弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2022年4月17日

いま、幸せかい?


(霧山昴)
著者 滝口 悠生 、 出版 文春新書

私はテレビ版の「男はつらいよ」こそみていませんが、映画のほうは第一作からずっと映画館でみています。一番最初は大学祭のとき、法学部の大教室でみた記憶です。東京にいたときは有楽町の映画館でも、下町(大井町)の映画館でもみました。有楽町では、周囲がなんとなくお高くとまっていて心の底から笑えませんでした。下町では、周囲の人々と心おきなく爆笑の連続でした。
福岡に戻ってからは、正月は子どもたちも連れて家族みんなで楽しんでいました。なので、渥美清が亡くなったと聞いて、一家中ショックでした。
この本の著者は映画の全巻を何回もみているうえ、台本全部も読んだそうです。なかでも心に沁みるエッセンスを紹介してくれていますから、寅さんをたっぷり楽しむことができました。
それにつけても、山田洋次監督のすごさを改めて思い知りました。
2018年夏のシリーズ第50作「男はつらいよ、お帰り、寅さん」は死せる寅さんをまざまざとよみがえらせてくれた映画でした。まったく、そこに寅さんがいて、「よおっ、おいちゃん、おばちゃん、元気してたかい?」と声をかけてきそうな雰囲気の映画になっていて、感激しました。
私の自慢の一つは、この「おばちゃん」とNHKテレビで弁護士として「共演」したことがあるということです。まだ、私が30代のころのこと。インチキ先物取引に騙されないように呼びかける番組でしたが、「おばちゃん」は、そこでショート・コントを演じたのです。
寅さんは愛すべき善良さがあるが、同時に、救いようなに駄目さと常に表裏一体のものだった。笑いのなかに悲しみがあり、哀しみのなかに笑いがある。いつも二つの背反する感情がある。
 恋愛は「男はつらいよ」の重要なテーマだ。寅さんが旅先で女性に恋をして、そして失恋するというストーリーが、シンプルかつ普遍的であり、何度でも反復可能なものだった。誰かが誰かに恋をする、そのエネルギーが寅さんの映画の原動力である。
私の知人の女性が寅さん映画は、あまりにじれったくなるから好きじゃないと言い切ったことがあります。うむむ、そうも言えるんだね、そう私は思いました。でも...、ときに複雑で、ときに驚くほど単純明快な恋愛哲学は、恋愛は結局のところ思いどおりにはならないもの、という哀しい真理を示している。ふむふむ、なるほど、そうなんですよね...。
たくさんのマドンナのなかで、浅丘ルリ子が演じるリリーは、特別篇をふくめると計5作に登場していて、特別な存在になっている。これには私もまったく異論がありません。リリーさんほど、出てきただけでパッと華やかさを感じる女優は、そうそういませんよね...。
失恋のマンネリズムと言われることもあるが、実のところ寅さんの女性への心情は複雑多様だ。
「寅さん、もしかしたら独身じゃない?」
「首すじのあたりがね、どこか涼しげなの。生活の垢がついていないって、言うのかしら...」
映像でみたときには、さりげなく聞こえていた言葉が、台本の文章を読むと、心に留まって印象深く残る。そういうものなんですよね...。
「寅さんは、あの...、人生にはもっと楽しいことがあるんじゃないかなって、思わせてくれる人なんですよ」
そうなんです。だから私も寅さん映画を楽しみにし、映画館へ足を運んでいました。
「人間は何のために生きていくのかな?」
「ほら、ああ、生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間、生きてんじゃねえのか」
いやあ、また映画をみたくなりました。それも小さな下町の映画館で...。
(2019年12月刊。税込880円)

