弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2024年1月28日
イラストでひもとく仏像のフシギ
(霧山昴)
著者 田中 ひろみ 、 出版 小学館
仏像のことが何でも分かる、楽しい本です。仏像がすごく写実的なイラストで紹介されています。著者が仏像を好きになったのは独身でヒマだった叔父さんに連れられて、あちこちのお寺をまわってたくさんの仏像を見ていたからです。幼いときは、アイスクリームや美味しいご飯につられて行っていたのですが、それが、ついに仏像と恋に落ちるまでになったのでした。いやはや、そういうことも世の中にはあるのですね...。
そして、仏像をよく見ていると、人間と同じように1体1体が違っていて、ちゃんと個性があるということに気がつきます。見る位置によって仏様の表情は変わるし、尊格を知るには、ポーズや髪型などの細部に注目しなくてはいけない。そして、時代による流行がある。
仏像のもともとのモデルはお釈迦さま、その人。釈迦は本名(個人名)ではなく、一族の名前。本当はゴータマ・シッダールタ。ゴータマは「聖なる牛」、シッダールタは、「目的を達成した人」の意味。
お釈迦さまは、29歳のとき、妻子も王子の位も捨て、出家します。そのとき髪を剃りました。悟りを開いたのは35歳のとき。80歳のとき、キノコ料理で食中毒になり死亡しました。
釈迦は、母親の右腕から生まれたとのこと。それが当時の観念でした。
仏像には4種類あり、如来、菩薩、明王、天という。如来は、悟りを開いた仏さまで、最上位の仏像である。2番目が菩薩。
観音菩薩には女性になぞらえた仏像が多くある。観音菩薩は、この世に生きるものすべてを救い、あらゆる願いをかなえるべく、33の姿に変身する。
弥勒(みろく)菩薩は、お釈迦さまが亡くなってから、56億7千万年後に、この世界に現れ、悟りを開いて、如来となって命あるすべてのものを救う。
普賢(ふげん)菩薩は、女性も男性と同様に悟りを開いて、仏になることができると説いたので、女性からの信仰を集めた。
明王は、密教によって仏教に導入された仏のグループ。不動明王は、36の童子が、おのおの1000万の従者をもつとされているので、3億6000万の従者が不動明王を手助けしている。
インドには、古くから手のしぐさで気持ちを伝える習慣がある。たとえば、両手を合わせることで、仏さまと生きとし生けるものが合体し、成仏するという意味になる。
インドでは、牛は神の使い、そうなんでしたか...。だからインドの人々は牛を食べないのですね。
お釈迦さまは、生前、弟子たちに自分の姿を写したり、彫刻してはいけないと伝えていた。ところが、死後500年もたつと、どんな人柄だったのか知りたいと思う人が圧倒して、仏像がつくられるようになった。うひゃあ、知りませんでした。
昔は、それこそメールも写真もありませんでしたから、すべては想像です。大工さんの独自の解釈の余地が生まれ、その結果、ユニークな仏像が全国各地に誕生したというわけです。
仏像は、もともと鑑賞の対象ではなく、信仰の対象である。なるほど、そうなんですよね。でも、眺めて美しいと思ってしまうのも許されることではないかと思います。
実に見事な仏像のイラストで、ため息の出るほど驚嘆してしまいました。一読をおすすめします。
(2023年10月刊。1760円)
2024年1月22日
なぜ世界は、そう見えるのか
(霧山昴)
著者 デニス・プロフィット、ドレイク・ベアー 、 出版 白揚社
アメリカ人からすると、白人でも黒人でも、日本人を見たら、みんな同じ顔をしているので、判別できないといいます。私だって同じで、黒人の顔を判別することはできません。
この本によると、生後3ヶ月の白人の乳児は黒人、白人、アラブ人、中国人を判別できたものの、同じ乳児が生後9ヶ月になると白人の顔しか判別できなくなった。同じ傾向は中国人の乳児にも認められた。そうなんですか...。
知覚研究をすると、経験的現実、つまり見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わう世界は、人それぞれに固有のものだ。
よく打てる野球選手は、打席に立ったとき、打てるときには、ボールがグレープフルーツの大きさに見えるし、打てないときには黒目豆みたいに見えるという。アーチェリー選手も同じで、成績のいい人には、的の中心が大きく見える。
