弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年2月 1日

まとまりがない動物たち

生物


(霧山昴)
著者 ジョン・A・シヴィック 、 出版 原書房

イヌは飼い主や周囲の社会集団と一緒なら、別の土地に移ってもおおむね平気でいられる。ところが、ネコの心は環境の変化によって傷つく。ネコに必要なのは、持ち物。ネコが慣れ親しんだモノをもっていくこと。
クモ(キマダラコガネグモ)のメスは、オスと交尾した直後にオスを食べてしまう。そこで実験した。すると、求婚者を殺したメスがいたのに、殺さなかったメスもいた。つまり、クモのメスにも攻撃性の度合いの違うさまざまな個体がいることが判明した。20%のメスは配偶者を攻撃せず、60%のメスはオスを攻撃したものの殺しはしなかった。残る20%だけが交尾の完了前に殺された。メスにとって、オスは交尾の途中からごちそうに変わってしまうのだ。
砂浜にすむシオマネキにも積極的な個体と内気な個体がいる。メスの89%は勇敢なオスをパートナーとして選んだ。つまり、メスを惹きつけたのは、オスの個性だった。このように、長い目で見たら、個性は何より重要な指標になりうる。
シジュウカラの勇敢な個体は、朝と日中の良質の餌を最優先したのに対し、臆病な個体は、餌食にされるより空腹でいるほうを選んだ。
どんな動物にも社会性がある。社会性と結束は、あらゆる動物にとって欠かせないもの。
10代の若者の内面で起こる葛藤に私たちはもっと目を向けるべき。このころ生殖機能の発達は最終段階を迎え、個性が固まっていく。
10代の若者は、誰がかっこよくて、誰がかっこよくないかを判別することで、自分たちに社会性があるか、どれくらい社会的かを判断している。積極性や社会性の高い個体がどれくれいいるかによって、そのグループ全体の個性が決まる。
胎児の発育初期に母親が食糧不足にあっていた子どもは、冠動脈心疾患や肥満、糖尿病にかかりやすい。
人間はニワトリを何世代もかけて生産性を大きく向上させてきた。1950年に1羽で年に270個の卵をうんでいたのが、1990年には340個(29%の増加)、そして卵のサイズも42.7%も大きくなった。
人間は動物から学べることがたくさんある。動物は私たち人間と社会に驚くほど似た性格や習性をもっているから...。人間だけが卓越した存在と考えるのは偏見だ。
多様な個人が集まれば、個人よりも賢明な集団ができる。多様性は非効率に思えるかもしれないが、個人が集団のなかで力を発揮すれば、ひとりで行うよりも多くのことを成し遂げられる。多様な個体によるバランスのとれた協力関係、つまり共生や種内、種間で相互に利益となる関係を築くことが生きる力となる。
みんな違って、みんないい。金子みすずの言っていることは、まったく正しいのですね...。
絆(きずな)は人間同士で結ばれるだけでなく、人間とペット、野生動物、あるいは家畜とのあいだでも結ばれる。
ここで『ライオンのクリスチャン』を思い出しました。赤ちゃんライオンを育てあげたイギリスの青年が大きくなったライオンをアフリカの平原に放したあと、何年後かにやってきたとき、ライオンは青年を覚えていて、大人のライオンと人間が抱きあうのです。これはユーチューブで映像として見ることができます。信じられない光景です。
絆とは愛である、愛とは、個体を、他者と、とりわけ決まった他者と協力したいという気持ちにさせる前向きな力である。愛することは、抗え(あらがえ)ないほど気分のいいことなのだ...。個性と多様性がいかに大切なのかをいろんな実例をあげて説明してくれている動物学の本です。大変勉強になります。
(2020年5月刊。2400円+税)

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2021年2月 2日

「労働法の基軸」

司法


(霧山昴)
著者 菅野 和夫 、 出版 有斐閣

著者は日本における労働法の権威ともいうべき学者です。その著書『労働法』はこの分野のバイブル本です。
私は著者から教わったことはありませんが、労働審判制度が形づくられていった司法制度改革推進協議会の労働検討会の座長を著者がしていたとき、日弁連側の傍聴者として参加していました。この労働検討会は2年続いたとのことですが、私は前半1年間をずっと傍聴して様子を見守っていました。裁判所からは今は福岡で弁護士をしている山口幸雄判事、労働側弁護士として横浜の鵜飼良昭弁護士が委員として参加していました。
私は鵜飼弁護士の戦闘性に強く心を打たれました。労働検討会をなんとしても労働者に不利な方向にならないよう、終始一貫して積極的に議論をリードしていくのです。これに対して経営側弁護士である石㟢信憲弁護士が絶えずチャチを入れるのですが、それがあまり嫌味に聞こえなかったのは石㟢弁護士の人徳でした。
著者は、「鵜飼さんが理想高く、労働者の権利を市民社会に血肉化する(浸透させる)ための制度創設という持論を述べて、石㟢さんが一つひとつそれに反論して」と語っています。たしかに、そういう雰囲気でした。
「座長は一切我慢して意見は述べないということに徹しました」とありますが、まさしくそのとおりで、座長の声はほとんど聞いた覚えがありません。学者もほとんど発言せず、連合の高木剛・副会長はときどき発言していました。
この本を読むと、検討会とは別のところでの議論からアイデアが生まれ固まっていったというのです。そうなんだろうと思います。ともかく、司法制度改革の産物として労働審判制度はもっとも成功したものとみられていますが、私もそう考えています。なにしろ、3回の期日、80日以内に終了し、解決率8割というのですから、すごいです。
労働側弁護士の鵜飼弁護士について「真摯な情熱家」、経営側弁護士として石㟢弁護士について「開明的」とし、この二人を「絶妙のコンビ」と評価していますが、私もまったく異議ありません。
ところで、労働法の大家としてあまりにも高名な著者は東大法学部長もつとめていますし、東大法学部の成績は「全優」だったようです。ところが、そんな著者が大学3年生のときは、授業にまったく出ずに、合気道一色だったというのですから、驚きます。企業からカンパを集めてアメリカに遠征する、そのための活動と練習に1年間、明け暮れていたというわけです。それでも4年生になって勉強をはじめて司法試験も公務員試験もさっさと受かったというのですから、よほどの頭脳です。
私は労働法は石川吉右衛門教授の授業を受けたのですが、漫談調で、まったく面白くありませんでした。ところが、この本によると石川教授は「カミナリのように切れる」と書かれていて、びっくりしました。まるで印象が違います。
そして、民法の平井宜雄教授についても「イエール大学でもすごく勉強をしていた。本当の学者だ」と高く評価されています。星野栄一教授は自信満々の授業でしたが、平井助教授は少し頼りなさげな印象が残っています。
ということで、学者の世界を少し垣間見ることができたという本です。
(2020年5月刊。3800円+税)

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2021年2月 3日

学校弁護士

司法


(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版 角川新書

著者は教師であり、弁護士。東京都内の私立高校の社会科教師であり、いじめなどの子どもの権利が問題になる事件を専門に扱う弁護士。
著者によれば弁護士資格をもった社会科教師が教師の専門性を高められるかどうかを試してみたかったとのこと。教師としては、クラス担任も部活動顧問も担当して、今の日本の教育の実情を最前線で見てきた教師の一人。
スクールロイヤーには明確な定義が存在しない。うひゃあ、そうなんですか...。
スクールロイヤーは、保護者でも学校設置者のいずれの利益でもなく、「子どもの最善の利益」を実現する立場から教育紛争に関わらなければならない。
「いじめ」事件にかかわったとき、結果として、周囲の子どもたちが傷つくようなことがあれば、それはスクールロイヤーとしては、仕事を十分に果たしたとは言えない。
2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、「いじめ」とは何かが定義されている。それは、端的に言えば、被害者が「心身の苦痛を感じる」行為であれば、すべて同法の「いじめ」に該当しうる。被害者の主観のみで、誰でもいじめの加害者になってしまうというのは、子どもにとっても、保護者にとっても大変なリスクになりうる。
いじめ防止対策推進法には、被害者と加害者という単純な二項対立的な構図しか用意されていない。しかし、一人として同じ人間はいない人格と個性を扱う教育という営みを、画一的かつ平等に扱う法律によって律することの不条理さを物語る法律になっている。
保護者が子どもへの虐待を隠蔽する目的で、長期欠席の原因をいじめであると学校に申し立て、学校が(虚偽の)「重大事態」として対応しなければならなくなったケースもある。
ネットいじめは、一時的には保護者の責任。ただ、当の保護者が子どもよりネットの利用法に詳しくないのが、ネットいじめの難しさになっている。
弁護士による「いじめ防止」授業は、効果があるのかないのか分からないというのが実情。著者は、現代日本社会でいじめを予防するのは不可能だとしています。それは、日本社会では、大人であっても、不合理な「同調圧力」によって個人の意見がないがしろにされるのは日常茶飯事であり、たとえ正しいと考えていても自分の主張を明確に示すことがはばかれるからだ。このような社会を築いている大人たちが、いじめが発生したとき、すべてを学校教育の責任に転嫁しようとするのは、きわめて不合理なこと...。
いじめを予防するには、まわりくどい話になるが、まず大人たち一人ひとりが、不合理な同調圧力を変えていく意識をもつことが真っ先に必要なこと。
いじめの被害者が転校するケースは、加害者が転校するよりもはるかに多いことが判明している。
いじめに関しては、加害者に対して多様な指導方法が教師に認められるべきだ。著者は、このように主張しています。なるほど、そうなんだろうと思います。
一口にモンスターペアレントといっても、保護者のクレームは多種多様。
体罰する教師は、厳格とか陰険ではなく、むしろ熱血漢・熱心というタイプが多い。同じ教師が繰り返し体罰をしている。
日本の実社会が体育会系を重宝する理由。上意下達の精神と同調圧力の強い人材は、日本のあらゆる組織において一定数は必要であり、実社会に出る前の学校教育でコストパフォーマンスよく養成するには、部活動が何より優れたシステムとして機能する。
ところが、日本の裁判所は、部活動であっても、通常の学校事故とまったく同じ法理で教師の法的責任を判断する。
教育改革...。教師ひとりあたりの労働を減らすには、①教師の人数を増やすこと、②業務量を減らすことという二つを実行すればよい。これまた、そのとおりでしょう。
40人クラスを1人の担任で面倒をみなければならない日本の教育制度は、過酷な労働の原因となっている。教員というのは、本当に大変な仕事だろうと改めて察せられました。
(2020年11月刊。900円+税)

