弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年8月18日

渋谷の街を自転車に乗って

社会


(霧山昴)
著者 苫 孝二 、 出版 光陽出版社

 北海道に生まれ育ち、東京に出てきて、渋谷で区議会議員(共産党)として35年間つとめた体験が素晴らしい短編小説としてまとめられています。
台風襲来で事務所が半休になったので、仕事を早々に切り上げて読みはじめ、途中から焼酎のお湯割り片手にして、一気に読み終えました。心地よい読後感です。でも、書かれている情景・状況は、どれもこれもなかなか大変かつ深刻なものがほとんどです。
 孤独死。死後、3日たって発見した遺体はゴミの山に埋まるように倒れていた。遺体の周辺には、紙パックの水と無数の使い捨てカイロがあった。部屋には暖房器具がなく、これで暖をとっていたのだろう。電気代を惜しんだのだ。室内は、どこもかしこもゴミの山。敷き詰められ、地層のようになっているゴミの山を軍手をはめて取り崩していく。デパートの紙袋は要注意だ。領収書と一緒に1万円札や千円札、そして百円玉や五十円玉などの小銭が出てくる。高齢者祝金の袋が1万円札の入ったまま見つかる。ずいぶん前から、一人暮らしになり、掃除、洗濯、炊事という人間楽し生活する気力を喪ってゴミとともに生きてきたのだ。
 人間嫌いで、近所づきあいなんてしたくないと高言し、ひっそりと生きてきた女性だった。
 アルコール依存症の人は多い。30代で依存症になり、朝から酒を飲み、一日を無為に過ごす、そして、そのことで自分を追いつめ、ますます酒に溺(おぼ)れてしまう40代後半の男がいる。若いころは大工として働いてきたが、失職したのを機に酒浸りになって、そこから脱け出そうとするが、酒を断つと食欲がなくなり、拒食症になって瘦(や)せ細り、それでまた酒に出してしまい、そんな自分が情けないと嘆いている60代の男性がいる。
アルコール依存症の人がアパートの家賃を滞納。当然、大家から追い出されそうになる。そんな人に生活保護の受給をすすめる。知り合いの不動産業者にアパートを紹介してもらう。そして、仕事も世話をする。区議会議員って、本当に大変な仕事だ。だけど、依存症は簡単には治らない。仕事をサボって、迷惑をかけてしまう。
職を転々としたあげく、なんとかスナックを開店し、意気揚々としている男性が突然、自死(自殺)したという。なんで...。
弟が、小さな声で「真相」を教えてくれる。
「兄貴は、二面性のある男なんだ。真面目で一本気なところがあって、ズルイことをする奴は許さないという面がある一方、お金のためなら密漁したり、農作物を盗むのも平気な男なんだ。だから、アワビの密漁をやっていた主犯だとバレそうになったからかも...」
ところが、弟は、次のように言い足した。
「兄貴が遺書も残さず自殺するなんて、考えられない。何か遊び半分で、いま死んだら少し楽になるんじゃないかと、首に太い縄をかけてみた、鴨居の前に立って首を吊るしてみた、そしたら急に首が締まってきて、息ができなくなってしまった。こんなはずじゃない、これは間違いだ、そう思ってもがいているうちに絶命してしまった...」
いやあ、「自殺した人」の心理って、そうかもしれないと私も思いました。お芝居の主人公になった気分で、もう一回、生き返ることができるつもり、自分が死んだら周囲の人間はどんな反応をするのか、「上」から高みの見物で眺めてみようと思って、本気で死ぬ気はないのに首に縄をかけてみた、そんな人が、実は少なくないのではないでしょうか...。自死する人の心理は、本当にさまざまだと思いました。
この14の短編小説には、著者が区議として関わった人々それぞれの人生がぎゅぎゅっと濃縮されている、そう受けとめました。まさしく、人間の尊さと愛しさ、かけがえのない人生が描かれています。東京のど真ん中の渋谷区で、こうして生きている区議会議員であり、作家がいることを知り、うれしくなりました。私も、18歳から20歳のころ、渋谷駅周辺の街をうろついていましたので、その意味でも懐かしい本でした。
著者は、私より少し年齢(とし)下の団塊世代です。ひき続きの健筆を期待します。
(2022年7月刊。1500円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー