弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2021年12月21日

私はイスラム教徒でフェミニスト


(霧山昴)
著者 ナディア・エル・ブガ 、 出版 白水社

それは、二人だけで楽しむ大人のゲーム。子どもたちの目の届かないところ、二人だけの世界で、自分たちのセクシュアリティをつくりあげていく。このゲームに敗者はいない。そう、夫婦のセックスのことです。
厳格なムスリムと同じように、正統派のユダヤ教徒も肌に触れることを性的な行為とみなしているので、男女のあいだでは握手をしない。
出産するときに多くの血を流すのでユダヤ教徒では、生理中と同じように出産後の女性もまた不浄とみなされる。男の子を生んだら7日間、女の子なら14日間は一切の性交渉が禁じられる。正統派ユダヤ教徒は、シーツに開けた穴からしか性関係を結ばない。ええーっ、ウソでしょ、そんな...、信じられません。
著者はフランスで活動しているイスラム教徒の女性です。助産師で、セクソローグで、ラジオのパーソナリティーで、2人の子をもつ母親でもあります。
イスラム教徒は、イスラムの名において女性がおとしめられ、過小評価され、抑圧され、服従させられている。著者は、このことを厳しく批判しています。
神のメッセージは明快で、精神的な自由と社会的な解放を結びつけると説き、この点でなんら男女を区別していない。精神面で、イスラムのメッセージでは男女をまったく区別していない。女性たちは自分の場所を取り戻すのに、父親や夫、兄に許可を求める必要など、まったくないのだ。コーランは、明確に一夫一妻が理想だとしている。
著者の仕事は、女性たちの選択に寄りそうこと。もちろん、イスラムの教義を敬う。けれど、教義は硬直したものではない。解釈があっての教義だ。
イスラムにおいて、女性の性欲、興奮、快楽は認められているだけでなく、好ましいものとみなされている。男性は、相手が満たされているかどうかに気を配らなければならない。
セックスは、要は楽しむこと。これが著者の考え。
イスラムの女性がスカーフを被るのは、イスラムの教義にとっても信仰にとっても、それほど重要な位置を占めているものではない。著者がスカーフを被っているのは、自分の意思によるもので、被らされているのではない。自分の意思で選択しただけのこと。スカーフは、信仰の道具の一つなのだ。
若者に向けてラジオで性のことを率直に語るイスラム教徒の女性であり、セクソローグ(性科学医)の本です。いったい日本にもセクソローグって存在しているのでしょうか...。
大胆かつ有益な、よりよい生き方を示す大切な本だと思いました。
(2021年9月刊。税込2420円)

2021年12月 9日

アンゲラ・メルケル


(霧山昴)
著者 マリオン・ヴァン・ランテルゲム 、 出版 東京書籍

2021年9月まで、16年間もドイツの首相だったメルケルのフランス人ジャーナリストによる評伝です。フランスの『ル・モンド』に連載したものが基になっているようです。いかにもフランス人らしい叙述で、小池百合子の評伝とは、まったく違った雰囲気の評伝でした。
メルケルは、2人の女性に支えられていることを初めて知りました。ベアト・バウマンとエーファ・クリスチャンセン。バウマンは「事務局長」であり、クリスチャンセンは、メディア対応、企画と戦略を取り仕切っている。
バウマンの執務室とメリケルのそれとを隔てるのは秘書控室だけ。報道機関と対応するクリスチャンセンは、下の7階に控えている。バウマンはメルケルの演説を起案し、すべてを把握している。
メルケルは、首相官邸に寝泊まりしない。自分の簡素なアパートに毎晩帰る。5階建ての小さな建物の4階に住んでいる。下には2人の警官が見張っているだけ。自宅近くの小さなスーパーにひとりで買い物に出かける。ボディガードは、近くはいない。週末には、赤い屋根の小さな別荘にこもって庭の手入れや料理をしたり、湖で泳いだり、古ぼけたゴルフ(愛車)を運転したりする。
メルケルはカリスマ性がない。しかし、威厳がある。メルケルは声高に訴えなくても、ドイツの重みを感じさせることができる。メリケルは歴代首相になかった落ち着きを身につけている。
メルケルは、コミュニケーション・アドバイザーに頼ろうとはしなかった。メルケルは大見得や気の利いた言い回しは使わない。
メルケルは、36歳のとき、ドイツの連邦議会議員に当選した。
ムッティ(お母ちゃん)と呼ばれるメルケルは、世話になった人を巧みに政治的に葬り去った。素知らぬふりをしながらのシリアルキラーだ。
メルケルはコール首相に徹底して尽くし、そして葬った。まだコールに誰も逆らえなかったのに、メルケルは、ドイツの象徴ともいえる巨人コールに引導を渡した。
「コールのとった手法は党に害を与えた。こんな古老に頼らずに政敵に立ち向かうようにならなければならない」と語った。
そして、2000年4月のCDV党首にメルケルが選ばれるとき、対立候補はもはや誰もおらず、圧倒的得票率で党首に就任した。
メルケルは、ぽっと出のように素知らぬ風情で周囲をあざむき続けるのだ。策略家メルケルの得意技は、何食わぬ顔をすることだ。
メルケルは会議を好まず、電話や一対一の打ち合わせを活用する。
自分を批判していると感じた人とメリケルは向きあった。
メルケルは、自分は虚栄心の強い方ではなく、男性の虚栄心を利用するのがうまいと語った。
メルケルは、ドイツの右派と左派の絶妙なバランスで大連立政権を率いた。ドイツの難民受け入れ、ギリシャの負債問題、アメリカやイギリスとの対応そして、ロシアのプーチン大統領。メルケルは、なんとか難局を乗り切っていった。
メルケルが首相として16年間も続いた秘密が理解できる本でした。
(2021年9月刊。税込1980円)