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2021年2月 4日

「非国民な女たち」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 飯田 未希 、 出版 中央公論新社

女性の美に対するあこがれの強さに改めて驚嘆させられました。なにしろ空襲下でもパーマネントを離さなかったというのです。
「ぜいたくは敵」
「パーマネントはやめませう」
という世の中でも、戦前の日本女性は上から下まで(上流階級だけでなく)、パーマネントをかけようと、徹夜してでも、早朝からパーマネントをかけるべく行列をつくっていたり、木炭パーマネントにつかう木炭なら、食事づくりの木炭をまわしてでも、ともかくパーマネントを優先させていたというのです。
「石を投げられてもパーマをかけたい」
「非国民」とののしるほうがおかしいと、日本の女性は開き直っていたのでした。
いやはや、「常識」ほどあてにならないものはありません。戦前の日本女性はパーマをかけず、黙ってモンペをはいて、防災訓練と称するバケツリレーをしていただなんてイメージがありますが、とんでもありません。
戦前、洋裁に憧れて地方から上京してきた女子学生たちは、まずパーマネントをかけるのが「慣例」だった。それは学校側が止めてもきかなかった。
戦火が激しくなった1940年を過ぎても、パーマネントをかける女性が減るどころか増えていた。
それは工場でも同じこと。女工たちはパーマネントをかけ、スカートの美しさに気を使っていた。モンペの着用は広がらなかった。
1943年の大日本婦人大会で「パーマネント絶対禁止」が決議されているが、それだけパーマネントは流行していたということ。実際、パーマネント機を10台以上も設置した大規模美容院があり、店の前には順番待ちの女性の行列があった。
パーマネント機を設置する美容店は、1939年に800店で1300台のパーマネント機があったが、1943年には1500店で3000台になった。
パーマネント機が国産機として普及するようになって、35円だった代金が10円から15円になった。それでも、高額ではあった。国産パーマネント機は製造しても、すぐに売り切れるほど需要があった。
日本一の美容院チェーンだった丸善美容院は、1937年ころ、全国に35店舗、6百数十人の従業員を擁していた。大阪の本店には、1940年に1日の総売上高1万円をこえるのも珍しくなかった。1人7円なので、1日1400人以上が来店していたことになる。
上流層の女性はパーマネントをかけるのは「当然」のことだった。陸軍省で働く女性たちにもパーマネントが流行っていた。
パーマネントは日本製がトレードマークの芸者たちのあいだにも広がっていた。
木炭パーマ。戦争が激しくなってきて、電気を使えなくなり、パーマは炭火ですることになった。客がもってくる木炭がなければ木炭パーマはかけられない。そして、主婦が配給の炭を節約してでも自分のためにパーマネント用の木炭を店にもってきた。
いやあ、さすが日本の女性だと、すっかり見直しました。大和撫子は、政府の言うとおりに踊らされてばかりではなかったのです...。
ついつい目を見開いてしまう驚きに満ちあふれた本でした。
(2020年11月刊。1700円+税)

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2021年2月 5日

三川坑を語り伝える~炭塵爆発編~

社会


(霧山昴)
著者  ・  出版  三川坑に慰霊碑を建てる会

 死者458人、一酸化炭素(CO)中毒患者839人という大災害となった三池炭鉱三川坑の炭塵爆発が起きたのは1963年(昭和38年)11月9日午後3時12分でした。私は大牟田市内の延命中学校3年生で、ドーンという大きな音を聞き、やがて遠くに黒い煙が雨雲のように黒雲となって立ち上がるのを校舎の3階から眺めました。すぐには何が起きたかは分かりませんでしたが大変なことが起きたようだという予感はしました。
この本によると、三池労組と新労組とが別々に慰霊碑を建てていたのを、今度、一つにした立派な慰霊碑を建立したそうです。とても良いことです...。
 この本には事故で亡くなった父親の顔を見た子供の感想が紹介されています。
「棺の中を見ると、親父は優しく美しい顔をしていた」
 「父の身体は傷もなく、赤くなった顔が酒に酔っているようで、触れた冷たさで『死んでいる』と実感した」
 「白いはこにお父さんがねむっているようにして、はいっておられました。歯を4本ぐらいだして、わらっているような顔をしておられました」
 「いつも優しい元気な父が、ただ、ねむったようにしていた」
 この大事故について、三井鉱山が出した声明は次のように書かれていた。「炭塵大爆発というのは、全山爆発になりやすい。それが458人の死者にとどまったのは、むしろ三池炭鉱の保安が良かったことの証明である。したがって、石炭合理化政策の姿勢をなんら変えることはない」(西日本新聞 1963年11月13日)
これはひどい。ひどすぎます。資本の論理というのは、これほどまでに冷酷なのですね...。呆れるというより、心底から怒りを覚えました。
そして、合同葬儀のとき、栗木幹(くりき・かん)社長は次のように言った。「会社にぺんぺん草がはえようとも、(遺族の)皆さんのことは一生面倒をみる」
実際には、まともな補償もなく遺族・患者は冷たく放り出されて今日に至っています。三池炭鉱の坑内労働というのは、すべてを機械にまかせるわけにはいきません。三川坑の場合は採炭現場は地下500メートルほど地下にあります。真っ暗闇の世界です。亡くなった458人の全氏名と当時の年齢が紹介されていますが、20代が1割、44人もいます。残念無念だったことと思います。
 三池大争議が終わって、会社が保安を軽視したことがこの大災害につながったものとされていますが、まさしくそのとおりでしょう。57年前の出来事ではありますが、決して忘れてはいけないものだと思います。
 118頁の小冊子ですが、ずしりという重たさを感じました。
(2020年11月刊。500円+税)

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2021年2月 6日

老(お)~い、どん!

人間


(霧山昴)
著者  樋口 恵子 、 出版  婦人之友社

 著者は87歳になりました。ずっと評論家として大活躍してきたわけですが、さすがに年齢(とし)相応の制約が身体のあちこちにあらわれているようです。
87歳の身は、満身創痍ならぬ、満身疼痛(とうつう)。痛いとこだらけ。痛みはケガしたり痛んだりした部位に局限されてはいない。
 72歳になった私も、同じように膝が痛い、腰が痛いといっては、2か月に1回は整体師に通っています。今のところ、それでなんとか持っています。ありがたいことに...。
 自慢だった視力聴力にも、このところ衰えが顕著で、立居振舞のスピードは落ちるばかり。
 目のほうは、私は、おかげさまでメガネをなしで相変らず速読できています。問題は耳です。本当に聴きとりが難しくなりました。ボソボソっと言われると、困ります。大事な話だと思えば聞き返しますが、冗談のようなレベルだとつくり笑顔でごまかすしかありません。
ということで、著者は、ヨタヨタヘロヘロの「ヨタヘロ期」を、よろめきながら直進している。
 そこで著者は、声を大にして叫びます。
 人生100年社会の初代として、「ヨタヘロ期」を生きる今の70代以上は、気がついたことを指摘し、若い世代に、社会全体に問題提起していく責任がある。
 まことにもっともな指摘です。「ヨタヘロ期」予備軍の私は、こうやって、その責任を果たそうとしているのです。
蔵書を思いきって整理しつつある。著者は涙ながらに蔵所を整理して、3分の1は手放した。
 私も、今ある書庫にフツーに立てて背表紙を確認できる状態を維持することを決意して実行しています。そのうち読み返すかもしれないと思ってとっておいた本も、読み返すはずがないと思い切って、捨てています。本棚がスッキリすると、心が軽くなります。終了した裁判の記録も、ヒマを見つけて整理し、書棚はガラガラ好き好きになりました。これは精神衛生上も、とてもいいことです。
住宅の改築の話も出てきます。木造住宅の耐用年数は30年だということです。私の家は、とっくに過ぎていますが、まだまだ10年、20年ともちそうです。ただし、内部は床や階段をバリアフリーに変えるなどしました。浴室も何年か前に改造しています。
著者は、中流型栄養失調症にかかり、大変な貧血症状が出たといいます。一人で家にいる日は、パンと牛乳、ヨーグルト、そしてジュースという貧しい食生活のせいです。80歳ころ、それまでは料理をつくるのが楽しみだったのに、食事づくりが億劫、面倒になってしまったからなのです。
 女性にとって、買い物は人生の自由、自立、そして快楽。私にとっては、店で買い物するのは苦痛でしかありません。品物選びに自信はありませんし、万引きするつもりもありませんので、もし間違われたりしたら、とんだ迷惑です。
高齢者の出歩きやすい町づくりを著者は求めています。まったく同感です。ちょっとしたベンチ、そして待たずに利用できる清潔なトイレ、本当にありがたい限りです。
著者は「結婚維持協議書」を作成することを提唱しています。多くは妻の側から、夫の守るべき条項が示され、それが結婚維持の条件となるのです。
 この条項の一つに「今後、お皿をなめない」があったとのこと。洗い場をケチった夫の仕種を禁じたものです。呆れてしまいました。
そして認知症。全国で520万人(2015年現在)もいるそうです。私も、そのうち、お仲間に迎えられることになるのでしょう...。
 趣味嗜好も体力勝負です。私は読書とガーデニング。さらにはモノカキとして、本を発刊しつづけたいと考えています。元気とボケ防止です。準備と覚悟が必要なのです。大変参考になりました。
 
(2020年3月刊。1350円+税)

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2021年2月 7日

はなぶさ2、最強ミッションの真実

宇宙


(霧山昴)
著者 津田 雄一 、 出版 NHK出版新書

はやぶさ2は無事に日本に戻ってきました。目下、リュウグウで採取してきた岩石の分析中だと思います。この本では、はやぶさ2がリュウグウに無事たどり着き岩石を採取し、地球への帰還の旅を始めるところまでが語られています。
なにしろすごい話の連続です。たとえ話でいうと、東京スカイツリーのてっぺんから、富士山の頂上にいるミジンコを見分けることができるほどの分解能をもつデルタドア。
はやぶさ2から送られてくる電波を地球上の日本とアメリカとオーストラリアにある複数のアンテナで同時に受信し、その位相差を計測することで探査機の太陽系内での位置を正確に測る。数億キロメートルの彼方を飛行する探査機の位置をキロメートル単位で正確に測ることができる。
はやぶさ2は、イオンエンジンで宇宙を高速で飛んでいる。その時速5400キロというのは、新幹線の20倍、飛行機の6倍の速さ。これほどの加速量をはやぶさ2の重さ609キログラムのうちのわずか30キログラムの燃料でまかなう。
イオンエンジンは、キセノンを燃料とする極端に燃費のいい宇宙用の推進機関。キセノンをマイクロ波のエネルギーで電離させ、その電荷を帯びた粒子(プラズマ)に高電圧をかける。プラス電荷の粒子がマイナスの電極に引きつけられることを利用し、キセノンのプラズマ粒子を加速して宇宙空間へ射出する、その反動で機体を推進させる。発生できる力は1グラム重。地球上で1円玉ひとつを持ち上げられる力。そして、その1グラム重を1年間ずっと発生し続けるのに必要なキセノンはわずか10キログラム。これで、はやぶさ2を時速2000キロメートルまで加速することができる。イオンエンジンは、力は弱いが超絶持久力のある推進機関だ。
はやぶさ2の根幹技術は、4つ。一つは、このイオンエンジン。二つは光学誘導航法、三つはサンプル採取技術、四つは高速大気圏突入技術。
はやぶさ2のチームづくりでは共通体験を重視し、いかに失敗を経験させるかを重視した。すごい発想です。模擬訓練のときには、神様チームと運用チームとに分かれ、神様チームはとんでもない無理難題を運用チームに押しつけるのでした。その一つには、重要人物が嫌なタイミングで腹痛になって管制室から消えてしまう。そんなとき運用を続行してよいのか...。「こんなトラブル起こるわけない」というトラブルまで、ありとあらゆるトラブルを想定して、その対策をみんなで練っていったというのです。すごいです。
計算だけを頼りに、30億キロメートルもの距離を目隠して飛び続けていて、ある日ぱっと目を開いたら、その視野の真ん中にちゃんとリュウグウがうつっていた。嘘のような本当に起きた話です。
はやぶさ2がリュウグウに着陸できるのは直径6メートルのエリア。なので許される着陸誤差は3メートルしかない。そして、実際に着陸したときの誤差は、なんとわずか1メートル(60センチ)しかなかったのでした。いやはや、これが3億キロメートル彼方の未踏天体への初着陸なのです。
はやぶさ2の管制室の休憩スペース「スナック姫」には安いスナック菓子とアルコールなしの飲料のみだったとのこと。やっぱりアルコールはダメなんですよね。外ではいいわけでしょうが...。
はやぶさ2に関わったチームのメンバーが、次から次へ難局に直面しながら、まったく悲壮感がなく、いかにも壮大な実験を楽しんでいるという様子が手にとるように伝わってくる、ハラハラドキドキの面白い本でした。日本の科学者もやりますね...。
一読を強くおすすめします。
(2020年11月刊。900円+税)

