弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2025年6月30日
アンパンマンと日本人
(霧山昴)
著者 柳瀬 博一 、 出版 新潮新書
日本の幼児の一番好きなキャラクターは、なんといってもアンパンマンです。孫たちもアンパンマン大好きでした。小学生になったら卒業してしまいましたが...。
アンパンマンの絵本は、なんと8100万部を突破している。そして、2300をこえる豊富なキャラクターもいて、アンパンマン関連の市場規模は累計600億ドルに達する。全国に5ヶ所あるアンパンマンミュージアムの年間入場者は300万人以上。日本の乳幼児中心なのに、ビジネス規模は年間1500億円で、世界6位を誇っている。
やなせたかしは、1919年生まれで、アンパンマンを生み出したときは54歳、テレビアニメのときは69歳だった。
アンパンマンは、冴(さ)えない中年男として登場した。はじめは大人のメルヘンとして描いたもの。アンパンマンは平成以降のヒーロー。なので、私の子どもたちのころにはいなかったのです。
今や、子育てを助けてくれる最高のヒーローになっている。1~3歳の支持率は圧倒的。アンパンマンは、子どもたちだけでなく、親からも信頼されているのが、最大の強み。
アンパンマンに触れ始めるのは0歳から2歳のときで、卒業は4~6歳の幼稚園のころ。
アンパンマンの客は親子一体。親の決定に委ねられている。アンパンマン映画の映画館は明るいままで、暗くはならない。アンパンマンが登場すると、子どもたち全員がピタッと泣き止み、アンパンマンの一挙手一投足にクギづけになってしまう。アンパンマンが敵に反撃すると、「がんばれ」と声援を送る。5分に1回はアンパンマンの出番がある。映画館を出るとき、子どもも親もニコニコ満足の笑顔。
アンパンマンのキャラクターは、みな徹底してモダンなスタイルでデザインされている。そして、そのワールドは、山と川と海に囲まれた「田舎の村」。アンパンマンの世界は、シンプルな描線と影のないフラットで鮮やかな配色で構成されている。
やなせたかしは、東京高等工芸学校で商業美術つまり広告デザインを学んだ。そして兵隊にとられ、中国大陸に行っている。このとき食べるものがない。喰わないと死んでしまうという状況に置かれた。この体験がアンパンマンに生かされている。
死なずに帰国してからは、高知新聞社に入り、雑誌をつくり始めた。そして、そこで、妻になる小松暢と出会う。NHKの朝ドラの主人公です。妻の「いだてんおのぶ」は、ちょっと気が弱くて、自身のないやなせさんを励まし続けました。
アンパンマンは常に淡々としている。増長しないし、メロメロにもならない。
3.11大震災のあと、ラジオから流れてきた「アンパンマーチ」を子どもたちが一斉に歌い出した。この話には感動しますよね。
「何のために生まれて何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ!」
やなせたかし自身がアンパンマンだった。
お腹をすかしている人に、自分の顔をちぎって与えるなんて、突拍子もないんですけど、子どもたちは何の苦もなく受け入れるのです。そして、パン工場でおじさんに顔を再生してもらうのです。
いい本でした。アンパンマンを赤ちゃんが好きになる理由が、やなせたかしの人生を掘り下げるなかで納得できるのです。
(2025年3月刊。880円+税)
2025年6月28日
私と北アルプス
(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 自費出版
神奈川県の弁護士がこれまで登った山の紀行文と写真をまとめた冊子です。どうやら5冊目のようです。私はどれも登っていませんが、著者は北アルプスの山々を駆けめぐり、また女山魚などを釣っています。著者に会ったとき、山登りこそが本業で、弁護士のほうは副業程度じゃないのか...と冷やかしたことがあります。
