弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2023年11月23日

ジュリーがいた。沢田研二、56年の光芒


(霧山昴)
著者 島﨑 今日子 、 出版 文芸春秋

 ジュリーと言えば、私と同世代、団塊世代のヒーローの一人です。
 大学生のころ、ザ・タイガースは全盛期だったのでしょうか。家庭教師に出かける先の戸越銀座を歩いていると、どのテレビもグループサウンズを放映していました。まさしく熱狂的雰囲気でした。その中心にいた人間こそジュリーです。
何十というグループサウンズのソロ歌手の中で、沢田研二の魅力は群を抜いていた。華やかさだけでなく、艶(つや)やかさもあり、危険をはらんだ毒性もあった。少女たちは花を見、はるか年長のプロの男たちは、毒を感じて評価していた。
 まさしく、そのとおり、ピックリ実感にあうコトバ(評言)です。
沢田研二は、京都の岡崎中学時代には野球部のキャプテンにしてファーストを守った。その夢は立教大学に進学してプロ野球の選手になることだった。
ジュリーって、歌がうまいだけでなく、スポーツ選手でもあったのですね。私なんか、そのどちらもなくて、艶やかさのない、しがない弁護士生活を陽の当たらない田舎で50年おくっています。
音痴の私は、歌がうまい人がうらやましくて仕方ありませんでした。耳の音感はないし、ノドの音域が極端に狭いことを自覚していました。なので、カラオケは私の天敵のようなものです。他人(とくに素人)のうまい歌を聞くと、それだけで頭が痛くなってしまいます。
タイガースが解散したのは1971(昭和46)年1月24日。このころ私は寮の一室にたて籠って司法試験に向かって猛勉強中でしたから、世の中の動きはまったく頭に入っていません。
沢田研二(ジュリー)がNHKの紅白歌合戦に初出場したのは1972(昭和47)年12月。あさま山荘事件が起きて連合赤軍の集団虐殺事件が発覚したあとのころです。
沢田研二(ジュリー)は完璧主義者で、コンサートひとつとっても、全身全霊でやっていた。地方でも、ステージがいつだって真剣勝負だった。
沢田研二の生活態度は、普通の人以上に普通というか、まじめそのものだった。
沢田研二は、自分の仕事を確実に成しとげるというプロ意識の持ち主で、本当に真面目で、謙虚な人間だ。いやはや、これこそベタほめの典型ですよね...。
沢田研二は、料理をつくり、子ぼんのうで子育てにも関わった。
沢田研二にとって、レコードが売れるということは、スターであるため、芸能界で生きていくための生命線だった。
18歳のときから日本一の人気者だった沢田研二は、大衆の喝采(かっさい)という頼りにならない不安定なブランコに乗ってしまった。沢田研二にとって、不安を解消する方法はたったひとつ。一生懸命に歌い、パフォーマンスし、どんな仕事も手を抜かず、走り続けること。
沢田研二は伊藤エミと離婚したとき、18億円相当の資産すべてを譲渡し、ゼロから再出発した。いやはや、すごいものですね、なんと財産分与金が18億円とは...。
マリリン・モンローは36歳、エルヴィス・プレスリーは42歳、マイケル・ジャクソンは50歳、石原裕次郎と美空ひばりは52歳で亡くなった。ところが、わが沢田研二は還暦(60歳)をすぎてなお、日本国憲法9条讃歌の「我が窮状」をバックに千人のコーラスを従えて歌っている。
いやあ、涙があふれ出てきます。わがジュリーは健在です。不屈です。さすが同時代のプリンスだけあります。
(2023年7月刊。1800円+税)

