弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年8月 1日

毒の水

アメリカ


(霧山昴)
著者 ロバート・ビロット 、 出版 花伝社

 この本を原作とするアメリカ映画「ダーク・ウォーターズ」をみていましたから、アメリカの企業弁護士がデュポンという世界的大企業の公害かくしと長いあいだ戦った苦闘の経過があわせてよく分かりました。
 テフロン加工するときに使われていたPFASの強烈な毒性は牧場の牛たちを全滅させ、そしてもちろん人間にまで悪影響を及ぼす。デュポンの工場で働く女性労働者が出産したとき7人のうち2人も、目に異常が認められた。PFASは水道水にも入っていて、大勢の市民が健康被害にあった。
 このPFASは、いま、日本でも東京の横田基地周辺そして沖縄の米軍基地周辺で大問題となっています。泡消火剤に含まれているのです。日本政府は例によってアメリカ軍に文句のひとつも言えません。独立国家の政府としてやるべきこと、言うべきことをアメリカには言えず、ただひたすら実態隠しをして、必要な抜本的な対策をとろうともしません。
 アメリカでも出発時は今の日本と同じでした。環境庁も及び腰だったし、マスコミもデュポン社の主張するとおり、健康被害は出ていないというキャンペーンに乗っかっていました。
 アメリカの企業弁護士として、働いていた著者(このとき32歳)は身内の縁で依頼を受けるに至りました。でも、通常のような時間制で請求なんかできません。依頼者は大企業ではありませんから、成功報酬制でいくしかないのです。この場合は、着手金がない代わりに獲得額の20%から40%のあいだで弁護士報酬がもらえます。
 大きな企業法務を扱う法律事務所にいて、デュポンのような大企業を相手とする裁判なので、パートナーの了解が得られるか著者は心配しましたが、そこはなんとかクリアーしました。
 アメリカの裁判では、日本と決定的に異なるものとして、証拠開示手続があります。裁判の前に、相手方企業の持っている証拠を全部閲覧できるのです。デュポン社からは、ダンボール19箱の資料が送られてきました。これを著者は他人(ひと)まかせにせず、全部読みすすめていったのです。箱に入っていた書類をオフィスの床に全部広げる。次に一つひとつを年代順に整理する。そして、トピックやテーマ別に色つきの付箋を貼りつける。
 テフロンはデュポン社の重要な主力商品であり、APFO(PFOA)は、テフロン加工に欠かせない薬剤だった。テフロンは他のプラスチック樹脂と異なり、製造が厄介だった。テフロンが効率的かつ安定的に製造できるようになったのは、界面活性剤(PFOA)のおかげだった。
 著者の部屋は、ドアからデスクまでの細い通り道のほかは、資料が読み上がり、その下の絨毯は隠れて見えなくなった。著者は箱の壁に囲まれながら、床に座って仕事をした。映画にも、その情景が再現されていました。
 この裁判は集団訴訟(クラス・アクション)と認定されて進行した。日本では集団訴訟の活用が今ひとつですよね。私も残念ながら、やったことがありません。
 デュポン社による健康被害の疫学調査をすすめるため、デュポン社に7000万ドルを出させ、7万人を対象として、アンケートに答えたら150ドルを、採血に応じたら250ドルが支払われる(計400ドル)という方式が提案された。アンケートに答えるのは、79頁もの質問なので、記入するだけで45分はかかってしまう。
著者は企業法務を専門とする法律事務所の弁護士として、請求できない時間報酬と経費が累積していくのを見ながら事件に取り組んだ。その7年間のストレスと不安は相当なものがあった。このストレス過剰のせいで、著者は2回も倒れています。幸い脳卒中ではなく、後遺症もなかったようです。
 いま日本で問題となっている、アメリカ軍基地由来のPFASはヒ素や鉛などの猛毒より、さらに比較できないほどの毒性を有している。がんや不妊、ホルモン異常などの原因になっている疑いがある。アメリカが日本を守ってくれているなんていう真実からほど遠い幻想を一刻も早く脱ぎ捨て、日本人は目を覚まさないと健康も生命も守れないのです。北朝鮮や中国の「脅威」の前に、差し迫った現実の脅威に日本人がさらされている。強くそう思いました。
(2023年5月刊。2500円+税)

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2023年8月 2日

土の声を

社会


(霧山昴)
著者 信濃毎日新聞編集局 、 出版 岩波書店

 リニア新幹線って、税金の莫大なムダづかいの典型です。そんなお金は教育分野にまわすべきですよ。大学の学費を公立も私立も無償にする。学生食堂で学生はタダでランチが食べられるようにする。すでにヨーロッパで実現していることです。日本でもやれないはずがありません。日本政府、自民・公明の両党の税金のつかい方は間違っています。
 国はリニア新幹線をすすめるJR東海に3兆円を融資している。つまり、リニア新幹線はJRの事業というより国策事業なのです。だから、私たちも文句を言えるし、言うべきです。
東京・品川と名古屋を結ぶリニア新幹線の総工事費は7兆400億円。
 長野県内のトンネルや橋、駅などの工事の大半は県外の大手ゼネコンの共同企業体(JV)が受注し、県内の企業は2社だけが、その下請に入ったのみ。
 東京・品川と名古屋間の86%がトンネル区間。掘削工事によって出た残土には、自然由来のヒ素やホウ素などを基準値以上に含む、汚染対策が必要な「要対策土」が含まれている。これは、どこにでも捨てていいというものではない。
トンネル掘削作業に従事する作業員の月収は100~150万円。長野県内だけで330人あまりの作業員が掘削に従事している。
 そして、トンネル工事現場で労災事故が相次いで発生し、作業員1人が死亡し、7人が重軽傷を負った(2022年6月現在)。JR東海は、労災事故は原則として公開していない。それどころか、作業員宿舎の出入口には、こんな大看板が立っている。
 「秘密情報に関して、人に話さない、写真を渡さない、資料を持ち帰らない」
いったい、この「秘密情報」とは何をさしているのか...。いやはや、JR東海とは、どんなブラック企業なのでしょうか...。
いま、九州新幹線にはプラットホームに駅員がいません。まさかの事故に対応することはできません。そして、JR九州では駅員の常駐しない無人駅がどんどん増えています。災害にあった辺地の路線は廃止するばかり...。そして、在来の特急列車を極端に減らしました。いまJR九州が金もうけのためすすめているのは、在東線を減らす一方で、ホテル事業への投資拡大です。公共交通機関という使命はとっくに忘れ去られています。JR東海も同じ穴のムジナです。
 それもこれも、かの国鉄分割・民営化のなれの果てです。「国鉄の分割・民営化」を強引にすすめ、国労を徹底的に弾圧したあげくが、利用者不在の「ゼネコンのためのJR」になってしまったというわけです。ひどい話です。
 リニアの工事をめぐる各地の説明会は非公開ばかり。本当にひどいものです。よほどリニアには隠さなければいけないものばかりのようです。今からでも遅くありません。リニア新幹線工事は直ちにストップすべきです。ゼネコンと一部の政治家だけがもうかる工事なんて許せません。
(2023年4月刊。2400円+税)

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2023年8月 3日

女性弁護士のキャリアデザイン

司法


(霧山昴)
著者 菅原 直美 ・ 金塚 彩乃 ・ 佐藤 暁子 、 出版 第一法規

 いま、女性弁護士は8630人で、全体の20%弱(2022年5月末)。女性医師が23%であるのに、近づいてはいる。
 日弁連では、女性会長こそまだ実現していないが、女性副会長クォータ制が導入されているため、年度によっては女性副会長が3分の1近くを占めるようになっている。単位会の女性会長は珍しくないし、女性の日弁連事務総長も実現している。
 日弁連は、地方の裁判所支部に弁護士がいないか、1人だけという状況(「ゼロ・ワン地域」と呼ぶ)を解消しようと努力してきて、一応、その目標は達成した。しかし、支部管内に女性弁護士がいない(ゼロ)ところが63支部もある(2022年1月時点)。
 この本には、16人の女性弁護士が自分の活動状況を報告し、あわせて女性弁護士のかかえる問題点を具体的に指摘しています。
 「弁護士になって本当に良かった。自由に、自分らしく、やり甲斐のある仕事ができる、この仕事が好き」
 私も、これにはまったく同感です。それこそ天職です。
 仕事とプライベートの時間はきちんと分ける。男性の依頼者から食事に誘われるのは断る。信頼関係を築くのが難しそうだと感じたら、初めに断る、途中でも断る勇気を出さなくてはいけない。この点も、同感です。ただ、私にはネイルをする趣味はありません。
 睡眠・食事・運動の三つは大切にしている。仕事をするうえでは、身体的にも精神的にも元気でいることを意識している。そうなんです。元気じゃないと、困っている人の相談に乗るのは難しいし、前向きな解決方法を一緒に考え出すことは無理なのです。
 金塚さんはフランスで育ちましたので、フランス語はペラペラで、フランス弁護士の資格も有しています。私のような、せいぜい日常会話レベルのフランス語を話せるというのと、格段の差があります。すごいと思うのは、週末は乗馬かピアノにいそしんでいるというところです。
 私は週末はボケ防止のフランス語の勉強のほかは、ひたすら本を読み、またモノカキに精進します。
そのほか、金塚さんは自分の好きな服装・アクセサリーを大事にし、メイクとネイルは必須とのこと。そこも私と違うようです。
 人の悩みや紛争と常に直面する仕事なので、できるだけ仕事以外の自分でいられる時間をもつこと、何でも相談できる同期や同僚を大事にするよう勧めています。これもまた、まったく同感で、異議なーし、です。
新聞記者から弁護士になった上谷さんは、「弁護士の仕事の9割は、自分の依頼者を説得すること」だと先輩弁護士から教えられたとのこと。「9割」かどうかはともかくとして、依頼者を説得するというのは大きな比重を占めます。そして、そのとき、日頃の信頼関係がモノを言うのです。
 弁護士の仕事において、争うのは、あくまで手段であり、目的は紛争の解決にある。このことを常に念頭に置くべきだ。この点を強調しているのは、沖縄の林千賀子さん。林さんはマチ弁ですが、この本には企業内弁護士も、大企業を依頼者とする弁護士も、国際分野で働く弁護士など、多彩な顔ぶれです。
 弁護士は、めんこくない(かわいくない)、相手にしたくない、面倒くさいと思われてナンボの存在。いやはや、こんな断言をされると、まあ、そうなんですけど...と、つい言いたくなってしまいます。
 最後あたりに、札幌弁護士会が顔写真つき名簿を会の外にまで配布しているのは問題ではないかという指摘が出てきて驚きました。この名簿は福岡県弁護士会にもあり、私が執行部のときに札幌にならって始めたのですが、福岡では会の外には出さないということになっていて、私の知る限り、会員からのクレームはありません(自分の顔写真を提供したくない人は、昔も今も少なからず存在しています)。
 女性弁護士ならではの困難をかかえながらも、元気ハツラツと活躍している女性弁護士が全国的にどんどん増えているというのは本当にうれしいことです。タイムリーな本として、ご一読をおすすめします。
(2023年5月刊。3740円)

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2023年8月 4日

ある裁判の戦記

司法


(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 かもがわ出版

 竹田恒泰は、「人権侵害常習犯の差別主義者だ」と論評したことから、竹田が原告になって著者を被告として裁判を起こしてきた、その顛末が語られています。
 2020年1月に始まり、裁判は2年以上も続きましたが、地裁、高裁そして最高裁のすべてで著者が完全に勝訴しました。まったくもって当然の結論ですが、それに至るまでには並々ならない努力と苦労がありました。
 竹田恒泰が著者に求めたのは500万円の支払いと謝罪。著者は、名誉棄損の裁判では第一人者の佃(つくだ)克彦弁護士を代理人として選任した。
竹田は、今もユーチューブで自分の差別的な言動をまき散らしているようです。たまりません。ここで引用するのをはばかられるような口汚いコトバで差別的コトバを乱発している竹田のような差別主義者を「差別主義者」と明言して批判する行為が訴訟リスクに陥るなんて、あってはならないことです。それでは差別やヘイトスピーチは良くないといっても実効性がありません。ダメなものはダメだという正論は社会的に守られる必要があります。
日本の社会は差別に甘い。最近ますますそう感じている。著者の嘆きを私も共有します。岸田首相自身が良く言えばあまりに鈍感です。はっきり言って、社会正義を実現しようという気構えがまるで感じられません。だから、竹田のような、お金のある「差別主義者」がユーチューブでのさばったままなのです。若い人たちへの悪影響が本当に心配です。
 アメリカでは、人種差別に抗議しなければ、何も言わなければ人種差別を容認しているとして批判されます。ところが、日本では人種差別を含む差別的言動に対してマスコミが「ノーコメント」、まったく触れないまま黙っている状況が今なお容認されています。ひどい状況です。
 著者が裁判にかかる費用を心配し、インターネットでカンパを募ったところ(今はやりのクラウドファンディング)、2週間で1000万円も集まったとのことです。心ある人が、それほど多いことに救われます。まだまだ日本も捨てたものじゃありません。
 日本人は、世界に類を見ないほど優れた民族である。竹田は口癖のようにいつも言っていますが、これってヒトラーがドイツ民族について同じことを言っていたことを思い起こさせますよね。
 竹田は、自分について、身分はいっしょだけど、血統は違う(旧竹田宮の子孫だということ)と称して、血統による差別を正当化しようとしている。でも、それこそ差別主義者そのもの。いやになりますよね。自分は「宮家」の子孫だから、血統が違うんだと強調しているのです。呆れてしまいます。
 竹田の語る思想を「自国優越思想」と表現するのは、論評の域を逸脱するものではないという判決はまったく当然です。差別主義者の竹田は、自分は明治天皇の「玄孫」にあたると高言しているとのこと。まったくもって嫌になります。そんなのが「自己宣伝のキャッチコピー」になるなんて、時代錯誤もはなはだしいですよね。
 この本のなかで、著者は、竹田について、「この人は本当に、天皇や皇族に深い敬意を抱いているのだろうか」と疑問を抱いたとしています。まさしく当然の疑問です。司法が竹田の主張を排斥したことは、評価できますが、主要なマスコミが、この判決をまったく紹介せず無視したというのに驚き、かつ呆れつつ、心配になりました。日本のメディアは本当に大丈夫なのでしょうか...。
(2023年5月刊。2200円)

