弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年10月 1日

台湾海峡1949

中国


(霧山昴)
著者 龍  應台、 出版 白水社

中国に進攻していた日本軍が敗戦したあと、蒋介石の国民党軍と中共の解放軍とのあいだで国共内戦が始まり、ついに腐敗した指導部をかかえた国民党軍は敗退して、中国本土から台湾へ渡ります。でも、台湾にも中国人はいたわけですから、そんな国府軍をみんなが喜んで迎え入れたわけではありません。
そこを武力で抑えつけて、矛盾・衝突が起きました。台湾にとって、1949年というのは、そんな大変な時代の始まりでもあったのです。
この本は、小説のような、ノンフィクションのようなもので、歴史が行きつ戻りつしながら、中国と台湾の歴史が語られます。
国共内戦のもとで、教師が高校生の集団を引率して戦火を逃れてさまよう状況も紹介されます。タイトルは忘れてしまいましたが、そんな本を読み、このコーナーでも紹介したと思います。
そのころ、高校教師は生徒との人間的結びつきが強く、父母も教師と一緒ならいいだろうと考えていたのでした。なにしろ、逃亡先でも、信じられないことに、ずっと授業していたというのですから、驚嘆します。
国府軍も中共軍も兵士を補充するため、村の若者たちを軍にむりやりでも組み込んだ。そのなかには、6歳の少年までいた。彼らは写真を撮られるときだって、決して笑顔を示さなかった。
「軍隊では、笑ってはいけないんだ...」
日本軍が「敵」軍の捕虜を大量殺害していたころの証拠文書が残されている。
捕虜は、一人のこらず、殲(せん)滅してしまい、その痕跡が残らないようにせよという帝国陸軍の指針をふまえていた。
いやあ、ひどい証拠ですね。捕虜を残すことがなかったのです。そして、日本軍の蛮行は、内地に無事に帰ってきてから、ほとんどの人が沈黙を守り、日本社会には広く知られることはありませんでした。教科書の書き換えが横行しているのは、ここに根拠があります。
(2021年7月刊。税込3300円)

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2021年10月 2日

東大寺の考古学

日本史(奈良)


(霧山昴)
著者 鶴見 泰寿 、 出版 吉川弘文館

奈良といえば大仏。東大寺大仏は正式には廬舎那仏(るしゃなぶつ)といい、東大寺金堂(こんどう)の本尊。聖武天皇が建立を発願し、天平勝宝4(752)年、4月9日に開眼供養がおこなわれた。
海外の大仏は石窟仏で、日本の大仏が鋳造なのは、とても珍しい。
大仏の鋳造方法。まず、土を突き固めて御座となる土壇を築き、その上に木材を組み立てて、骨体とする。この骨体を粘土で覆って原型となる塑像をつくる。鋳型づくり→鋳造という作業を下から上へ、8回くり返しながら頭部まで鋳継いで仏体を鋳造していく。大仏の銅の厚みは意外と薄く、わずか4センチか5センチほど。
大仏鋳造作業では、鋳造→盛り土→上段の鋳造という作業が繰り返されるので、8段目の頭部鋳造時には、大仏は完全に土の山に覆われている。
大仏の材料は、銅と錫(すず)、鉛の合金。銅の産地は山口県美祢(みね)市にある中登(なかのぼり)銅山。
この本の著者が紹介していませんので、読んでいないようですが、帚木蓬生の『国銅』(上・下)(新潮社、2003年)において、この銅山からとった銅で大仏をつくる職人の苦労が小説として語られています。
鋳造作業が終了すると、今度は逆に、頭部から下へ順に盛り土を崩し、鋳型をはずしていく。溶銅が流れ込まなかったところなどは鋳掛けという作業で修正していき、欠損部分を補ったら、荒れた表面をヤスリやタガネで切削して整え、表面を砥石で研いて平滑にする。
金メッキはアマルガム法でおこなう。金を水銀に溶かし、金属の表面に塗布したあと、炭火で熱して水銀を蒸発させて、金だけを表面に定着させる。金1万436両、水銀5万8610両つかったとのこと。
このころ、金は、陸奥国で黄金がとれたという朗報が届いて、金不足が解消された。
開眼供養のころ、実は、まだ全体の一部しか出来あがってはいなかった。
早くコロナ禍がおさまって、東大寺の大仏さまを、また拝みたいものです。
(2021年3月刊。税込1870円)

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2021年10月 3日

謎解き、鳥獣戯画

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 芸術新潮編集部 、 出版 新潮社

日本のマンガの元祖といってもよいのでしょうか...。ウサギや猿そしてカメたちが水遊びしたり、弓矢で競争したり、相撲をとったり、まことに愛敬たっぷりのマンガチックな絵巻物です。
甲乙丙丁の4巻からなる絵巻物の全長は、なんと44メートル超。甲乙巻は平安時代の末期、丙巻は鎌倉初期、丁巻はそれより少しあと...。もちろん異論もある。
色がなく、詞書(ことばがき)、つまりキャプション(説明文)がない。
京都市の北西にある高山寺(こうさんじ)に伝わった。
誰が、いったい何のために描いたのか、その注文主は誰なのか...。
すべて謎のままです。定説はない。
絵巻なので、紙をノリで何枚も(甲巻だけで23枚)、貼り継いでつくった。横長の料紙(りょうし)に描かれている。紙の継ぎ目の部分には「高山寺」の印が押されていて、絵が抜きとられたり、散逸してしまうのを防ぐ意図があった。
甲巻には擬人化された動物が登場する。2巻にはそれがない。しかし、カップルや親子は登場する。ニワトリの親子の絵を見ると、著者の表現力は、さすがです。
先に人物戯画が描かれ、その裏面に花押が入れられていた。その後、別の誰かが、花押にはかまうことなく動物戯画を描き加えた。
「鳥獣戯画」というのは近代以降の名称。中世では、ほとんど知られていなかった。現状の4巻構成になったのは、江戸時代初めの東福門院による修理のときのことだろう。
これを描いた絵師は宗教界と宮廷社会の両方の画事(がじ)に接しうる立場に属する人であって、しかも仏教側に属する人だろう。
コロナ禍がなければ、すぐにも飛んでいって、実物を見たい、じっくり鑑賞したいです。でも、現実には、私のすむ町ではまだワクチン接種のお知らせ自体がやってきていません。どうしたらよいのかも分からず、困って毎日を過ごしています。早く旅行に出かけたいものです。
(2021年3月刊。税込2200円)

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2021年10月 4日

後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ

生物


(霧山昴)
著者 ペーター・ヴォールレーベン 、 出版 ハヤカワ・ノンフィクション文庫

イヌは叱られると悲しい表情をする。そして、メンドリの気を引くため、オンドリは平然と嘘をつく。ええっ、ホ、ホントなの...。
オンドリはおいしそうなものを見つけると特別な抑揚をつけてクックッと鳴きはじめる。すると、メンドリがすぐに聞きつけてやってくる。ところが、オスがその鳴き声で何もないのにやって来たメンドリに交尾を迫って成功することがある。しかし、メンドリだって、何回も騙されるわけではない。
カササギは一生涯にわたるオスとメスはつがいを守る。それでも、つがいのメスが侵入者のメスを激しく追い立てていても、オスはつがいのメスに見られていないと思えば、新しいメスに熱心に言い寄る。ふえっ、カササギのオスって、ヒトのオトコと同じなんですね...。
ヨーロッパアカヤマアリは、数匹の女王アリがいて、最大で100万匹の働きアリによって世話されている。社会階層の一番下は、翅(ハネ)のあるオス。オスは女王アリと交尾するために巣から飛び立ち、そのあと死んでいく。オスは長生きが許されていないのです。働きアリは最長6年生き、女王アリの寿命は最長なんと25年。
ワタリガラスは、80以上の異なる鳴き声を使い分ける。だから、これはカラス言葉だ。ワタリガラスは親子間だけでなく、友人とのあいだでも生涯にわたる関係をはぐくむ。
ブタに名前をつけ、エサを与えるときに名前を呼ぶと、呼ばれたブタだけがエサの入った容器へ突進していく。
馬にとって楽しくうれしいのは、うまくできたときにほめられ、なでてもらえること。間違ったことして叱られると、バツが悪そうに顔をそむけ、あくびをしたりする。きまり悪いそぶりをしているのだ。馬も恥ずかしがる...。
カラスは一緒にいたら仲間が自分を助けてくれなかったら、そのことを覚えていて、そのあとは、その仲間とはともに作業しようとはしなかった。
人間であれ、他の動物であれ、恐れを感じないものは生きのびることができない。
ウサギは、オスとメスとが、それぞれ厳格な序列にしたがって生きている。指導的な役割を果たしているオスとメスは、より攻撃的ではあるが、ストレスは少なめだ。抑圧されているものは、次の攻撃を常に恐れながら生きている。大人のウサギの寿命は平均して2年半。ところがウサギ界の上流階級にいると、7年ほど生きのびる。いちばん下位のウサギは性成熟したあと数週間で死んでしまう。これはストレスが多いか少ないかが決定的だということを示している。うひゃあ、すごい違いですね...。
動物が認知症になってしまえば、肉食獣の手頃な獲物になってしまう。
なーるほど、病気になったら、即、死に至るというわけです。
著者の飼っていたヤギはおだやかな死を自分で迎えたのですが、それは、死んだ動物の姿勢で分かるのだそうです。そのヤギは、くつろいだ態勢で腹ばいになり、力の抜けた脚がその下に折りたたまれていました。これはリラックスして眠るときの姿勢なのです。
いやあ、動物の話は、いつ読んでも面白いですよね。
ドイツで人気の職業のひとつに「森林官」があるそうです。森を管理する専門家のことです。日本にこんな職業があるのでしょうか。もし、あったとしても人気の職業ではありませんよね。いえ、決してけなしているつもりはありません。
ドイツの小・中学校の女の子の憧れの動物ナンバーワンは馬なんだそうです。えっ、ええっ、これも日本とは大違いですよね。大学に馬術部はありますが、馬に乗るって、金持ちの子女のやることっていうイメージです。
(2021年7月刊。税込990円)

