弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月14日

美貌のスパイ、鄭蘋如

中国


(霧山昴)
著者 柳沢 隆行 、 出版 光人社

 父が中国人、母は日本人という、美貌の娘が中国側のスパイとなり、25歳にして日本軍から銃殺されたという実在の女性の足跡を詳細にたどった本です。
父と母が知りあったのは日本です。大勢の中国人留学生が日本にやってきました。そして、そのなかには日本人女性と知りあい結婚して、中国に渡った人たちがいました。父親となった中国人が留学したのは法政大学です。私の亡父も法政大学ですが、かなり後輩になります。
中国に戻ってから、父親のほうは国民党員として活動しはじめ、結局は、司法部で活躍します。母親のほうは、士族の末娘として生まれ、行儀見習いの奉公先で中国人留学生と出会って恋に落ち、親の反対を押し切って、中国に渡ったのでした。
 父親は中国での弁護士資格を取得し、検察官として働くようになります。
 そして、問題の彼女は三姉妹の二女として生まれました。彼女は、上海法政学院(4年制の大学)に入学します。
 満州事変に始まる日本軍の侵略行為に対して彼女は愛国心(もちろん中国が祖国です)に燃える学生の一人として行動するようになります。1932(昭和7)年1月の第一次上海事変のころのことです。
 そして、彼女は当時の中国を代表する人気月刊画報誌「良友」の表紙全面を飾ったのでした。たしかに間違いなく美人です。しかも、いかにも知性にあふれています。
 1937年8月、第二次上海事変が起きるなか、法政学院3年生の彼女は、CC団に加入します。CC団とは、蔣介石の国民党の組織の一つです。CC団は「中統」とも呼ばれます。スパイ活動を主任務の一つとする組織です。国民党には、「中統」と「軍統」の二つがありました。
「軍統」のほうが、よりテロなどのファシスト的活動を得意としていますが、この二つとも、蔣介石に絶対的忠誠をつくす点ではあまり変わりがありません。そして、彼女は、「中統」CC団のスパイとして、日本軍の「大上海放送局」で働いたこともあります。
 また、彼女は近衛文麿首相の子どもである近衛文隆に接近し、親密な交際をするまでになります。周囲が危険を察知して、急遽、文隆は日本に強制的に帰国させられ、関係は打ち切られてしまうのでした。
 結局、「中統」を裏切り日本側についた人間を処刑する手伝いをするのに彼女は失敗してしまいました。そして、日本軍に出頭するのです。まさか銃殺されるとは思っていなかったのでしょう。
 しばらく監禁されたあと、広い何もない荒野原で銃殺されてしまいました。1940年2月も半ばのことです。どうやらその遺体は今でも見つかっていないようです。現場付近が大々的に開発されたことであまりにも変わってしまったからです。
 歴史の悲劇の一つがここにもあると思いました。
(2010年5月刊。2500円+税)

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