乳幼児は決して一直線には歩かない。効率の良い移動法なんて問題にもせず、自分の霊感に従い、自分の世界をはね回って歩いていく。
赤ちゃんは、決まった順番で運動能力を獲得していく。まず、おすわり学習し、次にハイハイができるようになり、最後に歩けるようになる。おすわり期に距離について学んだことは、ハイハイ期には引き継がれない。おすわりからハイハイへ、ハイハイから立っちへと移行するたびに子どもは特定の姿勢における空間の意味を一から学び直す。
私は、少し前に、「赤ちゃん学」なるものが存在することを知りました。人間が類人猿とどう違うのか、人間とは何者なのかを知るためには、赤ちゃんのときの行動と、その意味を探る必要があるという問題意識からの研究分野です。そこでも、いろいろ面白いことを学びました。
赤ちゃんは、みな科学者だ。何かに疑問を感じると、常に実験して試している。物を口に入れたり、投げたり、にぎりつぶしたりすることによって、外的世界の物体の働きを直接的に見出している。
目の前にそれなりの傾斜のある坂道を見て、新しい友人と談笑しながら歩いてのぼっていくのなら、なんということもない。しかし、重い荷物を背負っていたり、疲れていたり、高齢の人の目には、坂の傾斜がきつく見える。このように生理的ポテンシャルの変化は見かけの傾斜に影響を及ぼす。
ヒト科にはヒトと大型類人猿が含まれているが、持久力動物に進化したのはヒトだけ。チンパンジーはマラソンを走れない。オランウータンやゴリラなどは、座り続けの生活しているが、人間のように肥満や糖尿病に苦しめられる心配はない。大型類人猿は座り続けるのに適した体に進化しているから。ヒトは運動するのに適した体に進化したから、運動が欠如すると、肥満や糖尿病を引き起こす。
親指の先と他の指の先を接触させられるのは、霊長類の中でヒトだけ。これも、二足歩行による。
多様性のあるグループの中に身を置くと、居心地は悪いけれど、思慮深い意思決定がなされやすい。自分と同類ではない人々に囲まれているときのほうが、ヒトは思慮深く行動する。
ヒト(私たち)は、他者と話すとき、手と目を使う。
ヒト、つまり私たちの身体のことを改めて深く認識することができました。
(2023年11月刊。3100円+税)
2023年12月31日
祖母姫、ロンドンへ行く!
(霧山昴)
著者 椹野 道流 、 出版 小学館
これはすこぶるつきの面白い本でした。ぜひ、ご一読してみて下さい。
でも、このタイトルって、何のことやら分かりませんよね。
80歳をとっくに超えている祖母が「お姫様のような旅がしてみたいわ」と言ったのを周囲が、その気になって、孫娘の著者がロンドンまで同行することになったのでした。
お姫様の旅というからには、もちろん、飛行機はファーストクラス、ホテルもロンドン中心部にある五つ星ホテルです。孫娘はさる、やんごとなき高齢女性に仕える秘書役を演じることになります。
すでに認知症が始まっている祖母ですが、なかなかどうして、相当にしたたかな女性です。自分の意志は、はっきり貫き通すところが、実に素晴らしい。
ファーストクラスの世話をしてくれるCA(キャビン・アテンダント)のアドバイスが実に的確です。
「大切なのは、お祖母様には何が出来ないかではなく、何を自分でできるのかを見極めること。できないことを数えあげたり、時間をかけたらできるのにできないと決めつけて手を出すのは、相手の誇りを傷つけることになります」
空港で立ち往生しているとき、祖母の言った言葉がスゴイ。
「遠い国から来たお客様なんだから、きちんと分かるように、相手の国の言葉で話しなさいって、伝えてちょうだい」
いやはや、ここまでくると、このメンタルの強さには、私も、ははーっと恐れ入ります。
そして、ロンドンでの買い物の途中に祖母は孫娘に忠告するのです。
「もって生まれた美貌がなくても、その気になれば、女性はどうにかこうにかキレイになれるの。小野小町でなくても、努力でそれなりにはなります」
いやあ、すごいですね。そして、作家を目ざす著者に対してのアドバイスは・・・。
「小説を書いて食べていくのなら、有名になりたい、ほめられたい、売れたい・・・そんな欲はぐっと抑えて、誰かの心に寄り添うものを書きなさい。自分のためだけの仕事はダメ。売れたときには、もうかったことより、たくさんの人の心に触れられたことこそ喜んで、感謝しなさい」
