弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2020年4月23日

シークレット・ウォーズ(上)


(霧山昴)
著者 スティーブ・コール 、 出版 白水社

9.11(2001年)以降、アフガニスタンとパキスタンを舞台として、アメリカのCIAがISIとともに展開した「見えざる戦い」を記述した本です。
CIAに対するアフガニスタン反政府勢力への支援は、パキスタンの主要スパイ機関、三軍総合情報局(ISI)を通じて行われていた。
アフガニスタン反政府勢力側の内部で仲間割れが起きたのは、それは勝利を予感して、もたらされるであろう利権をめぐって争いを始めたのだ。
インドに比べてパキスタンは人口も少なく、産業基盤も弱かった。このギャップを補おうと軍はインドによる軍事進攻への対抗策として核兵器を開発した。長年の悲願であるカシミール係争地域の獲得を狙って、ISIはイスラーム主義ゲリラに極秘裏に武器を与えて、訓練を施し、インド領カシミールへ潜入させ、警察署の爆破、誘拐、インド軍駐屯地を攻撃した。
およそ2万5千人から成るISIはパキスタン軍幹部の指揮下にあった。
9.11には、タリバンも、その他のアフガン人も加わっていなかった。ハイジャック犯はサウジアラビア人かその他のアラブ人だった。事件を企画したハーリド・シェイク・ムハンマドはパキスタン人で、クウェートに長年居住し、アメリカのノースカロライナ州の大学で学んでいた。ムッラー・ムハンマド・オマルが事前にテロの企てを知っていたかどうかは判然としていない。
9.11のあと、CIAのテロ対策センターは、2000人の常勤職員をかかえるまでになった。無秩序ともいえる急拡大だ。テロリズム分析室だけでも25人が300人へと膨れあがった。
アメリカは戦闘終結後のアフガニスタンについて、確固とした方針をもちあわせていなかった。ブッシュ政権は国家建設にも平和維持にもほとんど興味を示さなかった。
オサマ・ビン・ラディンとムッラー・ムハンマド・オマルは逃亡した。
アフガニスタンの各都市は地域有力者の手に委ねられることになり、その多くはCIAの協力者だったが、職権乱用、内部分裂、能力の欠如がはびこっていた。
アメリカは、ソ連軍と戦うㇺジャーヒディーンに対して、2000基以上の赤外線誘導式携帯型対空ミサイル、スティンガーを提供していた。そして、アフガン内戦が始まると、このミサイルを買い戻そうとした。CIAは、ISI職員などを通じてスティンガーを1基8万ドルで買い戻していった。
アフガニスタンでは、カネがすべて。政治もカネ、戦争もカネ、政府だってカネのため。
2003年に、ブッシュ大統領のもとの国家安全保障会議がアフガニスタンについて議論をしたのは2回のみ。これほどまでの無関心は、イラクに対する進攻と占領、戦後アフガニスタンの安定性に対する過信、加えてこれ以上の復興への関与は避けたいというブッシュ政権の希望があったから。
2004年7月17日、ネーク・ムハンマドはラジオでのインタビューに答えるため、衛星電話で通話をしていた。この通話はタスクフォース・オレンジをはじめとする組織によって、いとも簡単に傍受された。これを受けて、CIAのプレデター無人機が上空からヘルファイア・ミサイルを発射し、ムハンマドは殺害された。
恐ろしいことですね、電話で話していると場所を察知されて、上空からミサイルを撃ち込まれる世の中なんです...。でも、肝心なことは、こうやって暗殺しても、世の中の大勢は変わらないということです。
タリバンの自爆犯には若年者が多く、12歳とか13歳もいた。車を運転したこともない若者が爆弾を搭載した古いカローラに乗って、ためらうことなく路上で猛スピードで突っ込んでいく。タリバンは、自爆犯の遺族に2000ドルから1万ドルの見舞金を支給している。
タリバン政権が崩壊したあとのアフガニスタンでは、アヘンの原料となるケシの栽培が25%増加し、2006年には、生産量が一気に増えた。
2008年の1年間で、アフガニスタン戦争で死亡したアメリカ人は155人。前年より3割増。
2008年、タリバンによるIED攻撃は3867回にも達し、前年比5割増。
アフガニスタンで中村哲医師が殺害されてしまいましたが、それでも軍事力に頼らない解決を地道に探っていくしか、平和への道はないと私は考えます。
(2019年12月刊。3800円+税)

2020年4月17日

ザ・ボーダー(上)


