弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ロシア
2023年10月26日
スターリンの図書室
(霧山昴)
著者 ジェフリー・ロバーツ 、 出版 白水社
ヒトラーに並ぶ大虐殺の張本人・スターリンが実は大変な読書家だったという事実に、まずは驚かされます。本好きな人に悪人はいない。私としては、ぜひ、こう言いたいところですが、それを打ち破る人間がいたというわけです。
スターリンが死んだとき、本や雑誌、小冊子は2万5千点もあった。スターリンは自ら暗殺させた政敵のトロツキーの膨大な著作も読んでいた。ただし、スターリンはロシア語と故郷のグルジア語しか知らなかったので、海外の文献はすべて翻訳もの。
この本では、スターリンについて、「言葉の力を真に信じた」とか、「権力だけでなく真理を追究した優れた知識人だった」としていますが、さすがに、この評価には異論があります。「真理を追究した優れた知識人」が、大虐殺を推進した張本人だなんて、背理でしかない、私はそう思います。
また、この本では、スターリンについて、「生涯の最期まで強靭(きょうじん)な知性を持ち続けた」としていますが、それについても肯定できません。
スターリンは多くの小説も読んでいるが、小説には書き込みをしていない。蔵書印も押さず、署名もしていない。しかし、スターリンは多くの学術書等には大いに書き込みをしている。
スターリンは、血まみれの暴君、黒幕の政治家、偏執狂、無慈悲な官僚、狂信的なイデオロギー信奉者という性格をすべて典型的に備えていた。ところが、同時に文章こそスターリンの世界だった。
スターリンは革命の敵とみなす存在に対しては慈悲を感じなかったし、同情もしなかった。
スターリンは若いころから読書欲が旺盛だった。
独ソ戦に勝利したソ連は、ドイツから250万冊もの書籍を「戦利品」としてソ連に持ち帰った。3576万冊を貸車13台に載せてモスクワに運び込み、モスクワ大学とレーニン図書館に収蔵した。今も、そのまま残っているのでしょうか...。
スターリンは、日記も回想録も残していない。自身の個人史には、関心を示さなかった。
スターリンは、原則として、自分を主人公とする評伝や偉人伝には否定的だった。
スターリンは、自分を労働者の息子ではなく、父は職人であり、従弟を抱えた搾取者だったとした。
スターリンは、小さいころは「ソソ」と呼ばれていて、左腕が不自由だった。11歳のとき暴れ馬の引荷車に両足をひかれたせいで、生涯にわたって歩行は緩慢だった。「ソソ」が「コバ」になり、ついに「スターリン(鉄の男)」となったのは1913年のこと。
スターリンは神学校で学んだが、神学校を去ったあとは、すべての宗教に背を向けた。
スターリンは、自信にみちて、もの怖(お)じしない若者だった。スターリンは、演説の名手というよりは、文章に長(た)けた論峉だった。
スターリンが信頼していた親友のマリノフスキーは、オフラーナ(ロシア帝国の秘密警察)の手引、つまりスパイだった。
スターリンは、1953年3月、別荘において77歳で亡くなった。3月1日に脳梗塞で倒れ、4日後に死亡した。
スターリンは、文章を読みつつ、興味を惹かれた段落や言い回しに下線を引いた。とくに重要と思われるところには二重に下線を引いたり、線で囲んだりした。また、余白に小見出しやタイトルを書き入れることもあった。
「ハハ」「でたらめ」「無意味」「くず」「ばか」「下劣」「ろくでなし」「むかつく」
「そうだ、そうだ」「同感」「良し」「的中」「そのとおり」
「本当か?」「間違いないか?」
スターリンは、青、緑、赤の色エンピツでしるしを付けた。
スターリンの読書は、主として新しい知識を得るためのもの。
スターリンは、スピーチライターを使わなかった。自ら草稿を書き、他人の演説も編集した。同じ文章を繰り返し使う習慣があった。
スターリンは、レーニンの言葉を引用する名人だった。スターリンは、トロツキーの『テロリズムと共産主義』に共感の言葉を多く書きしるした。
スターリンは、反ソヴィエトの陰謀が存在すると固く思い込んでいたのだろう。この点は、たしかにそうなんでしょう。間違った思いこみではありますが...。
その結果、1937年から38年にかけて150万人が政治犯として逮捕され、数十万人が処刑されたのです。
スターリンはスパイを毛嫌いしていた。スターリンはスパイより情報将校を大切にした。日本でスパイとして活躍したゾルゲをスターリンは高く評価していなかったのです。
スターリンの周囲にはユダヤ人の官僚やユダヤ人の妻をもつ側近がいた。スターリンはユダヤ人が大嫌いというわけではなかったが、ユダヤ民族主義を政治家として憎悪していた。
スターリンの思考様式には、複雑、深淵、微妙という特性はない。単純明快に物事をとらえ、ひろく普及させる才能が抜きんでいた。