いやあ、これには参りました。自称モノカキの私にもピッタリのアドバイスです。
孫娘の著者は、祖母を「偉そうで、わがままで、厄介な婆さん」とみていたのを、「頭の中に膨大な記憶と経験と知識を詰め込んだ、偉大な人生の先輩」と認識し直したのでした。
祖母は孫娘の化粧についてもアドバイスします。
「努力しなければゼロのまま、百も努力すれば、1か2にはなるでしょう。1でも、違いは出るものよ。最初からあきらめていたら、不細工さんのまま。ゼロどころか、マイナス5にも10にもなってしまいます」
「何もしないのは、自分を見捨てて痛めつけているようなもの」
「もっとキレイになれる、もっと上手になれる、もっと賢くなれる。自分を信じて努力して、その結果として生まれるのが自信」
「自信なんて、ないよりあったほうがいいでしょ。まだ若いんだから、今からでも、もっと努力しなさい、いろんなことに」
いやあ、ぐぐっと心に響きますよね、このアドバイスには・・・。
イギリスの五つ星ホテルのアフタヌーン・ティーは、大変なボリュームのようです。まずはサンドイッチ。次は焼きたてのスコーン。手のひらよりひと回り大きな見事なサイズ。それが3種類あり、そこにジャムとクリームをどっさり載せて食べるのです。そして、最後にケーキ。それも特大。日本のケーキの2倍もありそう・・・。私には、とても無理、いくら何でもムリすぎます。でも、この二人はそこを必死にクリアーしたのです。
旅の最後に祖母が孫娘に言ったアドバイスは、まさに圧巻。
「あんたに足りないのは自信。自分の値打ちを低く見積もっているわね」
「謙虚と卑下は違うもの。自信がないから、自分のことをつまらないものみたいに言って、相手に見くびってもらって楽をしようとするのはやめなさい。それは卑下、とてもみっともないものよ」
「楽をせず、努力をしなさい。いつだって、そのときの最高の自分で、他人様のお相手をしなさい。胸を張って堂々と、でも、相手のことも尊敬して相手する。それが謙虚なのよ」
著者が「お世話してあげている」と思っていた祖母は、とてつもなく冷徹に著者を観察していたのでした。
いやあ、いい本でした。これって実話なのか、小説(フィクション)なのか読んでいてさっぱり分かりませんでしたが、私は実話だと思って読み通しました。
ただし、舞台となったロンドンは現代ロンドンでないことははっきりしています。しびれましたよ、まったく・・・。
(2023年11月刊。1600円+税)
2023年11月26日
未完の天才、南方熊楠
(霧山昴)
著者 志村 真幸 、 出版 講談社現代新書
南方熊楠は、知る人ぞ知る、国際的にも有名な天才です。まず、この人の名前は何と読むのか、私はしばらく分かりませんでした。まさか、「なんぽう」ではないだろうから、「みなみかた」だと思っていました。本当は「みなかた」です。では、下の名前は何と読むのか...。正解は「くまぐす」です。
画期的な天才と言われる割にあまり知られていないのは、生前に3冊しか著書を刊行していないからです。といっても、南方について書かれた本はかなりあり、私もいくつかは読んでいます。熊楠は、一生を通して、一度も定職についていません。これまた驚くべきことです。東大帝大の教授にもなって然るべき画期的な業績をあげているにもかかわらず、です。
熊楠が有名(高名か...)になったのは、変形菌を扱っていた同好の士である昭和天皇に面前で生物学の講義をした(1929年6月1日)ことにある。
熊楠は外国語の天才とも言われていますが、著者は、いくつかに限定しています。まずは漢文です。でも、現代中国語は話せませんでした。
英語はもちろんペラペラです。中国の孫文とも英語で話しています。フランス語、ラテン語、イタリア語そしてドイツ語については、文献を書き写すなかで覚えていったとのこと。恐るべき才能です。そして会話は、その国の酒場に行って聞き耳を立てて身につけていったというのです。いやはや信じられません。ところが、ロシア語は挑戦したけれどマスターできませんでした。語学の天才である熊楠でも出来ないコトバがあったのです。
熊楠は書物至上主義。大英博物館で洋書を書写して勉強しました。
熊楠がもっとも長期間にわたって研究を続けたのは夢だった。