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2021年10月 5日

権力は腐敗する

社会


(霧山昴)
著者 前川 喜平 、 出版 毎日新聞出版

あの前川さんが、バッサバッサと権力の腐敗を切れ味も良く切り捨てていきます。
切られる相手の一人は、現在の文科省の藤原誠事務次官です。
安倍首相は、まったく独断で、科学的根拠もなく、手続的にみてもおかしい全国一斉休校を要請した。これは要請という名の指令だった。こんな官邸の独断による暴走について、藤原文科省事務次官は即座に応諾した。安倍首相に迎合したわけだ。
一斉休校は、子どもたちから学習の機会を奪い、学校という安全・安心な居場所も奪った。この人災の最大の責任者は安倍首相だが、それに追随した文科大臣、英断を気取った北海道の鈴木知事、東京の小池知事そして大阪の吉村知事の責任も重い。
前川さんは、もちろん文科省の事務次官をつとめた人です。ですから藤原事務次官は、その後輩にあたりますので、人事の流れをよく知る立場にあります。
「藤原君」はもともと事務次官候補ではなかった。別の人物が適任だった。ところが、「藤原君」は和泉洋人首相補佐官と親しい関係にあり、人事を巻き返すことに成功して、ついに事務次官となり、今なお事務次官の椅子にしがみついている。前川さんは嘆いています。そして、「藤原君」が事務次官になれたのは、法務省の黒川氏のときのような勤務・定年延長という裏技を繰り返したからだと解説しています。うひゃあ、恐ろしい...。黒川氏は新聞記者と賭けマージャンが暴露されて「自爆」してしまいましたが、藤原事務次官は今も健在。恐ろしいことです。
若者たちのなかに無関心・無自覚が広がっていることを前川さんは大変心配しています。これは、学校での人権教育や憲法教育が不十分であることにも原因がある。残念ながら、現代日本の若者には体制の現状を容認する傾向が強い。これは学校での政治教育の貧困に大きな原因がある。文科省は、、教師が右と言えば右を向き、左と言えば左を向くような、主体性のない生徒を想定している。
どうせ世の中は変えられない、どうせ世の中は良くならないとあきらめている人が多い。
「学習性無力感」と呼ばれる心理状態だ。しかし、人間は希望をもつことができる。人間は意思によって行動できる。
学習性無力感を克服するためには、小さな一歩を踏み出すことが大切だ。まずは選挙に足を運んでみよう。世の中は変えられる。あきらめてはいけない。
本当に、そうなんですよね。いま、私のすむ町にも夜間中学が復活しようとしています。いいことです。前川さんは、今も、福島市と厚木市で自主夜間中学のボランティア講師をしているとのこと。本当に頭が下がります。
安倍氏は口がうまいが、菅氏は口下手。安倍氏は嘘をつくのがうまい。菅氏は話す内容に一貫性がない。嘘をつきまくった安倍氏。何も言わない菅氏。どちらも国民への説明責任を果たしていない点では共通。
安倍氏は思い入れがないから、こだわりもなく、前言を放棄したり、放置したりできた。だから、前に言ったことについて何もしなくても、何の痛痒も感じない。無責任のきわみ。思い入れがないだけに変わり身が早いという「利点」もあった。菅氏は、自分にこだわりがあるため軌道修正ができない。いったい、この二人は、何のために政治をやっているのか。安倍氏は、名誉を得るための「家業」。菅氏は秋田で財をなした父親をこえる権力者になって「稼業」すること。父親を見返してやることが人生の目的になっていた。
なるほど、ですね。この比較・分析はとても納得できました。
アベ・スガが政権のあとも、自民党政権が続くとしたら、それはもう日本の行末は真っ暗です。そんなことにならないようにみんなが投票所に足を運ぶ必要があります。来たる総選挙で投票率75%を目ざす運動に心から賛同します。
(2021年9月刊。税込1760円)

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2021年10月 6日

他者の靴を履く

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 ブレイディみかこ 、 出版 文芸春秋

エンパシーとシンパシーの意味の違いを説明せよ。
シンパシーは、誰かをかわいそうだと思う感情とか、行為、友情など内側から湧いてくるもの。エンパシーは、他者の感情や経験などを理解する能力。つまり、身につけるもの。その人の立場だったら、自分はどうだろうと想像してみる知的作業。
オバマ大統領は演説のなかで「エンパシー」をよく使っていたとのこと。知りませんでした。といっても、エンパシーというコトバの歴史は浅く、まだ100年になるくらいだそうです。
著者がよく本を読み、よく考えている人であることはわかるのは、金子文子がいち早く登場することにあります。金子文子は、23歳の若さで獄死しました。アナーキストの朴烈のパートナーです。関東大震災のどさくさで逮捕され、大逆罪で死刑判決を受け、恩赦で無期懲役に減刑されたものの、恩赦状を破り捨てたのでした。映画にもなっているようですが、みていません。
これまた残念ながらみていませんが、映画『プリズンサークル』という、「島根あさひ社会復帰促進センター」という男子刑務所のなかの取り組みが紹介されています。ここは、比較的軽い罪で有罪になった人たちを収容しています。私も一度だけ内部に入ったことがあります。盲導犬を訓練していました。
詐欺犯のように無意味なコトバをべらべらと羅列する人たちは、ここでTCのプログラムに参加すると、逆にしゃべらなくなり、一時的には言葉を失うことがある。これは、自分がそれまで発していたコトバの空虚さに気がつき、自分のコトバを獲得し直すまでのプロセスの一部だ。コトバを発せない時期を経て、再びしゃべることができるようになったとき、口から出てくるコトバは前とはまったく違うものになっている。
ブルシット・ジョブ。どうでもいいことをして、何をやっていると人々を説得しようとしているナンセンスな仕事。これには、オフィスで働くほとんどの人がこれにあたる。受付、秘書、人事、管理職、広報...。そして、企業内弁護士、ロビイスト、CEO、PRリサーチャー...。
これに対するのが、キーワーカー。たとえば、コロナ禍でがんばっている看護師、保育士など...。
企業内弁護士を、同じ弁護士として軽蔑する気持ちはまったく(本当に、さらさら)ありませんが、世間から「本当にあんたのやっている仕事は世のため、人のためになっているの?」という問いかけに対して胸を張って答えられるかどうかは、たまに考えてもいいんじゃないの...という気はしています。というのも、「世のため、人のため」という、人権尊重に自分の一生をかけてみようという意識が薄くなってしまっているのは、残念ながら現実だと考えているからなのです。
イギリスのサッチャー首相は、庶民出身なのに、なぜか庶民に対してエリート出身者以上に冷酷になることができた。
みじめに退任するスガ首相も公助の前に自助があるなんていう妄言を吐いていました...。
この本を読んで、私が認識して良かったのは、第二次大戦中のイギリス市民です。戦時下でモノがなく、ヒトラー・ナチスが爆撃するなかで、貧しい人々は自制心に欠け、暴力的なので、パニックを起こして逃げまどい、国を混乱状態に陥れるのではないかと、支配階級は心配していた。しかし、実は、彼らは落ち着いて、お互いを助けあい、明るくジョークをとばしあいながら、一丸となって危機を乗りこえようとしていた
日本軍が始めた中国の重慶無差別爆撃、イギリス軍によるドイツ無差別爆撃、カーチス・ルメイ将軍による日本本土無差別空襲によって、いずれも国民の戦意は喪失するどころか、大いに高揚したというのが歴史的な事実でした。
庶民は、つまり人間は上からみるほど、バカではないのです。
「他者の靴を履くこと」というのは、英語の慣用句としてあるようです。「他者の顔色をうかがうこと」と紙一重ですね。でも違います。ちょっと難しい記述があふれていましたので、苦労しながら読み終えました。
(2021年8月刊。税込1595円)

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2021年10月 7日

たのしい知識

社会


(霧山昴)
著者 髙橋 源一郎 、 出版 朝日新書

著者は19歳のころ、東京拘置所にいました。その7ヶ月間、ひたすら1日12時間、本を読むのに没頭したそうです。
なんで、19歳で拘置所にいたのか...。全共闘の過激派として暴れまわっていたからです。ですから、私とは対立する関係になります(もっとも、世代が少し違います。私のほうが3歳だけ年長です)。そして、20代の著者はずっと肉体労働に従事していました。これも私とは違います。私は家具運びのアルバイト以外に肉体労働をしたことはありません。
そして、著者は30歳になって、突然、本を読みたいという気持ちになり、それ以来、ずっとずっと一日も欠かさず本を読んでいます。この点は同じですが、私のほうは、大学に入って駒場寮で読書会に参加し、さらにセツルメント・サークルに入ってから、猛烈に本を読みはじめ、今に至っています。ですから、読みの深さはともかくとして、読書習慣のほうは、いささか私のほうが早く、そして長いのです。
次に、著者は大学の教員となり、学生に14年間教え、学生たちに教えられたとのこと。ここが、私とは決定的に違います。教えることは、教えられること。それは真理だと私も考えています。この人生経験の違いは、実は大きいのではないか...、と考えています。私にも50年近い弁護士生活はあるのですが...。
コロナ禍の下、毎日毎日、大変です。でも、毎日、すさまじい量の情報を前に、実は、その大半を私たちは忘れている。必要のないものを捨て、必要だと判断したものだけを記憶して、私たちは生きている。いつも、人間は、そうだった。本当、そのとおりだと思います。でも、忘れることができるからこそ、ストレスをほどほどに抑えて、長生きすることも可能になるのです。
コロナ禍の下、多くの人たちと同じように、暮し方を変えざるをえなくなった。
コロナ禍が終わって、早く元に戻ればいいっていうけど、本当に元に戻ったとして、かつては本当に充実していたのか...。いやあ、そ、それは難しい問いかけですよね。
知識が必要だ。誰でも、そう思う。けれど、本当に、心の内側からあふれるようなものなのか、そう思わなければ、どんな知識も、ただ紙に印刷された文字の連なりにすぎない。
23歳で刑務所の中で自殺した金子文子。その父親は刑事。父は文子を戸籍にも入れなかった。そして、娘を捨てた。いやあ、ひどい親が昔も今もいるものですね...。
「たのしい知識」というタイトルは、本当なんでしょうか...と、問い返したくはなります。私は、昔は私と正反対の全共闘の活動家だった著者を今では心から尊敬しているのです。著者の人生相談の深みのある回答には、いつもいつも感動し、しびれています。
この本も、大変勉強になりました。ありがとうございました。
(2020年11月刊。税込979円)

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2021年10月 8日

ドレフュス事件

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 アラン・パジェス 、 出版 法制大学出版局

1894年10月、ドレフュス大尉が逮捕された。これがドレフュス事件の始まり。ドレフュスは、ユダヤ人の軍人。ドイツにフランスの軍事機密を売り渡していたという容疑。ドレフュスは3回、軍事裁判で有罪を宣告された。ドレフュスを弁護して、「私は告発する」を新聞紙上で大々的に書いたエミール・ゾラも有罪となった。ところが、真犯人の士官エステラジーのほうは、あとで逮捕されたが、軍法会議で無罪となり、イギリスへ逃げた。
ドレフュスは有罪となり、陸軍士官学校の校庭で公に軍籍を剥奪され、仏領ギアナの悪魔島に送られた。
真犯人を突きとめたピカール少佐(やがて中佐)は、解任されてチュニジアへ左遷された。その後任のアンリ少佐(これまた中佐に昇任)は、ドレフュス有罪の証拠をねつ造。それがバレて、独房で自殺した。
このころ、パリ市内には、「気送速達」というシステムがあったそうです。市内の地下にある下水道を利用して、気送管の中に薄い便せんか葉書を瞬時に送ることができました。こんなことがあったなんて、知りませんでした。
ドレフュスを有罪とした「証拠」である書面について、筆跡鑑定がなされました。私は今でも筆跡鑑定は科学的な根拠に乏しいと考えていますが、この当時は、まかり通っていたようです。
ある鑑定士はドレフュスの筆跡ではないが、それはドレフュスが故意に自分が書いているのに、自分が書いたものではないと思わせるようにしたからだ、なんて、とんでもない鑑定書を書いて、それが採用されたというのです。これでは、まるで神がかりのようなマンガです。
ドレフュスは悪魔島で快適に過ごしている、食事も専用の献立が準備されているという、見てきたかのようなキャンペーンがはられた。真実は、地面にアリやクモがはいまわるような小屋に閉じ込められ、散歩なし、足には鉄の輪をはめてベッドにしばりつけられていた。
真犯人のエステラジー少佐は、その日暮らし、たくさんの借金をかかえて追い詰められ、ドイツ大使館にいくらかの軍事情報を売って苦境を脱しようと考えた。亡命先のイギリスでは「伯爵」と名乗っていたが、貧窮の末に亡くなった。
ドレフュス有罪を叫び続けた側は、「ユダヤ組合」説を考え出した。お金持ちのユダヤ人たちは、彼らと同じユダヤ人裏切り者ドレフュスの無罪放免を得るため、莫大な資金をつかって国際的な組合をつくっているというもの。
昔も今も、ユダヤ人の陰謀、国際的謀議が展開されるのですね。
反ユダヤ主義は、今でも根深いものがありますが、これって、やはり日頃の生活のうっぷん晴らし、またユダヤ人の財産をとりあげて毎日の苦しい生活を少しでも楽にしようという発想から、間違った(事実誤認の)考えに毒されて、自己の行為を正当化するものです。
ドレフュス事件は、10年以上もフランスの世論を二分して激しく議論が展開されたのでした。この本は昔の本の復刻版ではありません。
(2021年6月刊。税込3740円)

