弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2019年7月10日

不倫と結婚

(霧山昴)
著者 エスター・ペレル 、 出版  晶文社

私が25歳で弁護士になってまもなく驚いたことが三つありました。その一つが、世の中には不倫(浮気)はありふれた現象、日常茶飯事だということでした。男が浮気するとしても、相手は女性です。日本で妻の浮気が珍しいことでないことは、戦国時代の宣教師たちも観察して本国に報告していますし、江戸時代に書かれた『世事見聞録』にも生々しく描かれています。
不倫は、人と人との関係について、多くを教えてくれる。そもそも何をもって不倫とするかについて、普遍的に一定した定義というものはない。ただ、不倫が増えていることは誰もが認めている。
インターネットが発達した今日では、もはや浮気をするのに自宅を出る必要すらない。
現代の不倫は、2個人のあいだで交わされた契約に対する違反だという考えを基本としている。信頼に対する違反だ。
近年、不倫の新しいカテゴリーとして、「精神的不倫」が出現している。一般にはセックスをふくまない不倫を意味するが、むしろ第三の人物との度をこえた精神的な親密さゆえに、夫婦関係が悪化してしまうような関係をさす。結婚は、もはやかつての結婚ではなく、不倫もまた、かつての不倫ではなくなっている。
つい最近まで、夫婦の貞節と一夫一婦制が愛とはまったく関係ないものだった。それは、血統と世襲財産をはっきりさせるために女性たちに押しつけられた家父長制社会の大黒柱だった。
かつて、人々は結婚して初めてセックスをした。今、人々は結婚して初めて他の人とセックスするのをやめる。
ええっ、これって本当でしょうか・・・。日本でも、そう言えるのでしょうか。
不倫が発覚したあとに解き放たれる感情の嵐は、あまりにも壮絶だ。脅迫性反芻症、過覚醒、無感覚と解離、不可解な逆上、制御不能なパニックなど・・・。
今日の不倫の大多数はデジタル機器経由で発覚する。
私も弁護士として、まったく同感です。私立探偵による素行調査にしてもGPSをつかったり、スマホの調査など、証拠が明白というケースがどんどん増えています。
かつてのようなピンボケの白黒写真で、何がうつっているのかよく分からないのに私立探偵に100万円も支払わされたというパターンは少なくなりました。
夫婦のベッドで、あれほど面倒がっていた妻が、どうして突然、不倫ではいくらセックスしても足りないほど貪欲になれるのか、男たちにはとうてい理解できない。
妻は一刻も早くセックスが終わることを願う。愛人はいつまでも終わらないでほしいと願う。
結婚、家庭として母になることは、多くの女性にとって永遠の夢だ。しかし、そこはまた女性が女であると感じるのをやめる場所でもある。
性欲に関しては、実際には、男女のあいだで言われているほどの差はない。
人間とは、いったいいかなる生きものなのかをじっくり考えさせてくれる本でもあります。
(2019年3月刊。2000円+税)

東京・新宿でフィンランド映画『アンノウン・ソルジャー』をみました。
フィンランドは、1941年にナチス・ドイツと組んでソ連に対して国土回復の戦争を挑んだことがあったのです。まったく知りませんでした。フィンランドが1939年にソ連と戦った「冬戦争」に敗れ、カレリア地方をソ連に占領されたのを取り戻そうとしたのです。ひところはナチス・ドイツがソ連を圧倒していた勢いもあってカレリア地方を回復したのですが、やがてソ連軍に押し戻されてしまいます。この映画は、その前進と後退を最前線の兵士たちを生々しく描くことで見事に再現しています。大量の爆薬をつかった戦闘シーンの迫力は、さすがとうならせるものがあります。
いったい、自分たちは何のために生命を賭けて戦っているのかという問いかけが映画シーンに何度も登場してきます。
そして、本当に戦争とはむごいものだと実感させてくれる映像が続き、最後まで目を離すことができませんでした。
アメリカの言いなりになって、日本の若者を戦争に送り出そうとしている安倍首相の野望にはストップをかけなければいけない。改めてそんな決意をさせてくれる映画でした。

