弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年8月 9日
文芸編集者、作家と闘う
人間
(霧山昴)
著者 山田 裕樹 、 出版 光文社
私も小学生のときから今まで、それなりに本を読んできたと思っていますが、この本を読むと、さすがに上には上がいるものだと痛感させられます。世界的に有名な古典文学では読んだ本はごくわずかですし、SFや推理小説も、それほど読んではいません。
編集者は、最初は量を読むことが不可欠。読む量が多ければ、ダメ本と良書の違いが分かってくる。そして、ダメ本の中に、どこがダメの理由であり、そこを変えれば面白くなるという本も混じっていることを発見する。
預かった原稿は、すぐに読む習慣を身につけること。そうしないと、たちまち机の周辺が原稿の山になる。
「筆が止まってしまったときには、自分の潜在能力が代わりに書いてくれる」(北方謙三)。
書いているうちに、登場人物が勝手に書き出してしまって制御が難しくなり、自分の初めに予定していたテーマとプロットが大幅に変わりそうになった。その瞬間、「これはいけるかも」と思ってしまう。これはモノカキのはしくれとして、私も実感します。
本が出来るまでの編集者と、本が出来てからの批評家とは、立場が違う。立場が違うと、正義も違う。
作家は、自分といるときは、楽しく遊んでくれる編集者を欲するが、会社(出版社)に戻ったら自分の作品に正当な評価を会社にさせる編集者を欲するものだ。
文章が実にうまい。というのは、読んでいてリズミカルで快(こころよ)い。肝心なことは、優れた文章が練られたプロットを効果的に読者に提示する手段になっていること。優れた文章を書くだけが目的の作品には感動しない。私もリズミカルで快い文章を書いてみたいと思いました。
作家と喧嘩ばかりしている編集者は使いものにならない。しかし、ここというときに作家と喧嘩ひとつできない編集者もダメ。原稿を書くだけなら、作家には紙とペンがあればいい。それを本にするには、編集者が必要だ。そして、それをベストセラーにするには、販売部のプロが必要になる。
そうなんですよね、きっと...。私も一度くらい、「〇万部、売れた」と言いたいのですが...。今や誰でも知っている作家たちが、世に出るまでの、生みの苦しみを編集者は作家と共働作業してつくり出していくものだということがよく分かる本でもあります。
北方謙三、椎名誠、逢坂剛、夢枕獏、東野圭吾、高野秀行あたりは私もよく読みましたが、私の読んだことのない本の作家が何人も登場します。そして、編集者というのは、作家と夜を徹して、飲み、食べ、語り明かすのですね、そのタフさ加減には、とてもついていけません。
それにしても、本のタイトルにあるとおり、文芸編集者は、文字どおり作家とガップリ四つに組んでたたかうことがよく分かりました。すごい本です。
(2024年12月刊。2750円)