(霧山昴)
著者 ドン・ウィンズロウ 、 出版  ハーバーBOOKS

アメリカと南米の麻薬カルテルの暗躍ぶりを、これでもかこれでもかと延々と詳細に書きつづっている小説です。文庫本なのですが、上巻だけでも765頁、ほとほと疲れてしまいます。
アメリカには、メキシコや南米各国から、麻薬がとうとうと流れ込んでいるようです。
アメリカの国務省とCIAはメキシコ政府と麻薬カルテルの協力関係の維持を消極的にせよ支持する。これに対して、司法省と麻薬取締局は断固としてカルテルのヘロイン密輸を阻止したい。
アメリカでは、麻薬取締法の厳しさから、暴力をともなわない違反者にも最低30年の刑そして終身刑を科した。その結果、200万人以上が、その大半はアフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人が刑務所暮らしをしている。
ドラッグマネーがアメリカから毎年メキシコだけでも何百億ドルも流出している。その多くはメキシコ国内の投資に流れる。メキシコ経済の7~12%は、ドラッグマネーで成りたっていると言われている。同時に、アメリカにまた戻ってきて、不動産や投資に注ぎ込まれるお金も少なくない。いったん銀行に預けられ、その後、合法的なビジネスに使われる。これが麻薬戦争の裏に隠された薄汚い真実だ。「ヤク中」が腕に注射を1回うつたびに全員がもうかる仕組みになっている。全員が投資家であり、カルテルなのだ。
刑務所や監獄は、答えではない。刑務所のなかでもヤクを続ける。むしろ有効なのは、薬物裁判所か・・・。逮捕したら、判事が強制的にリハビリ施設に送り込むようにしたらいい。
メキシコ人は、テキサス経由でニューヨークにヘロインを持ち込み、たいていはアッパー・マンハッタンかブロンクスにあるアパートメントや自分の家にいったん保管する。そのあと、工場でダイム袋に小分けして売人に売る。売人はたいてい組織のチンピラで、買ったヤクを市内で売りさばくか、州北部やニューイングランドの小さな町に運ぶ。ヤクを卸すカルテル側の人間が工場にいることはめったになく、彼らはヤクを持ち込むときだけ現れ、すぐにその場を立ち去る。工場で働いているのは、ヘロインを小分けする地元の女や、日銭めあての下っ端マネージャーだ。
このようにしてヤクは次から次に流入する。
メキシコの警察がカルテルに手なずけられているのは、すぐにお金になびくからではない。それだけの支配力をカルテルはもっている。賄賂は、もらうか、もらわないかではない。もらうか、もらわないなら一家皆殺しなのだ。このやり方なら、買収した警察官であっても信用できるし、裏切られることはない。
しかし、ニューヨークのギャングは警官を殺したり、ましてやその家族を脅したりはしない。正気のギャングなら、そんなことをしたら、怒れる3万8千人の警官を敵にまわすことになる。もし生きて逮捕されても、アイルランド人やイタリア人の検事やユダヤ人の判事から州で最悪の刑務所に送られ、死ぬまでずっとそこで過ごすことになる。もっとまずいのは、ビジネスが立ちいかなくなることだ。
そんなわけで、黒人のギャングもラテン系のギャングも警官を殺そうとはしない。それよりビジネスを大事にする。なので、メキシコ人もニューヨーク市警の警官の買収には慎重になる。警官が裏切らないという保証がないからだ。
今では、ドラッグはマンハッタン島の中央と南部の核家族世帯や近隣の労働者世帯のほか、多くの警官、消防士、市役所職員にも広がっている。
マンハッタンやブルックリンでは、ドラッグの商売は主にギャングの仕事で、公営住宅やその周辺での売買は、黒人とラテン系のギャングが仕切っている。そこに新規参入の余地はない。
まあ、あきれてしまうというか、心底から震えるほど恐ろしい現実世界が展開していく本です。
(2019年7月刊。1296円+税)