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2023年8月 5日

日本の自然をいただきます

社会


(霧山昴)
著者 ウィンフレッド・バード 、 出版 亜紀書房

 アメリカ人の新聞記者、翻訳者そしてライターである著者が日本の地方都市で暮らしながら日本全国の食を求めて歩いた見聞記です。
阿蘇では野菜の天ぷら、タンポポの花、カキドオシ、クレソン、ヨモギ、オオバコ、ユキノシタ。揚げたての天ぷらに、淡い緑色の塩を振りかける。この塩は、ハコベのエキスと塩を煮詰めてつくったもの。飲み物は、松葉サイダー。タンポポ、松葉、ドクダミを自家発酵させてつくったもの。
長野でも野菜の天ぷら。氷温の水と花ころもの天ぷら粉を軽く混ぜ合わせる。野菜は水洗いしなくてもよいが、必要なら、さっと洗う。水気は完全に切らなくてよい。揚げ油は、天かすがゆっくり浮いてくるくらい十分に熱する。まずはギョウジャニンニクの葉を入れ、油に香りづけをする。野菜の天ぷらは衣が薄く、十分に揚がったら、つまみ上げて、よく油を切る。そして、何より大切なのは、熱々の状態で食べること。
 滋賀県高島市朽木(くつき)では、トチ餅(もち)を食べる。トチノミは日本の「原初の食物」だ。飢饉に備える大切な保存食だった。村では、女子が嫁ぐとき、家のトチノキを譲られた。村にある一本のトチノキの実を摘みとる権利を譲される。栃餅ぜんざいは、トチノミの苦みがあるため、小豆が甘すぎず、まろやかに味わえる。
 日本では、4000年も前から、到るところでトチノミが食べられていた。ところが、飢饉がなくなってしまうと、戦後の近代化が急ピッチで進むなかで、ついに不要な食材になってしまった。トチノミを食べられるようにするには2週間かかる。苦みを生み出すサポニンとタンニンを抜くのには、それくらいかかるのだ。
 岩手では、わらび餅。ワラビの祖先のシダ類は、草食恐竜の主要な餌(エサ)の一つ。恐竜は絶滅したけれど、ワラビはしぶとく生き残った。ワラビの根茎からとれる繊維は、江戸城の生け垣を結ぶ。
 飢饉の多かった江戸では、「かてもの」は代用食品となった。
 日本の食文化の源流を探る楽しい旅でもありました。
(2023年3月刊。2200円)

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2023年8月 6日

モンシロチョウの結婚ゲーム

生物


(霧山昴)
著者 小原 嘉明 、 出版 蒼樹書房

 庭でのキャベツ栽培に私も挑戦したことがあります。春になると、それはそれは大変でした。毎朝、庭に出て青虫を割りバシでつまんで足で踏みつぶさないといけません。青虫がチョウになるのを喜んで待っているわけにはいかないのです。放置していたら、とんでもない虫くいキャベツになってしまいます。ところが、とってもとっても青虫は、それこそ湧くように出てきます。これではキャベツの生産者が農薬を使うのも当然だと実感しました。
 モンシロチョウは、キャベツづくりをやめた今でも、春になると庭をヒラヒラと飛びかっています。著者によると、モンシロチョウの飛び方は、オスとメスとで違うそうです。なにやらジグザグに飛びまわっているのはオス。メスは葉にしがみついてせっせと産卵にはげんでいる。なので、飛び方だけでオスかメスかを言いあてることができる。
 では、オスはなんで、そんなにジグザグに飛びまわっているのか...。もちろん、結婚相手のメス、それも未婚のメスを求めて飛んでいるのです。
メスはオスが近づいてくると、3つのタイプの反応を示す。まず第1に、翅(ハネ)を開いて腹部を押し立てる、逆立ち反応。これはメスのオスへの拒否反応。第2は、メスが小刻みに翅をバタバタ開閉する、はばたき反応。オスはすぐに飛び去っていく。第3は、翅を閉じたまま、ぐっと静止の姿勢を続ける。オスはただちに交尾行動に入り、すぐに交尾が成立する。
それでは、なぜオスはメスをすぐに見分けることができるのか...。オスとメスは形や大きさに違いはなく、大変似ている。しかし、どこかが違うはず。何が違うのか...。
その答えは、紫外線です。紫外線写真をとると、メスは白く、オスは黒くうつるのです。メスの翅は強く紫外線を反射している。つまりメスの翅は紫外色を含んでいる。オスの翅には紫外色はまったくない。なので、オスはひたすら真っ白のメスを探しているというわけです。
ところが、この本では、なんとモンシロチョウの眼にメガネ(黒いサングラス)をかけたらどうなるのか、という実験までしています。まずは、その方法です。透明のビニールに小さなガラス棒をつき立て、出っぱったところをはさみで切り取る。メガネをかけるときは、チョウを冷蔵庫に入れて冷温麻酔しておく。そして、チョウの眼にカプセルをかぶせ、後ろのところを蜜ろうで固定する。そのうえで、メガネに黒ラッカーを塗る。すると、チョウの眼を痛めることはない。この状態のメスは、オスが近寄ってきても逆立ち反応をまったくしない。つまり、逆立ち反応はあくまで視覚的なものであることが裏づけられた。これは、ホルモンの分泌を促すことと関係があるのではないか...。
 いやあ、学者って、モンシロチョウの眼に黒いサングラスをかけてみたらどうなるのか、なんてことまで実験してみるのですね...。驚きます。
実は、この本を読んだのは30年近くも前のことなんです。そのとき受けたショックはとても大きくて、本棚の目立つところにずっと鎮座していました。久しぶりに読んで、ぜひ皆さんにお知らせしたいと思ったのでした。
(1994年5月刊。2300円+税)

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2023年8月 7日

記憶の科学

人間


(霧山昴)
著者 リサ・ジェノヴァ 、 出版 白揚社

 人間の脳は驚異的だ。脳は毎日、無数の奇跡を起こしている。これは、まさしく最近の私の実感でもあります。年齢(とし)をとって認知症になるのを心配している私ですが、毎日、こうやって書きものをしているのも、できるのも、脳の活動のたまものです。
 物忘れのほとんどは、性格上の欠陥でも、病気の病状でもなく、心配すべきことですらない。忘れることは、乗り越えなければならない障害ではない。しっかり覚えておくためには、忘れることが欠かせないことも多い。
 そうなんです。私がこうやって書評を書いているのは、実は、安心して忘れるためです。書いてしまえば残ります。なので、忘れることに心配無用なのです。
 退職した日本人エンジニア(原口證、あきら)は、69歳のとき、円周率を11万1700桁まで暗記した。うひゃあ、な、なんということでしょう。とても信じられません...。
 記憶の形成には、4つの基本的段階をたどる。1つ目は記銘。2つ目は固定化。3つ目は保持(貯蔵)。4つ目は想起(検索)。意識的に思い出せる長期記憶をつくり出すためには、この4つの段階がすべて機能していなくてはならない。まず、情報を脳に入れる。次に、情報同士を糸のように織り合わせる。それで出来あがった情報の布を、脳の持続的な変化という形で貯蔵する。最後に、望んだときは、いつでも情報の布を取り出せるようにしておく。海馬は、記憶をつなぎあわせる。いわば記憶という布の織工だ。新しい記憶を作るためには、どうしても海馬が必要になる。海馬が損なわれると、新たな記憶をつくる能力が正常に機能しなくなる。
海馬は新たな記憶の形成に欠かせないが、できた記憶は海馬にとどまるわけではない。記憶銀行などというものは存在しない。長期記憶を宿す、脳の特定の部屋は存在しない。記憶は、脳のあちこちに貯蔵される。記憶は、関連する情報をつなぐ神経回路という形で、脳内に物理的に存在している。
昔ならったスキルを再現できる能力は、「筋肉の記憶」(マッスルメモリー)と呼ばれている。ただ、このマッスルメモリーは、筋肉ではなく、脳内にある。新たなエピソード記憶や意味記憶の形成には海馬が欠かせないが、マッスルメモリーの形成には海馬はまったく関与していない。一度習得したマッスルメモリーは、意識して思い出そうと努めなくても、再生される。この過程は意識にはのぼらない。
 脳内に保管されるデータは、すべて意味記憶である。脳は、つまらないことや重要でないことを熱心に知ろうとはしない。知識を増やしたかったら、情報を意味のあるものに変える必要がある。感情をともなう経験のエピソード記憶は、感情をともなわない経験よりも記憶に残りやすい。エピソード記憶の形成と保持には、感情、驚き、意味が必要だ。
どのようなエピソード記憶であろうと、何度か想起されているうちに、オリジナルからは相当逸脱してしまう危険をはらんでいる。人間の脳は、誘導的な質問を受けると、まったく経験していないことまで覚えていると思い込むことがある。目撃者と称する人々の証言は、だから、実はアテにならないことが多い。
 ヒトは、見えないものは忘れてしまう。私は、司法修習生のとき、電車の網棚に乗せた大切な書類を忘れて、大変な目にあったことがあります。見えないと忘れてしまうものなんです。
記憶の最大の敵は、時間だ。脳内に貯蔵できた情報を保持したいなら、絶えず活性化させること。情報を思い返し、反復練習し、繰り返すことだ。
 忘れることは、きわめて重要。忘却は、人間の機能を、毎日ありとあらゆる形で助けている。忘れるという人間の能力は、記憶する能力に負けず劣らず、必要かつ不可欠なもの。
 常にストレスを抱えていると、海馬のニューロンが徐々に失われていく。ニューロン新生は脳の多くの領域で一生を通じて起こっているが、とくに海馬で顕著だ。
睡眠は、健康を保ち、生き残り、最高の機能を発揮するためには欠かせない、生物学的には忙しい状態だ。明らかにスーパーパワーと言えるはたらきをしているのが睡眠。睡眠によって、マッスルメモリーも最適化される。人体は、睡眠というプロセスによって、毎晩、心臓病とガンと感染症と、精神疾患と必死に戦い、これらを撃退している。脳をふくむ体内のあらゆる器官の生命力は、十分な睡眠によって向上する。睡眠が足りないと、健康と記憶力は大幅に低下する。
 アルツハイマー病は、ある日突然に発病する疾患ではない。アミロイドプラークが蓄積し、症状があらわれるまで15年から20年の歳月がかかる。アルツハイマー病の予防策としておすすめは、新しく何かを学ぶこと。その新しく学ぶことは、できるだけ意味が豊かで、景色、音、連想、感情を伴うものであることが望ましい。
 いやあ、実にすばらしい指摘のオンパレードです。あなたに、強く一読するようおすすめします。
(2023年5月刊。2700円+税)

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2023年8月 8日

下山事件

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 柴田 哲孝 、 出版 祥伝社文庫

 1949(昭和24)年7月5日、初代の国鉄総裁・下山定則が朝から行方不明となり、翌7月6日未明に国鉄常磐線の北千住駅と綾瀬駅の中間地点で遺体となって発見された。いわゆる下山事件。ときは日本占領下、マッカーサーのGHQが日本を支配していた。
 下山総裁は国鉄合理化にともなう10万人規模の人員整理の渦中にあり、7月4日に第一次人員整理として3万700人の名簿を発表したばかりだった。このころ、7月15日には三鷹駅で無人電車が暴走して死傷者を出した三鷹事件、8月17日には福島県内で機関車が脱線転覆して乗務員3人が死亡した松川事件が起きていた。松川事件については政府は直後から共産党が犯人だと発表し、共産党関係者や国労の組合員などが逮捕・起訴され、いったんは死刑判決まで出たものの、被告人らのアリバイを証明する物証(諏訪メモ)が掘り起こされて、逆転無罪となった。GHQないしCIA等のアメリカ機関がからんだ謀略事件というのが今では有力となっている。
 この本は矢板玄(くろし)が代表をつとめるY機関(亜細亜(アジア)産業の別名)が関わっていたという説を中心として語られています。GHQのキャノン機関の下請け機関として、非合法工作にいくつも関わっていたというのです。著者の祖父は柴田宏(ユタカ)。1970(昭和45)年7月に69歳のとき病死した。
事件当時、下山総裁は、精神的にかなり追いつめられていた。下山総裁への殺人予告電話がかかってきた。
 失踪当日、下山総裁の行動はいかにも不思議なものだった。これは自殺しようとしている人の行動とは矛盾している。
 CIAをはじめとするプロの謀報員のプロパガンダには、一定の法則がある。その9割は「実話」で、残る1割に「虚偽」を挿入してカバーストーリーを構成する。たとえば、人名、地名、日時などを入れ替える。
 下山総裁の遺体はいかにも不審な轢死体であるのに、検視した医師は自殺だと断定した。これに対して布施健検事が疑問を呈した。東大の法医学教室(古畑鑑定)は、死後轢断と判定した。
下山総裁は腕の血管を切られ、血を抜き取られて死んだというCICの元協力者だった朝鮮人の証言がある。
田中清玄と西尾末広の二人は、下山事件の周辺に登場する。
 下山総裁の遺体が発見された大友野の轢断現場には、下山総裁が身につけていたはずのロイド眼鏡、ネクタイ、ライター、シガレットケース、シャープペンシルがついに発見されなかった。そして、右側の靴が大きく裂けていたのに、右足はまったく無傷だった。
 キャノン機関のキャノンは1981年、自宅のガレージで射殺体になって発見された。享年66歳。自殺とされた。
M資金はウィロビーのWを裏返しにしたらMになる。ウィロビーの裏金という意味。
 伊藤律も共産党の情報をどんどん持ってきていた、ただのスパイだ。
GHQは国防省、CIAは国務省。両者は敵対していた。
下山総裁が事件当日、3時間近くも休息したはずの末広旅館で、ヘビースモーカーなのに1本もタバコを吸っていないという。そして、女将の長島フクの夫は特高警察官あがり。現場は大きく左にカーブしている。戦前の中国・満州での張作霖爆殺事件のカーブと同じ構図だ。
 矢板玄は1998年5月、83歳で死亡した。矢板玄も統一協会の後援者だった。亜細亜産業は七三一部隊と奇妙な符号がある。
戦後の疑惑にみちた事件について、その真相に一歩迫っている本だと思いました。
(2017年5月刊。857円+税)