著者が若いころの山行きの仲間は、私からしても大先輩にあたる岡村親宜弁護士(労災・職業病の権威)と大森鋼三郎弁護士が一緒しています。30年近くも前(1996年8月)の山行きです。著者は、それこそまだ初々しい青年弁護士です。いかにも元気溌剌で、うらやましいです。
岩魚(イワナ)釣りの旅でもありました。イワナは、毛バリで釣り上げています。釣りのエサになる川虫を見つけるのは大変だったようです。師匠の岡村弁護士は板前として、イワナ寿司、イワナのムニエル、イワナ刺身、イワナ塩焼き、イワナの燻製(くんせい)、骨酒をつくり、みんなで堪能したとのこと。いやあ、さぞかし美味だったことでしょう。
山小屋は大混雑で夕食は入れ替え制。そして寝ようとすると大いびきに悩まされる。私も、山小屋ではありませんが、同宿者の大いびきで眠れない夜を過ごしたことが何回かあります(幸い、いつのまにか寝入っていました)。
同行した人の登山靴が劣化して銅線を巻きつけて歩いていく情景が紹介されています。私も近くの小山を久しぶりに歩いたとき、登山靴が古くなっていて、底がパカッと開いてしまって困ったことがありました。たまに山を歩くと、こんなこともあるのですよね。
それにしても山の雄大な写真が見事です。まさしく気宇壮大な眺めに、すっかり病みつきになっている著者の心情を理解したことでした。
いつもすばらしい写真を送っていただいて、ありがとうございます。これからも無理なく山行き(山歩き)を楽しんでください。
(2025年5月刊。非売品)
2025年6月16日
睡眠の起源
(霧山昴)
著者 金谷 啓之 、 出版 講談社現代新書
私は眠りはいいほうです。年齢(とし)とともに寝るのが早くなりました。前は夜12時まで起きていましたが、ちょっと前に午後11時なり、今では午後10時半には布団に入るようにしています。眠ると、朝はすっきり目が覚めます。
夜しっかり眠れないという依頼者が少なくありません。そして、借金返済のためにダブルワークして毎日4時間しか寝ていないという人がいて、心配です。また、三交代労働などで深夜労働の人も少なくありません。私はコンビニが全部24時間営業しているのも問題だと考えています。すぐに全廃できないというのなら、いくつか例外的に開けておけばいいと思うのです。
脳のないヒドラも、ときに動きを止めて休む状態がある。眠っているような状態だ。ヒドラの睡眠をコントロールする遺伝子は、他の動物と共通している。ヒトが眠るのと同じように、脳のないヒドラも眠っている。
ヒトの脳はとても軽く、豆腐のように軟らかい臓器で、体重の2%を占めているだけ。
ヒトの体は40兆個もの細胞で出来ている。ヒトの脳には、1000億個以上の神経細胞が存在する。
睡眠は、ノンレム睡眠の時間が圧倒的に長い。レム睡眠は、鮮明な夢をみることが多い睡眠だ。
断眠は、脳のはたらきに大きく影響する。断眠させると、ラットは2~3週間で死んでしまう。断眠は脳にダメージを与えるだけでなく、全身に及ぶ。ひどい場合は死に至る。
拷問の一手法が眠らせないというもので、効果的だといいます。
睡眠は貯蓄ができない。
植物のオジギソウは、体内時計によって葉を開閉させている。
ショウジョウバエの2万個以上ある遺伝子のうち、時計遺伝子と呼ばれる一連の遺伝子は体内時計に関与している。
ヒトの体のあらゆる組織に、時計遺伝子による体内時計のしくみが備わっている。脳のなかの思考叉(しこうさ)上核と呼ばれる領域が全身の体内時計の中枢だ。
睡眠は、睡眠圧と体内時計という二つの成分によって調節されている。
ヒドラは老化の兆候をほとんど示さない。1400年以上生き続けている個体がいる。ヒドラが眠るというのなら、睡眠に脳は必要なのかという疑問が生じる。
海に浮かぶクラゲは昼寝をしている。
ナルコレプシーの患者は、発作のように突然眠ってしまう。
