弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2020年5月 5日

トキワ荘の時代


(霧山昴)
著者  梶井 純 、 出版  ちくま文庫

 私が小学生のころ、『少年サンデー』が週刊誌として発売されました。1959年(昭和34年)のことです。しがない小売り酒屋の三男坊だった私は、そんなマンガ週刊誌なんて親に買ってもらえませんでした。でも、同じクラスに医者の息子がいて、彼から借りて読むことができたのです。
そのなかに「スポーツマン金太郎」というのがありました。作者は寺田ヒロオです。スポ根ものというより、ほのぼのタッチに近いというイメージが残っています。トキワ荘では「テラさん」として登場したのでした。
テラさんは、仲間たちから愛され、信頼される人柄でした。トキワ荘アパートがあったのは豊島区で、このころ木造賃貸アパートが東京一密集していたうちの一つだったのです。
トキワ荘アパートが建ったのは1953年(昭和28年)初めのこと。ここに手塚治虫が入居し、その年の暮れに寺田ヒロオも住むようになった。一部屋の家賃は月3千円。寺田ヒロオのマンガは、なんかふんわりした、笑いだとしても微笑するくらいのマンガ、それが一番好きな世界だった。
手塚治虫は、けっして見下した態度をみせず、誰に対しても励ましの言葉を忘れなかった。これは、才能というより、生来の気質だった。
寺田ヒロオは、他からは落ち着いているようにみえたが、本人に言わせると、動作ものろいうえ、うまく口もきけないので、無口になるしかなかったからだということになる。
安孫子は、かしこく、陽気さと筋道だった思考による積極的な対話を得意としていた。安孫子は、マルクス『資本論』も読んでいたとのこと。さすがです。
そして、若いマンガ家たちは、よく映画をみていたようです。赤塚不二夫も石森章太郎も映画キチガイだったとのこと。
トキワ荘にいた若いマンガ家たちにとって、寺田ヒロオは常におとなびたまなざしで仲間を見守る存在だった。寺田ヒロオへの信頼感は、無限にやさしい家父長に対するもののように、ほとんど絶対的なものだった。
赤塚不二夫は、従業員わずか6人の零細工場で働く中卒の工員だった。それで偉大なマンガ家になったのですから、すごいことですね。
1957年ころ、池袋の居酒屋で寺田や安孫子が飲んでいる写真があります。なんだか、ほのぼのしてくる雰囲気の写真です。
トキワ荘によって立つ若いマンガ家たちの息吹のなかで苦闘する寺田ヒロオの足どりを知り、なんだかほっとする思いでした。読後感のすがすがしい文庫本です。
(2020年2月刊。880円+税)

2020年5月 3日

松本清張が『砂の器』を書くまで


(霧山昴)
著者 山本 幸正 、 出版 早稲田大学出版部

あまり本を読まない、小説を読まない人でも、日本人なら松本清張の名前を知らない人は、まずいないと思います。
松本清張は1960年ころが最盛期だったのでしょうか。平均で毎月11本もの作品を発表していたのです。驚くべき作家です。
この多作を支えていたのは、松本清張が口述筆記をしていたからで、専属の速記者がいまいした。そして、松本清張は、文語体で話していたのです。これまたすごいことです。
朝9時から仕事にかかり、夜の11時にはどんなことがあっても終わりにした。徹夜は絶対にしない。午後4時ころ、30分間は必ずお昼寝した。
1日に20枚から25枚の原稿を書く。1日10時間、1時間に2枚の割合だ。
週刊誌4本、月刊誌5本の連載をかかえていた。
松本清張は地方紙、ブロック紙、全国紙の夕刊そして朝刊というように一歩一歩ステップアップしていった。
『砂の器』は、その前の1960年5月から翌年4月まで新聞小説として読売新聞の夕刊に連載された。
そして、この『砂の器』は、ミリオン・セラーといっても436万部もの超ベストセラーだ。2位が『点と線』206万部、3位が『わるいやつら』228万部、そして4位は『ゼロの焦点』215万部となっている。
松本清張の作品は今なお、繰り返しテレビでリメイクされて放映されている。今もやってますね。なので、松本清張は、まぎれもなく現役の作家なのである。2019年3月、フジテレビは『新・砂の器』を放映した。死してなお、松本清張はますます健在である。
新聞小説は特殊な小説だ。400字詰め原稿用紙3枚半の原稿を毎日掲載し続ける。読者の興味をつなぐ工夫が必要とされる。新聞小説は、小説を読むことを第一には考えていない購読者を満足させなければならない。こった表現は避け、会話をできるだけ多くして、紙面を文字で覆い尽くさないように心がける。
新聞小説は、読者という他者を、否応なく書き手に意識させてしまう特殊なジャンルの小説なのだ。読者を退屈させないために、筋も境遇も人物も、みんな創作しようとする姿勢は、まさしく松本清張のものだ。
野村芳太郎監督の映画『砂の器』は、橋本忍と山田洋次が脚本を担当している。そして、『砂の器』は、この映画のあとは、すべて原作ではなく、この映画を規範としている。
映画の感動をもとに原作を読むと、「あまりのつまらなさに愕然とする」と酷評する評論家すら存在する。ええっ、そ、それは、いくらなんでも言い過ぎでしょう...。
本書は早稲田大学の博士論文を出版したものですから、やや学術論文としてくどい(難しい)ところもありますが、松本清張が『砂の器』を書くに至った前後を深く掘り下げたものとして、関心のある人には一読をおすすめします。
私はコロナ問題で仕事が暇になったので、喫茶店にこもって半日で読みあげました。
(2020年3月刊。4000円+税)