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2021年2月 8日

誰にも相談できません

人間


(霧山昴)
著者  高橋 源一郎 、 出版  毎日新聞出版

 著者の人生相談は本当に味わい深いものがあり、いつ読んでも、なるほど、なるほど、そうか...、そうなんだよな...と考えを深めることができます。毎日新聞の「人生相談」で大友響と書かれていますが、ウソではないと思います。
 弁護士としての私が男女関係、親族関係の争いについて相談を受けるとき、著者だったら、どう答えるだろうか...と自問自答することがあります。弁護士にとっても、回答する側に立ったとき著者の回答は大いに参考になるのです。
 著者は団塊世代の少し下の世代ですが、いわゆる全共闘の活動家でした。逮捕歴もあるそうです。私はアンチ全芸闘でした。だって、あの野蛮で残虐な暴力を賛美するなんて、当時も今も、まっぴらごめんです。かつての全共闘の活動家とシンパ層が、自分たちが学内でふるってきた暴力問題について黙して語らず、思想的にああだ、こうだとキレイゴトしか言わないのを許すわけにはいきません。
 著者は、その暴力の点も大いに反省しているようですし、その後の人生での苦労、そして私生活で4度も5度も結婚・離婚して、今なお思春期の子どもたちをかかえて苦労しているようです。そんな苦労が回答にいい意味でにじみ出ていますので、説得力が半端(はんぱ)ではありません。
 子どもというのは、遅かれ早かれ、家を出て、「外」の世界に旅立つもの。ところが、親は、子どもに愛情も注ぐけれど、「呪い(のろい)」もかける。つまり、親から子どもはマイナスの部分も受け継ぐ。いやはや、本当に、そうなんですよね...。
どんな「家庭」にも共通点がある。それは、結局、みんな「他人」だということ。
 著者の知るかぎり、人間はほとんど成長しないもの...。うひゃあ、そ、そうなんですか、やっぱり、そうなんですよね...。
 「今」から逃げる者は、「次」も逃げるに決まっている。家族を暴力で支配しようとする人間は、いつの時代にも存在する。暴力で支配される人間は、反抗する意思を失う。暴力で支配しようとする人間がいちばん恐れるのは、膝を屈しない相手。そして、暴力で支配しようとする人間は、みんな見かけ倒し。子どもにとって最後の仕事は、子どもに戻った自分の親に対して、その親になること...。いやあ、そういうことなんですか...。
知人から借金を申し込まれたとき、その額の2倍を渡して、こう言う。「これは友人から借金したお金です。今回だけです。返さなくてもいいです」と。
 占いは信じる必要がない。運命は変えられるもの。生きていくうえで大切なもの。
経済的な余裕というより以上に人とのつながり。あなたが人に優しくしたら、周囲もあなたに優しくしてくれる...。そうなんです。それを信じて明日も元気に生きていきましょう。いい本です。生きる勇気が湧いてきます。
(2020年12月刊。1400円+税)

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2021年2月 9日

命の砦

社会


(霧山昴)
著者  五十嵐 貴久 、 出版  祥伝社

 新宿の地下街で自殺志願者たちをネットで集めてガソリンで同時多発自爆テロが仕掛けられた。みるみるうちに地下街に大規模火災が広がり、あちこちに爆発まで発生し、大勢の人々が右往左往しながら焼死していく。まさしくノンストップ・パニック小説です。
そこに消防士たちがプロフェッショナルとして自らの生命を賭して焔のなかに飛び込み、人々を何とか救い出そうと活躍する。なるほど、地下街に大量のガソリンを持ち込み、自爆テロのようにして自らガソリンをかぶって火をつけたら、恐ろしいことになってしまうでしょう...。
 そのうえ、今ではパソコンやゲーム機などに大量にマグネシウムがふくまれていて、そこに水をかけると、かえって爆発してしまって大災害をひきおこす。いやあ、これまた恐ろしいことです。そんな状況が刻明に描写されていきますので、地下街の恐ろしさって、大水害のときだけじゃないということがよく分かりました。脱出口を日頃から気をつけておかなくてはいけませんね‥‥。この本を読んで、消防士集団のプロ意識の高さも再認識させられました。
 増強特命出場。異常事態に際しては、特別命令が発せられる。消防は地方自治体の管轄下にあり、それぞれ独立した機関。しかし、大規模災害時などでは、消防庁長官が長官命令を発令した場合に限って、全国の消防局の消防隊を現場まで人員派遣させることができる。火災発生のとき、警察の役割は避難誘導、人命救助が主。被害状況を把握するのも重要な任務だ。
 逃げるとき、一番危険なのはパニックに巻き込まれること。そして、まず顔を守る。視覚を失ったら、逃げることはできない。できるかぎり水を飲んでおく。やけどしても治りが早くなる。そして、絶対に炎を吸い込まない。気道火傷(やけど)は命にかかわる。姿勢を低くして、水に浸したハンカチで鼻と口を覆って煙を吸わないようにする。
水では消せない。そして水を使ってはならない炎がある。それがマグネシウム火災だ。マグネシウム火災に対する放水消火は厳重に禁止されている。マグネシウム専用消火剤を使う。パソコンは強度と軽量化のためマグネシウムが10%も使われている。スマートフォン・ゲーム機にも、だ。恐ろしい世の中なんですね...。
(2020年10月刊。1700円+税)

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2021年2月10日

ロッキード疑獄

社会


(霧山昴)
著者 春名 幹男 、 出版 KADOKAWA

ロッキード疑獄で田中角栄が逮捕されたのは1976年7月27日、私は弁護士になって2年目で、ちょうど、その日は東京地裁に行っていました。連行された場面を目撃したわけではありませんが、東京地裁と東京地検あたりに大勢の人だかりがしていて、マスコミ陣で一杯でした。田中角栄を逮捕し連行した東京地検特捜部の松田昇検事は、横浜修習のときの指導検事でした。それほどキレる検察官とは思っていませんでした(私に人を見る目がなかったということです、はい)。このあと、順調に出世されました。
なぜ、田中角栄が逮捕されたのかをアメリカと日本の関係からアプローチしている興味深い本です。600頁近い大作ですが、刑事裁判の法廷の前後、とても車中では足りずに喫茶店にしけこんで必死で一日のうちに読了しました。
田中角栄は受託収賄罪と外為法違反で起訴され、懲役4年の実刑判決を受けた。最高裁に上告中に75歳で死亡した。一貫して完全否認し通し、裁判は17年間かかった。
アメリカで、ロッキード社が保管していた秘密文書は5万2千頁。
アメリカは日本より書類がよく保存されているようですね。アメリカの弁護士は文書開示が有力な裁判戦術として駆使しているようです。日本では、すぐにシュレッダーにかけられ、それを誰もとがめることがありません。肝心の真相がヤミに葬り去られるというのは、残念ながら日常茶飯事です。
そして、この5万2千頁の資料のうち、東京地検特捜部が入手したのは、全体の5%ほどの2860頁のみ。これには驚きました。まあ、それでも、日本の検察は、なんとか大切な書類を入手していたわけです。
著者は、田中角栄の無罪を主張しているわけではなく、ロッキード事件の本当の主役は、日米安保関係の根幹に巣くう人脈であり、彼らこそが「巨悪」として糾弾しなければならないのだと強調しています。うむむ、なるほど、そうだったのか...と思いました。
田中角栄の金脈疑惑は、アメリカでウォーターゲート事件が問題になっていたころのこと。結局、ニクソン大統領は辞任することになったが、その4か月後に田中角栄も首相を辞任した。1974年11月のこと。私は、この年の4月に弁護士になりました。
田中角栄は政治家としての完全復活をなすべく動き出していたところに、ロッキード事件が勃発した。
ロッキード事件は、ニクソンが大統領を辞任したあとに発覚して大問題になったのだから、「ニクソンの陰謀」で事件が大きくなったというのではないことは明らか。
ロッキード事件では、田中角栄のお抱え運転手が自殺したが、アメリカでもロッキード社の財務担当副社長が、猟銃の銃口をこめかみに当て、引き金をひいて壮絶な自殺をとげている。
ロッキード社は「不正なカネの支払い」ではなく、キックバック(割戻金)だと嘘をついた。
アメリカ政府(国務省)内部では、田中角栄の名前が入った文書を日本政府(東京地検特捜部)に引き渡していいものか、真剣に議論した。キッシンジャーは開示積極派だった。
ピーナツもビーンズも、100個で1億円もする。なので、田中角栄に入ったのは5億円。
キッシンジャー(今も97歳で、死なずに健在のようです)は、「密使外交」の名手だった。キッシンジャーは、田中角栄について侮っていた。首相にはなれないだろうと、タカを括っていた。また、首相になったとしても官僚主導で大したことはできないと予測していた。もちろん、その予測は外れたわけです。
キッシンジャーは、田中角栄と話すたびに好感度を下げていった。
キッシンジャーは、田中角栄がすすめた「日中国交正常化」を「裏切り」だと怒った。日本側は、そんなことを夢にも考えていなかった。アメリカは、ホンネのところで、日本と中国の国交正常化に反対だった。日中国交正常化を先送りにしてほしかったけれど、アメリカの意向がマスコミにもらされたりして大きな話題になれば、アメリカにとって、かえって不利になるので黙っていた。
ニクソンとキッシンジャーは、田中角栄による日中国交正常化にいらだち、いろいろ言うようになった。しかし、日本側は、アメリカの強い不満をまったく理解していなかった。
ニクソンは、田中角栄について、「非常に生意気で、強硬だ」と言った。さらに、「日中に関していえば、日本は良き同盟国ではない」とまで言った。
ニクソンは、田中角栄と一緒にゴルフするはずだったのを、理由もなく止めた。
また、「日本は、経済大国ながら、軍事的かつ政治的には「ピグミーとして裸で立っている」とも言った。田中角栄は、ニクソンから「ピグミー」などと侮辱されたことに反発すらしなかった。これじゃあ、まったく日本はアメリカの植民地そのものです。
戦後の日本外交で、日本側が「ノー」と言って自主外交を貫いた側はきわめて少ない。吉田茂以来のこと。
田中角栄が首相を辞めたとき、キッシンジャーは喜んだ。
キッシンジャーは、中曽根についても、美化しなかった。「あいつは畜生だ。日本を軍国主義化する」と、評価するどころか、警戒していた。
ロッキード事件の本当の主役は児玉誉士夫、ダグラス・グラマン事件では岸信介。岸信介は、アメリカのCIAから潤沢の資金をもらっていたが、1987年に90歳で亡くなった。
岸信介に関する情報は、情報公開のすすんでいるアメリカのなかでも、今なおまったく資料が公表されていない。
当時のニクソン大統領とキッシンジャーは田中角栄のことが嫌いで、日中国交回復をアメリカの了解なしですすめたことから田中角栄には怒っていて、許せないと考えていた。
アメリカの戦略に「ノー」と言った田中角栄をアメリカは嫌うようになっていた。
要するに、自分の頭で考え、アメリカの言いなりにならないようなら、首をすげかえさせられるわけなんですね...。鳩山由紀夫元首相もそうでした。
キシンジャーは、田中角栄が検察から逮捕されてもかまわないと考えて、秘密文書を日本側に提供した。これは、間違いない。
ロッキード疑獄の謎が今一枚だけ晴れた気分です。児玉誉士夫や岸信介のような「黒幕」たち(その後継者たち)は、今ものさばっているのがくやしい限りです。その主要な原因の一つに低投票率があると思います。みんなもっと政治に関心をもち、不正について怒りの声を上げるべきではないでしょうか。
(2021年1月刊。2400円+税)

