弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年9月29日

わたくしは日本国憲法です

司法

(霧山昴)
著者 鈴木 篤 、 出版  朗文堂

医療分野で名高い弁護士ですが、憲法問題にも取り組んでいるのを初めて知りました。大学時代は私と同じ川崎セツルメントに所属していました。私の3年先輩になりますので、活動時期は重なっていません。
日本国憲法になり切って著者は訴えます。たしかにアメリカ軍による押しつけという側面があったことは事実だ。だからといって、そのことは憲法のなかみがもっている価値とは別の問題だ。憲法のもっている中身は決して否定されるようなものではない。むしろ問題なのは、押しつけであったために、憲法のもっている本当の価値が、その後のこの国の生活や政治のなかで十分に理解されず、いかされてこなかったことにこそある。私も本当にそう思います。
今の日本という国の現実は、わたくしが「こうありたい」、「こうあるべきだ」と言っていることとは大きくかけ離れている。
わたくしが番人として、きちんとその役割を果たすためには、国民がわたくしをちゃんと理解してくれて、わたくしを活かすために行動してくれることが大前提となる。
多数決を民主主義の原則だというのは根本的に間違っている。本当は、多数決は民主主義の本来の原則を守り抜いた後の問題解決の方法として、民主主義とは異質な原則を例外的に制度として取り込んだもの。つまり、多数決は、民主主義の限界を示すもの。
国民の4割ほどの支持しか受けていない政党が、小選挙区制と議会での多数決制度によって、文字どおり独裁的な権力を行使することができるような仕組みになっている。だから、わたくしから言わせれば、現在この国の権力を握っている者たちは、「国民の信託」をかすめとり、国民の代表を僭称(せんしょう)しているに過ぎない。だからこそ、この人たちは、国民が自分たちの意思を直接政治に反映させようとして直接請求や住民投票などの要求をすると、決まって排斥する立場に立つ。
集団的自衛権の行使は、日本に対する攻撃とか、日本を守るというものでは一切ない。日本の同盟国、つまり外国に対する攻撃に対して日本がそれに参加し応戦して反撃すること。つまり、日本が他国同士の戦争に加わる、巻き込まれるということ。これが日本国憲法に違反することは明らかです。
「どうせ自分が何を言っても自分の意見なんか誰も取りあげてくれない。何も変わらない」このようなあきらめの気持ちを多くの日本人がもっています。それが投票率の低下となってあらわれています。
既成事実への屈服、権限への逃避を特徴とし、成り行きに身をまかせ、どうしてこうなったには責任を負わないし、追及しようともしない。そんな精神構造に多くの日本人がなっている。しかし、そうではなくて、納得できないこと、ガマンできないことに対しては、はっきりモノを言う、声を上げることが大切です。著者は繰り返し、そのことを強調しています。私もまったく同感です。
4000部も売れたとのことですが、アベ流のインチキな「加憲」が提案されようとしている今日、そもそも憲法とは何のためにあるのかを分かりやすく問題提起した貴重な憲法に関する本です。ご一読を強くおすすめします。とくに、中学・高校生の子をもつ親には必読です。
(2014年10月刊。1200円+税)

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