熊楠はインプットに重きをおき、なおかつコンプリートには関心を持たないタイプの学者だった。
熊楠は「書くこと」と記憶を軸とした巨大な情報データベースをつくりあげており、その構築にこそ人生をかけて取り組んでいた。熊楠が仕事を完成させなかったのは、怠慢や能力不足によるものではなく、むしろ熊楠にとって研究とは終わってしまってはいけないものだった。
熊楠の魅力は、未完なところにこそある。なーるほど、ですね。
熊楠が生まれたのは幕末の1867年であり、海外(アメリカやイギリス)から帰ってきてからは、ずっと和歌山に居住して研究に没頭していた。亡くなったのは第二次大戦中の1941年のこと(74歳)。
未完の天才である南方熊楠をよく知ることのできる新書でした。
(2023年6月刊。940円+税)
2023年11月25日
脳の中の過程
(霧山昴)
著者 養老 孟司 、 出版 講談社学術文庫
高名な脳科学者のエッセイ集です。著者は、読むものがないと死にそうになると言います。私とまったく同じです。
本は年中、読む。乗る電車が1時間かかるとすれば、本がないと電車に乗れない。外の景色を見てもはじまらない。
私は1時間も電車に乗るときには往復で新書3冊を読みたいと思っています。もちろん、完遂できないことが多々あります。でも、本を途中で読み終わってしまい、次に読むべき本がないというのが耐えられないのです。なので、カバンにはいつも4冊入れて行動します。
著者は図書館が苦手で、他人から本を借りるのも好まないとしています。私も同じです。私の場合は、本を読んだら、これはと思うところには赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。そのため、ポケットに赤エンピツは欠かせません。借りた本だと、この赤いアンダーラインが引けないので困るのです。
進化は、子が親に似ないことから生じる。親と子とがいつもまったく同じなら、進化が起きるはずがない。進化は常に遺伝の例外。みんなと同じではなくて、ちょっと変わったもの、変わったことを言う奴、そんな人やモノがいるからこそ、世の中は進歩していくのですよね。うれしい指摘です。
ふつう、人は10歳になると神童になる。これって、もしかして将棋の藤井8段のことかしらん...。いえいえ、著者は10歳で変人になったとのことですから、全然、別の話でした。
著者は幼いころから虫好きで、そのころ甲虫を集めると決めたそうです。たくさんの虫採り機を持っている人のようです。
男は頭髪がなくなるが禿(は)げない。ここは、男女でも肉体的な違いがある。
タコには記憶がある。タコは思ったより利口な動物だ。
「神経」というコトバは江戸時代の末ころ、『解体新書』のなかで初めて使われたコトバ。「神気の経脈」に由来する。
ヒト(人間)は、年齢を重ね、大脳皮質が薄くなったらボケる。皮質の厚さと、ボケの間には、関連性がある。
さすがに脳科学者の話はいつ読んでも、何回読んでも、面白く、刺激的です。
(2023年8月刊。1100円+税)
2023年11月23日
ジュリーがいた。沢田研二、56年の光芒
(霧山昴)
著者 島﨑 今日子 、 出版 文芸春秋
ジュリーと言えば、私と同世代、団塊世代のヒーローの一人です。
大学生のころ、ザ・タイガースは全盛期だったのでしょうか。家庭教師に出かける先の戸越銀座を歩いていると、どのテレビもグループサウンズを放映していました。まさしく熱狂的雰囲気でした。その中心にいた人間こそジュリーです。
何十というグループサウンズのソロ歌手の中で、沢田研二の魅力は群を抜いていた。華やかさだけでなく、艶(つや)やかさもあり、危険をはらんだ毒性もあった。少女たちは花を見、はるか年長のプロの男たちは、毒を感じて評価していた。
まさしく、そのとおり、ピックリ実感にあうコトバ(評言)です。
沢田研二は、京都の岡崎中学時代には野球部のキャプテンにしてファーストを守った。その夢は立教大学に進学してプロ野球の選手になることだった。
ジュリーって、歌がうまいだけでなく、スポーツ選手でもあったのですね。私なんか、そのどちらもなくて、艶やかさのない、しがない弁護士生活を陽の当たらない田舎で50年おくっています。