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2021年2月11日

元彼の遺言状

司法


(霧山昴)
著者 新川 帆立 、 出版 宝島社

女性弁護士がミステリー大賞を受賞というので、早速よんでみました。
超大金持ちの遺産相続の話なので、田舎弁護士の私にはまったく無縁の世界ですし、「報酬150億円」なんて金額が出てくると鼻白むばかりなのですが、ともかく、日本一大きな法律事務所につとめているという女性弁護士の話が、あまりにも現実離れしている割には、ちょっと目が離せないストーリー展開なのです。つまり、発想力、キャラクター造形力のすごさに引き寄せられたのでした。
ミステリーなので、内容の紹介はしません。ぜひ、最後まで読んで、なるほど、そういうことだったのかという驚きの謎解きにつきあってほしいと思います。まあ、小説の世界としては、ギリギリありうる展開になっていると思いました。最後まで、ええっ、このあと、どうなるの...、という伏線がたくさん張られていて、飽きせず最後までひっぱっていく文章力には思わず脱帽しました。モノカキを自称する私には、とても出来ないことです。残念なことに...。
著者はプロのマージャン士(師?)の資格も有するというギャンブラーですが、だったら弁護士なんてバカバカしくてやってられんよね...、ということになるのでしょうか。
主人公の女性弁護士はボーナスを去年は400万円もらったのに、今年は250万円だと言い渡された。それを聞いた女性弁護士は怒って、「250万円ぽっち」と言いつつ、「お金がもらえないなら、働きたくありません。こんな事務所、辞めてやる」と言って、日本一の法律事務所から飛び出してしまうのです。いやはや...。250万円のボーナスを、「これっぽっち」と言ってのける弁護士なわけです。私も、そんなセリフ、一度くらい言ってみたいものです...。
ともかく、この28歳の独身女性弁護士は、年収2千万円近いというのです。それなのに、サラリーマンの彼が婚約指輪としてプレゼントしようとしたのは、なんと、「わずか40万円の小さなダイヤの指輪」。たちまち、「みじめな気持ち」になったという。なんという別世界...。
こんなとてつもない別世界の話なんですが、ついつい悪趣味のように話の続きが知りたくなって、ひき続き読んでいったのでした。
「私なら、10億円くらい、コツコツ働いていれば、手に入れられるのだ」
ええっ、東京の女性弁護士で、そんな人が実際にいるのでしょうか...。いえ、きっと、いるのでしょうね、東京には...。
弁護士って、そんなにいい仕事だろうか。弁護士になってみて分かったことは、忙しさのわりには儲からないということ。
著者がつとめている日本一の法律事務所は24時間勤務体制で、カップラーメンをすすりながらパソコンに向かう弁護士がいるのです。
日弁連の機関誌『自由と正義』も登場します。いつもは、つまらないと飛ばし読みしていた記事を読むしかないといって...。
最後の50頁ほどは、いつもの喫茶店に入り、ホットのカフェラテを飲みながら、ようやく読了しました。結末を知らなければ、次の会議に集中できませんからね。実は、この本を昼間のうちに読んでしまおうと思って、早めに事務所を抜け出して電車に乗ったのでしたが、まったく正解でした。よく出来たミステリー小説です。
(2021年1月刊。1400円+税)

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2021年2月12日

孔丘

中国


(霧山昴)
著者 宮城谷 昌光 、 出版 文芸春秋

人間、孔子の生きざまを丹念にたどった小説です。
孔子は妻との折りあいが悪く、また長男とも疎遠だったようです。まさしく決して聖人ではなかったのですね。そして、弟子たちと何度も流浪の旅に出かけざるをえませんでした。
群雄割拠の中国の各地を、時の権力者とまじわりながらも、ときにはねたみを買って追い出されてしまうのです。
孔丘が、自分の子に教えたのは、二つだけ。
「詩を学んだか。詩を学ばなければ、ものが言えない」
「礼を学んだか。礼を学ばなければ、人として立つことができない」
詩と礼は、精神の自立と正しい秩序との調和を目ざす孔丘の思想の根幹をなす。
中都の長官となった孔丘は善政を目ざした。善政の基本は、司法が公平であること、課税が過酷でないこと。この二つ。
政治とは率先すること。ねぎらうこと。孔丘もそれを実践した。
60歳は耳順。天命をより強く意識するようになったことから来るもの。どんないやなことでも、天が命ずることであれば順(したが)っておこなうこと。
孔丘は弟子に公こう言った。
「努力しなければ成就しない。苦労しなければ功はない。衷心がなければ親交はない。信用がなければ履行されない。恭(つつし)まなければ礼を失う。この五つを心がけること」
弟子の顔回が師の孔丘について、次のように語った。
「先生は、仰げば仰ぐほど、いよいよ高い。鑚(き)ろうとすればするほど、いよいよ堅い。まえにいたとみえたのに、忽然とうしろにいる。先生は順序よく、うまく人を導く。文学でわたしを博(ひろ)くし、礼でわたしをひきしめる。もうやめようとおもっても、それができない。すでにわたしの才能は竭(つ)きていて、高い所に立っている先生に従ってゆきたくても、手段がない」
これが孔丘の実像である。
15歳で学に志(こころざ)した孔丘は、休んだことがない。73歳で亡くなって、生涯で初めて休息した。
孔丘は妻との離別のとき、人から、次のようになじられた。
「自分よがりの礼をかかげて、教師面(づら)をしている。あきれた人だ。家庭内を治められなかったあなたに、人を導く資格があるのか」
孔丘はこれに対しては、ひとことも抗弁しなかった。夫婦間の機微に理屈をもちこんだところで、他人を納得させる説明ができるはずもない。
孔子も、やはり人の子だったわけなんですよね...。この本は、たくさん勉強になりました。
(2020年10月刊。2000円+税)

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2021年2月13日

南極ダイアリー

生物


(霧山昴)
著者 水口 博也 、 出版 講談社選書メチエ

南極大陸にすむ生物の話が中心です。
今から6600万年前までの中生代のころ、南極大陸は緑が茂っていて、森林には恐竜たちが闊歩していたというのです。首長竜エラスモサウルスの化石が発見されているそうです。地球はそれほど温かかったのでした。暖流が南極大陸の沿岸にもやってきていたのです。今では、南極大陸は切り離されて、寒冷化しています。ところが、再び地球温暖化の影響を受けて、少しずつ生態系に変化が起きているようです。
南極大陸でペンギンたちが広大なコロニーをつくって営巣していますが、これはホッキョクギツネのような捕食獣が生息していないから。
ちなみに、ペンギンって、すべて南半球にいて、北極圏にはいないとのこと。うひゃあ、そ、そうだったんですか...。
南極は、この50年間で平均気温で3度も上昇した。南極に近づくと船は海洋投棄は一切しないことになっている。南極大陸に上陸するときには、靴の底を消毒液で洗浄する。また、外で用を足してはいけない。すべて携帯用のものに入れて持ち帰るルールだ。なーるほど、ですね。なにしろ、年間5万人もの観光客が南極に来るそうですから...。コロナ禍の今は、もちろん違うでしょうが...。
氷山の裏側に珪藻類がはりついていて、これをナンキョクオキアミが食べる。このオキアミは、5億トンと見積もられるほど大量に存在するので、アザラシなどが生息できる。カニクイアザラシは1500~2000万頭が生息している。ザトウクジラもオキアミを食べて生活している。
南極大陸では温暖化がすすむ一方で、降雪も増えている。すると、アデリーペンギンが子育てのための場所を確保できずに困ってしまう。
ザトウクジラは、激減して1万数千頭しかいない状況になったが、完全保護の下で回復し、今では12万頭はいると見込まれている。
ヒョウアザラシと海中で遭遇すると、威嚇するポーズをとるが、何もしないでいると、やがて離れていくとのことです。でも、ちょっと怖いですよね。
ペンギンは、年に1回、新しい羽毛につけ替える。そのときは、じっと動かずエネルギーを消費しないようにしている。
コウテイペンギンの寿命は20年とみられている。体高1メートル、体重は30数キロ。海に入るときも、海から出るときも、全員がタイミングをあわせて一気にやってしまう。恐らく、ヒョウアザラシ対策だ。
南極近くのキャンベル島には、シロアホウドリが1万5000羽いる。
読んで楽しい南極の本です。
(2020年11月刊。1800円+税)