2022年4月11日

ニワトリの卵と息子の思春期


(霧山昴)
著者 繁延 あづさ 、 出版 婦人之友社

思春期の息子もまた同じ年頃の娘と同じく多感で反抗的で、とても扱いが難しいものです。著者の息子(中学生)は、何回も家出したことがあるとのこと。すごい勇気がありますね。中学生だとネットカフェには入れてもらえないので公園で夜を明かしたという話が紹介されています。ちょっと信じられません。
その息子から、著者は「ゲーム機を買う代わりに、ニワトリを飼わせて」と要求され、ついにニワトリを5羽も飼うことになったのでした。しかも、その目的が産んだ卵を売ってお金を得ようというのです。お金もうけと言えば、子ども向けのNISAにも親の許可を得て手を出しているとのこと。いやはや、なんとも、すごい、すごいすぎる...。
私が小学生のころ、わが家でもニワトリを飼っていました。ニワトリのエサになる草をそこらの空地から採ってくるのも私の仕事の一つでした。ときには貝殻をこまかく砕いたものも与えます。卵の殻の原料になるのです。
父がニワトリをつぶす(殺す)のも、そばでじっと見ていました。腹を割くと、なかに卵が小さいのから大きくなって殻をまとうまで、ベルトコンベア式に並んでいるのを見て、なるほど卵の殻はあとからくっつけるというのではないことを理解したことを今でも覚えています。
問題は飼ったニワトリをつぶして(殺して)食べられるか、です。以前、若い女性が豚を2匹も飼って育てたうえで、食べて美味しかったという本を紹介しました。また、小学生が学校で豚を飼って、それを食べるかどうか、大激論になったという本もあります。
この本の中学生は、ニワトリには名前をつけませんでした。ペットではなく、いずれ殺して食べるからだというのです。さっきの豚にはたしか名前がついていたように思いますが...。ともかく徹底した合理主義者の息子さんです。
ニワトリは台所で生まれる野菜クズを喜んで食べるが、ニンジンの皮には見向きもしないとのこと。ええっ、不思議ですよね...。ニワトリはナメクジだって大好物。これまた、ええっ、という感じです。さらに、ニワトリは暑さに弱い。
飼っていたニワトリをつぶして料理する。レバーとハツは焼き鳥に、モモは照り焼きに、ガラはおでんに。脚はラーメンスープにすると、濃厚な出し汁が出てきた。肉はかむほどに出てくる旨(うま)味があった。
この本を読みながら、なんだか、この著者を取り巻く状況は前に読んだことあるよな...、と思ったら、あったあった、ありました。『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)でした。2020年11月に読んでいるので、そのころ、このコーナーでも紹介したはずです。長崎の山中でイノシシなどを殺して、食べる過程が写真とともに紹介されている衝撃的な本でした。
今度のニワトリを飼う話には、思春期の息子との対話というか葛藤がかなりさらけ出されているのが興味深いです。しかも、当の息子さんの事前検閲ずみで文章が公表されたというのもすごい。こんな飛んでる親子関係もあるんですね、世の中には。目からウロコの本でもありました。
(2021年11月刊。税込1595円)

2022年4月 3日

東北の山と渓


(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ事務所

東京(正しくは神奈川県)の弁護士が東北の山歩きをした写真と紀行文が楽しい冊子にまとまっています。
私は阿蘇・久住なら登ったことはありますが、本格的な登山をしたことはありません。山をのぼりきったところに広がっているお花畑の写真を見ると、さぞかし気持ちがいいだろうと想像はしますが、そこに至るまでの難行苦行を考えたら、とてもとても山登りなんかしようとは思いません。この冊子にも、苦労した山歩きが少し紹介されています。
稜線に出ようとするところで、烈風が待ち構えていた。山が咆哮(ほうこう)し、波状的に押し寄せる風に押し返されて前に進めない。足を前に出そうとして片足立ちになると、足下からあおられてふらつき、後ろずさりをさせられるほどの風圧だった。雨粒が真横から身体を打ち、砂粒も飛んできた。
奥鬼怒沼の避難小屋に一人で泊っていると、激しい雷雨となった。すぐ目の前を稲妻が暴れまわり、湿原全体を青白く浮かびあがらせる。その不気味さ、雷鳴がすぐ耳元で咆哮し、振動した空気が身体に響き、全身に鳥肌が立った。
いやはや、山の天気は変わりやすいし、烈風が吹きすさめば低体温症になってしまいそうです。せっかく山小屋にたどり着いたかと思うと、カギがかかっていて、哀れ、なかに入れなかったこともあるとのこと。
この冊子の写真は、ほとんど青空の下のお花畑です。それはそうでしょう。雷鳴の下で脅えているとき、カメラなんか構える余裕なんてないでしょう。そして、絵になる構図も考えられません。
著者は単独行、気のあった弁護士仲間との山登りのどちらもやるようです。不思議なことに奥様のすばらしい山野草のスケッチがいくつも添えられています。たまには奥様と二人で山行きするということなのでしょうか...。ともかく安全には気をつけて、これからも山登りを楽しんでください。
著者より贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2022年2月刊。非売品)