音痴の私は、歌がうまい人がうらやましくて仕方ありませんでした。耳の音感はないし、ノドの音域が極端に狭いことを自覚していました。なので、カラオケは私の天敵のようなものです。他人(とくに素人)のうまい歌を聞くと、それだけで頭が痛くなってしまいます。
タイガースが解散したのは1971(昭和46)年1月24日。このころ私は寮の一室にたて籠って司法試験に向かって猛勉強中でしたから、世の中の動きはまったく頭に入っていません。
沢田研二(ジュリー)がNHKの紅白歌合戦に初出場したのは1972(昭和47)年12月。あさま山荘事件が起きて連合赤軍の集団虐殺事件が発覚したあとのころです。
沢田研二(ジュリー)は完璧主義者で、コンサートひとつとっても、全身全霊でやっていた。地方でも、ステージがいつだって真剣勝負だった。
沢田研二の生活態度は、普通の人以上に普通というか、まじめそのものだった。
沢田研二は、自分の仕事を確実に成しとげるというプロ意識の持ち主で、本当に真面目で、謙虚な人間だ。いやはや、これこそベタほめの典型ですよね...。
沢田研二は、料理をつくり、子ぼんのうで子育てにも関わった。
沢田研二にとって、レコードが売れるということは、スターであるため、芸能界で生きていくための生命線だった。
18歳のときから日本一の人気者だった沢田研二は、大衆の喝采(かっさい)という頼りにならない不安定なブランコに乗ってしまった。沢田研二にとって、不安を解消する方法はたったひとつ。一生懸命に歌い、パフォーマンスし、どんな仕事も手を抜かず、走り続けること。
沢田研二は伊藤エミと離婚したとき、18億円相当の資産すべてを譲渡し、ゼロから再出発した。いやはや、すごいものですね、なんと財産分与金が18億円とは...。
マリリン・モンローは36歳、エルヴィス・プレスリーは42歳、マイケル・ジャクソンは50歳、石原裕次郎と美空ひばりは52歳で亡くなった。ところが、わが沢田研二は還暦(60歳)をすぎてなお、日本国憲法9条讃歌の「我が窮状」をバックに千人のコーラスを従えて歌っている。
いやあ、涙があふれ出てきます。わがジュリーは健在です。不屈です。さすが同時代のプリンスだけあります。
(2023年7月刊。1800円+税)
2023年11月 5日
人生はチャンバラ劇
(霧山昴)
著者 飯野 和好 、 出版 パイ・インターナショナル
私の知らない絵本の作家です。私と同じ団塊世代ですが、恥ずかしながら、『ねぎぼうずのあさたろう』も『ハのハの小天狗』も知りませんでした。この本のタイトルどおり、時代劇、つまり子ども向けのチャンバラ劇の絵本の著者なのです。
これは幼いころに著者がチャンバラごっこをして遊んだ体験が生きています。私も小学3年生のころ、隣の「失対小屋」に燃料として置いてあったハゼの木を剣にみたててチャンバラごっこをして、ひどいハゼ負けになり、顔中がはれあがり、1週間も休んだことを思い出しました。学校を休んで寝ていると、学校帰りのクラスメイトが給食のコッペパンを届けにきてくてました。コッペパンは大好きでしたし、脱脂粉乳のミルクも私は美味しいと思って飲んでいました。大人になって、あの脱脂粉乳のミルクは評判が悪く、鼻をつまみながら飲んだり、飲み干さずに捨てる人が少なくなかったことを知り、私には意外でした。
夜、お寺の境内(けいだい)で野外映画会が開かれ、『鞍馬天狗』や『笛吹童子』をみたとのこと。同世代ですから、もちろん私もみています。私のほうは歩いて10分ほどの映画館(「宇宙館」といいました)でした。
鞍馬天狗が「杉作(すぎさく)少年」を悪漢たちから救け出そうと黒馬を疾走させる場面になると、場内はまさしく総立ちで、こぞって声援を送り、興奮のるつぼと化しました。今でも、その騒然とした雰囲気を身体で覚えています。
著者は「中卒」です。勉強しなかったので高校に進めず、企業の養成高校には合格したものの、行かないまま高崎市内のデパートで働くようになりました。
この本の良いところは、著者の子どものころから折々の仕事ぶりまで、写真がよく残っていて、ずっとずっと紹介されていることです。写真があると、話に具体的なイメージがつかめます。
そして、上京。東京はお茶の水にある東京デザイナー学院に入ったようです。18歳のときです。イラストレーターとして活動しはじめたころに訪れたのは...。
「イイノさんの絵は不気味で、気持ちが悪いし、使いにくいんだよなあ」