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2021年2月14日

モニカとポーランド語の小さな辞書

ポーランド


(霧山昴)
著者 足達 和子 、 出版 書肆アルス

ポーランドという国には行ったことがありません。「連帯」のワレサ大統領、アウシュヴィッツ、アンジェイ・ワイダ監督、ワルシャワ蜂起などを連想しますが...。
そのポーランドに留学し、生活して、ついには日本語とポーランド語の辞書をつくった日本人女性の心温まる話が展開します。
モニカは、ポーランドの少女の名前です。モニカは、両親を失って2歳になる前に、ワルシャワ大学に留学していた著者の下宿にやってきたのです。
著者がつくった『日ポ・ポ日小辞典』は、なんと初版3万部だったとのこと。すごい部数です。それは、当時(1982年2月)のポーランド軍の将校の指示によるものでした。その後も増刷されて、なんと5万部ほどになったというのです。見出し語1万2千の小さな辞書が、ポーランドで28年間、唯一の日本語の辞書だったというのですから、たいしたものです。その功績から、遅ればせながら2015年に著者はポーランドの大統領よりカバレルスキ十字勲章を授与されています。
さらに、著者は、日本の詩をポーランド語で紹介しています。
この本は、2歳になる前に両親から「捨てられた」モニカが著者を母親のように慕い、しがみついて離れなかったこと、日本に戻った著者がモニカとはずっと交流していたこと、そして、モニカは立派な「親」にひきとられて小学校から大学に行き、社会人となり、ついに結婚して、二人の子をもうけたこと、夫と別れたモニカのその後がずっと紹介されているのが、心に響きます。子どもたちを愛情もって育てたら、本当に無限の可能性が生まれてくるんだなと思わせてくれ、心が温まる本でした。
ところで、著者はいくつなのかなと思って、うしろの略歴をみると、なんと私より年長でした。50代までは、ずい分若くみられていて、いやだったとのこと。私も同じですが、今ではいつまでも若く見られたいという気持ちで一杯です。
(2020年10月刊。1300円+税)

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2021年2月15日

進化のからくり

生物


(霧山昴)
著者 千葉 聡 、 出版 講談社ブルーバックス新書

私はスマホを持たず、いつまでたってもガラケーだけ。それも、いつもカバンの中に入っていて、着信履歴を自宅に戻って充電するときに気がつくほど。
そのガラケーの由来であるガラパゴスについて、「ダーウィンによって発見されたガラパゴスフィンチのくちばしの形状の違い」というのが、実は伝説にすぎなかったというのです。この出だしの指摘には驚いてしまいました。
フィンチ類のくちばしの形状は、わずか40年ほどに変わる。エルニーニョにともなう気候変化によってくちばしの大きさと形は変化するのが認められた。これはダーウィンの発見のことではありません。1970年代からガラパゴス諸島で研究していたグラント夫妻によるもの。
ガラパゴス諸島には年間20万人もの観光客がやってきて、エクアドル経済を大きく支えている。
実は、ダーウィンは、ガラパゴス諸島に滞在中、ダーウィンフィンチにはまったく関心をもたなかった。ガラパゴスがダーウィンの訪れた特別な場所として人々に意識されるようになったのは1930年ころからのこと。
カタツムリのジェレミーの話は大いに受けます。2016年秋、イギリスのノッティン・ガム大学の広報室が市民に向けて呼びかけた。
「孤独な左巻きのカタツムリが、愛と遺伝学のため、お相手を探しています」
ジェレミーとは、ヒメリンゴマイマイというヨーロッパに普通にみられるカタツムリ。ただし、ふつうは右巻きなのに、ジェレミーは100万匹に1匹の確率で生まれる左巻き。左巻きのジェレミーは、右巻きのカタツムリとは交尾ができず、子どもをつくれない。そこで、このジェレミーの相手となる左巻きのカタツムリを市民に捕まえてもらおうという呼びかけだった。
これには各国のメディアが飛びつき、世界中で19億人がニュースを見た。すると、まもなく左巻きのカタツムリが市民から寄せられたのです。イギリスから、スペインのマヨルカ島から...。そして、ついに、ジェレミーの子どもが誕生したのでした。カタツムリって、オスでもありメスでもあるという不思議な生き物なんですね...。
次は、カワニナの話。100万年前、日本列島は大陸と一体だった。そのころ、日本から韓国にカワニナが移住していた。これは常識に反する事実です。DNA解析で判明した事実でした...。
著者は小笠原にもたびたび出かけているようです。
東京から父島まで船で1日。そこから船で2時間以上かけて母島にたどり着く。人口450人の村。今も昔も住民は若い。生活が厳しいので高齢者は少ない。そこでカタツムリを探してまわる生活。それが生態学者なのです。
ちょっとどころか、大いに変わった生態学者たちが次々に登場し、常識をくつがえすような発見をするのです。大自然の厳しさとたたかいながら...。
「むっちゃおもろい」という評言は、決してウソではありません。
(2020年7月刊。1000円+税)

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2021年2月16日

民主主義のつくり方

社会


(霧山昴)
著者 宇野 重規 、 出版 筑摩選書

大変失礼ながら、学術会議の任命拒否問題があるまで、東大教授である著者を知りませんでした。略歴によると、私が大学に入った年(1967年)の生年なのです。私も、すっかり年齢(とし)をとってしまったというわけです。申し訳ありません。
著者は東大で法学博士を取得し、政治思想史、政治哲学を専攻していますから、古今東西の政治思想家が次々に登場し、論評が加えられるさまは、小気味がいい感じです。
さて、問題は日本に本当の民主主義はあるのか、育つのか、です。著者はその点、希望を捨ててはいけないという考えです。
現代日本社会においても、民主主義の「種子」(タネ)は少しずつ根を下ろしつつある。もちろん、その「種子」が今後も順調に発育をとげ、さらに相互につながって一つの「森」を形成するようになるかどうかは、予断を許さない。
未来とは、本質的に理解不能なもの。安易に未来を予測できるとする言説や理論のほうが危うい。未来とは、人間にとって本質的に他者なのだ。
現代のように「未来を見通せない時代」だからこそ、すべての個人が自らの信じるところに従って「実験」を行う権利があるというプラグマティズムの教えに希望がある。
みんながあきらめてしまって投票所に足を運ばなかったら、「種子」が「森」になるはずもありません...。ぜひぜひ、投票率を6割といわず、8割にまで上げたいものです。
この本は、民主主義への不信が募(つの)る現代にあって、あえて民主主義を擁護するために書かれている。自分たちの力で、自分たちの社会を変えていくことが、民主主義の本質のはず。誰かが何をやってくれることを期待しているのは、自らの運命を誰かに委ねてしまっていることを意味する。
近代政治思想史は、自己の熱い壁の内にこもった個人が、他者に依存することを何よりも恐れながら、それでも何とか共存をはかるための論理を模索してきた歴史であった。
習慣とは、定着・安定と修正・変化の両側面をともなった媒体である。
習慣は、まったく変化しないわけではなく、長い目でみれば、習慣は、つねに変化し、けっして同じ状態にとどまるものではない。社会に安定性をもたらし、社会の再生産を可能にするのは習慣である。
現代日本の各地で、新たな「民主主義の習慣」が生みだされていることに著者は注目しています。そして、その担い手は、地域社会に根ざした存在であること、若い世代に注目すべき新たな動きが生じているというのです。そんな新たな変革の「余地」は「ローカル」な場所に生まれ、存在しているという著者の指摘が生かされ、現実のものとなり、大きくなっていくことを私も大いに期待したいと思います。
難しい話なのですが、意外にも分かりやすい口調の本でしたので、スラスラと読むことができました。こんなすばらしい能力をもった学者を理由も示さずに学術会議のメンバーに任命拒否するなんて、スガ首相の罪悪はあまりにも大きいと改めて実感しました。
(2020年12月刊。1500円+税)

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2021年2月17日

難民たちの日中戦争

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 芳井 研一 、 出版 吉川弘文館

日本の無謀な大作戦が日本政府トップの無理な指示によるものだというのを改めて認識しました。1944年4月から1945年2月にかけて中国大陸で展開された大陸打通作戦のことです。この作戦は、日本の陸軍史上最大の50万人もの兵力を動員した。それは、日本国民の戦意喪失を防ぐために、アメリカ軍の対日空爆基地をつぶすという大義名分の大作戦。
ところが、実際の参加兵力は41万人、作戦距離2000キロという大作戦は、制空権がないなか、補給もほとんどないという無謀な行軍と戦闘を余儀なくされた。
したがって、現地の日本軍は食糧は現地調達、つまり現地で掠奪するしかなかった。ところが、中国の民衆はほとんど逃亡し去っていて、掠奪すべき食糧は残っていなかった。
また、41万人の日本兵のうち、10万人ほどはほとんど未教育の補充兵だった。食糧が現地調達できない日本兵は下痢、栄養失調、コレラで次々に死んでいった。第58師団は、出発時1万3849人だったのが、敗戦時には7388人と生存者は半分だった。
そして、この無謀な大作戦のきっかけは1942年4月の日本本土初空襲のドゥリットル空襲だった。日本本土がアメリカ軍による空爆の射程内に入ったことは、一般国民に突然、戦争の前面に立たされたという感覚をもたらし、士気に影響するところが大きいと政府当局は判断した。なので、日本への空襲のためのB52の離着陸可能地にある中国の飛行場を破壊することが最優先される作戦が考えられ、実施された。これをリードしたのが東条英機首相だった。
1938年に広東爆撃から重慶爆撃へと中国の都市爆撃を拡大していった日本軍指導者は、1942年の首都東京の電撃空襲を受けて、冷静な作戦の見通しと判断を見失った。
総力戦をうたっていた東条首相以下の日本政府と軍部のトップにとって、国民の継戦意志を確保するため、つまり国民動員のために必要な不可欠と判断した。そこで、現地作戦軍の意向を無視して押し付けた。
しかし、この大陸打通作戦の終末期には、アメリカ軍は中国大陸にある航空基地を利用することなく、日本本土を空襲するようになっていた。すなわち、アメリカ軍は、1944年の6月、マリアナ沖海戦で日本海軍の空母や航空機に壊滅的打撃を与え、7月にはサイパン島、グアム島そしてテニアン島に上陸して占領した。7月からは、日本本土爆撃基地は中国本土からマリアナ諸島に移された。11月には、マリアナ基地から飛びたったB29爆撃機70機が東京を本格空襲した。
日本軍の中国大陸での戦面拡大によって厖大な難民が生まれた。難民が一番多かった河南省では、1942年から43年にかけて200万人もの人々が餓死等で死亡し、300万人が難民として他省に流出した。これには、1938年の国民党軍による黄河の決潰も大きく影響している。しかし、それも日本軍の侵攻への対抗策としてなされたもの。
中国大陸への日本軍の侵攻作戦について、日本の指導部と現地作戦群の思惑が見事にずれていて、現地軍の独断専行がひどかったことは他の本でも再三指摘されています。
日本軍は、現地の中国人をなんとか手なづけようと、満鉄社員のなかから52人を指名し、その経験を生かした宣撫(せんぶ)班を7つも組織した。まあ、しかし、日本軍が近づくと中国の民衆のほとんどはまたたくまに逃げ出してしまったのでした。
日本軍は、1938年6月から国民政府の首都になっていた武漢を目ざした武漢作戦を開始した。30万人以上の兵力が動員され、戦死者6558人、戦傷者1万7040人、病者10万5945人という大消耗戦となった。このとき、日本軍は占領地の多くで治安体制を整えることができなかった。このころ、陸海軍は、軍事費のさらなる拡大を追求していて、30億円以上もかけて武漢作戦に着手したかった。いわば、自分たちの権益を守るために大勢の若い日本人を死地に追いやったわけです。もちろん、その「敵」は中国人民でした...。
1938年5月、日本軍は広東市内を突然に空襲した。これは、日中戦争の帰趨を左右するほど大きな国際的影響があった。要するに、フツーの市民を爆撃した日本はけしからんという全世界の世論の声を招いてしまった。このとき、「軍事施設に限って」日本軍が空襲した事実はなく、むしろ日本軍は、意識的に民家を狙って空爆していた。これと同じことをアメリカ軍も日本を空襲したときにやったわけです。カーチス・ルメイ将軍は、日本を石器時代に戻すと豪語したのです。そのカーチス・ルメイに対して、日本政府は戦後、大勲章を授与したのです。いったい日本国民の生命、財産を政府はなんと考えているのでしょうか...(プンプン)。
日本史も切り口によって新しい視点を身につけることができることを実感させられた素晴らしい本です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2020年10月刊。1800円+税)

