弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年6月 4日
被爆80年にあたっての提言
社会
(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
私たちは今、大分分岐点に立っている。原爆を開発したオッペンハイマーは、「我は死神なり。世界の破壊者なり」と言っていた。
いま、日本の政府は、核兵器に依存して「希望の世界」に進もうという。いったい、政府のいう「希望の世界」って、何なのでしょうか。どんな世界を指しているのでしょうか。フツー「希望の世界」っていったら、戦争のない、その心配も不安もない満ち足りた世界をイメージしますよね。でも、核兵器に依存して迎えるというのですから、お隣には核兵器が厳然として存在するわけです。すると、そこは「敵」に狙われるかもしれません。危険地帯に隣りあわせに生活していることになります。そんなのが「希望の世界」と言えるものでしょうか...。
著者は、政府のいう「希望の世界」は、「壊滅的な人道上の結末の世界」だと考えています。まったくそのとおりです。「希望」どころではありません。
今年(2025年)2月、日本の外務大臣(岩屋毅)は3月からニューヨークで開かれた核兵器禁止条約締結国会議への参加をふくめて、しないと表明した。
これまた信じられませんよね。核兵器なんて、あんな危険なものを、この地球上から一掃しよう。こんな呼びかけがあったら真っ先に駆けつけなければいけないはずの戦争被爆国ニッポンは、この会議に代表団もオブザーバーも送らなかったのです。情けない話です。
石破首相は、「すべての人が安心と安全を感じ」ることができるようになる(美しい日本)になるために、全力を尽くすと表明しました。しかし、実際は真逆の動きを、石破首相は首相になる前とうって変わって、加速化させています。「美しい日本」にするためには、日米同盟を更なる高みに引き上げる必要があるというのです。
石破首相はワシントンに飛んでいって、トランプ大統領と固い握手をして日本に帰ってきました。いったい何を約束させられたのでしょうか...。中国敵視をあらわにし共同声明では中国を名指しで批判しています。
最近の中国の行動は以前に比べて、いかにも乱暴です。でもでも、中国を名指しで非難したというのは、日本とアメリカは、中国を挑発したも同然です。
日米両国は、着々と日米同盟の軍事力を強化している。
2015年の「平和安全法制」とは、日本が攻撃されていなくても、場合によっては自衛隊を派遣できるという制度。
核兵器にしがみつきながら、「楽しい国」や「希望の世界」を語るというのは、デマをまき散らすのと同じことだ。まったく、そのとおりです。
現在、地球上に1万2千発もの核弾頭が存在し、そのうち4千発は即座に発射可能な状態で配備されている。
ロシアは核超大国であり、ウクライナ戦争で核攻撃の可能性に言及すると威嚇している。そして、イスラエルがガザ地区に執拗な攻撃を続けるなかで、核兵器の使用を口にするイスラエル政府の閣僚がいる。
核を使ってはいけないという「核のタブー」が壊されようとしていることに、田中熙巳さんは限りない悔しさと憤りを覚えています。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞したときの記念スピーチにおいて、代表委員の田中熙巳氏は、原爆の犠牲者に対する日本政府による保証が不十分なことを二度くり返しました。これは予定原稿にはなかったことなので、大いに注目されました。田中氏は、「国家補償の問題が他の国にも共通の課題になっているから」と説明しました。本当に、そのとおりです。
今や、人類滅亡の終末時計は残り89秒とされています。安穏(あんのん)と浮かれてメタンガスをかかえ、カジノの露払いのための関西万博を見物に行く余裕はないのです。
3.11で「フクイチ」(福島第一原発)が大爆発したとき、東日本一帯は放射線で汚染される危機一発でした。原発は「パーフェクトな危険」なのです。
ウクライナにあるザボリージャ原発はロシア軍によって制圧された。原発への攻撃は禁止されていない。いやはや、これって本当に恐ろしいことですよね。原発にミサイルが打ち込まれたら、3.11と違って、補修班が原子炉に近づけるはずもありません。
今、私たちは、原発と核兵器という、二つの核エネルギーを利用する道具によって、生存を脅かされている。核兵器は、人類が自滅する手段である。
日本の投票率の低さは、思わず恥ずかしさで顔を覆いたくなるほどひどい。有権者は政治への関心を弱めている。そして、政治なんか、どうしたって変わらないと絶望している。あきらめてしまったら、それこそ支配層の思うがままなのですけどね...。
私はあきらめません。なんといったって、国も地方も変革できるし、変革しなければいけません。嘆いているヒマなんて、ないのです。
1980年代のピーク時には、7万発の核弾頭があったのが、今では1万2千発にまで減っている。やれば出来るのです。あきらめて死を待つわけにはいきません。
なにより、この80年間近く、核兵器が実戦で使用されたことはない。これを単に運が良かったと考えることなく、意識的な核廃絶の取り組みにしなければいけません。
「日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」(文部省「憲法のはなし」)
あきらめることなく、核廃絶に向かって声をあげましょう。
核兵器と原発をめぐる問題点を考えるときに、頭を整理し、資料として活用できる本です。著者の一層のご活躍を祈念します。いつも本を贈っていただき、ありがとうございます。
(2025年5月刊。1870円)