弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月 7日

「東京の下町」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 吉村 昭 、 出版 文春文庫

 昭和の初めころの東京の下町の様子がよく描かれています。
 先日、90歳を過ぎた山田洋次監督が寅さん映画がつくられたころと今の時代との違いを説明していました。映画が撮影されたころはみんなそこそこ貧しかったけれど、まじわりあいがありました。今では、富める人はタワーマンションにこもっていて、貧しい人は死ぬほどこき使われたり、バラバラにされていて交流がありません。昔の下町にあった長屋的な交流の場は失われてしまいました。本当に残念です。
 若者が未来に夢をもてず、結婚せず、子どもが産まれない(少子化)状況が深刻化するばかりです。そんな今こそ、寅さん的笑いが必要なんじゃないかと山田監督は訴えています(と私は理解しました)。
 たとえば映画です。かつて浅草6区には映画街がありました。両側にずらりと映画館が並ぶ長いストリートがあったのです。
 江川劇場、遊楽館、万成座、三友館、千代田館、電気館、金竜館、富士館、帝国館、大都劇場、東京倶楽部、大勝館などなどです。そして、当時の写真をみると、映画街のメインストリートが歩く人々で見事に埋め尽くされています。呼び込みする係員もいたそうですが、呼び込みなんてするまでもありませんでした。また、エノケン一座が公演し、歌手の淡谷のり子が「雨のブルース」を歌った松竹座、「あきれたぼういず」が出演していた花月劇場もありました。
 私の生まれ育った町にも、小さな映画館がたくさんありましたし、旅役者が劇を演じる芝居小屋もありました。
 嵐寛寿朗の「鞍馬(くらま)天狗」の映画のなかで、主人公が馬に乗って悪漢どもから杉作少年を救出に駆けつける場面では、館内が総立ちとなり、騒然とした雰囲気のなか、「早く、早く」と声がかかり、拍手が鳴り、主人公が悪漢どもを次々に切り倒していくのです。そのシーンはまさしくクライマックスでした。
 大人も子どもも、館内一丸となっていました。この一体感のなかで、少年は助かったという満足感に浸りながら家路に着いたのです。こんな感動を今の子どもたちに味わせたいものだと本当に思います。
 1927(昭和2)年に東京に生まれた著者による東京の下町情景は、戦後生まれの私にもまだ十分に体験として分かるところがあり、うれしくなりました。
(2018年6月刊。770円+税)

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