2022年4月 2日

寅さん入門


(霧山昴)
著者 岡村 直樹 ・ 藤井 勝彦 、 出版 幻冬舎

知識ゼロからの、映画「男はつらいよ」入門の手引書です。
古い映画でしょ。50作もあるなんて、何からみていいのか分からない。ヤクザが主人公の映画なんて...。こんな映画をみたいファンなんて、年寄りだけじゃないの...。
そんな疑問に一挙に答えて、なるほど、それならぜひみてみたい、そう思わせる入門書です。「寅さん」をみるのにルールはいらない。初めのころに傑作が多い気がするけれど、それは好みによる。
テーマは普遍的。家族・愛・友情。まったく色あせない。そこに浮かびあがるのは、人間同士が裸でつきあえる豊かな世界。
葛飾柴又の参道には、私も何度も行ってみました。矢切の渡しにも、もちろんお寺の境内にも入りました。笠智衆や源公(げんこう)に出会えなかったのは残念でしたが...。
オープニングタイトルが流れ、参道の「くるまや」店内がうつし出されると、なつかしさが胸一杯こみあげてきます。
寅さんの映画には、冒頭に寅さんの夢物語が展開するのも楽しみでした。
浦島寅次郎、マカオの寅、車寅次郎博士、宇宙飛行士などなど、夢ですから何にでも寅さんは大変身します。まさしく夢のような別世界に私たちも一緒に連れて行ってくれるのです。
寅さんの啖呵売(たんかばい)も、まさしく名人芸です。言葉の魔力で通行人を自分の前に引き寄せる。サクラを置けばいいというものではない。そして、インチキすれすれの買い物をさせられた客に、「あんなに面白い啖呵が聞けたんだから、まあ、よしとするか」とあきらめさせる話術でなければならない。うむむ、これは難しいことですよね。
家族相手のモノローグ(独白)。寅のアリア(独唱)と呼ばれる場面がある。物言い、間、情感、表情、身振り手振りなど、すべてが渥美清の独壇場。まさしく、寅さんに扮した渥美清は天才としか言いようがない。
渥美清は黒いサングラスをかけて変装して都内の映画館に行って、よく映画をみていたそうです。そして、自宅とは別にマンションをもっていて、私生活は絶対オープンにしませんでした。命の洗濯としてアフリカ・ケニアによく行っていたそうですが、それもなんとなくよく分かりますよね。あんな顔をさらして町を歩いたら、あまりにも目立ってしまい、すぐに人だかりができたでしょうから。
50作のほとんど(全部だと言い切る自信はありません)を映画館でみた私です。4K・デジタルマスターしたブルーレイでみてほしい。この本に書かれていますが、私はやっぱり映画館でリバイバル上映でみたいです。
渥美清は1996年8月に68歳で亡くなりました。私より20歳だけ年長ですから、今、生きていたら93歳になります。もっと長生きしてほしかったですね。
(2019年12月刊。税込1430円)