2019年7月 8日

作家の人たち


(霧山昴)
著者 倉知 淳 、 出版  幻冬舎

モノカキを自称する私も、本当は作家になったり、ベストセラーを出して、ガッポガッポと印税を稼ぎ、世に作家として認められたい、そして文化勲章(文化功労章?)をもらいたいという夢があります。
でもでも、それに冷や水をぶっかけるのが、この本です。
本が書けない、書いても売れない、生活ができない、世間からだけでなく家族からも見捨てられ、ついに飛び降り自殺するしかない・・・、トホホの現実が嫌になるほど写実的に描写されています。
いやはや、やっぱり作家なんかにならなくて良かった。弁護士であり続けるようがまだましだった・・・、そう思わせてくれる本なのです。
20年ほど前から、出版界を覆う構造不況は、もはや限界に達していた。本が売れない、消費者が誰も本を買ってくれない時代になっている。これは、娯楽の多様化、若年層の人口減少、ネットの爆発的普及、といった原因が複合的にからみあった結果の出版不況なので、誰にも手の打ちようがない。本の出版部数は減り続け、本職の作家は困窮するしかない。出版社は手をこまねき、廃業する作家が続出している。
そんななかで売れているのは、テレビタレントが書いた本。ゴーストライターではなく、お笑いタレントが自分で創作して文章をつづった小説だ。
文学賞の受賞作は、著者本人の知名度やテレビでの活躍、あとは視聴者の好感度などを基準として選び出されるもの。選考委員が受賞作を読んでいるのは例外的・・・。
ええっ、う、ウソでしょ。いくら小説とはいえ・・・。井上ひさしは受賞策の選出過程のコメントまで本にしていますよ。いくらなんでも・・・。
本は、たしかにアイデアの勝負というところがあります。それまでにない、意表をつくテーマ、題材を文章化できたら、もちろん強いと思います。
そして、タイトルも大事です。松本清張はタイトルのつけ方が秀逸でした。井上ひさしもうまいです。いえいえ、山本周五郎も藤沢周平もうまいですよ・・・。
売れない作家を、どうやったら売れる作家に変身させられるのか・・・、私もぜひぜひ知りたい、誰か教えてほしいです・・・。
作家家業の苦悩が圧縮されている、私にとっては超重たい本でした。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年7月 4日

世界を変えた勇気

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版  あおぞら書房

無関心になったら、状況はいっそうひどくなる。変えようとする意思をもち、行動すれば世界は変わる。
本当にそのとおりだと思います。安倍首相が国会で平然として嘘をつきながら、学校では教師と子どもたちに道徳教育を押しつける。
過去に日本が侵略戦争をしかけて内外に無数の被害者をうみ出し、国土を荒廃させたことに目をつむり、「美しい日本をつくる」などと、ソラゾラしいことを臆面もなく言いつのる。自分の都合の悪いことは、ないものとするか、書きかえてしまう。アベ一強の政治は身内優先の汚れた政治でもあります。あまりのえげつなさに圧倒され、つい怒りを忘れて、あきらめてしまいそうになってしまいます。そんなときにカンフル栄養剤となるのが、この本です。
韓国で文在寅大統領が誕生する過程では、日本人が安保法制に反対して国会を包囲したニュースが韓国人を奮起させたそうです。
そうなんです。日本人だって、やってやれないことはないんです。もっと私たちは、自分たちの力に自信をもつ必要があります。どうせアベはこれからも首相に居すわり、悪政を続けるんでしょ・・・。そんなに簡単にあきらめてしまったら、それこそアベの思うツボです。
著者は私と同じ団塊世代のジャーナリスト。世界82ヶ国を歩いて取材したそうです。
アメリカに長く住んでいる日本人がこう言った。
日本人は文句を言うだけ。アメリカ人は文句を言う前に行動する。
そうです。文句を言い、行動することが必要です。行動のてはじめが投票所に行くこと。
いま、日本の若者は世界へ出かけようとしない。日本が一番でしょ・・・、そんな思いこみから。とんでもないことです。知ろうとするのをやめることは、知性をもった人間であることを放棄すること。
アルゼンチンでは、軍部が政権を握っていたとき、多くの市民を虐殺した。少なくとも3万人が犠牲となった。
まだ見ていませんが、最近、天(空)から遺体が降ってきたというアルゼンチン映画の上映が始まったようです。政府に楯ついた人をヘリコプターから突き落として殺していたことに結びついた実話です。そんな軍部独裁政権も、ついに打倒される日が来ます。子どもや夫を拉致・殺害された母親・妻たちが広場に集まって抗議行動したことが始まりの一つとなりました。
最近、軍政に手を貸して労働者の人権をふみにじったとして、アメリカの自動車会社フォードのアルゼンチン現地法人の当時の幹部2人が禁固10年と20年の判決を言い渡されたとのこと。すばらしい判決です。虐殺した人だけでなく、それに加担した人たちの責任が問われるのは当然のことです。
コスタリカでは、軍事費が国家予算の3割を占めていた。その軍事費をそっくり教育費に振り替えた。すると、医療や社会保障の予算も増え、国民生活の質が格段に向上した。
フィリピンでは、アメリカ軍の基地を廃止したら、経済は明らかに好転した。基地で働く人は4万2千人。基地なきあとに働く人は、6万人から10万人へ急増した。
著者は、この本の最後に次のように呼びかけています。まったく同感です。
行動の選択を迫られ、思いあまったとき、世界の人々がどんな行動をとったかを知れば、勇気も湧いてくる。自分のまわりだけを見ていても、展望は開けない。この本を読んで、一歩を踏み出してほしい。
モリモリ勇気の出る本として、強く一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年6月18日