1991年、絵本『ハのハの小天狗』を刊行した。好きなチャンバラ映画と、空想をゴチャまぜにしてつくった。好評だったので、ものすごく自信になった。
1999年に出版した『ねぎぼうずのあさたろう』は痛快時代劇絵本。これが、人形劇となり、テレビで早朝の連載アニメにもなった。
いやあ、元気、元気。「てくてく座」の座長として、山鹿市にある有名な芝居小屋「八千代座」で公演までしているのです。すごいパワーです。楽しい本でした。
喫茶店で、サンドイッチのランチを食べながら、読みふけってしまいました。
(2023年4月刊。1800円+税)
2023年11月 4日
芝居の面白さ、教えます
(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 作品社
この本には『螢雪時代』という大学受験生の読むべき雑誌が登場します。私も読んでいました。『中学1年コース』から始まり、通信添削で、成績優秀者はシャープペンシルがもらえるのです。私も熱心な投稿者で、賞品のシャープペンシルを何本ももらって喜んでいました。『螢雪時代』の英語のテストで、全国3位にノーベル文学賞で有名な大江健三郎がいつもランクインしていたとのこと。「四国の少年」として目立っていたそうです。大江健三郎は四国の松山東高校にいたのでした。
イラストレーターの和田誠は『少年朝日』に小学6年生なのに、漫画が毎回のっていたそうです。井上ひさしって、本当に物知りなんですね...。
学校が、みんな一様に勉強をよく出来るようにするところだというのは大間違い。それでは子どもが可哀相。子どもにはいろいろな可能性があって、集団で暮らすルールを教えること以外は学校の仕事ではない。
井上ひさしは仙台一高のとき、担任の教師から「1学期だけ、すべての教科を必死でやりなさい」と言われて、そのとおり実行した。次の2学期のとき、「この学期は悪い点をとった科目だけを必死にやりなさい」と言われて、やってみた。でも、数学と地学は必死にやったけど、点数は上がらない。すると教師は「分かったかな、きみの未来は、この分野にはないことが...。きみが勉強したら点が上がり、勉強するのが楽しいというほうに、きみの未来はあるんだよ」と言った。すごい教師ですね、偉いです。そして、井上ひさしは、この教師にこう言った。
「将来、映画監督になりたいので、たくさん映画をみたい。授業をさぼって映画をみてもいいですか」
教師は「いいよ」と答えたそうです。信じられませんよね。そして、本当に井上ひさしは朝から映画館に行った。補導員に見つかっても、教師は、「その子は映画をみるのが授業です」と答えたとのこと。いやはや、なんということでしょう。いくら早熟の天才とはいえ、担任の教師が高校生にここまでの自由を認めるとは、まったくもって信じられない快挙です。今は、こんなことは許されないでしょうね、きっと。残念ですが...。
芝居のせりふの難しさは、次のせりふが最初のせりふから引き出されてこないとダメなこと。ひとつの芝居に千2百ほどのせりふがある。この千2百のせりふが、お互いに相手を引っぱり出されたりしながら、最初のせりふと最後のせりふが必然的につながっていないといけない。そうでないと、いい芝居にならない。うむむ、そ、そうなんですか...。奥が深いですね。
宮澤賢治の家は、花巻では財閥だった。そして賢治は、財閥は悪者だという感覚をもっていた。花巻銀行の専務取締役の宮沢善治は、賢治の母の祖父で、岩手軽便鉄道の大株主でもあり、花巻温泉を開発して経営していた。また花巻電鉄の社長でもあった。その長男・政治郎が賢治の父親。花巻銀行の専務取締役の長女イチが賢治の母親。いやはや、たしかに賢治は財閥の一員なんですね。
宮澤家の家業は古着商・質屋で凶作になればなるほど儲かる。凶作のたびに、抵当にとった田や畑でどんどん財産か増えていく。
太宰治の家も、同じようにして、ついに青森県で四番目の大地主になった。
宮澤賢治のやってることは、傍目(はため)には、金持ちのお坊ちゃんの道楽にしか見えない。変人・奇人と見られていた。でも、変人・奇人が一番大事。いま、その変人・奇人のおかげで花巻は食っているわけですから...。