2020年4月25日

デジタルで読む脳、紙の本で読む脳


(霧山昴)
著者  メアリアン・ウルフ 、 出版  インターシフト

 たった一文字でも音読するときは、視覚野にある特定のニューロングループのネットワーク全体を活性化し、そのネットワークは同じくらい特定の言語ベースの細胞グループのネットワーク全体に対応し、そのネットワークは特定の調音運動神経細胞グループのネットワーク全体に対応する。すべてがミリ秒の精密さ。基本的にこれら三つの原理の組み合わせが読字回路の基礎となる。この回路は、二つの脳半球、脳半球それぞれの四つの葉(前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉)。そして、脳の五つの層すべて(最上部の終脳とその下に隣接する間脳から、中間層の中脳、そして下位の後脳と髄脳まで)からの入力を取り入れる。
本を読むという行為には、意識を変える側面があり、それを通して、私たちは、希望をなくしてやけになったり、秘めた感情に恍惚とし身を焦がしたりし、それが何を意味するのか、感じられるようになる。
私たちは孤独でないことを知るために本を読む。過去20年間で若者たちの共感が40%低下し、この10年でも最も急激に低下している。この共感喪失の主な原因は、若者たちがオンライン世界を渡っていくには、どうしてもリアルタイムでじかに話す関係から注意をそがれてしまうことにある。現代テクノロジーのせいで、私たちは互いに距離を置くことになる。共感は、他者を掘り下げて理解することでもあり、異なる交代どうしのつながりが強まっている世界では欠かせないスキルなのだ。
活字の字を読むとき、運動皮質が活性化する。それは文字どおり、皮質の跳躍に近い。共感には、知識と感情の両方を必要とする。
現代の若者は、自分が何を知らないかを知ろうとしない。知識が発展するためには、私たちは絶えず背景知識を増やす必要がある。デジタル刺激がひっきりなしに続けば続くほど、ごく幼い子どもでさえ、機器を取り上げられたときに退屈と倦怠感を訴える。注意過多、恒常的注意力分散、注意力不足が起きる。
デジタル機器に取りかこまれているということは、注意散漫の世界に生きていることを意味する。同じストーリーであっても、活字本で読んだ学生のほうが画面で読んだ学生より筋を時系列順に正しく再現できるという実験結果がある。デジタルに慣れて、脳の新奇性中枢がピカピカの新しい刺激を処理すると報酬を与えられるようになり、いつのまにか中毒ループに入ってしまう。これは、持続的な努力と注意に対する報酬を得たい前頭前皮質にとってマイナスだ。私たちは長期的な報酬を求め、短期的なものをあきらめるよう、自分を訓練する必要がある。
読解力達成度のもっとも重要な予測因子のひとつは、親が子どもに読み聞かせをする量だ。子どもに毎日、読み聞かせをし、毎晩、物語を読むことを儀式化する。子どもに自分たちの文化への準備をさせ、生涯の教訓を教える物語だ。あらゆる文化に見られる普通の道徳律は、物語で始まる。私たち人間は物語を話す種(しゅ)なのである。
4年生の読解レベルと学校での落ちこぼれには相関関係がある。アメリカ州当局の刑務局は、将来的に必要になる刑務所のベッド数を、4年生の読解力の統計をもとに見積もっている。
流暢な読みをするには、言葉の働きだけでなく、言葉がどういう感情を生むかについても、知る必要がある。共感と視点取得は、感情と思考の複雑な識別の一部であり、その二つが合わさると、より深い理解が促される。バイリンガルの成人のほうが、モノリンガルの成人よりも、話し言葉の柔軟性をはるかにたくさん身につけていることが実験の結果、判明した。
やっぱり人間にとって、とくに子どもにとって必要なのはデジタル機器ではなく、昔ながらの親による本の読み聞かせなのだということが改めてよく分かりました。
(2020年2月刊。2200円+税)

