弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年8月 4日

動物たちの江戸時代

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 井奥 成彦 、 出版 慶應義塾大学出版会

 江戸時代、人々は今より以上に動物とともに生きていた。
 犬は、江戸初期は「食べられる動物」だったのが、中期の元禄期の「生類憐みの令」によって保護される存在となり、後期には、愛玩動物(ペット)としての特色が強くなった。日本も昔は、中国や韓国と同じように、犬を食べていた。将軍綱吉の「生類憐みの令」がそれを禁止した。四谷に1万9千坪、大久保に2万5千坪、中野に16万坪の犬小屋をつくって、中野だけでも10万頭の犬が収容された。当時の犬の寿命は10年もなく、大量の犬を飼育するのは難しくて、病死する犬も多かった。この「生類憐みの令」によって、日本人は犬を食べなくなった。
そして、何頭もの犬が単独で伊勢参宮を果たした。もちろん、これは人々が伊勢参りに行っていたので、その同伴者(犬)としてのこと。新潟市から伊勢神宮まで参宮に出かけ犬が記録されている。犬は、首に巻きつけた袋に、自宅に戻ったときは銭1貫700文も入っていた。吉原遊郭(ゆうかく)では、狆(ちん)という犬種に人気があった。犬の墓のなかには、戒名の彫られた犬の墓石が発掘されている。
江戸後期には、犬や猫はペットとして愛されていて、死んだら墓がつくられていた。
江戸城の大奥では、猫が飼育されていった。猫(ミチ姫、サト姫などと呼ばれていた...)は、餌代が年に25両もかかっていた。
 東日本と九州では、牛より馬のほうが多く、西日本では牛の比率が高かった。日本の馬は小柄で、サラブレッドのような高さはなかった。江戸時代の馬は、およそポニーと呼ばれる中・小型馬。体高130センチに満たない馬がほとんどだった。牛は、使役の役割を果たすと、供養塔を建ててもらっていた。
ペットの供養源となっていたのは「鳥屋」。鳥屋にはブリーダーとしての一面がある。
江戸時代の人々は「薬食い」と称して、猪や鹿などの獣肉を食べていた。
 象が日本にやって来たのは15世紀のこと。それ以来、何度も日本にやって来て、記録が残っている。
 江戸時代、「接待・饗応」の場として、鶴しかも黒鶴が珍重された。
 江戸時代には芝居小屋があって、芝居が演じられた。曲馬芝居というのは、衣裳を着けたプロが馬上で芝居をするという馬上芝居だった。
 江戸時代が決して暗黒の時代ではなかったことが分かります。
(2025年4月刊。2640円)

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