弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年3月26日

カロライン・フート号が来た

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 有造 、 出版  風媒社

1855年(安政2年)3月15日(日本暦1月27日)にアメリカ商船カロライン・E・フート号が下田港に入って来た。ペリー艦隊が既に来て、次いでロシアのプチャーチン使節団が来たあと、アメリカ人が商売にやってきたのだ。
6人の平服の紳士が3人の妙齢の婦人を伴い、さらに2人の幼い子どもを連れてきた。そして、2ヶ月半も下田に留まった。西洋人の女性が日本に上陸したのは文化14年(1817年)の長崎以来の、50年ぶりのこと。
3組の夫婦が子ども連れで町を練り歩いたことから、一大センセーションを巻き起こした。子どもは、9歳の男の子と5歳の女の子だった。彼らは、子どものペットとして犬二匹のほかに鹿まで連れていた。鹿の絵が描かれているので間違いない。
なかでも、ドーティー夫人は「容顔美麗、丹花の唇、白雪の膚」で「衆人の眼を驚かせ、魂を飛ば」せた。なにしろ芳紀22歳。目の覚めるような美女だったようです。
これらのアメリカ人は日本へ何をしにやって来たのか・・・。
彼らは、日本に住み込んで、商売をしようという商人パイオニアだった。実際には、日本に住み込むことは出来ませんでしたが、日本の目ぼしい品物を大量に買い込んでアメリカ本国で売り出して、大もうけしたのです。
日本の工芸品や骨董品を7400ドルで買い込み、それをサンフランシスコで売り出したところ、売上額2万3000ドルになった。大もうけしたわけです。
そこで、日本物産を輸入してひともうけしようという冒険商人が次々に日本を目ざした。
自由闊達にふるまった三人の女性と二人の子どもについて、接触した日本人のほとんどが魅了された。アメリカは美女の多い国であり、子どももきれいだ。それで、彼女らを描いた絵がたくさん残されている。
ただし、アメリカは、やがて南北戦争が激しくなり、しばらくは日本どころではなくなった。
幕末の日本にアメリカの若き女性を連れた商人たちが押しかけていた事実をその絵(もちろんカラー)とともに知ることができました。
(2017年2月刊。2000円+税)

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