2023年11月 5日

人生はチャンバラ劇


(霧山昴)
著者 飯野 和好 、 出版 パイ・インターナショナル

 私の知らない絵本の作家です。私と同じ団塊世代ですが、恥ずかしながら、『ねぎぼうずのあさたろう』も『ハのハの小天狗』も知りませんでした。この本のタイトルどおり、時代劇、つまり子ども向けのチャンバラ劇の絵本の著者なのです。
 これは幼いころに著者がチャンバラごっこをして遊んだ体験が生きています。私も小学3年生のころ、隣の「失対小屋」に燃料として置いてあったハゼの木を剣にみたててチャンバラごっこをして、ひどいハゼ負けになり、顔中がはれあがり、1週間も休んだことを思い出しました。学校を休んで寝ていると、学校帰りのクラスメイトが給食のコッペパンを届けにきてくてました。コッペパンは大好きでしたし、脱脂粉乳のミルクも私は美味しいと思って飲んでいました。大人になって、あの脱脂粉乳のミルクは評判が悪く、鼻をつまみながら飲んだり、飲み干さずに捨てる人が少なくなかったことを知り、私には意外でした。
 夜、お寺の境内(けいだい)で野外映画会が開かれ、『鞍馬天狗』や『笛吹童子』をみたとのこと。同世代ですから、もちろん私もみています。私のほうは歩いて10分ほどの映画館(「宇宙館」といいました)でした。
 鞍馬天狗が「杉作(すぎさく)少年」を悪漢たちから救け出そうと黒馬を疾走させる場面になると、場内はまさしく総立ちで、こぞって声援を送り、興奮のるつぼと化しました。今でも、その騒然とした雰囲気を身体で覚えています。
 著者は「中卒」です。勉強しなかったので高校に進めず、企業の養成高校には合格したものの、行かないまま高崎市内のデパートで働くようになりました。
 この本の良いところは、著者の子どものころから折々の仕事ぶりまで、写真がよく残っていて、ずっとずっと紹介されていることです。写真があると、話に具体的なイメージがつかめます。
 そして、上京。東京はお茶の水にある東京デザイナー学院に入ったようです。18歳のときです。イラストレーターとして活動しはじめたころに訪れたのは...。
 「イイノさんの絵は不気味で、気持ちが悪いし、使いにくいんだよなあ」
 1991年、絵本『ハのハの小天狗』を刊行した。好きなチャンバラ映画と、空想をゴチャまぜにしてつくった。好評だったので、ものすごく自信になった。
 1999年に出版した『ねぎぼうずのあさたろう』は痛快時代劇絵本。これが、人形劇となり、テレビで早朝の連載アニメにもなった。
 いやあ、元気、元気。「てくてく座」の座長として、山鹿市にある有名な芝居小屋「八千代座」で公演までしているのです。すごいパワーです。楽しい本でした。
 喫茶店で、サンドイッチのランチを食べながら、読みふけってしまいました。
(2023年4月刊。1800円+税)

2023年11月 4日

芝居の面白さ、教えます


(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 作品社

 この本には『螢雪時代』という大学受験生の読むべき雑誌が登場します。私も読んでいました。『中学1年コース』から始まり、通信添削で、成績優秀者はシャープペンシルがもらえるのです。私も熱心な投稿者で、賞品のシャープペンシルを何本ももらって喜んでいました。『螢雪時代』の英語のテストで、全国3位にノーベル文学賞で有名な大江健三郎がいつもランクインしていたとのこと。「四国の少年」として目立っていたそうです。大江健三郎は四国の松山東高校にいたのでした。
 イラストレーターの和田誠は『少年朝日』に小学6年生なのに、漫画が毎回のっていたそうです。井上ひさしって、本当に物知りなんですね...。
学校が、みんな一様に勉強をよく出来るようにするところだというのは大間違い。それでは子どもが可哀相。子どもにはいろいろな可能性があって、集団で暮らすルールを教えること以外は学校の仕事ではない。
 井上ひさしは仙台一高のとき、担任の教師から「1学期だけ、すべての教科を必死でやりなさい」と言われて、そのとおり実行した。次の2学期のとき、「この学期は悪い点をとった科目だけを必死にやりなさい」と言われて、やってみた。でも、数学と地学は必死にやったけど、点数は上がらない。すると教師は「分かったかな、きみの未来は、この分野にはないことが...。きみが勉強したら点が上がり、勉強するのが楽しいというほうに、きみの未来はあるんだよ」と言った。すごい教師ですね、偉いです。そして、井上ひさしは、この教師にこう言った。
 「将来、映画監督になりたいので、たくさん映画をみたい。授業をさぼって映画をみてもいいですか」
 教師は「いいよ」と答えたそうです。信じられませんよね。そして、本当に井上ひさしは朝から映画館に行った。補導員に見つかっても、教師は、「その子は映画をみるのが授業です」と答えたとのこと。いやはや、なんということでしょう。いくら早熟の天才とはいえ、担任の教師が高校生にここまでの自由を認めるとは、まったくもって信じられない快挙です。今は、こんなことは許されないでしょうね、きっと。残念ですが...。
芝居のせりふの難しさは、次のせりふが最初のせりふから引き出されてこないとダメなこと。ひとつの芝居に千2百ほどのせりふがある。この千2百のせりふが、お互いに相手を引っぱり出されたりしながら、最初のせりふと最後のせりふが必然的につながっていないといけない。そうでないと、いい芝居にならない。うむむ、そ、そうなんですか...。奥が深いですね。
宮澤賢治の家は、花巻では財閥だった。そして賢治は、財閥は悪者だという感覚をもっていた。花巻銀行の専務取締役の宮沢善治は、賢治の母の祖父で、岩手軽便鉄道の大株主でもあり、花巻温泉を開発して経営していた。また花巻電鉄の社長でもあった。その長男・政治郎が賢治の父親。花巻銀行の専務取締役の長女イチが賢治の母親。いやはや、たしかに賢治は財閥の一員なんですね。
 宮澤家の家業は古着商・質屋で凶作になればなるほど儲かる。凶作のたびに、抵当にとった田や畑でどんどん財産か増えていく。
太宰治の家も、同じようにして、ついに青森県で四番目の大地主になった。
宮澤賢治のやってることは、傍目(はため)には、金持ちのお坊ちゃんの道楽にしか見えない。変人・奇人と見られていた。でも、変人・奇人が一番大事。いま、その変人・奇人のおかげで花巻は食っているわけですから...。
私も弁護士としては常識人と思って仕事をしていますが、社会生活では奇人・変人の類なんだろうと自覚しています。テレビはみませんから、芸能界も歌謡曲も知りませんし、スポーツも一切関心ありません。囲碁・将棋も藤井さんの活躍ぶりくらいは知っていますが、マージャンやパチンコを含めてギャンブルと勝負事は一切しません。ひたすら本を読み、モノカキにいそしんでいます。庭仕事をして土いじりを好み、花と野菜は育てています。週1回の水泳と、たまの山登り(ハイキング程度です)をします。でも、毎日、用事があって(「きょうよう」がある)、行くところがある(「きょういく」がある)のです。行くところは、もう日本国内に限定しようかなと思っていますし、仕事のうえでは、警察署も行くところに含めています。
井上ひさしは、戦争で儲かる人々がいることを鋭く告発しています。戦争は身近な人が死んで悲しむというだけではないのです。それでガッポガッポ儲かる連中がいるのです。
天下の「日立」には、年俸1億円以上の取締役が20人もいるそうです。こんな連中こそ、戦争で儲かる、儲けようと思うのです。原発(原子力発電所)事故のあとの未「処理水」(本当は放射能汚染水)について、トリチウムだけの問題かのように本質をすりかえて、中国(政府)は間違っていると大声で叫び立てている人が多いのには、悲しくなります。
作品は、書いて終わりではない。読者が読みとってくれて初めて作品は完成する。それほど読者は大事。読者・観客のことを全然考えていない小説家、戯曲家はダメ。読者がいてこその作品、読者がいらなければ、日記でも書いていたらいい。
井上ひさしは、個人的な体験は一切書いていない。全部、頭の中でつくり出したもの。いやあ、これは偉いです。すごいですね。想像力がケタはずれだということです。
三島由紀夫の自決について、井上ひさしは、「あの人は書くことがなくなった人だ」と思ったとのこと。そうすると、書くことに命を注いできた人は死ぬしかないというのです。
井上ひさしの偉大さを改めてかみしめました。