2022年3月21日

邂逅の森


(霧山昴)
著者 熊谷 達也 、 出版 文春文庫

圧倒的なド迫力、ストーリー運び、場面展開、クマ狩りの迫真の描写に思わず溜め息をもらしてしまいました。
東北の山間部で生きるマタギの暮らす村は貧しい。そして、人々は貧しいなりに知恵もしぼりながら生活している。ときに騙しあいもしながら...。クマだって、ただ狩られるばかりではない。ときには逆襲してみせる。包囲陣から逃げ切ることだってある。
主人公は山形県の月山(がっさん)の麓(ふもと)の肘折(ひじおり)温泉近くの山中で狩りをするマタギの一員。
狩りの獲物の一つは、アオシン、つまりニホンカモシカだ。アオシンは下へ下へと逃げていくので、上から谷底に向かって追い落として仕留める。ところが、クマは、アオシンとは逆に、人に迫られたら斜面の上に逃げていく。
4月中旬から5月上旬にかけて、冬ごもりから出てきたばかりのクマは、毛皮も上質で、何より熊の胆(い)が太っている。そんなクマを巻き狩りで仕留める。
「熊の胆」は高く売れる。クマの胆嚢(たんのう)を乾燥させてつくる「熊の胆」は、腹病みをはじめとした胃腸病、産後の婦人病まで、ほとんどあらゆる病気の万能薬として、昔から珍重されてきた。「熊の胆1匁(もんめ)、金1匁」という言葉があるほど高価なもの。米と交換するなら、熊の胆1匁は米2俵になる。
アオシンの肉と毛皮はクマ以上に需要があった。アオシンの肉ほど美味いものはない。毛皮も素晴らしい。防寒具としてすぐれていて、マタギもアオシンの毛皮を愛用している。
人は歩いた数だけ山を知る。山のことは山に教われ、獣のことは獣に学べ。これがマタギの鉄則。じっと待つのがマタギの仕事の一部でもある。ひとところで息を潜め、身じろぎひとつせず、気配を消して、ひたすら待ち続ける。1時間や2時間はザラで、3時間以上じっとしていることもある。少しでも物音を立てると、それを敏感に察知したクマは、人の裏をかいて姿をくらます。
穴グマ猟。クマは毎年同じ穴を使うことはほとんどない。寝込みを襲われないための知恵だろう。それだけクマ穴を探し出すのは容易なことではない。
クマは自分で越冬穴を掘ることはない。必ず自然に出来た穴を利用する。
主人公はマタギの里にいられなくなって、鉱山の里にもぐり込んだ。ここには、友子同盟と呼ばれる採鉱夫だけが所属する組織があった。鉱山は危険が一杯。そして長く働いていると病気になって早死してしまう。それでも目先のお金を求めて鉱夫たちは働いている。
文庫本で530頁もある大作です。2004(平成16)の直木賞、そして山本周五郎賞を同時受賞したというのは、読んで、なるほどと納得しました。冬山の危険にみちたマタギたちの狩りが手にとるように想像できるのです。巻末に参考文献が紹介されていますが、マタギの生活、鉱夫たちの友子制度、富山の薬売り、「性の日本史」などを踏まえ、一本の骨太ストーリーを組み立てあげた著者の想像力の卓越したすごさに完全脱帽しました。一読を強くおすすめします。
(2020年7月刊。税込902円)