吸入麻酔薬は100%、必ず効く薬だ。ところが、なぜ効くのか分からないまま、今日も服用されている。また、植物にも作用する。
眠りって不思議ですよね。意識がある状態が一瞬で不思議な世界に入りこみ、朝になると、また体が動き出すのですからね...。大いに考えさせられる新書でした。
(2024年12月刊。990円)
2025年6月15日
井上ひさし外伝
(霧山昴)
著者 植田 紗加栄 、 出版 河出書房新社
井上ひさしは私のもっとも尊敬する作家の一人です。井上ひさしが映画をたくさん見ているというのは知っていましたが、教師から3つの条件を課されたというのは初耳でした。映画館で「婦人警官」から補導された。この時間に高校生が映画館にいるのはおかしい。これは不良に違いない。仙台南警察署まで連行された。そして警察官は学校に電話して問い合わせた。すると、担任の教師はこう言った。
「あ、そいつは映画を毎日見ることになってます」
信じられない展開です。担任の藤川武臣先生は、高校生の井上ひさしが午後から授業をサボって映画を観ることを許していたのです。ただし、条件を3つ課した。その1、映画の半券と詳しい筋書きをレポートとして提出する。その2、友だちのノートを借りるなどして単位取得に必要な試験を受ける。その3、東北大学に進むのはあきらめる。
校長の許可も得ずに担任がこんな条件で生徒のサボりを公認するなんて...。大人しく目立たない性格のせいで、午後の教室に井上ひさしがいなくても級友の目は惹かなかったというのです。いやはや、信じられませんよね。
井上ひさしは上智大学の仏文科に入っていますが、フランス語はカナダ人神父の直伝で、上手だったようです。翻訳もしているとのこと。そして、「キネマ旬報」や「映画の友」によく投稿し、しばしば掲載され、その報償金も映画代に充てたのでした。高校3年間に観た映画は、なんと、750本とか1000本というのですから、常人にとても真似できません。
遅筆堂として有名な井上ひさしの信条と勇気について、著者は次のように紹介しています。これまた、常人にはとても真似できないすごさです。
いい物語をつくらないと観客に放り出される。初日の開幕に間に合わず、世間の非難を浴び、金銭的損失を出しても、いかにいい脚本にするか、それだけを目指して書く。それが脚本と向きあうときの井上ひさしの基本姿勢。いかに初日が迫ろうとも、それまで書いた原稿が良くないと判断すると、それを惜しみなく捨てることのできる意志と勇気を井上ひさしは身につけていた。
この強い意思こそが、再演打率の非常に高い作品を生み出してきた。
映画大好き人間の井上ひさしは、「ミーハー井上」でもあったというのもすごく身近に感じられる話です。井上ひさしは山田洋次監督の「寅さん映画」と同じように「美空ひばり映画」も好きだった。洋画ではターザン映画のような能天気な映画が好きだった。私も子どものころ、美空ひばりもターザン映画を観ています。深く考えさせるというのではなく、ハラハラドキドキの楽しい映画なのです。
そして、気に入らない映画は、けなすことなく、触れないで無視してしまう。私も、このコーナーには面白くないと思ったら紹介しません。けなす文章なんか書きたくもありません。時間がもったいないのです。
井上ひさしが愛したのは映画と音楽。音楽はとにかくジャンルが幅広い。そしてタバコ。残念ながら井上ひさしは肺がんにかかっています。
中学生の3年間で600本もの映画を観たという井上ひさしは、世界一の映画ファンだというコメントが最後に紹介されています。まったく異議ありません。
(2025年1月刊。3520円)
2025年6月 3日
眼述記
(霧山昴)
著者 髙倉 美恵 、 出版 忘羊社
脳梗塞で倒れた「毒舌」の夫と文字盤でバトルしながら駆け抜けた10年の記録。
これが本のオビのフレーズです。夫は全身マヒになったので、その意思表示はアイコンタクト。文字盤を目線で指し示し、それを読みとるのです。いったい、どうやって...。