2020年4月14日

ギデオンのトランペット


(霧山昴)
著者 アンソニー・ルイス 、 出版 現代人文社

1963年3月、アメリカ連邦最高裁判所は、貧困のため弁護人を雇えない人は、その人のために弁護人が付せられない限り、公正な事実審理は保証されえないと判決した。つまり、被告人には弁護人の援助を受ける権利があることを明示したのです。
そして、9年後の1972年に、連邦最高裁は、たとえ軽罪事件の被告人であっても、現実に自由の剥奪(拘禁刑)の結果をもたらす場合には、弁護人の援助が憲法上必要であると判断した。
次に、弁護活動の質が問題になりました。おざなりの、ただ弁護人が法廷にいるだけでない、効果的な援助を受ける権利が被告人には保障されなければならないという判決にすすんでいったのです。アメリカでは、そのため州が公設人弁護人事務所を設立しています。
日本でも、ときに手抜き弁護が問題になることがあります。記録を読まない、公判当日に被告人に法廷で会うだけの弁護人、そういう弁護人が今でもたまにいるようで、残念です...。
クラレンス・ギデオンは1962年1月、アメリカ連邦最高裁に書面を送った。自分の事件で訴訟救助を求めたい、自分の刑事裁判で、弁護人を求めたのに裁判長が却下したという内容です。このときギデオンは51歳。ギャンブラーの白人男性で、前科がいくつもあった。容疑は窃盗目的の不法侵入罪。店内からビールなどを持ち出すために店内に侵入したというものだった。
それまでの連邦最高裁の判例では、弁護人が要求されるのは、弁護人なしに審理がなされたら、「基本的公正の否定」に値する場合に限るとして、「特別な事情」が必要だとされていた。
ギデオンの事件は、それを打ち破る可能性があった。連邦最高裁はギデオンの求めに応じて、エイブ・フォータス弁護士を弁護人として任命した。
フォータスはユダヤ人の52歳の弁護士で、30人の弁護士をかかえる、支配階層ではない法律事務所に所属していた。
ギデオン事件では、ベツ事件で示した連邦最高裁判決にいう「特別な事情」のないことは明らかで、それでも弁護人がいたら有益だったことは明白だった。
ギデオン事件で、被告人・弁護側が勝ったら、刑務所が空っぽになってしまう。こんな「予想」がたてられた。
これは、もっとも強烈な感情的反対論だった。
当時、2500人の弁護士がアメリカ連邦最高弁護士会員になるための会費として25ドル(今は200ドル)を支払わなくてはいけなかった。
今から57年も前のアメリカ連邦最高裁判所が弁護人なしの刑事法廷はありえないとする画期的な判決を示したのです。それを直後に本にまとめたものを、今回、田鎖麻衣子弁護士(二弁)が翻訳しています。アメリカの判決の変遷のところは、前提となる知識のない私には少し難しかったのですが、それでも、一人の男が連邦最高裁判所に書面を送ったことから、弁護人がつくようになったというのは真実です。その過程を学ぶことのできる貴重な本です。
今では、日本は被告人国選弁護制度だけでなく、被疑者国選弁護人制度までありますので、あとは弁護人の質の問題になっているのでしょうね。
私は被疑者弁護人(国選)になったら「毎日面会」を心がけています。出張のため行けない日もありますので、「原則として毎日面会」をしています。
現代人文社から贈呈を受けましたが、大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2020年3月刊。3600円+税)