読書と教育

(霧山昴)
著者 池田 知隆 、 出版  現代書館

大牟田にある有明高専で国語を教えられた著者が、恩師である棚町知彌(たなまちともや)の戦中・戦後の軌跡をたどった本です。
国語とは、国を語ること。すなわち、自分と世界とのかかわりについて語ること。
私の講義は消化剤であり、ビタミン剤である。栄養はすべて本にある。
授業のなかで、課題図書を次々にあげる。「キュリー夫伝」、「三四郎」。授業では、まるでカラオケでも歌っているかのように朗読し、試験は読書感想文を書くこと。3年間の国語教育の集約として、全5巻の「チボ―家の人々」の読了が義務づけられた。
うへーっ、これはすごいことですよね・・・。著者は有明高専を卒業して、珍しいことに早稲田大学政経学部に進学します。私と同じ団塊世代で、学年も同じのようです。
棚町知彌は思想検事の子として生まれ育ったが、父親は50歳の若さで急死した。
成蹊(せいけい)高校を卒業して北海道大学理学部数学科に進学した。ところが徴兵猶予を自ら拒否して応召し、通信2等兵として中国戦線へ渡る。数学科出身なので暗号解読に強いとみられたようだ。
そして、戦後は、福岡でアメリカ占領軍の民間検閲局につとめた。
その後、博多工業高校の教諭となり、国語を生徒に教えはじめた。さらに、新設の有明高専で13年間、国語教員として勤めた。そのあと、山口大学、そして長岡技術科学大学に移った。
どこでも生徒・学生に膨大な課題図書を提起した。「黒い雨」や「播州平野」、「蟹工船」、「太陽のない町」、さらには「土」、「不毛地帯」、「怒りの葡萄」なども入っていて、さすが・・・と思いました。
棚町式ノートは、ルーズリーフ式ではなく、部厚いノートに手書きする。感想はいっさい書かない。ひたすら重要な個所を抜き書きする。ノートへの抜き書きは、時間を異にする自分の思考との出会いを確実にする記録である。抜き書きを重ねていくことにより読書にセンスが養われる。
私もこうやって毎日、抜き書きしていますので、棚町式ノートを実践していることになります。読書は、まさしく人々との出会いだと痛感させられた本でもありました。
(2019年4月刊。2000円+税)

日曜日の午後、フランス語検定試験(1級)を受けました。
はじめから合格するとは思ってもいないのですが、案の定、とてもとても歯が立ちません。それでも、フランス語歴は長いので、まるでチンプンカンプンという域ではありません。いやはや、フランス語って奥が深いよね、やっぱり難しいね、そんな実感を胸に抱きながらトボトボと西新駅に向かいました。
年に2回の難行苦行です。この1週間は、集中して頭をフランス語漬けにしました。もはや上達しようとか1級レベルに達して合格しようという高望みはしていません。せめて現状維持、必死で後退をくい止めようというレベルです。
このところ、NHKラジオ講座のCDを繰り返し聞いて書き取りをしながら基本文型を暗記するように努めています。なので、本番の仏検でも書き取りだけは、バッチリでした。聞きとりも、そこそこでした。ところが、今回は、なんと長文読解、読みとりが惨敗でした。自分でも信じられないほどの不出来なのです。
それやこれやで、いつものように大甘の自己採点で63点でした。150点満点ですから、やっと4割なのです。あと2割を上乗せするのはあまりにも大変です。1級を受験したのは1995年からですので、すでに24回目の受験ということです。
根性だけはありますが、世の中、根性だけで渡り切れるほど甘くはありませんよね・・・。

