弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2022年11月 6日

香君


(霧山昴)
著者 上橋 菜穂子 、 出版 文芸春秋

 私は、まったく自慢にもなりませんが、あまり鼻が利(き)きません。香(こう)あわせに万一出されたら、ビリ争いをしてしまうのが必至です。庭に夏になると夜、匂いを漂わせる夜香木(やこうぼく)があります。家人が、「ほら、匂ってきた...」と言っても、ちっとも分かりません。さすがにキンモクセイの香りは分かります。でも、今では可哀想にトイレの消臭剤として、すっかり定着しているため、トイレの匂いというレッテルをべったり貼られて気の毒です。
 この本の主人公は、そんな私とまるで正反対、香りで万象を知る女性です。その名も「香君(こうくん)」。すごいんです。心の底まで見透かすように匂いで物事の本質を知ることができます。
 それにしても著者の小説は、いつだってスケールが巨大です。
 そして、地球の自然環境をめぐる深刻な諸問題が必ず取り込まれていて、他人事(ひとごと)のストーリー展開ではありません。
 今回は、アメリカのモンサントなどの巨大穀物メジャーが、全世界の農民を自分たちに依存するしかないように仕向けて画策しているという現実を踏まえたストーリー展開です。
 実際、モンサントから種子(たね)を購入すると、1年目はこれまでにない豊作が現出する。ところが、できあがった実を勝手に播くことは許されない。それを合法化する契約書があった。
 自分が収穫した農作物の種子(タネ)を自分の土地に播くことは許されていない。モンサントから買うしかない。もちろん、お金が必要。こうやってモンサントたち食糧メジャーの農・漁民の囲い込みは実現するのです。種子(タネ)は買うしかありません。
 いやはや、とんだ仕掛けなのです。
 北海道に向かう飛行機のなかで、一心不乱に読みふけり、読書の喜びに浸りました。
(2022年3月刊。税込1700円)

2022年11月 3日

文化人類学入門


(霧山昴)
著者 奥野 克己 、 出版 辰巳出版

 1962年生まれで、立教大学教授による文化人類学入門書です。
 実のところ、まったく期待せずに読みはじめたのです。文化人類学って何...、なんて言われても、さっぱり見当もつきません。
 冒頭あたりで、目について面白いと思ったのは...。女性は他集団に送り出さなくてはいけないので、自集団内の女性とは性交渉してはならない。自集団の女性たちとは、自分の姉や妹などの、近親の女性たちのこと。近親相姦の禁止、つまりインセスト・タブーによって、女性を自集団の外へと送り出し、女性の交換が行われるように仕向けている。インセンスト・タブーの原理こそが、人類社会を成立させている。
 この本で面白いのは、地球上、各地で、SEXをめぐる考え方が、こんなにも違うのかと、あきれてしまうほどです。でも、その内容は、ここでは紹介しません。本書を読んでください。
 著者はマレーシア領のボルネオ島(サラワク州)に住む狩猟・採集民7千人のプナンとともに生活(フィールドワーク)して一冊の本にまとめている。2006年から2019年まで、夏と春の毎年2回、プナンの地へ出向いた。もちろん、通訳なしで、本人がプナン語を勉強して話せるようになっています。すごいですよね。通算して600日以上も滞在したというのです。
 プナンの人々は、もらった贈り物をひとり占めすることがない。しかし、それは生来のものではなく、親が子に教えた結果。プナンの人々は、贈り物をもらっても「ありがとう」とは、決して言わない。そもそも、そんなコトバがない。では、何と言うか...。それは、「よい心がけ」の一言。狩猟民であるプナンの人々は、狩猟に参加したメンバー間の平等・均等な分配に執拗なまでにこだわる。プナンの社会では、与えられたものを、すぐに他人に分け与えることを一番頻繁に実践する人が、もっとも尊敬される。なので、その人は誰よりも質素で、みずぼらしい格好をしている。だからこそ、周囲の人から尊敬を集める。
 したがって、プナンの投票原理は、明らか。一番たくさんの現金をくれた候補者に投票する。果たして、そんなことで、いいのでしょうか...。
 プナンの人々は、時間間隔が非常にうすい。相対的な時間の感覚しかなく、絶対的な時間の感覚があまりない。
 バリ島では、人がなくなると、まず土葬する。次に白骨化した遺体を洗骨する。そして、人間の形に並べ直して、白骨化した遺体を今度は火葬する。バリ島の現地の人々は海で泳げない。海は死者とつながっていると考えるからです。
 著者は大学生のとき、メキシコに1ヶ月も滞在、バングラデシュの僧院では、頭を丸め、得度式をして、黄色い袈裟(けさ)をもらい、仏教名を授けられ、仏教の修業をしました。朝、托鉢に出て、昼から経典を読む生活を1ヶ月も続けたというのです。なんとも、すごーい。すごすぎます。
 『地球の歩き方』は、ひところの私の愛読書でもありました。
 この本で一番面白いのは、著者の若かりし頃の世界放浪記です。若さと語学力があったのですね...。うらやましい限りです。
(2022年6月刊。税込1760円)

