弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月13日

宮廷料理人アントナン・カレーム

著者:イアン・ケリー、出版社:ランダムハウス講談社
 お正月にお餅を食べ過ぎたわけでは決してありませんが、またまた少し太ってしまいました。これまで、あと3キロ減量が必要だと言ってきましたが、これで5キロ減量を余儀なくされました。でも、これってホント難しいんですよね。お正月に食べたお餅は、お雑煮に入った1個と夕方のアンコロ餅の1個のみです。あっ、2日にも1個だけ食べました。3日目からは、いつものように朝食はニンジン・リンゴジュースだけです、いつも1日2食です。だから、貴重な2食を大切にしています。マックやケンタ、そして牛丼なんかの有害ファーストフードとは無縁の生活です。いえいえ、それどころか美食についての本をすこぶる愛好しています。
 この本はフランス革命のころ、フランス料理にも革命をもたらしたと言われているアントナン・カレームの一生をたどったものです。カレームは、なんと、親に捨てられた子どもでした。それなのに、王様のシェフであり、シェフたちの王様にまでのぼりつめたのです。それだけでも、たいした人物です。カレームには、24人もの兄弟がいて、16番目の子どもだったといいます。本当でしょうか・・・。
 父親はカレームを捨てるとき、次のように言ったそうです。
 いまの世の中、根性さえあれば、運をつかんで、出世できるってもんだ。そして、おまえにはその根性がある。あばよ、坊主。神様からもらったものを持って、行っちまいな。
 幸運にも、10歳のカレームは、ひとりの料理人に拾われました。革命前、パリのレストランでは食事ができませんでした。レストランが出すのはブイヨンやポタージュなどのスープだけ。当時のスープとは、流行に敏感な人たちが、いい気持ちになったり、呼吸器の病気を和らげるために飲むものだった。かつてのコーヒーと同じ役割だ。レストランとは、文字どおり健康を回復するために行くところだった。
 ナポレオンは食べ物に興味がないことで有名だった。公式の席で食事することを好まず、皇后ジョセフィーヌも公式の晩餐会を嫌っていた。歯並びの悪い口元を隠したがっていたから。したがって、カレームは、ナポレオンのシェフをつとめたことは一度もない。
 カレームはタレーランそしてイギリス皇太子のお抱え料理人ではありました。そして、大富豪ロスチャイルド夫妻の料理人に就任したのです。カレームを抱えたことで、ロスチャイルド夫妻は新興ブルジョア上流社会に次第に受け入れられ、支配すらするようになった。最高の料理は、最高の芸術と同様に、金銭で購うことができる。
 ただ、カレームは50歳で亡くなっています。料理人は、たいてい地下で職業人生を送る。昼なお薄暗い照明が視力を弱め、蒸気とすきま風がリューマチを悪化させ、料理人の人生は悲惨なものになる。胸に吸い込むのは木炭の煙と蒸気ばかり。そう、それがシェフの人生なのだ。うーん、ホントに悲惨ですよね。
 カレームは、図書館にこもる熱心な読書家でもありました。だから、たくさんのレシピを残し、本として出版することができたのです。この本には、そのレシピとあわせて、カレーム自身が描いた料理の壮大な盛りつけの絵も紹介されています。
 ああ、こんな美食を前にして、明日からどうやってダイエットしよう・・・。

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