2021年12月 2日

世界でいちばん幸せな男


(霧山昴)
著者 エディ・ジェイク 、 出版 河出書房新社

著者は、この本のタイトルからは想像もつかない苛酷な人生の一時期を過ごしました。
著者は1920年にドイツ東部のライプツィヒに生まれたユダヤ人。ライプツィヒでユダヤ人は、社会の重要な構成員だった。その証拠として、大きな市(いち)はユダヤ人の安息日の土曜日を避けて金曜日に開かれていたことからも分かる。ユダヤ人商人は、金曜日の市なら自由に参加できるからだ。
著者はユダヤ人としてではなく、機械技術専門学校で5年のあいだ勉強しました。5年間でしたが、ここで機械技術の基礎をしっかり身につけたことによって、著者は重宝な技術者として、戦後まで生き延びることができたのです。
ユダヤ人の商店や人々を襲ったのは、ナチス兵士やファシストの暴徒だけではない。それまでの隣人や友人が、突如として変身し、暴力と略奪に加わった。みんなおびえていた。みんな弱かった。その弱さにナチス党からつけこまれて、ユダヤ人に対して根拠のない憎しみを抱くようになった。
強制収容所が満杯になると、朝、収容所の門を開けて2~300人のユダヤ人を門から逃がす。しかし、それはうしろから機関銃で撃たれてバタバタと殺されていくためのもの...。つまり、逃亡を図ったので収容所当局はやむなく発砲したという口実づくりの開門だった。うひゃあ、す、すさまじい...。
ユダヤ人をナチス・ドイツは動物のように撃ち殺した。
アウシュヴィッツでは、ぼろ布は黄金と同じくらい、いや恐らく、それ以上に貴重なもの。黄金があってもたいしたことはできないが、ぼろ布があれば、傷口をしばったり、服の下に詰めて暖かくしたり、少し体をきれいにしたりできる。
アウシュヴィッツに収容されていた人々の平均生存期間は7ヶ月。
「フェンスに行く」。これは、多くの人が生きるより、自ら命を絶つことを選んだことを意味する。フェンスには高圧電流が通っていて、死ねた。
著者が精密機械の技術者であることを申告すると、技術は身を助け、ICファルベンの機械技師として働くようになった。
モラルを失えば、自分を失う。もし、モラルを失ったら、おしまいだった。生き残りたかったら、仕事から戻ったら横になって休め。体力を節約するんだ。1時間の休息で2日だけ生きのびられる。これがアウシュヴィッツで生き残るための唯一の方法だった。一日一日、体力を維持することに集中する。生きようという意思、もう一日生きのびるために必要なことをする意思以外は、一切切り捨てる。それができない人は生き残れない。失ったものを嘆くばかりの人は生き残れない。アウシュヴィッツには、過去も未来もない。ただ、その日を生きるだけ...。あきらめないこと。あきらめたら、おしまいだ。いやはや、意思が強くないといけませんよね。
愛は、人生のほかの良いものと同じで、時間と努力と優しさが必要なのだ。
著者は、こうして絶滅収容所を生きのび、ついには101歳まで生きている。
著者は、だれも憎まない。ヒトラーさえも...。だが、許してはいない。もし許せば、死んだ600万人を裏切ることになる。許すことなど、できるはずがない。
読み終わってタイトルの意味をしみじみと考え直させる本でした。
(2021年7月刊。税込1562円)

