弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年2月 3日

学校弁護士

司法


(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版 角川新書

著者は教師であり、弁護士。東京都内の私立高校の社会科教師であり、いじめなどの子どもの権利が問題になる事件を専門に扱う弁護士。
著者によれば弁護士資格をもった社会科教師が教師の専門性を高められるかどうかを試してみたかったとのこと。教師としては、クラス担任も部活動顧問も担当して、今の日本の教育の実情を最前線で見てきた教師の一人。
スクールロイヤーには明確な定義が存在しない。うひゃあ、そうなんですか...。
スクールロイヤーは、保護者でも学校設置者のいずれの利益でもなく、「子どもの最善の利益」を実現する立場から教育紛争に関わらなければならない。
「いじめ」事件にかかわったとき、結果として、周囲の子どもたちが傷つくようなことがあれば、それはスクールロイヤーとしては、仕事を十分に果たしたとは言えない。
2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、「いじめ」とは何かが定義されている。それは、端的に言えば、被害者が「心身の苦痛を感じる」行為であれば、すべて同法の「いじめ」に該当しうる。被害者の主観のみで、誰でもいじめの加害者になってしまうというのは、子どもにとっても、保護者にとっても大変なリスクになりうる。
いじめ防止対策推進法には、被害者と加害者という単純な二項対立的な構図しか用意されていない。しかし、一人として同じ人間はいない人格と個性を扱う教育という営みを、画一的かつ平等に扱う法律によって律することの不条理さを物語る法律になっている。
保護者が子どもへの虐待を隠蔽する目的で、長期欠席の原因をいじめであると学校に申し立て、学校が(虚偽の)「重大事態」として対応しなければならなくなったケースもある。
ネットいじめは、一時的には保護者の責任。ただ、当の保護者が子どもよりネットの利用法に詳しくないのが、ネットいじめの難しさになっている。
弁護士による「いじめ防止」授業は、効果があるのかないのか分からないというのが実情。著者は、現代日本社会でいじめを予防するのは不可能だとしています。それは、日本社会では、大人であっても、不合理な「同調圧力」によって個人の意見がないがしろにされるのは日常茶飯事であり、たとえ正しいと考えていても自分の主張を明確に示すことがはばかれるからだ。このような社会を築いている大人たちが、いじめが発生したとき、すべてを学校教育の責任に転嫁しようとするのは、きわめて不合理なこと...。
いじめを予防するには、まわりくどい話になるが、まず大人たち一人ひとりが、不合理な同調圧力を変えていく意識をもつことが真っ先に必要なこと。
いじめの被害者が転校するケースは、加害者が転校するよりもはるかに多いことが判明している。
いじめに関しては、加害者に対して多様な指導方法が教師に認められるべきだ。著者は、このように主張しています。なるほど、そうなんだろうと思います。
一口にモンスターペアレントといっても、保護者のクレームは多種多様。
体罰する教師は、厳格とか陰険ではなく、むしろ熱血漢・熱心というタイプが多い。同じ教師が繰り返し体罰をしている。
日本の実社会が体育会系を重宝する理由。上意下達の精神と同調圧力の強い人材は、日本のあらゆる組織において一定数は必要であり、実社会に出る前の学校教育でコストパフォーマンスよく養成するには、部活動が何より優れたシステムとして機能する。
ところが、日本の裁判所は、部活動であっても、通常の学校事故とまったく同じ法理で教師の法的責任を判断する。
教育改革...。教師ひとりあたりの労働を減らすには、①教師の人数を増やすこと、②業務量を減らすことという二つを実行すればよい。これまた、そのとおりでしょう。
40人クラスを1人の担任で面倒をみなければならない日本の教育制度は、過酷な労働の原因となっている。教員というのは、本当に大変な仕事だろうと改めて察せられました。
(2020年11月刊。900円+税)

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