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2023年8月 9日

硫黄島に眠る戦没者

日本史(戦前・戦中)


(霧山昴)
著者 栗原 俊雄 、 出版 岩波書店

 クリント・イーストウッドの映画二部作で改めてスポットライトがあたった硫黄島の戦いで、日本軍兵士2万1千人のうち、2万人が亡くなり、生き残ったのは1千人あまり。そして、今なお1万人もの遺骨が回収されないまま硫黄島に眠っている。国は、本格的な回収事業をしてこなかったし、今もしようとしていない。
驚くべきことに、遺骨回収作業を細々としているのは遺族であり、ボランティアの人々であって、国の事業ではないというのです。そして、回収された遺骨のDNA鑑定にも、国はまったく乗り気ではありません。
 「戦争国家」アメリカは、そこが決定的に違います。アメリカは朝鮮戦争で亡くなった兵士の遺骨の回収のためには、「冷戦」状態の北朝鮮であっても粘り強く回収作業をすすめてきました。この点は、アメリカのすごいところだと認めなければいけません。
 硫黄島の戦闘が始まったのは1945年2月、そして1ヶ月あまりの日本軍の死闘も、ついに3月には終結した。まったく補給がなく、水もないなかで、地下にたてこもって戦った日本軍将兵の苦しみは想像を絶するものがあります。二部作の映画をみましたので、その苦闘をいくらか想像できますが、もちろん、ごくごく断片的なものでしかありません。
 この本には、柳川市昭代の近藤龍雄という硫黄島で亡くなった兵士の家族(遺族)が登場します。私の知人の甲斐悟さん(元大川市議)も父親を硫黄島で亡くしています。
 近藤さんは、1944年6月に久留米で編成された陸軍混成第二旅団中迫撃砲第二大隊に所属し、7月10日に横浜港を出港して7月14日に硫黄島に到着しています。
 硫黄島は戦後、アメリカ軍が戦術核基地として核兵器を常備していた。ソ連が日本に侵攻したとき、この戦術核をアメリカ軍は使用するつもりだった。原潜に核ミサイルが搭載できるようになったので、1966年までに硫黄島の戦術核は撤去された。現在、硫黄島には自衛隊の基地がある。
日本の右翼的な人々は靖国神社については熱心ですが、1万人もの遺体(遺骨)が硫黄島に今なお眠っていて、日本政府がまったく遺体の回収に熱心でないことを何ら問題としていないようですが、不思議でなりません。神社に祭るより前に、可能なかぎり遺骨を回収することは当然だと私も思います。地下の坑道に今なおたくさんの遺骨が放置されているというのを、あなたは当然だと思いますか...。「戦前」が近づいていると言われている今、1万体もの遺骨が硫黄島に放置されているのを許していいとはまったく思えません。
(2023年3月刊。2200円+税)

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2023年8月10日

ヒトラー

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 ハンス・ウルリヒ・ターマー 、 出版 法政大学出版局

 アドルフ・ヒトラーは、人生の最初の30年間を、社会の片隅で無名の人間として過ごし、自伝における自己賛美とは逆に、職業教育や市民教育にほとんど真面目に取り組まなかった。ヒトラーは「目的のない生活」を過ごしていた。
 実際に政治的な「修業」をせずに、あれほど短期間のうちに大衆の指導者にのぼりつめた者はめったにいない。ヒトラーは準備がないまま突如としてドイツ帝国の首相となり、ごく短期間のうちに、並外れた個人的な権力まで拡大することができた者もまれだ。
 歴史によってヒトラーがつくられ、ついでヒトラーが歴史をつくった。
 ヒトラーは、思いやりと愛情に満ちた母親よりも、暴君的な父親からより多くの性格を受け継いだようだ。母親のあふれんばかりの愛情と寛大さが、若いヒトラーの、自分を過大評価し、無駄な努力はしない傾向を助長したように思われる。
 ヒトラーの幼少期で確実なのは、学業不振。数学と博物学では「不可」をとった。教師は、ヒトラーを「なまけ者」と判断した。地理と歴史も「可」だった。ヒトラーは、16歳で学校とおさらばし、それを喜んだ。
 ヒトラーはウィーンの芸術アカデミーには「デッサン不可、学力不足」と評価され、入学できなかった。オーストリアで徴兵検査を受けると、「不適格、身体虚弱」と判定された。
 ヒトラーは、バイエルン軍に志願し、兵役に就いた。ヒトラーは陸軍1等兵に昇進したが、伍長への昇格は断った。そして、伝令兵として行動した。
 1920年3月に除隊したヒトラーは、職業政治家となり、集会で演説するようになった。ヒトラーは、演説のテクニックに磨きをかけ、劇的に語った。聴衆の気分を感じとり、それをあおるかのように、初めは落ち着いて控え目な口調で、それから徐々に高揚し、ときに半狂乱になるほど聴衆の心をつかんだ。
 ヒトラーの演説は演劇のようで、身振・手振りや表情が発声と合ったとき、聴衆に向かってこれまで以上に激しく言葉をたたきつけるとき、声と身体は一体となって話に独特の効果を与えた。ヒトラーの仰々しいパフォーマンスと演説の政治的な内容は深く結びついて、互いに補いあった。その演説の力は、ヒトラーのカリスマ性を確立した。客席の前に、ヒトラーは嘘と欺瞞の世界をつくり出した。
 煽動家ヒトラーにとって、効果だけが重要だった。平和を愛する政治家とすら自己演出して納得させ、現在の悪に対する解決策を示し、漠然とした約束にすぎないが、よりよい未来を人々に期待させた。
ミュンヘンの社交界にデビューするとき、ヒトラーは、信じられないことに恥ずかしがり屋で、控え目な人物だった。おずおずと遠慮がちに肘掛け椅子にすわった。
 こんな描写を読むと、チャップリンの乞食紳士を連想させます。
ヒトラーには声の魔力と情熱があり、その振る舞いは素朴な印象を与え、教養ある社交界を魅了した。周囲はヒトラーを天才とみなし、反ブルジョア的な性格を称賛した。ヒトラーは猫をかぶっていたのでしょうね。
 1923年、ナチス党員は短期間のうちに10倍にふくれあがり、5万5000人を超えた。党員は、中産階級の人々が多かった。他の階級に属する人々も、ナチスの過激なプロパガンダや枚済のレトリックに心が動かされた。初期のナチス党の3分の1は労働者だった。
ヒトラーは1924年、9ヶ月間の収監生活を送ったが、それはホテルに滞在したようなものだった。35歳の誕生日を刑務所で迎えたヒトラーの前に、贈り物や花が山のように積み上がった。
ヒトラーは時流を読むのが得意だった。刑務所で執筆した『わが闘争』はつぎはぎだらけのお粗末な作品。この本は1925年7月に第一巻、翌26年12月に第二巻を刊行した。それほど売れなかったが、1930年の普及版は1932年に9万部も売れた。そして、翌33年末には100万部の大台をこえた。
 ヒトラーの憎悪は、国際主義、平和主義、民主主義に向けられた。この三つの仮想敵は、いずれも、マルクス主義とボルシェヴィズムへの挑戦と結びついていた。
 自信があって経験も豊富で、ヒトラーの上辺(うわべ)だけの魅力を見抜くような同年代の女性とは、明らかにうまくいきそうもなかった。
 ヒトラーは欺瞞の名手であり、大勢の聴衆の前での議論は避けた。質問に対して答弁しなければならないときには、のらりくらりとかわした。
ナチス党内の権力ゲームにおいては、互いに競いあわせて漁夫の利を得、忠実な取り巻きをつくろうとした。1931年末のナチス党員は80万人になった。
 「指導者は、まちがえてはならなかった」
 1932年のころ、総選挙でナチス党は200万票も失い、党の金庫は空(カラ)っぽ、だった。
 ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に指名したとき、ヒトラーはすぐに「お払い箱」になるだろう、多くの人がそう考えていた。このとき、ヒトラーは、まじめな政治家という印象を与え、不信感をもつヒンデンブルク大統領に取り入るべく、全力を尽くした...。
 ヒトラーの任命は、形式的には合法に見えても、憲法の精神に大きく反していた。1933年1月30日、ヒトラーは独帝国首相に就任した。
1934年4月までに数百人のユダヤ人大学教員、4000人ものユダヤ人弁護士、300人の医師、2000人の公務員が退職していった。
「本が燃やされるところでは、最後には、人間も燃やされる」
これはハインリヒ・ハイネのコトバ。まったく、そのとおりですよね。
ヒトラーの生い立ち、権力を握る過程でのエピソードなど、ヒトラーの真実に迫る本だと思いました。一読を、おすすめします。
(2023年4月刊。3800円+税)

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2023年8月11日

7歳の僕の留学体験記

中国


(霧山昴)
著者 大橋 遼太郎 、 出版 日本僑報社

 ええっ、7歳で留学なんかするの...。いま大学生の著者が、小学2年生のとき、母親の中国留学にあわせて中国の学校に通うことになった。嫌だ。僕は行かない。中国へなんか行かない。絶対に行かない。意地でも行かない。誰が何と言おうと行かない。柱にしがみついてでも行かない。と言って抵抗したわけなんですが...。
 中国は母親の生まれ故郷で、8歳までくらしていたところ。ところが、何がどうなってこうなったのか、自分でも今でもよく分からないうちに僕は中国へ行くことになった。恐らく、中国でおもちゃをいっぱい買ってあげるとか、母親の美辞麗句にまんまと乗せられてしまったのだろう。
中国では、コトバが分からないので、小学2年生ではなく、もう一度1年生になった。そして、日本人の名前ではなく、中国名を名乗る。だから、級友たちは日本人と分からない。
 学校の授業は午前8時から始まる。しかし、その前7時半から「自主学習の時間」があり、実は「強制学習」。算数だけは分かった。でも日本のようにBか2Bではなく、中国ではHか2H。そして、採点するとき、中国では正解は「〇」(マル)ではなく、「✓」(チェック)をつける。
著者は日本で折り紙を習っていたので、中国でも同じように折り紙をつくったら、たちまち注目された。「折り紙外交」の成果だ。
 中国では、字の汚(きたな)い人は1点減点。隣の子が「当たり前だよ。字が汚いと、いい仕事に就(つ)けないんだよ」と解説してくれたので、渋々、納得した。
 昼食休憩は1時間半もある。家に帰ったり、レストランや食堂で食べてもいい。著者は配達弁当を食べた。家に帰った3人を除いて、残る42人は学校で配達弁当を食べる。2ヶ月に1度は、「水餃子」のみ。他に、ご飯やおかずはまったくない。それでも、美味しいので文句はない。
中国では、大手塾会社が小学校と提携して放課後の空き教室などを使って塾を開いている。ともかく、そのレパートリーの広さには呆れます。文章読解、作文、算数、数学オリンピック、英会話、ニュートン物理、児童画、漫画、水彩画、演劇、話し方、エアロビクス、ストリートダンス、サッカー、バスケットボール、将棋、マジック、ギター、バイオリン、二胡...。
 著者は硬筆とペーパー工作を申し込んだ。学校が塾に大変身。放課後から夜の7時ころまである。
 中国の子どもはよく勉強する。実は、よく勉強させられている。
国語の授業のとき、タイトルは「小英雄」。日本軍が村に迫ってきた。少年が村への案内を頼まれた...。残虐な日本軍に抗する中国人の戦いを日本人の子どもが受けとめきれないのも当然です。
 中国は2学期制。前期は9月から春節(中国の正月、1月中旬)休み前まで。後期は春節休み明けから6月末まで。
 著者は3年生の前期で中国の小学校を終わって日本に戻りました。
 中国での最後に、みんなで集合写真をとり、また、プレゼントを交換しあった。
小学校のころまでなんでしょうか、語学を少しの苦労はしてもなんとか身につけることができるのは...。うらやましい限りです。私なんか、40年以上もフランス語を勉強しているのに、今もって、スラスラ話すことなんて出来ません。恥ずかしい限りです。それでも、ボケ防止のつもりで、毎朝、せっせと書き取りしています。
 面白い本でした。子ども(小学校)にとっての中国生活の苦労が実感できました。
(2023年3月刊。1600円+税)

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2023年8月12日

日本人の心を旅する

社会


(霧山昴)
著者 ジュヌヴィエーヴ 、 出版 エルヌフ書肆侃侃房

 あるフランス女性の眺めた日本と日本人、というのがサブタイトルです。「日本と日本人は、すばらしい芸術品である」
 こんなふうに言われると、日本って、そんな評価もできるのかなあ、と半信半疑になってしまいます。
信長は、明智光秀に裏切られたあげく戦に敗れ、切腹を余儀なくされたと書かれているのを読むと、なんだか違うみたいなんだけれど...と、つい思ってしまいました。
でも、フランス人女性からみると、日本人もいいところがあるようなんです。そこは、素直に受けとめようと思いました。
 日本語には自然をあらわす擬声語が数多くある。シンシンと夜が更ける。シトシトと雨が降る。メラメラと火が燃える。ビュービューと風が吹く。ポカポカと陽が暖かい。スクスクと本が育つ。ショボショボと降る雨にビチャビチャに濡れ、ボチャボチャの道をトボトボと歩く。
アインシュタインは2人の息子に宛てて、日本滞在の終わりに手紙を書いた。
 「日本人がとても気に入った。静かで、慎み深く、頭が良く、芸術に眼があり、そして思いやりがあり、何事をやるにも体裁のためでなく、むしろあらゆることを本質のためにやる」
 これが日本人へのお世辞ではないというのは、なるほど画期的です。
 日本茶も高く評価されています。日本独特の抹茶をつくるには、新芽をつみとる20日ほど前に、ワラやアシや布でつくった覆りの下に入れて太陽光から保護し、苦さの基になるカテキンの割合を減らし、テアニンの割合を増やす。
 私の法律事務所では、エアコンのきいた室内で、熱々のお茶を出しています。いかにも美味しそうな深緑ですし、一口飲むと、お客さんの顔が変わります。皆さん、笑顔になって、このお茶は美味しいですねと言ってくれます。お茶を手にとらない人、飲んでも黙っている人は、それほど抱えている心の闇、悩みが深いということなんです...。
 長くフランスに住んでいる内田謙二氏による翻案という本です。私のフランス語勉強仲間の井本元義氏より贈与していただきました。ありがとうございます。