2021年11月28日

サンソン回想録


(霧山昴)
著者 オノレ・ド・バルザック 、 出版 図書刊行会

フランス革命を生きた死刑執行人の物語。
サンソン家は17世紀末から19世紀半ばにかけて、6代にわたって死刑執行人をつとめた家系。経済的には豊かだったが、最後の6代目は、生活に困窮したあまり、ギロチンを質し入れてしまい、執行人を罷免された。3代目のころは、工場労働者の100倍の収入があった。
5代目のシャルル・アンリは、フランス革命期だったことから、生涯に3000人を処刑した。シャルル・アンリの直属の上司にあたる革命裁判所長フーキエ・タンヴィルが処刑されるとき、「おまえも同類なので、いずれは処刑される」と言い放ったが、サンソンを死刑にしろという声はおきなかった。というのも裁判の審理にはまったく関与しておらず、受刑者に対して、できる限りの温かい配慮をしてきたことが広く知られていたからだろう。
バルザックは、死刑制度は人間の本性に反するものなので、廃止されるべきだと繰り返し述べた。
国をあげて死刑制度を維持しているのはG7のなかで日本のみ。遅れすぎですね...。
サンソンは、次のように言った。
「あらゆる人生のなかで最悪なのは、常に自分自身を忘れるように追い込まれる人生である。これが社会が私サンソンに用意した状態なのだ」
サンソン一族は、イタリアから渡来したのではなく、ノルマンディー地方の出が定説。
当時、拷問は「問い質し」と呼ばれていた。
このころ親殺しは死刑と決まっていた。ところが、その処刑に先立って手首が切断された。この慣例は、直接に悪事を働いた部位をまず罰するという考え方による。革命期に一時廃止されたが、ナポレオン時代に復活1832年の刑法改正まで続いた。
私は国家の刑罰制度としての死刑は廃止すべきだと考えています。
(2020年10月刊。税込2640円)