透明の塩ビ板(厚さ1ミリ、幅30センチ長さ45センチ)を挟んで、互いの目と目の間を60センチほど空けて見つめあい、視線がぶつかりあう真ん中の文字を読む。
これって意外に難しそうですよね。でも、慣れたら、それなりのスピードで読みとれ、意思疎通が出来るそうです。
目線が動くことで見えていること、脳がその限りでしっかりしていることが判明してからのことです。脳梗塞と脳出血で倒れてから4ヶ月たったときでした。そして、初めてのコトバが「されるな」だったのです。夫からすると、食事のあと、すぐにマッサージするのは止めてくれという意思表示でした。もちろん、あとで分かったことです。妻からすると、夫のために一生けん命マッサージしているのに、「されるなって、何やねん」という思いでした。戦争のため植物人間のようになった「ジョニーは戦場へ行った」という映画をつい思い出しました。
新聞記者をしていた夫は、気がついたときには体が動かず、声も出せない。しかし、意識のほうは清明。それを妻や家族そして周囲の誰にも伝えることが出来ないという苦しみに陥っていたのです。作家の葉室麟の担当をしていたので、葉室麟がよく病室にも自宅にも見舞いに来たそうです。残念ながら葉室麟のほうが先に亡くなりました(2017年12月)。
夫が病院を退院するときの担当者会議には、なんと22人もの参加者があったとのこと。驚きました。病院スタッフと自宅でのケアに加わる人たちなどです。このときの心境を夫は、「地面に落ちたあめ玉みたい」だったと号泣した。
介護が辛いのは、家族の世話をすること自体ではなく、そのために介護以外のことをする時間がとれなくなること。なーるほど、それは辛いですよねゆっくり本を読んだり、テレビを見たり音楽を聞いたり、はたまたコンサートに出かけたりが、ほとんど無理になりますよね。
そして、車イスで動けるようになってから、映画好きの夫の希望で車イス席のある映画館に出かけるようになります。博多駅の9階にあるTジョイにはよく行っているようです。
訪問入浴は週2回、日額1万3千円。45分間のうちに洗いあげ、健康状態チェックまでしてくれる。
車イスでの外出介助は、担当に骨の折れる仕事だ。道路のデコボコや歩道の傾きに気をつけておかないと車イスごと転倒しかねない。街中は命に関わる危険に満ちている。
体が疲れるというより、神経がすり減ってしまう。深刻で大変だけど、笑える部分は大いに笑ってほしいと著者は書いています。私も遠慮なく、ところどころ大いに笑わせてもらいました。
夫はずっと笑えなかったようです。それどころか、よく号泣しました。感情失禁という、脳出血にともなう後遺症なのです。感情のコントロールがしづらくなり、すぐに怒ったり泣いたりするのです。夫は、ちょっと心が動くと、勝手に嗚咽(おえつ)が出てしまうので、あまり気にしなくてよいと説明。そうなんですか...。
まあ、本当に大変な介護生活ですが、すでに10年も続けているわけです。これからも、適当に息抜きしながら、やっていってくださいね。心温まる、いい本でした。
(2025年2月刊。1750円+税)
日曜日、午後からジャガイモを掘り上げました。まず、試し掘りをしてみたら、大きいものが出てきましたので、これなら大丈夫だと、掘り上げていきました。月曜日は雨が降るというので、それなら全部を掘り上げようと思い、がんばりました。
今年は大豊作でした。皮の紅い、サツマイモのようなジャガイモが半分です。これで、ポテトサラダそしてコロッケをつくってもらったら最高です。
小さいのは、そのままオーブンで焼いて食べました。ホクホクして美味しい味でした。
夕方、暗くなってから近くの小川にホタルを見に行きました。歩いて5分のところです。今年は、たくさんのホタルに出会えました。フワリフワリと飛んでいるホタルをそっと手の平に乗せてみます。すると、またフワリと飛んでいきます。ゆっくり、あわてず、そして一斉に明滅するホタルの姿を見ると、まるで夢幻の里にいるかのようです。