(2023年7月刊。1600円+税)

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2023年8月13日

軍人像と戦争

日本史(戦前・戦中)


(霧山昴)
著者 安島 太佳由 、 出版 安島写真事務所

 愛知県知多半島の南端にある中之院に、人知れず、ひっそりと佇(たたず)む軍人像の群れがある。軍人像は全部で92体。台座つきの全身像のものが22体、台座のない胸像70体。一体一体は、とても精巧に造られていて、体格や表情まで兵士一人ひとりの生き写しであるかのよう。
 たしかに写真で見る軍人像は青年らしい若々しさまで感じられ、今にも歩き出しそう、いえ、少なくとも、何か言わずにはおれないという内に秘めたものを強く感じさせます。
 長い年月、野ざらし状態にあった、これらの像は、風化が激しく、苔(こけ)むしてもいます。これほど大量の軍人像を、いったい、誰が、何のためにつくったのか...。
 1937(昭和12)年8月、日本軍は上海上陸作戦を強行した。対する中国軍を軟弱とみて、敵前上陸を敢行したのだ。これには、満州建国の実態を探るために派遣された国際連盟のリットン調査団の動向から国際世論のホコ先をそらす目的があったと解されています。
 しかし、日本軍が敵とした中国軍は蒋介石の誇る精鋭部隊であり、ドイツ軍将校たちによって督励・強化されていた。日本軍は敵である中国軍の実力をあまりに過小評価していた。
  ドイツ軍の支援を受けた中国軍は、強力なトーチカを構築し、要塞化した強固な防御陣地を築いて日本軍を待ち構えていた。名古屋第3師団歩兵第6連隊の兵士たちは上陸作戦を始めて、半月足らずで全滅してしまった。
 中国軍の戦力を軽く見ていた日本軍の戦法は、銃剣突撃、そして手榴弾のみの肉戦戦。中国軍の陣地にたどり着く前に、中国軍の機関銃攻撃によって、1万人もの将兵が無惨にも死んでいった。
遺族たちが、「戦没者一時金」をもとにして、亡くなった兵士の写真をもとにして像をつくらせ、像を建立したのです。
当初は名古屋市千種区月ヶ丘の大日時境内にあった軍人像は、日本敗戦後も、アメリカ軍の取り壊し命令に抗した僧侶のおかげで守られて残り、平成7年に現在地へ移設された。
青年兵士たちの顔は、あくまで凛凛(りり)しいのです。思わず手をあわせたくなります。若くて無為に死んでいった無念さを今の私たちに必死で訴えているとしか思えません。
靖国神社へ行ったとき、亡くなった兵士たちの無念さを私は感じることができませんでした。そこではお国のためによくぞ命を投げ出して戦ったと忠勇を最大限に鼓舞するような感じで、いささか違和感がありました。
 無念の思いで死んでいったであろう若き兵士たちを偲びながらも、戦争とは、なんと理不尽なものなのか、その無念さがひしひしと伝わってくる見事な写真集です。あなたもどうぞ手にとってご覧ください。全国の図書館に常備してほしい写真集です。
(2023年7月刊。1200円)

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2023年8月14日

冬のデナリ

アメリカ


(霧山昴)
著者 西前 四郎 、 出版 福音館日曜日文庫

 北米大陸最北かつ最高峰のアラスカにそびえ立つマッキンレーのデナリに厳冬登山。まさしく無謀そのものです。マイナス40度、いや50度という厳しい寒さのうえ、峰々に吹き渡るブリザード(嵐)。そして途上の氷河には底知れぬクレバス(割れ目)がある。いやはや、とんでもない冒険をしようという男たちが7人も8人も集まったのです。いえ、初めは賛同者は誰もいませんでした。それがいつのまにか志願する男たちが寄ってきて...。
 メンバーの年齢構成は20代の青年ばかりではありません。最年長は39歳の外科医。身長190センチ、体重100キロです。最年少は22歳のヒッピー・詩人。アメリカ人だけでなく、スイス人、フランス人そしてニュージーランド人もいて、31歳の日本人もいます。この日本人は身長160センチ、50キロと小柄です。
個性豊かな山登りたちが8人もいて、本当に統制がとれるのか、登頂をめぐってメンバー同士が張りあうのでは...、そんな心配もします。
 荷物を確保し、それをきちんと分類して頂上に至るまであちこちに分散して配置します。危険を分散するのです。この食糧確保と輸送を担当したのは、日本人のジローでした。8人分、そして40日分の食糧と装備を山に運び上げるのですから、大変な苦労が必要です。
 零下30度の乾燥しきった空気に寝袋をさらす。これを怠ると、身体が発散する湿気を吸い込んだ羽毛は、やがて氷の玉に固まってしまう。
隊員が2人、氷河のクレバスに落ちた。1人目のアーサーは、なんとか自力ではい上ってきた。しかし、2人目のフランス人のファリンはダメだった。8人のグループのうちの1人が登山途中で死んだとき、その登山は中止すべきなのか、それとも続行してよいものか...。結局、遺体は下のほうに運びつつも、登山を続行することになった。うむむ、難しい選択ですね。仲間の1人が事故死しても、なお登山しようというのですから、並の神経の持ち主ではありません。
氷河の旅が終わると、次はアイゼンの世界。もうクレバス事故という不意打ちを心配する必要はない。軽合金でできた12本の鬼の爪を防寒靴にくくりつける。
 高度の高いところで、口を開けて大きくあえぐのは禁物(きんもつ)。寒気のもとで、水分をすっかり氷雪片にして落としてしまった空気はカラカラに乾燥しており、不用意に深く息を吸うとノドが焼けてくように痛む。
 鼻の高いディブは、鼻の先を凍傷でやられないよう、手術用マスクをかけて用心している。一日の仕事が終わってテントに入る。断熱マットを敷き寝袋を広げてすわりこむ。まず靴下をはきかえて、ぬれた靴下を絞る。足からこんなに汗が出るとはと驚くほど、気密な防寒靴の中で粗毛の厚い靴下は、ぐっしょり汗を吸っている。
 その絞った靴下は、テントの外に出しておくだけでよい。翌朝には、カラカラに乾燥していて、氷の細かい結晶をパタパタとはたき落とすと、すぐに素足にはくことができる。
 食事は乾燥食に頼る。1キロの肉が200グラムのコルクのような乾燥肉になっている。湯の中に、この「コルク」を入れて肉らしい煮物に戻るまで温める。おいしくはない。
 湿度の高い軟雪と違い、大きな雪のブロックから、わずかな量の水しかできない。80度の熱湯をつくるのに、長い時間と大量のガソリンを消費する。体内の水分不足は凍傷になりやすいので、ともかくたくさんお茶、ジュース、コーヒーを飲まなければならない。昼食用のテルモスを用意するゆとりはないので、朝晩に飲めるだけ飲んでおく。登山靴もメーカー特注品。
 先頭の3人は、なんとか頂上にたどり着いた。記念写真をとろうとしても、無線電話機を使おうとしてもバッテリーが厳しい寒さで動かない。零下49度だった。
問題は帰路に起きた。遭難寸前のところ、岩陰で缶詰食品を見つけた。また、別のところにガソリンが4リットル、岩陰に置かれていたのを発見した。こんな奇跡的な発見によって、頂上をきわめた3人組は生還することができたのでした。まさに、超々ラッキーだったとしか言いようがありません。死の寸前で助かったのです。
 いやはや、こんな苦労までしても厳寒の冬山に登る物好きな人たちがいるのですね...、信じられません。まあ、こちらはぬくぬくとした感じで、人間ドッグのあいまにとてつもない緊迫感を味わうことが出来ました...。前から気になっていた本を本棚の奥から引っぱり出して読了したのです。

(1996年11月刊。1700円+税)

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2023年8月15日

少女たちの戦争

日本史(戦前・戦中)


(霧山昴)
著者 瀬戸内 寂聴 ほか27人 、 出版 中央公論新社

 瀬戸内寂聴は1940年(皇紀2600年祭の年)に女学校を卒業し、東京女子大に入学した。本人に言わせると、文学サークルもなく、退屈した。恋愛の相手もなく、およそ色気に乏しい青春だった。軍国色一色の青春だった。
 太宰治の『女生徒』を読み、こんなのが小説なら、私にも書ける、小説家になろうかなどと思ったりしたが、一作も書かなかった。
さすがに、たいした自信ですね。
ドイツでユダヤ人が排撃されたおかげで、ユダヤ人の音楽家が数多く日本に渡ってきた。そのおかげで、日本の音楽界は発展した。
 女子専門学校で若い英文科の教員が教室で生徒にこう言った。
 「皆さんは、じきに死ぬかもしれませんね。爆弾が落ちてくれば、そうなりそうですよね」
 「いつ死んでもいいように勉強するという気持でいてください。勉強しておくといっても、あまり時間がないかもしれません。なので、一つずつの詩とか、ほんのわずかなことで、少しでも豊かな心を養うようにしてください」
 「でも、授業中に眠ければ、眠ってもいいのですよ。そして、目が覚めたら、また聴いてください」
 なんと心の優しい教師でしょうか...。これって現代日本の教員のセリフではないのです。戦争中の話ですよ。すごいことだと思います。
 石牟礼道子は、代用教員になって、教室にのぞんだ。父親が戦死する子どもたちが、どんどん増えていく。必ず子どもたちの目つきが変わり、荒(すさ)んでくる。子どもたちの弁当などありはしない。服も靴も、学校に配給が来るのだが、90人ほどのクラスで、3ヶ月に1足来るくらいの割合だ。子どもたちは、やがて裸足(はだし)で学校に来て、暴れるようになった。
 いやはや、とんだ敗戦前の状況です。「戦争前夜」とも言われる現代日本の状況ですから、戦争にだけは絶対にならないよう、反戦、平和の声を市民に強く強く訴えかけていく必要があると、改めて思ったことでした。
(2021年11月刊。1300円+税)

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2023年8月16日

102歳、一人暮らし

人間


(霧山昴)
著者 石井 哲代 、 出版 文芸春秋

 広島県尾道市の山近くで一人暮らしする102歳の元気なおばあちゃんを中国新聞が連載で紹介しました。
 26歳で結婚、56歳まで小学校の教員。子どもはいなくて、元教員の夫も20年前に亡くなってから、ずっと一人暮らし。
 アニメの映画『この世界の片隅に』の主人公すずさんより5歳も年上。身長150センチ、体重45キロ。食事は、お肉もラーメンも、何でも食べる。好きなのは熱い日本茶。
 健康で長生きするための8つの習慣
 ①朝起きたら布団の上げおろし。...私もしています。
 ②いりこの味噌汁を飲む。...私はニンジンとリンゴの牛乳・青汁です。
 ③何でもおいしくいただく。...私も嫌いなものはありません。
 ④お天気の日はせっせと草取り。...私も日曜日の午後は庭に出て、草いじり。
 ⑤生ごみは土に還す。...私もやっています。
 ⑥こつこつ脳トレに励む。...私は毎朝、フランス語の書き取りをしています。これが一番のボケ防止策です。
 ⑦亡夫と会話する。...私は依頼者と毎日、会話しています。
 ⑧柔軟体操する。...私は寝る前、腹筋・背筋を鍛えています。
 若いころから、ずっと「さびない鍬(くわ)でありたい」と思ってきた。何かしていないと、人間もさびてしまう。体も頭も気持ちも、使い続けていると、さびない。当たり前の毎日に感謝し、ささやかなことに大喜びしている。
 いつも忙しくして、自分を慰める。自分をだましだまし、やってる。悩みはある。悩みごとは日記に書きつける。すると、心がすっとする。生き方上手になる五つの心得。
 その一、物事は表裏一体なので、良いほうに考える。
 その二、喜びの表現は大きく。
 その三、人をよく見て、知ろうとする。
 その四、マイナス感情は、笑いに変換。
 その五、お手本になる先輩を見つける。
 同じ一生なら機嫌よく生きていかんと損だ。心はお月さんのようなもの。満月のように輝きたいけれど、自分のは三日月のように、ちいと欠けている。弱いところを見せて、いろんな人に助けてもらって満月にしていこうと思っている。
私も弁護士50年近くやってきて、今では身近な若手弁護士に法律解釈を教えてもらい、事務職員に諸事万端、支えてもらってやっています。感謝・多謝の日々です。
 もう50年も続いている、「仲良しクラブ」がある。おばあさんたちが集まる。夜は10時に寝て、起きるのは午前6時半。ぐっすり眠り、途中で目は覚めない。ご飯は、1日1合食べる。新聞に虫メガネをあてて、隅々まで読む。いつも身近に辞書を置いている。
 哲代おばあちゃんは、「この時代に戦争なんて、本当に情けないこと」とロシアのウクライナ侵攻戦争を嘆いています。さすが、新聞をしっかり読んでいる人のコトバです。
 最近、病院に入院していたけれど、退院したら、毎日2時間びっちりと電子ピアノを弾いていた。いやはや、そのタフさかげんは、ほとほと頭が下がります。とてもかないません。
 哲代おばあちゃんのふくよかな笑顔の写真は、眺めていると心の安らぎを覚えます。ぜひ、無理なく引き続き健康で長生きしてほしいおばあさんの話でした。
 主体的に自由に、生きる喜びを満喫している哲代おばあちゃんを、みんなで見習いましょう。いつもニコニコして、何かを目ざすのです...。
(2023年3月刊。1400円+税)