2022年10月24日

すごい言い訳!


(霧山昴)
著者 中川 越 、 出版 新潮文庫

 人生最大のピンチを、文豪たちは筆一本で乗り切った。オビのこんなキャッチフレーズにひかれて読んでみました。
 この本によると、樋口一葉は22歳のころ、名うての詐欺師(相場師)に取り入って、お金をせびろうとしたそうです。そのときの一葉の文章は...。
 「貧者、余裕なくして閑雅(かんが)の天地に自然の趣(おもむ)きをさぐるによしなく...」
 一葉は、名うての詐欺師も舌を巻くほどの、非常にしたたかな一面も持ち合わせていたようだ。本当でしょうか...。そうだとすると、ずいぶんイメージが変わってきますよね。
 石川啄木(たくぼく)について、北原白秋は「啄木くらい嘘をつく人もいなかった」と評したそうです。ええっ、そ、そうなんですか...。
 借金してまで遊興を重ねたくせに、あるときは、「はたらけど、はたらけど、なお、わが生活(くらし)楽にならざり。ぢっと手を見る」と、啄木はうたった。
 啄木はウソの言い訳を連発した。人は、こんなに見えすいたウソを続けて並べるはずがないという相手の深層心理につけいった。いやはや、なんということでしょうか...。
 「前略」も「草々」も言い訳。「前略」は、全文を省く失礼をお詫びします、という意味。「草々」は、まとまらずに、ふつつかな手紙となり、すみませんという意味。
 夏目漱石は、明治40年、40歳のとき、それまでの安定した東京大学の教師の地位を捨て、朝日新聞社の社員へ、果敢に鞍替えした。不惑で転職する人は、勇敢だ。
 私の父は46歳のとき、小さなスーパー(生協の店舗)の専務を辞めて、小売酒屋の親父(おやじ)になりました。5人の子どもたちに立派な教育を受けさせるためです。サラリーマンでは無理なことだと正しく判断したのです。
 漱石は、朝日新聞社では主筆よりも高い棒給をもらいました。月給200円(今の200万円以上)、賞与は年2回で、1回200円。朝日新聞は、日露戦争が終結すると、購読数が伸び悩んでいたので、漱石を社員として囲い込んだのでした。
 漱石は40歳で死亡しました。
若死にですよね。これに対して画家は長生きしています。北斎は88歳、大観は89歳、ピカソは91歳まで生きた。絵を描くのは精神衛生によいからだろう。
言い訳にも、その人となりがよくあらわれるものですね...。
(2022年5月刊。税込693円)