2025年5月12日
人類の祖先に会いに行く
(霧山昴)
著者 グイド・バルブイアーニ 、 出版 河出書房新社
この本の初めにネアンデルタール人などの顔が復元されています。いるよね、今も、こんな顔の人が...、ついそう思ってしまいました。
しっぽなしに直立して歩くのは人類の専売特許だ。
でも、チンパンジーが二本足で歩行している映像を見たように思いますが...。
四本足の動物は、脊椎は地面と水平なアーチ状になっていて、そこに内臓や胸部がぶら下がっている。なので、直立姿勢の獲得にともなって、胸部の重みが体の前面にかかるようになる。
お尻の筋肉がしかるべく収まるように、骨盤が変形・収縮したが、そのせいで、人類の出産はゴリラやチンパンジーとくらべて難事業となった。つまり、直立歩行に移行するため、ヒトは高い代償を支払った。
トゥルカナ湖は、東部アフリカの大地溝帯に位置している。そこで発見されたトゥルカナ・ボーイは頭蓋の容積が880㏄もある(現代人は1400㏄)。脳の容積が拡大し、手を使うようになっている。年齢は11歳前後、骨盤が縮小しているから、半・樹上生活から、完全に地上生活に移行していたとみられる。
女性が毛の少ない男性を好むようになる過程と、より優れた汗腺を発達させるために毛を失う傾向は、同時併行して進んだ。
ネアンデルタール人の化石には、相当な数の骨折の痕跡が認められる。傷を負うのは日常茶飯事だったということ。ええっ、これは知りませんでした。
中央ヨーロッパと西アジアに生息していたネアンデルタール人は、最多でも7万人は超えなかった。
ネアンデルタール人が食べていたのは、主として肉、ほとんど肉だけだった。
ネアンデルタール人は、貝殻や鳥の羽で体を飾っていた。
私たちヒトは、アフリカに起源をもつ。化石も、考古学的な発掘物も、みな、そのように伝えている。人類、みな兄弟、というのは、実は本当のことなんですよね。それを知ったら、肌や髪の毛の色で差別するなんて、とんでもないことだということです。
(2024年10月刊。2250円)
休日、午後から梅の実をもぎとりました。高いところは脚立を立て、それでも手の届かないところは叩いて落とします。今年は豊作でバケツに2杯分とれました。
昨年は全然でした。波があります。
今、庭には黄ショウブが一面に咲いて見事です。フェンスには紅白のクレマチスも咲いてくれています。
今年はアスパラガスはダメでした。ジャガイモが花を咲かしていますので、やがて収穫できるでしょう。ブルーベリーの花も咲いています。五月の青葉を吹く風は心地良いです。
2025年5月 6日
エッシャー完全解読
(霧山昴)
著者 近藤 滋 、 出版 みすず書房
なぜ不可能が可能に見えるのか、こんなサブタイトルがついています。なるほど、エッシャーの絵って不思議ですよね。一見すると、何の変哲もない精密画なのですが、よくよく見ると、不思議だらけです。どんどん階段を上にのぼっているかと思うと、いつのまにか下に進んでいます。そして、川の水が滝のように流れ落ちているのですが、その落ちた水が、どんどん上にあがっていて、再び滝になって落ちていきます。まったくありえません。
人間の眼は、いかに錯覚にとらわれているか、それを何より証明するものです。
エッシャーのだまし絵は見飽きることがありません。著者は、それがなぜなのか、科学的に究めています。すごいです。
著者がエッシャーのだまし絵に出会ったのは中学生のとき。少年マガジンの表紙(1970年2月8日号)に「物見の塔」があったそうです。この「塔」の絵も不思議なものです。建物のなかにあった梯子(はしご)を人間がのぼっていますが、いつのまにか建物の外に出ているのです。ありえません。
そして、1階と3(2?)階の向きがまるで違うのに、違和感がありません。
エッシャーの絵は自然で写真的に見えるのに、全体としては不可能建築になっている。