2020年3月 4日

CIA裏面史


(霧山昴)
著者 スティーブン・キンザー 、 出版  原書房

アメリカンのCIAで「毒殺部長」を長くつとめたゴットリーブのやっていたことを詳細に明らかにした本です。思わず寒気のするほど悪逆非道な行為を世界各地でしていたCIA工作員の親玉です。
ところが、ゴットリーブはユダヤ人移民の子で、大学生のころは社会主義者でもありました。
CIAに入ってからは、目的達成のためにはユダヤ人大虐殺をしていたナチスの科学者とも平気で手を組むのでした。また、ゴットリーブは脚を悪くしてびっこをひき、話すときにはどもってしまう(吃音)のです。そして、自家菜園を楽しみ、自然を愛する生活のなかで、子どもたちを暮らすのを楽しみにもしていたようなのです。ジキルとハイドではありませんが、残虐さと自然愛好家とを両立させていたといいます。映画『シンドラーのリスト』で、ナチスの所長たちが一方で平気で虐殺しながら、家庭では家族と一緒に音楽を楽しんでいた場面を思い出します。人間のもつ二面性ですね・・・。
ゴットリーブはCIAで20年間、史上類をみない組織的なマインド・コントロール研究を指揮した。そして、CIAの毒物製造主任でもあった。CIAを退職する前にすべての記録を破棄し、それを認めた以外、議会ではほとんど何も認めなかった。免責特権を行使し、どの裁判でも有罪にはならなかった。
54歳でCIAを引退し、ボランティア活動などをしたあと、80歳まで長生きした。
1969年代、ゴットリーブは、CIAの諜報員が使う道具をつくる技術支援部の部長に昇進した。ゴットリーブは、ワシントンで活気あるスパイ工房を運営し、世界中に散らばる数百人の科学者や技術者の仕事を監督した。
CIAはナチスの犯罪者が裁判で有罪にならないようにし、日本の七三一部隊の責任者だった石井四郎を確保してCIAに協力させた。
CIAのトップは、1950年代にマインド・コントロールは将来の決定的武器になると考えた。
人間の思考を操る方法を見つけた国こそが世界を支配すると信じた。
ゴットリーブは、ブロンクスの移民の子で、跛行と吃音のある32歳のユダヤ人だった。アメリカの上流階級の人々とはあまり交流しなかった。
CIAは、共産主義者が「洗脳」術を獲得したと大衆に信じ込ませているうちに、自らも、そのプロパガンダの虜になっていた。ということは、共産主義者による「洗脳」というのは幻だったということのようです・・・。
大麻もコカインも、そしてヘロインも「特殊な尋問」にはあまり役に立たないことが判明した。
ゴットリーブはLSDに注目した。
1951年、ソ連の協力者だと疑われた4人の日本人がCIAの医師によって覚醒剤その他を注射され、過酷な尋問のなかで「自白」した。4人は東京湾沖で撃ち殺され、遺体は船から投げ捨てられた。うひゃあ、怖いですね・・・。
CIAのトップは、ゴットリーブたちのやっていることをソ連がやっていることだと巧みに言い換えて発表して、世論を誘導した。
CIAのマインド・コントロール実験は過激になり、犠牲者が増えていった。そして、中国人もきっと自分たちと同じことをしているに違いないと誤った推測をした。ところが、朝鮮戦争で捕虜になっていた元アメリカ兵たちで、残留していたもと脱走兵たちがアメリカに帰国してきて判明したのは、「洗脳」はなかったということ。しかし、「洗脳」というコトバは、なんでも説明できる素晴らしく便利な概念だった。CIAは、すっかりこの幻想にとりつかれていた。CIA元局員は、CIAは自白を強要し、洗脳する。ありとあらゆる薬物をつかう。そして、ありとあらゆる拷問を用いる、と語った。
CIAの局員の多くは、祖国アメリカを破滅から防いでいるのは自分たちだと信じていた。
CIAはインドネシアを訪問する中国の周恩来を暗殺する計画を立て、実行した。周が乗るはずの飛行機は空中爆発したが、周は予定を変更していた。次に、バンドン滞在中の周を毒殺しようとした。
1960年にソ連上空を飛んでいたスパイ偵察機U2がソ連のミサイルで撃墜された。パイロットのパワーズは自殺用の毒物を使わなかった。
CIAはアフリカのルムンバ首相を暗殺しようとして失敗し、キューバのカストロ暗殺にも失敗した。ゴットリーブの役割は、殺害の手段をチームに伝達することにあった。
人間は、どこまでも他人に対して残酷になれるし、それを拒否してたちあがる人もいることがよくよく分かります。読みたくなんかありませんが、CIAの実態を知るには欠かせない本です。
(2020年1月刊。2700円+税)

2020年2月16日

熊の皮


(霧山昴)
著者 ジェイムズ・A・マクラフリン 、 出版  早川書房

アメリカはアパラチア山脈の自然保護区で働く管理人が密猟者とたたかう話(小説)です。
狙われるのは熊です。それもクマの胆をとって、中国に売りつけようというのです。これには驚きました。なんだか、ひと昔前のアメリカと中国とは逆の関係だったことを思い浮かべてしまいます。
野生動物やその身体の一部の密輸は、麻薬、偽造物、人身売買に次いで、世界で四番目に大きなブラックマーケットへ発展している。そこからは、毎年、数十億ドルの利益が生み出されていて、テロ組織や伝統的に違法薬物のみを扱ってきた犯罪組織がこぞってこの業界に参入しはじめている。
熊の胆は、通常、冷凍または乾燥の処理をほどこしてから売りに出される。ところが、冷凍した豚の胆のうと熊の胆のうを見分けるのは専門家でも難しい。乾燥した豚の胆のうに至っては、同じく乾燥した熊の胆納とまるで見分けがつかない。
主人公は、うっそうと木々が生い茂る森のなかにずんずんと入っていき、密猟犯を追いつめるべく森に溶け込み、森と同一化していくのでした。
大地の香り、朽ちゆく動物の死体の肉の腐敗臭、野生動物の体毛の感触、東部山岳地帯に特有の湿気と熱気。ひんやりと肌をなでるそよ風、かすかな木もれ日、夜の闇、虫の音や鳥のさえずりまでもが、じかに感じとれそうだ・・・。
自然を愛する著者の森に対する畏怖と敬意とがありありと伝わってくる本です。
(2019年11月刊。1900円+税)