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2021年2月18日

命を危険にさらして

フランス


(霧山昴)
著者 マリーヌ・ジャックマンほか 、 出版 創元社

5人のフランス人女性戦場ジャーナリストの証言です。
彼女らはフランス最大のテレビ局TF1で働いています。戦場での現場での映像取材ですから、まさに生命がけの危険な仕事です。実際に、爆撃されて生命を落とした仲間もいます。
なので、一番大切なのは、取材を終えて、無事に戻ってくること。恐怖をコントロールし、情に流されずに冷静さを保ち、一瞬で判断をくだし、ジャーナリストとして自分がやるべきことに集中する。
戦場に行く前にフランス軍の主催する数日間の研修、特殊部隊の訓練を受ける。銃撃戦に巻き込まれたときに車から脱出する方法。パニックになって弾丸が飛んでくる方向のドアを開けてしまう可能性がある。また、銃で狙われているとき、部屋の隅には避難しない。弾がはねかえってくる危険がある。銃撃を受けたとき、身を守るためには車のエンジンブロックのうしろに隠れる。木のうしろはダメ。
人質にとられたときの模擬訓練では、目隠しをされた状態で、自分のいる空間を把握し、時間の感覚を失わない方法を学ぶ。体力を温存し、肉体的にも精神的にもできるだけ長いあいだもちこたえられるようにする方法も教わる。
子どもの写真を財布に入れておかない。これは感情的な弱みを握られないため。
恐怖を感じない人はいない。出発前に恐怖を感じるには耳を傾ける。恐怖は誠実な友人のようなもので、実際の危険や想像上の危険を知らせてくれる。一度認めたら、その恐怖と距離を置いて、忘れるようにする。
戦場ジャーナリストは、戦争によるアドレナリンが麻薬のようになってしまうことが多い。兵士も戦場の経験が病みつきになる人がいるのと同じですね...。
戦場ジャーナリストの仕事は、学校や教科書で学ぶことはできない。現場で習得する。経験だけが、これほど特殊な仕事について教えてくれる。それは、もっとも基礎的なものから、もっとも複雑なものまで、さまざまな状況から救い出してくれる。
フランス特有の専門職である映像ジャーナリストは、カメラで撮影するのが仕事だが、ジャーナリストとしての教育も受けている。
実際、彼女らはフランスの超エリート校である政治学院(シアンスポ)を卒業したりしています。彼女らは、シリアに行き、リビアに行き、ルワンダに行って、死体の山々を現地でみて、カメラで映像としてとらえているのです。
日本のNHKにも、そんなカメラマンがほしいところですよね...。「アベさま(今はスガさま)のNHK」ではなく、国民のためのNHKであってほしいものですが...。
それにしても、フランスの女性もすごいです。戦場に行ってもドライヤーは必携だし、化粧道具も欠かせません。自らの顔を出した映像を送るからには、きちんと化粧しておくのは視聴者への敬意のあらわれだというのです。そのプロ根性には頭が下がります。
(2020年1月刊。1600円+税)

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2021年2月19日

県警VS暴力団

社会


(霧山昴)
著者 藪 正孝 、 出版 文春新書

日本全国の暴力団員は最盛時に18万人いたのが、今は2万8千人になったとのこと。これには警察の取り締まりの成果も大きいと思いますが、それだけでもないようです。たとえば、暴走族は今ではほとんど見かけません。成人式での暴力的騒動も、すっかり影をひそめてしまいました。
北九州の暴力団「工藤会」とたたかってきた警察官による体験をふまえた暴力団取締の現場の話です。
工藤会が襲ったクラブ「ぼおるど」は、弁護士会の懇親会のあとの二次会の会場として、私も何回も行ったことがあります。
「ぼおるど」が襲われたのは平成15年8月18日(日)の夜9時すぎ。手榴弾が投げ込まれ、店の女性12人が重軽傷を負った。前年の4月には、営業中に糞尿をばらまくという威力業務妨害事件も起きていた。その店長も殺人未遂事件の被害者になった。「ぼおるど」は暴力団員の出入りを禁止する店であり、経営者は暴力追放に立ち上がった市民団体の代表をつとめていた(と思います)。
投げられた手榴弾はアメリカ軍の攻撃型手榴弾であり、たまたま不完全爆発したことで死者が出なかったけれど、完全爆発していたら何人か確実に死んだのは間違いない。うひゃあ、恐ろしい...。
「警察は命までとらないが、工藤会は命をとる」
これは怖いですね。実際、工藤会は漁協元組合長などフツーの市民を殺しています。暴力団担当の元刑事まで狙っていますから、やりたい放題でした。北九州は、ひところいわば無法地帯だったのです。
「ぼおるど」は、営業を再開したものの、実弾入りの脅迫状が送られるなどがあり、事件の翌月には休業し、ついに廃業に追い込まれてしまった。「逆らう者は許さない」という工藤会の目的は達成されてしまった。なんということでしょう。残念でなりません。これでひっこんでいたら日本の警察は顔がありません。
北九州市議会の議長宅、そして北九州県議会議員宅に拳銃弾が撃ち込まれる事件が相次いだ(平成16年1月から5月)。
工藤会が土木・建設業者からとっていたみかじめ料は、建築1%、土木2%、解体5%。
これは大きいですよね。大型公共工事は、全国どこでも暴力団と政治家がトータルで3~5%をまき上げていると言われています。ただし、昔からの「伝統」的な処理なので、警察が証拠をつかんで立件するのは難しいようで、これまた本当に残念です。
工藤会は平成10年に内部通達を出し、傘下の組員が警察と接触することを固く禁止した。違反したら破門・絶縁するというものだった。
暴力団を抜け出して、正業につくことを可能にする社会環境づくりも日本は遅れているように思います。どうなんでしょうか...。体験をふまえているだけに、とても説得力がありました。
(2020年5月刊。850円+税)

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2021年2月20日

律令国家と隋唐文明

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 大津 透 、 出版 岩波新書

日本とは、太陽の昇るところ。でも、日本国内にいわば、日が昇るのは、さらに東であり、日本列島から日が昇ることはない。
そうなんですよね...。私も、前から、なんとなく疑問を抱いていました。
日本の国土は世界の東の端だと中国の人々は見ていた。つまり、日本とは、中国を軸として、中国から見た国号だ。日本というのは、本来は、東方、極東を意味する一般名詞だった。なーるほど、ですね。
「旧唐書」には、倭国伝と日本伝と二つが別々にあり、この二つは別の国家だと認識されている。遣唐使のころ、「日本」という意味は唐から見た「日辺」(にっぺん)である。唐のころは、日本、日域、日東が日本に限定されず、新羅を指して使われていた。つまり、「日本」とは、中国から見て日の出るところ、極東を指していた。
隋の皇帝が怒ったのは、倭が日が昇り、隋が日が沈む、つまり我が先だとしたからだというのは俗説で、間違っている。日出すると日没するとは、東と西の方界を示しているだけ。倭が「天子」と名のったことに皇帝は許せなかった。倭が「天子」と名乗るという、隋と対等だなんて、とんでもないことだ...。
初めのころ、天皇の服装について、中国の皇帝にあるような規定はなかった。そして、天皇の行列についても、日本古来の習俗にしたがった神祭りの行列だったので、明文で規定することはできなかった。
日本の古代政府は、中国との違いをよく認識していて、まったく同じような規定を置くことはできなかったのです...。
現在の天皇・皇后は、先代もそうでしたが、皇居内で「お田植え」やご養蚕を行うが、これは明治に始められたもの。日本の天皇は、中国の皇帝とちがって、みずから農耕をするような存在ではなかった...。
古代日本の社会生活がどんなものだったのか、かなり具体的イメージがつかめる新書でした。
(2020年4月刊。840円+税)

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2021年2月21日

「パチンコ」(上)

韓国


(霧山昴)
著者 ミン・ジン・リー 、 出版 文芸春秋

アメリカで100万部突破した本だということです。オバマ元大統領も読んで推薦したという話題の本です。
いやあ、なるほどなるほど、前評判どおりの重厚なストーリー展開です。四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いていますが、上巻ですから、まだその半ばです。
舞台は、韓国の港町・釜山(プサン)のすぐ近くの影島(ヨンド)の漁村に始まります。
ときは、日本が大韓帝国を併合して植民地として支配していたころのこと。
主人公のソンジャは、働き者の父を早くに亡くし、母とともに下宿屋を営んでいる。そこに独身の若い牧師がやってきた。日本の大阪へ旅する途中に病弱の身を休ませようというのだ。やがてソンジャは年上の男性に気に入られ、妊娠する。ところが、そのときになって初めて男性は日本に妻子がいると告白した。韓国社会では、父なし子を産むことへの偏見、制裁は強い。ソンジャは男性に裏切られたと絶望する。それを承知で牧師が結婚を申し出る。そして、二人は無事に日本へたどり着き、大阪に腰を落ち着ける。
戦前の日本と朝鮮の社会状況が活写されていて、その置かれた状況に抵抗なく入っていける展開です。
戦前の日本はついに無謀な戦争に失敗し、敗戦を迎える。ソンジャは2人の子をかかえて、さあどうする...。下巻が待ち遠しくてなりません。
(2020年12月刊。2400円+税)

