弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月27日

乳母の力

著者:田端泰子、出版社:吉川弘文館
 昔の日本、たとえば戦国時代は政略結婚の時代であり、女性は政略のために「駒」のように動かされる悲劇的な存在であったという常識はまったく間違ったものです。
 平安時代の乳母の地位は高く、天皇に仕える女房のうちのトップに位置していた。王臣家に仕えた女房のうち、上級女房の筆頭はやはり乳母であった。乳母が子連れで奉仕していたこともある。
 「源氏物語」にも葵上(あおいのうえ)の遺児「夕霧」の乳母「宰相の君」は、乳母の役割と女房一般の役割を同時に果たす左大臣家でも重要な位置を占める女房であった。
 保元の乱が起きたとき、後白河天皇の乳母は藤原朝子(あさこ)で、その夫は藤原通憲(みちのり)である。通憲は後白河天皇の政治的顧問であったが、それは天皇の乳母であった妻の力によるところが大きい。乳母とその子は、主君にとって身内よりも濃い結びつきを形成していた。このことは、主君が不遇になったときに、より鮮明に現れる。妻が天皇の乳母であったことは、その夫にとってどれだけ政治的地位の上昇に有利であるか計り知れない。
 後鳥羽上皇などの院政期に入ると、新興公家輩出の背景は、一族の女性が乳母の地位を獲得することが、まず手始めであった。新興公家は、はじめから中宮の地位に娘をおけるはずもないから、娘を女房にあげ、あるいは男性が時めいている乳母と婚姻をとげることによって娘を天皇に近づけることができた。中下級の公家から上級公家まで、こと結婚の相手に関する限り、年齢には関係なく、公家の男性は天皇家の乳母をもっとも理想の婚姻相手と見ていた。天皇の乳母は三位(さんみ)という高い位をもらった。
 この本では、次いで鎌倉・室町時代の乳母の地位と役割をも紹介していますが、割愛して江戸時代の三代将軍家光の乳母であった有名な春日局(かすがのつぼね)に移ります。
 春日局の父は斎藤利三、母は稲葉通明の娘であった。父利三は本能寺の変を起こした明智光秀の有力な家臣の一人であった。この当時、乳母は女性の仕事の第一位であると考えられていた。教養のある女性が働く職業として一番に目ざしていたわけである。そして稲葉正成と離婚したあと、26歳のときに家光の乳母に抜擢された。
 春日局は江戸城大奥の統率という大役を与えられた。将軍の正室(妻)をさしおいて。それまでも大名の証人(人質)のうちの女性に関する事項を管轄していたのに、大奥の統率の役目が加えられた。それだけの能力を有すると認められたわけである。
 乳母の力がこんなに大きかったとは・・・。なるほど、自分の幼いころに受けた恩は権力者になっても一生忘れないものなんですね。よく分かる気がします。

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