(2023年7月刊。2700円+税)

2023年10月30日

なぜヒトだけが老いるのか


(霧山昴)
著者 小林 武彦 、 出版 講談社現代新書

 ヒトは、偶然に生まれ、楽しく過ごして、いつかは必ず死ぬ。
 ヒト(動物)とバナナ(植物)の遺伝子は、50%だけ同じ。これは、かなり昔に共通のご先祖様から分かれたということ。
 ヒトとチンパンジーは見た目はかなり違うが、遺伝子は98.5%が同じ。600万年前に共通の祖先から分かれた。
 現存のすべての生物はリボソームを必ずもっている。
 DNAとRNAは、ほぼ同じ構造だが、RNAに比べてDNAは反応性が低く、安定で、壊れにくい。
 生物は進化の結果できたので、死がないとそもそも進化できず、存在しえない。つまり、「なぜ死ぬか」ではなく、死ぬものだけが進化できて、いま存在している。生物は、最初から死ぬまでにプログラムされて生まれてきた。これが、すべての生き物に必ず死が訪れる理由だ。残念な事実ですが、個体の死があるからこそ、全体が進化していくわけなんですね...。
 野生の生き物は基本的に老化しない。ヒト以外の生物は老いずに死ぬ。
 サケでは、老化は突然やってくる。ゾウも老化しない。がんにもほとんどかからない。老いたゾウは存在しない。ゾウが60年以上も長生きするのは、傷ついたDNAをもつ細胞を修傷して生かすのではなく、容赦なく殺して排除する能力に長(た)けているから。
 ヒトでは、加齢とともに徐々にDNAが壊れ、遺伝情報であるゲノムがおかしくなる。その結果、細胞の機能が低下し、老化して死ぬ。DNAが壊れてくると、細胞がそれを感知して、積極的に細胞老化を誘導する。
 ヒトの心臓の細胞(心筋)は、大きく太くなることはあっても、新しいものと入れ替わることはない。
 日本人の平均寿命は、大正時代に比べて2倍になった。栄養状態や公衆衛生の改善によって、若年層の死亡率が低下したことによる。
 寿命30年のハダカデバネズミは、生涯がんになることがない。ヒトも55歳まではほとんどがんにはならない。
 ヒトの「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる。
 シロアリの女王は数十年生きるとみられているが、王アリも女王と同じように長命だ。
 2022年の1年間の日本人の出生数は80万人を下回った。1963年の180人から100万人も減っている。
 高齢者とは、75歳以上の人々を言うべきだと著者は提唱しています。いま74歳の私も大賛成です。
 老化現象、そして死について考えてみました。怖がることなく受け入れなければいけないようです。でも、実際に自分に振りかかってくると、そうとばかりも言えませんよね。
(2023年6月刊。990円)