2021年11月24日

ホロコースト最年少生存者たち


(霧山昴)
著者 レベッカ・クリフォード 、 出版 柏書房

この本の冒頭の写真とキャプションに驚きました。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所が1945年1月に解放されたとき、子どもが400人以上いた。ただし、ほとんど病気(結核など)や栄養失調だった。
また、ベルゲン・ベルゼン強制収容所も1945年4月に解放されたとき、子どもが700人以上いた。ブーヘンヴァルト強制収容所が解放されたときは、ユダヤ人の子どもが1000人以上いた。
これらの強制収容所は絶滅収容所として有名ですから、これほどの子どもたちが生き残っていたというのは信じられない、奇跡的な出来事です。ただし、手放しで喜んではおれません。
この本は、1945年の解放時に10歳以下だった子どもたちを歴史研究の対象にしています。幼年時代にホロコーストを体験した子どもたちが、そのときのことをどうみているのか、その体験はどんな影響を与え、また克服していったのか、興味深いものがあります。
大半の人は、自分の幼年時代のことについて、両親や家族、コミュニティそして自分の属する集団や社会の人々が思い出せない話や情報を提供してくれる。ところが、ホロコーストを経験した子どもたちは、たとえば両親や家族を失い、キリスト教信者の家庭で育ったりして、その幼年時代の人生の物語は穴だらけになってしまう。すると、「自分は何者なのか?」というもっとも根源的な疑問への答えは自分で見つけるしかない。
幼い子どもの経験と、思春期の若者や大人の経験とは決定的な違いがある。幼い子どもたちには、思い出せるような戦前の自己がない。振り返るべき戦前のアイデンティティがない。そうなんでしょうね。そのことの重みが想像できません。
一般に、子どもは例外を普通と受けとめる能力に長けている。比較すべきほかの生活を知らなければ、迫害や追及を受けたとしても、それに危険や不安を感じて混乱することはない。子どもたちが本当の意味で混乱や衝撃に見舞われたのは、戦時中ではなく、戦争が終わってからだ。というのも、終戦により、子どもたちは、それまで築き上げてきたものが一気にひっくり返ってしまった。戦争中はまだ幼く、日々の暮らしだけで精一杯だった。戦争の影響をもろに感じたのは、むしろ戦争が終わったあと。自分のなかで闘いが始まったのは、1940年ではなく、1945年。父も母も兄も、もう戻ってはこないと知ったとき、その闘いは始まった。
なんとなく分かりますよね、これって...。
ブーヘンヴァルト収容所から解放された子どもたちは、無感覚、無頓着、無関心な態度で、声をあげて笑うことも、顔に笑みを浮かべることもなく、スタッフには著しく攻撃的になる。不信と疑念に満ちている。感情的麻痺だ。大人を警戒し、食べ物を貯め込み、よく子ども同士で激しいケンカをした。スタッフは、子どもの体は回復しても、心は回復しないのではないかと危惧した。ところが、実際には、驚くほどの速さで回復していった。人間には信じられないほどの身体的・心理的回復緑があることを証明した。
子どもには現在のニーズや要求にあわせて過去を書き換えられる柔軟性がある。子どもたちは、大人のさまざまな要求にあわせ、巧妙かつ堂々と自分の過去をつくり変え、父や母が生きている事実さえ隠そうとした。大人の意図が錯綜するなかで、自分の意思を貫き通すため、情報や感情を隠したり、新たに確立された愛情を断ち切られるのを拒んだり、場合によっては、自分の過去を意図的に修正したりした。
子どもが戦後、支援機関の調査員に語った物語は、まったくのでたらめであることがよくあった。それには正当な理由があった。当時、子どもは移住を認めるが、生き残った親には移住を認めない残酷な方針があった。そのため子どもは、不当な制度の要件に合致するように、自分の物語をつくり変えた。
アウシュヴィッツを体験し、生きのびた大人たちの多くは、その体験を語ろうとしなかったようです。あまりにも苛酷な体験だったから、消したても容易に消せない記憶と知りつつ、自分の口から言葉として語ることはできなかったのでしょう。
ところが、幼い子どもたちは、その体験を自分のコトバとして語ることが、そもそもできなかったのです。この違いは、大きいというか、両者に違いがあるということをはっきり認識すべきだということを、この本を読んでしっかり確認することができました。
ユダヤ人幼年時ホロコースト生存者世界連盟という組織があるそうです(1997年に発足)。4大陸15ヶ国・53団体が加盟。
それにしても、幼い子どもたちを大量に抹殺していったヒトラー・ナチスの組織・体制の恐ろしさ、おぞましさには改めて身震いさせられます。そして、これは、今の日本で相変わらず横行しているヘイト・スピーチ、「嫌中・嫌韓」などに共通していることに思いが及ぶと暗然たる気分にもなってしまいます。もちろん、そんな気分に浸るばかりで、何もしないというわけにはいきません。
いろいろ考えさせられた本でした。
(2021年9月刊。税込3080円)

 日曜日、フランス語検定試験(準1級)を受けました。今回は、なんと受験者は11人のみ。いつもの半分以下です。これもコロナ禍なのでしょうか。
 会場の西南学院大学に早目に着くと、枯れ葉が足元でカサコソ、音を立てるのもいい感じでした。
 この1ヶ月ほど、必死で過去問を繰り返し復習しました(20年間分もあります)。そして、「傾向と対策」もちょこっとだけ。ともかく、単語を忘れています。本当に、「日々、新なり」という悲しい心境です。それでもボケ防止になります。この半端ない緊張感がたまりません。
 先ほど、自己採点したら、83点(120点満点)でした。6割で合格なので、次の口頭試問に進むことになりそうです。ひき続きがんばります。

