弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2020年7月 8日
ハーレム・チルドレンズ・ゾーンの挑戦
(霧山昴)
著者 ポール・タフ 、 出版 みすず書房
いとこも、おじも、父親も、みんな刑務所に入ってるようなコミュニティで育つ子どもは、刑務所に行くなんてたいしたことじゃない、そう思って育つだろう。出会った大人がみんな刑務所に行ったことがあるようなら、大勢に子どもを失うことになる。子どもたちはそんな大人を尊敬し、いとも同じ環境に吸いこまれてしまう。
反対し、もし大学に入った子どもが何百人もいたら、少なくともハーレム地区で貧困のうちに大人になるのとは違う見通しが得られる。
このプログラムの目標は、子どもの学力をトップレベルまで引き上げることではなく、10代の若者をほどほどの成功へと誘導すること。つまり、犯罪から遠ざけ、何かを達成させ、高等教育のプログラムを受けさせること。
この本は、ハーレムに住む子どもたちを全体として大学に行けるようにすることを目指す苦難の取り組みを紹介しています。こうやって成功しました、という単純なストーリーではありませんが、着実に成果は上がっているようです。大学に入った子どもが150人いたとか284人もいたという数字も紹介されているのです。刑務所に行ったり、途中で殺されたりするより、大学に入ることは、よほどましなことですし、次に続く子どもたちに良き手本となるに違いありません。
でも、このプロジェクトのためには人材とお金が必要です。幸い、アメリカは懐(ふところ)が深い人がいて、投資家などの大金持ちが相応の寄付をしてくれるようです。でも、そのためには当然のことですが目に見える成果もあげないければいけません。
そのとき、出来る子どもをさらに伸ばすというのは容易でしょうが、成績が底辺にあって、親の協力も難しい子どもたちを全体として底上げするというのは、それを聞いただけでもきわめて困難な課題だということがよく分かります。でも、そこに果敢に挑戦していくのです。
アメリカにも、こんな人々がたくさんいて、だからこそオバマ大統領は誕生したんだな、サンダースもがんばれたんだな、そう思わせる取り組みです。
アメリカの主流である中産階級の一員として、立派に社会的役割を果たせる大人に成長してほしい。そのためには、思春期を生き延びて高校を卒業し、大学に入学して、きちんと卒業する。このためには何をなすべきなのか...。
支援プログラムへの参加率が10%くらいだと、参加者が近隣住民に与える影響はほとんどない。ところが、参加率が60%になると、プログラムに参加するのがあたりまえになり、同時に周囲の価値観も変わってくる。
ハーレムの一区画に3000人の子どもが暮らしていて、その60%は貧困ラインより下の生活水準で、4分の3は読解力と算数の試験でいつも全国平均下まわっていた。
アメリカの刑務所を運営している人物は、3年生に注目している。毎年、3年生の試験の成績をみて、20年後にどれだけの監房が必要になるのかを予測する。
この話は、ほかの本でも同じことを読みましたので、本当だと思います。小学校の成績(勉強の到達度)が大人になってからの犯罪者数を予測できるなんて、実に恐ろしいことです。
マンハッタンで暮らす、5歳未満の子どものいる白人家庭の平均年収は28万4千ドル。ところが、同じ条件の黒人家庭の平均年収は3万1千ドル。これでは、とても子どもたちは同じスタート地点に立っているとは思えない。
ハーレムの若者の平均寿命はバングラデシュの若者の平均寿命より短い(1990年)。
ハーレム地区の殺人による死亡率は、ニューヨーク市全体の14倍。
1991年、銃撃による死亡はアメリカの15歳から19歳までの黒人男性の死因の第一位で、全死亡者数の半数。ハーレムでは銃と麻薬が問題だ。
プログラムの一環として、日常生活のあらゆる場面で子どもにたくさん話しかけることを親たちに促した。
勤勉と品行方正の二つを子どもたちに守らせる。そのため親と生徒に契約書にサインさせる。できなければ退学。こんな方法もありますが、この本では、そうではない手法で進めようとしています。当然、大変な困難にぶつかります。
「腐ったリンゴ」を排除していくやり方は本当に正しいのか、それで当の本人も、周囲の子どもたちも救われるのか、果たして解決になるのか...、難しいところですよね。
