弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年8月 9日

硫黄島に眠る戦没者

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 栗原 俊雄 、 出版 岩波書店

 クリント・イーストウッドの映画二部作で改めてスポットライトがあたった硫黄島の戦いで、日本軍兵士2万1千人のうち、2万人が亡くなり、生き残ったのは1千人あまり。そして、今なお1万人もの遺骨が回収されないまま硫黄島に眠っている。国は、本格的な回収事業をしてこなかったし、今もしようとしていない。
驚くべきことに、遺骨回収作業を細々としているのは遺族であり、ボランティアの人々であって、国の事業ではないというのです。そして、回収された遺骨のDNA鑑定にも、国はまったく乗り気ではありません。
 「戦争国家」アメリカは、そこが決定的に違います。アメリカは朝鮮戦争で亡くなった兵士の遺骨の回収のためには、「冷戦」状態の北朝鮮であっても粘り強く回収作業をすすめてきました。この点は、アメリカのすごいところだと認めなければいけません。
 硫黄島の戦闘が始まったのは1945年2月、そして1ヶ月あまりの日本軍の死闘も、ついに3月には終結した。まったく補給がなく、水もないなかで、地下にたてこもって戦った日本軍将兵の苦しみは想像を絶するものがあります。二部作の映画をみましたので、その苦闘をいくらか想像できますが、もちろん、ごくごく断片的なものでしかありません。
 この本には、柳川市昭代の近藤龍雄という硫黄島で亡くなった兵士の家族(遺族)が登場します。私の知人の甲斐悟さん(元大川市議)も父親を硫黄島で亡くしています。
 近藤さんは、1944年6月に久留米で編成された陸軍混成第二旅団中迫撃砲第二大隊に所属し、7月10日に横浜港を出港して7月14日に硫黄島に到着しています。
 硫黄島は戦後、アメリカ軍が戦術核基地として核兵器を常備していた。ソ連が日本に侵攻したとき、この戦術核をアメリカ軍は使用するつもりだった。原潜に核ミサイルが搭載できるようになったので、1966年までに硫黄島の戦術核は撤去された。現在、硫黄島には自衛隊の基地がある。
日本の右翼的な人々は靖国神社については熱心ですが、1万人もの遺体(遺骨)が硫黄島に今なお眠っていて、日本政府がまったく遺体の回収に熱心でないことを何ら問題としていないようですが、不思議でなりません。神社に祭るより前に、可能なかぎり遺骨を回収することは当然だと私も思います。地下の坑道に今なおたくさんの遺骨が放置されているというのを、あなたは当然だと思いますか...。「戦前」が近づいていると言われている今、1万体もの遺骨が硫黄島に放置されているのを許していいとはまったく思えません。
(2023年3月刊。2200円+税)

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