2022年10月12日

わたしの心のレンズ


(霧山昴)
著者 大石 芳野 、 出版 インターナショナル新書

高名な写真家である著者が50年に及ぶ取材生活を振り返った新書です。
まだ駆け出しのころ、「女流カメラマン」と呼ばれたとき、著者は「私は流れていません」と反発した。すると、「かわいくないねー」と嫌味を言われた。なるほど、そういう時代があったでしょうね・・・。
 まずはパプアニューギニアへの取材旅行を紹介します。1971年、まだ著者が20代の娘だったころのことです。そんなところに若い女性が一人で行くなんて、とんでもないと周囲から何度も止められた。もちろん止めるでしょうね。それでも著者は出かけました。
 パプア人とは、縮れ毛の人という意味。ここでは、一夫多妻の習慣をもつ部族が多い。でも、ひとりの母親は3人の子までしかもたない。なぜか・・・。「森が壊れてしまうから」。 人口が増大すると森が壊れ、結局、打撃を受けるのは自分たちだと、みんなが考えている。
 著者は、山中の村に長く滞在し、ロパという女性と親しくなった。現地の言葉も話せるようになったのでしょうね。女性は特殊な草を食べて避妊していた。
 そして長く村に滞在していると、著者を「見に来る人」が増えて、「人気者」になったとのこと。ノートにメモをとっていると、その一挙手一投足まで皆がじっと注目し見つめる。そこで著者が、「私は動物園のサルではない」と訴えた。それに対して返ってきた言葉は、「サルより面白い」というもの。なーるほど、そうなんでしょうね。明治初期に東北地方から北海道まで日本人の従者一人を連れて旅行したイギリス人女性(イザベラ・バード)が、まさにそうだったようです。
 ここでは、男女ともに、自分たちの祖先はワニだと信じていたる。そして、男性はワニと同じように強くなるための苦行を経なければいけない。村人、とりわけ女性を守るのは勇敢な男性なので、そのために男性は心身を鍛えなければならない。ワニの化身になった男性の肌にはワニ柄が彫られている。これを、男女とも、みんなが「美しい、たくましい」と言ってあがめる。
 背中にカミソリをあて、傷口に黄色い粘土をすりこんでいく。とても痛いらしい。それをじっと耐える。この背中の傷がいえるまでに、少なくとも1ヵ月はかかる。いやはや、「勇敢な男」になるのも大変なんですね・・・。
 世界各地のドキュメンタリー写真をとってきた著者はベトナム、カンボジアを含めて、世界各地に足を運んでいて、鋭く問題提起をしていて考えさせられる新書です。
(2022年6月刊。税込1089円)