里親に養育されている子ども、離婚した両親が親権を争っている子ども、兄弟が刑務所にいる子ども、夜眠るにも静かな場所のない子ども、怒りを抱えていたり、抑圧されていたり、ただ悲しみに暮れている子ども、いろんな子どもがいる。
子どものころ言葉のシャワーを浴びることが脳の発達にいかに強烈な影響を与えることか...。子どもが印刷された単語を読む能力のレベルは親の収入のレベルとほぼ一致する。
幼少期に読解が得意だった子どもは、長じてすばらしい読みになる。
アメリカはニューヨークのハーレム地区における素晴らしい教育実践のレポートです。
私は、この本を読んで、アメリカもまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。少し高価ですので、ぜひ図書館に注文して借りて読んでみてください。
(2020年5月刊。4500円+税)
2020年6月25日
私が愛する世界
(霧山昴)
著者 ソニア・ソトマイヨール 、 出版 亜紀書房
アメリカ初のヒスパニック系女性で最高裁判事である著者が自分の半生を振り返った本です。
アメリカの連邦最高裁判所の判事って、たった9人しかいなくて、しかも終身制なんですね。著者は2009年にオバマ大統領から任命されました。
著者はプエルトリコ出身です。1954年生まれで、8歳のとき糖尿病と診断され、ずっと毎日インスリン注射を1本うってきました。ときに意識不明になることがあり、そのときはケーキか何か甘いものを補給しなくてはいけません。大変な生活ですよね。
父親はアルコール依存症となり、42歳の若さで死亡。著者が9歳のときのこと。
著者はテレビの『ペリー・メイスン』をみて、弁護士を志した。しかし、同時に判事のほうが常識的な仕事だと思った。
弁護士(または判事)になろうとするのなら、説得力ある、確信をもって言い方を学ばなければならないことに気がついた。
たしかに、自信のない言い方では説得できませんよね...。
著者はよほど頭がいいようです。ニューヨーク州の高校在学中に統一試験(リージェント試験)で100点満点をとり、教師からカンニングしたのではないかと疑われたほどです。
プエルトリコ人に手を使わずに話せだなんて、鳥に飛ぶなというようなものだ。
こんなたとえが出てきます。身ぶり手ぶりつきで話すのがプエルトリコ人なのですね、きっと...。
何かを論証しようとするときには、自分の感情をわきまえるのと同じく、聞き手の感情も考慮する必要がある。要するに、聞いてくれる耳をもってくれないと会話は成り立たないのです。
ハーバード大学でもイエール大学でもなく、著者はプリンストン大学に入りました。すごいですね...。そして、ロースクールはイェール大学に入ります。学生が180人しかいない少人数制が気にいったようです。
そして、地区検事助手を振り出しに、検察官となり、弁護士事務所に入り、ついに念願の連邦地裁判事になったのでした。検察官のときは、逮捕現場にも行っていたようです。
そのころの写真を見ると、バイタリティーあふれた顔つきで、正直いって怖いほどです。
著者は夢をあきらめない人。意思が強くて楽観主義者。物事の真相を見きわめる理性的なまなざしをもつ。
共和党に誘われたが、断って無党派のままでいた。そして、プエルトリコ人のための協会で活動もしたが、それが連邦裁判所の裁判官になるのに障害にならないようにしてくれる人脈があった。
決して自慢話のオンパレードではないのですが、あまりにも頭が良いからでしょうか、どれほどの努力をしたのか、そのやり方などをもっと語ってほしかった...、という思いが残りました。
さて、日本でも女性の最高裁判事は何人も出ています。大牟田の高校(北高)を出て九大から官僚になり最高裁判事になった人もいましたが、総じて日本の女性裁判官は印象が薄いですね。残念です。
(2019年10月刊。2600円+税)
2020年6月16日
アメリカン・プリズン
(霧山昴)
著者 シェーン・バウアー 、 出版 東京創元社
アメリカでは刑務所までが民営化され、私企業による金もうけビジネスの場となっていることは知っていましたが、実はその歴史は大変古いものだったのでした。そして、勇敢なジャーナリストが民営刑務所の職員に志願して潜入したのです。
民営化刑務所では、当然に金もうけ優先なので、なすべきことをせずに経費節約として人件費等をバッサリ切り捨てていった。すると、当然のことながら、刑務所内部は荒廃していった。矯正教育どころではない。時給わずか9ドルの刑務官が丸腰で1人あたり176人の受刑者を監視するという、とんでもない状態が生まれた。
