弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年8月 8日

三池炭鉱の社会史

社会


(霧山昴)
著者 猪飼 隆明 、 出版 岩波書店

 私は一度だけ炭鉱の中に入り、最前線の石炭を掘り出す切羽(きりは)まで行ったことがあります。坑口から、まず炭鉱電車に乗って地底におりて行きます。昭和天皇も炭鉱電車には乗ったようです。それを降りてからが大変なのです。そこから歩いたり、マンベルトに乗ったりして真っ暗闇の中を、頭につけたキャップランプだけを頼りにして、前の人について進みます。マンベルトというのは、ベルトコンベアーに人間が腰かけておりていくものです。なにしろ有明海の海底より更に200メートル以上も深いところに切羽はあります。坑口から切羽までは1時間以上かかったと思います。
坑内は真っ暗です。作業員(坑夫)は昼食とるのも地底で適当にとります。トイレなんてありません。すべては真っ暗闇の中なので、「必要ない」のです。暗闇に慣れるのは決して容易ではありません。正直言って怖かったです。落盤をふくめて坑内で死傷事故は頻発していました。炭坑の経営者は、いつだって出炭成績しか頭になく、安全管理はあと回しなのです。少しくらい給料が良くても、毎日、こんな地底で働くなんて考えられません。身内から相談を受けたら、やめとくように言います。
 オーストラリアの炭鉱は露天堀だと聞きました。すると、そんな暗闇の恐怖は無縁です。でも、イギリスもドイツも地下深く石炭を掘っていましたので、やはり事故は起きていました。
 今でも有明海の海底の地下には炭層があるようです。でも、今の技術ではとても安全に石炭を掘り出すのは難しいと思います。国内の石炭産業を復活させようという声が起きないのは幸いだと私は考えています。
 さて、三池炭鉱です。三井鉱山が国から競争入札に勝って、安く手に入れました。そして、安価な囚人労働を活用して三井資本はボロもうけしたのです。それを推進したのが、暗殺された団琢磨です。今、新幹線の新大牟田駅前に大きな像が建っています。
三井鉱山が直面したのは坑内から湧き上がってくる大量の水の処理問題。これを団琢磨はイギリスから最新式のデービーポンプを購入して設置して解決したのです。そして、石炭積み出しのために港を整備しました。そして囚人労働の活用です。囚人労働の労賃は一般鉱夫の1割ほどだったというのですから、三井はもうかるはずで、やめられません。
 坑内で出火したとき、坑内に鉱夫がいるのを承知のうえで坑口を閉鎖したこともあります。3年後に、水没していた遺体を発見したのでした。
 三井が三池炭鉱を引き継いだとき、鉱夫の7割が囚人だった。いやはや、なんということでしょう...。囚人を使役すると、三井資本は年に5千円以上の利益の差がうまれる。団琢磨は、こう指摘した。
 囚人は真っ赤な獄衣で、素足。そして、出役するときは足に鎖(くさり)でつながっていた。囚人処遇のひどさ、劣悪さを監獄医(菊池常喜医師)が告発するほどだった。
 いまの三池工業高校は、当時、集治監で、1200人前後を収容していた。
 ところが、炭鉱内の機械化が進むと、意欲も能力もない囚人ではまかなえなくなった。
港湾荷役の人夫は、深刻な台風被害を受けて生活できなくなった与論島の島民を連れてきた。
 三池争議のころ、私は小学生でした。自宅のすぐ近くにあった若草幼稚園が全国から駆り出された警官隊の宿泊所と化していました。各地からやって来たオルグ・応援する人々が大牟田市内にあふれました。
 指名解雇して労組の活動家を根こそぎ排除しようという三井資本のあこぎな手口に炭鉱労働者が反発したのは当然です。でも、中労委の斡旋案は、まさしく労組側に屈服させるものでした。
 争議終了後、会社は第一組合といを旧労と呼び、新労組を露骨にエコひいきしました。差別と分断のなか、第一組合員はみるみるうちに脱落していったのです。
 三池炭鉱について、頭を整理するのに、とても役に立ちます。資料価値の高い、貴重な労作です。
 著者は2024年5月14日、80歳で亡くなりました。
(2025年6月刊。3700円+税)

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