2020年4月22日

5人の子をもつ「泣き虫先生」が議員になった


(霧山昴)
著者 大脇 和代 、 出版 ウィンかもがわ

読んで、ホッコリ、じわんと心の温まる本です。著者は私より少しだけ年長の団塊世代で、29年間の中学校の教員生活(教科は国語)のあと、姫路市議会議員(共産党)として4期16年つとめ、病気(パーキンソン病)のため引退し、これまでを振り返ったのが本書です。アメリカに住む長女宅にしばらくいて本書を書き上げたとのこと。お疲れさまでした。
もちろん市議会議員としての議会報告をふくめた取り組みも面白いのですが、私が何より心を打たれたのは中学校で教えていたときの担任としての取り組み、教え子たちと体を張っての教育実践レポートです。若さで、真剣に子どもたちにぶつかっていった様子がまざまざと想像できて、ついつい涙がこぼれそうになってしまいました。
著者は、大阪での大学生活のときには親の言いつけどおり、政治的な活動からはまったく遠ざかっていて、ノンポリ学生で通していたのでした。ところが、中学校の教員となってから、同僚に誘われ共産党に入りましたが、ともかく教員生活と5人の子育てに明け暮れていました。
中学3年生を初めて担任として受けもち、張り切って教室にのぞむと、みんなが選んだ委員長Y君は、「ぼくと先生は水と油や。3年なんて受験だけや、ややこしいことはしたくない」と堂々とみんなの前で宣言した。著者のふくらんだ風船はパチンと破られた。
それでも毎日毎日、全力投球。お昼は弁当を出席順に個人面談と称して一緒に食べながら話す。生徒の誕生日には寄せ書き。清掃も、生徒とともに雑巾かけ。夏休みには山のぼり。応援合戦。そして秋の文化祭の合唱コンクールでは、生徒から「4時半からの早期練習」が提案され、必死の思いで早過ぎると止めに入った。「そんなことしたらクビになるかもしれない」と言うと、「そのときは、ぼくらが教育委員会に嘆願書を出す...」。それでも必死の説得で、なんとか1時間だけ繰り下げることになり、当日、本当に全員が集合し、合唱コンクールでは見事に優勝した。
いやはや、なんという素晴らしさ。中学生たちも、やるものですね。しかも、そのなかで、二人いた不登校の女子生徒たちも学校に出てきたのでした。
 生徒の感想文...。大脇先生は何でも「やりたがり」だから2組の生徒が大めいわく。それでも、なんてたのしいクラス。すばらしい仲間、すばらしくおかしい先生。みんなから愛されていた先生。先生と2組、いつもいつも、いっしょだった。
 この表現力のすばらしさにも私は心が震えました。
 もう一つ。3年B組の話です。
 「ワイはワルやで。修学旅行もこの格好で行かしてもらうさかい」
 S君は、ラッパズボンに、短い学ラン姿。修学旅行の前、S君は、「ワイはこれが似合うんや。みんなも言うとる」と言い、みんなの意見を聞こうと提案した。 S君が「男のことは男しか分からんから、女は出してくれ」と言うと、女子たちは皆、教室を出ていった。そして、男子全員はS君の言いなり。著者は涙があふれ、教室を飛び出し、女子のいる図書室へ。話を聞いた女子が「泣かんとき、わたしらSに言うたる」と走って出ていった。そして翌日、S君は、次の日、普通の制服で登校した。修学旅行も普通に近い服で参加した。
これだけ生徒と格闘しようとする大人の女性を見たら、中学生の女の子たちも心を固めたのでしょう。すると、その迫力に男の子なんてタジタジになったに違いありません。
 さらに、著者がすばらしいのは、この感動あふれる実践を歌詩にまで昇華させたことです。「生命(いのち。生徒)輝け」という歌になっています。
 「先生、助けて、試験がこわい 勉強しても 分からへん 落ちたら どうしたらええんやろ わたし 必死で頑張ってるけど みんな 頑張ったら おんなじや 
聞いてほしい 先生の思い あなたに会えて知った 揺れる心と 溢れるエネルギー 先生は あなたが 好き 誰も みんな 悩んでいるのは 自分が分かるまで とても苦しい 求め続けよう みんなと一緒に」
 中学2年生の生徒の作文...「大脇先生は、とても熱心で、感情豊かな先生ですね。先生が自分がすぐ泣いてしまうのを悩んでいますが、それは先生の心が美しく純粋な証拠だと思います。だから別に悩む必要はありません」
 中学2年生の男の子にこのように教師が慰められるなんて、夢のような話ですよね。
 これを読んで、私も、生意気盛りの中学生のとき、新任の女教師をクラスみんなでいじめて泣かせたこと、また、年輩の男性教師の授業ボイコットを扇動したあげく、職員室に謝罪に行ったことを思い出しました。中学生のときは生徒会の役員もしていたりはしたのですが、先生を泣かせたり、授業ボイコットなんかも率先してやっていたのです。そんなことをしていただなんて、自分でも信じられませんが、思い出しました。
 もう一つ。私が今もこうやって文章を書き続けてモノカキと自称しているのは、中学2年生の担任(今岡先生というベテランの女性教師)が、私の詩を読んで「あら、あなた、文章うまいのね。才能あるわね」とほめてくれたことによります。そうか、自分も作文かけるんだと自信がもてたのです。教師の一言がとてつもない大きな影響力があるものなのです。今でも今岡先生には心から感謝しています(といっても、申し訳ないことに、面と向かって感謝したことは一度もありません)。
 さて、4期16年の議員生活です。議会報告を出し、気がついたことを議会に問題提起すること。この二つを愚直なまでにやってきたことがよく分かります。本当にお疲れさまというほかありません。
 著者とともに歩んできた配偶者を亡くされても、5人の子どもさんたちが立派に成長されているようですので、今後とも引き続き、健康に留意されての無理なきご活躍を期待します。
 楽しい本(堂々500頁もあります)をまとめていただいたことに心から感謝します。
(2020年3月刊。1500円+税)