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2021年10月 9日

きずな図鑑

生物


(霧山昴)
著者 中村 庸夫 、 出版 二見書房

海に生きる生き物の姿が見事にとらえられている写真集です。
親子、夫婦、群れ、そして異種の仲間たち...。これらの写真全部を一人で撮ったなんて、とても信じられません。
著者は私と同じ団塊世代(1949年生まれ)です。早稲田大学の大学院(理学研究科)を出たあと、プロの海洋写真の世界に飛び込んだようです。
いくつもの新しい発見がありました。人喰いザメの見分け方。サメには背ビレが2つあり、この2つの背ビレの大きさが大きく異なるときは危険ザメ。
たとえばネムリブカは、第2背ビレが大きく、第1背ビレの4分の3ほどの高さがあることで安全なサメとされている。好奇心が強く、慣れると人間の手からもエサを食べる。
オオカマスは、海中で集団を形成して泳ぐ。捕食されるのを、こうやって防ぐ。オオカマスの体の側面中央部にある「側線」と呼ばれる1本の線で、微細な水の流水を感じとることができ、光の届かない深海や濁った水のなかでも隣の魚の動きも感知できる。
なお、魚群には通常リーダーはいないので、もよりの魚の動きを感知して同一行動をとっている。
マナティー。ここではフロリダマナティは、海牛目の哺乳動物で、ゾウと同じ祖先から進化したと考えられている。大きな体ながら草食性。
貴重な写真集、眺めているだけで、心が洗われる気がしてくる見事な写真集です。
(2020年4月刊。税込2453円)

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2021年10月10日

星落ちて、なお

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 澤田 瞳子 、 出版 文芸春秋

江戸時代に生きた葛飾北斎、歌川国芳、そして明治まで生きた河鍋暁斎。いずれも著名な画家。
その暁斎のあとを継ぐべき兄の周三郎と妹のとよは、よそよそしい関係にあります。
いずれも父・暁斎に反発しながらも、画家としての道を歩んでいくのですが...。
いやあ、うまい展開です。さすが直木賞を受賞したというだけはあります。画家の道をきわめることの大変さ、偉大な父親をもった子どもたちの大変な苦労、そして兄と妹との葛藤...、家族って、いったいなんだ...と思わず我が身を振り返らされるストーリーです。
錦絵を得意とする歌川国芳を最初の師とし、その後、写生を重んじる狩野家で厳しい修行を積んだ暁斎は、やまと絵から漢画、墨画まで、さまざまな画風を自在に操った。風俗画に狂画(戯画)、動物画、...あげくに版画から引幕まで、暁斎は何でもこなした。
暁斎は画鬼と自称し、天下の絵師を百人集めたかと思うほど多彩な絵を描いた。
暁斎は、その体内の血の代わりに墨(すみ)が流れているのではないかと案じられるほど、絵のことしか考えない男だった。
娘のとよも、河鍋暁翠(きょうすい)として、世に歩み出した。
この本の表紙は暁翠の「五節句之内、文月」ですが、まったく江戸時代の絵そのものです。とても明治の半ば以降に描かれたものとは思えません。古臭いというのではありません。時代を超絶した江戸情緒たっぷりの絵に圧倒されてしまうのです。
暁翠は女子美大で女学生に絵を教えたようです。
よくぞ、一代記を小説にしたものです。驚嘆してしまいました。
(2021年7月刊。税込1925円)

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2021年10月11日

生命海流

生物


(霧山昴)
著者 福岡 伸一 、 出版 朝日出版社

ええっ、このコロナ禍の下で、ガラパゴス諸島へ行ったのですか...。
『動的平衡』などの著者として有名な著者が、2020年3月、ガラパゴス諸島へ行き、船を一隻チャーターしてダーウィンの1ヶ月の航路を1週間でたどったのです。
実は、コロナ禍がひどくなる直前で、危機一髪だったのです。あと何日か遅れたら、エクアドルかどこかで缶詰めにされるところでした。
ガラパゴス諸島の航海図が本のはじめに添付されています。本当にたくさんの島から成っているのですね、初めて知りました。
島は全部で123島。主な島は13島ある。これが関東平野くらい広い範囲に分布している。この太平洋の島々は、プレートのせめぎ合いの上に生まれた。北側のココスプレート、南側のナスカプレート、この二つがぶつかり、地下からマグマを噴き上げる海底火山、ホットスポットが生み出された。そして、ナスカプレートの上に乗って島々は南東の方へゆっくりと動いていく。その速度は1年に5センチ。100万年の間隔で、次の火山活動が起きて新しい島の列ができる。
いやあ、ガラパゴスの島も生きているのですね。
このガラパゴス諸島は、エクアドルの領土。移民を送り込んで定住させたが、大変な困難をともなった。まあ、アメリカ領土になっていたら、観光資源として「利用」され、貴重な生態系が滅茶苦茶になっていたことだろうと著者は指摘しています。
ガラパゴスの生物も砂も、一切がもち出し禁止。そして、外部からの持ち込みがないよう、靴の底の泥まで洗浄させられるのです。
ときどき不心得の観光客(収集マニアなど)が持ち出しを試みて捕まっています。日本人もいるようです。泣いて謝罪したというのですが、そんなことで許されるはずもありません。世の中を甘くみてはいけません。エルサルバドルの刑務所に入れられた日本人は、果たして生きて出てこれるのでしょうか...。
ガラパゴスにすむゾウガメは、ふだんは高度1千メートルの火山のカルデラ内外にいる。ゾウガメは草食。高地からエサを求めて何日もかけて下りてくる。ゾウガメは一度エサをとると、水やエサを与えなくても1年近く生きている。
ダーウィンたちはゾウガメを食べた。「なかなかの味だった」と評している。
ゾウガメは、卵のとき、赤ちゃんガメのときには天敵に食べられる心配があるが、それを過ぎたら、もはや天敵はいない。サボテンやリンゴを食べながら、ゆっくり長生きする。ゾウガメの最大寿命は200年。体長1メートル、体重300キロにまで成長する。いやはや、途方もないことです。
そして、このゾウガメの祖先は南米大陸にすむリクガメ。でもリクガメは泳げない。なにかの自然災害が起きて、付近の植物がイカダの役割をしてリクガメがガラパゴス島に流れついたのではないかと想像されている。
ガラパゴス諸島の生き物たちは人間を恐れない。恐れないどころか、近くにやってきて、一緒に遊ぼうよと、ちょっかいをかけてきたり、好奇心旺盛だ。
著書は空を飛ぶグンカンドリの行動をみて、一緒につきあってくれたと解しました。
また、海中ではアシカが寄ってきて、足のフィンに甘がみしたりして、一緒に遊ぼうよと誘ってきた。小鳥だって、そうだ...。
ガラパゴス諸島をチャーター船で1週間かけて巡るなんて、これぞまさしく究極の理想の旅ですよね。船のトイレに苦労したり、真水シャワーが少なかったりの不便はあるものの、三度三度の豪華な食事、そして海を眺めながらのビールなど、これほどの極上の旅はないでしょう。プロのカメラマンによる写真もまたすばらしく、ガラパゴス諸島を紹介する決定版の一つです。いやあ、実にうらやましい限りです...。
(2021年6月刊。税込2090円)

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2021年10月12日

妻を帽子とまちがえた男

人間


(霧山昴)
著者 オリヴァー・サックス 、 出版 早川書房

人間とは、いかなる存在なのか、この本を読んで改めて考えさせられました。
大統領の演説を聞いていた失語症患者の病棟で、どっと笑い声が起きた...。失語症の患者は知能が高く、自然に話しかけられたら言われたことの大半は理解している。
失語症患者は言葉を理解できないので、言葉でだまされることはない。しかし、理解できることは確実に把握する。言葉の表情をつかむのだ。言葉の表情を感じとる。なので、嘘をついても見やぶってしまう。人間の声のあらゆる表情、すなわち調子、リズム、拍子、音楽性、微妙な抑揚、音調の変化、イントネーションを聞き分ける。なので、大統領の演説がけばけばしく、グロテスクで、饒舌(じょうぜつ)やいかさま、不誠実なことを見抜き、大統領の演説を笑った。
同じく、音感失認症の女性も大統領の演説に感動できなかった。説得力がない。文章がだめ。言葉づかいも不適当だし、頭がおかしいか、何か隠しごとがある...。
「健常者」は、心のどこかに騙されたいという気持ちがあるため、見事にだまされたが、失語症や音感失認症の人にはそれがなく、笑ってしまったり、感動させることができなかった。
いやあ、アベやスガの話を聞いてもらいたいですね。そして、その反応を知りたいものです。
固有感覚というものがあるそうです。初めて知りました。
からだの感覚は、三つのもので成り立っている。視覚、平衡器官そして固有感覚。通常は、この三つすべては協調して機能している。固有感覚というのは、からだのなかの目みたいなもので、からだが自分を見つめる道具。固有感覚を喪失すると、からだは感じられる実体ではなくなり、本人にとっては「失われて」しまう。たとえば、からだを動かすときには、まずからだの各部分をしっかりと見つめて、どうなっているのか目でたしかめなければならなかった。
この本は1985年に出版されたものです。それでも決して内容が古くなってしまった、今では通用しないというものではありません。いわば良き古典ですね...。
(2019年7月刊。税込968円)

