弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年2月25日

傷魂

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 宮澤 縦一 、 出版 富山房インターナショナル

ヴァイオリニストとして有名な黒沼ユリ子の師匠でもあった音楽評論家の著者が第二次大戦中にフィリピンで九死に一生を得た過酷な体験を、帰国した翌年1946年に忘れないうちに書きつづったものが復刻された本です。
著者は、生還者の義務として、思い出してもゾッとする、あの過ぎしころの悪夢のような出来事と、現地の実相を、ただありのままに世に広く発表したいと思い筆をとったのでした。
著者が召集の赤紙を受けとったのは1944年(昭和19年)5月5日。3日後の5月8日には目黒の部隊に入隊した。そして、輸送船に詰め込まれて台湾へ、そしてフィリピンに運ばれた。この輸送船は、「ああ堂々の輸送船」と歌われていたのは真逆の奴隷船、あるいは地獄船だった。船底に近い最低の場所に詰めこまれ、熱いのに水は飲めない上古湯で、着たきりスズメ。そこをシラミがはいまわった。そして、潜水艦に狙われる。
「将軍商売、下士官道楽、兵隊ばかりが御奉公」
そして、フィリピンに上陸。ミンダナオ島に着く。やがてアメリカ軍が空から飛行機で襲撃し、海から砲撃されるようになり、食糧に苦しんだ。中指ほどの芋1本か2本が兵隊たちの一食分。それで、カエル、ヘビ、ネズミを食べたが、それはまだ上の部類の料理。銀トカゲを食べて嘔吐した者、死んだ水牛を掘り出して下痢した者、オタマジャクシやカタツムリが試食された。
敗残兵となって山奥へ逃げていく。裸足(はだし)にわらなわを二重三重に巻きつけて、ぬかるみの坂道をのぼっていった。軍紀も軍律も敗残兵たちを拘束する力をもたなくなり、上官の命令が下級者に徹底しなくなった。かえって上官が下級者のきげんをとるようになった。上官をバカにしだした兵隊たちは、頼りない上官を相手にせず、気のあった仲間と連れだって勝手に行動しはじめた。
ついにアメリカ軍の砲撃で足をケガした。何の手当もできない。すると、3日目は、小さく細いウジ虫が傷口いっぱいにウジャウジャと固まり、1週間もすると、大きな白いウジ虫までもはいまわり始めた。そのうえシラミが身体中をはいまわり、やたらとむずがゆい。10日ものあいだ、はんごうにたまった雨水をのむだけ...。
手榴弾を石に叩きつけて自決しようとするが、なんと不発弾。そして、身動きできないところにアメリカ兵がやってきて、取り囲まれた。アメリカ兵はタンカを持ってきて、ジャングルから基地へ運んでいく。「いつ殺されるのか」と訊くと、「心配するな、病院に行くのだ」という答えが返ってくる。半信半疑の状態だった。
京都帝大法学部出身の著者は英語で、「起きられない、歩けない」と言ったのでした。
そして、赤十字の車をみて平和の生活をとり戻せたのでした。奴隷から自由人に戻ることができたのです。著者は、日本に帰国してから南方の戦地の実情をたずねられたそうです。
ネズミの塩焼きは、焼き鳥の味に似て、うまいうまいと言って喜んで食べていたと答えたとのこと。
フィリピンで死んでいった日本兵の戦死者たちは、戦闘どころか、一発の弾丸も撃つことなく、戦争を呪(のろ)い、軍閥を恨んで死んでいった者が絶対多数だった。このように著者は自らの体験を見聞した状況から断言しています。そして、それが日本国内にきちんと伝わっていないことに、もどかしくこの体験記を書いたのです。絶対に忘れてはいけない戦争体験記だと思って最後まで読み通しました。
(2020年11月刊。1300円+税)

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