弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年6月 1日

南北戦争英雄伝

アメリカ


(霧山昴)
著者 小川 寛大 、 出版 中公新書ラクレ

 アメリカの南北戦争は1861年から1865年までの4年間です。日本では明治維新のころになります。明治10年に起きた西郷隆盛の起こした西南戦争のときにも、南北戦争が終わって不用となった銃砲が大量に日本に入ってきたとされています。
南北戦争は、アメリカ史上、事実上唯一の内乱で、当時34あった州が、北部に23州、南部に11州に分かれて4年間争い、60万人近い戦死者を出すという非常に大きな戦いだった。
当初は、なぜか南北双方とも、「この内乱は、ほんの数ヶ月ほどで終わる」とみていた。
 開戦後初の本格的開戦(1861年7月21日の第一次ブルランの戦い)は、お互いが急ごしらえでつくり上げた素人同然の軍隊で、まともな統制もなく、戦場で支離滅裂な衝突をくり返し、北軍は敗北して潰走し、勝った南軍も極度の混乱状態に陥り、敵の追撃など不可能だった。
 当時のアメリカに存在した黒人奴隷制度がなければ、この巨大な内乱は決して起きなかった。トラクターなどの農業機械のない時代なので、黒人奴隷なくしてプランテーションは維持できなかった。
 アメリカ北部は寒冷なので、綿花の栽培には向いていなかった。だから、北部にはそもそも黒人奴隷を必要とする産業が存在していなかった。
南部連合の指導者たちは貴族的な上流階級であるので、協調性に欠け、他者とじっくり話し合うのを苦手とした。
 南部連合の政府は、何かを誰かに強制できる権限をほとんど持っていなかった。
 アメリカ建国の父の大半は、社会の上流階級であり、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンは富裕な農園経営者であり、黒人奴隷の所有者でもあった。
南北戦争の前半期では、南軍は北軍よりも強かった。南部は人材の力で支えられていた。
南部は遅れた農村社会だったので、人々は、自然に射撃や乗馬に親しんでいた。つまり、軍人として高い適性をもつ人々の割合が南部では高かった。
 北軍が、経済力や兵力で南軍に勝っていながら、戦争の主導権を握れなかった原因は、国家指導者であるリンカーン大統領と軍上層部の意思疎通があまりうまくいってなかったことにある。リンカーンを田舎者だと馬鹿にしていたようです。
丸4年も続いた南北戦争で北軍に35万、南軍に20万の戦死者を出した。ベトナム戦争で死んだアメリカ人は5万人だった。
北軍の多くの一般兵には、黒人のために自分の命を投げ出すことへの違和感があった。独立戦争後、アメリカ人はイギリスのような強力な常備軍をもつことを選択しなかった。
リンカーンの共和党は、北部のみを基盤とする地域政党でしかなかった。それでも民主党の候補に勝てたのは、1828年に設立された全国政党である民主党が、このとき分裂していたから。
北軍が海上封鎖に成功したことから、南部は綿花をヨーロッパに輸出できなくなり、経済が大打撃を受け、南部の経済は滅茶苦茶なインフレに襲われ、市民生活はほとんど破綻していた。
 南部連合のジェファーソン大統領は、お山の大将気どりの気難しい人物で、閣僚や将軍たちと口論ばかりしていた。それで、南軍には、総司令官職がおかれていなかった。
 このころ、アメリカの白人たちは、インディアン(先住民)について、「なぜか人の言葉を理解できる害獣」くらいにしか思っていなかった。
 なーるほど、同じ人間だと思わないどころか、「害獣」だとみていたのですね。そうだとすると、インディアンをだまし討ちして皆殺しするのに、何のためらいもなかったのも、よく理解できます。
 少し前の映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は本当によく出来た映画でしたね。「狼とともに踊る男」という意味でしたか...。インディアンを人間として交わった白人の話でした。
アメリカのシヴィル・ウォー(南北戦争)について少し勉強することができました。
(2024年11月刊。1100円)

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