エッシャーはアメリカの雑誌「タイム」に取りあげられ、一躍、人気作家になった。1954年のこと。
エッシャー自身は学校では数学が苦手で、いつも落第点をとっていた。今と違ってコンピューターを活用できるわけではないので、エッシャーは手作業でトリック絵を描きあげていった。
エッシャーの風景画は、その対象をきわめて正確に写しとっている。
エッシャーは、どう考えても存在しえない構造の建築物を、限りなく自然に描くことで、実在しうるものと錯覚させることを狙ったのだろう。
エッシャーのトリックは次の三つから成る。
①原則として、線遠近法の決まりごとは厳格に順守する。
②見る人が錯覚を起こすように建物の構造を変える。
③違和感の原因になる構造を、建物以外のアイテムでごまかす。
エッシャーは、自分では「デッサンが下手だ」と言ったが、それは、存在しないものを空想で描くことは出来ないという意味。
エッシャーの絵を一人で黙って見つめているだけで、画面中にたくさんトリックがあることに気付かせない。でも、どこか変だなと思って、よくよく見ていると、トリックがあることが分かってくる。
エッシャーの絵をもう一度よくよく見ることにしましょう。楽しい本でした。
(2025年1月刊。2700円+税)
2025年5月 5日
ひろい海にぼくたちは生きている
(霧山昴)
著者 長倉 洋海 、 出版 ありす館
この著者(写真家)の写真と文章には、いつも感服しています。子どもたちの目がキラキラ輝いているのに心が惹かれます。
今回の子どもたちは基本的に一日中、海上で生活しています。東南アジアにスールー海というのがあるそうです。初めて知りました。インドネシアでしょうか、ボルネオでしょうか...。フィリピンではなさそうです。
陸に上がるのは、とった魚を売りに行くときだけ。固い地面を歩くのは不思議な感じがするというほど、海上生活が中心です。舟の上にすべてがある。料理も食事も、みんな舟の上。
赤ん坊が生まれると、すぐ海に入れる。まず、泳ぎを覚えるため。とれた魚を町で売って、また海に戻っていく。
島に生えるヤシの木と魚で、自給自足の生活を営む人々。ヤシの木は、実だけでなく、殻も葉も幹も、すべて役に立つ。ヤシ殻からロープをつくる。とった魚は、みんなで分けあう。
島には、電気もガスも、水道もない。冷蔵庫もない。足りなくなったら魚もヤシもまた取ればいい。水は、雨水を水槽に貯めておく。
子どもたちは、学校に通う。ヤシガニは青色で、手の平よりも大きい。ヤシの実は、ラグビーボールの大きさだ。
青い空と広い海のなかで、子どもたちが屈託のない笑顔を見せている。この素敵な笑顔がずっとずっと続いていくことを願うばかりです。
今回も素晴らしい写真を見せてもらって、ありがとうと著者に声をかけたい気持ちで一杯になりました。
(2024年12月刊。1980円)
2025年4月21日
マンガ認知症
(霧山昴)
著者 ニコ・ニコルソン、佐藤 眞一 、 出版 ちくま新書
ずいぶん前のことですが、叔母が認知症になりました。子どものいない叔母でしたので、イトコが養子になって同居して面倒をみるようになりました。ところが、叔母は、イトコが「お金を盗った」と騒ぎ始めたのです。イトコが叔母のお金を盗るはずはありませんし、盗る必要なんかないのです。そうか、認知症の物盗られ妄想って、こんな状況を言うんだなと思い当たりました。
弁護士として、遺産相続のときに、故人の物盗られ妄想を信じている相続人が真顔で主張するというケースを扱いました。身近な人は真実が分かっても、遠くの人には妄想が真実に見えてしまうという厄介な状況でした。
いったい、認知症の人の物盗られ妄想はなぜ起きるのか、不思議でした。
そもそも認知症とは、①なんらかの脳の疾患によって、①認知機能が障害され、②それによって生活機能が障害されているという三つがそろったときの症状だ。認知症は症状であって、そんな病気があるわけではない。