2020年2月 8日

マリリン・モンローの世界


(霧山昴)
著者 亀井 俊介 、 出版  昭和堂

「セックス・シンボルから女神へ」というのがタイトルです。
マリリン・モンローは、ヘミングウェーとともにアメリカで「いちばん美しい二人」だと言われているそうです。というのは知りませんでした。
マリリン・モンローは、その肉体美によって注目され、「セックス・シンボル」と呼ばれた。しかし、マリリン・モンローは心の美しさも際だっていた。この本は、そのことがよく分かる本です。
マリリン・モンローは1962年8月、36歳で死んだ。しかし、今なお忘れられることがない。
マリリン・モンローが生まれたのは1926年、精神をわずらって崩壊状態にあった女性を母親とし、ロサンゼルスで生まれた父親にも見捨てられた。そのため、いろんな家を転々として育ち、孤児院に入れられたこともある。
マリリン・モンローは「すばらしい女優」になることを目指し、懸命に努力した。借金してまで演技の個人レッスンを受け、舞台劇を勉強するため演技学校に通い、学歴がないので文学書を読んだ。
マリリン・モンローは、実生活において、人間同士の本物の愛を求め続けた。それは愛情遍歴をくり返したが、あくまで無垢な心を守って妥協しないで生きた。
マリリン・モンローは、「セックス・シンボル」にだけ留まってはいなかった。
マリリン・モンローのセックスは、ごく自然で、人間的なものだった。それは、当時、一つの解放感をともなっていた。
「セックスは自然の一部です。私は自然と協調(go along with)していきます」と言ってのけた。その勇気が世間の喝采をあびた。
マリリン・モンローは、夫のアーサー・ミラーが「赤狩り」にあって苦しめられていたとき、女優としての名声を捨てる覚悟で夫を守った。ヒッピーのピースとラブの運動にも共鳴していた。
マリリン・モンローとオードリー・ヘプバーンという有名な女優二人がほぼ同じころに活躍していたことを知りました。この二人は、ともに、今に至るまで圧倒的な人気をたもっていますが、やっぱり違いますよね。でも、そこは、うまくすみ分けている気がします。
マリリンとオードリーは、ともにスター性とアイドル性をもっている。マリリンは「妖艶」、オードリーは「妖精」、二人とも「妖気」を漂わせている。二人は、スターとコメディエンヌを両立させている。男性にマリリンのファンが多く、女性にオードリーのファンが多い。
目を開けても閉じてもあでやかで、目を閉じた顔がこれほど雄弁な女優は他にいない。まぶたに純情、目尻に色気がにじみ、唇からは愛の言葉ばかりがこぼれる。このたおやかでデリケートな魅力こそ、マリリン・モンローの努力の結晶だ。
マリリン・モンローは12歳から2年間、アナ・ロウアーという50代の貧しい独身の女性に引き取られ、大変かわいがられた。このことがマリリン・モンローが決して人間嫌いにならなかった理由だった。
私は、このくだりを読んで、この本を読んで本当に良かったと思いました。
アナおばさんは、友だちにいじめられて泣いている少女(マリリン・モンロー)を抱きしめて、こう言った。
「本当に大切なことは、あなたがどんな人間なのかということ。だから、心配しないで。ただ、正直に自分であり続けさえすればいいの」
いやあ、いい言葉ですよね。不幸な生いたちの少女はこの言葉と温かいアナおばさんの抱擁で立ち直れたし、自信がもてたのですよね、きっと・・・。
マリリン・モンローは、「とにかく人を許す」性質を最後までもち続けた。
「私が本当に言いたいことは、世界が本当に必要としているのは、本当の意味での親近感だということです」
すばらしい本でした。ますますマリリン・モンローが好きになりました。
(2010年1月刊。2300円+税)