受刑者が荒れたら、刑務官のほうもストレスがたまる。みんな長続きしないので、刑務所を運営する会社はどんどん求人する...。
平均して刑務官の3分の1がPTSD(心的外傷ストレス障害)に悩まされている。これは、イラクやアフガニスタンからの帰還兵士よりも多い。刑務所内のあちこちに、職員向けの自殺防止ホットラインのポスターが貼られている。刑務官の自殺率は平均すると一般市民の2.5倍。そして、刑務官の寿命は短い。自殺しながった者も、平均寿命よりも10年も早く死んでいる。刑務官の仕事は、とにかく危険すぎる。敵をおおぜいつくったことをよく覚えていたほうがいい。
受刑者の3分の1は精神的な問題をかかえていて、4分の1はIQが70未満だ。
刑務所が人を更生させるって、よく言われるけれど、人を更生させるのは刑務所ではない。自分で自分を更生させるしかない。
アメリカの大部分の刑務所には、はっきりした人種の溝がある。アーリアン・ブラザーフッドやメキシカン・マフィアなどの人種別の刑務所ギャングによる所内政治が存在する。
刑務所の収容者の75%が黒人、25%が白人の刑務所では、異なる人種どうしが一緒に食堂のテーブルを囲み、運動場にたむろし、大部屋で眠る。
一般的な刑務所は人件費に次いで多いのは医療費。ルイジアナ州の刑務所は、平均して予算の9%を医療費に充てている。州によってはさらに高く、カリフォルニア州のある刑務所では予算の31%を医療費が占めている。
ほとんどの受刑者には、弁護士を雇う余裕はないので、裁判に勝つのはほぼ不可能になる。それでも、CCAは2008年までの10年間で600件の裁判で和解している。
現金がなければ刑務所で生きていくのは、ほぼ不可能。一般国民が合法的にお金をつくる唯一の方法は血を売ることだった。また、新薬の治験者も割が良かった。
アメリカの刑務所人口は増え続けている。10年間で、26万3千人から54万7千人に倍増した。そして、2009年のピーク時には州刑務所と連邦刑務所をあわせて160万人に達した。刑務所は利益を生むどころか、州と国のあわせて年間800億ドルの費用を要するようになった。
民営刑務所は公営刑務所より受刑者同士の傷害事件が28%多く、民営刑務所の受刑者は公益刑務所の受刑者の2倍近くの武器を持っている。
移民収容所は、民営刑務所の足をひっぱっている。民営化された監視塔に人員を置かなくなったのと同じころに、作業プログラムも削られた。職業訓練プログラムの多くが廃止され、工房は物置になってしまった・・・。
日本もアメリカにならって、刑務所の民営化をすすめていますが、いったい民営刑務所の真実の姿を私たちは、どれだけ知っているでしょうか...。アメリカの民営刑務所内に突撃したジャーナリストの勇敢さをたたえます。
(2020年4月刊。2100円+税)
2020年6月12日
正義の行方
(霧山昴)
著者 プリート・バララ 、 出版 早川書房
インド系のニューヨーク連邦検事の見たアメリカの司法の現実です。
司法権の独立を守るためトランプ大統領とたたかって連邦検事を罷免されたとのことですが、その点の詳細は語られていません(見落としたかな...)。
著者は2017年3月11日、トランプ大統領によって、突如として連邦検事を罷免された。
ときに裁判官は正義の追及を忘れ、自己保身のための行動をとることがある。
この点は、日本もアメリカも同じだということですね...。
裁判官がつねに公平無私な判断をできるとはかぎらない。裁判官は、ただ事実に法律を適用して、ボールとストライクを判定しているわけではない。裁判官は、すべてを超越した存在などではない。裁判官をふくめたすべての人々は、戦略や戦術を利用しようとする。裁判官は、ときに安易な物々交換に手を出してしまう。上級裁判所による逆転判決をやけに気にする裁判官の気質を理解している検察官は、抜群のタイミングでレバーを押すことができる。大切なのは気づきだ。
裁判官の背中を押すものは何か...。潜在的な自己利益、うぬぼれ、偏見の影響力を弱めるには、何が必要なのか...。
孤立した部屋に追いやられた裁判官たちは、自ら落ち度はなくても、悪い癖や居丈高な態度を保ったまま法廷に出つづけることが多い。このような傾向は、正義に対する認識に悪い影響を与えかねない。
被告人をひとりの人間として敬意と尊厳に値する人物として扱う裁判官はたしかにいる。しかし、法廷にいる私たちは、みなそれを忘れがちになる。
