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カテゴリー: ドイツ

アウシュヴィッツ、最後の証言者

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)

著者 ダヴィド・テブル 、 出版 原書房

アウシュヴィッツ強制収容所生存者連合(VDA)という組織が出来ていたのですね。知りませんでした。

強制収容所に入ったとき。少女たちは15歳ほど。体重はなんと25キログラムだった。ぎりぎりの生存条件だったわけです。

生きのびた4人が集まり語りあったとき、一人は97歳だった。他の人も似たようなもの。

たとえば、オラデアの町に2万1千人いたユダヤ人のうち、3千人しか生きて帰ってこれなかった。

「許し」という言葉は、私の辞書にはない。そんな感情は持っていない。「許し」という言葉の代わりに「正義」という言葉を使いたい。正義が行われなかったのだから。今も私は生きて、正義を求めている。

少女時代が、私にとって、もっとも幸せな時期だった。そんな時期があったから、私は人生でもっとも悲惨な時期を生きのびることができた。

日本敗戦後、東京にはたくさんの戦災孤児がおり、身を寄せあって生活していた。親をなくした子どもたちであっても、親が存命中に、親兄弟と楽しく過ごした経験のある子どもは、しっかりした芯をもって、その後を一人で生き抜くことが出来たという記述を読んだ覚えがあります。

ユダヤ人だからユダヤ教を信じているとは限らないという実情も紹介されています。

自分はユダヤ人だけど、無神論者。完璧な無神論者。家庭の食卓には、ハムやソーセージが並んでいた。そのためユダヤ教の信者たちからは、ユダヤ人だと見なされていなかった。ユダヤ人として生まれただけで、ユダヤ教の信者ではなかった。それでも、ナチス・ヒトラーは ユダヤ人として絶滅の対象としたのです。一つには、ユダヤ人の財産を没収して、我が物にしようという魂胆があったからです。「思想」だけではなく、「実利」もあったのです。

ナチスは嘘をつくのがうまかった。本当に上手だった。どうすればユダヤ人を騙せるか知っていた。多くのユダヤ人がナチスの作り話を信じた。これは、昨今の特殊詐欺にも共通していますよね。うまい話を甘い言葉に乗せて信じ込ませて、何百万円、何千万円、いや何億円というお金を巻き上げています。かの統一協会の騙しの手口もそうですよね。

今でもナチス・ヒトラーがユダヤ人を600万人も絶滅したなんて大嘘だと強弁する人たちがいます。日本で「南京大虐殺は嘘だった」というのと同じです。人間が、そんなひどいことをするはずがないと思い込むと、真実が目に入らなくなるのです。

それにしても、今、イスラエルのやっていることはひどすぎます。ガザ、そしてレバノンへの無差別テロ、攻撃は許せません。暴力に暴力の連鎖で応じたら、いつまでたっても平和な生活は来ないのです。

この本は生存者の女性の話なので、どんなにひどくても生きて助かることはあるんだと、わずかな希望をもたせてくれるものでもあります。

(2026年1月刊。2530円)

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡

カテゴリー:ドイツ

 (霧山 昴)

著者 オリヴィエ・ゲーズ  、 出版 創元ライブラリ文庫 

ナチスの医師メンゲレは 南アメリカに逃亡し、30年ものあいだ隠れて生活していました。といっても、実の家族とはずっと連絡をとっていて、ドイツで弁護士となった息子ともスイスで会っています。また、アイヒマンとも一時期はすぐ近くに住んでいたことがありましたが、メンゲレのほうが用心深かったためイスラエルのモサドから居所を探知されることはなく、メンゲレは病気のため衰え、ついに海で溺れ死んでしまいました。偽名のまま墓地に埋められたのです。しかし、結局は遺体は掘り起こされ、鑑定の結果、メンゲレだと判定されました。今、メンゲレの遺骨は、ブラジル医学界が保存しています。

メンゲレに息子は問いかけた「パパ、アウシュヴィッツで何をしたの?」「人を殺したの、パパ? 子どもを痛めつけて焼いたの?」

メンゲレは答えた。「ユダヤ人は人類に属していない」「蚊と同じように叩きつぶした」「何千年も前から、ユダヤ人はアーリア人種の絶滅を望んできた。あんなものはすべて排除すべきなのだ」「自分は、ただ兵士と科学者の義務を果たしただけ」「たくさんある歯車のうちの一つでしかなかった。一部にやりすぎがあったとしても、その責任は私にはない」