2020年4月13日

夢の正体


(霧山昴)
著者  アリス・ロブ 、 出版  早川書房

 毎晩のように夢を見ています。さすがに司法試験に失敗したといった夢は見なくなりましたが、どこかの山小屋教室のようなところで合宿しているというのは時々みます。女性にモテモテという願望を反映した夢を見ることもあり、これって夢だよねって思うことがあります。
 夢をみるとき、新しい情報を既存の知識の網に組み込んでいく。そのとき、脳は最近の経験の山をふるいにかけて、長期保存のために、もっとも重要な記憶を選びだしている。
睡眠は、細胞の修復にとって、もっとも重要な時間となっている。眠っているあいだ、脳のなかの老廃物を排出する働きを促すグリンバティック系が活発に活動する。
睡眠不足は、心筋梗塞や脳卒中のリスクを上昇させ、免疫システムを弱める。慢性的な睡眠不足は高血圧のリスク因子となり、一晩の徹夜だけでも、血圧上昇の原因となることがある。
食欲も影響する。睡眠不足は、空腹を刺激するホルモンのグレリンの数値を急激に上げ、抑制するレプチンを減少させる。
若年層では、1日の睡眠時間が6時間以下の人の肥満率は、そうでない人の7倍になっている。睡眠時間が5時間以下の人は7~8時間眠っている人に比べて糖尿病の発症率が2倍以上になっている。
うつ病の人の睡眠の変化で最も大きいのは、夢を思い出せなくなること。睡眠サイクルの適切なタイミングで起こされると、健康な人は80~90%の確率で夢を報告できる。ところが、うつ病患者では、50%にまで低下する。さらに、思い出せる夢は、それほど鮮明でなく、短くなり、伴う感情は乏しく、登場人物も少ない。
うつ病の人は、最初のレム睡眠が早く来て、長く続く。最初のレム睡眠は45分ほどで訪れ、20分くらい続く。一般的には、夢はレム睡眠を重ねるほどに楽しいものになっていき、朝に悪夢で苦しむことは少なくなる。ところが、うつ病の人は、逆の経過をたどり、感情の薄い夢から始まり、だんだん苦しいものになっていく。
暴力を受けた女性は、そうでない女性に比べて、2倍の悪夢をみていた。
人は、夢のなかでトラウマを処理している。夢の源泉の多くは、その人の生活にあり、現在と過去の経験の糸がからみあって夢となる。
夢は、トラウマを乗りこえさせてくれる以上の役割を果たし、苦しいときに安らぎを与えてくれることがある。
南北戦争のとき、寂しさをかかえた兵士は、家族の夢をみて、生きのびる決意をあらたにしていた。
本書では「明晰夢(めいせきむ)」なるものが実験・分析の対象になっています。自分が夢をみていることを自覚しながらみる夢のことです。
それにしても夢の研究というのは、一晩中、不眠不休であることを意味します。盆と暮だけ業務していればいいというものではないのです。私なんか、たっぷり8時間は眠っていたいのですが...。ですから、夢を研究しているという人には、大変な苦労があります。でも、そのご苦労のおかげで、いろいろ夢のことを知ることができるわけです。
(2020年2月刊。2300円+税)