法廷で、いちばん重要なことは何か...。もちろん、準備、専門的技術、雄弁士も大切だ。しかし、法廷でなにより重要なのは信憑性だ。信憑性があれば、あなたの物語は、より信用してもらえる。譲歩は、弱さではなく、強さの証だ。なぜなら、譲歩は、あなたの信憑性を高めてくれるからだ。
法律はたんなる楽器であり、人間のかかわりがなければ、ケースにしまわれたままのバイオリンのごとく無意味で、無力なものでしかない。
人間によって正義が果たされることもあれば、逆に阻(はば)まれることもある。人間によって寛大な措置が施されることもあれば、拒否されることもある。
密告者...。裏切り者の存在は、多くの犯罪捜査にとって欠かせない。崩壊は決まって内部から始まる。しかし、検察との協力(協力したとの疑い)のため、数えきれない人が、この世から葬り去られた。
誰かを協力者として寝返らせるための戦略は、賢い尋問のための戦略とそれほど変わらない。大げさな感情表現や芝居など必要なく、むしろ逆効果でしかない。優秀な捜査官や検察官は、相手を脅したり威嚇したりせず、きっぱりした事務的な口調で話す。
協力するかどうかという判断は、いわば費用対効果の分析だ。見返りもなしに何かを与えるような人を説得するのは難しい。これは実利的な取引であり、正義をまっとうするための手段でもあるのだ。
長く司法界にいただけあって、アメリカと日本とでは制度は異なっても、共通するところが大きいと実感しながら興味深く読みすすめました。
(2020年3月刊。2900円+税)
2020年5月30日
ザリガニの鳴くところ
(霧山昴)
著者 ディーリア・オーエンズ 、 出版 早川書房
泣けた、泣けた、泣けました。あまりの興奮で今夜は眠れないかと心配してしまいました。おかげさまで、いつものとおり、ぐっすり眠れましたが...。
全米500万部突破とありますが、たしかに、なるほどと読ませる出来ばえの本です。
作中の人物にずずっと感情移入し、あまりに切なくて、ついつい涙が出てくるのでした。年齢(とし)をとると涙腺がゆるんでくるというのは真実ですが、これも決して悪いことではありません。それだけ感情の高まり(高ぶり・高揚)があるというのは、まだまだこの世に生きているという、何よりの証(あかし)なのですから。
なんで、そんなに泣いたのかというと、なんと主人公の女性は、まだ、たった6歳の女の子だったとき、両親からも姉兄たちからも見捨てられて、湿地の一軒家で一人で過ごすことになったのです...。
なぜ、そんなことになったのか...。誰が、こんな哀しいストーリーを創作したのか...。
まず、原因は父親にあります。父親は戦争に行って、ドイツ軍との戦場で足をケガして戻ってきたが、戦後は障害者手当だけで、飲んだくれの毎日。妻と子どもたちへの暴力がひどく、妻が家を出たあと、姉も兄も末っ子の主人公を置きざりにして出ていった。もちろん、父親は、残った女の子の面倒なんかみない。近所の親切な黒人夫婦の助けで、ようやく生きのびた。7歳になって、1日だけ学校に行ったけれど、みんなからバカにされて学校には行かなくなった。そして、母の帰りをひたすら待って、たまに帰ってくる父からお金も得て、なんとか一人で湿地で暮らしていった。カモメたち大自然を友だちとして...。
でも、読んでいるうちに、大自然のなかの一人ぼっちのほうが、大都会のなかでネグレクトされて一人ぼっちにされるより、まだましなのかもしれないと思いました。たしかに、真暗闇でしょうが、それでもカモメやたくさんの生き物が大自然の隣人として存在しているのです。彼らと交流できたら、決して悪いことばかりでもないのでしょう...。
いったい、だれが、こんな哀しいストーリーを創作したのでしょうか...。
すると、訳者あとがきによると、著者はなんと、ジョージア州出身の69歳の動物学者だという。つまり、小説家としては、この本でデビューしたというわけ。これには腰が抜けるほど驚きました。まさしく、おったまげた...、というところです。
なるほど、湿地の生態の描写が実に細かくすばらしい理由が納得できます。
この湿地の少女は、学校に行っていませんので、まったくの文盲のはず。ところが、救いの主が登場します。少女よりは少しだけ年長の、自然を愛する少年です。少年が算数そして読み書きを少女に教え、少女は次第に湿地に生息する動植物の生態の研究もはじめるのです。そして、二人のあいだに恋愛感情が芽生えます。それがまた切ないのです。
ところが、その少年との恋が実らず、別のプレーボーイが登場します。なぜ、そんなことになったのか、そして、それはどういう結末を迎えるのか...、ここも読ませます。