2021年11月 6日

ブックセラーズ・ダイアリー


(霧山昴)
著者 ショーン・バイセル 、 出版 白水社

スコットランド最大の古書店の1年が語られている本です。私が町に出て入る店と言えば喫茶店のほかは本屋くらいのものです。「百均」とかデパートを目的もなくブラブラと歩いてみてまわるなんてことは、絶対にしません。私にとって、そんなことは貴重な人生の時間のムダでしかありません。そんな時間があったら、一冊でも多くの本を読みたいです。
この本は、本を買いに行ったはずが、なんと本屋を買ってしまったという、いかにも変わり者の店主が、古書店にやってくる変わり者の多い客との対応が率直かつ淡々と紹介されます。
切手収集家というのは風変りで寡黙な魚のような人種で、あらゆる年代がいるが、性別は男だけ。へーん、そうなんですか、女性は切手収集に魅力を感じないのですか...。
初版本マニアは鼻もちならない。しかし、初版本マニアは、残念ながら絶滅危惧種になりつつある。
つい先頃まで、本を再版するには、スキャンするか文字を入力しなおす必要があったので、採算を考えると、数百とか数千のオーダーが欠かせなかった。ところが、今や、PODプリンターをつかうと、絶版の本であっても1冊を比較的低コストで印刷できる技術が開発された。そうすると、かつての希少書の価格は暴落してしまった。
一般的には、小説を買うのは今でも大半が女性で、男性はまずノンフィクションしか買わない。
ハウツーものとかビジネス書も、買うのは男性のほうが多いのではないでしょうか。
本屋というものは、お金を使わずに長い時間、粘っていられる数少ない場所のひとつだ。頭のおかしな人間が多く町をうろついているが、磁力に引(惹)かれるように本屋に集まってくる。
なるほど、ですね。なので、最近の本屋にはイスとテーブルまで置いているのですね...。客の回転はすごく悪くなって、採算性は低下する一方になるでしょうね。
古本屋で働くようになって驚いたことは、本物の読書家なんて、ほとんど存在しないということ。本物の読書家はほとんどいないが、自分からそう思い込んでいる連中はごまんといる。
本の万引き。本を盗むのは、時計を盗むのより論理上の罪がいくらか軽いと思う。うむむ、そうなんでしょうか...。
本屋というのは、多くの人にとって、過酷な寒さとか現代社会の急激なデジタル化とかいったものから逃げ込める、平和で静かな休憩所みたいな役割を果たしているのではないか。
ある人にとって良い本が、他の人にとっては駄作ということも多い。
男が小説を読まないとうのは当たらないが、男が嫌う系統のフィクションがあるのは事実だろう。平凡、善悪がはっきりしたものは女性のためだけにあり、男が読む(好む)のは、一目おける高尚な小説か、探偵小説のどちらかだ。
私自身は、ノンフィクションは好んで読みます。日本と世界の動きをみて、私の日頃の疑問を解消し、今後を私なりに予測したいのです。
古書店と巨大資本アマゾンとのたたかいもレポートされていて、こちらにも興味と関心がありました...。
(2021年8月刊。税込3300円)