しかし、実際のメンゲレは単に「歯車の一つ」というものではありませんでした。単なる責任逃れの口上にすぎません。

アイヒマンはモサドに捕まったとき、メンゲレのことはひと言話さなかったようです。そのおかげでメンゲレはアイヒマンが1962年6月1日に絞首刑で死んだあとも、1979年2月7日に溺死するまで17年も生き延びたのです。

メンゲレは、1956年3月にはジュネーブで家族(妻と子)に再会しています。当時はロシアで戦死したことになっていたので、「アメリカのフリッツおじさん」と紹介され、息子に名乗りました。

南アメリカには、ナチス・ドイツの犯罪者を受け入れる組織があり、社会があったようです。アイヒマンはそのなかで悠々と生活していたわけですが、自己宣伝をしたことから、ついにモサドに捕まってしまいました。メンゲレは、実に用心深かったのですが、それでも本名で登録していたのです。

「死の天使、ヨーゼフ・メンゲレ」という映画が最近、日本でも公開されましたが、残念ながら見逃してしまいました。日本でいうと 七三一部隊に関わった医学者たちですね。「ミドリ十字」を創設してもらったり、また、東大や京大の医学部教授になったり、栄誉と名誉を得ています。許せません。

(2026年2月刊 1,430円)

子どもの日、快晴だったので、久しぶりに近くの小山(388メートル)に登った。わが家から頂上まで、1時間半かかる。途中、ミツバチの箱を20個ほども置いているところがあり、ハチたちが箱の上を乱舞している。道路はよく整備されているが、それでも20分以上は、かなり急峻な山道になっている。幸い頑丈なロープがところどころに張ってあるので、それにつかまり、あえぎながら、やっとの思いで登っていく。足を踏みはずして転落したら、「高齢の老人が山で負傷」という見出しで報道されるのだろうなと冷や冷やする。小鳥たちの鳴き声がかまびすしい。ウグイスも混じって鳴いている。ようやく、見晴らしのいい頂上に到着して、汗びっしょりの肌着とシャツを取り換えて、お弁当開きをする。昔ながらの濃い塩味の梅干し入りのおにぎりを眼下の有明海、そして雲仙岳を見ながらほおばる。紫色の野アザミの近くの白い花にアゲハチョウがとまって蜜を吸っている。弁当を食べ終わると、石のベンチでしばし横になる。陽差しが強くて、暑いほど。帰り路はだらだら坂を下っていく。電気柵が囲われている中にミカンの白い花が咲いている。電気は太陽光発電だ。そして、ビワの実に袋かけをしている人がいたので、声をかけて挨拶する。青葉若葉が目に沁みて、またとない生命の洗濯ができた。

暗黒の瞬間

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)

著者 エリーザ・ホーフェン 、 出版 東京創元社

 ベルリンの女性刑事弁護士の手がけた9つの忘れがたい事件と裁判。弁護士が見事に依頼者から騙され、有罪とすべき被告人が無罪になるという、日本でもいつか読んだストーリーを思い出しました。ネタバラシはしたくありませんが、日本のストーリーは誰の本だったのか、思い出せません(どなたか教えてください)。

 法廷場面も出てくるので、著者は弁護士かと思うと、実はライプツィヒ大学の法学部教授。しかも、主人公の弁護士が60代なのに、著者はまだ44歳という若さなのです。ただし、裁判官の経験はあります。

 この本でミステリ作家としてデビューしたとのこと。たいしたものです。

 不倫で奪った男性の子どもに危険な量の塩を食べさせて死なせた女子大生の事件も担当します。大匙(おおさじ)2杯(30グラム)の塩を4歳の子どもに食べさせると死亡するなんて、医学の素人には考えられない、つまり、予測不可能だった。したがって被告人は無罪。しかし、被告人の女性は自分の受けた無罪判決に納得しなかった。

 若い女性が10人の男たちに強姦された。男たちは11人いて、誰か1人は無実。しかし、誰もが無実を主張しているので、その1人が誰なのかは分からない。そこで、被疑者はどうしたか……。

法廷で、「加害者の男たちは強姦とあわせて殺そうとしたのです」と証言した。殺人未遂がつけ加わった。被告人は犯行現場にいなかったらから強姦していないと主張していたので、殺人未遂については否認しようがない。

