弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月20日

731

著者:青木冨貴子、出版社:新潮社
 戦争中、中国東北部(満州)に関東軍731部隊が巨大な施設をつくって細菌戦をすすめていました。京都帝国大学から助教授、講師クラスの若い研究者が次々に参加しました。
 中国人の捕虜などが憲兵によって「特移扱い」とされると、「マルタ」と呼ばれ、人間扱いされなくなる。野外で杭にしばりつけられ、ペスト感染の実験材料にされたり、細菌を注射する人体実験をして生体解剖するということが連日あっていた。
 終戦後、日本軍は徹底した証拠隠滅を図った。しかし、石井四郎部隊長は軍中央の命令に反して、研究データの多くを日本に持って帰った。これが後にマッカーサーのアメリカ占領軍との貴重な取引材料となり、石井四郎たち731部隊の首脳陣の助命を可能にした。この徹底防諜という指令は東京の参謀総長からの命令だった。これは細菌戦をすすめていた731部隊のことがばれたら天皇にまで累が及ぶという心配によるものだった。
 石井四郎部隊長ほか多くの軍医は終戦のとき、爆撃機で東京に逃げ帰った。それは8月22日から26日までの間のことであり、厚木か立川の飛行場に降り立っている。
 ところで、アメリカが大戦中にもっとも心配したのは、ドイツの細菌戦だった。あれだけ医学のすすんだドイツが細菌兵器に手を出したらと、・・・。その脅威は絶大だった。しかし、戦争が終わってドイツを占領したアメリカ軍は、細菌製造工場をどこにも発見することはできなかった。つまり、細菌兵器はなかったのである。
 ところが、日本軍は、その細菌兵器を完成させ、実戦でつかっていた。ペスト菌をただばらまいても病気をひきおこすことは難しい。しかし、ペストに感染したノミをばらまけば有効だということが実証されていた。ペストノミは731部隊が発明した当時の最新秘密兵器だった。
 終戦直後、石井四郎が満州から帰国して、東京・若松町の自宅にいることをアメリカ占領軍のトップ(マッカーサーとウィロビー)は知っていた。ところが、それを隠し、ワシントン政府をだまし、ワシントンから派遣されてきた調査官まで欺いた。
 石井部隊にいた研究者たちは、持ち帰った研究データをロシアにはまったく秘密にし、アメリカに対してのみ提供する。ソ連の訴追を免れるよう保護されるという保障をアメリカ軍から得て、秘密のうちに調査報告書を作成した。
 大東亜戦争は中国・朝鮮の文明化に貢献したのだと恥ずかし気もなく高言する日本人が増え、マスコミのなかで勢いづいているのは怖い気がします。731部隊のやったことひとつだけをとっても、そんなことが言えるはずはありません。
 日本軍の細菌戦を主導した石井四郎が、なぜアメリカ占領軍から戦犯とされるどころか、免責され庇護されてきたのか。それを資料にもとづいて明らかにした貴重な本です。

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