2022年3月19日

さずきもんたちの唄


(霧山昴)
著者 萱森 直子 、 出版 左右社

瞽女(ごぜ)の小林ハルさんの最後の弟子であった著者による瞽女の話です。とても面白くて、ぐいぐい惹き込まれて車中で一気に読みあげてしまいました。
瞽女は難しい漢字ですが、打楽器の「鼓」と「目」から成るもので、身分や生まれを指すのではなく、職業の名前。起源は室町時代と言われている。
三味線をもってうたうことで暮らしを立てていた、目の見えない女性たちの職業。新潟・越後では昭和の中頃まではその姿を見ることができた。
越後の瞽女たちは一本の三味線とその声でみずからの人生を切り開き、人々の暮らしに深く入り込んでパワーあふれる娯楽を提供する、誇り高き芸人集団だった。
瞽女は、ひとりで旅をすることはない。少なくとも親方と弟子と手引きの三人づれ。五人の組になると、縁起がいいと村人から喜ばれた。うたうときも、みんなで座を盛りあげる。
瞽女唄では、物語をうたうことを「文句をよむ」と表現する。
物語を伝えればいいのだから、機械のように毎回、一字一句、ハンで押したように同じようにうたう必要はない。繰り返し繰り返し稽古して身にしみこんだ文句と旋律で、その場で臨機応変に物語を再現していく。
瞽女唄は脚色も演出もしない。これは棒読みするというのではない。伝えるべきは物語の中身。聴く人が、それぞれに自分の頭の中で物語を思い描いていく。うたい手の作為的な飾りをつけ加えるのは、かえって、その邪魔をしてしまう。
「葛(くず)の葉の身になってうたえ」
「童子丸の身になってうたえ」
しかし、それなのに、「声色(こわいろ)を使ってはならない。声の調子を変えてはならない」と厳しい師匠。
単調、無作為と共存する感動。ここには、他の芸能とは重ならない独特の声と音の響きがある。
「あきない単調さを初めて知った」
「何の変化ももりあげもないのに、どうしてこれほどまでに心に訴えてくるのだろうか」
「単調さを貫くことが、うたい手の存在感を消すのではなく、かえって重くしている」
これらは聴衆の感想。いやあ、瞽女唄をぜひ聴いてみたくなりました。
物語を伝えるためには、自分のリズム感や自分の感覚で語ることが必要。
瞽女唄をうたうとき、見台や譜面台は決して使わない。目に頼らないでうたう。耳で伝える。これは、瞽女唄であるための、芸としての根幹に関わるもの。
瞽女は津軽三味線のルーツでもある。
瞽女だった小林ハルさんにとって大事だったのは、「お客人が喜んでくれなさるかどうか」の一点のみだった。
瞽女唄は、瞽女さんたちが、その耳で伝えてきた唄。なので、すべての文句について、できる限り、余計な解釈を加えず、耳で受けとったまま声を出すように著者はつとめている。
たとえば、牛頭(ごず)をハルさんは、「ごとう」とうたう。これはおかしいと批評されると、「おれはこう習うたから、こううたうんだ」と怒りをこめて言った。
うたう前に解説文などは下手に配らない。話と唄だけ。お客は著者の表情をじっと見つめ、あるいは目を閉じて、その瞬間の響きそのものに耳を傾ける。うたい手とお客とが一体となって物語に入り込んでしまうような濃密な時間を過ごすことになる。
知識や教養は役に立つものだけど、ときとして素直な感動を妨げることがある。
「さずきもん」とは、個人の能力や人との縁など、人生において「さずかったもの」のこと。
小林ハルさんが瞽女になると決めたのは5歳のとき、稽古を始めたのは7歳、瞽女としての初旅に出たのは8歳のときだった。最初の師匠には10年間ついた。それはとても辛かったようです。
「おれは人から悪いことをされたことは絶対に忘れない。死ぬまで忘れられない。死んだって忘れねぇ。だから、おれは人に悪いことはしないんだ」
なーるほど、そうなんですね...。
小林ハルさんは、2005年4月25日に死亡。105歳だった。
ハルさんをモデルにした映画があるそうです。著者が瞽女唄指導として関わっているとのこと。ぜひみてみたいものです。
著者は乳ガン、そしてパーキンソン病にもかかって大変のようですが、ぜひこれからも元気に瞽女唄をうたい続けてください。ご一読を強くおすすめします。
(2021年10月刊。税込1980円)