また、少女を捨てた母親そして兄たちは、いったいどうしていたのか...、それがもう一つ知りたいところです。
500頁の本ですが、昼間、裁判のあいまに読み始め、結末をどうしても知りたくて、夜12時前になんとか読み終えました。
殺人事件が起きる、推理小説でもありますので、ネタバレしないように紹介したつもりです。深い満足感とともに、安らかに眠ることができたことが私の読書の喜びです。ご一読を強くおすすめします。
(2020年4月刊。1900円+税)
2020年5月13日
崩壊の予兆(下)
(霧山昴)
著者 ローリー・ギャレット 、 出版 河出書房新社
新型コロナ・ウィルスで全世界が震えていますが、2003年8月に日本語訳で出版された本書は2000年8月にアメリカで出版されていて、今の事態を予言した本だと言えます。
動揺する何百万人。地球上に住む何十億もの人間。何兆トンもの積荷、農産物、動物。そして、その行為がもたらす、あらゆる人々への危険の増加。その行く手には、公衆衛生に手痛い代価を要求するような地球規模のリスクが潜んでいた。
世界の人口は高齢化しつつある。これは、公衆衛生に二つの重要な影響を及ぼす。
まず、経済に対する影響、そして感染症に対する影響。インフルエンザや肺炎は、若い成人にとっては数日のあいだ、体調を崩す程度のものにすぎないが、その同じ病原体が高齢者にはしばしば致命的な感染症をもたらす。集団免疫の概念は、20世紀に有名になったものの、驚くほど不明な点が多い。
豊かな国で高齢者人口が30%を超し、貧しい国で10%を超したとき、その社会に何が起きるのか...。年老いていく身体にワクチンがどう働くのか...。
豊かなアメリカと貧しいコスタリカが公衆衛生指標ではほぼ同等であるが、それはいったいなぜなのか...。
平均寿命や乳児死亡率には、国民1人あたりのGDPよりも、成人の識字率のほうがより密接に関連していることが分かっている。
アメリカにとって大きいのは、人種問題、そして社会階層の問題である。
アメリカでは、今や100億ドルをこす規模で、化学製品、薬品、食品の製造を支配する長大企業をつくりあげている。
世界のほとんどの死亡や病気は、地球上の最貧層の市民に起こっている。
頼れるのは、地元と国と地球規模の公衆衛生基盤しかない。
信頼を構築するには、一種の共同的意識が不可欠だ。その共同体は、全体として自分たちの未来を信じていなくてはいけない。ところが、現実には、人類は孤立し、ときには敵対しあって生きている。
今の日本はコロナ・ウィルスの関係で、外出8割削減が叫ばれている今、人々はじっと家に閉じこもって先行きの見通しのなさにイライラしています。とはいっても、うっぷん晴らしで、誰かにあたったりしてはいけません。アベノマスクはまだまだ届きません。粗悪品をつかまされたようで、いったん全量回収といのも、とんでもない政権です。せめて自民党内のよりましな首相に変わってもらえないものでしょうか...。日本の最大のピンチのときに最悪の首相をかかえた日本人の悲劇から一刻も早く脱け出したいものです。
(2003年8月刊。2400円+税)
2020年5月12日
ハリエット・タブマン
(霧山昴)
著者 上杉 忍 、 出版 新曜社
「モーゼ」と呼ばれた黒人女性の話です。奴隷でありながら、自ら逃亡したあと、今度は家族や黒人の仲間を次々に救出していったのでした。大変勇敢な女性です。
アメリカの20ドル紙幣の表面に肖像がのることになっていますが、トランプ大統領が横ヤリを入れているそうです。女性参政権100周年を記念した動きの一環です。
アメリカでは子どもたちは教室でタブマンのことを学ぶので、タブマンのことを知らない人は珍しいとのことです。アメリカでも1960年代になってタブマンの存在が知られるようになり、1986年のテレビドラマ『モーゼと呼ばれた女性』で一気にアメリカ全土で有名になったと言います。今では、アメリカの小学生は、ハリエット・タブマンについて学ぶことを通じて初めて黒人奴隷制を学ぶとのこと。
タブマンは、奴隷だったので学校に行くこともなく、読み書きができなかった。それで本人が書いたものはない。
所有者は奴隷を自由に売買することが出来た。そのとき、家族をバラバラにして売りに出すこともあった。また、奴隷主は、奴隷を「貸し出し」することもあった。
奴隷の身分から解放された自由黒人も存在した。自由黒人と黒人奴隷とが接触するなかで、逃亡奴隷に隠れ場所を提供したり、逃亡の手助けをする自由黒人が出現し、奴隷主の頭を悩ませた。