2022年10月11日

おしゃべりな脳の研究


(霧山昴)
著者 チャールズ・ファニーハフ 、 出版 みすず書房

 スポーツのコーチング界では、セルフトークがきわめて重要だと思われている。やる前に「おまえならできる」というほうが、「おまえには無理だ」というより、プレイヤーの成績は良い。これは、私もよくしていることです。内面の自分に話しかけ、励ますのです。
 以前は読むという行為は、一般に声を出してすることだった。日本でも明治初期まで人々は音読、つまり声を出して読みあげていました。今のように新聞を黙読するという習慣はなかったのです。
 ほとんどの子どもは音読をまず覚え、その後、しだいに声を出さなくなり、最後には完全に黙って読むようになる。脳内で読むほうが、音読するより速い。視覚情報を音声にもとづく符号に変換し、それから意味を引き出すかわりに、音声の段階を省き、視覚情報から意味情報へと直行できる。こちらのほうが、脳の仕事は少ない。
 すらすら読める人でさえ、とくにテキストが難解なときは、読みながら舌を動かす。
 読むときに引き起こされる内言は、ときに自分自身の声であり、自分のなまりの特徴も備えている。そして、著者を知っているときには、その人の声が内言で聞こえることすらある。
 著述家は、著者のページを通じて、文字どおり話しかけることができる。
 小説家がもっとも興味を抱いている声は、おそらく登場人物の声だろう。声は登場人物の私的な思考プロセスや内言でさえありうる。これこそ、小説を読む醍醐味のひとつだ。頭の中が声でいっぱいになる。
 過去について記憶違いをしているとき、その一因は、古いほうの記憶が現在の自分の物語と合致しないことにある。それで、物語に合うように事実を変えてしまう。 
 私たちは、みな断片化されている。単一自己など存在しない。誰もが、みなバラバラに分解した状態で、その瞬間ごとに、まとまった「私」の幻影をつくりあげようと格闘している。どの人も多かれ少なかれ解離状態である。
 私たちの自己は絶えず構築され、再構築される。これは多くの場合、うまくいくが、失敗に終わることも少なくない。
 私は弁護士として、たまに多勢の人の前に立って話をすることがあります。以前は、あらかじめ原稿を用意していましたが、今では、せいぜいポイントとなることを、いくつか小さなメモ用紙に書き出すだけにしています。大勢の人が自分を見ていると、その場の雰囲気をつかんだ私の脳が、即座にストーリーを組み立ててくれますので、それを文字どおりなぞって話を展開していきます。不思議なことに、話の展開は、私の内面から湧きあがってくるのです。まさしく内なる自然現象に身をまかせます。
 ジャンヌ・ダルクは、神の声を聴いたということでした。同じように、聴覚的に、視覚的に、身体的に知覚できないときでも、知覚することがある。なんとなく分かります。
 何かがいる気配というのも実際にあることなんですよね。その内なる声に耳を傾けたほうがよいことが多いということです。
(2022年4月刊。税込3960円)

2022年10月 9日

生きる力、絵本の力


(霧山昴)
著者 柳田 邦男 、 出版 岩波書店

 孫たちが来たら、絵本を読んでやるのが私の楽しみです。一番直近は「ダンプ園長やっつけた」でした。「どろぼう学校」(かこさとし)は私のお気に入りの一つです。福井県にある「かこさとし美術館」には、ぜひ行ってみたいと考えています。
 「コルチャック先生」とう絵本があるそうです。知りませんでした。コルチャックは26歳のとき医師(軍医)として、日露戦争に従軍して満洲の地にやってきていたとのこと。ポーランド人のコルチャックは、ポーランドがロシア領だったことから、軍医として召集されたのでした。そこで、戦争の現実をコルチャックは知ります。戦争はしてはならないものだと確信したのです。
 30歳台になったコルチャック医師は、ユダヤ人やポーランド人の孤児たちの施設をつくった。ここでは、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすために完全な自治制だった。子どもたちが自分たちで議会を開き、法律に相当する規則をつくり、裁判所まで設けた。そのなかでコルチャックが強調したのは、許すという寛容の精神の大切さだった。
 ふむむ、なんだかすごいことですね。まったく私の発想にありませんでした。
 そして、ナチスが子どもたちをゲットーから強制収容所へ連れ出すとき、コルチャックだけは助かる機会があったのに(この本では脱走する方法があったとされています。当局も対象から除外しようとしたという説もあります)。ところが、コルチャックは、子どもたちの信頼を裏切るわけにはいかない、不安に陥れることはできないとして、自分だけ助かることは拒絶したのでした。そして、コルチャックは、子どもたちの命を救うことはできなかったが、最後の最後まで、子どもたちの不安や恐怖を少しでもやわらげようと、そばから離れなかった。
 いやあ、すごいことですよね。私には、とても出来ません。人間って、こんなことが出来る人もいるんですね。信じられません。涙が止まりませんでした...。
 大人は子どもが言葉で表現することができないと、何も分かっていないと決めつけてしまう。しかし、子どもは言葉による表現力がまだ十分に発達していないだけであって、分かっていないのとは違う。感覚的には、生きることや生命に関わる大事なことは分かっているのだ。
 孫たちに接していると、自分の子のときと違って、少し距離を置いて客観的に眺める(観察する)ことができますので、人間の発達過程がよく見えてきます。子どもは自分本位で、わがままな存在ですが、差別されることは敏感です。ちょっとした違いにもすぐに反応します。そのとき、年齢(とし)や男女の違いは問題になりません。あくまで一個(ひとり)の人間として、自分が大切にされていると感じられるか否かが判断基準になります。その鋭い感覚には呆れてしまうほどです。
 この本には、子どもをほめることの大切さが強調されています。大人だって、ほめられたらうれしいものです。子どもは大人以上でしょう。
 子どもなのだから、失敗するのは当たり前。それよりも、「ちょっとだけ」の成功を見落とさず、しっかりとほめてあげるのが大切。そのとおりです。
 子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりして、素直に自己表現することができなくなる。子どもを見ていると、その親の子への接し方が分かる。弁護士として、依頼者に接したとき、ああ、この人は子どものとき、人間は信頼できるという安心感をもつことができないまま大人になったんだなと実感させられる人が少なくありません。
 著者は「絵本は人生に三度」と言ってきた。一度目は、自分が子どものとき。二度目は、子どもを育てるとき。三度目は、とくに人生後半になったときや思い病気なったとき。三度目は、私のように幸いにも孫がいるときをふくむのでしょうね。
 絵本は子どもだけのためではなく、大人のためでもあることを気づかされる本でした。
(2014年1月刊。税込1650円)