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2021年10月13日

ちえもん

江戸時代


(霧山昴)
著者 松尾 清貴 、 出版 小学館

この本の始まりと終わりはオランダ交易船の沈没、そしてその引き上げです。ときは1798(寛政10)年11月から翌年2月のこと。つまり、松平定信の寛政の改革のころの話です。
長崎・出島のオランダ商館を拠点とするオランダとの交易は、ひそかに密貿易(抜け荷)も横行していたようです。しかも、幕府の禁止をかいくぐって藩当局の黙認のもとに...。もちろん、見つかれば処刑されます。実際にも、見せしめのために処刑された商人や通詞(通訳)がいたようです。
オランダ交易船は、全長42メートル、幅11メートル、総積載高1万石、鋼鉄張り、大帆柱3本の巨大な船。海中に沈没してしまっているのではなく、座礁している。このオランダ交易船を地元の香焼(こうやぎ)島の島民とともに、引き上げる。その先頭に立ったのが山口県徳山湾に面した漁村で育った漁民だった。
村の青年は若衆宿に属する。そして、夜這いをかける。寝ている娘の枕元に忍び寄る。娘に誰何(すいか)され、拒絶されると、夜這いは中止。男は黙って帰り、その夜のことを忘れなければならない。それが宿の掟だ。強姦者は若衆宿からも村からも制裁を受け、ろくな人生を送れない。死ぬまで負の烙印を押される恐怖から、どんな乱暴者も夜這いの作法だけはかたくなに遵守した。
若衆組は、下から順に小若勢(わかぜ)、並若勢、大若勢、年寄若勢と格付けされ、年次ごとに昇進する。新入りの指導は並若勢の役目だ。新入りは小若勢ですらない。宿の上下関係は絶対で、年次の差は埋まらない。
官途成(かんとなり)。名を改めるとき、特別な儀式が催された。官途名、大夫、兵衛、左衛門、右衛門など昔は武家が名乗った官名を百姓が名乗る。それ自体は珍しいことではないが、それへの改名は段取りを踏まなければならない。神職から名を授かるのに、相応の寄進が求められた。なので、官途成ができるのは有力百姓に限られ、そして、たいては跡取り息子だけだった。
瀬戸内は廻船の通り道。北陸や山陰などの日本海側から出発した船は、赤間関(今の下関)を超えて瀬戸内に入り、さらに大坂へ出て太平洋沿岸を経由して江戸に向かった。西廻り航路と呼ばれる開運物流の主流の一つだった。
瀬戸内には、米を大坂や江戸に運ぶ米廻船だけでなく、木綿・油・しょう油などの日用品を運ぶ菱垣(ひがき)廻船や、上方の酒を諸国へ下らせる樽(たる)廻船も頻繁に往来した。
そして、これらの回船は、江戸、大坂の問屋どうしが組合仲間をつくり、扱う商品によって棲み分けした。
沈没して海中の泥に半ば埋まっているオランダ交易船の周囲に、幅2間(3.6メートル)の筏(いかだ)2組を並べた。大きな足場となる。この巨大筏を固定するための支柱を22本も用意した。また、筏の上に、50石、60石積みの漁船70艘を筏の上に引き上げ、網で結んだ。こうやって沈船の引き揚げについに成功したというわけです。
私には技術的に理解するのが困難ではありましたが、その大変な苦労は雰囲気として理解できました。
(2020年9月刊。税込2090円)

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2021年10月14日

米軍からみた沖縄特攻作戦

日本史(戦中)


(霧山昴)
著者 ロビン・リエリー 、 出版 並木書房

1945年4月、アメリカ軍は大々的な沖縄侵攻を開始した。これに対して、日本軍はカミカゼ特攻隊で対抗。その無謀な特攻作戦を主としてアメリカ軍側の記録によって再現した本です。
日本軍の特攻機によるカミカゼ体当たりに効果がまったくなかったわけではありません。
でも、アメリカ軍は日本軍の暗号を全部解読していましたので、日本軍の奇襲作戦が成功するはずもありません。
そして、日本軍の飛行機は「ゼロ機」(零戦)もふくめて防御板は薄く、パイロットは未熟者ばかり(ベテランはすでに墜落されていて、熟練パイロットを養成する時間もなかった)。
アメリカ軍は沖縄侵攻にあたって、レーダー・ピケット艦艇(RP艦艇)を配置した。日本軍は、結局、このRP艦艇に特攻機を差し向けて、体当たりさせることになった。
その結果、アメリカのRP艦艇のうち沈没、損害を受けたのは29%に達した。
そしてアメリカ軍の戦闘機パイロットは、日本軍機との戦闘で勝っても、RP艦艇から誤射される危険があった。ベトナム戦争でも、アメリカ軍は友軍誤射で、相当の被害者を出していましたよね...。
アメリカ軍の誤射による被害というのは、アメリカの艦艇の兵士たちの過労と神経衰弱によるものが大きかった。なにしろ休養がとれず、眠れないので疲労困憊になっていたから。ストレスで、神経がすりきれてしまっていた。
日本の特攻機は、レーダー探知を避けるため、しばしば海面上を低高度で飛来した。
日本の特攻機のパイロットたちは、練度が低かった。最小限の飛行訓練しか受けていなかった。
アメリカ軍のグラマンF6Fヘルキャットは、ゼロ戦より速く、運動性が良かったので、「手強い相手」だった。ヘルキャットのパイロットは、ゼロ戦と遭遇したら、格闘戦を避けて、速度と火力を最大限に活用するように指示されていた。
アメリカ軍のパイロットたちは、日本軍パイロットの練度の低さもあって、次々に「面白い」ように撃墜していった。これを「七面鳥狩り」と称していた。
いやはや、特攻攻撃を命じられていった前途有為の日本の若者たちがあっけなく戦死させられていったのです。本当に残念ですし、本人たちも悔しかっただろうと思います。
レーダーのない日本軍機は、悪天候によって作戦開始ができなかった。なので、アメリカ軍兵士のほうは、悪天候になると喜んだ。
無謀な特攻・体当たり作戦を若いパイロットたちにおしつけた参謀以上の軍トップの責任は、とてつもなく大きく重いはずですが...。単純に特攻作戦を美化するなんて、許せません。
(2021年9月刊。税込2970円)

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2021年10月15日

屠畜のお仕事

社会


(霧山昴)
著者 栃木 裕 、 出版 解放出版社

世の中には採食主義者の人も少なくありませんが、私はほとんど毎日、牛肉か豚肉、あるいは鶏肉を食べています。もちろん、年齢(とし)とともに、野菜を食べる量をふやしています。昨晩だって、大好きなギョーザを山盛り食べてしまいました。
その牛肉や豚肉をつくり出しているのが食肉市場に併設されている「屠場(とじょう)」です。著者は、この屠場で長く働いていました。この本は、屠場の仕事の実際を紹介しつつ、肉食の歴史も解説していて、大変勉強になりました。
著者は、食肉動物を「殺す」という言葉から逃げてはいけないと強調しています。「命をいただく」という言葉にいいかえるのは、差別に負けているようで、大嫌いだというのです。「生命をいただく」というとき、素材への感謝もさることながら、それをつくった人たちへの感謝を忘れてはいけないはずだと主張します。その理由は、屠場で働く作業員の実情、その苦労と工夫を具体的に知ると、なるほどと思わされます。
豚も牛も屠場へ運ばれてすぐに屠畜するのではない。前日に到着して、一日は水を与えてゆっくり休ませてからでないと、肉質が落ちるのです。
豚は殺す前に炭酸ガスの充満した麻酔室で昏睡(こんすい)状態にする。ただし、日本の多くの屠場では電気ショックによる麻酔が多い。
牛の場合には、眉間に屠畜銃をあてて撃って気絶させる。
豚の放血から胸割りまでは、清掃をふくめて1頭20秒というスピードで処理する。
食べる豚足は、ほとんどが前足。うしろ足より肉づきが良いから。うしろ足はスープのダシに使う。
豚のお腹を切り開いて、内臓を取り出すまで5~8秒で終わらせる。
いやはや、あっという間の作業なんですね。そのため、心と気力を集力させる必要があります。
一頭の豚をガス麻酔のゴンドラに入れてから、枝肉を洗浄するまで30分間しかかからない。
とてつもない早技です。このとき集中力に欠けると、ケガもします。
豚も牛も、一刻も早く血抜きする必要がある。そのためには心臓のポンプ力を活かす。
「肉まん」と「豚まん」の違いを知りました。関西で「肉」といえば牛肉のことなので、豚肉をつかうときには、「豚」とわざわざ言う必要がある。
ホルモンとは、内臓肉のこと。ホルモンは「放るもん」から来ているという人がいるが、著者は、スタミナのつく料理という意味で、ホルモンと言ったと主張しています。なーるほど、と思いました。
豚は、沖縄のアグー豚や、鹿児島のバークシャー豚を除いて、ほとんど「三元豚」。これは3種の豚のかけあわせでつくられた雑種のこと。
オスの子豚は去勢する。そうしないとオス豚特有の臭いがして、豚肉としての価値が下がってしまう。
牛はメスのほうが肉質がきめ細かくやわらかいので、値段が高い。
牛のエサは、穀物と牧草。牧草だけ与えていると、日本人の好む霜降り肉はできない。そして、アメリカ産のトウモロコシをたくさん与えて脂肪分をつくり出す。
著者は、日本人は昔から肉食していたと主張しています。これまた、なるほど、そうだろうなと私も思います。
牛肉や豚肉を毎日のようにおいしくいただいている身としては、その製造現場の様子知るのは、とても興味と関心がありました。そこでプロとして従事していた著者による解説なので、よくよく理解することができました。肉食派のあなたに一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1760円)

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2021年10月16日

少数株主

司法


(霧山昴)
著者 牛島 信 、 出版 幻冬舎文庫

東京で企業法務の弁護士として活躍している著者は、司法にからめた企業小説の書き手でもあります。先日、顔写真つきで大きなインタビュー記事がのっていましたが、なんと私と同じ団塊世代(私のほうが1歳だけ年長)です。
今回の本も、企業法務は扱っていない私にとっても大変勉強になりました。
資産のある会社、老齢になり始めたオーナー夫妻、その離婚、夫の側の不貞行為、夫の隠し子、密かにしかし公式につくられた信託財産、会社の未来、会社のステークホルダー...。こんなケースこそ弁護士としての腕の振るい甲斐がある。なるほど、うん、そうですね...。
今回の舞台は非上場会社の少数株主の扱い。少数派のもっている株は、配当還元といって、配当金が年にいくらかで値段が決まるのがふつう。ところで、非上場会社の株は、会社の承認がないと買うことができない。
それで、最近、法改正によって、少数株主は、自分の株式を会社に買取請求できることになったようです。買ってもらえるとして、問題は、その値段。
非上場会社の少数株主に矛盾とそのしわ寄せが集中している。フェアな扱いを受けていない。もっと払える配当、高値で買い戻せる株、もっと投資にまわせる内部留保、放置されたまま眠り続けている土地の含み益...。
勝率を誇る弁護士を軽蔑する。むずかしい事件をやらず、勝てそうな事件だけをやれば勝率は上がる。でも、それは、18歳になって、中学校の入試問題だけを解いているようなものだ。
対象となった非上場会社については、将来の収益力(DCF)と純資産評価を50対50の割合で足しあわせるべきだ。すると帳簿価格として算定した金額の3倍以上になった。それを前提として少数株主権を会社に買い取ってもらう。裁判所を介入させたら、それが可能になる。
弁護士は不思議な職業だ。超高級ナイフのような切れ味でしゃべりまくったところで、滝の水が勢いよく流れ落ちるように、とうとうと論理を展開してみせたところで、話している中身が信用できると相手が受けとってくれるとは限らない。弁護士にとって相手を煙に巻くのは仕事の一部にすぎない。かえって反発を買うことも多い。才気走ったところを見せるのは不興を買うだけになりかねない。
著者は、代理人業が気に入って、何十年も弁護士をしているとのこと。依頼者へは真っ当な法的サービスを提供する。もし依頼者自身が弁護士だったら実現したいだろうことすべてを代って行う。なーるほど、ですね。でも、なかなか出来ません。
社外取締役によるチェックは限界がある。企業のトップと会計責任者とが組んで経理処理をしたら、社外取締役なんて知るよしもない。そして、それを防ぐ手立てはない。そのとおりです。
いやあ、難しい内容をよくぞここまで分かりやすく解説したものだと思いました。
(2021年5月刊。税込963円)