奴隷の逃亡が急増すると、奴隷主は、報奨金100ドルという広告を出して、発見しようとした。
タブマンの出生登録はないので正確な出生年月日は不明だが、恐らく1822年の2月か3月だと推定されている。タブマンが奴隷として生まれたのは、母親のリッツが奴隷だったから。このリッツの父親は白人だった。
黒人奴隷は、白人たちの世界と並存する秘密の世界をつくりあげていた。
タブマンは、そのなかで人並み以上の集中力をもって、コミュニケーション能力、具体的には口頭や身振りでのコミュニケーションの方法、暗号化された霊歌、表情、一瞥、歩き方、手の動かしかた、服装や欺く技術を身につけた。
クエーカー教徒は、その教義から奴隷を所有していなかった。それで、奴隷の逃亡を助けた。
タブマンは1849年に逃亡に成功し、その後は、南北戦争が始まるまで、何度も故郷のメリーランド州のイースタンショアに戻って、「地下鉄道」と呼ばれる支援運動によって、家族や仲間の逃亡を助けた。1830年から1860年までの30年間に年1000人から5000人、合計13万5000人の奴隷が逃亡に成功した。
タブマンは、周到な準備と緻密で考え抜かれた作戦によって、10回以上の作戦で一度も失敗しなかった。タブマンは銃を携行していたが一度も使っていない。
タブマンは、13回、70人を自ら救出した。このほか、50人に指示して逃亡させている。
「19回、300人」という数字は根拠のない誇大な数字だとされている。
タブマンは、慎重のうえにも慎重を重ね、情報収集を怠らず、十分な準備の下に作戦を実行し、成功させた。すべてはタブマンの単独指令にもとづいて運用された。
映画『ハリエット』が近く公開されるようなので、ぜひともみてみたいと思っています。
(2019年3月刊。3200円+税)
2020年5月 9日
癒されぬアメリカ
(霧山昴)
著者 鎌田 遵 、 出版 集英社新書
アメリカ先住民社会の現状が詳しく紹介されています。
アメリカには300万人近い先住民が暮らしている。3億人をこえる人口の1%にもならない。部族は573。平均年齢は31.4歳で、全米平均の37.7歳より若い。25歳以上の人で、4年制大学を卒業しているのは18.5%。これは、全米平均の30.1%をはるかに下回る。貧困率は28.3%。
先住民は糖尿病の疾病率が高く、白人の2倍。そして糖尿病が原因の腎不全を患う先住民人口の割合は白人の5倍。
先住民は、強制的に定住させられ、極度の運動不足と、食糧難に陥った。そして、安価で高カロリーの食糧が政府から配給された。これらが原因だ。
先住民にとって、砂漠はスーパーマーケットのようなもの。風邪薬や食べもの、食器や家財道具などの日常生活に必要なものは、すべてここで手に入る。必要なものは、すべて砂漠で調達する。風邪の症状が出たら、砂漠に生えている雑草をそのまま口にする。
モハベ族の先祖たちは、白人の侵略者の要求に応じた。そうすれば、自分の世代はともかく、子や孫の世代は、白人と一緒に生きていけると思ったからだ。しかし、白人の要求は底なしだった。伝統文化の継承を禁じ、弾圧によって尊厳までも奪うとは、誰も予想できなかった。
モハベ族の人たちには死んだ人の悪口を言ってはいけないという不文律がある。自分の先祖と同じ場所にいる人を批判することになってしまうからだ。
先住民の居住地がドラッグ密輸の経路になっている。
先住民の12.3%がドラッグを使用していて、23.5%が過度の飲酒の問題をかかえている。
先住民の居留地内には、複数の女性ギャング組織があり、ときに抗争にまで発展している。
先住民が刑務所に収監される割合は高い。先住民の収監者は、1999年の5500人から2014年の1万400人に増えた。毎年平均して、4.35%ずつ増加している。ほかの人種の増加率1.4%より3倍以上も高い。
過去5年間に連邦刑務所での先住民の収監者は27%も増えた。
先住民の逮捕者は10万人のうち4268人で、黒人の5393人に次いで多い。これは白人の2386人よりはるかに多い。
先住民の10万人あたりの自殺者は21.5人で、ほかの人種よりも高い。
アメリカでは、現在、247の部族が全米29州の居留地でカジノの経営に参入している。520施設だ。カジノ経営によって、雇用機会は増加し、その収益で居留地のインフラ整備や少額金制度などが強化されている。
居留地でのカジノ経営は、人種差別に苦しむ先住民の貴重な収入源になっている。また、部族が守り抜いた自治権の象徴でもある。
