弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年5月25日

竹島

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  池内 敏 、 出版 中公新書 

 いま、日本の中学校・高校の社会科教科書には「竹島は日本国有の領土である」と明記されている。しかし、竹島が古くから日本の領土であったという事実はないということが、この本で実証されています。そして、同時に、古くから「韓国」の領土であったわけでもないというのです。
なるほど、そういうこともあるんだな・・・と、私は思いました。だって、人がずっと住んでいたわけではない島なんですから・・・。そして、広い海にある小さな島の領有権を昔から争っていたわけではないのです。
日本の主張も韓国の主張も、それぞれ確として大きな証拠があるわけではなく、その差は決して大きくないにもかかわらず、どちらも自分のほうに一方的に利があるかのような主張を繰り返してきた。まあ、政治家って、いつだって自分の選挙民向けにはいい顔をするということですよね。ですから、こういう領土問題っていうのは、決して熱くなってはいけないということなんですね。要するに、どこかで妥協的を見つけるしかないわけです。
竹島は、自然状態では人間の居住に適さない島である。
17世紀を通じて、竹島が単独で利用されたことはなかった。常に鬱陵島とあわせての利用だった。そして、渡海禁止令が出されたあとは、渡海事業から撤退した。元禄の竹島渡海禁令をもって、日本が17世紀末には、竹島の領有権を放棄したことは否定のしようがない。つまり、遅くとも17世紀末には、日本の竹島に対する領有権は存在しない。ただし、日本人が渡航してはいけない島だとなっても、それがただちに朝鮮領の島になったということでもない。
元禄の竹島渡海禁令と天保の竹島渡海禁令という二つの禁令によって、江戸幕府は日本が竹島と鬱陵島と接触する途を公的に断ち切った。
明治政府は、明治10年に内務省での検討結果をふまえて、竹島と鬱陵島が日本領でないと判断し、大政官指令を発した。ところが、1900年ころになると、鬱陵島には日本人と朝鮮人の定住がすすんだ。日本人が200~500人、朝鮮人は1000人をこえるようになった。そのなかで、竹島が「再発見」された。
1905年(明治38年)の竹島を日本領に編入するという閣議決定は、それまでにあった竹島に対する領有権を再確認するというものではない。あくまで、日本領でなかったものを日本領としたのである。
そして、1951年のサンフランシスコ平和条約の調印される前、韓国政府はアメリカ政府と竹島を韓国領と明記するよう求めたのに対して、アメリカ政府は却下する回答書を発した。
日本の外務省が「竹島は日本の固有領土だ」というとき、それは過去よりずっと日本が支配してきた領土」という意味ではない。そもそも「固有」というコトバの定義は一度も公式にはなされていない。なあんだ、「固有」ってごまかしのコトバだったんですね。今まで、よくもだまされてきたものです・・・。
竹島をめぐる歴史的経過を初めて知りました。
(2016年1月刊。880円+税)

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