 そこで、ついに、11人の男たち全員が有罪となった。

9つの事件とも、なかなかよく出来たストーリー展開なので、つい一心不乱に読みふけってしまいました。

(2026年2月刊。2530円)

普通の組織・ホコローストの社会学

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)

著者 シュテファン・キュール 、 出版 人文書院

 ヒトラー・ナチス体制下で、普通の人々がユダヤ人の大量虐殺に進んで参加していた。それは、なぜなのか…。この問いかけを、実行していた殺戮(さつりく)部隊をさまざまな角度から分析した400頁もの大作です。

 ハンブルグの第101警察予備大隊は、そのナチ国家の「殺戮部隊」だった。この大隊が注目されているのは、その隊員が明らかに「普通の人々」だったから。

 ハンブルクで警察官として採用された人々は、港湾労働者、美容師、職人、商人であった。そして家族もちの男性だった。500人ほどの大隊員のうち積極的なナチ党員や親衛隊員はごく少数だった。

第101警察大隊は2年以上にわたり、ゲットー解体、強制移住、大量射殺に何度も参加した。大隊の指揮官は、村の集合場所で隊員たちに任務を説明した。村を包囲し、ユダヤ人を武力で家から連行し、広場に集めた。労働可能な男性を選別したあと、残り全員を森で射殺せよ。捜索隊が家屋を捜索中に、老人・病人・乳幼児のような移送不可能な者、抵抗する者を見つけたら、その場で殺害せよ。

 第101警察大隊の隊員の平均年齢は40歳弱で、他の国防軍の部隊よりもかなり高い。ほぼ全員が家族もちで、労働者階級か中度階級の出身者が多い。

隊員の動機づけのために、隊は魅力的な目的を提供した。また、組織から離脱することは不可能という強制が働いていた。隊員を拘束する第三の方法は同僚関係にある。第四は、金銭であり、第五は行為の魅力にあった。

 隊員が大量射殺に関与したくない場合には、重篤な体調不良や精神的な過負荷を申告すれば免除された。神経衰弱を装ったら、大量射殺に参加しないことは可能だった。ただし、あからさまにユダヤ人への同情を表明したり、ナチ親衛隊への敵意を示せば、自らが射殺されることになる。

 多くの隊員は、「臆病者と思われたくなかった」し、隊員の前で「恥をさらしたくはなかった」ので、大量射殺に参加した。

 昼間は数千人の殺害を命じた父親が、夜は自分の子どもにおやすみの物語を読み聞かせていた。

隊員は、ユダヤ人資産の収用から利益が得られることを知っていた。10万人以上のハンブルク市民が、ユダヤ人から没収された家具、食器、衣類、玩具を叩き売り価格で手に入れていた。占領地でのユダヤ人資産の私的横領は、ほとんど野放しだった。

ナチ国家では、法律とは総統(ヒットラー)の命令以外の何者でもない、という一般的は合意が成立していた。1933年3月の全権委任法によって、帝国首相(ヒットラー)は、帝国議会にはかることなく法律を制することができ、その法律は帝国憲法に違反することをできた。

  ちなみに、ドイツ帝国の国民の過半数がナチスの政策に肯定的な態度をとっていた。ナチ体制は「合意独裁」だった。 「当惑、無関心、鈍感な従属」の混じりあう「無言の多数派」が市のなかでに支配的だった。

第101警察大隊のほとんどの隊員はドイツ敗戦後、再び「普通の生活」を送った。大隊の幹部たちはハンブルグの警察に復帰した。

 著者は、本書の結論として、ナチ国家が近代社会の産物である「普通の組織」に頼ることが出来たからこそホロコーストは実行可能だったという、きわめて挑発的な問題提起をしています。大量殺戮の実行を専門とする組織のメンバーが普通の人々であるというだけでなく、大量殺戮を計画し実行する組織もまた普通の組織としての特徴を示しているというわけです。

 アンナ・ハーレントがアイヒマンについて「凡庸な人物だ」と拝したのと相通じる指摘なのでしょうか……。ずっしり重たい指摘に満ちた本です。

(2025年4月刊。6600円)

ナチス党員とは誰だったのか

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)

著者 ウルリヒ・ヘルベルト 、 出版 現代書館

 ナチス党員とは誰だったのかという問いかけは、独裁体制の性格を問うもの。

最近の研究の成果によると、ナチス党員は、1935年時点で、20歳から35歳までの男たちで、戦争時青年時代から成る。ここで戦争とは、第一次世界大戦のこと。

ナチス党内の労働者は、国民全体の比率に比べてはるかに低い。会社員と公務員が大挙してナチス党になだれ込んだ。また、ナチス党員は、大都会より広い地方都市出身。カトリックよりもプロテスタント。