2022年10月 2日

鷗外追想


(霧山昴)
著者 宗像 和重 、 出版 岩波文庫

 明治の文豪・森鷗外が亡くなったあと、故人を偲んだ文章がまとまっている文庫本です。
 鷗外という人の性格と生活の様子が分かります。
 鷗外は、淡泊な野菜類、ナス、カボチャ、サツマイモを好んだ。
 とりわけサツマイモが好物で、砂糖をつけて食べた。
 晩年には、料理屋のものは一切食べなかった。
 本をたくさん買ったが、値切ることはしなかった。著者の苦労を思えば、そんなことはできないと言った。
 服装は1年中、軍服で通すことが多かった。
 留学してからは風呂に入ることなく、朝夕2回、桶1杯の湯と水を入れたのと穴のあいたバケツを2個そろえて、頭の先から足の先まで拭い清めた。
 タバコをすい、葉巻を愛用したが、晩年にじん肺になってからはやめた。
 酒は飲まなかった。
 日清戦争に従軍したあと、台湾へまわされ、そのあと東京ではなく、小倉師団に転任を命じられた。これは明らかに左遷であり、本人も「隠流」という雅号を名乗って、自分の心境を表明した。
 鷗外は、相撲を好んだ。
 鷗外も妻も、最初の結婚に失敗した同志だった。
 医者でありながら、自らは医者にかかりたくなかったようです。60歳で亡くなったのも、そのせいではないでしょうか...。
(2022年5月刊。税込1100円)

2022年9月26日

東北の山と渓(Ⅱ)