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2023年8月17日

編集者の読書論

社会


(霧山昴)
著者 駒井 稔 、 出版 光文社新書

 私もそれなりに幅広く本を読んでいるつもりなのですが、こんな本を読むと、さすがに世の中には上には上がいるもので、とてもかなわないと思ってしまいます。
私も近く出版社からノンフィクションみたいな本を刊行しようとしているのですが、担当してもらっている編集者とのやり取りは、とても知的刺激を受けます。本はタイトルが決め手になりますので、そのタイトルの決め方、そして、オビにつけるキャッチコピーとして、何を、どこまで書くかについて、その着想のすごさには頭が下がります。そこが純然たる自費出版との決定的な違いです。
 編集者からすると、出版を成功させる条件は二つだけ。一つは、とても面白いこと、もう一つはとても安いこと。私の近刊は、自分では「とても面白い」と思っているのですが、客観的には、どうでしょうか...。そして、安い点について言えば、定価1500円なので学生でも買おうと思えば買える値段に設定しました。果たして、売れますやら...。
 編集者には、作家の書いた文章に手を入れる人と、そうでない人とがいるようです。私は弁護士会の発行する冊子の編集を何度も担当していますが、遠慮なく手を入れるようにしています。だって、漢字ばっかり、見出しもなく、文章のメリハリがない文章をみたら、赤ペンで修正(書き込み)したくなります。抑えることができません。
本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること。たえず本を読んでいると、他人の考えが、どんどん流れ込んでくる。なので、本はたくさん読めばいいということではありません。
まあ、そうはいっても、たくさん本を読むと、それはそれで、結構いいこともあるんですよ。心の琴線にビンビン響いてくる本に出会ったときのうれしさはたとえようもありません。
神保町は世界でも有数の古書街。私も、弁護士会館での会議の後に古書街をぶらつくことがあります。上京の楽しみの一つです。
世界の読むべき本の紹介のところでは、ロシアのトルストイは読んだことがある、フランスのプルーストには歯が立たなかった(『失われた時を求めて』)。
ドイツでは、やはりナチスとの戦いの本ですよね。ドイツ人が知らず識らずにヒトラー・ナチスが降参するまで戦っていたことを全否定するわけでもないということには、いささかショックを受けました。
そして、図書館の大切な役割が語られています。最近は、コーヒーチェーン店のカウンターで原稿を書くことの方が多く、図書館には滅多に入りません。残念でなりません。
自伝文学もあります。私も父母の生い立ちから死に至るまでを新書版で、まとめてみました。そのとき、意外な発見がいくつもありました。
それにしても、著者のおススメの本で私が読んでいないのが、こんなにも多いのかと、ちょっと恥ずかしいくらいでした。でも、まだまだ死ねないということですよね。楽しみながらこれからもたくさんの本を読んでいくつもりです。ちなみに、1年の半分が終わろうとしている今、240冊の単行本を読みました。これは例年並みです。
(2023年3月刊。940円+税)

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2023年8月18日

渋谷の街を自転車に乗って

社会


(霧山昴)
著者 苫 孝二 、 出版 光陽出版社

 北海道に生まれ育ち、東京に出てきて、渋谷で区議会議員(共産党)として35年間つとめた体験が素晴らしい短編小説としてまとめられています。
台風襲来で事務所が半休になったので、仕事を早々に切り上げて読みはじめ、途中から焼酎のお湯割り片手にして、一気に読み終えました。心地よい読後感です。でも、書かれている情景・状況は、どれもこれもなかなか大変かつ深刻なものがほとんどです。
 孤独死。死後、3日たって発見した遺体はゴミの山に埋まるように倒れていた。遺体の周辺には、紙パックの水と無数の使い捨てカイロがあった。部屋には暖房器具がなく、これで暖をとっていたのだろう。電気代を惜しんだのだ。室内は、どこもかしこもゴミの山。敷き詰められ、地層のようになっているゴミの山を軍手をはめて取り崩していく。デパートの紙袋は要注意だ。領収書と一緒に1万円札や千円札、そして百円玉や五十円玉などの小銭が出てくる。高齢者祝金の袋が1万円札の入ったまま見つかる。ずいぶん前から、一人暮らしになり、掃除、洗濯、炊事という人間楽し生活する気力を喪ってゴミとともに生きてきたのだ。
 人間嫌いで、近所づきあいなんてしたくないと高言し、ひっそりと生きてきた女性だった。
 アルコール依存症の人は多い。30代で依存症になり、朝から酒を飲み、一日を無為に過ごす、そして、そのことで自分を追いつめ、ますます酒に溺(おぼ)れてしまう40代後半の男がいる。若いころは大工として働いてきたが、失職したのを機に酒浸りになって、そこから脱け出そうとするが、酒を断つと食欲がなくなり、拒食症になって瘦(や)せ細り、それでまた酒に出してしまい、そんな自分が情けないと嘆いている60代の男性がいる。
アルコール依存症の人がアパートの家賃を滞納。当然、大家から追い出されそうになる。そんな人に生活保護の受給をすすめる。知り合いの不動産業者にアパートを紹介してもらう。そして、仕事も世話をする。区議会議員って、本当に大変な仕事だ。だけど、依存症は簡単には治らない。仕事をサボって、迷惑をかけてしまう。
職を転々としたあげく、なんとかスナックを開店し、意気揚々としている男性が突然、自死(自殺)したという。なんで...。
弟が、小さな声で「真相」を教えてくれる。
「兄貴は、二面性のある男なんだ。真面目で一本気なところがあって、ズルイことをする奴は許さないという面がある一方、お金のためなら密漁したり、農作物を盗むのも平気な男なんだ。だから、アワビの密漁をやっていた主犯だとバレそうになったからかも...」
ところが、弟は、次のように言い足した。
「兄貴が遺書も残さず自殺するなんて、考えられない。何か遊び半分で、いま死んだら少し楽になるんじゃないかと、首に太い縄をかけてみた、鴨居の前に立って首を吊るしてみた、そしたら急に首が締まってきて、息ができなくなってしまった。こんなはずじゃない、これは間違いだ、そう思ってもがいているうちに絶命してしまった...」
いやあ、「自殺した人」の心理って、そうかもしれないと私も思いました。お芝居の主人公になった気分で、もう一回、生き返ることができるつもり、自分が死んだら周囲の人間はどんな反応をするのか、「上」から高みの見物で眺めてみようと思って、本気で死ぬ気はないのに首に縄をかけてみた、そんな人が、実は少なくないのではないでしょうか...。自死する人の心理は、本当にさまざまだと思いました。
この14の短編小説には、著者が区議として関わった人々それぞれの人生がぎゅぎゅっと濃縮されている、そう受けとめました。まさしく、人間の尊さと愛しさ、かけがえのない人生が描かれています。東京のど真ん中の渋谷区で、こうして生きている区議会議員であり、作家がいることを知り、うれしくなりました。私も、18歳から20歳のころ、渋谷駅周辺の街をうろついていましたので、その意味でも懐かしい本でした。
著者は、私より少し年齢(とし)下の団塊世代です。ひき続きの健筆を期待します。
(2022年7月刊。1500円+税)

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2023年8月19日

秋山善吉工務店

社会


(霧山昴)
著者 中山 七里 、 出版 光文社文庫

 作者には大変申し訳のないことですが、本棚の奥に眠っていたのを引っぱり出してきて、スキ間の時間つぶしにはなるだろうと思って読みはじめたのでした。すると、意外や意外、面白い展開で、母と子ども2人の3人家族の行く末が気になって目を離せません。それに、昔気質の頑固親父といった祖父が登場して、話はどんどん展開し、いやいったい、これはどうなるのか、頁をめくるのがもどかしくなっていきました。
 父親は2階の居室にいて火災で焼け死んだため、妻子は父の実家にしばらく居候生活を始める。すると、小学生の二男は学校で火災を口実としてイジメにあい、長男のほうは悪に誘われ金もうけに走っていく。母親は職探しに奔走し、ようやく定職に就いたと思ったら、そこでも大変な目にあって...。そこに火災の原因究明に必死の警察官(刑事)まで登場してきます。父親の死が不審死だと思われているのです。
 「この爺っちゃん、只者(ただもの)じゃない!」
 これが文庫本のオビのキャッチコピーです。まさしく、そのとおりの役割。
 「家族愛と人情味あふれるミステリー」というのは間違いありません。著者がこの本を書く前に担当編集者の3人から受けたリクエストは...。
 ・アットホームな家族もので
 ・スリリングで
 ・キャラでスピンオフが作れるような
 ・社会問題を提起し
 ・もちろんミステリーで
 ・読後感が爽やかで
 ・どんでん返しは必須
 この本は、これらのリクエスト全部に見事にこたえています。さすがはプロの小説家です。モノカキを自称する私ですが、とてもとても、こんなリクエストにはこたえられません。やっぱり弁護士しか、やれそうもありません。
トホホ、「でもしか」弁護士なんですかね...。
(2019年8月刊。700円+税)

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2023年8月20日

野の果て

社会


(霧山昴)
著者 志村 ふくみ 、 出版 岩波書店

 染織家として著名な著者は随筆家でもあったのですね。知りませんでした。白寿(99歳)を記念して、自選の随筆53本が集められていますが、どれも読みごたえがあります。
 老とは、時間に目覚めることではないだろうか。ある日、ほとほとと扉を叩いて白い訪問者が訪れる。そのとき、私たちは扉を開き、快くその訪問者を招じ入れなければならない。誰も、その訪問者を拒むことはできない。老とは、そんなものである。
 藍(あい)こそ植物染料の中でもっとも複雑微妙な、神秘の世界と言ってもいいもの。この染料は、他の植物染料と根本的に異なる。藍は藍師が蒅(すくも)という状態にしたものを私たちが求めて醗酵建てという古来の方法で建てる。昔から、藍は、建てること、甕(かめ)を守ること、染めることの三つを全うして初めて芸と言えるといわれているもの。
 藍の生命は涼しさにある。健康に老いて、なお矍鑠(かくしゃく)とした品格を失わない老境の色が「かめのぞき」だ。蘇芳(すおう)の赤、紅花の紅、茜(あかね)の朱、この三つの色は、それぞれ女というものを微妙に表現している。蘇芳は、女の人の色。
 紅花の紅は、少女のもの。茜は、しっかり大地に根をはった女の色。紫は、すべての色の上位にたつ色。紫は、自分から寄り添ってくる色ではなく、常に人が追い求めてゆく色。
 四十八茶百鼠と言われるほど、日本人は百に近い鼠を見分ける大変な眼力をもっている。
工芸の仕事は、ひたすら「運・根・鈍」につきる。「運」は、自分にはこれしか道がない、自分はこれしか出来ないと思い込むようなもの、「根」は、粘り強く、一つのことを繰り返しやること。「鈍」は、物を通しての表現しかないということ、そこに安らぎもある。
植物であれば緑は一番染まりやすそうなものだが、不思議なことに単独の緑の染料はない。黄色と藍を掛けあわせなければ出来ない。闇にもっとも近い青と、光にもっとも近い黄色が混合したとき、緑という第三の色が生まれる。
工芸は、やはり材質が決定的要素、心に適(かな)う材質を選ぶのが第一。植物染料は化学繊維には染まらない。
 植物から抽出した液に真っ白な糸を浮かせ、次第に染め上がってくる、まさに色が生まれる瞬間に立ち会うことのうれしさは、何にたとえられよう。思わず染場は別天地になって、まるで自分たちが染め上がっていくような喜びが全身に伝わる。
 「源氏物語」は、色彩を骨子とする文学である。
 蘇芳そのものの原液は、赤味のある黄色である。この液の中に明礬(みょうばん)などで媒染(ばいせん)した糸をつけると、鮮烈な赤が染まる。植物染料のなかで、もっとも難しい染めは、紫と藍だ。紫は椿圧の媒染にかぎる。
 機に向かうときの喜びと緊張と期待。
 「ちょう、はたり、はたり、ちょうちょう」
 「とん、からり」
 「とん、からり」
 著者は、染めにおいて、決して色と色を混ぜない。色の重ね合わせによって、美しい織色の世界を表現する。著者の織物のカラー写真は、それこそ輝ける光沢と深みというか静けさを感じさせます。ぞくぞくする美しさです。
(2023年5月刊。3300円)

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2023年8月21日

こっぽら~と

社会


(霧山昴)
著者 ふるいけ博文 、 自費出版

 大牟田で小学校の教員を定年退職したあと著者は専業写真家として活躍しています。とはいっても、被写体は国内だけではありません。アラスカのオーロラを撮りに出かけ、中国(桂林)の山水画風景、そしてインドネシア(バリ島)の棚田など、海外にも足をのばす行動派の写真家でもあります。
 この写真集(写真物語)は10年ぶりのものです。前は還暦のとき、今度は当然ながら古稀です。そして、今回はなんと写真のキャプション(解説文)は英語つきです。それだけ国際派なのです。
 解説によると、カメラ月刊誌が3つとも休刊(廃刊)になったとのこと。これってコロナ禍の影響だけではないのでしょうね...。
タイトルの「こっぽら~と」は、大牟田弁で「一人で、のんびりと...」という意味のコトバ。たとえば、商店街のベンチにこっぽらーと座って、一日中、通行人を眺めて過ごす。そんな感じのコトバです。
 大牟田の写真家ですから、当然、三池炭鉱の遺産を紹介した写真も少なくありません。雪化粧した宮原鉱の建物があります。炭鉱社宅もいくつか残すべきでしたよね...。
 大牟田に限らず、柳川など各地のお祭りにも著者は積極的に出かけています。大牟田では、夏まつりのときの、火を吹く「大蛇山祭り」が勇壮です。子どもを「大蛇」の口に差し出して「かませ」ると、泣かない子はいません。
 鳥取砂丘に出かけて、若者がジャンプしている様子を撮った写真には生命の躍動感があります。お祭りの場面が多いですね。朝早くから、また泊まりがけで大きなカメラをかかえて出かけたのでしょうね。それでも、フィルム・カメラのときのように、ネガの管理が不要になって、助かったことでしょう。バッテリー切れを心配するだけだし、出来あがったものは、すぐに見れるし、便利な世の中になりました。
 でも、写真こそ、「一期一会」(いちごいちえ)です。この縁の結びつきは、下手すると「一生もの」なんですよね...。
 大判270頁の写真集です。チョッピリ高価な写真集ですから、学生の皆さんは親におねだりして買ってもらうのも一つの手だと思いますし、年輩の人にとっては図書館に購入するよう要請したらいいと思います。高価だからといって、簡単にあきらめたらいけません。ともかくぜひ、あなたも手にとってご一読、ご一見ください。
(2022年12月刊。4400円)