先住民のカジノ収益は、おもに居留地内の社会福祉事業や伝統文化の維持するものであり、それを通じて部族社会再建のために確立していた(はずだった)。
もともと居留地には、アルコールとドラッグの問題があった。でも、今はギャンブル依存症が深刻化している。
アメリカ先住民女性の46%はレイプ、家庭内暴力、交際相手からのストーカー被害のいずれかにあっている。先住民の女性がレイプされる割合は高く、その加害男性が先住民以外の人種である割合は86%と、とても高い。レイプの被害者が先住民だったとき、警察は動かない。
アメリカの先住民をインディアンと呼ぶのは、おかしい。インド人ではないからだ。
先住民であることを隠して、多くの人が生きている。
インディアンとも呼ばれているアメリカ先住民の置かれた状況は大変だということがよく分かる新書でした。
(2019年12月刊。1000円+税)
2020年4月23日
シークレット・ウォーズ(上)
(霧山昴)
著者 スティーブ・コール 、 出版 白水社
9.11(2001年)以降、アフガニスタンとパキスタンを舞台として、アメリカのCIAがISIとともに展開した「見えざる戦い」を記述した本です。
CIAに対するアフガニスタン反政府勢力への支援は、パキスタンの主要スパイ機関、三軍総合情報局(ISI)を通じて行われていた。
アフガニスタン反政府勢力側の内部で仲間割れが起きたのは、それは勝利を予感して、もたらされるであろう利権をめぐって争いを始めたのだ。
インドに比べてパキスタンは人口も少なく、産業基盤も弱かった。このギャップを補おうと軍はインドによる軍事進攻への対抗策として核兵器を開発した。長年の悲願であるカシミール係争地域の獲得を狙って、ISIはイスラーム主義ゲリラに極秘裏に武器を与えて、訓練を施し、インド領カシミールへ潜入させ、警察署の爆破、誘拐、インド軍駐屯地を攻撃した。
およそ2万5千人から成るISIはパキスタン軍幹部の指揮下にあった。
9.11には、タリバンも、その他のアフガン人も加わっていなかった。ハイジャック犯はサウジアラビア人かその他のアラブ人だった。事件を企画したハーリド・シェイク・ムハンマドはパキスタン人で、クウェートに長年居住し、アメリカのノースカロライナ州の大学で学んでいた。ムッラー・ムハンマド・オマルが事前にテロの企てを知っていたかどうかは判然としていない。
9.11のあと、CIAのテロ対策センターは、2000人の常勤職員をかかえるまでになった。無秩序ともいえる急拡大だ。テロリズム分析室だけでも25人が300人へと膨れあがった。
アメリカは戦闘終結後のアフガニスタンについて、確固とした方針をもちあわせていなかった。ブッシュ政権は国家建設にも平和維持にもほとんど興味を示さなかった。
オサマ・ビン・ラディンとムッラー・ムハンマド・オマルは逃亡した。
アフガニスタンの各都市は地域有力者の手に委ねられることになり、その多くはCIAの協力者だったが、職権乱用、内部分裂、能力の欠如がはびこっていた。
アメリカは、ソ連軍と戦うㇺジャーヒディーンに対して、2000基以上の赤外線誘導式携帯型対空ミサイル、スティンガーを提供していた。そして、アフガン内戦が始まると、このミサイルを買い戻そうとした。CIAは、ISI職員などを通じてスティンガーを1基8万ドルで買い戻していった。
アフガニスタンでは、カネがすべて。政治もカネ、戦争もカネ、政府だってカネのため。
2003年に、ブッシュ大統領のもとの国家安全保障会議がアフガニスタンについて議論をしたのは2回のみ。これほどまでの無関心は、イラクに対する進攻と占領、戦後アフガニスタンの安定性に対する過信、加えてこれ以上の復興への関与は避けたいというブッシュ政権の希望があったから。
2004年7月17日、ネーク・ムハンマドはラジオでのインタビューに答えるため、衛星電話で通話をしていた。この通話はタスクフォース・オレンジをはじめとする組織によって、いとも簡単に傍受された。これを受けて、CIAのプレデター無人機が上空からヘルファイア・ミサイルを発射し、ムハンマドは殺害された。
恐ろしいことですね、電話で話していると場所を察知されて、上空からミサイルを撃ち込まれる世の中なんです...。でも、肝心なことは、こうやって暗殺しても、世の中の大勢は変わらないということです。
タリバンの自爆犯には若年者が多く、12歳とか13歳もいた。車を運転したこともない若者が爆弾を搭載した古いカローラに乗って、ためらうことなく路上で猛スピードで突っ込んでいく。タリバンは、自爆犯の遺族に2000ドルから1万ドルの見舞金を支給している。
