のヒッピー・詩人。アメリカ人だけでなく、スイス人、フランス人そしてニュージーランド人もいて、31歳の日本人もいます。この日本人は身長160センチ、50キロと小柄です。
個性豊かな山登りたちが8人もいて、本当に統制がとれるのか、登頂をめぐってメンバー同士が張りあうのでは...、そんな心配もします。
 荷物を確保し、それをきちんと分類して頂上に至るまであちこちに分散して配置します。危険を分散するのです。この食糧確保と輸送を担当したのは、日本人のジローでした。8人分、そして40日分の食糧と装備を山に運び上げるのですから、大変な苦労が必要です。
 零下30度の乾燥しきった空気に寝袋をさらす。これを怠ると、身体が発散する湿気を吸い込んだ羽毛は、やがて氷の玉に固まってしまう。
隊員が2人、氷河のクレバスに落ちた。1人目のアーサーは、なんとか自力ではい上ってきた。しかし、2人目のフランス人のファリンはダメだった。8人のグループのうちの1人が登山途中で死んだとき、その登山は中止すべきなのか、それとも続行してよいものか...。結局、遺体は下のほうに運びつつも、登山を続行することになった。うむむ、難しい選択ですね。仲間の1人が事故死しても、なお登山しようというのですから、並の神経の持ち主ではありません。
氷河の旅が終わると、次はアイゼンの世界。もうクレバス事故という不意打ちを心配する必要はない。軽合金でできた12本の鬼の爪を防寒靴にくくりつける。
 高度の高いところで、口を開けて大きくあえぐのは禁物(きんもつ)。寒気のもとで、水分をすっかり氷雪片にして落としてしまった空気はカラカラに乾燥しており、不用意に深く息を吸うとノドが焼けてくように痛む。
 鼻の高いディブは、鼻の先を凍傷でやられないよう、手術用マスクをかけて用心している。一日の仕事が終わってテントに入る。断熱マットを敷き寝袋を広げてすわりこむ。まず靴下をはきかえて、ぬれた靴下を絞る。足からこんなに汗が出るとはと驚くほど、気密な防寒靴の中で粗毛の厚い靴下は、ぐっしょり汗を吸っている。
 その絞った靴下は、テントの外に出しておくだけでよい。翌朝には、カラカラに乾燥していて、氷の細かい結晶をパタパタとはたき落とすと、すぐに素足にはくことができる。
 食事は乾燥食に頼る。1キロの肉が200グラムのコルクのような乾燥肉になっている。湯の中に、この「コルク」を入れて肉らしい煮物に戻るまで温める。おいしくはない。
 湿度の高い軟雪と違い、大きな雪のブロックから、わずかな量の水しかできない。80度の熱湯をつくるのに、長い時間と大量のガソリンを消費する。体内の水分不足は凍傷になりやすいので、ともかくたくさんお茶、ジュース、コーヒーを飲まなければならない。昼食用のテルモスを用意するゆとりはないので、朝晩に飲めるだけ飲んでおく。登山靴もメーカー特注品。
 先頭の3人は、なんとか頂上にたどり着いた。記念写真をとろうとしても、無線電話機を使おうとしてもバッテリーが厳しい寒さで動かない。零下49度だった。
問題は帰路に起きた。遭難寸前のところ、岩陰で缶詰食品を見つけた。また、別のところにガソリンが4リットル、岩陰に置かれていたのを発見した。こんな奇跡的な発見によって、頂上をきわめた3人組は生還することができたのでした。まさに、超々ラッキーだったとしか言いようがありません。死の寸前で助かったのです。
 いやはや、こんな苦労までしても厳寒の冬山に登る物好きな人たちがいるのですね...、信じられません。まあ、こちらはぬくぬくとした感じで、人間ドッグのあいまにとてつもない緊迫感を味わうことが出来ました...。前から気になっていた本を本棚の奥から引っぱり出して読了したのです。

(1996年11月刊。1700円+税)

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