 お盆休みは、連日のように夕方5時ごろから庭の草取りをしました。庭には昔からヘビが棲みついていますので、突然の出会いを避けるためでもあります。すっかり見通しが良くなりました。いったいヘビ君は何を食べて生きているのかな、まさかモグラじゃあるまいよね...、なんて心配していました。
 翌日、家人が黒いヒモを庭で見つけて、「アレッ、何かしら...」と思っていたら、なんと動き出しました。ヘビだったのです。すっかり見通しがよくなってしまって、ヘビ君は困惑していたのかもしれません。
 広くもない庭でヘビと共存するというのは容易なことでないことを実感させられました。

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2023年8月22日

50歳からの性教育

人間


(霧山昴)
著者 村瀬 幸治、太田啓子 ほか 、 出版 河出新書

 この本のリーダーの村瀬幸治氏は81歳、「校長」の役を果たしています。校長の得た結論の一つは、「人と人が関わって生きていくうえで、性について知ることは不可欠だ」というもの。
小学校4年生か5年生のとき、男子を外に出して女子のみを対象として月経(生理)についての課外授業がある。男子が、精通について教えられることはない。
男性は包茎に悩み、正規のサイズに悩むことが多い、けれど、授業で、そんなのは気にしなくてよいと教わることがない。
 女性の月経(生理)について、「痛み止めは飲まないほうがいい」と言われて苦しんでいる女性が今も多い。そして、女性は学校で月経、妊娠、出産など女性の性については教えられても、男性の性について教えられることはない。こうやって、男女とも、お互いに相手の性について無知のまま結婚し、年齢(とし)をとっていく。
 セックスには、3つの側面がある。生殖の性、快楽共生の性そして支配の性。
 50歳になると生殖の性は終わる。ところが、快楽共生の性と支配の性はとても近い関係にあり、ややもすれば簡単に「支配」に転じる恐れがある。
 日本人女性の閉経(生理の終了期)の平均年齢は50歳。多くの女性は45~55歳が更年期。男性は少し幅が広く、40代~50代にかけてスタートする。
女性は卵巣の機能が低下し、そこから分泌される女性ホルモンの一種、エストロゲンの量が減る。女性の身体は、エストロゲンに守られてきた。それが分泌されなくなると、不調になりやすい。
 男性では、テストステロンという男性ホルモンが減少し、それによる不調が出ることがある。
 この更年期に「プレ」はない。
女性の身体を機能させているのは子宮よりも卵巣。男性の更年期もメカニズムは女性と同じで、40歳を過ぎたころからテストステロンという男性ホルモンの量が徐々に低下する。
 太田啓子弁護士は「アンラーン」という考え方を指摘しています。初めて聞くコトバです。
 学び直し、学習棄却、学びほぐしと訳されるそうです。過去に学習したことからくる思考の癖や思い込みを手放すという意味です。それをして初めて、新たに成長する準備が整う。
 性別役割分業は過去のもの...。そうあってほしいけれど、残念なことに今でもしっかり温存されている。
 太田弁護士は、不機嫌で人(妻)を動かす夫なるものを指摘しています。ずっと不機嫌で、威圧的な態度でいる、これだけで相手をコントロールできる、これも精神的DVだ。だけど、これにすぐ気がつく人は多くない。ホント、そうなんですよね...。自戒の意味を込めて、同感です。
 結婚する前には、結婚してみないと、DV夫になるかどうかは「わからない」ものだとも太田弁護士は強調します。これまた、異論ありません。一緒に生活してみて分かることは、実は少なくないのです。外でデートしているだけでは分からないのです。
 DV夫にも「ハネムーン期」が来て、涙ながらに謝罪して許しを請い、もう決して暴力なんかしないと約束します。そのとき、本人は、本気でそう思っているのです。でも、やがて、それが爆発期へ移行する。このパターンをたどる男性は少なくなく、有名人にもしばしば出現しています。
 この本のなかで、最もショッキングなのは、次の指摘です。これには、思わず、なんていうこと...と叫んでしまいました。
 世界各国でセックスの頻度と満足度を調査したら、日本は頻度も満足度も最下位。世界一セックスしていないし、しても満足していない国だ。なぜか...。日本では、セックスが男性と女性の互いの楽しみではなく、攻撃と支配の手段になっている。これでは女性がつらいのは当然のことだけど、男性も実は楽しくない。
 いやあ、これだったら、日本で不倫が日常茶飯事なのは当然ですよね...。
 後期高齢者に近づいている私にも、大変勉強になる本でした。
(2023年4月刊。935円+税)

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2023年8月23日

兄・中学生物語

人間


(霧山昴)
著者 干田 實 、 出版 (株)MJM

 岩手県で「田舎弁護士(いなべん)」を自称する著者は80歳、弁護士生活も50年になります。戦後まもなく、全国的に食糧難の時代に中学3年生だった長兄が家計を助けるため、学校に行かずに母親と一緒に1年間、魚の行商生活を送った日々を紹介しています。
 長兄(満穂)は、中古車販売の会社で成功しますが、その基礎には、中学3年生の1年間の行商生活でつちかった商魂と商才、そして商哲学(信用)の三つがあった。さらには運をつかむという、人間の域を超えたと思える完成による。
 一つは、商売は一生懸命でなければならないという商売への熱意。
 二つには、商売がうまくできる才能を磨かなければならないという商売のコツ。
 三つは、商売は、人間として世間から信頼され続けなければならないという人間のあり方。
 長兄は、夕食のあと、両親そして4人の弟たちの前で「明日から、母ちゃんと一緒に行商に出る」と宣言した。病弱の父親は頼りにならず、次兄と著者は弟たちの面倒をみることを約束させられた。ときは昭和27(1952)年のこと。
宣言したとおり、長兄は4月から翌年3月までの1年間、魚の行商を母親と一緒に遂行した。そして行商を終え、中学を卒業すると同時に岩手県南バスに就職した。そこで自動車修理の技術を身につけたことが成人してから生きた。
 行商で売るのは、魚や身を干して保存できるようにした干物(ひもの)。山間部の農家を一軒一軒、まわって売り歩く。背中にアルミニウムの一斗缶を大きな風呂敷に包んで背負い、両手には竹籠を下げ、誰も行かないような山奥の農家、街まで買い物に出るのが難しいような家を一軒一軒歩いて回り、干物を売る。母親は集落の西側から、長兄は集落の東側から一軒一軒、農家を訪ねて売り歩き、夕方、集落の真ん中付近で落ち合うというやり方。
 落ち合ったときにまだ売れ残っているものがあれば、それを一つにまとめ、母親を先に帰し、長兄はもう一度、集落内の農家に向かい、買ってくれそうな家に行って再び行商する。一度断られても、もう一度、買ってくれるようお願いする。
 注文を受けているものを売り歩くわけではない行商は、一度目はたいてい断られる。断られて「はい、分かりました」と引き下がったら行商は成りたたない。断られながらも、何とかして少しでも買ってもらうための努力を尽くさなければならない。行商は、はじめから、そんな商売なのだ。
 行商は、買いたいと思って店を訪ねてくる人に物を売る商売ではない。同じ商売といっても、客のほうから買いに来てくれる店での商売とは、そこが根本的に異なる。行商は、買う気のない人を訪ねて、買う気にさせなければならない。なので、難易度の高い商売だ。
 セールスは断られてからのスタートだ。商売は、あきらめてはならず、粘り強くがんばらなければならないもの。
 長兄は、干物よりも利幅の大きい生魚を売らないといけないと考えた。しかし、生魚はすぐに腐るから、その日のうちに売ってしまわなければいけない。リスクは大きい。でも、売れたら、もうけが大きい。商売にはリスクがともなう。それをいかにして小さく抑えるかが、勝負どこなのだ。
 長兄は、母親と一緒に、それまでの干物のほか、魚の加工品と生魚まで扱うようにした。長兄は、母親と落ちあったときに生魚が売れ残っていると、もう一度、農家をまわって、こう言った。「このまま魚を持ち帰っても悪くなってしまう。捨てるよりは、安くしますから、買ってください。お金でなくてもいいです」
すると、農家の年寄りは、「小豆(あずき)でよかったら、交換しよう」と言ってくれる。
長兄が、「米でも麦でも、大豆でも小豆でもよい。思い切り安くするので買ってほしい。これを売り切らないと、明日の仕入が出来ない。家には小さな弟たちが4人も待っているので、食べさせてやりたい」と言うと、農家の人は、「それは、大変だな」「じゃあ、かわいそうだから、小豆をやるから魚を置いていけ」と言ってくれる。そのうえ、泥のついたジャガイモ、大根、にんじんなどまで持たせてくれる。それでも売れ残った生魚があると、母親に頼んでその夜のうちに塩漬けにしてもらい、優しくしてくれた農家に持っていって、「この間のお礼です」と差し出す。
長兄が物々交換でもらった小豆は街中(まちなか)の菓子屋に持っていくと、高値で買い取ってくれる。長兄は、売り歩く魚よりも、夜帰るとき、農家から物々交換でもらった大豆や小豆、そして米や野菜など、かえって重くなるのが、いつものことだった。なので、著者の家は食糧難をたちまち脱出することができた。
「こんな遅くまで、夕食も食べずにお腹が空いているだろう」といって、長兄は芋やトウモロコシ、そしてトマトなどを食べさせてもらった。生魚を全部売り切り、ご馳走になり、お土産までもらって、長兄が家に帰るのは夜9時になった。
いやあ、いい話でした。根性がありますね。中学3年生でこんな経験をしたのですから、成人して中古自動車販売業を始めると、たちまち成功したのも必然ですよね。
85歳になる今も長兄は元気だそうです。いい本をありがとうございました。
(2023年7月刊。550円)

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2023年8月24日

無限発話

韓国


(霧山昴)
著者 ムンチ 、 出版 梨の木舎

 著者の正式な名前は「性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ」です。そして、タイトルの副題は「買われた私たちが語る性売買の現場」です。
 女性が自分の身体を売る(性売買)というのが、こんなにも苛酷なものなのか、思わず息を呑んでしまいます。
 1日に少なくて6人、最大11人の客を取る。11人の客を取ったときは、シャワー22回、性感マッサージは水台でボディ全面11回、背面11回、肛門もマッサージしてから部屋に戻ってラブジェルなしで前から後ろから11回、本番11回、抜いてあげる(射精)は合計22回。
 夕方6時から朝6時まで休みなく、洗い、くわえ、しゃぶり、体でこすって射精させるのがミッションだ。
 客の支払う料金18万ウォンのうち、「私」の取り分は8万ウォン。11人の客を取ったら88万ウォン。12時間働いて88万ウォンなら、けっこうな額だ。だけど、借金を支払ったら、手元に残るのは5万ウォン。涙が出る。力が抜けて、食欲も出ない。
 部屋の入口上の天井には赤いランプがついている。取り締まりがあると、音はならずに赤く点灯してクルクル回る。ランプがまわると二人とも急いで服を着て、ドアを開けて裏口から逃げる。逃げ出すのに2分以上もかかってはいけない。
 店は、客のタバコ代、カラオケの新曲代、カラオケ機の修理代、おつまみの材料費、水道光熱費、部屋代を徴収する。客がチップをくれても、みな店主が取り上げる。
 買春者(客)がするのは性行為だけとは限らない。お王様のように振る舞いたい、侮辱したい、あらゆるファンタジーを満たされたい、わがまま放題したい、悪態をつきたい、殴りたい...。暴力のバリエーションは無限だ。彼らはエゴイストになりに、性売買の店にやって来る。
 ルームサロンでは、店主は客にばれないよう酒を捨てるよう指示する。売り上げがアップするためだ。そのことが客にバレたときは、店主は女性に全額を借金として押しつける。
 タバンで女性がお金を稼ぐことができない。仕事を休んだら欠勤ペナルティ、遅刻したら遅刻ペナルティが、借金として積もっていく。半休とっても1日分として計算される。
 「セックスワーク」が本当に労働として認められる仕事だと言えるためには、1年も働けば技術が身について待遇もよくなるはずだけど、1年たってみたら稼ぎも待遇も前より悪くなっている。長くいるほど、かえって、お局(つぼね)扱い、くそ客処理係をさせられる。どんな病気になっても自己責任。みんな買春者から病気を移されたのに...。
 買春者は、性欲を解消するため性売買すると思われている。しかし、実際の現場では、それが第一の理由ではない。誰かから疎(うと)まれているとか、日頃感じているストレスの憂さ晴らしをしていく...。自分の中にたまった日常のカスを女性というゴミ箱に捨てていく。身近な人たちには出来ないことを、ここに来て、晴らしている。
 現場の生の声を集めていて、いかにも切実すぎるほどの内容です。韓国の厳しい状況は分かりましたが、ではわが日本の状況はどうなっているのでしょうか...。世の中は知らないことだらけです。人間として生きることの大切さをお互いもっと強調する必要があると痛感しました。
(2023年7月刊。1800円+税)