タリバン政権が崩壊したあとのアフガニスタンでは、アヘンの原料となるケシの栽培が25%増加し、2006年には、生産量が一気に増えた。
2008年の1年間で、アフガニスタン戦争で死亡したアメリカ人は155人。前年より3割増。
2008年、タリバンによるIED攻撃は3867回にも達し、前年比5割増。
アフガニスタンで中村哲医師が殺害されてしまいましたが、それでも軍事力に頼らない解決を地道に探っていくしか、平和への道はないと私は考えます。
(2019年12月刊。3800円+税)
2020年4月17日
ザ・ボーダー(上)
(霧山昴)
著者 ドン・ウィンズロウ 、 出版 ハーバーBOOKS
アメリカと南米の麻薬カルテルの暗躍ぶりを、これでもかこれでもかと延々と詳細に書きつづっている小説です。文庫本なのですが、上巻だけでも765頁、ほとほと疲れてしまいます。
アメリカには、メキシコや南米各国から、麻薬がとうとうと流れ込んでいるようです。
アメリカの国務省とCIAはメキシコ政府と麻薬カルテルの協力関係の維持を消極的にせよ支持する。これに対して、司法省と麻薬取締局は断固としてカルテルのヘロイン密輸を阻止したい。
アメリカでは、麻薬取締法の厳しさから、暴力をともなわない違反者にも最低30年の刑そして終身刑を科した。その結果、200万人以上が、その大半はアフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人が刑務所暮らしをしている。
ドラッグマネーがアメリカから毎年メキシコだけでも何百億ドルも流出している。その多くはメキシコ国内の投資に流れる。メキシコ経済の7~12%は、ドラッグマネーで成りたっていると言われている。同時に、アメリカにまた戻ってきて、不動産や投資に注ぎ込まれるお金も少なくない。いったん銀行に預けられ、その後、合法的なビジネスに使われる。これが麻薬戦争の裏に隠された薄汚い真実だ。「ヤク中」が腕に注射を1回うつたびに全員がもうかる仕組みになっている。全員が投資家であり、カルテルなのだ。
刑務所や監獄は、答えではない。刑務所のなかでもヤクを続ける。むしろ有効なのは、薬物裁判所か・・・。逮捕したら、判事が強制的にリハビリ施設に送り込むようにしたらいい。
メキシコ人は、テキサス経由でニューヨークにヘロインを持ち込み、たいていはアッパー・マンハッタンかブロンクスにあるアパートメントや自分の家にいったん保管する。そのあと、工場でダイム袋に小分けして売人に売る。売人はたいてい組織のチンピラで、買ったヤクを市内で売りさばくか、州北部やニューイングランドの小さな町に運ぶ。ヤクを卸すカルテル側の人間が工場にいることはめったになく、彼らはヤクを持ち込むときだけ現れ、すぐにその場を立ち去る。工場で働いているのは、ヘロインを小分けする地元の女や、日銭めあての下っ端マネージャーだ。
このようにしてヤクは次から次に流入する。
メキシコの警察がカルテルに手なずけられているのは、すぐにお金になびくからではない。それだけの支配力をカルテルはもっている。賄賂は、もらうか、もらわないかではない。もらうか、もらわないなら一家皆殺しなのだ。このやり方なら、買収した警察官であっても信用できるし、裏切られることはない。
しかし、ニューヨークのギャングは警官を殺したり、ましてやその家族を脅したりはしない。正気のギャングなら、そんなことをしたら、怒れる3万8千人の警官を敵にまわすことになる。もし生きて逮捕されても、アイルランド人やイタリア人の検事やユダヤ人の判事から州で最悪の刑務所に送られ、死ぬまでずっとそこで過ごすことになる。もっとまずいのは、ビジネスが立ちいかなくなることだ。
そんなわけで、黒人のギャングもラテン系のギャングも警官を殺そうとはしない。それよりビジネスを大事にする。なので、メキシコ人もニューヨーク市警の警官の買収には慎重になる。警官が裏切らないという保証がないからだ。
今では、ドラッグはマンハッタン島の中央と南部の核家族世帯や近隣の労働者世帯のほか、多くの警官、消防士、市役所職員にも広がっている。
マンハッタンやブルックリンでは、ドラッグの商売は主にギャングの仕事で、公営住宅やその周辺での売買は、黒人とラテン系のギャングが仕切っている。そこに新規参入の余地はない。
まあ、あきれてしまうというか、心底から震えるほど恐ろしい現実世界が展開していく本です。
(2019年7月刊。1296円+税)