2023年10月21日

孤島の冒険


(霧山昴)
著者 N.ヴヌーコフ 、 出版 童心社

 千島列島の沖合で、たまたま船の甲板に出ていたところ、突如として押し寄せてきた大波にさらわれ、ようやく島にたどり着いた。しかし、そこは無人島。14歳の少年が、どうやって1人、島で生きていくのか...。
 今から30年も前の、まだソ連だったころの話です。47日間、たった1人で生き抜いた実話が物語になっています。
 小さな無人島ですが、幸いなことに泉が湧き出していて、小さな池になっていましたので、飲み水には困りませんでした。そして、食べ物です。まず、山でゆり(百合)を見つけ、その根(ゆり根)を食べました。少年は、ゆり根を食べられることを知っていました。学者のお父さんと一緒に山に入って、ゆり根を見つけて食べられることを教えてもらっていたのです。そして、野生のネギ(マングイル)も見つけました。お父さんから、シベリアの山を一緒に歩いたとき、いろんな食べられる草を教えてもらっていました。食べられるときは食べてみたので、はっきり覚えていたのでした。
次の課題は、火です。マッチがないなかで、火をつけるというのは難しいと思います。土台になる石に少しへこみをつくり、弓のつるを棒のまわりにまきつけて、弓を早くまわす。周囲には乾いた苔(こけ)と木っぱを置いておく。すると、火がついた...。
実は、写真がないので、本当のところは、弓のつるをどうやって早く動かしたら、乾いた苔が燃え出すのか、私には分かりません。それでも、ともかくこの少年は火を起こすことができたのです。一度、火を起こせば、次からは簡単です。タネ火を保存しておいたら、火をおこすのは自由自在になります。
 ニューギニアの密林に日本敗戦後も10年間も潜んでいた元日本兵たちは、メガネのレンズを2枚組みあわせて火を起こしていました。やはり、生き延びるためには、知恵と工夫が必要なのですよね。
 魚釣りをしようとしましたが、うまくいきませんでした。適当なエサが見つからず、返しのある釣り針がつくれなかったのです。魚のかわりをしたのが、イガイという小さな貝です。岩に付着しているイガイを焼いて食べるとおいしいのでした。
 島に流れ着いてからの8日間で、人間にとって一番大切なことは困難を恐れないこと、気を落とさないことだと知った。こんなことは何でもないこと。もっと嫌なことだってあるんだ。自分に、そう言い聞かせる。そうすれば、絶体絶命だと思うような状態からでも、抜け出す道は、きっと見つかるのだ。
 島に来てから、少年は、なんて自分は物知らずなんだろうと何度も悔(く)やんだ。もっと、大人たちから、いろんなことを教えてもらっておけばよかったと反省した。
 もうひとつ気がついたことがある。それは、どんな立場に立っても、決してあせるなということ。あせり出すと、もう手違いばかり。自分で自分を疲れさせるばかりだ。
少年は無人島で風邪もひいた。それでも、お湯をわかして、のばらのお茶を10杯も飲むと、4日で治った。やはり生命力が旺盛なのです。
かもめを弓矢で撃ち落として食べようとしたが、かもめに充てることは出来なかった。そして、かもめのひなは可愛くて、可哀想で殺して食べることはできなった。
 お父さんが言ったことを少年は思い出した。
 「運命が、きみを悪夢の中でさえ見たこともないような所に追いやるかもしれない。生き抜くためには、そこでも普段のままの自分でいること。物事をよく見きわめ、チャンスをとらえ、行動するのだ。いつも、どの仕事も、どんなに嫌な仕事も、最後までやり抜く。ひとつ所を、穴があくまで叩(たた)く。そのとき、愚か者が叩くような叩き方はしないこと。そうしたら、何でもやり遂げることができる」
 いやあ、実にすばらしい父親です。きちんとコトバで、こんな大切なことを息子に伝えられるなんて...、感動します。
 少年は大波で打ち上げられた無人の船に入りこみ、そこで火を起こして船の煙突から煙を出しているうちに眠ってしまった。そこをソ連の国境警備隊に発見されました。いやあ、すごい知恵と勇気のある少年の冒険談です。
(1989年4月刊。1340円)