認知症の予備軍をふくめると、今の日本には1000万人いるとみられている。
認知症の診断はとても難しい。老化による物忘れは認知症ではない。
記憶検査のとき、ヒントを与えられて答えることが出来たら、認知症ではないので運転免許の更新は認められる。
さて、物盗られ妄想は、なぜ起きる...。自分がお金を置いた場所を忘れてしまう。でも、自分のせいだとは認めたくない。その結果、自分を納得させるための虚偽の記憶をつくってしまう。事実と創造の区別が出来なくなり、身近な人に疑いをかけてしまう。
人間は、自分が忘れたとか失敗したとか、自己否定につながることは、素直に認められないもの。自己防衛で、嘘の記憶をつくってしまう。「作話(さくわ)」だ。
認知症の人は、基本的に孤独の中で生きている。周囲の人と心を通わせるのが難しくなっていくので、不安や恐怖で一杯になった結果、自己防衛でするしかないと思うようになってしまう。
その対策3ヶ条。①「お金は大事だよね」と同意しつつ、探すように促す。②介護者が疑われないよう、本人に見つけてもらう。③あまりに興奮しているときは声をかけず、鎮まるまで距離をとる。いやあ、これって実に難しいですよね...。
認知症になると、他人(ひと)の心を察する力も失われていくので、なかなか真心は伝わらない。
認知症の人が同じことを何度も訊いてくるのは...。覚えられず、分からないままで不安だから。訊いたら、教えてもらって安心できるから...。「さっきも訊いたでは」と返すのは避けたほうがよい。
アルツハイマー型認知症だと、もっとも覚えにくいのは、数分から10分ほど前の記憶。
私は毎朝フランス語の聞き取りをしていますが、わずか1分半ほどの文章を暗記できません。本当に困っています。中学2年生のとき、英語の教科書を1章丸ごと暗記して教師にほめられたことを今でも覚えていますが、そんな芸当は今や無理なんです。
認知症の人は、本来の展望ができなくなっている。計画を覚え、思い出すことが難しい。認知症の人が同じものを大量に買ってしまうのは、「あれ買ったかな?」という不安感から、買っておいたほうがいいとの判断にもとづく行動と考えられる。
認知症の人が突然に怒り出すのは、脳の前頭葉が委縮するという脳機能の問題と、自分のプライドを守るために他者を攻撃してしまう、という心理的な問題から生じている。
夕暮れ症候群。夕方になると、「家に帰りたい」という人がいる。これは朝から活動してきた脳が疲れてしまうことによるもの。
認知症の人は昔の記憶はよく覚えているので、そこから会話を始める。自慢を聞いたり、懐かしい童謡を一緒に歌ったりする。
認知症の人は、子どもと同じように、その場その場しか考えていない。今にしか生きていない。
認知症の人は、鏡にうつっているのが自分だと分からず、他人だと思って話しかける。
体験にもとづいた展開ですし、マンガもあって、とても分かりやすい本でした。あなたに一読を強くおすすめします。
(2022年3月刊。880円+税)
2025年4月18日
続・日本軍兵士
(霧山昴)
著者 吉田 裕 、 出版 中公新書
アジア・太平洋戦争の敗戦までに230万人の日本軍兵士が死亡した。その多くは戦闘による死ではなく、病気による死(戦病死)だった。また、大量の海没死(船舶の沈没による死)もあった。
日本軍は直接戦闘に使われる兵器・装備、すなわち正面装備の整備・充実を最優先したため、兵站(へいたん)や情報、衛生医療、休養を著しく軽視した。
腹が減っては、イクサは出来ない。日本軍は、こんな基本をすっかり忘れ、精神一到、何事が成らざらん。そればかりでした。まさしく単細胞そのもののトップ集団でした。
1941年、国家予算に占める軍事予算の割合は日本は75%、アメリカは47%だった。
日本敗戦時、陸軍では全兵員の2.4%が将校、9.2%が下士官、88.4%が兵士。