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ総合法律事務所
1996年から2018年まで、著者が東北の山々にわけ入って岩魚(いわな)釣りをした紀行文がまとめられています。いやはや、岩魚釣りが、ときにこれほど過酷な山行になるとは...。
 降り続く大雨のなか、道なき藪(やぶ)の中を標高差500メートルをはい上れるか、幅広い稜線に濃霧がかかって見通しがきかないときに目的とする下り尾根の起点を正しく把握することができるか、三人の体力がもつか、などなど心配は山積み。でも、より危険のひそむ沢筋を下るより、このルートしかない。
 夕食は、昨夜までと一転して酒もなし、おかずもなし、インスタントラーメンをすするだけ。
 源流で釣りをしていて夕立に見舞われ、雨具を忘れたので、Tシャツ姿でびしょ濡れになった。雨に打たれながらカレーを待っているとき、空腹と体温低下のために悪寒が走り、歯があわないほど、がたがた震える状態になった。
 カレーが各自にコッフェルに盛りつけられたので、待ってましたとばかり口にしようとしたら、先輩から叱責された。みんな同じ状況にあるのだから、自分だけ抜け駆けしたらだめ、苦しいからこそ、みんなを思いやり、相手を先にする姿勢が必要。それが苦楽を共にする仲間というものだ。こんこんと説教された。そして、三人で、そろって「いただきます」をして、カレーを食べた。
 いやはや、良き先輩をもったものですね。まったく、そのとおりですよね。でも、なかなか実行するのは難しいことでしょう。
 午前5時、藪に突入して、藪こぎ開始。枝尾根とおぼしき急勾配を登りはじめる。足下にはでこぼこの石があり、倒木があり、ツタがはう。足がとられ、ザックの重さによろめく。背丈(せたけ)をこえる草木からシャワーのように雨しずくが顔を襲う。
 予想をこえて悪条件の藪こぎに体力が消耗し、1時間半、果敢に先頭でがんばった先輩がばてた。昨夜、インスタントラーメンしか食べていないことから、糖分が枯渇しまったのだ。頼みのつなは、昨夜つくったおにぎり6個だけ。いつ着けるか、何があるか分からないので、おにぎり1個を3つに割って、3人で口に入れる。精一杯かんで味わい、胃袋に送る。こんなささやかな朝食だったが、さすがは銀舎利。へたった身体に力がよみがえった。
 よく見ると、ブナの幹に細い流れができている。コップを流れに差し出し、たまった水を飲み、喉をうるおし、あめ玉をほおばった。
 午後1時半、ついに廃道と化している山道にたどり着いた。やれやれ、残しておいたおにぎり2個を3人で分け、ウィスキーを滝水で割って乾杯。
 なんとまあ、壮絶な山行きでしょうか...。軟弱な私なんか、とても山行なんかできません。
 それにしても著者は、こんな詳細な山行記をいつ書いたのでしょうか...。帰りの車中から書きはじめ、家に着いたら、ひと休みするまでも書き終えたのではないでしょうか...。それほど迫真的な山行記です。くれぐれも本当に遭難などしないようにお願いします。
 この冊子は、奥様の中野耀子さんの素敵な絵が随所にあって冊子の品格を高めています。また、先輩弁護士である大森剛三郎さん、岡村新宜さんを偲ぶ冊子にもなっています。
 つい行ってみたくなる、ほれぼれする、写真集でもあります。贈呈、ありがとうございます。
(2022年7月刊。非売品)

2022年9月 3日

寅さんの「日本」を歩く


(霧山昴)
著者 岡村 直樹 、 出版 天夢人

 私の周囲にいる若い人たちの中に映画「男はつらいよ」をみたことのない人が多いので、驚くと同時に悲しいです。
 私は大学生のころから映画をみはじめ、司法試験受験勉強では、「寅さん」映画の笑いに救われていました。弁護士になり、子どもたちが少し大きくなってからは、家族みんなで見に行くのが楽しみでした。
 そんな「寅さん」役の渥美清が亡くなったのは1996年8月4日。68歳でした。もう26年も前のことなんですね。でも、映画「お帰り、寅さん」は2019年12月に公開でした。すごいことですよね、主人公はとっくに亡くなって新しい演技はないのに、ついそこにいるかのようにして、映画をつくりあげるのですからね。まことに山田洋次監督の天才的な技(わざ)には心から感服します。
 そして、50作も続いたギネスブック級のシリーズものをよく見ると、日本社会の移り変わりがよくよく見えてくるのですよね。その一つの例が、列車です。
 いま、国鉄が分割民営化されてJRとなり、地方の不採算線が次々に廃止されて、地元の人々が困っています。大都会のもうけを地方の不採算線にまわして何が悪いのでしょうか...。なんでも効率至上主義が日本を住みにくくしてしまっています。
 そして、寅さんも若いし、女優さんたちもピチピチ輝いていますよね。ああ、もう一度、こんな若いころに戻りたい。そんな白昼夢にふけることもできるのが「寅さん」の映画です。
 日本全国のちょっとひなびた観光地が次々に登場しているのも魅力です。そして、それが今と違って、本当にうるおいの感じられる風景なんです...。よく出来た、カラー写真が満載の「寅さん」本です。
(2022年6月刊。税込1980円)