私も弁護士としては常識人と思って仕事をしていますが、社会生活では奇人・変人の類なんだろうと自覚しています。テレビはみませんから、芸能界も歌謡曲も知りませんし、スポーツも一切関心ありません。囲碁・将棋も藤井さんの活躍ぶりくらいは知っていますが、マージャンやパチンコを含めてギャンブルと勝負事は一切しません。ひたすら本を読み、モノカキにいそしんでいます。庭仕事をして土いじりを好み、花と野菜は育てています。週1回の水泳と、たまの山登り(ハイキング程度です)をします。でも、毎日、用事があって(「きょうよう」がある)、行くところがある(「きょういく」がある)のです。行くところは、もう日本国内に限定しようかなと思っていますし、仕事のうえでは、警察署も行くところに含めています。
井上ひさしは、戦争で儲かる人々がいることを鋭く告発しています。戦争は身近な人が死んで悲しむというだけではないのです。それでガッポガッポ儲かる連中がいるのです。
天下の「日立」には、年俸1億円以上の取締役が20人もいるそうです。こんな連中こそ、戦争で儲かる、儲けようと思うのです。原発(原子力発電所)事故のあとの未「処理水」(本当は放射能汚染水)について、トリチウムだけの問題かのように本質をすりかえて、中国(政府)は間違っていると大声で叫び立てている人が多いのには、悲しくなります。
作品は、書いて終わりではない。読者が読みとってくれて初めて作品は完成する。それほど読者は大事。読者・観客のことを全然考えていない小説家、戯曲家はダメ。読者がいてこその作品、読者がいらなければ、日記でも書いていたらいい。
井上ひさしは、個人的な体験は一切書いていない。全部、頭の中でつくり出したもの。いやあ、これは偉いです。すごいですね。想像力がケタはずれだということです。
三島由紀夫の自決について、井上ひさしは、「あの人は書くことがなくなった人だ」と思ったとのこと。そうすると、書くことに命を注いできた人は死ぬしかないというのです。
井上ひさしの偉大さを改めてかみしめました。
(2023年7月刊。2700円+税)
2023年10月30日
なぜヒトだけが老いるのか
(霧山昴)
著者 小林 武彦 、 出版 講談社現代新書
ヒトは、偶然に生まれ、楽しく過ごして、いつかは必ず死ぬ。
ヒト(動物)とバナナ(植物)の遺伝子は、50%だけ同じ。これは、かなり昔に共通のご先祖様から分かれたということ。
ヒトとチンパンジーは見た目はかなり違うが、遺伝子は98.5%が同じ。600万年前に共通の祖先から分かれた。
現存のすべての生物はリボソームを必ずもっている。
DNAとRNAは、ほぼ同じ構造だが、RNAに比べてDNAは反応性が低く、安定で、壊れにくい。
生物は進化の結果できたので、死がないとそもそも進化できず、存在しえない。つまり、「なぜ死ぬか」ではなく、死ぬものだけが進化できて、いま存在している。生物は、最初から死ぬまでにプログラムされて生まれてきた。これが、すべての生き物に必ず死が訪れる理由だ。残念な事実ですが、個体の死があるからこそ、全体が進化していくわけなんですね...。
野生の生き物は基本的に老化しない。ヒト以外の生物は老いずに死ぬ。
サケでは、老化は突然やってくる。ゾウも老化しない。がんにもほとんどかからない。老いたゾウは存在しない。ゾウが60年以上も長生きするのは、傷ついたDNAをもつ細胞を修傷して生かすのではなく、容赦なく殺して排除する能力に長(た)けているから。
ヒトでは、加齢とともに徐々にDNAが壊れ、遺伝情報であるゲノムがおかしくなる。その結果、細胞の機能が低下し、老化して死ぬ。DNAが壊れてくると、細胞がそれを感知して、積極的に細胞老化を誘導する。
ヒトの心臓の細胞(心筋)は、大きく太くなることはあっても、新しいものと入れ替わることはない。
日本人の平均寿命は、大正時代に比べて2倍になった。栄養状態や公衆衛生の改善によって、若年層の死亡率が低下したことによる。
寿命30年のハダカデバネズミは、生涯がんになることがない。ヒトも55歳まではほとんどがんにはならない。
ヒトの「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる。
シロアリの女王は数十年生きるとみられているが、王アリも女王と同じように長命だ。
2022年の1年間の日本人の出生数は80万人を下回った。1963年の180人から100万人も減っている。
高齢者とは、75歳以上の人々を言うべきだと著者は提唱しています。いま74歳の私も大賛成です。