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2023年8月25日

世間と人間

司法


(霧山昴)
著者 三淵 忠彦 、 出版 鉄筆

 初代の最高裁判所長官だった著者によるエッセーの復刻版です。
 最高裁長官というと、今ではかの田中耕太郎をすぐに連想ゲームのように思い出します。
 砂川事件の最高裁判決を書くとき、実質的な当事者であるメリカ政府を代表する駐日大使に評議の秘密を意図的に洩らしていたどころか、そのうえアメリカ政府の指示するとおりに判決をまとめていったという許しがたい男です。
 ですから、私は、こんな砂川事件の最高裁判決は先例としての価値はまったくないと考えています。ところが、今でも自民党やそれに追随する御用学者のなかに、砂川事件の最高裁判決を引用して議論する人がいます。まさしく「サイテー」な連中です。
 ということを吐き出してしまい、ここで息を整えて、初代長官のエッセーに戻ります。
 片山哲・社会党政権で任命されたこともあったのでしょうが、著者の立場はすこぶるリベラルです。ぶれがありません。
 厳刑酷罰論というのは、いつの時代にも存在する、珍しくもない議論だ。つまり、悪いことをした奴は厳しく処罰すべきで、どしどし死刑にしたほうが良いとする意見です。
 でも、待ったと、著者は言います。厳刑酷罰でもって、犯罪をなくすことはできない。世の中が治まらないと、犯罪は多くなる。生活が安定しないと、犯罪が増えるのは当然のこと。だから、人々が安楽に生活し、文化的な生活を楽しめるようにする政治を実現するのが先決だ。こう著者はいうのです。まったくもって同感です。異議ありません。
 東京高裁管内の地裁部長会同が開かれたときのこと。会議の最中に、高裁長官に小声で耳打ちする者がいた。そのとき、高裁長官は、大きな声で、こう言った。
「裁判所には秘密はない。また、あるべきはずがない。列席の判事諸君に聞かせてならないようなことは、私は聞きたくない。また、聞く必要がない」
その場の全員が、これを聞いて驚いた。それは、そうでしょう。今や、裁判所は秘密だらけになってしまっています。かつてあった裁判官会議なんて開かれていませんし、自由闊達で討議する雰囲気なんて、とっくに喪われてしまいました。残念なことです。上からの裁判官の評価は、まるで闇の中にあります。
「裁判所は公明正大なところで、そこには秘密の存在を許さない」
こんなことを今の裁判官は一人として考えていないと私は確信しています。残念ながら、ですが...。
江戸時代末期の川路聖謨(としあきら)は、部下に対して、大事な事件をよく調べるように注意するよう、こう言った。
「これは急ぎの御用だから、ゆっくりやってくれ」
急ぎの御用を急がせると、それを担当した人は、急ぐためにあわてふためいて、しばしばやり直しを繰り返して、かえって仕事が遅延することがある。静かに心を落ち着けて、ゆっくり取りかかると、やり直しを繰り返すことはなく、仕事はかえってはかどるものなのだ。うむむ、なーるほど、そういうもなんですよね、たしかに...。
徳川二代将軍の秀忠は、あるとき、裁判において、「ろくを裁かねばならない」と言った。この「ろく」とは何か...。「ろくでなし」の「ろく」だろう。つまり、「正しい」というほどの意味。
訴訟に負けた人の生活ができなくなるようでは困るので、生活ができるようにする必要があるということ...。たしかに、私人間同士の一般民事事件においては、双方の生活が成り立つように配慮する必要がある、私は、いつも痛感しています。
著者は最高裁長官になったとき、公邸に入居できるよう整うまで、小田原から毎日、電車で通勤したそうです。そのとき67歳の著者のため、他の乗客が当番で著者のために電車で座れるように席を確保してくれていたとのこと。信じられません...。
私の同期(26期)も最高裁長官をつとめましたが、引退後は、いったい何をしているのでしょうか。あまり自主規制せず、市民の前に顔を出してもいいように思うのですが...。
(2023年5月刊。2800円+税)

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2023年8月26日

やまと尼寺精進日記(3)

社会


(霧山昴)
著者 NHK制作班 、 出版 NHK出版

 「やまと尼寺、精進日記」は私の大好きな番組でした。録画してもらって、日曜日の夜に、寝る前みて楽しんでいました。ともかく紹介される精進料理がどれもこれも、とても美味しそうなのです。
 しかも、素材はみな地元産のとれとれのものばかり。それを住職と副住職、それにお手伝いのまっちゃんという女性3人が笑いながらも真剣に料理をこしらえていきます。さすがにNHKの撮影も見事でした。
この番組は2016年に始まり、2020年3月に撮影終了。4年間でした。今は、住職ひとり、そして別なお手伝いの人が来ているようです。
お寺は奈良県桜井市にある音羽(おとば)山の中腹にある音羽山観音寺(融通念仏宗)。創建は奈良時代で、かつては山岳修行の場だったというのです。車でお寺に乗り入れることはできません。歩いて50分もかかります。
 住職の後藤密榮さんは、30年もこの寺を守り続けてきました。ほとんどものを買わず、山の恵みと里から届けられる食材を知恵と工夫でおいしくしてしまう料理名人。よく笑い、よく食べる。一人暮らしの山中の尼寺で単調な生活...。いえ、全然違うのです。
 住職はきのうと違う今日を生み出す達人なのです。たとえば、夏には香草ごまだれそうめんです。金ごまを鍋で煎(い)る。香りが出るまで中火でゆっくり、焦がさないように注意しながら。そして、すり鉢(ばち)に入れてする。すれてきたら、刻んだバジル、エゴマ、青じそ、しその実を加え、そしてする。いやあ、おいしそうなそうめんですよね...。食べてみたいです。白菜を千切りにして、納豆をからめたサラダもおいしそうです。
住職は、年齢や職業を訊くことなく、ただ「お寺に集う仲間」として迎え入れる。お互い、ありのまま付きあいましょうということ。なんとも心地が良い。
お寺の庭は、季節ごとの草花と樹木の花で彩られる。そして、室内にも季節の花を活けて飾ります。わが家の庭は、少し前までアガパンサスの花が咲いていました。そして、ブルーベリーも収穫できました。今は、アサガオが咲きはじめていて、サツマイモを待っています。ヒマワリのタネを植えたのですが、大雨のせいか芽が出ていません。苗を買うしかないかもしれません。
高菜の油炒めに住職が初挑戦。これは筑後地方で定番の郷土料理です。子どものころは、これをおかずにして白メシのお代わりをしていました。
粉吹きいもには、少し砂糖を入れたら、さらに美味しくなるそうです。
 4年間の番組を担当したプロデューサーのコトバもいいですよ。ひとりだけど、孤独じゃない。そうなんですよね。人間、みんなどこかで支えあって生きているのです。また、生かされているのです。
 こんないい番組があったなんて知らない人がいて、お気の毒に...と、つい思ったりしました。
(2022年11月刊。1600円+税)

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2023年8月27日

スペイン市民戦争とアジア

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 石川 捷治・中村 直樹 、 出版 九州大学出版会

 スペイン内戦は、1936年7月に始まった。フランコ将軍らが人民戦線政府に対して軍部クーデターを起こしたことによる。このとき、陸軍の半分、空軍と海軍の多くは政府を支持していた。この内戦は、人々の予想に反して長期化した。
 1939年1月にバルセローナが陥落し、4月1日、フランコは内戦終結を宣言した。それから1975年までフランコ独裁体制が続いた。
2年8ヶ月に及んだ内戦のなかで、フランコの反乱軍側はドイツ・イタリアのナチ・ファシスト政権から強力な支援を受けた。アメリカ・イギリス・フランスが「中立」と称して不干渉政策をとって政権側を支援しないなか、世界55ヶ国から4万人をこえる人々が「国際義勇兵」として政権側を支援した。
 スターリンのソ連軍も政権側を支援したが、アナキストたちと内部で衝突するなど、反乱軍に対抗する陣営は一枚岩ではなかった。
 この本で、著者は、スペイン内戦は、市民戦争に該当すると定義づけています。
そして、アジアからもかなりの人々がスペイン市民戦争に参戦したのです。日本人としては、北海道出身のジャック白井が有名です。アメリカに渡ってレストランで働いた経験を生かしてスペインではコックとして活躍していましたが、激戦の最中に戦死してしまいました。
 このジャック白井と同じマシンガン部隊にいたというジミー・ムーンさんに著者はロンドンで出会って話を聞いています。そして、スペインに渡ったイギリスの元義勇兵とパブで話し込んだ実感から、彼らは特別の人ではなく、ごく普通の人、正義感の強い、率直な市民・労働者だということを確信しました。ただし、一緒にスペインに渡った仲間の3分の1は戦死したし、イギリスに戻ってからは政治上、職業上の差別待遇を受けたということも判明したとのこと。なーるほど、ですね。
 国際義勇兵は、国際旅団を結成して、フランコ側の反乱軍と戦った。アメリカのヘミングウェイ、イギリスのジョージ・オーウェル、フランスのアンドレ・マルローやシモーヌ・ヴェイユなど、あまりに著名な文化人が参加した。幸い、これらの人々は全員、死ぬことはなかった。ただ、写真家キャパの恋人ゲルダは事故死した。
 スペイン市民戦争のなかで、共和国側の人々は70万人が死亡した。戦死したのは30万人で、残る40万人はフランコ派に捕えられて、処刑された。フランコ派による逮捕・処刑の続く日々を描いたスペイン映画をみたことがあります。朝鮮戦争の最中に起きたような同胞同士の殺し合いに似た、寒々とした状況です。
 日本政府は1937(昭和12)年12月1日、フランコ政権を正式に承認した。翌2日、フランコ政権は「満州国」を承認した。
フランコが死んだのは1975年11月。それから、すでに48年たち、スペイン社会も大きく変わった(らしい)。でも、いったいファシスト政権との戦いの意義を再確認しなくてよいのか、考えなおす必要があるように思えてなりません。
著者の石川先生から、最近、贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2020年8月刊。1800円+税)

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2023年8月28日

老いの福袋

人間


(霧山昴)
著者 樋口 恵子 、 出版 中央公論新社

 ヒグチさんは88歳、「ヨタヘロ期」を明るく生きています。後期高齢者入りを目前にした私にとって、大変参考になる指摘のオンパレードでした。それにしても88歳で、こんな元気の出る本を出せるなんて、ヒグチさんは本当にたいしたものです。
 ヒグチさんは、夫に先立たれ、独身の一人娘さん(医師)と2人で生活しています。週に2回は「シルバー人材センター」の人に来てもらって家事をしてもらいます。また、助手の人(親戚)もやって来ます。なので、孤独死の心配はしなくてすみます。
 ヒグチさんは、70歳のとき、かの女性差別論者の石原慎太郎に対抗して、東京都知事選挙に出ました。わずかな準備期間なのに82万票もとったというのですから、すごいです。それにしても石原慎太郎って、ひどい男ですよね。ほとんど都知事として出勤することなく、作家業と遊びに専念していたようです。それでも、実態を知らずに(知らされずに)と知事に投票した都民が大勢いたのは本当に残念です。
 それはともかく、「ヨタヘロ期」とは...。もう何をするにも、ヨタヨタ、ヘロヘロ...。フレイルとは、加齢とともに心身の活力が低下し、健康や生活に障害を起こしやすくなった状態、つまり老人特有の虚弱。サルコペニアとは、高齢になるにともない、筋肉量が減少していく現象。著者は、その両方をあわせて、「ヨタヘロ期」と呼んでいます。とてもイメージがつかめます。
 「ピンピンコロリ」は理想であって、現実的ではない。実際には、ヨロヨロ、ドタリ、寝たきり往生する人のほうが多い。つまり、ある日、バタリと死ねるのではなくヨタヘロ期を通過して、何年も寝込むのが現実的。ヨタヘロ期は、朝、起きるだけでも一(ひと)仕事。80歳をすぎると、料理するのがおっくうになってしまう。
ヒグチさんが、冷蔵庫のなかのもので簡単にすませていたら、なんと、低栄養で貧血になってしまったとのこと、それは大変です。やっぱり、ちゃんと食べなくてはいけません。
 そして、ヨタヘロ期になると、買い物までおっくうになってしまった。朝、起きたとき、空腹感を感じないので、料理しようという気にならず、それで買い物に行くのも面倒になってしまうのです。
 ヒグチさんは、食事フレンド(食フレ)をつくって、たまに外食を一緒にするとか、「孤食」を避けるよう工夫することをすすめています。なーるほど、ですね。老いたら、できるだけ予定を入れて、「多忙老人」になり、「老っ苦う」の連鎖を断ち切る。ヒグチさんのアドバイスです。
 高齢になってからも仕事があり、「自分も社会の役に立っている」と実感できることは心の支えになる。まさしく、今の私にあてはまります。定年のない弁護士のありがたみです。
 ヒグチさんは、無理な断捨離(だんしゃり)をすすめません。子どもに迷惑をかけるので、ガラクタも残すけれど、少々の遺産も残したらいいというのです。これまた、一つの考えです。でも、私は子どものころから整理整頓が大好きでしたので、大胆な断捨離をすすめています。私の担当した事件ファイルは法定の保存期間を過ぎたものは、私が選別して捨て、また保存しています。ですから、50年近く前の事件も残しているものがあります。自宅の本もかなり捨てました。それでも大学生のころに読んだ文庫本も残していたりします。恐らく2万冊ほどは書庫に本があると思いますが、書庫に並べられる限りとし、それ以上のものは選別して捨てています。すぐに捨てるのはもったいないので、法律事務所にもっていって、所員に拾ってもらい、拾われなかった本を捨てるのです。前は書庫には、後列にまで本があったり、横に寝かせたりもしていました。今では、みな背表紙がすぐ読めるようにしています。そうしないと書庫においておく意味がないからです。
 子どもに親が言ってはならないコトバは「あなたの世話になんかならない」とのこと。私も肝に銘じています。いずれはお世話にならざるをえないからです。
そして、親は、最後まで自己決定権を手放してはいけない。つまり、財産(家や預金)を子どもに渡してはいけないのです。私も弁護士としての経験から大賛成です。少しずつ子どもに贈与するのはいいのです。でも、全財産を子どもに渡したら絶対にダメなんです。あとは年金だけ、それも通帳管理は子どもがしているなんていうのは最悪のパターンです。
「ファミレス時代」というのを初めて知りました。ファミリーレス、つまり家族がいない人のこと。50歳児の未婚率は、男性23.4%、女性14.1%(2015年)。65歳以上の「夫婦のみ世帯」は全世帯の32.3%(2018年)。つまり、ケアを担う家族が減って、介護を必要とする高齢者は増えていくという世の中になりつつあるのです。
お互い、健康で、また楽しく過ごせる毎日でありたいものですよね...。
(2021年5月刊。1400円+税)

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2023年8月29日

『小右記』と王朝時代

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 倉本 一宏 ・ 加藤 友康 ・ 小倉 慈司 、 出版 吉川弘文館