2019年12月25日

マイ・ストーリー


(霧山昴)
著者 ミシェル・オバマ 、 出版  集英社

オバマが「チェンジ」を唱えてアメリカ大統領に当選したときは、私も大いに期待しました。これで、アメリカという国も少しはまともな民主国家に変わっていくのかな・・・、と思ったのです。
そして、オバマ大統領のプラハでの演説にも拍手を送りました。
しかし、残念なことにアメリカという国の内外からの圧力・抵抗にあって、オバマ改革はあまりみるべき成果をあげることなく退陣していき、その反対極のトランプというとんでもない男が大統領となって、金持ち優先のひどい政治が続いています。
それはともかくとして、本書はオバマ大統領の妻ミシェル・オバマの自伝ですが、意外に面白くて一気に読了しました。
黒人の世界からプリンストン、ハーバードという超有名な大学を出て、シカゴの大ローファームに入り、そのままいたらパートナー昇格まちがいないという状況から、シカゴ市政にかかわるように転身するのです。そして、教育担当として受けもったのが若きオバマ弁護士でした。この二人の出会いと、その後の活動あたりが本書のヤマ場だと思います。
もちろん、夫のオバマが大統領選にうって出て、家族を巻き込みながら、怒涛の日々を過ごしていく様子も面白いのですが・・・。
ミシェル・オバマはプリンストン大学のとき、白人の友人はほとんどいなかった。いつも身構えしていたから・・・。大学では、いつも勉強していた。自分は、どんな困難でも乗りこえられるという自信がついた。時間をたっぷりかけ、必要なときには助けを求め、やるべきことを先送りせず、きちんとこなしていれば、ハンディのすべてを帳消しにできると思えた。
ハーバードで3年間、憲法を学んだが、強い情勢は沸いてこなかった。
シカゴの一流法律事務所に入り、エリートの仲間入りをした。25歳にしてアシスタントがつき、両親が稼いだことのない額を稼ぐようになった。親切な同僚はみな高学歴で、ほとんどが白人。アルマーニのスーツを着て、ワインの定期便を申し込んだ。仕事が終わるとエアロビクスの教室に通い、余裕があるから、車はサーブ。
もう十分かな?そう、十分だと自問自答していた。
そんなとき、オバマ青年が目の前にあらわれた。バラク・オバマは初日から遅刻した。ときにこれといった印象はなかった。オバマは28歳、ミシェルは25歳だった。
オバマは白人でも黒人でもあり、アフリカ人でもアメリカ人でもあった。
オバマにとって、本は神聖なものであり、心の安定剤だった。
この点だけは私にも共通しています。
オバマは、自分の弱みや恐れを見せることを怖がらず、何ごとにも真摯であることを大切にしていた。
オバマは、「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長になった。103年の歴史のなかで初めてのアフリカ系アメリカ人編集長だった。ところが、オバマは企業法務は自分の価値観にはあわないと考えた。
オバマは大統領になってから、アメリカ中の有権者から届く1日に1万5000通のなかから通信担当スタッフが選んだものを毎日10通ずつ読んだ。そして返事を書いて送った。
いやあ、これは実にいいことですよね・・・。
ただ、私は、オバマ大統領の最大の失策の一つがオサマ・ビン・ラディン暗殺を指示したことです。テロリスト集団を根絶やしにするには、そのトップを暗殺すればいいというのではいけません。テロリスト集団のトップなるものは、代わりがいくらでもいるのです。
なぜ人々がテロリストに走るのか、その根源を考え、そこにメスを入れるべきです。
中村哲氏のように、あくまで平和的手段でしか真の平和は長い目で見たとき実現しないと思います。
オバマ大統領による暗殺指令はノーベル平和賞が泣いてしまいました。残念です。
(2019年11月刊。2300円+税)

2019年12月20日

アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか


(霧山昴)
著者 ハーラン・ウルマン 、 出版  中央公論新社

著者は1941年生まれで、アメリカ国防大学特別上級顧問、ヨーロッパ連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会のメンバーもつとめました。アメリカの海軍士官学校を卒業し、ベトナム戦争にも従軍していて、まさしく軍事専門家です。
冷戦が終結した1991年から現在までの26年間、あわせて19年にもわたって、アメリカは大がかりな武力衝突や武力介入に、つまり戦闘に従事してきた。
アメリカは、過去72年間のうち、その半分以上の37年間は戦争状態にあった。その戦績はそれほど目覚ましいものではない。朝鮮戦争は引き分けだった。ベトナム戦争は不面目な敗北に終わった。
この60年間で唯一明白な勝利と言えるのは1991年の第一次イラク戦争(湾岸戦争)だけ。
第二次湾岸戦争は、ブッシュ大統領が指揮をとったが、これは南北戦争以来最大の戦略的誤ちであった。この第二次湾岸戦争のあと、イスラル国(IS)の興隆につながり、現在もまだ戦闘が続いていて、収束の目途もたっていない。
ベトナム戦争の真最中、海軍基地での講義のなかで退役陸軍中佐がこう言った。
「神はすべての善良な人間を敵側に置いたのではないかと思うよ・・・」
いやあ、これはすごい言葉です。
こんな戦争にアメリカが、いかに超先進的な兵器を有していたとしても敗北するのは必至ですよね・・・。
ベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の総指揮をとっていたボー・グェン・ザップ将軍は、アメリカ軍の至近距離の戦闘にもちこむよう指示した。アメリカ軍の優れた空軍力と兵器を無効にしようという作戦だ。
アメリカがベトナム戦争でみじめに敗北したのは、北ベトナムの持久力と国内の統一への意思と熱意を理解できなかったことによる。北は、負けないことで、勝利をつかもうとした。北の政府は、アメリカ軍よりも長く持ちこたえることが勝利への鍵だと理解していた。
敵の文化を知ることは成功の必須の条件だ。戦争においては、敵とその戦略をよく知らなければいけない。
ISとの闘いは、組織に対するものではなく、思想と運動に対する戦いであることを理解しなければならない。
ISは自爆テロを実行する子どもたちをリクルートすることで対応している。子ども兵士が武装組織に取り込まれることは、過去にもあった。常備軍を倒すより、思想と運動を混乱させ、破壊することのほうが、はるかに難しい。
戦後アメリカの「失敗」の主因は、あくまで最終的判断を下す大統領の資質にある。
アメリカのような戦争が大好きな国と平和憲法をもつ国が対等平等の関係であるはずもなく、アベ首相はいつだってトランプ大統領の舌先三寸で動かされてきました。嫌ですね・・・。
アメリカの戦争の敗北の本質を考えさせられる本です。
(2019年8月刊。3200円+税)

