弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年3月20日

古代メソポタミア全史

イラク


(霧山昴)
著者 小林 登志子 、 出版 中公新書

古代メソポタミアは、今のイラクにあたる。紀元前、3500年の都市文明のはじまりから、前539年の新バビロニア王国の滅亡までの3000年間の歴史。これは、日本でいうと縄文時代にあたる。
なのに、すでに文字があり、成文としての法典(法律)があったというのですから、驚かされます。
開けた土地ですから、常に異民族が侵入し、政権の担い手がしばしば交代した。それでも、戦争するだけでなく、成文法を整え、口約束ではなく、契約を文字にした。
メソポタミアは、北部のアッシリアと南部のバビロニアの二つの地域から成る。
現代イラクでは、北部はスンニー派、南部はシーア派という対立構造が昔からあったことにもなる。
なんといっても有名なのは「ハンムラビ法典」。これは1901年にフランス隊がスーサで碑文を発見したことによる。高さ2メートル25センチの玄武岩から成る碑はルーブル美術館に現物がある。
紀元前1750年まで、ハンムラビ王は43年間もの長きにわたってバビロン王朝を支配した。その治世晩年に「ハンムラビ法典」を制定し、裁判の手引書としたという。282条の条文と序文等から成り、同害復讐法として有名。
くさび形文字は解読されているのですね。たいしたものです。ただ、同害復讐法の適用があるのは、被害者も加害者も自由人の場合であって、被害者が半自由人や奴隷だったら、賠償となる。また、実際の裁判の場では、裁判官の自由裁量の余地が認められていたので、自由人同士であっても、必ずしも同害復讐法で処罰されたとは考えられない。
ところが、この「ハンムラビ法典」よりずっと前、紀元前、2100年ころにつくられたシュメル人のウル第三王朝のウルナンム王が制定した「ウルナンム法典」では、同害復讐法の考え方をとっていない。「やられても、やりかえさない」という考え方だった。傷害罪は賠償で償われるべき、銀を量って支払うと定められていた。
刑法だけでなく、民法も扱っていて、結婚や離婚についての条文もある。離婚となれば慰謝料が問題となり、妻が再婚のときには、初婚の妻の半分とされた。契約書のない内縁関係のときには慰謝料なしと明記されている。
ええっ、紀元前2000年前にそんなことを明記した条文があったなんて、信じられません。今から4000年も前の話なんですからね...。
団塊世代の学者の恐るべき威力を痛感させられた新書です。
(2020年11月刊。1000円+税)

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