老化現象、そして死について考えてみました。怖がることなく受け入れなければいけないようです。でも、実際に自分に振りかかってくると、そうとばかりも言えませんよね。
(2023年6月刊。990円)
2023年10月21日
孤島の冒険
(霧山昴)
著者 N.ヴヌーコフ 、 出版 童心社
千島列島の沖合で、たまたま船の甲板に出ていたところ、突如として押し寄せてきた大波にさらわれ、ようやく島にたどり着いた。しかし、そこは無人島。14歳の少年が、どうやって1人、島で生きていくのか...。
今から30年も前の、まだソ連だったころの話です。47日間、たった1人で生き抜いた実話が物語になっています。
小さな無人島ですが、幸いなことに泉が湧き出していて、小さな池になっていましたので、飲み水には困りませんでした。そして、食べ物です。まず、山でゆり(百合)を見つけ、その根(ゆり根)を食べました。少年は、ゆり根を食べられることを知っていました。学者のお父さんと一緒に山に入って、ゆり根を見つけて食べられることを教えてもらっていたのです。そして、野生のネギ(マングイル)も見つけました。お父さんから、シベリアの山を一緒に歩いたとき、いろんな食べられる草を教えてもらっていました。食べられるときは食べてみたので、はっきり覚えていたのでした。
次の課題は、火です。マッチがないなかで、火をつけるというのは難しいと思います。土台になる石に少しへこみをつくり、弓のつるを棒のまわりにまきつけて、弓を早くまわす。周囲には乾いた苔(こけ)と木っぱを置いておく。すると、火がついた...。
実は、写真がないので、本当のところは、弓のつるをどうやって早く動かしたら、乾いた苔が燃え出すのか、私には分かりません。それでも、ともかくこの少年は火を起こすことができたのです。一度、火を起こせば、次からは簡単です。タネ火を保存しておいたら、火をおこすのは自由自在になります。
ニューギニアの密林に日本敗戦後も10年間も潜んでいた元日本兵たちは、メガネのレンズを2枚組みあわせて火を起こしていました。やはり、生き延びるためには、知恵と工夫が必要なのですよね。
魚釣りをしようとしましたが、うまくいきませんでした。適当なエサが見つからず、返しのある釣り針がつくれなかったのです。魚のかわりをしたのが、イガイという小さな貝です。岩に付着しているイガイを焼いて食べるとおいしいのでした。
島に流れ着いてからの8日間で、人間にとって一番大切なことは困難を恐れないこと、気を落とさないことだと知った。こんなことは何でもないこと。もっと嫌なことだってあるんだ。自分に、そう言い聞かせる。そうすれば、絶体絶命だと思うような状態からでも、抜け出す道は、きっと見つかるのだ。
島に来てから、少年は、なんて自分は物知らずなんだろうと何度も悔(く)やんだ。もっと、大人たちから、いろんなことを教えてもらっておけばよかったと反省した。
もうひとつ気がついたことがある。それは、どんな立場に立っても、決してあせるなということ。あせり出すと、もう手違いばかり。自分で自分を疲れさせるばかりだ。
少年は無人島で風邪もひいた。それでも、お湯をわかして、のばらのお茶を10杯も飲むと、4日で治った。やはり生命力が旺盛なのです。
かもめを弓矢で撃ち落として食べようとしたが、かもめに充てることは出来なかった。そして、かもめのひなは可愛くて、可哀想で殺して食べることはできなった。
お父さんが言ったことを少年は思い出した。
「運命が、きみを悪夢の中でさえ見たこともないような所に追いやるかもしれない。生き抜くためには、そこでも普段のままの自分でいること。物事をよく見きわめ、チャンスをとらえ、行動するのだ。いつも、どの仕事も、どんなに嫌な仕事も、最後までやり抜く。ひとつ所を、穴があくまで叩(たた)く。そのとき、愚か者が叩くような叩き方はしないこと。そうしたら、何でもやり遂げることができる」
いやあ、実にすばらしい父親です。きちんとコトバで、こんな大切なことを息子に伝えられるなんて...、感動します。
少年は大波で打ち上げられた無人の船に入りこみ、そこで火を起こして船の煙突から煙を出しているうちに眠ってしまった。そこをソ連の国境警備隊に発見されました。いやあ、すごい知恵と勇気のある少年の冒険談です。
(1989年4月刊。1340円)