2023年10月 7日

無一文「人力」世界一周の旅


(霧山昴)
著者 岩崎 圭一 、 出版 幻冬舎

 著者は28歳のとき、こう思った。「このままでは人生があっという間に終わってしまう。働いてお金を稼ぐより、自分のやりたいことを優先したい」
 その夢は、世界中を自分の目で見て回ること。著者のすごいところは、あえて「無一文」になって旅を続けたというところです。その無謀さと勇気に思わず息を吞みました。
 著者が出発したのは2001年4月のこと。まずは東京の新宿で1ヶ月半、ホームレス生活をした。その後、9ヶ月間かけて全国47都道府県をヒッチハイクでまわった。無一文なので沖縄に渡るときは、貨物船に乗り込み、何でも下働きの仕事をするから乗せてほしいとという条件を申し出た。
 ヒッチハイクしているときは、不潔感を漂わせないようにヒゲをそり、水道で体を洗えるところでは体を洗った。そうなんです。何ヶ月も風呂に入らず、シャワーも浴びないホームレス生活の人からは、なんともいえない異臭があり、同室はとても耐えられません。
 2002年3月、韓国へ渡った。知人のくれた船のチケットで釜山に行く。そして、コトバも通じないのに、韓国でもヒッチハイク。そして、次は中国は渡る。いやはや、なんという度胸でしょうか。
 中国で安い自転車を買い求め、自転車で南下していきます。3ヶ月以上かけてベトナムに到着。よほど身体が頑強なのでしょうね・・・。
 タイでママチャリ(自転車)の2台目を購入。そしてシンガポールへ。次は、チベットに入る。朝食はビスケットにたっぷりの蜂蜜を塗ったものを食べる。ここで、日本人の同行者が出来る。
 インドに入ったのは2003年11月のこと。ネパールに入ってから、著者は路上で手品の芸を演じ、もらった投げ銭を収入とするようになった。この手品ができるという一芸は著者の旅を大いに助けたようです。それも、最後には、なんとイギリスの人気オーディション番組(テレビ)「ブリテンズ・ゴット・タレント」で日本人初めてのゴールデンブザーを獲得したのです。2022年1月のこと。著者は29歳で日本を出発して20年たち、50歳になろうとしていました。途中の大事な話が抜けていました。2005年5月にはエベレストの登頂を達成しているのです。これまたすごいことです。
 エベレストに登るには300万円ほどの料金を支払わなければいけません。そのうえ、もちろん装備もきちんとしておく必要があります。友人が日本でカンパを集めてくれたとのことです。
 前から気になっていたのですが、こんな高山で、しかも冷凍庫なみに寒い中、トイレはどうしているのか・・・。床のない小さなテントの下に樽を置き、そこに用を足す。この樽が一杯になると、それを担いで下まで運ぶ人がいる。恐らく、極寒ですから、それほど悪臭はしないのでしょうが、これって大変なことですよね。
 エベレストの頂上は8848メートル、そこで写真を撮って15分ほどで下山を開始。よほど運も良かったのでしょう。
今や著者は51歳、日本を離れて21年間、一度も日本に戻っていないとのこと。まさに国際人ですね。元気の出てくる旅行記でした。
(2023年6月刊。1800円+税)