日清戦争のとき、全戦没者に占める戦病死者の割合は9割に近かった。ところが、日露戦争では、それが26%にまで低下した。これは伝染病による死者が激減し、凍傷も減少したことによる。軍事衛生・軍事医学の近代化の成果でもあった。
ところが、日中戦争が始まった1941年には、戦病死者の割合が50%をこえた。1941年の主要疾病は、マラリアが第1位で3万5千人、次に脚気(かっけ)が5千人、第3位が結核の2千人。脚気が増えたのは、軍隊の給養が急速に悪化したことによる。栄養失調と同じ。
日本敗戦後に亡くなった兵士が18万人もいる。戦場の栄養不足のため、克服されたはずの脚気が復活し、戦争栄養失調症が大流行した。
日本軍は兵站を無視して、食料は現地調達主義をとっていた。中国軍は日本軍に何も渡さないようにして撤退していったので、戦場には食べるものがなかった。
米が完全に主食になるのは意外に遅く、戦後の1950年代後半のこと。兵舎に入って主食の白米を食べられるのは、一般の兵士にとって大変魅力的なものだった。軍隊に入って、初めて白米を食べたという兵士も少なくなかった。これはこれは、意外でした...。
1933(昭和8年)に入営した兵士の半数近くは、パン食の経験がなかった。なので、兵舎でパン食はなかなか普及しなかった。
日本は陸海軍とも歯科医療を軽視した。ところが、アメリカ陸軍には、第一次大戦前から歯科軍医がいた。第二次大戦中、1944年には、1万5千人もの歯科将校がいた。いやあ、これは違いますね。歯痛に悩む兵士が満足に戦えるはずはありません。私は「8020」を目ざして、年に2回、歯科検診を受けています。
イギリス軍では、兵隊に月1回の歯科検診を義務づけていた。日本軍の立ち遅れは明らかです。
日本軍は、中国戦線で高級将校の戦死傷者が思いのほか多数にのぼった。宇垣一成はこの事実を知り、その原因が、部下の兵士が戦闘意欲に乏しいため将校が前に出ざるをえなくなったことによると嘆いている。
日本兵は過労、ほとんど睡眠がとれず、老衰病のようにして死んでいった。また、精神病患者が増大した。
中国戦線に派遣された日本軍兵士は、その多くが家庭をもつ「中年兵士」だった。そして、彼らは戦争目的が不明確なまま、厳しい戦場の環境の下で、長期の従軍を余儀なくされると、自暴自棄で殺伐とした空気が生まれた。これが日本軍による戦争犯罪をつくる土壌の一つとなった。長期間の従軍の結果、軍紀の弛緩が目立ちはじめた。
身体検査規則が改正(緩和)されると、知的障害のある兵士が入営してきた。こうした兵士は、軍務に適応できずに、自殺したり逃亡したりする例が少なくなかった。
日本軍の前線での救命治療の中心は止血であり、輸血はほとんど普及しなかった。
たしかに、日本軍が輸血している光景というのは全然見たことがありません。この面でも遅れていたのですね...。
南方でもっとも恐るべきは敵よりもマラリヤである。栄養失調によって体力が衰えると、ダメージは大きかった。
軍医の重要な仕事の一つは詐病(さびょう。インチキ病気)の摘発だった。いやあ、これはお互い、たまりませんよね。
日本陸軍の機械化・自動車は立ち遅れた。1936年の自動車生産台数は、日本が1万台なのに対して、アメリカは446万台、イギリス46万台、ドイツ27万台。これは圧倒的に負けてますね。トラックでみると、日本が1945年までの8年間で11万5千台なのに対して、アメリカは245万台と、ケタ違いに多い。
日本軍兵士には、十分な軍靴も支えられなかった。中国人から掠奪した布製の靴や草履をはいていた。これに対してアメリカ軍は、軍靴を4回も改良している。そもそも日本軍兵士には、靴をはいた経験のある兵士は2割でしかなかった。
こうやってみていくと、日本軍兵士がいかに劣悪な環境の下で戦わされていたのか、あまりに明らかで、これで勝てるはずがないと妙に確信させられました。
日本軍なるものの実態を知るうえで、必須の本です。
(2025年2月刊。990円)