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2021年10月17日

沈没船博士

アメリカ

(霧山昴)
著者 山舩 晃太郎 、 出版 新潮社

高校・大学では野球に没頭していた青年が、挫折したあと英語も話せないのに一念発起してアメリカにわたって水中考古学を学び、ついに博士となって世界各地で沈没船探究の第一人者として活躍しているという、血沸き肉踊るストーリー展開なので、最後まで一気読みしました。
水中考古学とは、水に沈んだ遺跡の調査発掘を行う学術研究。60年ほど前に誕生し、今ではヨーロッパや北米をはじめ、世界中で数多くの水中調査と水中発掘がすすめられている。
著者は2009年からアメリカの大学院で船舶考古学を学び、現在は世界中で水中調査・研究に従事している。
沈没船は世界中に300万隻はあるだろうとユネスコはみている。ギリシャのエーゲ海では、4年間の調査で58隻もの沈没船が見つかった。沈没船が見つかるのは、実は港町の近くのことが多い。港を出てすぐか、港に帰ってくるとき、船は沈む。海のど真ん中というよりも、港のちかくで暗礁や浅瀬に乗り上げたりして海難事故が起きる。
水中での作業は、たとえば水深27メートルだと1日に作業できるのはわずか1時間でしかない。潜水中に身体にたまる窒素の量を考慮して、そんな制限がある。
著者がアメリカに渡ったのは2006年8月のこと。22歳だ。大学までのタクシー代として300ドルもふんだくられ、マックでもスーパーでも英語が分からず、食べ物も買えない。1週間、自販機でスナック菓子とジュースだけで泣く泣くすごした。そして、TOEICを受けると、読解はなんと1点しかとれない。そして2008年に始まった授業になんとか出てみると、教授の話がまるで理解できない...。
いやはや、そんな状態でよくも続けたものです。そこは根性でしょうね。
授業を録音し、ネットで関連事項を探し出して、電子辞書をつかって少しずつ読みすすめる。毎週3日は徹夜したというのです。若さもありましょうが、そのタフさには驚嘆してしまいます。
そして、あこがれのカストロ教授のもとに駆け込み、助手に採用してもらったのです。直談判に行くなんて、たいした日本男子です。
こんな苦労をしながらも、水中考古学に著者は全力で楽しむように心がけ、周囲からそのことが高く評価されて、世界中の調査に誘われるようになったのでした。
もちろん、ニコニコ笑っているだけというのではなく、最新の科学的手法を導入したのです。それが、フォトグラメトリ。広角レンズをつけたデジカメを4つの水中ライトで対象を照らし出しながら、写真をとっていく。30分の作業時間で2000枚も撮影するというのです。すべて手押し。おかげで指が水中でつりそうになります。職業病ですね、これって...。
水中には重めのプラスチック板をもち込み、フツーのエンピツで書き込む。文字やスケッチは書けないので、暗号や数字を書きつける。
英語が初めできなくても、初志貫徹すると、大きなことができるようになるというスケールの大きな話で、ワクワク感がとまりませんでした。これからも事故と体調に気をつけて、引き続き活躍されますよう、心から応援します。
(2021年9月刊。税込1595円)

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2021年10月18日

植物のいのち

生物


(霧山昴)
著者 田中 修 、 出版 中公新書

100歳をこえた日本人は1963年に153人だったのが、2020年には8万450人。すごい増えかたです。そして、世界には45万人もいるのです。いやはや、地球環境の悪化による食糧危機というのは、どうなっているでしょうか...。
世界中に存在する木は3兆4000億本なのだそうです。地球上の人口は75億人だから、1人あたり400本になります。
そして、木の長寿番付は...。屋久島の縄文杉は3000年でしょうか。アメリカには、樹齢4700年のブリッスルコーン・パイン(イガブヨウマツ)があるとのこと、すごーいですね。
食虫植物も光合成はしている。ただ、虫からタンパク質などの窒素をふくんだ物質を手に入れている。ふつうの植物は、窒素をふくんだ栄養分を土の中から吸収している。
レンゲソウは、根の粒々の中に住まわせている根粒菌が空気中の窒素を窒素肥料に変えることができる。
大賀ハスは、2000年も前のタネが発芽したもの。一般的にタネは、悪条件に耐え、発芽せずに発芽のチャンスを待ち続けることができる。
紫外線は、人間にも植物にも同じように有害。植物は、からだの中で発生する「活性酸素」を消去する術を身につけている。その抗酸化物質がビタミンCとビタミンE。
ジャガイモのイモは茎(くき)なので、光があたると緑色になる。これに対して、サツマイモのイモは根なので、光があたっても緑色にはならない。
サツマイモが花をさかせるためには、「暖かい長い夜」が必要。本州では、夜が長い秋は暖かくないので、花は咲かない。なので、夜が長い秋にも暖かい沖縄では花が咲く。だから、サツマイモの品種改良は、サツマイモの花が咲く沖縄で行われた。
チューリップは、タネをまいて花が咲くまで、5年か6年はかかる。なので、球根を植えて、翌年、花を咲かせる。
アメリカのユタ州のフィッシュレイク国立森林公園には、樹齢8万年というカロリナポプラの木がある。その根は8万年も生き続けていて、地上面に4万本も木を茂らせている。その面積は、東京ドーム9個分の43ヘクタール。いやあ、すごい木ですね...。
キンモクセイもジンチョウゲも、どちらも日本には雄株だけ。なので、挿し木で増やしている。タネができないからだ。
植物の不思議を少しだけ知ることができました。
(2021年5月刊。税込946円)

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2021年10月19日

「数学をする」って、どういうこと?

人間


(霧山昴)
著者 小山 信也 、 出版 技術評論社

東大の理学部数学科を卒業した数学者による中学生・高校生向けの「やさしい」数学の本です。といっても、実は、最後まで、さっぱり分かりませんでした。分かったことは、うひゃあ、こんなことを数学者は議論しているのか...、という、テーマの設定くらいです。
末尾に、数学専攻の大学では、卒論がないそうです。大学4年生に、新しい数学の定理の発見とか証明をするのは難しいからだそうです。教授が学生に手とり足とり教えて書いたような学生の論文なんて価値がない。数学の世界ではオリジナルなアイデアが必須であり、大学生のうちは無理に論文を書くより、じっくりと基礎を固めたほうが、あとになって大きく花開くと期待されている。短期間に無理に成果をあげることも推奨されない。なーるほど、ですね。
若いうちから、研究者個人の着想が重視される世界で、それが数学の世界だ。
そんな数学者の世界が著者にとっては、すごく居心地のいいところのようです。
では、数学とは、どんな学問なのか...。数学は、人が無意識に抱いている数や図形に対する感覚を、論理的に、正しく考えなおす学問である。たとえば、鏡(かがみ)。左右が反対になるのに、上下が反対にならないのは、なぜなのか...。著者は、言葉の定義をはっきりさせると解決するといいます。
「反対になる」というのは、ベクトルが逆向きになること。鏡で反対になるのは「前後」。左と右の定義が問題。左と右とは、上と前という2つの向きが決められたとき、それを使って相対的に定義される。鏡によって「前後」が逆になったことに連動して「左右」も自動的に反対になった。「上下」の定義は、「前後」と独立であるため、「前後」が反対になった影響は受けない。
うむむ...、なんだか分かったような...。こんな気持ちは分かりますよね...。
学校は基礎を学ぶところだから、あらかじめ正解が準備されていて、そのとおりに解く練習を積む。でも、これは数学という学問のごく一部。数学でもっとも重要なことは、定理を発見して証明すること。証明された事実を定理といい、証明される前の命題を予想という。証明できていない命題は、証明されてはじめて定理と呼ばれる。その前は、予想という。すぐれた数学者とは、難しい問題を解ける人ではなく、よい問題を産み出せる人をいう。
数学は人類の無限への挑戦である。数学の定理を証明するとき、人は無限を相手にしなければならない。数学の歴史は、先入観とのたたかいの歴史だと言ってよい。無限に繰り返されるからといって、合計が無限大になるのではない。
時間を0に近づけた極限値をとったものを「瞬間の速さ」という。これは瞬間の速さは0ではないということ。
数学では予想が重要。数学で重要なのは。計算結果よりも、そこに至る過程の考え方。つまり、数学は、人の感性が重要な学問なのだ。自由な発想があれば、可能性は無限に開けている。数学でもっとも大切なことは、「できる」と思って取り組むこと。
数学の定理も、人間関係のなかで生まれる。数学も人間の営みだ。
私が驚いたのは、無限大にも大小があるという話。無限の大きさに種類があるということが、リーマン予想の研究の基本にある。素数は無数に存在する。これがユークリッドの定理。
数学者は、真実は前からそこに存在していたが、人間が理解できていなかっただけだと感じている。そして人間の努力でそれが見えるようになったので、発明ではなく、発見という感覚を有している。
この本には、もちろん数学の本ですからたくさんの数式が並んでいます。私にはさっぱり理解できない世界です。それでも、数学者の世界の一端を少しのぞいてみた気分になる本です。私も、高校3年生までは理系のクラスにいて微分・積分も勉強していました(数Ⅲの世界)が、今では、残念ながらはるか遠い彼方の世界になってしまいました。
(2021年5月刊。税込2200円)