スターリンという悪の化身の思考回路を理解する重要な手がかりを与えてくれる本だと思いました。
(2023年9月刊。4500円+税)
2023年9月 6日
ゾルゲ伝
(霧山昴)
著者 オーウェン・マシューズ 、 出版 みすず書房
戦前の日本の政府中枢にがっちり食い込んでいたソ連赤軍スパイ組織のリーダー、リヒアルト・ゾルゲについての本格的な伝記です。本文だけで460頁もあります。お盆休みに朝から夕方まで、一心不乱に読みふけりました。後半はかなり飛ばし読みして、なんとか読了ということにしたのです。
この本の冒頭、グローザ(雷雨)作戦という、聞いたことのないコトバが登場します。1940年9月以降、スターリンはドイツ侵攻のための有事の計画を立てていたのだそうです。
そのころ、スターリンのソ連はヒトラーのドイツに対して、その戦争準備のための膨大なトウモロコシ、石油、鉄鋼を供給していたのですが、同時にドイツ侵攻も計画していたというのです。知りませんでした。
リヒアルト・ゾルゲが大変な苦労してソ連本国に情報を届けたのに、スターリンはこう言って、まったく耳を貸しませんでした。それはドイツがソ連に侵攻しようと準備をすすめているという重大な情報です。1941年5月20日のゾルゲの報告に対して...。
「小さな工場と売春宿で情報を仕入れるクソ」
自分だけが真実を知っていて、周りは自分を欺いていると信じ込んでいる指導者(スターリン)の非合理的でヒステリックな疑念からくるもの。そして、ソ連諜報機関の長(ゴリコフ)は、ソ連国境での軍備増強は、イギリスの欺情報だというスターリンの確信をさらに強めるばかりだったのです。ですから、ゾルゲの貴重な報告は無視されていました。要するに、スターリンはヒトラーから完全に騙されてしまったのです。
フィリップ・ゴリコフ将軍が赤軍情報本部長に就任したとき、前任者5人は全員が銃殺刑に処せられていた。NKVD組織(KGBの前身)は、情報部員200人以上を逮捕し、部長を含む全指導部を交代させた。 スターリンの大粛正は、党を崩壊させ、情報部第4部の組織のほとんどを壊滅させた。ソ連邦元帥5人のうち3人、赤軍の将軍の90%、大佐の80%、それ以下のランクの将校3万人が逮捕された。
ところが、バルバロッサ作戦が発動され、たちまちソ連領内にヒトラー・ナチス軍が侵入してきて、ソビエト軍の前線は戦わずして総退却していきました。スターリンの犯した重大な間違いによって、緒戦でソ連は大量の戦死傷者と捕虜を出してしまいました。スターリンは、これで自分の首も危ないと一時は思ったようですが、すぐに開き直りました。
そして、事態がさらに進行していくと、ゾルゲの報告はスターリンのソ連軍に重大な変化をもたらしたのです。
ソ連へのナチス・ドイツ軍の侵攻によって大変な痛手を受けたあと、ゾルゲの報告に信憑性ありとなり、日本が北進策を完全に中止したことが伝わると、ソ連赤軍は極東軍区から大量の部隊が西部戦線に移動して、ドイツ軍と戦うようになった。
スターリンはシベリアに置いていたソ連赤軍の半分以上をモスクワ防衛に振り向けた。つまり、ゾルゲの報告によって、極東にあったソ連赤軍をドイツ軍との戦いに投入することによってヒトラー・ナチス軍を敗退させることができたのです。
ゾルゲは共産党員でありながら、それを秘してナチ党への入党を申請して認められた。そして、在日ドイツ大使館において大使だったオットーとゾルゲは親密な関係を築きあげた。ゾルゲの報告はソ連だけでなくドイツにも送られていて、高く評価されていたようです。ドイツのリッペントロップ外務大臣のゾルゲあての感謝の手紙が残っているとのこと。驚きました。
オットー大使は、ゾルゲが逮捕されたあと面会に来たときもまだゾルゲをスパイだとは思っていなかった。
ゾルゲが逮捕されたのは1941年10月のこと。日本にゾルゲが上海からやってきたのは1933年9月なので、8年あまりもスパイ活動をしていたことになります。二・二六事件や西安事件など、激動の時代を過ごしていたわけです。そして、ゾルゲが処刑されたのは、1944年11月6日、ソ連の十月革命記念日だった。
ゾルゲは、日本がソ連に戦争を仕掛けるのかどうかトップレベルの情報を仕入れて、ソ連に報告していたのです。それは、日本は石油確保のためにも南方へ進出するしかないというものでした。そして、極東ソ連赤軍をナチス・ドイツとの西部戦線に移動させ、ヒトラー・ナチスを敗退させ、結局は戦争終結を早めることができたわけですので、ゾルゲも尾崎秀実も世界平和の実現に多大なる貢献をしたとみることができると私は思います。
それにしても、8年間ものスパイ生活を送っていたときの精神状態は大変なものがあったと考えられます。アルコールに溺れ、スピード狂で何度も大事故を起こし、また、たくさんの女性遍歴をしているなど、ゾルゲの人間性の描写にも興味深いものがあります。
(2023年5月刊。5700円+税)