2022年3月 6日

半夏生


(霧山昴)
著者 佐田 暢子 、 出版 本の泉社

古希の誕生日は遅滞なくやって来た。
この本の書き出しの文章です。本当にそうなんです。まだ10年早いよ、出直しておいでと言いたいのに、カレンダーをめくるまでもなく私も古希を迎えました。
尻をつつかれて、しぶしぶ階段を上ったような気分だと著者は書いています。これは私にはちょっとピンときませんでした。階段を上ったというより、なんだか知らない世界が近づいてきているという感じです。なので、今のうちに、身の回りの世界をもっと見つめ直しておきたいという気になります。
65歳を過ぎると、思ってもみないことが起こるんだと生命保険の外交員が保険を勧誘するときに言った。それからは、なんでこうなるの、ということばかり。著者は、まったくそのとおりだと肯定しています。私も同じです。突然、駅のホームをフツーに歩けなくなるなんて、若いころには予想したこともありませんでした。
著者の夫はスライムのような人だと書かれています。えっ、何、このスライムって何のこと...。夫は、本質は変わらず、器に合わせ形を変えることができる。年をとって疲れやすくはなったものの、愚痴をこぼすこともなく、うたた寝などして適当に調節している。何より気持ちの切り替えがうまい。見ず知らずの妻の郷里に来ても、情緒の水位も生活の質も変えずにいられるのは、何か強いものをもっているからだろう。
私も疲れたら早目に布団に入って、ぐっすり眠ることにしています。そして、じたばたすることなく、毎日の生活パターンを変えず、下手にテレビなんかを見て心がかき乱されないようにしています。ささくれだった気分のままでは安眠もできませんし、疲れを翌日に持ち込します。
小学1年生の授業をリモートでやっている小学校があると聞いて、腰を抜かしてしまいました。1年生が画面を見て本当に分かるのでしょうか。親の付き添いが必要で、親が付き添えない子は、何人か集めて、まとまって授業を受けさせるというのです。いやはや、これでは子どもは本当に可哀想です。学校は友だちがいて学校なんです。先生との一対一の画面上のつながりは、テレビのお笑い番組と同じで、あとに頭の中に残るものがあるはずがありません。ゲームを買って遊んでいるうちにはネットは便利だけれど、それより明らかに時機早尚という声も強かった...。人間的触れあいの場をいかに保障するか、それを考えるのが、国であり政府の責任でしょう。
インターネットがますます社会の隅々にまで普及し、デジタルの変革が生活の隅々にまで急速に広がっている。そうすると、インターネットが十分に使えない人間は、社会と関わる手だてがますます少なくなっていく。これは、単に技術を習得すれば解決する問題ではなく、人間が機械に管理される社会を開拓しているように思えてならない。本当にそのとおりですね。
半夏生というのは珍しい草。白い小花が密生していて、そのすぐ舌の葉だけが緑と白の二色に分かれている。対照的な色合いが、互いを際だたせる。匂いはどくだみに似ている。
半夏生って、何と読んだらいいのでしょうか...。はんげしょう、ですよね、きっと。
東京で公立学校の小学校の教員をしていた著者が郷里に戻ってきてからの日々が見事に切り取られた短編小説が並んでいる本です。
(2022年1月刊。税込2400円)