2020年4月12日

絢爛たる影絵、小津安二郎


(霧山昴)
著者 高橋 治 、 出版 岩波現代文庫

映画監督・小津(おづ)安二郎は巨匠と呼ばれ、どこにいても、ひと眼でその存在が分かる巨体だった。
映画づくりの現場の仕事には、一種いいようのない間がある。監督が本番を指示する。助監督が復唱する。撮影・照明・録音・技術の名で呼ばれる各部門の責任者がその復唱を確認する。
小津だけが弟子に冷たかった。小津組からは監督が出ていない。
昭和24年、『晩春』 第一位
昭和26年『春秋』 第一位
昭和28年『東京物語』 第二位
小津のように3回にわたってベストテンの上位を独占した例はない。『キネマ旬報』の算定方式によれば、小津が断然ベストテンの最高点者に浮かび上る。
小津は演出家として、人の心を読む天性の力をもっていた。画面を演出するばかりでなく、セットの中の対人関係の演出も長(た)けていた。
小津組のOKとNGの差がどこにあるのか、よく分からない。あれは小津にしか分からなかったのだ。みんな、そんな不思議な納得をした。
「人間ってものはな、感情をモロに出すことは滅多にないんだ。逆に勘定のバランスをとろうとする。この場面だって同じだ。頼むから、科白(せりふ)の先読みをしないでくれ。来て座る。出そうな涙をこらえている。だから客に悲しみが伝わる。お前さんみたいに悲しみをぶら下げたチンドン屋みたいな顔で来られたんじゃ、全部ぶちこわしだ...」
小津安二郎あっての原節子であり、原あっての小津だった。原には、小津以外にこれぞ原節子という仕事はなく、小津の戦後の傑作はことごとく原によって作り得たものだった。
小津が杉村春子に求めたのは、さり気なさだった。
「一番難しいのは、さり気ないってことなんだよ。さり気なさをさり気なく出せるようになりゃ、役者も監督も一人前だ」
「客を食いつかせて来さすには、常に何かが隠れているという不安を与えていなければならない。ああ、そういうことですか、よく分かりましたと客が思ったとき、客は離れる。感動も共感も薄れて、二度と食いつかない」
小津は、なまなかな大学卒ではとうてい及ばぬほどの教養人だった。小津には、大学、高等専門学校で学び得た機会を自ら放棄したコンプレックスがあった。
小津は一見すると非常に日本的だが、実は大変西洋的だった。
徹底的な合理主義者の面をもっていた。
小津が好んだのは、トンカツ、うなぎ、油っこいラーメンであって、茶漬ではなかった。
小津は金銭には実に潔癖な男だった。
名指しで下手だと言われるようになれば、小津組では合格の域に達していた。見込みのない人間には、小津は批評もしなかった。
その風貌(ふうぼう)からは想像もできないが、小津は意外に臆病で細心な面をもっていた。
戦時中、見るも無残な国策映画だけは、小津はつくらなかった。
小津は、満60歳の誕生日に世を去った。
小津の死に接して、あたりはばからず号泣したのは、杉村春子と原節子だった。
小津安二郎と言えば、笠智衆と原節子の『東京物語』ですよね。私はテレビでしか見たことはありません。そして、山田洋次監督が、そのオマージュとして『東京家族』をつくってくれました。こちらは、もちろん映画館でみました。
小津安二郎という大監督の人間性を徹底追及した、興味深い文庫本です。
(2010年9月刊。1280円+税)

