弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年12月15日

女たちの独ソ戦

ロシア


(霧山昴)
著者 ロジャー・D・マークウィックほか 、 出版 東洋書店新社

 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェートラーナ・アレクシェーヴィチ)は、独ソ戦におけるソ連の女性兵士の果敢かつ苦難の戦いをよくよく描いていました。マンガ版も出来ましたので、まだ読んでいない人には強く一読をおすすめします。
 本書では、同じ独ソ戦において、ソ連の女性たちがなぜ、いかに戦うに至ったのかについて、オーストラリアの歴史学者が詳細に明らかにしています。464頁もの大作ですが、私は上京する飛行機の中で息をつめて読み通しました。
 ナチス・ドイツの侵攻に対して、100万人ものソ連人女性が戦った。そのほか、2万8000人の女性がパルチザンとともに戦った。
 スターリンの情勢判断の重大な誤りによって、ソ連は緒戦段階で致命的なほどの敗北を重ねた。ところが、圧倒的多数のソ連市民は戦争の最初の18ヶ月間にスターリンの赤軍が壊滅的な敗北を蒙ったあとも、彼らの祖国、社会、国家に忠実であり続けた。ナチスへの「協力者」は少数派だった。フランスがナチス・ドイツの侵攻に屈して、わずか6週間で降伏したことと対比させて考えると、その意義はきわめて大きいものがある。
 1940年代に前線に赴いた若いソヴィエト女性をフロントヴィチカと呼ぶが、彼女らは本質的に1930年代というスターリン時代の平時の産物であった。
 1930年代のソ連では、スターリンによって古参ボリシェヴィキと帝政期の知識人の多くが粛正されて消え去ったため、そのあとを新たな社会的エリート(ヴィドヴィジェニェツ)が占めた。
女性の識字率はスターリン時代に劇的に上昇した。若い女性の読み書き能力は43%(1926年)から83%(1936年)、そして都市に住む女性の91%(1939年)となった。
高等教育機関では女性の割合が28%から38%に上昇し、中等職業教育機関では38%から54%に上昇した。ちなみに男性の識字率も60%(1926年)から93%(1939年)に上昇している。
若い女性たちの軍への志願動機のなかには、スターリンの粛清によって家族(父や母)が「人民の敵」とされたという「恥」を雪(そそ)ぎたいというものもあった。ここではスターリンに理不尽にも虐殺されたので、その恨みを晴らしたいという発想は認められない。それほどスターリンの「教え」は浸透していた。
若い女性たちが母国を守るために集団で志願した。彼女たちは、戦争に参加するのを必要な愛国的義務とみなしていた。スターリンは当初は、女性の航空連隊を密かに許可した。しかし、軍事状況が更に悲惨なものとなったので、女性は赤軍で重要な補助的役割を果たすようになった。
ナチスのゲッペルスは、ソ連が女性兵士を動員したのを知って、ラジオで次のように叫んだ。
「ソ連は絶望的になったあまり、女性を新兵として集めている」
スターリンは、ゲッペルスの言うとおりではないとして、女性兵士の動員をこっそりと進めていった。戦争中に赤軍に従事した20万人の医師と50万人の看護師その他の医療従事者の多くは10代後半から20代前半という若い女性たちだった。
看護師の100%、医師でも半数近くを女性が占めている。前線で戦うソ連の看護師像は、負傷者を守るため、必要とあらば武器を取るというものだった。
医療要員と同じように、女性たちはパルチザン無線通信ネットワークの中心となった。3000人の無線通信士の86%を若い女性が占めていた。
ドイツの戦時捕虜収容所にソ連人女性がほとんどいなかったのは、女性狙撃兵は捕まると即座に射殺されたから。また、女性兵士のほうも、捕まる前に自分のための弾丸を残しておいて自ら死を選んだ。
スターリングラード戦のなかで、大砲を扱う人員のほぼ全てが2万人以上の女性に置き換えられている。
若い女性を軍隊に入れると兵士たちの性的関係は複雑化した。主として性的嫌がらせで、しばしば軍の規律を乱した。男性将校と女性部下との同棲は当たり前となっていた。
独ソ戦のなかで2700万人ものソ連の市民が亡くなった。1120万人の赤軍兵士が死亡・行方不明となった。負傷者は1830万人。女性に関する公式統計はないが、31万余人の女性が犠牲になったとみられている。
戦争が終わったとき(1946年)ソ連の男性7440万人に対して、女性は9620万人だった。そのため全世代の女性単身生活や生活苦、ときにシングルマザーの汚名を余儀なくされた。
この本の最後に、ナチスの強制収容所に入れられていた500人の女性兵士がナチスの要求を一切拒否し、食事も拒否し、10列に並んで行進したエピソードが紹介されています。1943年4月の日曜日の朝のことです。彼女らは整然と行進しながら、新しいソ連国家を合唱したのでした。
「立ち上がれ、広大な国。死闘のために立ち上がれ」
1944年、SS将校の顔に唾を吐きかけた赤軍女性将校は強制収容所の火葬場で生きたまま焼かれた。これはフランスのジャンヌ・ダルクを思い出させますね・・・。
その内容に圧倒され、息を呑むしかありませんでした。あなたも、ぜひ図書館で借りてでも、ご一読ください。
(2023年7月刊。4400円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー