弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年5月 5日

巨大戦艦「大和」全軌跡

日本史

著者   原 勝洋 、 出版   学研

 大艦巨砲主義の頂点に立つ「大和」は、巨大主砲9門、発砲時の衝撃に耐え、船体の53.5%の主要部のみに防御を集中する「集中防御」を採用した。艦幅が広く、喫水の浅い、速力を出すには不利な船型をした船艦だった。それでも、「大和」は最高時速50キロを発揮した。「大和」型戦艦の建造について山本五十六・航空本部長は次のように反対した。
 「巨艦を造っても不沈はありえない。将来、飛行機の攻撃力はさらに威力を増し、砲戦がおこなわれる前に飛行機によって撃破されるから、今後の戦闘では、戦艦は無用の長物になる」
 まことに至言です。その言葉のとおりになりました。ところが、当時の海軍首脳部は、航空攻撃の威力について「実践では、演習どおりにはいかない」と考え、山本航空本部長の反対意見を押し切った。
 海軍軍令部は、アメリカと量で競争することはできないのでアメリカより前に巨大戦艦を建造し、射程の長い砲を搭載し、アウトレンジで敵が決戦距離に入る前に先勝の端緒を開くという、質で対抗する考え方を強調した。
 主砲40センチ砲の一門の製造に要した鋼塊重量は725トン、鍛錬重量は417トンで、仕上がり重量は166トンだった。
 発射速度は30秒に一発。弾丸を一発発射するのに、29.25~30.5秒かかる。「大和」が9門の主砲を一斉に同一舷、同方向に向かって発砲したときには、8000トンの反動力が生じる。
 「大和」の艦艇からから最上甲板までの船体の高さは6階建てのビルに相当した。「大和」に立ち入った者は、誰一人として、この巨艦が沈むとは思わなかった。
 昭和17年11月のソロモン海戦のころまではアメリカ軍もレーダー操作に不慣れだった。しかし、翌18年7月のころには、アメリカ軍の夜戦能力は射撃用レーダーの進歩と射法の改良によって急速に向上していた。同年11月には、日本海軍はアメリカ軍のレーダー射撃に太刀打ちできなくなっていた。
 大本営発表では勇ましい「戦果」をあげているということだったが、実はアメリカ空母はすべて健在という正しい情報を得ていた第14方面軍もいた。ところが、参謀本部の瀬島龍三少佐が正しい情報を握りつぶしてしまった。
 瀬島龍三については、今なおその崇拝者が少なくありませんが、こんなことをしていたのですね。許せませんよね。
 結局のところ、「大和」はその9門の主砲をまったく活用することがないまま無数の航空攻撃の下に撃沈させられてしまったのでした。
 「大和」の性能そしてその最期に至るまでを、アメリカ軍の記録をも掘り起こして刻明に解明した貴重な本です。宇宙戦艦ヤマトとちがって、ここには「男のロマン」はないというしかありません。
(2011年8月刊。2300円+税)

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