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2021年10月20日

今に息づく江戸時代

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 大石 学 、 出版 吉川弘文館

江戸時代は、これまで想像されていた以上に、豊かで成熟していた。江戸にいる将軍は天から日本国民の統治を委ねられ、国主(大名)は将軍から領民の統治を委ねられていた。「ここで「天」とは「天皇」の意味ではない。
大名行列が通るとき、民衆は恐れて道を避けるが、権力者(大名たち)をそれほど気にしていないのが常だった。大部分の者は平然と仕事をしていた。武士と農民は、お互い遠くで見て見ぬふりをしてやり過ごした。これが当時の社会的知恵・作法だった。
幕末(1865年)に来日したシュリーマン(トロイ遺跡を発見した)は、日本は平和で、総じて満足しており、豊かさにあふれ、きわめて堅固な社会秩序があり、世界のいかなる国々よりも進んだ文明国だと評した。
そして、日本人は、あまり信心深くない。月に1回、お寺に行くか行かないかくらいだと来日した外国人からみられていた。
村々は、武士が城下町に移り住んでいたことから、農民による自治が行われていた。庄屋は読書・そろばん能力が必須だった。そして公文書によって任務を引き継いでいた。
江戸時代の武士たちによるチャンバラ(切りあい)は少なかった。路上で刀を抜いたら、処罰の対象になった。長刀は公務用、小刀は自殺用だった。小刀で他者を傷つけることはなかった。
江戸の役人たちは、犯罪を武力弾圧するより、予防措置に力を入れていた。
徳川吉宗が八代将軍になったのは「革命」だった。
「享保革命歴史」という当時刊行された本がある。ここで「革命」とは、王朝・王統が変わって新たな統治者が生まれることをいう。うひゃあ、これは知りませんでした...。
吉宗は、儒学や和歌などの教養は乏しかったが、実用的な学問に関してはとても関心をもっていた。薬学に通じ、全国各地に朝鮮ニンジンを植えさせ、国産化・普及につとめた。吉宗は、洋書の輸入禁止を緩和した。
吉宗は「足高(たしだか)制」をとって、有能な著者をどんどん採用していった。実力主義・能力主義の時代に入ったのだ。
吉宗は今日まで続く官僚システムを整備した。
公文書の整理に着手したが、分析に手間どり、なかなか進まなかった。
吉宗の下にいた大岡裁きで著名な大岡忠相は、もっとも官僚らしい官僚だった。法と公文書の整備こそ官僚制の基礎をなしている。
日本人の教育力と教育熱に支えられた江戸教育は、250年という長期の平和を実現し、独自の日本型文明を築いた。寺子屋は全国に1万5千もあったが、実際にはその5倍ほどあった。
ロシア海軍のゴローニンは、「全体として一国民を他国民を比較すれば、日本人は天下を通じてもっとも教育のすすんだ国」だとした。成年に達したら、男女とも、読み書き、数の勘定ができた。
江戸城の大奥にも官僚組織があった。大奥は、当時の活発な女性たちを象徴する場でもあった。
江戸城の無血開城について、勝海舟と西郷隆盛の会談で成立したことになっているが、大奥にいた二人の女性が、それぞれ官軍へ使者を送り、また幕府軍の爆発をおさえたこときちんと評価すべきである。薩摩から嫁入りした篤姫と朝廷から降嫁した和宮である。
自信にみち、たくましく働き、ときに花見や芝居見物を楽しむアクティブな女性たちがいるのに、来日していた外国人たちは驚いていた。
200頁あまりの薄い本ですが、江戸時代が実は今に続いていることを実感させられる記述のオンパレードでした。
(2021年7月刊。税込2420円)

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2021年10月21日

明治維新の歴史

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 梅田 正己 、 出版 高文研

1936年生まれの著者は、いわゆる学者ではなく、出版・編集に関わってきた人です。なので、読者である私が知りたいことが明治維新について書かれています。
たとえば、1868年1月3日から5日にかけて起きた鳥羽伏見の戦いは、幕府軍1万5千に対して、薩長を主体とする新政府軍側は5千。3対1だった。しかし、新政府軍側が圧勝した。なぜか...。第一に、武器の差。新政府軍側はアメリカ南北戦争の終結によって放出された新式のライフル銃を大量に購入していて、訓練していた。幕府軍側でも、直轄軍5千はフランスからの援助で近代化されていたが、訓練が十分でなかった。そして、士気・戦意に違いがあり、実戦経験の有無も大きかった。なにしろ長州藩のほうは、四ヶ国艦隊との戦争など、場数を踏んでいた。この実戦経験のあるなしは戦場では大きかった。なーるほど、そうだっただろうと私も思います。そう簡単には人を殺せないからです。一度それをこえてしまったら、もう歯止めがなくなるようですが...。
アメリカで南北戦争が終ると、大量の小銃が放出された。それをグラバー邸で、有名なグラバーが購入して長州藩に売りつけた。
明治天皇が皇位を継承したのは、まだ15歳のときだった。倒幕勢力は天皇について、「玉(ぎょく)」と称していた。つまり、利用できるだけは利用しようというのです。心から尊崇していたというのでは決してありません。
大政奉還の儀式は1867年10月12日から17日までの6日間にわたって京都・二条城において続いた。そして、この儀式を徳川慶喜は一貫して自ら取り仕切った。これによって、改めて自らの存在の大きさを天下に印象づけようとした。ところが、このあいだに朝廷から「討幕」の密勅が下された。つまり、大政奉還という形で天皇に最大の恭順の意を示した慶喜に対して、討伐せよとした...。
江戸時代、天皇は御所内に禁足されていた。その天皇が、1063年3月11日、ついに加茂の上、下(しも)社に行幸した。
明治時代について大変勉強になりました。
(2021年3月刊。税込2640円)

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2021年10月22日

かこさとしの手作り紙芝居と私

人間


(霧山昴)
著者 長野 ヒデ子 、 出版 石風社

かこさとしは、私より20年も年長ですが、川崎セツルメントの大先輩です(したがって、残念ながら、まったく面識はありません)。
東大工学部を1948年(私の生まれた年です)に卒業して化学会社(昭和電工だったと思います)に入社し、工学博士もとった技術者なのですが、なぜか川崎セツルメントに入って、子ども会で活動するようになります。大学生時代はセツルメントではなく、演劇研究会に入っていたそうです。
セツルメント子ども会では、子どもたちに自作の紙芝居を演じて、大人気を買います。
1949年につくった紙芝居は『わっしょい、わっしょい、ぶんぶんぶん』。この紙芝居はなんと、掛図式になっていて、長い棒の両端をセツラーが舞台でかついで、それを加古さんがめくりながら語るというもの。これで子どもたちに受けないわけがありません。
そして、この絵の中に、『からすのパンやさん』のカラスたちも登場していたのです。
かこさとしの絵は、いわゆる「ヘタウマ」というのでしょうか。登場する人物は、どれも整った美しさというより、そこらによくいる、おっさんとガキたちという親しみあふれる表情をしています。
加古里子は男性です(本名は中島哲)。2018年5月2日に、92歳で亡くなりました。
私が子どもたちに読んできかせた話の一番のお気に入りは、なんといっても、『どろぼうがっこう』です。そこに登場する校長先生は「熊坂長範」という福井生まれの大泥棒がモデル(かこさとしも福井出身)。もし、この『どろぼうがっこう』を我が子に読んできかせていないというのでしたら、今すぐ注文して読んでみてください。そして、子どもに読み聞かせしてみてください。からすのパン屋さんシリーズもいいですよ。
そして、『かわ』という、科学絵本もいいです。実に正確に事実を語りながら、子どもの心情と視点と、好奇心を失わせず、とても理解しやすいように、楽しく、わかりやすく、語り、描いている。本当に、そのとおりです。安心して子どもたちに絵を示しながら、読み聞かせすることができます。
70頁ほどの小冊子ですが、私にとっては、なつかしいセツルメントと、かこさとしの絵本のすばらしさを紹介してくれる本なので、すぐに手に入れて読み終えました。ありがとうございました。
(2021年9月刊。税込880円)

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2021年10月23日

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 ミア・カンキマキ 、 出版 草思社

面白いです。読みはじめたら、途中でやめられません。
1971年にフィンランドのヘルシンキに生まれた女性が日本語をまったく読み書きできないのに、清少納言を知りたいと思って京都にやってきたのです。すごい勇気です。
この本を読んで意外に思ったのは『枕草子』というタイトルから、セックスと官能的な木版画(春画)と誤解している外国人がいるという話です。日本人なら、『枕草子』は学校で古典として教えられているので、春画と結びつける人はいないと私が思うのですが、「枕の本」すなわちセックスの本だと誤解している人たちがいるそうです。驚きました。でも、著者は、そんな誤解からではなく、清少納言の世界が性的に開放的であったことを繰り返し紹介しています。上流貴族と、その周囲の女性たちは、なるほど性的にオープンな世界だったのでしょうね...。
清少納言のような自由な女性たちは性的に開放的だった。
セイ、あなたは、そこでトップを切って、みだらな生活をしていた。
うむむ、「みだらな」と「開放的」というのでは、かなりニュアンスが違いますよね...。
フィンランド人の著者は屋久島まで出かけて、温泉に入ったのですが、そこは混浴。バスタオルもなく、年寄りのオヤジたちの前で、自らの裸身をさらけ出してしまったようです。
日本人女性は、昔も今も、髪に対して、異常なほどこだわりをもっている。うむむ、なるほど、そうなんでしょうね。美容室が町の至るところにあって、どこも繁盛していますからね・・・。
紫式部は内気、穏やか、引っ込み思案、内向的、つき合い下手、女房たちの噂話やイジメに興味がなかった。セイ(清少納言)は、正反対に、自信家で、出しゃばりで積極的、軽快な言葉のやりとりがことのほか好きで、自分の知識を見せつけたり、感性と感情と怒りをはっきりあらわした。無理してでも出来事の中心にいた。
うひゃあ、そんなに、この二人は対照的だったんでしょうか...。
清少納言を「日本人娼婦」と訳している海外の本があるそうです。とんでもない間違いです。信じられません。これも本のタイトルから来る連想ゲームのような間違いなのでしょう。
フィンランド語で出版されたこの本は、フィンランドで大いに売れたそうです。「人生を変える勇気をくれた」という感想が寄せられたとのこと。なるほど、と思いました。やはり、人生、何かの転機を迎えることがあっていいわけです。
大いに気分転換になる本として、ご一読をおすすめします。
(2021年8月刊。税込2200円)

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2021年10月24日

読む、打つ、書く

人間


(霧山昴)
著者 三中 信宏 、 出版 東京大学出版会

いつまでも、そこに本があると思うな。これは著者の座右の銘だ。
たしかにそうなんです。「読者という一期一会」という見出しがついていますが、一瞬の迷いで、目の前にある本を買わなかったとしたら、あとでとても残念な思いをすることがあります。なぜなら、新刊本が店頭に並ぶのは、いわば一瞬でしかないからです。なので、私は、カバンの重たさとだけ相談して、まずは買うようにしています。そして、新聞の書評などを読んで面白そうだと思ったら、ともかく注文します。逆にいうと、全集の類には手を出しません。
著者の掲げる、研究者としての心得5ヶ条。①根拠のない自信をもつ、②限りなく楽観的である、③好奇心アンテナが広い、④孤独な天動説主義者、⑤偶然を受け入れる構えをもつ。
私には、②、③、⑤は異議ありませんが、①と④は自信がありません。
著者は複数言語への目配りを怠らないように気をつけているとのこと。私も、恥ずかしながらフランス語だけは続けています(英語はダメなのですが...)。
薄切りにされた断片的情報だけに目を奪われると、それらをつなぎ合わせる体系的知識を求める動機づけが希薄になる。
著者の読書は1時間で100~150頁というのが基本ペース。ともかく、一定の速度でページをめくる。この定速は低速ではない。そして、著者は、①本に書き込む(マルジナリア)、②メモ書き、③付箋紙を貼りつける。私も①と③は必須です。②は、たまにするだけです。
著者は目次をしっかり読むとのこと。私は、それはしていません。
著者は、文献リスト、事項索引、人名索引を必ずつけるようにしている。これは自分のため。私は、そこまで出来ていません。
著者の読書は紙の本を基本とする。私は、紙の本しか読みません。電子書籍なんて、まっぴらご免こうむります。
日本では、「理系の本」を書評する人が圧倒的に少ない。それで、東大農学部出身という理系の著者は活躍が求められるわけです。
息を吸うそばから吐くように、本を読めば書評を打つ。
私の場合、書評を書く目的は2つあります。一つは、安心して忘れることができるようにするため。もう一つは、他人の文体を取り入れて自分の文章修行にするため。
世の中には、いろんな面白い本があることを世の中に知ってもらうのが書評家(者)のつとめ。まったく同感です。
著者にとっての書評とは、書くのも読むのも「自分ファースト」。著者にとって、書評は、自分のためにあるものなので、気になる本や面白い本は、とりあえず書評を書く。
私も同じです。年間500冊(コロナ禍で外出しない今年は400冊にたどり着けるのか、心配しています...)の単行本を読み、そのうちの365冊をこのコーナーで紹介するというのを、もう20年近く続けてきました。それは、なにより自分のための作業なので、続けてこれたのです。
本に囲まれているかぎり、心安らかな日々を過ごせる。これは著者のコトバですが、私もまったく同じ気分です。本を買っても、すぐに読む必要はない。あれば、そのうち読むチャンスが来る。
1冊の本をまるごと書くことによって、最大の利益を得るのは著者にほかならない。まったく、そのとおりです。
1冊の本を書くことで、いま現在の時空平面を超えて、過去から未来への軸にそった視座を示すことができる。
本をたくさん書くためには、①時間を確保する、②計画を厳守する、③弁解無用。この3つをスローガンとして、実行しなくてはいけない。うむむ、そうなんですか...。
文章を書くときには、完璧でなくても、とにかく書きすすめることが大切。たくさん書くためには、拙速主義を第一とする。毎日、少しずつでも書き続けたら、まちがいなく幸せになれる。これは、私も実践しています。
本を1冊書きあげるには、知力、忍耐力、そして決断力が必要。まずは、とにかく四の五の言わずに書きまくれ。これまた、ぴったり私の胸にきました。
ちょうど私より10歳だけ年下の著者の指摘には同感・共感するばかりでした。
(2021年6月刊。税込3080円)

