弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年6月 6日

兵士はどこへ行った

日本史(現代史)

著者  原田 敬一 、 出版  有志舎

日本各地の軍用基地をたどり、また世界各国のそれと対比させて戦争を考える本です。私の住むところは、近くに明治10年に起きた西南戦争の官軍墓地があります。このとき、乃木中尉は軍旗を奪われ、負傷して久留米の軍病院に入院して治療を受けました。軍旗を奪われた将校としてずっと恥に思っていたそうです。
日本の徴兵制は甲種合格となっても全員が入営するのではなく、20%前後が現役兵として入営するものだった。根こそぎ動員になったのは1940年代のことである。このころは、7~8割が入営した。
戦前、陸軍基地と海軍埋葬地が日本全国に設置され、戦後も維持されている。すくなくとも全国79ヶ所に今も残っている。死後にも階級が持ち込まれた。墓域の広さと墓標の大きさの点で階級差が明確になる規定があった。陸軍墓地は師団経理部、海軍墓地は鎮守府が管理責任をもった。
 はじめから鳥居、石灯籠、水鉢など、宗教性を示す構築物は認められなかった。あくまでも台石と、その上に墓標を建てることのみが認められた。忠魂碑などの戦争祈念碑は、戦前に建立されたものが8000、ところが戦後に2万5000基に拡大した。宮崎の戦争記念碑の巨大さには圧倒されてしまいました。
将校の墓標は規格品ではなく、形も色もとりどりの自然石であり、さまざまな刻み方をしている。経歴などの碑文を刻んでいるものが圧倒的に多い。将校は死亡してなお、語り、下士官と兵卒は黙して語らずという具合だ。
アメリカのアリートン国立墓地の土地、本来の所有者は南部連合の軍事指導者リー将軍であった。リー将軍が南軍の軍事指導者になったため、北軍の管理下におかれたのであった。
 アリートン墓地も、当初は人種と階級によって区分されていた。1947年そして1948年にようやく階級差そして人種差が撤廃された。
欧米型は、階級による差異をつくらない。アジア型では、階級によって墓石の高さや大きさなど、誰の目にも違いがはっきりと見える。
 日本、台湾、韓国ともに墓石の大小だけでなく、階級により墓域も指定されている。
韓国には「国立5.18民主墓地」がある。これは1980年の光州事件で韓国軍によって殺害された人々を対象としている。政府に対して民主化運動を起こし犠牲になった人々を「国立墓地」に埋葬するというのは人類史上初めての経験であろう。なるほど、そうなんですね・・・。
国民国家が兵士の埋葬と顕彰に力を入れていたのは、「彼等に続く戦死者」を確保するためだった。国家は、自らの死者をつくっておきながら、死者を覚えておきたくない。それが近代国家の性格であった。そのことに注意を向け、国家に死者を覚えさせておくこと。そのことによって非常の死の国民を生み出さないための方策を考え続けること。それが残された私達の仕事ではないだろうか。
靖国神社国家護持派の人々は、神社と神道のもつ宗教性や歴史性を無視して、なにがなんでも靖国神社を国家が保護し、そこに戦没者祭釈を委任するのが、正当だと叫ぶ。そこには歴史に対する敬意も、現代社会に対する配慮もまったく見られない。
 1930年代の国家が決めたことを、その後の国と国民を変更できないのか。憲法でさえ変えられるという人々が、靖国問題のみ神聖不可侵とするのは前後矛盾している。
 戦前の軍用墓地が今も残っていて、今でも、戦死者のための墓地を確保する法律がつくられています。国の考えていること盲従したら、国民の生命・健康は決して守られないことを痛感させる本でもありました。
(2013年1月刊。2600円+税)
 日曜日に、故池永満弁護士の「しのぶ会」が福岡で開かれ、参加してきました。本当に惜しい人を早くなくして残念です。今でも、池永弁護士が、ひょいと向こうから歩いてきて、「ちゃんと元気にやっとる?」と声をかけてきそうに感じます。
 奥様の飾らぬ紹介と思いのたけも大変感銘深いものがありました。池永弁護士が多方面で活躍してきたことがよく分かる、心のこもった会合でした。
 寄せ書きと、池永弁護士がなくなる寸前まで著述にいそしんだ大著をいただいて帰りました。

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