弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年8月 8日

使うあてのない名刺

社会


(霧山昴)
著者 桃井 恒和 、 出版 中央公論新社

読売新聞の社会部記者から巨人軍社長になった著者のエッセイ集です。
この本を読んでいてもっとも驚いたのは、中国大陸での抗日戦の主役だった八路軍(パーロー。中国共産党の軍隊)の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が日本人孤児の少女とツーショットでうつっている有名な写真がありますが、その少女を探りあてたのが著者だったという話です。ときは1940年(昭和15年)の写真です。
調査の結果、満鉄グループの華北交通の駅の助役夫婦が亡くなったことが判明し、その夫婦に美穂子という長女がいるというので、宮崎県都城市まで将軍とツーショットの写真をもって会いに行ったのです。すでに40年たっていて、本人には当時の記憶は何も残っていない。ところが、アルバムを見ているうちに、やっぱり間違いないと確信し、美穂子さんに将軍あての手紙を書いてもらった。そして、「写真の少女は私です」という大きなスクープ記事となって、美穂子さんは中国に招待され40年ぶりに将軍と再会したのでした。
私も、この写真は何回も見ていて知っていました(最近も福岡で展覧会が開かれていたと思います)。新聞社の取材力というのはすごいですね...。
著者が読売新聞の社会部長をしていたとき、新宿の歌舞伎町にある雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなったが、死者の多くがキャバクラ嬢だった。この犠牲者を実名で報じるか匿名にするかというとき、悩んだあげく実名にしなかったというのです。
キャバクラ勤めは不名誉なことなのかという疑問を抱きつつも、遺族は、娘がキャバクラ嬢をしていて非業の死をとげたことが世間に知られたら、二重に悲しませることになりはしないか...。
私も、匿名にして良かったと思います。これは職業に貴賤なし、というのと違ったレベルの問題だと考えるからです。
著者が今、嫌いなものは三つ。ヘイト・スピーチ、ネット上にとびかう匿名の誹謗中傷、そして、上から目線の「寄り添う」という言葉の安易な使い方。いずれも、まったく同感です。
著者が読売巨人軍の球団社長に就任するときの話もまた衝撃的です。
「巨人軍のスカウト活動で不祥事があり、球団の社長も代表も辞めることになった」
上司はこう言って、一枚の紙を目の前に置いた。新しい球団社長が著者になっている。
「いつからですか?」
「明日から」
うむむ、人間社会の人事って、そんなこともあるのですね...。
ところで、この本のタイトルの意味は...。
著者が巨人軍を離れたのは、選手の野球賭博が発覚した責任をとっての突然の辞任。名刺はもう使えない。使うあてのない名刺を処分し、肩書のない名刺をつくってみた。でも、今度は使う勇気がない。
たかが名刺、されど名刺...。
もちろん私は弁護士という肩書のついた名刺を今も使っています。相談者の心配を打ち消すのに必要だと思えば惜し気なく、何枚だって名刺を渡します。でも、こんな人とは関わりたくないなと思ったら、決して名刺は渡しませんし、相談料もいただきません。
日弁連副会長としての苦楽をともにした須須木永一弁護士(横浜市)と同級生だということで贈呈していただきました。心にしみる話ばかりです。ありがとうございました。
(2019年2月刊。税込1760円)

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