2023年10月 1日

ロンドン・デイズ


(霧山昴)
著者 鴻上 尚史 、 出版 小学館

 大学生のころから演劇界に入り、俳優そして演出家として活躍していた著者が40歳になる前、イギリスはロンドンにある演劇学校に入り、勉強しようと一念発起してからの1年間の、涙ながらの苦労話です。
 文化庁の「芸術家在外研究員派遣制度」の適用を受け、1日1万円、350万円がもらえる。ただし、1年間、仕事をして収入を得てはいけない。授業料は1年間で170万円。ロンドンは家賃が高くて、週に1回、芝居なんか見てたら、アシが出る。
 ロンドンでは、まずは英語学校に入る。英語は読めるし、英作文もそこそこ出来る。でも、肝心な聞き取りがまるでできない。
 ところが、1ヶ月したら演劇学校の授業に参加する。周囲の生徒はみな若い。20歳くらい。そして、聞き取れない。演劇の稽古場で、いくら見学しても、肝心なことは分からない。
人は、見学している人間に心を開かない。一緒に汗を流し、苦しみ、喜んだ人間にだけ、本当のことを語る。
 難しいことや複雑なことを話すときは、みなゆっくり話す。しかし、簡単なこと、慣用的な言葉を話すときのスピードは上がる。だから、聞き取れない。
演出家を長く続けると、その中に没入するのでなく、常に全体を見る視点を持ってしまう。こういう男と付き合った女性は、不幸だ。
やがて辞書を教室に持ち込むことをあきらめた。辞書を引いていたら、話についていけない。
俳優を志望する人には必ず新聞を読むようすすめる。新聞も読まないような人間とは一緒に仕事したくない。
「英語の戦場」にいた。戦場では、心底、気を抜くことができない。つまり、いつ襲われるかもしれないと緊張している。
欧米社会では、人間の名前を覚えることを大切にしている。
英語の勉強は、7割が聞くこと。あとの2割がしゃべることで、残る1割は読むこと。書くことは無視していい。
 私は長くフランス語を勉強していますが、やはり聞くことは大切だと思います。相手が何と言っているのか聞き取れなかったら、会話は成り立ちません。それで、聞き取り、書き取りを毎朝しています。
 自分の体と声を使って、自分を表現する楽しみを知ることができるのが、演劇の時間なのだ。
ロンドンの演劇は、中流から上流階級に向けてのもの。
 イギリスでは、労働者階級に生まれたら、一生、労働者階級。上流階級に生まれたら、何もしなくても一生、上流階級だ。
 イギリスは、徹底した階級社会。話す言葉を少し聞いただけで、その人がどの階級に属しているかが分かる。映画「マイ・フェア・レディ」の世界が今も生きているのですね...。
 イギリスで標準英語(RP)を話すのは全人口の1割以下。日本のように標準語が全国あまねく話されているのとは勝手が違うようです。
今から20年以上も前に刊行された本ですが、ずっとずっとフランス語を勉強している割には、今なおまともにフランス語が話せない私ですので、「そうそう、分かる...」と思いながら読み進めました。ひとつでも外国語ができると、世界が広がるのです...。
(2000年3月刊。1600円+税)

2023年9月11日

本の夢、本のちから


(霧山昴)
著者 椎名 誠 、 出版 新日本出版社

 著者は世界中を駆け巡っていることがよく分かる本です。体力に自信がなく、しかもコトバの通じないところには本能的に拒否感をもつ私は、行った人の体験記を読んで追体験したつもりになって、それで良しとしています。そりゃあ、私だって、ピラミッドを見てみたいし、マチュピチュにのぼってみたいし、イースター島やガラパゴス島にも出かけてみたいという気持ちは、気持ちだけはもっています。でも、そこに至るまでの道中の苦難を考えたら、写真を手にとって眺め、苦労話をエアコンの利いたところで、熱いお茶を飲みながらじっくり味わってすますことで満足します。
 日本人は、世界でも相当に旅行好きな国民と言われている。私も、たしかにそうだと思います。江戸時代にも日本人はどんどん旅行に出かけています。しかも、無銭旅行も大流行していました。その典型が伊勢参りです。そして、戦前までの日本は旅人を止めてくれる家が日本全国至るところに余りました。
 ところが、今や、寺の境内の隅にキャンプを張ろうとしても寺は拒否するは、近所の人が文句を言いに来るわで、泊まるのも容易ではないそうです。すっかり寛容さが失われてしまったようで、悲しい限りですね。
 世界を自転車で一周しているスイス人は、日本人を皮肉って、こう言った。
 「日本はアウトドアライフの盛んな国だと聞いていたけれど、キャンプできる場所は限られていて、テントが張れる森や野原がない。しかも、海岸はゴミだらけで、川の水はどこも飲めない。ところが、不思議なことに、アウトドア用品を売る店は全国どこにもある。それを買った人は、いったい、どこで、何をしているのか。もしかすると、アウトドアが盛んだというのは間違いで、本当は日本はアウトドア用品を買うのが盛んな国ではないのか・・・」
いやあ痛烈な皮肉ですが、半分あたっている気がしますよね・・・。
 相手と話すとき、もっとも相手の目を見ない、見ないようにするのは日本人。その反対に、もっとも強烈に、終始、相手の目をにらみつけるように話すのはアラブ系の人々。たしかに、そうなんですよね。弁護士の仕事として相談に乗っているとき、相手の人の目を見るのは、ときどきだけです。じっとじっと見ているなんてことはありません。むしろ、書類を指し示したりしながら話すほうが多いです。でも、ここ一番、ここは説得の切所、ヤマだと思うときは、じじっと、目を見つめながら、声を低めて話しかけることにしています。
 それにしても、コロナ禍のせいで、マスクをしている人への対応は困りました。顔色、表情が読みとれないのです。目だけでは困るのです。口元そして全体の表情も大事なんです。
 この本で紹介されている旅行記を早速、10冊、ネットで注文して読むことにしました。
(2018年10月刊。1800円+税)