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2021年2月22日

里山に暮らすアナグマたち

生物


(霧山昴)
著者 金子 弥生 、 出版 東京大学出版会

日本固有種であるイタチ科動物の二ホンアナグマの生態をずっとフィールドワークで追っていた女性研究者による本です。
フィールドワークをする学生・若者がとても少なくなっているという話が最後に出てきます。著者は女性のフィールドワーカーとして先駆者だったようです。
イタチ科のなかでも土を掘る方向へ進化したアナグマは、前肢が大きく発達し、鋭い爪のある大きな前足を有する。生活のおもな部分は地中の巣穴で過ごすため、おもに嗅覚に頼っていて、鼻が大きく発達している。
アナグマは走行は遅い。
アナグマのおもな餌はミミズ。秋には柿の実を食べる。
穴ごもりの前に体重を50%以上増やし、穴ごもりのあいだは餌をほとんど食べない。
10月半ばから3月下旬ころまで穴ごもりし、4月上旬に出産し、7月末まで授乳する。
けもの道には、高速道路と一般道路がある。うひゃあ、そうなんですか...。
著者は、けもの道の上を実際に四つん這いになって歩いてみたことがあるとのこと。えらいですね、学者って...。
フィールドワークをする人は、基礎体力が必要で、これがないとできない。しかし、同時にデータをきちんととってくる人でなければならない。当然ですよね...。
現場で状況にあわせて柔軟に機転をきかせることができる人、体力が届かない部分を努力と気力で補える人がフィールドワーカーにふさわしい。なーるほど、です。
アナグマはおもに夜行性なので、研究データの取得は夜間。昼と夜が逆転する生活を余儀なくされる。それは大変ですね。
アナグマの母は、ふだんおだやかだけど、出産する前に前年生まれの子どもは威嚇して巣穴から全部追い出してしまう。「涙の子別れ儀式」というものではない。
著者が1990年から6年間アナグマを観察したとき、「コニシキ」と名づけたアナグマがいた。おっとりした性格で、体重は10.7キログラム。アメリカ式の最新式の発信機を装着して、その行動を追跡した。すごく粘り強く観察したわけです。
日の出町には民家に上がり込んで餌をもらうメスのアナグマがいた。「フサチャン」という名前がついていた。写真もありますが、これまたすごいですね...。
この「フサチャン」は5年間に4回も出産して、13頭の子どもを育て上げたとのこと。よくよく観察できました(パチパチパチ)。
「アナグマにとっての世界とは、においによる世界である」
アナグマは嗅覚に頼って生きている動物だということです。
最後に、フィールドワーカーまで絶滅危惧種になりつつあるとされています。残念です。フィールドワーカーは「40歳でピーク」を迎えるとのこと。50代半ばの著者は、それでもまだフィールドワークをがんばっているようです。フレーフレー...。これからも楽しいレポートを期待しています。
(2020年11月刊。3800円+税)

 自宅に戻ると大型の封筒が届いていました。
 仏検の合格証書が入っています。1月末に受験したフランス語の口頭試問(準1級)は無事に合格していました。基準点23点のところ29点です(合格率は22%)。これで、準1級の合格証書は9枚目になりました。2009年以来です。いつもボケ防止のつもりで、とても緊張して受験しています。
 これからもフランス語の勉強は続けるつもりで、このところ、毎週の教室に向けて仏作文にがんばっています。

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2021年2月23日

女だてら

江戸時代


(霧山昴)
著者 諸田 玲子 、 出版 角川書店

江戸後期に活躍した女性漢詩人、原采蘋(さいひん)の半生を小説にして紹介しています。舞台は筑前国秋月藩。儒学者の原古処(はら・こしょ) の娘が主人公。
秋月黒田家は、本家の黒田家とのあいだでお家騒動の渦中にある。
原古処は、藩校稽古館(けいこかん)の教授、そして、古処山堂という私塾を開いた。秋月藩主の覚えもめでたかった。ところが、文化8年、秋月黒田藩で大騒動が勃発し、原古処は教授職から罷免されてしまった。その後、原古処は娘を連れて江戸参府の旅に出た。
そして、父・古処の死後、娘は男になりすまして、再び旅に出る。本藩の専横に苦しめられている秋月黒田家に、本藩には意のままにできない藩主後継者を迎えて家の存続を図り、真の独立を成し遂げる。これが真の目的...。
学問に身を投じ、おのれの名を世に知らしめるためには、諸国を旅して見聞を広め、人脈を築いておかねばならない。そうなんですよね...。
女性の一人旅なんて、危険だからしているはずがないと思っている人は多いわけですが、実は、江戸時代、女性が旅をすること、そしてたまには一人旅も少なくなかったのです。
主人公が江戸に向かうとき、秋月藩の許可は得られず、久留米藩子の養女になって、江戸参府を目ざした。
采蘋の恋人として登場する駿河国の田中藩士の石上玖左衛門も実在の人物だということです。
女流漢詩人が男装して活躍する、大活劇、そしてミステリー小説といった雰囲気のある本です。まさしく「女だてら」の世界です。秋月黒田藩と結びつけて小説が展開していく様子は、なんとも想像力のたくましさに驚嘆させられます。
秋月郷土館には、キリシタンを「壊滅」させた原城の戦いを描いた絵巻物の実物があります。圧巻です。まだ見ていなかったら、ぜひ行って見てきてください。
(2020年9月刊。1800円+税)

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2021年2月24日

イスラエル諜報機関暗殺作戦全史(下)

イスラエル


(霧山昴)
著者 ロネン・バーグマン 、 出版 早川書房

イスラエルに敵対するパレスチナ人の組織のトップたちの暗殺作戦が公開されていて、背筋が寒くなる本です。
イスラエルの暗殺作戦というのは、ほとんどときのイスラエル首相の承認のもとでやられていることを知りました。国として暗殺作戦をすすめているわけです。それは、自爆テロへの対抗手段であるわけですが、本当に暗殺によって自爆テロは減っているとは、とても思えません。
自爆テロの志願者は後を絶たないというのは現実です。天国に行けるし、天国に行った71人もの美女とセックス望み放題だというのです。そのうえ、残された家族への給付金もあるとのこと。
イスラエルは、自爆テロ犯人を操っている人物を割り出し、せいぜい300人から500人なので、一つひとつ、つぶして(暗殺)していくのです。すると、リーダーはどんどん若返っていき、ついには組織の運営ができなくなるというのです。
うひゃあ、そんな発想があったのですね...。
パレスチナ人を暗殺するときに欠かせないのが、ドローン。リアルタイムで空軍司令部に情報を提供する。ドローンの改良は年々すすみ、次第に搭載できる燃料が増え、カメラの性能も向上した。1990年にレーザーが整備され、停止したターゲットをビームで戦闘機に指示することもできるようになった。ドローンはサポートの役割から、直接攻撃の手段へと進化している。
暗殺は少人数の人員でやるのではない。大規模な殺人機関として、数千人が暗殺に加担していることになる。イスラエル軍の8200部隊が非公式に暗殺される人間を決めていた。そして、暗殺計画をシャロン首相が承認していた。民間人を殺すことになる命令は明らかに違法だ。
暗殺せよという「アネモネ摘み作戦」は、事前に想定されていたほどの成果をあげなかった。
自爆テロの志願者、つまり殉教者(シャビート)になろうという人間(若者)にことを欠くことはなかった。自爆テロに21歳の、2人の子どもをもつ女性が志願して、認められた。これで「闘争」は新たな段階に入った。若い女性で、しかも2人の幼児をかかえた母親が自爆テロ犯だなんて、信じられません...。2004年1月4日に自ら爆死し、4人を死なせたのでした。
イスラエルの諜報機関は、大勢のテロ工作員を殺害し、テロ指導者を暗殺したこと、暗殺システムの合理化により、自爆テロの抑止に成功した。本当でしょうか...。
暗殺には大きな代償を伴う。罪のないパレスチナ人が巻き添をくらう。テロとは無関係の人々が多数殺されている。
イスラエル国防軍の法務官が、暗殺をユダヤ教の教えにかなった、合法的で隠すことのない行為だと判断した。ええっ、そんなバカな...。
岩にカモフラージュした巨大な爆破装置がリモート操作で作動し、爆破する運転席のドアを開けると、近くにいた見張りの遠隔操作によって、ドアの内部に隠してあった爆弾が爆発した。スペアタイヤのカバーに爆弾を仕込み、車のドアを開けたときに爆発させる。ルームサービスの飲み物に毒物を混入させる。超音波を使って、肌を傷つけずに薬剤を注入する。呼吸に使う筋肉の動きが止まるため、窒息する。
ドローンをつって、飛行機からミサイルをターゲットのいるビル目がけてターゲットのいるビル目がけて打ち込むなど、ともかく暗殺技法はますます高度に発達しているようです。その最新の手口がいくつも公開されています。
ところが、イスラエルの情報機関による暗殺は、みごとな戦闘的成功をおさめているが、戦略的には悲惨な失敗を重ねている。イスラエルの指導者の大半は幻想を抱いている。秘密工作が、単なる戦術的手段から、戦略的手段になりうるという幻想を...。
でもでも、いくら暗殺を重ねたところで、究極の平和を遠くに追いやるだけなのではないかと、つくづく思いました。
決して読みたい本ではありませんが、こんな世の中の現実があるのだと思いつつ、読みすすめました。
(2020年6月刊。3200円+税)

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2021年2月25日

傷魂

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 宮澤 縦一 、 出版 富山房インターナショナル

ヴァイオリニストとして有名な黒沼ユリ子の師匠でもあった音楽評論家の著者が第二次大戦中にフィリピンで九死に一生を得た過酷な体験を、帰国した翌年1946年に忘れないうちに書きつづったものが復刻された本です。
著者は、生還者の義務として、思い出してもゾッとする、あの過ぎしころの悪夢のような出来事と、現地の実相を、ただありのままに世に広く発表したいと思い筆をとったのでした。
著者が召集の赤紙を受けとったのは1944年(昭和19年)5月5日。3日後の5月8日には目黒の部隊に入隊した。そして、輸送船に詰め込まれて台湾へ、そしてフィリピンに運ばれた。この輸送船は、「ああ堂々の輸送船」と歌われていたのは真逆の奴隷船、あるいは地獄船だった。船底に近い最低の場所に詰めこまれ、熱いのに水は飲めない上古湯で、着たきりスズメ。そこをシラミがはいまわった。そして、潜水艦に狙われる。
「将軍商売、下士官道楽、兵隊ばかりが御奉公」
そして、フィリピンに上陸。ミンダナオ島に着く。やがてアメリカ軍が空から飛行機で襲撃し、海から砲撃されるようになり、食糧に苦しんだ。中指ほどの芋1本か2本が兵隊たちの一食分。それで、カエル、ヘビ、ネズミを食べたが、それはまだ上の部類の料理。銀トカゲを食べて嘔吐した者、死んだ水牛を掘り出して下痢した者、オタマジャクシやカタツムリが試食された。
敗残兵となって山奥へ逃げていく。裸足(はだし)にわらなわを二重三重に巻きつけて、ぬかるみの坂道をのぼっていった。軍紀も軍律も敗残兵たちを拘束する力をもたなくなり、上官の命令が下級者に徹底しなくなった。かえって上官が下級者のきげんをとるようになった。上官をバカにしだした兵隊たちは、頼りない上官を相手にせず、気のあった仲間と連れだって勝手に行動しはじめた。
ついにアメリカ軍の砲撃で足をケガした。何の手当もできない。すると、3日目は、小さく細いウジ虫が傷口いっぱいにウジャウジャと固まり、1週間もすると、大きな白いウジ虫までもはいまわり始めた。そのうえシラミが身体中をはいまわり、やたらとむずがゆい。10日ものあいだ、はんごうにたまった雨水をのむだけ...。
手榴弾を石に叩きつけて自決しようとするが、なんと不発弾。そして、身動きできないところにアメリカ兵がやってきて、取り囲まれた。アメリカ兵はタンカを持ってきて、ジャングルから基地へ運んでいく。「いつ殺されるのか」と訊くと、「心配するな、病院に行くのだ」という答えが返ってくる。半信半疑の状態だった。
京都帝大法学部出身の著者は英語で、「起きられない、歩けない」と言ったのでした。
そして、赤十字の車をみて平和の生活をとり戻せたのでした。奴隷から自由人に戻ることができたのです。著者は、日本に帰国してから南方の戦地の実情をたずねられたそうです。
ネズミの塩焼きは、焼き鳥の味に似て、うまいうまいと言って喜んで食べていたと答えたとのこと。
フィリピンで死んでいった日本兵の戦死者たちは、戦闘どころか、一発の弾丸も撃つことなく、戦争を呪(のろ)い、軍閥を恨んで死んでいった者が絶対多数だった。このように著者は自らの体験を見聞した状況から断言しています。そして、それが日本国内にきちんと伝わっていないことに、もどかしくこの体験記を書いたのです。絶対に忘れてはいけない戦争体験記だと思って最後まで読み通しました。
(2020年11月刊。1300円+税)