2020年4月11日

みんなの寅さん


(霧山昴)
著者 佐藤 利明 、 出版 アルファベータブックス

すごい本です。映画『男はつらいよ』の全作品がぎっしり詰まっています。
史上最大のボリュームとありますが、なにしろ本文2段組みで650頁もあるのです。圧倒されます。
この本のもとになったのは文化放送のラジオ番組です。2011年(平成23年)4月から2016年9月までの5年間に、701回も放送された「みんなの寅さん」です。
著者は、当初はラジオ番組の構成作家として裏方をつとめていたのですが、やがて、パーソナリティとして登場しました。そして、娯楽映画研究家であり、「寅さん博士」という称号も付与されたのです。なるほど、この本を読むと、さすが「寅さん博士」と声をかけたくなります。
著者は、映画の撮影場面にも潜入(もちろん許可を得て)し、山田監督にインタビューもしています。
著者は小学1年生の夏休みに第5作『望郷編』を父親と一緒に銀座松竹でみたそうです。ほとんど男性客、それもおじさんたち。寅さんの一挙手一投足に場内が割れんばかりの笑いに包まれていたとのこと。
そうなんです。私も何度も体験しましたが、満員の映画館で、みんなが声を出して大笑いするなんて、本当に心の癒される瞬間なのです。それが1時間以上しっかり続くのですから、もうその満足感たるや空腹を忘れてしまうくらいの充足感がありました。
第1作から第7作までは年3作のペースで映画はつくられていて、その後は、盆と正月の年2回、第42作から年1回、正月のみとなったのでした。すごい大量生産です。
マンネリだ。マンネリだという批評家もいたようですが、落語と同じで、ストーリーが分かっていてもいいんです。楽しませてくれたら...。それに、寅さん一家は同じ顔ぶれでも、女優さんは毎回変わるし、寅さんの失恋のしかたも、相手の女優さんによって微妙に変わるのですから...。
私自身は、マンネリしたなんて思ったことは一度もありません。もっとも弁護士になってからは、さすがに年2回必ずみることはできないこともありました。正月はともかく、お盆のころは見逃したことが何回かあります。
渥美清は本当に偉大な役者でしたが、1996年8月に惜しくも亡くなって、第49作は幻の映画になってしまった。『寅次郎花へん』というタイトルも決まっていて、西田敏行、田中裕子が予定されていた。
それで、最終作は第48作『寅次郎紅の花』となり、浅丘ルリ子のリリーさんの話でした。
実は、第5作の『望郷編』は、山田洋次監督が「完結編」のつもりで力を入れたものだった。ところが、これが今までを上回るヒットしたもので、終わるに終われなくなった...。いやあ、良かったです。第5作で終了にならずに。
寅さんシリーズをくり返しみてしまうのは、映画にあふれている「多幸感」に浸りたくなるからだ...。本当に、そうなんですよね。みていると、幸せ一杯になりますものね。
戦前、ラジエーター製造工場で働いていた田所少年は手を抜くこと、サボることにかけては天下一だった。それで、田所少年は「電気時計さん」と呼ばれた。工場の電気時計はよく止まるので、「不良」と書かれていた。それと同じということ。
そして浅草のストリップ劇場でコントするとき、渥美清は舞台に出る直前に、焼酎を飲んで勢いをつけていた。アドリブを連発して、満場の観客を大笑いさせた。
さすが、ですね。よくぞこんなところまで調べたものです。
渥美清は1954年、6時間に及ぶ手術で右肺を摘出し、2年間、病院で療養生活を送った。26歳から28歳までのころ。ここで人間観察をしていたのですね...。そこで体重51キロとなり、タバコと酒を断った。そして、「丈夫で長持ち」のキャッチフレーズで売り出したが、内心は、丈夫でありたいということだったろう。
おばちゃん役の三崎千恵子さんは2012年2月、90歳で亡くなった。実は、私は、30歳台のころNHKで三崎千恵子さんと一緒に出演したことがあります。甘い話にだまされないようにというテーマでした。「おばちゃん」は、私だって投資話には関心があるのよね...、と私に話しかけてくれたことを覚えています。
いやあ、感動的ないい本でした。650頁、3800円もします。人生の良き伴侶として、買って読んで、書棚に飾るだけの価値があります。もちろん、DVDもいいですけど...。
(2019年12月刊。3800円+税)