2023年9月 2日

読み聞かせのすごい力


(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 致知出版社

 私自身は親から本の読み聞かせをしてもらったという記憶はありません。私が小学1年生のときから、親は小売酒屋を始めて、年中無休で働いていましたし、なにより5人姉兄の末っ子でしたから、私に本を読んで聞かせるヒマはとれなかったと思います。それでも、私は幼いころから「活字大好き人間」で、小学校も中学校も図書館からよく本を借りて読んでいました。小学生のころは偉人伝を読みふけり、中学生のときは山岡荘八の『徳川家康』に感嘆したことを今でもはっきり記憶しています。高校生になってからは図書室で古典文学体系を読んでいましたので、試験科目としての古文はバッチリでした。やはり、原典にあたっておくと、断片ではなく、全体像がつかめますので、視野が格段に広がり、思いが深まるのです。
 そして、子どもたちには絵本をたくさん読んで聞かせました。この本に全然登場してこなくて残念だったのはかこさとしの絵本です。「カラスのパン屋さん」とか「ドロボー学校」などは、子どもたちに大うけでした。そして、科学的な解説絵本も勉強になりました。
 また、滝平次郎の「八郎」や「花咲き山」も、スケールの大きな絵本で、読んでいる私のほうが毎回、じーんと来ていました。
 AI時代で、弁護士も不要になるのでは...、なんて憶測も流れていますが、そんなことは絶対に考えられません。フェイス・トゥ・フェイス。相手の顔、その目つきや表情を見て心を通わせながら解決策をもっていく。それが弁護士の仕事です。それをAIができるはずがありません。コミュニケーションというのは、習得するのに難しい技術で、一朝一夕(いっちょういっせき)で身につけることはできません。
 若手の弁護士に対して、相談に来た人に対してきちんと挨拶し、帰りには笑顔で帰ってもらうようにする秘訣をなんとかして伝授しようと思ってがんばっているところです。
思考力のもとは、言葉の塊(かたまり)。子どもは、その言葉を操(あやつ)りながら思考力を高めていく。世の中は激変したように思われているが、人間そのものは何も変わらないので、育て方は今までとほとんど変わらない。なので、子どもの身体の中に、たくさんの言葉を入れて育てることから始める。それには難しい言葉からではなく、子どもが楽しいと思う言葉から始めるべき。
 いやあ、私は、この提言にまったく同感です。さすが子育てのプロと称するだけのことはあります。
良い絵本とは、お話が優しくて、終わり方がなんとなくほんわかしている。
 大切なことは、親が自分の声で絵本を読むこと。親の声だから、絵本の内容が子どもの耳の底に染み込む。
 子どもがオモチャで遊び、本棚から絵本を取り出したあと、著者は子どもに「片付けなくていい」と言っていた。いやあ、これには驚きました。片付けるのは親の仕事だと割り切ってしまうというのです。発想の転換ですね。子どもたちが伸びのびと遊ぶこと、本を好きに読むことを最優先とするというのです。それを下手に親は邪魔しないほうがよいというのです。この発想には、まいりました。子どもはオモチャ箱をひっくり返して遊ぶのが楽しい。その楽しみを親は防げないようにすべきだというのです。なーるほど、ですね...。
 小中高の12年間の大変なデスクワークの時間のなかで、しっかりした基礎学力となる読み書き計算をしっかり身につけるためには、その能力の育成に役に立つのは、絵本の読み聞かせだ。
子どもたちには、大好きなものを徹底的に追求するという気持ちを味わわせるのが、人生で大切だ。子どもが楽しいことに過集中することが、あとで、集中力、やる気、モチベーションそして自己肯定感につながっていく。それは、親が望んでいるものである必要はなく、子どもの興味にまかせる。子どもの興味は果てしなく、次々の興味の対象が広がっていくので、少し離れて、温かく見守る余裕をもてばよい。子どもにとって、一つのことに集中した体験は、必ず成長の糧(かて)になるだろう。
 子どもに1万冊の絵本を読んで聞かせたという著者ですが、かといって毎日、いちどに長時間かけていたというのでもありません。一度に読み聞かせするのは30分が上限。子どもは、飽きっぽいからです。この30分のあいだに、5冊か6冊を立て続けに読むのです。本の内容を変えて、スピード感をもたせて次々に読んでいくのです。そして、子どもに感想は訊きません。
 子育ては出たとこ勝負でいく。下手なルールはつくらない。ルールを破るのが子ども。
3人の男の子と末っ子の娘さんの4人全員が、超々難関の東大理Ⅲ(医学部)に現役合格したことで有名な佐藤ママの最新作です。早くも、4人全員が社会人となり、医師として働きはじめたとのこと。自宅に置いてあった絵本がダンボール箱20箱あったのを厳選して4箱にしたそうです。残りはお世話になった幼稚園に寄贈したとのこと。やはり、子育てのプロの言葉には味わい深いものがありますね...。著者の配偶者より今回もいただきました。ありがとうございます。
(2023年7月刊。1600円+税)