2022年2月21日

庭仕事の真髄


(霧山昴)
著者 スー・スチュアート・スミス 、 出版 築地書館

私は日曜日の午後は庭に出て庭仕事にいそしみます。冬は花の手入れというより、花を咲かせる準備です。夏は炎天下で雑草とりするのが大変ですし、蚊にやられますが、冬は蚊がいませんし、雑草もそれほどではありません。クワをふるって掘り起こすと汗をかくほど、身体が温まって、ちょうどいいのです。今、庭のあちこちにチューリップの球根を植えていますから、3月になるのが楽しみです。300本以上は咲いてくれるはずです。
チューリップの前にスノードロップが白い可愛らしい花を咲かせます。この本には、スノードロップは私たちの庭での新しい生命の最初の兆候だとあります。
庭にすんでいるネズミは他の球根を食べてもスノードロップの球根は食べないので、どんどん増えていくとも...。わが家の庭にネズミを見かけたことはありませんが、モグラはよく見かけます。モグラは球根を食べませんが、せっかく植えつけた球根を地上にはね上げてしまうことがあります。自分のトンネルを邪魔しているというのでしょう。
植物は人間よりもはるかに折りあいが良く、威圧的ではない。植物と働くことを通じて、私たちは生命を育(はぐく)みたいという衝動を再び持てるようになる。
子育てと同じで、庭も完全に人間のコントロール下におくことは不可能だ。庭自体が生き物で、人間がそれを完全に支配し、管理することは不可能。そうなんですよね、折りあいをつけるしかありません。
庭には人間を平等にする効果がある。土に触れて働くことは、人と人とのあいだに真のつながりを育てる。そこには気どった態度も偏見も存しない。なので、刑務所のなかでのガーデニングはとても効果がある。
トラウマは、過去が常時、現在に侵入してくるから、心が経験を時間的に処理するのを邪魔する。植物の世話に没入し、現在の瞬間に集中すると、これを変えることができる。
庭で土を掘り起こすことで、土壌中の他のバクテリアが直接働きかけてセロトニンを調整している可能性がある。ええっ、そんなことって、聞いたことがありません。本当でしょうか...。
ガーデニングは、テクノロジーをほとんど必要としない。
地味な普通の家庭菜園は、私たちだけのためにあるのではない。私たちが何かを始めると、多様な生物が存在するようになり、それによってさらに鳥や虫のための環境が生まれ、私たちの周囲は豊かになっていく。
わが家では生ゴミは結局のところ庭に植えこんでいきます。すると、庭はふかふかの黒い土となり、ミミズがたくさん生まれます。なので、モグラが繁盛するわけです。そして、ヘビが代々庭のどこかに棲みついています。
庭仕事は繰り返しの多いタイプの活動。そこにリズム感に気づくことができる。すると、心と身体と環境が一緒になって調和をもって機能するようになる。そして、心身を大きく回復させる力が発揮される。副交感神経の機能を強化し、脳の健康を増進させる。エンドルフィン、セロトニン、ドーパミンといった、抗うつ性の神経伝達物質のレベルが上昇し、同時にBDNFのレベルも上がる。これらが統合されると、楽しい気分の、リラックスした状態での集中ができるようになる。
今の瞬間を生きる力を引き出すことが、今日のストレス治療において強調されているが、同時に将来の方針をもつ力も深める必要がある。庭には、計画したり、楽しみにしたりすることが常にある。一つの季節が終わると、次の季節がとって代わる。このような何かを期待する前向きの感情は、生命の連続性といった、心を安定させる効果のある感覚を引き起こす。
美しい花は、真の、そして思わず出る微笑(ほほえ)み、デュミエンヌ・スマイルと呼ばれる微笑のきっかけになる。これは礼儀上の微笑と違って、顔全体を明るく照らし、心からの喜びを表すもの。緑の植物や花の存在は、信頼感や安心感を強めてくれる。
ガーデニングを読書とともに、主な喜びの一つとしている私にとって、とても意を強くしてくれる本でした。
(2021年11月刊。税込3520円)

2022年2月20日

母の背中


(霧山昴)
著者 真木 和泉 、 出版 自費出版

宮崎出身の著者による短編小説を1冊にまとめた本。宮崎の大淀川近くに住んで小学校に通っていたころの思い出を描いているものが多い。
私と同じ団塊世代の著者は、7人姉弟の末っ子として、親からほったらかされ、ほとんど野生児のように育った。何のしつけも受けていないというけれど、祖母をふくめて10人家族なので、上の姉兄たちから、それなりにしつけを受けていたはずです。
貧しい家庭ではあったが、姉兄たちは、それぞれ個性的で、母親をふくめて人間的な、泥臭いぶつかりあいの絶えない日々だったようです。
そして、著者は小学校について、「なんとすてきな場所だったことだろう」と手放しで絶賛しています。
何も知らない野生児の自分に文字を教えてくれた。あの感動は今も忘れることができない。街を歩くと、今まで単なる模様に過ぎなかった看板の文字が読めるようになっていた。字についても面白いことは何もなかったが、学校はキラキラと輝いていた。そこで、どんどん利口になっていった。いつのまにか、お使いに行って釣銭の計算もできるようになった。
小学校で、人間として解放されていった。1クラス55人もいた小学校での日々によって、自分の人生に刻印されたのを一つひとつ自覚していったように思う。
小学校で、著者は今でいうイジメにもあったようです。たしかに身体が大きいほうが強かったと思いますが、1クラスに50人もいると、かえって陰湿なイジメになかったようにも思うのですが、どうなんでしょうか。私自身はイジメにあったことはなく、イジメる側にまわったことも、本人としては、ないと思っています。中学校には、いわゆる「不良」がたくさんいるというので、小学6年生のころ、中学校へ進学したらどうなるのかなと、漠然とした不安を抱いていました。
実際には、小学校は4クラス、中学校は13クラスもあって、生徒がうじゃうじゃいましたので、「不良」グループの標的になることもなく、仲良しグループとともに平穏な3年間を過ごすことができました。
大学時代の友人のすすめで、本にまとまったとのこと。やはり、こうやって一冊の本にまとまると読みやすいし、いいですよね。著者の今後ますますの健筆を期待します。
(2021年9月刊。)