2020年4月 2日

人は愛するに足り、真心は信ずるに足る


(霧山昴)
著者 中村 哲・澤地 久枝 、 出版 岩波書店

先日、惜しくもアフガニスタンで殺害された中村哲医師がまだ60歳台のころ、澤地久枝さんと対談したのが本になっています。
中村哲医師は本当に偉大なことをなし遂げた日本人です。ノーベル平和賞が授与されて当然だと思いますが、その死によってかなわなくなりました。
中村医師は国会で証言したことがあります。
9.11の直後、2001年10月13日の衆議院において、中村医師は「自衛隊派遣は現地にとって有害無益だ」ときっぱり言い切ったのです。それに、自民党の亀井善之議員がかみつき、発言の取り消しを求めたのでした。当時も今も、軍事力に頼っていても何も解決しないことは明らかです。亀井議員は安倍首相と同じで、軍事力にたよってこそ平和は維持できるという間違った考えに固執しているようです。
中村医師が帽子をかぶって髭(ひげ)を生やしているのは、そうしないと目立つからなんだそうです。お国柄ですね。
中村医師の母親は火野葦平(あしへい)の妹で、玉井金五郎は祖父になる。
中村医師の父は、若松港で働く沖仲仕(おきなかし)争議があったとき、全協(日本労働組合全国協議会)から派遣されていたオルグだった。
中村医師自身は、自分のことを、決してコミュニストではないどころか、どちらかというと保守的な人間だと評しています。そして、中村医師は西南学院に入って、プロテスタントとして洗礼も受けています。また、若いころは強迫神経症、森田神経症、つまり赤面恐怖にかかっていたとのことです...。
中村医師が、妻子とともにアフガニスタンで7年間も生活していたことを知りました。
そりゃあ、奥様はさぞかし大変だったことと推察します。だって、幼い子どもたちを見知らぬ、コトバもよく通じないところで、よくぞ子どもたちを育てたものだと驚嘆します。
タリバンというのは、アドラッサという寺子屋方式の学校で学んでいるタリバンと呼ぶ。なので、タリバンとはアメリカのCIAがターゲットとしているものと、二つあることになる。
タリバンは、実際はアフガニスタンの地域共同体のかなめなのだ。農民とタリバンとは、はっきり区別できるものではない。
アフガニスタントは基本的に地域自治の社会だ。そして、自給自足100%だったのが、いまは半分以下となっている。
アフガニスタントの「テロリスト」たちは農村部ではなく都市出身で、訓練を受けている。自分の生きる根拠を失った人々。これが、極端な行動に走りやすく、手段を選ばない行為に走りやすくなる。
いちばん多いときには、ペシャワール会の24人もの日本人スタッフがアフガニスタンにいた。
中村医師は、アフガニスタンは代役というのがきかない社会だと断言します。
正直いって、今後も現地スタッフが育つことは望み薄いようです。
この本の対談の時点で、中村医師たちが掘った用水路のおかげで60万人の農民が暮らせるようになったのでした。これって、実にすばらしいことですよね、60人ではありません。60万人なのです。砂漠に川から用水路へ水を通して、麦や米などのとれる農地にしたのです。すばらしいです。
中村医師の亡きあとも、ペシャワール会には、ぜひ現地での活動を続けてほしいものです。
(2020年1月刊。2100円+税)