2021年10月27日

ナチスが恐れた義足の女スパイ


(霧山昴)
著者 ソニア・パーネル 、 出版 中央公論新社

アメリカ人がイギリスに協力してナチス統治下のフランスに潜入してスパイとして大活躍していたという実録ものです。その名は、ヴァージニア・ホール。伝説の諜報部員ですし、戦後まで奇跡的に生きのびて栄誉も受けているのですが、一般に広く知られているとは言えません。それには、フランスのレジスタンス運動内部の対立、そしてイギリスから派遣された工作員同士でも、やっかみと足のひっぱりあいがあったことも影響しているようです。
スパイ(特殊工作員)として行動するには信頼できる協力者を獲得しなければいけませんが、信頼できる相手と思って頼っていると、ドイツ側との二重スパイだったりするのです。ほんのちょっとした油断が生命を失うことに直結してしまう、あまりに苛酷な世界です。フツーの人だったら、神経がすり減ってしまいます。
そして、スパイをして入手した情報をイギリスに報告できたとしても、その情報を受けとって評価し、対応する側がきちんとしないと意味がありません。たとえば、戦前の日本にナチス党員を装って潜入したソ連赤軍スパイのゾルゲの場合には、せっかくの貴重な情報をスターリンはあまり重視しなかったという話もあります。こうなると、まったく猫に小判ではありませんが、宝のもち腐れです。
でも、ヴァージニア・ホールの場合には、イギリスの特殊作戦執行部(SOE)からは、幸いにも高く評価され、求めた軍需物資やお金、そして薬などが大量に飛行機で運ばれフランスに投下されたとのこと。
そのとき一番必要なのは無線機でした。ですから、この無線機をめぐっては、、ナチス側も無線探知車を使って発信元を必死で探りあて、イギリスから送り込まれた多くの無線技士がナチスに捕まり、死に至ったそうです。
ヴァージニア・ホールがフランスに潜入した当時のフランスは、ドイツが北半分を占領したばかりで、フランス人はあきらめムード、そしてイギリスもどうせそのうちドイツに降伏するだろうという冷ややかなあきらめムード一杯で、とてもレジスタンスなんて無理という雰囲気だったとのこと。なるほど、ですね。フランスがドイツに占領された直後からフランス人がずっとずっとレジスタンスをしていたのではないようです。
フランスのある地方では、住民の少なくとも1割が直接ドイツのために働いていて、密告したらもらえる賞金(上限10万フラン)を得ようとレジスタンスの位置情報を売っていた。フランス解放のために命をかけようとする住民は、せいぜい2%しかいなかった。ところが、連合軍のノルマンディー上陸作戦が近づいたころになると、フランス全土で武器をもってレジスタンスが立ち上がっていた。やはり、そのときどきの情勢が、こんなに国民を動かすのに違いが出てくるのですね。今の日本をみていると、ナチス占領当初のフランスのように思えてなりません。やがて、日本だって、きっと多くの日本人が目をさまして立ち上がってくれるだろうと心から祈るように願っています。
秘密の生活を送るということは、一瞬たりともリラックスできないということであり、常にもっともらしい説明を考えていなければならなかった。生きのびた人々には、生まれながらの狡猾(こうかつ)さと、高度に発達した第六感が備わっていた。
ヴァージニア・ホールはモーザック収容所から12人もの収容者を脱走させることに成功しました。この収容所は私も行ったことのあるベルジュラック近郊にあるようです。私は、サンテミリオンのホテルに3泊したとき、かの有名なシラノ・べルジュラックの町へ列車に乗って出かけたのです。
収容所に差し入れたイワシの缶詰は、再利用可能な金属になる。ドアのカギの型をとるのには、パンを使う。車椅子の年老いた神父を慰問のため収容所に入れたとき、その神父は衣服の下に無線機(送信機)を入れて持ち込んだ。さらに、収容所の衛兵を買収し、また反ナチス運動にひっぱり込んだ。そして、最後はアルコールに睡眠薬を混入して、衛兵を眠り込ませ、ついに収容所から12人が脱走。もちろん、受け皿の隠れ家も用意していて、そこに2週間ほど潜伏したあと、無事に国外へ脱走できた。いやはや、たいしたものです。
ヴァージニア・ホールの最良の協力者の一人は、娼婦の館の経営者である女性でした。娼婦たちも、ナチス軍の情報を集めて協力したのです。残念ながら、これは、戦後、あまり評価されることはありませんでした。
370頁の大作をじっくり味わい尽くしました。それにしても、私にはスパイ稼業なんて、とてもつとまりそうにありません。拷問されたら、いちころで「転向」してしまうでしょうし、あれこれ「自白」してしまうでしょう。なので、必要以上のことは知らないようにしているつもりなのです...。
(2020年5月刊。税込2970円)