2022年8月26日

「小倉寛太郎さんに聞く」


(霧山昴)
著者 小倉 寛太郎 、 出版 全日本民医連共済組合

 『沈まぬ太陽』(山崎豊子。新潮社)の主人公である恩地元(はじめ)のモデルである小倉(おぐら)寛太郎(ひろたろう)氏が今から20年以上も前、2000年ころに話したものをテープ起こしした、40頁ほどの小冊子です。
書庫を断捨離しつつ整理していたら、ひょっこり出てきました。『沈まぬ太陽』は本当に傑作です。いかなる苦難・困難にも耐えて、不屈にがんばり続ける主人公の恩地元には、大いに励まされます。まだ読んでいない人は、ぜひぜひ、私から騙されたと思って、明日からでも読んでみてください。決して後悔することはないと断言します。
 私は第1巻を1999年8月28日に読了し、完結編の第5巻を9月15日に読み終えました。速読をモットーとする私が5冊を読むのに珍しく2週間以上もかけたのは、あまりに素晴らしく、泣けてきて、読みすすめるほどに胸が熱くなるので、読み飛ばすなんて、もったいなくて出来なかったからです。それは今でもよく覚えています(少し前に読んだ、アメリカの本『ザリガニの鳴くところ』もそうでした・・・)。
 小倉さんとは、私も一度だけ会って挨拶させていただきました。大阪の石川元也弁護士の同級生だというので、日弁連会館2階「クレオ」でのパーティーのときでした。いかにも古武士然とした風格を感じました。
 「私も辞めたくなるときがあった。でも、私が辞めると喜ぶ奴がいるし、反対に悲しむ者がいる。そして、私が喜ばしたくない奴が喜び、悲しませたくない者が悲しむのだったら、やはり辞めないほうがいい」
 「子どもに知られて困るようなこと、子どもに見られて困るようなことはしたくないと思った」
 「何も特別のことはしていない。ただ、愚痴ってもしょうがない。こそこそ陰で恨んでもしょうがない。そして、どんな所へ行っても、胸はって、そこの土地のもとを糧(かて)にしていけばいい」
 「次の世代のためにも、自分があとで考えて後ろめたく思うような心の傷をもってはいけない」
 「余裕とユーモアと、ふてぶてしさとで生きていかなければいけない。とくに働く者は、ふてぶてしくなければいけない。転んでもただでは起きない。何か拾って、立ち上がったという生き方、そんな生き方を伸び伸びとしたい。いつも悲壮な顔をしていたら、ほかの人はついていきようがない」
 「人間に必要なのは冷静(クール)な頭脳と温かい心(ハート)だ」
 「JALに来るような東大卒はクズかキズものだ。頭がよくて人柄もいい。そんな人間はJALには来ない。JALには頭は良いけれど、人柄が良くないのが来ることが多い。一番困るのは、頭の悪さを人柄の悪さで補うという者。こんな人間が、けっこう世の中にいる」
 いやあ、さすが苦労した人のコトバは重みがありますよね。
 小倉さんはナイロビ支店長に飛ばされたあと、1976年に、戸川幸夫、田中光常、羽仁進、渥美清、小原英雄、増井光子、岩合光昭の諸氏らと「サバンナクラブ」を結成しています。また、8年間のナイロビ勤務を通じて、アフリカのケニアやウガンダ、タンザニアなどの国の首脳陣とも親密な交流をしたのでした。まことに偉大な民間交流です。
 20年以上も前の、わずか40冊ほどの小冊子ですが、ひととき私の心を温めてくれました。
 (2022年3月刊。非売品)

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