ナチス党への入党の動機は、反ユダヤ主義、反マルクス主義、国民社会主義の理念。そして、青年については、理想主義、日和見主義、外圧があった。

ナチズム時代に政治的社会的エリートだった人々の多くは、戦後、手がつけられず、処罰されることもなく数年もたたずに職業上の出世を続けていった。ナチ犯罪の責任はヒトラーと、そのわずかな取り巻きだけに押しつけられた。

ドイツ国民は、わずかな例外を除いて、ナチスの戦争犯罪の事実を知らなかったとして、ドイツ人の大多数は自分に罪があるとは感じず、むしろ自分は戦争の犠牲者である、自分たちの身に降りかかった独裁体制の犠牲者だと感じた。ナチス犯罪は、いわばタブーとなった。

そこで、ドイツを占領したアメリカ軍は、ドイツにはひとりのナチも見つけることが出来なかった。ドイツ人全員がナチだったとしたら、誰もナチではない。これが世間に広まった確信だった。

戦時中、ベルリンの学生は愛国的に燃え上がった。その大半は戦争を積極的に支持し、体験した。有名な白バラ事件のとき、彼らに呼応するドイツ人の学生がほとんどいなかったことを思い出します。でも、だからといって、白バラ事件を起こした彼らがムダなことをしたとは私は思いません。

ナチスのユダヤ人絶滅政策は、狂気の思想家や反社会的な犯罪者タイプの過激な行為ではなかった。それはむしろドイツの戦争政策と占領政策全体の一部として、その合理性は、ドイツの利益のあくなき追及だった。すなわち、ドイツの普通の市民は「絶滅」されたユダヤ人の富を分配を受けていたのです。

ナチズムは、戦争の申し子であり、第一次大戦による敗戦の申し子である。

ユダヤ人は異常に高い割合でブルジョア階級に属していた。近代産業経済界、大学人、銀行人、新しい商業チェーン組織のなかでユダヤ人はきわめて多数を占めた。ユダヤ人の手取収入はキリスト教徒の5倍もあった。ところが、ユダヤ人は、第一次世界大戦において、兵士の数でも負傷兵と戦死者の数でも、抜きんでて多かった。

敗北と革命のなかで、反ユダヤ主義が1918年から1919年以降、大々的に広まった。

非ユダヤ人の商人も同じようにインフレで儲けた。しかし、それは目立たなかった

1933年以降のドイツ系ユダヤ人からの強奪は、ドイツ史上最大の財産没収行動だった。

ナチス党員の権力掌握は、社会全般よりも大学のほうが簡単だった。それは、大学教授の多くが愛国保持的な考えをもち、民主主義的な議会主義に拒絶的だったことによる。1933年時点のドイツの大学教授2千人のうち3分の2は、反共和国的な考え方の持ち主だった。これは意外でした。大学教授だからといって進歩的とは限らないのですね。そして、学生のあいだでは、ナチズムへの親近性は、教授よりも高かった。

戦時中、残虐に殺されたユダヤ人は570万人。ガス室で死んだのは、殺されたユダヤ人の半数以下。他のユダヤ人は、射殺、殴り殺され、また伝染病や飢えと衰弱によって死亡した。

ナチスの「第三帝国」へのドイツ国民の大多数の忠誠心は、軍事的また経済的な成功を結びついていた。成果が見込めなくなると、ナチス政権は、その正当性の根拠を失った。

ナチ社会は、コネ、汚職、不当利益にもとづいていた。

ドイツでは、戦時中、ほぼ毎日大入り満員の客を前にして演奏するオーケストラが運営されていた。一般大衆は、気軽な楽しみ、おしゃべり、ユーモアを求め、実際これらを手に入れていた。

映画館の入場数は、1933年以降5倍に増えた。映画の大多数は気楽な娯楽映画、とりわけコメディーだった。ラジオの放送時間(毎週190時間)のうちに6時間が娯楽と流行歌にあてられた。

ナチス党員の正体を知った気になりました。これを今の日本に置き換えると、排外主義をあおりたてている参政党や維新・国民民主党をすぐに連想します。お互い、流されないように、しっかり踏んばるときです。

 

 

(2025年8月刊。4400円+税)

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