2021年10月23日

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ


(霧山昴)
著者 ミア・カンキマキ 、 出版 草思社

面白いです。読みはじめたら、途中でやめられません。
1971年にフィンランドのヘルシンキに生まれた女性が日本語をまったく読み書きできないのに、清少納言を知りたいと思って京都にやってきたのです。すごい勇気です。
この本を読んで意外に思ったのは『枕草子』というタイトルから、セックスと官能的な木版画(春画)と誤解している外国人がいるという話です。日本人なら、『枕草子』は学校で古典として教えられているので、春画と結びつける人はいないと私が思うのですが、「枕の本」すなわちセックスの本だと誤解している人たちがいるそうです。驚きました。でも、著者は、そんな誤解からではなく、清少納言の世界が性的に開放的であったことを繰り返し紹介しています。上流貴族と、その周囲の女性たちは、なるほど性的にオープンな世界だったのでしょうね...。
清少納言のような自由な女性たちは性的に開放的だった。
セイ、あなたは、そこでトップを切って、みだらな生活をしていた。
うむむ、「みだらな」と「開放的」というのでは、かなりニュアンスが違いますよね...。
フィンランド人の著者は屋久島まで出かけて、温泉に入ったのですが、そこは混浴。バスタオルもなく、年寄りのオヤジたちの前で、自らの裸身をさらけ出してしまったようです。
日本人女性は、昔も今も、髪に対して、異常なほどこだわりをもっている。うむむ、なるほど、そうなんでしょうね。美容室が町の至るところにあって、どこも繁盛していますからね・・・。
紫式部は内気、穏やか、引っ込み思案、内向的、つき合い下手、女房たちの噂話やイジメに興味がなかった。セイ(清少納言)は、正反対に、自信家で、出しゃばりで積極的、軽快な言葉のやりとりがことのほか好きで、自分の知識を見せつけたり、感性と感情と怒りをはっきりあらわした。無理してでも出来事の中心にいた。
うひゃあ、そんなに、この二人は対照的だったんでしょうか...。
清少納言を「日本人娼婦」と訳している海外の本があるそうです。とんでもない間違いです。信じられません。これも本のタイトルから来る連想ゲームのような間違いなのでしょう。
フィンランド語で出版されたこの本は、フィンランドで大いに売れたそうです。「人生を変える勇気をくれた」という感想が寄せられたとのこと。なるほど、と思いました。やはり、人生、何かの転機を迎えることがあっていいわけです。
大いに気分転換になる本として、ご一読をおすすめします。
(2021年8月刊。税込2200円)

2021年10月 8日

ドレフュス事件


(霧山昴)
著者 アラン・パジェス 、 出版 法制大学出版局

1894年10月、ドレフュス大尉が逮捕された。これがドレフュス事件の始まり。ドレフュスは、ユダヤ人の軍人。ドイツにフランスの軍事機密を売り渡していたという容疑。ドレフュスは3回、軍事裁判で有罪を宣告された。ドレフュスを弁護して、「私は告発する」を新聞紙上で大々的に書いたエミール・ゾラも有罪となった。ところが、真犯人の士官エステラジーのほうは、あとで逮捕されたが、軍法会議で無罪となり、イギリスへ逃げた。
ドレフュスは有罪となり、陸軍士官学校の校庭で公に軍籍を剥奪され、仏領ギアナの悪魔島に送られた。
真犯人を突きとめたピカール少佐(やがて中佐)は、解任されてチュニジアへ左遷された。その後任のアンリ少佐(これまた中佐に昇任)は、ドレフュス有罪の証拠をねつ造。それがバレて、独房で自殺した。
このころ、パリ市内には、「気送速達」というシステムがあったそうです。市内の地下にある下水道を利用して、気送管の中に薄い便せんか葉書を瞬時に送ることができました。こんなことがあったなんて、知りませんでした。
ドレフュスを有罪とした「証拠」である書面について、筆跡鑑定がなされました。私は今でも筆跡鑑定は科学的な根拠に乏しいと考えていますが、この当時は、まかり通っていたようです。
ある鑑定士はドレフュスの筆跡ではないが、それはドレフュスが故意に自分が書いているのに、自分が書いたものではないと思わせるようにしたからだ、なんて、とんでもない鑑定書を書いて、それが採用されたというのです。これでは、まるで神がかりのようなマンガです。
ドレフュスは悪魔島で快適に過ごしている、食事も専用の献立が準備されているという、見てきたかのようなキャンペーンがはられた。真実は、地面にアリやクモがはいまわるような小屋に閉じ込められ、散歩なし、足には鉄の輪をはめてベッドにしばりつけられていた。
真犯人のエステラジー少佐は、その日暮らし、たくさんの借金をかかえて追い詰められ、ドイツ大使館にいくらかの軍事情報を売って苦境を脱しようと考えた。亡命先のイギリスでは「伯爵」と名乗っていたが、貧窮の末に亡くなった。
ドレフュス有罪を叫び続けた側は、「ユダヤ組合」説を考え出した。お金持ちのユダヤ人たちは、彼らと同じユダヤ人裏切り者ドレフュスの無罪放免を得るため、莫大な資金をつかって国際的な組合をつくっているというもの。
昔も今も、ユダヤ人の陰謀、国際的謀議が展開されるのですね。
反ユダヤ主義は、今でも根深いものがありますが、これって、やはり日頃の生活のうっぷん晴らし、またユダヤ人の財産をとりあげて毎日の苦しい生活を少しでも楽にしようという発想から、間違った(事実誤認の)考えに毒されて、自己の行為を正当化するものです。
ドレフュス事件は、10年以上もフランスの世論を二分して激しく議論が展開されたのでした。この本は昔の本の復刻版ではありません。
(2021年6月刊。税込3740円)