2019年6月17日

手で見るいのち


(霧山昴)
著者  柳楽 未来 、 出版  岩波書店

この本は筑波大学付属視覚特別支援学校が舞台です。実は、私の娘も突然、弱視になり、この学校にお世話になりました。それで、私も一度だけ父兄として学校訪問し、授業風景を見学したことがあります。
私の娘は大学を卒業していましたので、高校の部に入ったように思いますが、この本では中学生が生物の授業で動物の頭蓋骨を手で触って、その動物のもつ機能を考え、最後に、その動物が何であるかを推測します。著者も目をつぶって動物の頭蓋骨に触ってみたのですが、中学生たちにはまるでかないませんでした。子どもたちは視覚に頼れないため、すべて言葉を通して概念やイメージを他者に伝え、共有していく。目の見えない子どもたちにとって、感じたことを言語化することは、きわめて重要。
この授業は、40年以上も前から基本的な形をほとんど変えず今に続いている。教科書は使わず、板書もない。週1回2時間続きの授業を続ける。
事前に生徒に動物の種類は伝えないというのが授業のルールになっている。生徒たちは、穴の大きさや方向で正確に観察できる指先の能力をもっている。
これは著者のような目明き人間が目をつぶって骨を触っても、ただ物理的に骨に触れているだけというのとは違う。
全国の盲学校の在籍者数は年々減少している。1959年の1万264人がピークで、2018年には2731人となった。これは全国的な少子化に加え、医療技術の発達から乳幼児期の失明が格段に少なくなったこと、障害ある子どもも普通学級で共に学ぶ「インクルーシブ教育」が広がっている影響もある。
1982年、全盲の男子高校生がICUの理科(化学系)に合格し、入学を認められた。
実は、私の娘は、この盲学校に入る前はICUで学び、キュレーターを目指していたのでした。
その後は、東大の教授たち3人が盲学校にやってきて、「ぜひ、東大に来てほしい」と要請したというのです。世の中はいい方向に動いているのですね・・・。
今では、盲ろう者の福島智さんが東大教授になっています。すばらしいことです。
ところで、点訳ボランティアの平均年齢が70歳代になっていて、後継者の確保が大変になっているそうです。
この盲学校の授業は、生徒たちの発見をもとにして進んでいくけれど、生徒がそれぞれ自由に発言するだけでは、授業は前に進まないし、考察は深まっていかない。ただの雑談に終わらせない見通しをもった工夫が求められる。
この授業では、教員は生徒たちに知識を押しつけない。生徒が目の前にある骨を自分でしっかり触って、生徒自身で考える。この姿勢が一貫させている。これが大切だ。そのため、教師は、いろいろ質問し、観察するためのヒントを小出しにする。
すばらしい生物の授業です。私もこんな授業を受けてみたいと思ったことでした。
(2019年2月刊。1500円+税)