2019年12月11日

南北戦争の時代


(霧山昴)
著者 貴堂 嘉之 、 出版  岩波新書

アメリカのリンカーン大統領とカール・マルクスは同時代に生きていました。マルクスがリンカーンに大統領就任を祝う手紙を送っていたことは知っていましたが、マルクス自身がアメリカへの移住を真剣に考えていたというのは本書を読んで初めて知りました。
マルクスは、1845年に「北米移住のため」、具体的にはテキサスへの移住を真剣に考え、そのためプロイセレ国籍を離脱し、無国籍者になった。マルクスは、結局はイギリス・ロンドンに移住したわけですが、ヨーロッパ系移民を積極的に受け入れるというアメリカの法律にひかれたようです。そして、リンカーン大統領が再選を果たしたあと、それを祝うメッセージを送ったのでした。
リンカーンは、南北戦争の前は、人種間の分離が人種問題を防ぐ唯一の手段であり、そのためには黒人をアフリカに移住させるしかないという持論を展開していた。これまた知りませんでした。アフリカのリベリアへアメリカの黒人が移住する運動がありました。
アフリカへの黒人植民論は、北部や西部で圧倒的な支持を得ていた。
1860年の大統領選挙でリンカーンは勝利したものの、有権者の一般投票の40%しか得ていない。南部の10州ではまったく選挙人を得ていない。
南軍が当初のうち北軍に勝っていたのは、南軍は優れた軍人が多数いて、兵士の士気が高かったこと、南軍は射程距離の長い、近代的なライフルと塹壕をもっていた。苦しくなった北軍は、徴兵制を導入し、また黒人奴隷が軍務に就けるようにした。
北軍による海上封鎖は徐々に効果をあげていき、南部経済は大混乱となった。
北部社会では、戦前から反黒人感情が強かった。移民労働者は、黒人を排斥することで、「白人性」を身につけて社会的な上昇を果たしていった。労働者階級の「奴隷ではない」という意識の上につくられた自由労働イデオロギーに白人優越意識が埋め込まれており、人種差別意識を内包していた。
奴隷は、憲法の解釈上、人格ではなく、私有財産だと認められていたので、その解放は、憲法で保障された財産権の侵害となる恐れがあった。
リンカーン大統領の奴隷解放宣言のもつ歴史的意義は大きかった。黒人が軍に所属し、国のために戦う権利が認められたことから、20万人もの黒人兵士が北軍の軍役についた。
南北戦争の戦死者は両軍あわせて62万人。当時の人口は3100万人なので、大変な人数だ。病気で死亡した兵士は、戦場で命を落とした者の倍以上だった。
白人男性(13~43歳)のうち北部で6%、南部で18%(全体で8%)が死亡した。
今のアメリカは軍事化された社会だが、兵士の男らしさや犠牲を英雄的なものとみなす価値観は、南北戦の時期のあとアメリカ社会に定着した。
南軍が敗北したあと、捕虜収容所の所長が唯一、捕虜虐待によって死刑になっただけで、南部連合の指導者は誰ひとり死刑にはなっていない。
今もなお、南軍旗がアメリカでよみがえっているというのは不思議な話です。白人至上主義のシンボルになっています。嫌な話というほかありません。アメリカの歴史研究者による濃密な新書でした。
(2019年7月刊。840円+税)