2021年10月 6日

他者の靴を履く


(霧山昴)
著者 ブレイディみかこ 、 出版 文芸春秋

エンパシーとシンパシーの意味の違いを説明せよ。
シンパシーは、誰かをかわいそうだと思う感情とか、行為、友情など内側から湧いてくるもの。エンパシーは、他者の感情や経験などを理解する能力。つまり、身につけるもの。その人の立場だったら、自分はどうだろうと想像してみる知的作業。
オバマ大統領は演説のなかで「エンパシー」をよく使っていたとのこと。知りませんでした。といっても、エンパシーというコトバの歴史は浅く、まだ100年になるくらいだそうです。
著者がよく本を読み、よく考えている人であることはわかるのは、金子文子がいち早く登場することにあります。金子文子は、23歳の若さで獄死しました。アナーキストの朴烈のパートナーです。関東大震災のどさくさで逮捕され、大逆罪で死刑判決を受け、恩赦で無期懲役に減刑されたものの、恩赦状を破り捨てたのでした。映画にもなっているようですが、みていません。
これまた残念ながらみていませんが、映画『プリズンサークル』という、「島根あさひ社会復帰促進センター」という男子刑務所のなかの取り組みが紹介されています。ここは、比較的軽い罪で有罪になった人たちを収容しています。私も一度だけ内部に入ったことがあります。盲導犬を訓練していました。
詐欺犯のように無意味なコトバをべらべらと羅列する人たちは、ここでTCのプログラムに参加すると、逆にしゃべらなくなり、一時的には言葉を失うことがある。これは、自分がそれまで発していたコトバの空虚さに気がつき、自分のコトバを獲得し直すまでのプロセスの一部だ。コトバを発せない時期を経て、再びしゃべることができるようになったとき、口から出てくるコトバは前とはまったく違うものになっている。
ブルシット・ジョブ。どうでもいいことをして、何をやっていると人々を説得しようとしているナンセンスな仕事。これには、オフィスで働くほとんどの人がこれにあたる。受付、秘書、人事、管理職、広報...。そして、企業内弁護士、ロビイスト、CEO、PRリサーチャー...。
これに対するのが、キーワーカー。たとえば、コロナ禍でがんばっている看護師、保育士など...。
企業内弁護士を、同じ弁護士として軽蔑する気持ちはまったく(本当に、さらさら)ありませんが、世間から「本当にあんたのやっている仕事は世のため、人のためになっているの?」という問いかけに対して胸を張って答えられるかどうかは、たまに考えてもいいんじゃないの...という気はしています。というのも、「世のため、人のため」という、人権尊重に自分の一生をかけてみようという意識が薄くなってしまっているのは、残念ながら現実だと考えているからなのです。
イギリスのサッチャー首相は、庶民出身なのに、なぜか庶民に対してエリート出身者以上に冷酷になることができた。
みじめに退任するスガ首相も公助の前に自助があるなんていう妄言を吐いていました...。
この本を読んで、私が認識して良かったのは、第二次大戦中のイギリス市民です。戦時下でモノがなく、ヒトラー・ナチスが爆撃するなかで、貧しい人々は自制心に欠け、暴力的なので、パニックを起こして逃げまどい、国を混乱状態に陥れるのではないかと、支配階級は心配していた。しかし、実は、彼らは落ち着いて、お互いを助けあい、明るくジョークをとばしあいながら、一丸となって危機を乗りこえようとしていた
日本軍が始めた中国の重慶無差別爆撃、イギリス軍によるドイツ無差別爆撃、カーチス・ルメイ将軍による日本本土無差別空襲によって、いずれも国民の戦意は喪失するどころか、大いに高揚したというのが歴史的な事実でした。
庶民は、つまり人間は上からみるほど、バカではないのです。
「他者の靴を履くこと」というのは、英語の慣用句としてあるようです。「他者の顔色をうかがうこと」と紙一重ですね。でも違います。ちょっと難しい記述があふれていましたので、苦労しながら読み終えました。
(2021年8月刊。税込1595円)

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