2019年6月15日

70歳のたしなみ

(霧山昴)
著者 坂東 眞理子 、 出版  小学館

昨年12月、私も70歳となりました。先日は、右肩が突然動かなくなり、4日間、泣きました。朝、目覚まし時計を停められない、布団から起き上がれない、着換えができない、歯みがきできない・・・。右肩が動かなくて、本当に不便しました。幸い、手は動かせましたから、ペンをもって字は書けましたので、仕事への支障はそれほどありませんでした。整形外科に行ってレントゲン写真をとると、右肩に石灰化が始まっているのが確認できましたので、恐らくこれが急に暴れたのでしょう、という判定でした。要するに、70歳という老化現象をひしひしと体感させられたということです。
70代というのは人生の黄金時代、新しいゴールデンエイジだというのが著者の訴えるところです。著者は私と同じ団塊世代です(2歳だけ年長)。
70歳になったら、毎日、上機嫌で過ごすことが周囲に対するマナーであり、礼儀であり、たしなみである。イライラしていても、意思の力で上機嫌に振る舞うこと。
機嫌よく過ごす秘訣は、意識して他人(ひと)の良いところ、可愛いところを見つけ、「をかし」と楽しみ、「いいな」と感心すること。
70歳になったら、良い加減に生きる知恵が大切だ。周囲の人が成功しているのを見たら、たとえ心の底からでなくても、必ず言葉で祝福し、ほめてあげる。これを習慣にするのが大切だ。
70歳になったら、「キョウヨウ」と「キョウイク」をつくる。「キョウヨウ」とは、今日は用事があること。「キョウイク」とは、今日は行くところがあること。何も用がない、どこにも行くところがないと言って、家でゴロゴロしていると、すぐにボケてくる。そして、用事も行くところも、自分で能動的に発見し、取り組む。
70歳になったら、お金をいかに貯めるかではなく、もっているお金をいかに上手に使って豊かに暮らす心がけこそ必要だし、大切だ。
70歳でするべきは終活ではない。生前葬はあまり早くするものではない。高齢期という新しいステージを生きるため準備の老活をすべきだ。
与えられる毎日毎日を丁寧に生きる。自分を励まして、少し無理して生きる。これが高齢期を豊かにするライフスタイルだ。
友人だからこそ、言ってはいけないことが、たくさんある。年齢(とし)をとったからこそ、相手の気持ちを想像して、どう表現したら相手の気持ちを傷つけないで言うべきことを伝えるのか、これを工夫する。それがたしなみだ。そんな工夫ができなくなったら、たちまち老化は加速する。
人間関係はこわれもの。大切に扱わないと、すぐにこわれる。
夫婦仲良く暮らすためには、上機嫌に振る舞い、できるだけずけずけ言わないように心がける。
他人の過去も自分の過去にもこだわらないのが70歳に必要なたしなみ。気にすべきは過去ではなく、これからの日々での有言実行、約束を守ること。
わずか200頁ほどの新書版です。病院での待ち時間で読了しました。さあ、私も、こんなたしなみを有言実行して、一日一日を楽しく上機嫌で生きていくことにしましょう。
(2019年5月刊。1100円+税)

2019年6月10日

探検家の事情

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  文春文庫

著者のスリルにみちみちた冒険の旅は、その迫真の描写に接して、思わず息をひそめてしまうほど圧倒されてしまいました。『空白の五マイル』、『極夜行』など、読んでいる途中で、息が詰まって投げ出したくなりましたが、でも、このあとどうなるんだろうと思わず頁をめくる手が速く動いていきました。
この本は、そんな著者の、信じられないとぼけた人柄もにじみ出てくる内容です。いわば楽屋裏のオチ話のオンパレードになっています。
著者に向かって投げかけられる質問。なぜ、冒険をするのか・・・。これは冒険をしない人に、なぜあなたは生きるのかと問うのと同じくらい、回答に窮する質問だ。
氷点下40度の寒さに支配される世界を、1日30キロも歩いていく。そのときには1日に5千キロカロリーは人体の健康保持に十分なレベルではない。大人が極地で肉体運動を続けるのには、少なくとも1日8千キロカロリーが必要なのだ。
著者は忘れ物や落し物が多いという「自慢話」を紹介しています。
記憶力があまりよくないうえに、集中力が非常に高く、せっかちなので、ある一つの動作から別の動作に移った瞬間、その新たな動作のほうに意識が集中してしまい、前のことが完璧に意識の外にはじき出されてしまうことになるからだ・・・。ええっ、そ、そうなんですか。
著者はスマホを持っていない。不肖、私もスマホはもっていません。がさつで慎重さに欠ける人間である著者の「唯一の取柄」は、立ち直りが早いこと。これは、いいことですよね・・・。
北極の村に滞在するときには、肉を生食することになる。生肉は、身体にビタミンを補給してくれる。口内炎で悩んでいたのが、生肉を食べると、たちまち良くなった。肉で一番おいしいのはシロクマの肉。シロクマの肉は「王候貴族の料理」と言われている。
シロクマの肝臓(レバー)を生で食べると、ビタミンA過剰をひきおこし、吐き気やひどい頭痛に苦しめられる。
コウモリの肉は「深みのある味」だそうです。ご相伴したくありませんね・・・。
コウモリの頭蓋骨に穴をあけ、脳髄をずるずるっとすする。ドロッとしていて濃厚で、少しだけ苦味のきいた独特の味がする。
うひゃあ、コウモリなんて、まったく食べようという気分にはなりません・・・。
家庭と探検生活をいかにして両立してきたのか、その悩みや葛藤が紹介されています。
(2019年4月刊。690円+税)