 『小右(しょうゆう)記』は、平安時代、藤原道長と同じころに生きた貴族・藤原実資(さねすけ)の書いた日記。実資は90歳で亡くなったが、右大臣にまで上りつめていて、21歳から84歳までの63年間、日記を書き続けた。
 この日記には、当時の政務や儀式運営の様子が詳細かつ精確に記録されている。
 『小右記』は、実資個人の日記というだけでなく、小野宮(おののみや)家にとっての共有財産だった。つまり、小野宮家をあげて情報を持ち寄り、それを総合して記事としたもの。
 鎌倉時代の貴族である藤原定家は、夢のなかで実資と会ったことを『明月記』に記載している。それほど、定家は『小右記』を熱心に読み込んでいた。実資は、藤原道綱を罵倒していることで有名だ。
 「先輩の自分が先に大納言(だいなごん)になるべきだろう。ましてや貴族の中でも博識で能力ある自分を差し置いて、名前がやっと書ける程度で、漢籍などの知識のないあいつが何で昇進するのか...」と怒っている。
 道綱について、功労や才能がないのに、いたずらに禄を受けるもの、職責を果たさないのに高位高官にいるものと厳しく批判した。実資は、一条天皇のキサキ藤原彰子を評価していた。この彰子の伝言を実資や小野宮一家に取り次ぐ女房が紫式部だった。
 実資は健康に気を配り、輸入品から作られる貴重な薬をことあるごとに摂取していた。
平安時代の1人の貴族の書いた63年間もの日記の意義をかなり分かりやすく(「かなり」というより、実のところ難しいところが多々ありました)。解説してくれている本です。平安時代の雰囲気を少しばかり味わうことができました。
(2023年5月刊。3800円+税)

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2023年8月30日

戦争法制を許さない北の声

社会


(霧山昴)
著者 髙崎 暢 、 出版 寿郎社

 安保法制の違憲性を司法の場で明らかにしようとした北海道訴訟の記録集です。本文2段組で、なんと790頁もあります。思わず、昼寝用の枕にちょうど良いと皮肉られた井上ひさしの『吉里吉里人』を調べてみました。それは843頁ですから、さすがに上には上があるものです。それでも、2段組の本書のほうが、勝っているんじゃないかと思い、念のために再度『吉里吉里人』を見てみると、なんとなんと、こちらも2段組だったのです。さすがに井上ひさし大先生にかなうものはいないということです。
 盆休みも終えて、少し暇なところに届きましたので、暇にあわせて、午後から読みはじめました。というのも、同期の岩本勝彦弁護士より、書評を書いて紹介せよという指示が添えられていたのです。この指示に背くわけにはいきません。他の仕事そっちのけで、自宅に持ち帰って、夜までかかって、その日のうちに読了しました。私の取り柄は、なんといっても速読なのです。
この北海道訴訟は一審・二審と敗訴して、上告は断念しています。一審(岡山忠広裁判長)は証人調べも一切やっていません。原告弁護団が忌避申立したのも当然です。でも、控訴審(長谷川恭弘裁判長)も、結局は、一審判決を是認し、控訴棄却としました。
田中健太郎弁護士は、「憲法は多数決民主主義の欠陥を裁判所の違憲立法審査制度で正し、個人の人権を保障したり平和と人権の体系である憲法秩序を維持させようとしているのに、裁判官たちは職責を果たそうとせず逃げ回った」と、厳しく弾劾しています。
一審判決は、「現時点においても、戦争やテロリズムによる原告らの生命・身体及び財産等の侵害の危険が切迫し、現実のものとなったとはいえない」「恐怖や不安を抱いたとしても、それは漠然かつ抽象的な不安感にとどまるものと言わざるを得ず、原告らの人格権ないし法律上保護される利益が侵害されたということはできない」「原告らの抱く不安や恐怖は、同時点においては未だ抽象的な不安の域を出ないというものである」と判示したのです。この裁判官たちは、あのJアラートの切迫感あふれる「警告」をまったく聞いていないようです。
そして、二審判決においても「平和的生存権が憲法によって保護された身体的権利であるとはいえない」として、原告団の主張を排斥するだけでした。
そこで、次に、原告となった人たちの主張を紹介します。
この本で圧巻なのは132人の思いが込められた陳述書です。
戦争体験のない人がほとんどですが、それでも身内に戦死者がいるというのは珍しくありません。しかも、それは戦死というより餓死であったり、輸送船が撃沈されて亡くなったりというものです。むしろ戦場で敵の弾丸によって戦死したというのは少ないのではないでしょうか。さらに、私も記憶がありますが、戦後まもなくは、駅頭に白装束の男性が何人か立っていて通行人にカンパを訴える光景をよく見かけました。傷痍(しょうい)軍人です。戦場で負傷した人たちの生活が守られていなかったのです。
ある人が、こう書いています。「戦争はいったん始まってしまうと、誰も責任を取ることなく、無責任に遂行されることは歴史が証明している」。ロシアのウクライナ侵略戦争がまさに、これを証明しています。戦争にならないように懸命に努力するしかないのです。
北朝鮮がロケットを飛ばすと、日本ではJアラートが発令されて、大々的に警戒発令となりますが、韓国では何事もなくフツーの日常生活です。日本政府は日本国民を恐怖で脅しているのです。
北海道では、毎年500人以上の高校生が卒業後自衛官になります。そのとき、他国の若者と武器を持って殺し合うことなど、考えにありません。せいぜい、災害救助のときの活躍のイメージでしょう。
現職の自衛官を息子にもちながら反戦・平和を叫び続けている平和子さん(仮名)は、ついに自衛官の息子に絶縁状を書き、息子との連絡は絶ってしまいました。息子には妻子がいて、生活を考えると、自衛隊を退職するのは容易なことではないと考えています。
それでも、平和子さんにとって、息子の命が奪われることは、自分の身が引き裂かれるのと同じ。そして、平和子さんは、自分の息子さえ無事であればいいとは考えていません。息子の無事のためだけでなく、それ以降の世代のためにも、まだ見ぬ子どもや孫のためにも、安保法制の違憲を命ある限り訴え続けたいと結んでいます。
かの有名な恵庭(えにわ)事件の元被告だった野崎健美さんも原告の一人です。野崎さんは昭和10(1935)年生まれで、日本敗戦時は国民学校5年生。両親の営む野崎牧場は自衛隊の演習場に隣接していて、ジェット機の轟音、そして大砲の射撃訓練によって、乳牛の育成に多大の困難・支障が生じました。それで、抗議するため、自衛隊の連絡用通信線を切断したのです。被害額は、せいぜい数百円。そして、器物損壊罪で始まった取り調べは、起訴されたときには自衛隊法121条違反となっていたのです。それで、たちまち全国480人の弁護士が応援する大裁判になりました。野崎さんは大いに勉強し、裁判のなかでは、基地公害と自衛隊の反国民性に焦点をあてて主張しました。
自衛隊トップの栗栖統幕議長が、自衛隊とは何を端的に言ったのは、このころのこと。「自衛隊は国民を守るためにあるのではない。天皇を中心とする団体を守るためにある。国民は勘違いしている」
この裁判で、裁判官は、法廷で検察官に対して論告・求刑を禁止したというのです。信じられません。「ただし、自衛隊の合憲性についての論告は許可します」。
この裁判では、自衛隊と自衛隊法が合憲かどうかだけが争点になったのです。ところが、裁判官は肩すかしの「無罪判決」。この無罪判決を聞いた検察官は怒ったり、落胆するどころか、「良かった、良かった」と肩をたたきあって喜んだのでした。もちろん、検察官は控訴せず、確定。被告人も無罪判決ですから、控訴できません。
野崎さんは言います。「平和を生きる権利」を守るためには、不断の努力が必要で、憲法はその武器になる。本当に、そのとおりだと思います。流されてはいけません。そして、小さくても、そこで声を上げる必要があります。
アジア・太平洋戦争に召集され、戦後に駆り出された兵士たちは「お国のために」命を捧げたはずですが、実のところ、日本が仕掛けた大義のない侵略的戦争だったわけですから、「国家に殺された」のです。そんなことを繰り返すわけにはいきません。
原告弁護団の共同代表である藤本明、高崎暢の両弁護士は、私も以前からよく知っていますが、実働の常任弁護士は、10人ほどで、良く言えば「少数精鋭」だったとのこと。大変だったと思います。そう言えば、福岡もほとんど同じです(私は法廷に参加するだけで、実働はしていません)。
一審裁判のとき、岡山忠広裁判長が、まさかの証人申請却下・終審を宣告したとき、高崎暢弁護士は、すぐ「忌避します」と言った。そうなんです。裁判官の不当な訴訟指揮には勇気をもって忌避申立すべきです。私の自慢は、弁護士2年目のとき、一般民事裁判で裁判官に対して忌避申立したことです。代理人は私ひとりで、とっさに申立しました。何の事前準備もありません。事務所に戻って報告すると、先輩弁護士たちから、「勇気あるね」と皮肉なのか、励ましなのか分からないコメントをもらいました。今でも、私は、このとき、「忌避します」と言ったことを、ひそかに誇りに思っています。たとえ弁護士2年目でも、おかしいと思ったらおかしいと言うのは正しいのです。もちろん、忌避申立すると、少しばかり(2~3ヶ月)、裁判が遅くなります。でも、それは明渡を求められる被告事件なので、訴訟遅延は喜ばれるだけということは私にも分かっていました。
本論に戻って、北海道裁判の原告と弁護団は、「断腸の思い」で、上告を断念しました。その残念な思いが、この部厚い記録集に結実したわけです。本当にお疲れさまでした。髙崎暢弁護士より贈呈していただきました。ありがとうございます。
                           (2023年7月刊。4500円+税)

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2023年8月31日

半導体産業のすべて

社会


(霧山昴)
著者 菊地 正典 、 出版 ダイヤモンド社

 世界の半導体市場のなかで、日本は1990年には49%と世界の半数を占めていた。ところが、今では凋落の一途で、2020年には、わずか6%、今後さらに低下していく見込みだ。同じく半導体メーカーの売上高ランキングをみてみると、1992年には世界トップ10(テン)のうち、日本のメーカーが6社いた。ところが2021年にはわずか1社のみ。
 「ジャパン・アス・ナンバーワン」なんて時代は、今やすっかり過去も過去の話なんです。
 なぜ、日本は半導体の世界でこんなに凋落してしまったのか...。
 第一に、アメリカと1986年に結んで「日米半導体協定」によって、日本はアメリカにコストデータ等の報告義務が課され、またアメリカの製品の購買義務まで課された。
 韓国、中国、台湾は政府の手厚い庇護を受けて伸ばしていたのに、日本政府はアメリカの言いなりでしかなかった。
 第二に、日本のメーカーにおいて半導体事業は一部門でしかなく、メーカー内の「新参者」扱いをされていた。要するに、経営陣が育成の目をもっていなかったということ。
 第三に、日本の企業トップは半導体に関わる先端的製造技術が求められていることを理解できず、従来の立場に固執するばかりだった。
 第四に、半導体業界の不振に国が適切な手をうたず、弱者連合になってしまったこと。
この本の著者は書いていませんが、科学・技術の自由な発展のためには、学問そして科学・技術の世界に権力が目先の成果ばかりを求めて介入してくるのは大きな間違いだということです。それはいったい何の役に立つのか、そんな愚問を言わず、投げかけず、学者・科学者に好き勝手にさせておくと、そのなかで、いつか画期的な発見があるのです。目先にとらわれすぎてはいけません。
 この本では、半導体とは何か、どのようにしてつくられるのか、集積回路(IC)とは何か、どうやってつくるのかも図で示しながら解説されています(一見やさしい解説なのですが、基礎が分かっていない私には理解不能でした)。
 日本の半導体装置メーカーの売上高は2013年に100億ドルだったのが、2021年には3倍に増加している。そして世界シェアは最高だった2012年の35%が2021年には28%へ、7ポイントも低下している。これは、世界全体で伸びているなかで、相対的に低下しているということ。
世界最大かつ最強の半導体ファウンドリーであるTSMC(台湾)が、熊本に新しい工場をつくろうとしている。これには、ソニーやデンソーそして日本政府が膨大な補助金をあてている。ところが一方、アメリカでも同じようにTSMCはアリゾナ州に1.3兆円を投じて新工場をつくろうとしている。また、インテルやサムスンもオハイオ州やテキサス州に新工場をつくりつつある。これらに対して、アメリカ政府は6兆円の補助金を支給する。このように、アメリカは国内に半導体産業の生産工場を確保することで、中国との覇権対立を乗り切ろうとしている。
 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という掛け声で酔っ払ってしまった日本政府には反省してもらうしかありません。それにしても、半導体産業も食料自給率の確保と同じように、日本にとって大切なものだということを改めて認識させられました。
 ただ、熊本にTSMCが進出してきて、地下水の枯渇と汚染を私は心配しています。本当に大丈夫なんでしょうか...。
(2023年6月刊。2200円+税)

 山の手(徒歩5分で登山口)の高級住宅街(高台です)に住んでいますので、自然をごく身近に感じる生活です。
 家の中は、大小のクモをあちこちに見かけます。ときに、台所には小さなアリが行列をつくっています。ナメクジが出てくることもあり、ゴキブリやムカデが出てきて驚かされます。風呂場などに小バエが湧いてきます。夜になると、窓にヤモリがぺたっと張りつきます。
 庭にはセミの抜け殻を見つけますが、セミは減りました。トンボはシオカラトンボやアキアカネです。チョウはクロアゲハ、そして、ミツバチやマルハナバチが花の蜜を吸っています。アシナガバチがわが家に巣をつくろうとしている気配がありますので、その予防のため蚊取り線香を軒下のあちこちにぶら下げています。
 台所の生ごみを入れたポリバケツにはウジムシが湧いていますので、満杯になると庭に穴を掘って埋め込みます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかです。アスパラガス、そしてサツマイモを楽しみにしています。ブルーベリーは終わりました。ミミズを狙うモグラがいますし、土ガエルも見かけます。気をつけなくてはいけないのがヘビです。40年前に入居した当初から、庭にヘビが住みついていますが、いったいヘビは何を食べているのか不思議です。
 庭の隣の藪からタヌキが朝、出てきて散歩しているのを見かけたときはびっくりしました。夜道をイタチが横断することもあります。
いま、庭にはフジバカマを植えています。秋になったらアサギマダラ(チョウ)がやって来るのを待っているのです。
田舎で生活するというのは、こういうことです。

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