2022年1月30日

かこさとしと紙芝居


(霧山昴)
著者 かこさとし、鈴木万里 、 出版 童心社

私は大学生時代の3年間ほど、川崎市幸区古市場でセツルメント活動にうち込んでいました。1967年4月に入学し、1970年9月ころまでのことです。著者のかこさとしは同じ古市場のセツルメント子ども会の大先輩のセツラーだということは聞いていました。
かこさとしは1970年まで現役のセツラーとして活動していたとなっていますが、私は同じ古市場でも子ども会ではなく、青年部に所属していましたので残念ながらまったく接点はありませんでした。そして、学生時代はかこさとしの絵本にも紙芝居にも縁がなかったのです。
かこさとしの絵本は、私が結婚し、子どもたちが保育園児となり、小学校低学年まで、よく読んでやりました。「カラスのパン屋さん」、「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」は子どもたちに大人気でした。でも、この一冊と言うと、やはり「どろぼうがっこう」です。本当によく出来た絵本で、何度も何度も読み聞かせをしました。
かこさとしはセツルメント活動をしたといっても、東大工学部を卒業して化学会社に就職したあとのことです。大学時代は演劇研究会に入って、舞台美術を担当していたとのこと。
かこさとしは、大学生になったらセツルメント活動に加わりたいと高校生のときから思っていたそうですが、戦時でセツルメントは閉鎖されていたのです。戦前の帝大セツルメント活動はイギリスに発祥の地があり、関東大震災のあと、被災者救援活動に始まっていて、医学部生や法学部生が中心になっていたようです。
私が大学生のころは、学生セツルメントは全国にあり、全国交流集会も年2回あり、毎回1000人もの参加者があるほど活発でした。東大駒場にも、氷川下、川崎、亀有、菊坂などいくつも実践の場があって、その連合体(駒セツ連)のメンバーは50人ほどもいたように思います。そして、東大闘争が1968年6月に始まると、セツラーの多くがアンチ全共闘の立場で民青かクラス連合(クラ連)の活動をしていました。
かこさとしは、会社員とセツラーという二足のわらじを履いていましたが、子ども会では、広場で紙芝居をすることが多かったようです。人形劇とか劇団だと何人かいないといけませんが、紙芝居だと一人で演じられるからです。
セツルメントの子ども会にやってくる近所の子どもたちには、かこさとしは思いきり遊び、自分たちで楽しむために、さらに工夫を重ねて遊びをつくりだしていってほしい。それを手伝うのが自分の仕事だと考えていた。なので、かこさとしは自ら紙芝居をつくるだけでなく、子どもたちにも一緒に紙芝居をつくりあげていたようです。
一人ひとりの子どもはガキでしかないが、集団にまとまると、恐るべき力を発揮するものだ。
「大事なことは、すべて子どもから教わった」
これは、かこさとしの言葉です。私の場合は、「大事なことは、すべてセツルメント活動に教わった」と言っています。
「どろぼうがっこう」など、いくつもの絵本は、もともと紙芝居として子どもたちに読み聞かせていたものでした。私も小学生のころ、広場に紙芝居のおじさんがやって来たのを遠まきにして眺めていました。親がこづかい銭をくれなかったので、参加資格がなかったのです。
紙芝居の魅力は演じる人にある。先生とか母親が、常日頃の人格とは違うことをやってくれる。人格を通じてのコミュニケーションに、その魅力がある。かこさとしは、このように強調しています。
紙芝居のうしろに顔を隠すのではなく、素顔をさらして、いろんな役を演ずることから子どもの心に響くものがあるというのです。なーるほど、ですね。それにしても、かこさとしはたくさんの紙芝居を考え、絵を描いています。そのアイディアは尽きることがありませんでした。この本には、その多くが紹介されています。
かこさとしの生地の福井県越前市には、「かこさとしふるさと絵本館」があります。コロナ禍がおさまったら、ぜひ行ってみたいと考えています。
(2021年8月刊。税込2420円)

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