2019年6月 4日

日本を愛した人類学者


(霧山昴)
著者 田中 一彦 、 出版  忘羊社

私は弁護士として、毎日毎日、男女間の不倫にともなうトラブルを扱っています。浮気するのは決して男性だけということはありません。その相手は女性ですし、女性がリードしている不倫だって少ないとは言えません。
まことに日本は太古の昔から性に関してはおおらかな国なのです。
それは神話の時代にさかのぼっても言えますし、戦前もそうでした。夜這(よば)いの習慣が戦後まで続いていた地方もあったのです。
そんなおおらかな性習慣をふくめて、戦前の農村地帯の生活の実際をあますところなく伝えてくれる画期的な本が、若きアメリカ人学者夫妻の手になる『須恵村の女性たち』です。まだ、読んでいない人には、ぜひぜひ図書館から借りてでも一読されることを強くおすすめします。
この本は、最近、その須恵村(今は、あさぎり町須恵)に定住してまで調査・研究した元新聞記者の著者による労作です。
エンブリー夫妻は、戦前の1935年(昭和10年)11月から1年間にわたって須恵村に定住して調査・研究を重ねた。函館に育ったエラ夫人は日本語が達者で、須恵村の女性たちの話を中心に日記1005頁を残した。
エンブリーは、有能な通訳2人(いずれも若くして交通事故死ないし戦死)によって記録していった。
エンブリーはアメリカに戻って42歳のとき娘とともに交通事故で亡くなったが、エラ夫人のほうは再婚したあと、2005年にホノルルにおいて96歳で亡くなった。
当時の須恵村の人口は1663人。軍事施設はなく、純農村地帯で、大地主もいなかった。エンブリー夫妻は、毎日のように開かれる酒宴に参加し、いつも酔っ払っていたので、それが調査の障害になっていた。
プライバシーがまったくない、何でも自由に話す村人たちのなかに入って、仰天させるような話題までエンブリー夫妻、とりわけエラ夫人は聞くことができた。
須恵村の女性たちは、お互いの性器を比べあい、夫以外の男性とも関係をもち、酒宴では卑猥な歌をうたって踊る。甘い子育て。村外から嫁いだ女性たちは、女だけの協同のネットワークをもった。
須恵村の女たちは、結婚そして離婚においても、予想できないほど著しく自立していた。
詳細はぜひ『須恵村の女たち』を読んで下さい。仰天することまちがいなしのオンパレードです。
須恵村の女たちは、エラ夫人が2歳の娘クレアに対する厳しいしつけを「異例」と見て、理解できなかった。須恵村では子どもは寛大に扱われていた。
そして、須恵村の人々は、天皇について、「神様のようにしとりますが、本当の神様ではなかとです。天皇陛下は人間で、とても偉か人です」と語った。
ええっ、そんなことを外人(アメリカ人)に話していただなんて・・・。
GHQによる日本の農地改革はエンブリーの『須恵村』を参考書として始まった。
明仁天皇が皇太子だったときの家庭教師だったヴァイニング夫人も須恵村まで足を運んでいる。もちろん、エンブリーの本を読んでいたからだ。
この本が『須恵村の女たち』を読んだ人に大変な便益をもたらすのは、エンブリー夫妻がとった写真がたくさん紹介されていることです。これによって、須恵村の人たちが、どんな顔と表情をしていたのか、具体的なイメージをつかめます。
ぜひ、この本も手にとってお読みください。
(2018年12月刊。2200円+税)