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2021年2月26日

ベトナム戦争と沖縄

ベトナム・社会


(霧山昴)
著者 石川 文洋 、 出版 榕樹書林

1967年、私が大学生になった年は、ベトナム戦争まっさかりでした。詳しいことは知りませんでしたが、強大なアメリカ軍が50万人もの兵隊をベトナムに送り込んでベトナムの人々に戦争をしかけているのには生理的な抵抗感がありました。「ヤンキー・ゴーホーム」という気分です。当時の大学生の多くが、そんな気分だったように私は思いました。
それでも、ベトナム戦争の現場の写真に接することは、あまりありませんでした。
ベトナムでアメリカ軍は空から徹底的に爆撃しました。ナパーム弾で農村地帯を焼き尽くし、枯れ葉剤をまいて、ジャングルを裸にしてしまったのです。それでもベトナムの戦う人々はそれこそ文字どおり地中に潜って戦い続けたのです。
私もクチのトンネルに潜ってみました。まっ暗いトンネルが延々と続いているのです。怖いとしか言いようがありません。
アメリカ軍が山頂に大砲陣地をすばやく築きあげた写真があります。ヘリコプターからブルドーザーをおろし、たちまち地面をならして陣地を築きあげるのです。そして、このアメリカ軍の物量作戦を支えたのは、日本の沖縄でした。
1965年3月に、アメリカ軍のベトナムでの初めての戦闘部隊は、沖縄にいた第3海兵隊。第一海兵師団は戦死者1万人、負傷者8万人を出している。まさしく、沖縄はアメリカのベトナム侵略戦争を支える後方基地、兵站基地でした。そして、それは沖縄経済も潤わせたのです。
ベトナムで破壊された戦車は、いったん沖縄に来て、それから神奈川県相模原で修理された。横浜では、そんな戦車を通さない、運ばない運動が取り組まれました。横井久美子さんの「戦車は通さない」という歌にもなっています。
著者がベトナム戦争の最中にとった写真の少女(ソー、10歳)に、著者は25年後、そして42年後にも再会し、写真が紹介されています。同じく、1965年に市場でモノを売っていた少女(アン、17歳)とも、23年ぶりに再会し、それから10年後にも再会しています。きりっと引き締まった美少女でした。
ベトナムではたくさんの沖縄出身のアメリカ兵が戦死していることもこの本で知りましたハワイに本部のある第25歩兵師団には、沖縄出身の二世兵士がいたのです。25師団だけで、4547人が戦死し、3万人以上が負傷していますので、二世兵士たちが大勢亡くなったのも当然です。
いま、ベトナムはロシアや中国と離れて、アメリカを親善国としている。政府は共産党だけど、経済は資本主義そのもの。オバマもトランプもベトナムを訪問している。
では、ベトナム戦争で犠牲となった300万人もの民衆と兵士の死は、いったい何のためだったのか...。著者の疑問は、まことにもっともです。結局、アメリカの産軍複合体がもうかっただけではなかったのでしょうか...。ほとほと嫌になる現実、過去の歴史があります。
そんなこと思い出させる写真がたくさんありました。
(2020年12月刊。1300円+税)

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2021年2月27日

釣りキチ三平の夢

人間


(霧山昴)
著者 藤澤 志穂子 、 出版 世界文化社

矢口高雄外伝という本です。矢口高雄の原画がすばらしいカラー図版で紹介されていますから、それを眺めるだけでも心楽しくなります。
釣り場をとり巻く自然の描写が本当に行き届いていて、大自然の息吹きに圧倒されます。ただし、雪深い山村に実際に住むのは本当に大変なようです。白い雪に埋もれてしまう日々を、恨めしく思って過ごす人々が多いというのも、冬でも雪が降ったくらいで喜んで育ってきた身には分からないところでしょうね...。
自然は厳しい。でも、どこか清々しい。
こんなセリフが書けるようになるまでには、相当の年月が必要なような気がします。
著者は少女マンガ専門で、「釣りキチ三平」は読んだことはなかったそうです。実は、1973年から10年間も「少年マガジン」で連載されていたというのを私も読んではいません。大学生のころ、「あしたのジョー」は毎週かかさず読んでいましたが...。そして、「釣りキチ三平」はアニメ版の映画も実写版映画もあるそうですが、どちらもみていません。
実写版映画は、そのうちDVDを借りてみてみたいと思っています。なにしろ、撮影現場は矢口高雄が提案した秋田県内の釣りどころのようですから...。
何回読んでも泣けてくるシーンは、矢口高雄が中学校を卒業したら「金の卵」として東京のブラシ工場に集団就職することが決まっていたのを、担任教師が高校入試の願書しめ切り前夜に雪のなか自宅に押しかけてきて、世間体ばかりを気にする父親に高校進学を説得しにきた話です。中学校では成績優秀で、生徒会長もつとめていた矢口高雄を担任の教師は、なんとかして高校へ進学させたいと思って、12月の深い雪道をかきわけて矢口高雄の家に押しかけたのです。すばらしいです。そんな教師の迫力にこたえて母親が決断し、渋る父親を説き伏せたのでした。なんともすごいシーンです。
そして、高校進学したのですが、その高校生活について、矢口高雄は記憶がないというのです。ともかく、一杯のラーメンも食べず、一本の映画すらみていない、修学旅行にも参加していないというのです。いやはや、大変な高校生活ですね...。そして、羽後銀行に入行して12年のあいだつとめました。
そのころの下宿先の娘さんが、矢口高雄について、「真面目で、ちょっと暗い人」という印象を語っているのも面白いエピソードです。
そして、支店の前を毎日通りかかる女子高生に恋をして、それが実るのでした。これまた、そんなこともあるのですね...。
この奥さんが、実に矢口高雄をよく支えたのですよね。その後は、長女が支え、さらに次女が支えたというのですから、矢口高雄は家族に大きく支えられて存分にマンガが描けたわけです。いやあ、いい本でした。
「釣りキチ三平」のラストは、自然保護を訴えて100万人もの「釣りキチ」たちが国会にデモ行進するシーンだそうです。これって、安倍内閣による安保法制法反対の国会を取り巻くデモと集会を思い出させますよね...(116頁)。
しんぶん赤旗日曜版に1991年から2年間にわたって連載された「蛍雪時代」は矢口高雄の生い立ちを知るうえでは欠かせないものだと思いますが、私は、これを読んで、熱烈なファンになりました。この本も、ご一読をおすすめします。
(2021年1月刊。1600円+税)

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2021年2月28日

むさぼらなかった男・渋沢栄一

日本史(江戸・明治)


(霧山昴)
著者 中村 彰彦 、 出版 文芸春秋

渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマが始まることは知っていました(もっとも私はドラマをみることはありません)が、新しい1万円札の顔にもなるのですね。こちらは自覚がありませんでした。
渋沢栄一は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎とは長く反目しあっていたとのこと。この本によると、岩崎弥太郎は、専制主義的な独占論を主張していたといいます。さもありなん、です。日本の財界って、昔も今も、自分たちのことだけ、金もうけ本位で、国民全体のことを考えようという発想がハナからありませんね。本当に残念です。教育にしても、すぐに役立つ、つまりダメになれば使い捨てる、目先の「人材」育成しか考えていないくせに、大声をあげて道徳教育を強調するのですから、ほとほと嫌になります。そんな財界の権化ともいうべき岩崎弥太郎と反目しあったというのですから、私はそれだけでも渋沢栄一の肩をもちたくなります。
江戸時代の末期、まだ幕府があったころにフランスに渡って、パリで開かれた万博(万国博覧会)を見学し、渋沢栄一はすっかり認識を新たにしたのだそうです。これまた、さもありなん、です。
渋沢栄一は、パリにいたとき、ロシア皇帝アレクサンドル2世、フランスのナポレオン3世、プロシャの皇太子らと一緒に競馬をみたとのこと。1867年6月のことです。
渋沢栄一は、もちろん船でフランスに向かったのですが、横浜を出てマルセイユ港に着くまで48日かかっています。船中でフランス語を勉強したようです。そしてフランスには1年8ヶ月も滞在して、大いに勉強したのでした。
幕末のころ、長州藩は大量の洋式銃を購入できたわけですが、それはアメリカの南北戦争が終わった(1865年)ことによるというのを改めて認識しました。南北戦争が終わって不要となった武器・弾薬類が大量にもち込まれたのです。
イギリス人商人のトーマス・グラバー(長崎の有名な「グラバー邸」の主)から、長州藩はゲベール銃3000挺、ミニエー銃4000挺を購入しました。坂本龍馬の亀山社中が紹介して、長州藩の井上(馨)と伊藤(博文)が交渉にあたりました。この大量の洋式銃の威力はすさまじく幕府軍の兵士たちをなぎ倒してしまい、長州勢の完勝、幕府軍の惨敗となったのです。
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の農家の生まれです。農業を営むかたわら養蚕業そして藍(あい)を製造していました。つまり商才を父親から譲り受けたのです。そして、その才能を見込まれて農民から武士に取り立てられたのでした。幕末のころ、農民の子が武士になった例はたくさんありました。新選組の近藤勇や土方歳三、芹沢鴨などもそうです。
明治になって渋沢栄一は政府の要職に就き、さらには辞職して第一国立銀行に入ります。もちろん、そこで大活躍したわけですが、なんと渋沢栄一の肖像の入った額面5円の銀行券が発行されていたそうです。新1万円券の渋沢栄一の登場は「2度目のおつとめ」になるのでした。
財界人が自分と自分の会社の金もうけしか考えず、国の政治をそのために金力で動かそうとするなんて、サイテーですよね。そんなサイテーの財界人が今の日本に(昔もそうだったでしょうが...)、あまりに多すぎて、ほとほと嫌になります。まあ、それでも、ここであきらめてはいけないと思っているのです...。
(2021年1月刊。1600円+税)

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