2019年12月 3日

「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている


(霧山昴)
著者 ジェイムス・スーズマン 、 出版  NHK出版

私は映画をみていませんが、1980年代に世界中にブッシュマンブームが起きました。映画『ミラクル・ワールド・ブッシュマン』(改題「コイサンマン」)です。その主役を演じた男性は日本にも来て、ニカウという名前で日本のテレビにも登場したようです。
なぜ、ブッシュマンがそれほど注目されたのかというと、何もあくせく働かなくても、そんなに持ち物がなくても、人は幸福に生きていられる、このことを例証している人々だからです。
彼らは、白人たちがモノをたくさん持っているのに、なんであんなにいつだって機嫌が悪いのか、笑わないのか不思議だと批判します。
ところで、ブッシュマンは差別用語ではないのかと心配する人もいることでしょう。なるほど、この言葉はオランダ語の「ボッシェスマン」に由来し、マレーシアでオランダ東インド会社が飼っていたオランウータンの呼び名として使われていました。しかし、今では「ブッシュマン」は彼らが暮らす環境に特別なつながりをもつ「最初の人」としての地位を再確認する意味が含まれていて、国際的には肯定的にとらえられている言葉なのです。なーるほど、ですね。というわけで、本書のタイトルに使われています。
そして、この本には、ブッシュマン・グループの一つ、ナミビアのジュホアンが主役として登場します。ジュホアンとは、「ジュ」は人、「ホアン」には「真実」の意味があるので、「真の人」「本物の人」ということになる。ジュホアンの人口は8千~1万人。その3分の2がナミビアに住んでいる。ブッシュマンの1割でもある。
著者は1992年以来、ブッシュマンの人々と共に生活したりしてきたイギリス人の社会人類学者です。
ジュホアンは150ほどの名前を使い回していて、著者にはツンタという名前がつけられている。同じ名前をもつと、血のつながった親族よりも重要視される。
そして、「冗談を言いあう関係」か、「敬意を払う関係」のどちらかに分類される。
うひゃあ、面白い分類ですね、これって・・・。
ジュホアンは狩猟採集民であり、肉をすべて食べ尽くすまで、次の狩りはしない。食べきれずに腐らせてしまうほど多くの動物を殺すと、社会的また精神的な制裁を受ける恐れがあると彼らは考えている。
ジュホアンは労働者としては、まったく信頼できない。思うがままにやってきては、ある日、いなくなってしまう。いくら物質的に動機づけして働く気を起こさせようとしてもムダだった。
今でも、周囲には資本主義経済があり、そこにある程度はかかわりながらも、今なおジュホアンは、「容易に満たされるわずかなニーズ」で暮らし、「原初の豊かさ」を現代の形に変えて生きている。
ジュホアンにとって、白人の農場主の裕福さに驚くものの、自分たちよりも多くの食べ物がいつもあるのに、陽気に振る舞うことがめったにないのが、不思議で仕方がない。
狩猟採集民ジュホアンのあいだでは、自己利益が常にその影の部分や嫉妬によって規制され、嫉妬によって確実に公平な分け前を全員が受けとれるようになっている。嫉妬はジュホアンの社会経済における「見えざる手」(アダム・スミス)になっている。
狩猟採集民ジュホアンは、品物を贈ったり受けとったりすることを大切にしていて、品物そのものよりも、その行為に喜びを感じている。贈与は、今でもジュホアンの大きな喜びとなっている。
ジュホアンなどの狩猟採集民の社会では、協調ネットワークが愛情によって保障され、嫉妬の平等主義によって維持されている。
狩猟採集民は、低リスクのやり方で、暮らしを立てている。多くの異なる食糧源に頼ることでリスクを分散していて、定期的な干ばつや洪水などに対応して絶えず変化する環境を活用できる。
ジュホアンは結婚で大騒ぎしない。離婚も同じ。一夫一婦婚がジュホアンの規範だが、ときに一夫多妻のこともある。家庭での主導権をどちらかが握ることもないため、多くのジュホアンは死ぬまで一夫一婦婚を喜んで維持する。離婚しても、社会の失敗者と感じて精神的に不安定になることは、めったにない。男性も女性も食べ物の供給に重要な役割を担っている。
狩猟採集社会をみて言えることは、マルクスも新自由主義の経済学者も、人間の本質をまちがってとらえているということ。人間は労働によって定着されるのではなく、別の充足感のある生き方を十二分に送ることができる能力があるのだ。
過去や未来への無関心、そして愛情と嫉妬によって社会関係は形づくられている。
週にわずか15時間しか働かなくてよい社会と言われても、日本人の私にはまったくピンと来ないのですが・・・。世の中には、いろんな人々がいることを改めて実感させられます。380頁の大作で、少々読みにくいのが難点ですが、驚きの知見にあふれた本です。
(2019年10月刊。2600円+税)

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