2023年8月28日

老いの福袋


(霧山昴)
著者 樋口 恵子 、 出版 中央公論新社

 ヒグチさんは88歳、「ヨタヘロ期」を明るく生きています。後期高齢者入りを目前にした私にとって、大変参考になる指摘のオンパレードでした。それにしても88歳で、こんな元気の出る本を出せるなんて、ヒグチさんは本当にたいしたものです。
 ヒグチさんは、夫に先立たれ、独身の一人娘さん(医師)と2人で生活しています。週に2回は「シルバー人材センター」の人に来てもらって家事をしてもらいます。また、助手の人(親戚)もやって来ます。なので、孤独死の心配はしなくてすみます。
 ヒグチさんは、70歳のとき、かの女性差別論者の石原慎太郎に対抗して、東京都知事選挙に出ました。わずかな準備期間なのに82万票もとったというのですから、すごいです。それにしても石原慎太郎って、ひどい男ですよね。ほとんど都知事として出勤することなく、作家業と遊びに専念していたようです。それでも、実態を知らずに(知らされずに)と知事に投票した都民が大勢いたのは本当に残念です。
 それはともかく、「ヨタヘロ期」とは...。もう何をするにも、ヨタヨタ、ヘロヘロ...。フレイルとは、加齢とともに心身の活力が低下し、健康や生活に障害を起こしやすくなった状態、つまり老人特有の虚弱。サルコペニアとは、高齢になるにともない、筋肉量が減少していく現象。著者は、その両方をあわせて、「ヨタヘロ期」と呼んでいます。とてもイメージがつかめます。
 「ピンピンコロリ」は理想であって、現実的ではない。実際には、ヨロヨロ、ドタリ、寝たきり往生する人のほうが多い。つまり、ある日、バタリと死ねるのではなくヨタヘロ期を通過して、何年も寝込むのが現実的。ヨタヘロ期は、朝、起きるだけでも一(ひと)仕事。80歳をすぎると、料理するのがおっくうになってしまう。
ヒグチさんが、冷蔵庫のなかのもので簡単にすませていたら、なんと、低栄養で貧血になってしまったとのこと、それは大変です。やっぱり、ちゃんと食べなくてはいけません。
 そして、ヨタヘロ期になると、買い物までおっくうになってしまった。朝、起きたとき、空腹感を感じないので、料理しようという気にならず、それで買い物に行くのも面倒になってしまうのです。
 ヒグチさんは、食事フレンド(食フレ)をつくって、たまに外食を一緒にするとか、「孤食」を避けるよう工夫することをすすめています。なーるほど、ですね。老いたら、できるだけ予定を入れて、「多忙老人」になり、「老っ苦う」の連鎖を断ち切る。ヒグチさんのアドバイスです。
 高齢になってからも仕事があり、「自分も社会の役に立っている」と実感できることは心の支えになる。まさしく、今の私にあてはまります。定年のない弁護士のありがたみです。
 ヒグチさんは、無理な断捨離(だんしゃり)をすすめません。子どもに迷惑をかけるので、ガラクタも残すけれど、少々の遺産も残したらいいというのです。これまた、一つの考えです。でも、私は子どものころから整理整頓が大好きでしたので、大胆な断捨離をすすめています。私の担当した事件ファイルは法定の保存期間を過ぎたものは、私が選別して捨て、また保存しています。ですから、50年近く前の事件も残しているものがあります。自宅の本もかなり捨てました。それでも大学生のころに読んだ文庫本も残していたりします。恐らく2万冊ほどは書庫に本があると思いますが、書庫に並べられる限りとし、それ以上のものは選別して捨てています。すぐに捨てるのはもったいないので、法律事務所にもっていって、所員に拾ってもらい、拾われなかった本を捨てるのです。前は書庫には、後列にまで本があったり、横に寝かせたりもしていました。今では、みな背表紙がすぐ読めるようにしています。そうしないと書庫においておく意味がないからです。
 子どもに親が言ってはならないコトバは「あなたの世話になんかならない」とのこと。私も肝に銘じています。いずれはお世話にならざるをえないからです。
そして、親は、最後まで自己決定権を手放してはいけない。つまり、財産(家や預金)を子どもに渡してはいけないのです。私も弁護士としての経験から大賛成です。少しずつ子どもに贈与するのはいいのです。でも、全財産を子どもに渡したら絶対にダメなんです。あとは年金だけ、それも通帳管理は子どもがしているなんていうのは最悪のパターンです。
「ファミレス時代」というのを初めて知りました。ファミリーレス、つまり家族がいない人のこと。50歳児の未婚率は、男性23.4%、女性14.1%(2015年)。65歳以上の「夫婦のみ世帯」は全世帯の32.3%(2018年)。つまり、ケアを担う家族が減って、介護を必要とする高齢者は増えていくという世の中になりつつあるのです。
お互い、健康で、また楽しく過ごせる毎日でありたいものですよね...。
(2021年5月刊。1400円+税)

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