2019年6月 3日

南極ではたらく

(霧山昴)
著者 渡貫 淳子 、 出版  平凡社

今ではコンビニでも売られている(らしい)悪魔のおにぎりを南極の昭和基地で考案した著者による面白い調理隊員体験記です。
女性が昭和基地で1年間も生活するなんて、大丈夫かしらんと心配しますが、ちゃんと風呂・トイレは男女別になっていて、トイレはいち早くウォッシュレットです。そして、野外活動に出て見渡かぎり何もないところでは、「ちょっと大地と交信してきます」と言うと、男性が察してくれるとのこと。それにしても勇気があります。
調理員は2人。交代で厨房に入る。1人で30人分をつくる。
夕食は、メインの料理に小鉢ものが2~3品。ご飯と味噌汁はセルフサービス。
1年間、途中の補給はなく、1年間分の食糧を1回で仕入れ、それでやり切る。したがって、ありとあらゆる料理をつくれるスキルが求められる。
常に生野菜が不足している。1年間も保存がきくのは、長いもと玉ねぎくらい。
南極にもち込んだものはすべて日本に持ち帰る。生ごみは処理機で減容して焼却し、灰はドラム缶に入れて日本に持ち帰る。スープ類が残ってもシンクに流さず、生ごみとして処理する。
水は、雪を水槽に投げこんでつくる。
人間1人が1年間に消費する食糧は1トン。30人の隊員のため30トンを持ち込む。
観測隊は海上自衛隊にならって、金曜日はカレー。カレーは料理をムダにしないというメニューでもある。
メニューは日替わり1種類のみ。隊員は勝手につくって食べることは出来ない。調理隊員が用意したものを食べるだけ。
アルコールはあるけれど、無料(実は食費のなかに含まれている)で、飲み放題だけど、隊員はあまり飲んでいない(ようです)。
空気が乾燥しているので、洗濯物はすぐに乾き、枚数は必要ない。ところが、20足もっていった靴下は、みな穴が開いた。極度の乾燥で足の裏がゴワゴワになって、擦れて靴下に穴が開く。
南極から日本に戻ると、しばらくは「南極廃人」になって、ぼおっとして過ごす人が多い・・・。
子もちの40代の主婦が、夫と子を日本に残して、1年間、南極で調理隊員として過ごしたというのです。大変なその勇気にただただ感服しました。
(2019年1月刊。1400円+税)

2019年6月 2日

生き残った人の7つの習慣

(霧山昴)
著者 小西 浩文 、 出版  山と渓谷社

56歳の著者は、8000メートル峰の無酸素登頂に挑み続けてきたプロの登山家です。
これまで山でケガしたことはなく、五体満足。凍傷のため手や脚の指が1本、2本なくなっているところもありません。これって、実に素晴らしいことです。奇跡的です。
標高8000メートルの高さは、「デス・ゾーン」(死の地帯)と呼ばれている。酸素が平地の3分の1しかないので、息苦しいどころではない。すぐに視力は減退し、脳機能障害が引き起こされ、正常な思考ができなくなる。
ジャンボジェット機が飛ぶ高さが標高8000メートル。普通は酸素ボンベを背負って、マスクで酸素吸入しながら登頂していく。酸素ボンベがなければ、普通の人は30秒で失神し、急性脳浮腫や肺水腫になり、死に至る。
それなのに、著者は酸素ボンベを使わず、8848メートルのエベレストをふくめて、8000メートルの山が14座あるうちの6座を制覇したといいます。信じられません。
デス・ゾーンでは、ほんのわずかな迷い、ためらい、そしてわずかなミスが致命的な危機を招いてしまう。危機の90%以上は何かしらの予兆がある。
気の緩みが危機につながる。あともう少しで安全地帯だと思う気の緩みは危ない。ゴールや目標が間近に迫ったとき、人は緊張が緩む。すると、身体はまだゴールしていないのに、頭のほうはゴールしたかのような錯覚に陥る。これが危ない。
「危機」というものの多くは、その組織や人物の心が引き起こしているケースがほとんど。つまり、「危機」の90%以上が「心」に起因している。
山の事故のほとんどは下山中に起きている。それは「気の緩み」と「焦り」から来る。「心」の乱れが道迷いや事故を引き起こす。
「おごり」(過信)は、目の前にある「危機」から目を背けさせて、自分たちに都合のいいように物事を解釈してしまう。人間は、どうしても自分に都合のいいように「危機」を考えようとする。そうではなくて、常に「最悪」を想定しなければいけない。
「いつもと同じ」というのが、きわめて重要。いつものように冷静に判断できる。いつものように高い技術を発揮する。いつもと同じことを苛酷な状況下で行えるかどうかが生死を分ける。そして、そのためにも事前準備に9割の力を注ぐ。
なるほど、とんでもない高山で大変な危機に何度も直面してきた著者の体験にもとづく提言なので、一つ一つの提言がしごく素直に受け入れられます。
(2018年12月刊。1200円+税)

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