2020年3月30日

時間は存在しない


(霧山昴)
著者 カルロ・ロヴュッリ 、 出版  NHK出版

イタリア人の物理学者が時間について考えています。まるで哲学書みたいな内容で、とても難しくて、十分に理解することは出来ませんでした。
宇宙全体に共通な「今」は存在しない。すべての出来事が過去、現在、未来と順序づけられているわけではなく、「部分的に」順序づけられているにすぎない。
私たちの近くには「今」があるが、遠くの銀河に「今」は存在しない。「今」は大域的な現象ではなく、局所的なものだ。
世界の出来事を統べる基本方程式に過去と未来の違いは存在しない。過去と未来が違うと感じられる理由はただ一つ、過去の世界が、私たちのぼやけた目には「特殊」に映る状態だったからだ。
時間は、ところによっては遅く流れ、ところによっては早く流れる。低いところでは、時間がゆっくり流れ、あらゆる事柄の進展もゆっくりになる。
熱力学の第二法則の核心は、熱は熱い物体から冷たい物体にしか移らず、決して逆は生じない事実にある。
宇宙全体で定義できる「同じ瞬間」なるものは存在しない。この世界を出来事、過程の集まりと見ると、世界をよりよく把握し、理解し、記述することが可能になる。この世界は物ではなく、出来事の集まりなのである。
物理学における「時間」とは、結局のところ、私たちがこの世界について無知であることの表われなのである。時とは、無知なり。
時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主である私たちヒトの、この世界との相互作用の形であり、私たちのアイデンティティーの源なのだ。
物理的な実在としての私たちが記憶と予想からなっているからこそ、私たちの目の前に時間の展望が開ける。
私たちは時でできている。時は、私たちを存在させ、私たちに存在という貴い贈り物を与え、永遠というはかない幻想をつくることを許す。だからこそ、私たちすべての苦悩が生まれる。
少しだけ分かった気にさせ、なんだか考えさせられる本ではありました。
(2019年12月刊。2000円+税)

2020年3月21日

時間はどこから来て、なぜ流れるのか?


(霧山昴)
著者 吉田 伸夫 、 出版  講談社ブルーバックス

昔、『バックトゥーザ・フューチャーズ』というアメリカ映画がありました。私は日本でみたあと、フランスのエクサンプロヴァンスの映画館でもみました。40代前半のころ、1ヶ月間の外国人向けフランス語集中講座に参加したときのことです。午前中の授業が終わると、午後は何の予定もありませんでした。女性をナンパする語学力も勇気もありませんでしたから、ひとりでフランス語の勉強をかねて映画をよくみていたのです。
人間が過去にさかのぼることができたとしたら、自分の親の子どものころに出会うことだってありえます。そして、その親を殺してしまったら、私は存在しえなくなります。そうなったら、おかしなことになってしまいます。存在しえないはずの私という人間が現在、この世にいるとは、大いなる矛盾です。これを「親殺しのパラドックス」と呼ぶのだそうです。
相対論によると、時間は宇宙全域で均一に流れるのではない。時間は空間と一緒になって、時空と呼ばれる物理的実体を構成する。時空の構造によっては、連続的なルートをたどりまがら過去や未来に行くことも不可能ではない。
このように、理論的にはタイムトラベルはありうるというのです...。
野球のバッターは、ピッチャーが球を投げて、その球種が分かるまで待って、バットを振っているのではない。そんなことしていたら、バットにボールがあたることはない。バッターは、ピッチャーがボールを投げるのを予測してバットを振っている。ピッチャーの腕の振りや、投げ出されたときの球速やコースをかなりの確度で予測できるのだ。球種が分かるほどボールが進んでからでは、バットを振っても遅い。
時間は物理的に流れるのではない。流れがあるかのように人間は頭のなかで再構成している。「時間の流れ」とは、物理現象ではなく、人間の意識に由来するものである。
現代物理学の知見によれば、現在という特別な時間は存在しない。
多くの人は、さまざまな体験が時間の流れに沿って順に生起すると感じるだろう。しかし、そんな時間感覚は、脳が捏造(ねつぞう)している。
脳は、リアルタイムで変化する情報をそのまま受け入れることに時間の推移を感じるのではない。入力された情報をいったん神経細胞のネットワークで処理し、その結果として時間感覚を含む意識を形づくる。
「時間が流れる」という感覚も、こうした脳の処理過程を通じて生み出される。
あらゆる出来事が、ビッグバンの整然した状態が崩れていく過程の一部であり、ビッグバンから遠ざかる向きに進行する不可逆変化なのである。
アインシュタインの相対性理論にもとづく摩訶不思議な説明のオンパレードでした。
むずかしすぎましたが、なんとなく理解できるところもありました。
(2020年1月刊。1000円+税)

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