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2021年10月25日

トキワ荘マンガミュージアム

人間


(霧山昴)
著者 コロナ・ブックス 、 出版 平凡社

団塊世代の私にとって、小学生のころ、「少年サンデー」と「少年マガジン」がはじまりました。小学校の正門前の医者の息子が同じクラスでしたので、彼の家に立ち寄って読ませてもらっていました。わが家では買ってもらえなかったのです。経済的な問題と、マンガなんて...という教育的な観点の両方が理由だったように思います。
この本によると、創刊時は、マンガのページは全体の3分の1ほどしかなくて、読み物主体の雑誌だったそうです。これには驚きました。それがマンガ主体の雑誌になったのは、このトキワ荘のマンガ家たちが活躍するようになってからだそうです。
では、トキワ荘グループとは、誰なのか...。
いやはや驚きますね。日本のマンガの初期の代表者のオンパレードなんです。
手塚治虫、青田ヒロオ、藤子不二雄(ⒶとⒷ)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、そして女性では水野英子など...。いやあ、驚いてしまいます。もちろん、みんな若い。10代から20代で、みんな独身ばかり...。そして、周辺に、つのだじろう、つげ義春、ちばてつやもいます。
トキワ荘は、トイレも台所も共用。そして風呂はなく、近くの銭湯へ連れだっていく。
お金が入れば、みんなこぞって近くの映画館へ出かける。休日には野球チームをつくって試合することもあった。ラーメンを食べるのが、ごちそうという生活。徹夜仕事なんてあたりまえ。人手不足はお互いに助けあって埋める。
トキワ荘には電話がなく、近くに公衆電話ボックスがあった。出版社からは電報が届いた。
私も楽しみに読んでいた「おそ松くん」、「オバケのQ太郎」は、いずれも赤塚、藤子がトキワ荘から出たあとに大ヒットしたもの。
マンガを描くのにアシスタント制はなかった。ひとりで描いていた。
ところが、手塚治虫がストーリーを考え、ネームをきり、下書きを描き、人物は自分でペン入れするが、ベタやアミ、背景や小道具などはアシスタントがするシステムを発明した。これでマンガを量産できるようになったのです。
石ノ森章太郎は、マンガの天才だったようです。なるほど、と思いました。
トキワ荘の住人だった一人(山内ジョージ)は、他人と同じことをやっていては、この世界では生き残れないことをトキワ荘で学んだ、と語っています。いやあ、本当にそうなんだろうと門外漢の私も思います。なので、この人はマンガではナンバーワンになれそうもないから、イラストの世界でオンリーワンを目ざしているとのこと。賢明ですね...。
本物のトキワ荘は解体されて消滅しましたが、跡地の近くに「トキワ荘」が再現されてミュージアムになっています。私もぜひぜひ行ってみたいと思います。コロナ禍によって、もう東京には1年半以上も行っていません。もう少し状況が落ち着いて上京したら、行ってみたいところの一つです。
(2021年5月刊。税込2200円)

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2021年10月26日

日本大空襲「実行犯」の告白

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 鈴木 冬悠人 、 出版 新潮新書

日本の敗戦に至る1年間に、46万人近くの日本人がアメリカ空軍による無差別空襲によって殺されました。そのほとんどすべてが軍人ではなく、一般市民です。老人、女性そして子どもたちでした。
日本政府は、その大空襲を指揮したアメリカ空軍トップに対して、戦後、勲一等旭日大綬章(今の旭日大綬章)を贈っています。よくぞたくさんの罪なき市民(日本人)を殺していただきました、ありがとうございますという感謝の勲章です。ええっ、これって、いったいどういうことなのでしょうか...。もらった人は、日本大空襲を指揮した当時38歳のカーチス・ルメイ少将です。
「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しにしなければならなかった」と語った録音がアメリカに残っているそうです。このカーチス・ルメイはベトナム戦争のときは、北ベトナムを絨毯爆撃して、「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語したことでも有名です。ともかく、殺せ、殺せ、ジャップもベトコンも皆殺しだ、と叫んだ男に、日本政府は最高の勲章を贈ってその努力に報いたのです。まあ、なんという恐ろしい現実でしょうか...。人が良いにもほどがあります。
1945年3月9日の東京大空襲のときに出動したB29は325機。合計して1600トンをこえる焼夷弾を積み込んでいた。32万700発を深夜1時、東京都民130万人の上空からまき散らした。
日本本土への空爆は2000回、日本全国237ヶ所を狙って投下された焼夷弾は2040万発。被害者は少なくとも45万8314人(原爆による被害者を含む)。これは、市民を恐怖に陥れ、戦争への意欲を失わせることを目的とした。すなわち、女性や子どもであっても、軍需品や必要な物資の生産に関わっていて、国の産業・軍事力を支えている。なので、全員が戦闘員とみなされるべきだという考えによる。
そして、アメリカ軍は市民への無差別爆撃を始めたのは自分ではない、先に日本軍がやったと弁明した。
たしかに日本軍は、1938年から3年半にわたって、中国・重慶に対して200回以上も空爆を繰り返し、市民1万人以上が犠牲になった。この重慶爆撃の惨状はアメリカ国内に詳しく伝わっていて、日本への空爆は当然だという世論がアメリカ国内にあった。
日本大空襲のとき、アメリカ軍は、あまりに焼夷弾を投下したので、タマ切れとなって、10カ月ほど休んだ時期があるとのこと。この10ヵ月で助かった人もいるのでしょうか...。
B29による爆撃は、当初は精密爆撃というふれこみで、日本軍の戦闘機をつくる工場を狙うはずだった。ところが、高度1万メートルを飛ぶB29は、目視による対象工場をとらえることが難しく、しかも、そんな高々度には偏西風というジェット気流があって、B29による精密爆撃は難しかった。そのうえ、日本軍はドイツ空軍と違って戦闘機で迎撃する態勢にないうえ、高射砲陣地も恐れるに足らないことが判明したので、大空襲のときは高度2000メートルまでおりて飛行して市民への無差別爆撃を敢行していた。
この本によると、B29の開発は原爆の開発費20億ドルに対して、30億ドルもかけたというのです。そして、通常なら10年かかるのを4年で完成させたのでした。アメリカの技術力のすごさです。
また、この当時は、まだアメリカ空軍は存在していなかったのを、なんとかB29の運用をヘンリー・ハップ・アーノルド大将が握り、日本大空襲の成功によって、ついに空軍を創設できたという裏話が紹介されています。
B29は、完成された爆撃機というのではなかったようですが、ともかく、人類史上もっとも街を破壊した航空機であることは間違いない。
いやはや、恐るべきアメリカ空軍です。それにしても、日本政府って、いったいアメリカの奴隷に甘んじる人ばかりなんでしょうかね、おぞましい限りです。
(2021年8月刊。税込836円)

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2021年10月27日

ナチスが恐れた義足の女スパイ

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 ソニア・パーネル 、 出版 中央公論新社

アメリカ人がイギリスに協力してナチス統治下のフランスに潜入してスパイとして大活躍していたという実録ものです。その名は、ヴァージニア・ホール。伝説の諜報部員ですし、戦後まで奇跡的に生きのびて栄誉も受けているのですが、一般に広く知られているとは言えません。それには、フランスのレジスタンス運動内部の対立、そしてイギリスから派遣された工作員同士でも、やっかみと足のひっぱりあいがあったことも影響しているようです。
スパイ(特殊工作員)として行動するには信頼できる協力者を獲得しなければいけませんが、信頼できる相手と思って頼っていると、ドイツ側との二重スパイだったりするのです。ほんのちょっとした油断が生命を失うことに直結してしまう、あまりに苛酷な世界です。フツーの人だったら、神経がすり減ってしまいます。
そして、スパイをして入手した情報をイギリスに報告できたとしても、その情報を受けとって評価し、対応する側がきちんとしないと意味がありません。たとえば、戦前の日本にナチス党員を装って潜入したソ連赤軍スパイのゾルゲの場合には、せっかくの貴重な情報をスターリンはあまり重視しなかったという話もあります。こうなると、まったく猫に小判ではありませんが、宝のもち腐れです。
でも、ヴァージニア・ホールの場合には、イギリスの特殊作戦執行部(SOE)からは、幸いにも高く評価され、求めた軍需物資やお金、そして薬などが大量に飛行機で運ばれフランスに投下されたとのこと。
そのとき一番必要なのは無線機でした。ですから、この無線機をめぐっては、、ナチス側も無線探知車を使って発信元を必死で探りあて、イギリスから送り込まれた多くの無線技士がナチスに捕まり、死に至ったそうです。
ヴァージニア・ホールがフランスに潜入した当時のフランスは、ドイツが北半分を占領したばかりで、フランス人はあきらめムード、そしてイギリスもどうせそのうちドイツに降伏するだろうという冷ややかなあきらめムード一杯で、とてもレジスタンスなんて無理という雰囲気だったとのこと。なるほど、ですね。フランスがドイツに占領された直後からフランス人がずっとずっとレジスタンスをしていたのではないようです。
フランスのある地方では、住民の少なくとも1割が直接ドイツのために働いていて、密告したらもらえる賞金(上限10万フラン)を得ようとレジスタンスの位置情報を売っていた。フランス解放のために命をかけようとする住民は、せいぜい2%しかいなかった。ところが、連合軍のノルマンディー上陸作戦が近づいたころになると、フランス全土で武器をもってレジスタンスが立ち上がっていた。やはり、そのときどきの情勢が、こんなに国民を動かすのに違いが出てくるのですね。今の日本をみていると、ナチス占領当初のフランスのように思えてなりません。やがて、日本だって、きっと多くの日本人が目をさまして立ち上がってくれるだろうと心から祈るように願っています。
秘密の生活を送るということは、一瞬たりともリラックスできないということであり、常にもっともらしい説明を考えていなければならなかった。生きのびた人々には、生まれながらの狡猾(こうかつ)さと、高度に発達した第六感が備わっていた。
ヴァージニア・ホールはモーザック収容所から12人もの収容者を脱走させることに成功しました。この収容所は私も行ったことのあるベルジュラック近郊にあるようです。私は、サンテミリオンのホテルに3泊したとき、かの有名なシラノ・べルジュラックの町へ列車に乗って出かけたのです。
収容所に差し入れたイワシの缶詰は、再利用可能な金属になる。ドアのカギの型をとるのには、パンを使う。車椅子の年老いた神父を慰問のため収容所に入れたとき、その神父は衣服の下に無線機(送信機)を入れて持ち込んだ。さらに、収容所の衛兵を買収し、また反ナチス運動にひっぱり込んだ。そして、最後はアルコールに睡眠薬を混入して、衛兵を眠り込ませ、ついに収容所から12人が脱走。もちろん、受け皿の隠れ家も用意していて、そこに2週間ほど潜伏したあと、無事に国外へ脱走できた。いやはや、たいしたものです。
ヴァージニア・ホールの最良の協力者の一人は、娼婦の館の経営者である女性でした。娼婦たちも、ナチス軍の情報を集めて協力したのです。残念ながら、これは、戦後、あまり評価されることはありませんでした。
370頁の大作をじっくり味わい尽くしました。それにしても、私にはスパイ稼業なんて、とてもつとまりそうにありません。拷問されたら、いちころで「転向」してしまうでしょうし、あれこれ「自白」してしまうでしょう。なので、必要以上のことは知らないようにしているつもりなのです...。
(2020年5月刊。税込2970円)

