弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年6月 6日
遥かなる山に向かって
アメリカ
(霧山昴)
著者 ダニエル・ジェイムズ・ブラウン 、 出版 みすず書房
日米開戦によってアメリカ在住の日本人と日系人(2世)は強制収容所に入れられてしまいました。ドイツ人はそんなことはなく、ドイツ兵の捕虜もきちんとした処遇を受けました。日系人は「ジャップ」として、いわば「猿」扱いされたのです。
アメリカに生まれ育った2世(ニセイ)たちは、日本人というよりアメリカ人。日本の天皇に対する崇拝の気持ちなど持っているはずもありません。
アメリカ軍はやがて日系2世の青年たちを兵士として、ヨーロッパ戦線そして太平洋戦争のなかで使う方針を打ち出しました。子どもたち(日系2世)が従軍したからといって、親たち(1世)が収容所から出られることはありません。だから、兵役に応じないという声もありましたが、多くの青年がアメリカ軍兵士になりました。
ヨーロッパ戦線に送られるときには日系2世のみの部隊がつくられ、白人が指揮官となりました。果たして、アメリカ軍の期待に応える兵士なのか、疑問(不安)も当局にはあったようです。しかし、日系2世の部隊はヨーロッパ戦線では大活躍したのです。
前に「ゴー・フォー・ブローク」という本(渡辺正清・光人社)を読んでいましたので、およそのことは承知していましたが、前の本は250頁、今回は600頁というボリュームからも分かるとおり、圧倒的な詳しさです。なにより、2世を含む日系人が強制収容所に入れられる状況、そしてヨーロッパ戦線で大活躍したにもかかわらず、アメリカでは「大歓迎」どころではなく礼遇されたままだった状況を知り、心が痛みました。
戦争に行ったアメリカ人は1600万人のうち、名誉勲章を授与されたのは473人。うちの21人が日系2世の442連隊の兵士。442連隊は1万8000人いたのでアメリカ軍の0.11%にすぎない442連隊が名誉勲章の4.4%を受章したということ。このほか、殊勲十字章29、銀星章を560もらっている。
1946年7月、トルーマン大統領はホワイトハウス近くの広場で442連隊を閲兵し、次のように演説した。
「君たちは敵と戦ったのみならず、偏見とも闘い、そして勝利した。これからも闘い続けてほしい。そうすれば、我々は勝利するだろう」
トルーマン大統領の言葉は気高く、誠実だったが、アメリカ人の人種差別は根強かった。
1941年ころ、ハワイの人口42万3千人のうち、日系人は3分の1近く13万人近くいた。そしてハワイ準州警備隊員の4分の3以上日系アメリカ人だった。
真珠湾攻撃があったあと、アメリカ人の多くは、国内にいるスパイの手引があったはずだと信じた。実際、日本人がハワイの真珠湾の状況を調べていたようですね。でも、それは日系人を組織的に使ったものではなかったと思います。日系人の家への嫌がらせも起きています。
日系人を収容した強制収容所は、1日1人あたり食費はわずか33セントでしかなかった。米かジャガイモだけ、肉は出ることはほぼなかった。
ゴー・フォー・ブロークは「当たって砕けろ」と訳されています。日系人兵士たちがサイコロを振って遊んでいるときにも使っていたコトバのようです。
日系2世兵士の442連隊は、まずはイタリアのトスカーナ西部の戦線に送られます。ドイツ軍は88ミリ砲を搭載したティーガー戦車で対峙します。また、ドイツのMG42機関銃は「ヒトラーの電動のこぎり」と呼ばれ、切り裂くような長い音を立てながら、1分間に1200発もの弾丸を吐き出すのです。アメリカ軍のトムソン短機関銃より強力でした。そのなかで死闘を展開して注目されたのです。
次は、フランスのブリュイエールに行き、ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出作戦。この本の著者は、これはダールキスト少将の誤った作戦指揮のためにテキサス大隊200人が包囲されたものと強く非難しています。そして、日系2世部隊(442連隊)は、このダールキスト少将によって、ともかし一刻も早くテキサス大隊を救出しろと厳命されたというのです。ともかく、ドイツ軍が厳重な包囲網を敷いているなか、無謀な空撃を余儀なくされました。その結果、テキサス大隊の救出は出来ましたが、442連隊も大打撃を受けています。180人いたK歩兵中隊で無事に生きていたのは17人だったというのです。士官は全員が戦死か負傷したので、軍曹が指揮をとりました。そして、戦闘後、ダールキスト少将が閲兵したとき、あまりに兵士が少ないので、「全員を整列させろと言ったはずだ」と怒り出したのでした。
それに対して、「これが連隊全員です。残ったのはこれだけです」と実情をよく知っているミラー中佐が答えた。いやはや、なんということでしょうか...。200人のテキサス大隊を救出するために、442連隊は790人におよぶ死傷者を出したのでした。
そして、最後に、再びイタリア戦線です。アプアン・アルプスの山頂にドイツ軍が堅固な陣地を構えているのを、442連隊が攻め落としたのです。このときには日系2世の兵士32人が亡くなり、負傷者も数十人出しています。
この山を著者は2019年春にジープでのぼったそうです。とんでもなく高い山でした。
これもまた忘れてはいけない戦争体験の発掘と思いながら、ゴールデンウィークの1日に読了しました。
(2025年2月刊。4800円+税)