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2021年10月28日

監獄の回想

アメリカ


(霧山昴)
著者 アレキサンダー・バークマン 、 出版 ぱる出版

19世紀末のアメリカ。労働者の要求が無慈悲な経営者たちによって無残にも暴力的に制圧されていた。ロシアで生まれ育ってアメリカに渡ってきた主人公の青年は、まだ2歳だった。アメリカで大きくなって無政府主義者になったのです。
この若者はピストルで経営者を襲った(死んではいないようです)。
取るに足らない虫けらにすぎないフリックを襲っただなんて...。
無政府主義者・アナキズムの信奉者だった学生が軟弱だとは思えないし、思わない。アナーキストの若者は法廷で弁護人による弁論は必要ないと言って断った。唯一の関心は、法廷で自分の所説を伝えること。もし弁護士が代弁したら、本人が自己の所説を展開できなくなる...。つまり、民衆に若者の行為(殺人には至っていません)の目的と状況を明らかにして伝えることにある。
「私が裁判にかけられていると見るのは間違っている。実際の被告は、社会である。不公平なシステム、組織的な民衆搾取のシステムを暴きたてたい」
近代資本主義において、民衆の真の敵は圧制ではなく、搾取である。圧制は搾取の侍女にすぎない。
この若者は主義として恩赦に反対した。若者は14年間も刑務所内に入っていました。
刑務所の房内で紙に書くのは困難を伴った。大量のメモ用紙が必要。そして、筆記用具を手に入れるのが大変。
19世紀末のアメリカの刑務所で検診の結果、収容者の4割が結核にかかっていて、20%を精神異常者が占めていた。
アナーキストの信念は14年間の刑務所生活を経ても変わらなかったというのです。すごいことですね。当時のアメリカの刑務所の実情を知ることができました。
(2020年12月刊。税込3080円)

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2021年10月29日

酸素同位体比年輪年代法

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 中塚 武 、 出版 同成社

酸素同位体比年輪年代法とは、年輪編の代わりに年輪の主成分であるセルロースにふくまれる酸素同位体比という科学的指標を測定して、その酸素同位体比の変動パターンを年代が既知の資料と未知の資料のあいだで比較するという手の込んだ方法。この方法は、パターン照合で年代を決定する作業において成功する確率が高く、あらゆる種類の年輪に等しく応用できる。そして、夏の気候の年々の変動にも精度よく復元できるというメリットがある。
この方法は2011年から日本では、弥生時代以降の、3000年間の遺跡や建築物の年代決定に応用され、急速に発展してきて、日本は、この分野で一人勝ちの状況になった。
今では、日本には過去3000年分のスギとヒノキの年輪幅のマスタークロノロジー(標準年輪曲線)ができあがっている。これは、世界でも抜きんでた研究の成果だ。
この方法は低コストで誤差なく年代が決定できる。この方法によると、年単位での年代決定が可能。
なぜ酸素なのか...。酸素の同位体比は、過去の気候変動を記録しやすい。水は気候変動の主役であること、酸素は必ずふくまれていることによる。
セルロースは、いったんなくなったら、二度と周囲の物質と交換しない。
ヒノキやスギ、マツなどは針葉樹。紀元前にさかのぼると、日本でも広葉樹が繁茂していた。シイ、カシ、クスノキ、クヌギ、クリ、ケヤキ、サクラなど...。針葉樹は、深い山の奥にはえていて、古代の人々には、切り倒して低地まで運び出すのが困難だった。広葉樹のほうは、低地の集落の周辺に生えていたので、利用するのに都合がよかった。
この方法による年代判定の結果が、文献史学や考古学的な推定と整合的であったことから、大きなスポットライトがあたった。分析コストも、非常に安いというメリットがある。
年輪によって建造年を安定しているというのは前から知っていましたが、今はもっと進んでいることを知ることができました。軍事方面でない、こちらの人類の発展史における学問の技術・向上には刮目(かつもく)されます。
(2021年6月刊。税込2970円)

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2021年10月30日

信長徹底解読

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 堀 新、井上 泰至 、 出版 文学通信

信長が今川義元を討ち取った桶狭間(おけはざま)の戦いの実相が語られています。
この本の結論は、桶狭間での信長の劇的な勝利は、いくつかの偶然と、戦国武将の心性が原因だったというものです。それは、①義元が伊勢・志摩侵攻を目指していたこと、②信長は、今川の尾張素通りに激怒し、軍議もなく、突然に出陣したこと、③思いがけない信長の出陣に、義元は作戦を一時変更して鳴海城方面へ前進したこと、④信長は目前の今川軍を「くたびれた武者」と誤解したまま、家臣の制止をふり切って正面攻撃したこと。
つまり、天候の変化があったとしても、信長に計算された作戦はなく、戦国武将の心性にもとづく軍事行動が勝利を呼んだ。ということになっています。うむむ、そうだったのですか...。
義元は、このとき大高城下に武者千艘を終結させていたというのは初めて知りました。
そして、今川義元が京の貴族が乗るような「塗輿」を持参していたのは事実として認めながらも、それは京都で使うつもりのもので、ふだんの義元は乗馬していたのだろうとしています。なーるほど、です。
長篠の戦いで、信長が鉄砲三千挺を三弾撃ちで待ちかまえていたので、武田軍が惨敗したというのは、今の通説は、これを否定している。ただ、鉄砲勢が三段構えをすること自体はありえたのではないかと今でも主張する人はいますよね...。
この本では、信長も武田軍も、どちらも長篠の戦いで両軍激突というのは考えていなかったとしています。信長は大坂の本願寺との戦いを重視して兵力を温存したかった、というのです。
信長を知るためには、やはり安土城に行くしかありません。私は二度、行きました。ここに400年ほど前に信長が歩いていて、立っていたのかと思うと感慨深いものがありました。
信長の話は尽きません...。
(2020年7月刊。税込2970円)

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2021年10月31日

輝け!キネマ

人間


(霧山昴)
著者 西村 雄一郎 、 出版 ちくま文庫

著者は佐賀出身で、今も佐賀大学で映画論を教えているようです。私たち団塊世代のすぐ下ですから、映画館全盛時代も味わっているはずです。
私の子どものころの映画館では、鞍馬天狗の嵐寛寿郎が馬を走らせて満員盛況の観客が総立ちとなり、一斉に拍手し、声援を天狗に送るのです。スクリーンの向こう側(といっても布一枚でしかありませんが...)と観客席が一体となって、興奮のるつぼに浸っていました。無事に悪漢たちから助け出すと、満足、満足、大満足の気分に浸って映画館をあとにしました。
『七人の侍』は、なんといってもピカイチの日本映画ですよね。あの雨中のなかの戦闘シーンといい、最後の平和な農村の田植え光景といい、一見すると、馬鹿で非力の農民たちが、実はたくましく生きのびる力を持っているなんて、いやはや、歴史を見る目を一変させますよね...。世界的にも評価が高い映画だというのは当然だと私も思います。
著者は、小津と原節子、溝口と田中絹代、木下と高峰秀子、そして黒澤と三船敏郎の関係を論じています。
小津安二郎と原節子は男と女の恋愛関係、しかし、忍ぶ恋のようなプラトニックな愛。溝口健二と田中絹代は溝口の片思いに終わった。木下恵介と高峰秀子は、お互いが引き寄せられた。黒澤明と三船敏郎は、男と男の関係で、反発しあいながらのものだった。
女優を美しく魅力的に撮るには、そこに尋常ならざる愛情・信頼関係が介在していたからにちがいない。
溝口健二は、役者の演技に対して、ただ「違います」としか言わない。何度やっても「違う」を繰り返すので、役者が切れると、溝口はこう言った。
「あなたは役者でしょ?それで給料をもらっているんでしょ?自分で考えなさい」
いやあ、こ、これは困りますよね...。役者は、一体どうしたらいいのでしょうか...。
でも、そう言われると役者は自分の頭で考えるしかありません。じっくり、人物の人となりを理解したうえで演じるしかない。そうすると、自然に役者としての腕前は上がってくる。うむむ、なるほど、そういうものなんでしょうね...。
高峰秀子は、どこか冷めていて、女優で食っているのに、どこかその女優という職業を軽蔑し、クールに見つめていたのではなかったか...。
木下恵介は『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾歳月』を撮り、リリシズムあふれる叙情派の監督と思われがちだが、実はまったく正反対のリアリストだ。
逆に、黒澤明のほうが涙もろい、センチメンタリストだ。
木下恵介は、「女って面白いよね。自分でも意識してないで、非常に複雑なものを持っているでしょ。男だったら、腹の中なんて、たかが知れている」と言った。そして、黒澤明の「男って、みんな単純でしょ。バカじゃないかと思うくらい単純」だと評した。
ところが、黒澤明には、この単純さ、シンプルさがあったおかげで、国際的に受け入れられた。それに対して、木下恵介のほうは、外国人には分かりにくくて、日本の評価は高くても国際的には評価されなかった。うむむ、なーるほど、ですね...。
1998年9月6日、黒澤明が亡くなり、その葬儀の参列者は3万5千人。同年12月30日、木下恵介が86歳で亡くなり、翌1月8日の葬儀の参列者は600人。いやあ、こんなにも違うものなんですね...。
黒澤明は、世界のクロサワです。フランスでもロシアでも...。そんなことも知りました。映画愛好家の私には、たまらない文庫本でした。
(2021年6月刊。税込880円)

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