弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2021年2月 8日

誰にも相談できません


(霧山昴)
著者  高橋 源一郎 、 出版  毎日新聞出版

 著者の人生相談は本当に味わい深いものがあり、いつ読んでも、なるほど、なるほど、そうか...、そうなんだよな...と考えを深めることができます。毎日新聞の「人生相談」で大友響と書かれていますが、ウソではないと思います。
 弁護士としての私が男女関係、親族関係の争いについて相談を受けるとき、著者だったら、どう答えるだろうか...と自問自答することがあります。弁護士にとっても、回答する側に立ったとき著者の回答は大いに参考になるのです。
 著者は団塊世代の少し下の世代ですが、いわゆる全共闘の活動家でした。逮捕歴もあるそうです。私はアンチ全芸闘でした。だって、あの野蛮で残虐な暴力を賛美するなんて、当時も今も、まっぴらごめんです。かつての全共闘の活動家とシンパ層が、自分たちが学内でふるってきた暴力問題について黙して語らず、思想的にああだ、こうだとキレイゴトしか言わないのを許すわけにはいきません。
 著者は、その暴力の点も大いに反省しているようですし、その後の人生での苦労、そして私生活で4度も5度も結婚・離婚して、今なお思春期の子どもたちをかかえて苦労しているようです。そんな苦労が回答にいい意味でにじみ出ていますので、説得力が半端(はんぱ)ではありません。
 子どもというのは、遅かれ早かれ、家を出て、「外」の世界に旅立つもの。ところが、親は、子どもに愛情も注ぐけれど、「呪い(のろい)」もかける。つまり、親から子どもはマイナスの部分も受け継ぐ。いやはや、本当に、そうなんですよね...。
どんな「家庭」にも共通点がある。それは、結局、みんな「他人」だということ。
 著者の知るかぎり、人間はほとんど成長しないもの...。うひゃあ、そ、そうなんですか、やっぱり、そうなんですよね...。
 「今」から逃げる者は、「次」も逃げるに決まっている。家族を暴力で支配しようとする人間は、いつの時代にも存在する。暴力で支配される人間は、反抗する意思を失う。暴力で支配しようとする人間がいちばん恐れるのは、膝を屈しない相手。そして、暴力で支配しようとする人間は、みんな見かけ倒し。子どもにとって最後の仕事は、子どもに戻った自分の親に対して、その親になること...。いやあ、そういうことなんですか...。
知人から借金を申し込まれたとき、その額の2倍を渡して、こう言う。「これは友人から借金したお金です。今回だけです。返さなくてもいいです」と。
 占いは信じる必要がない。運命は変えられるもの。生きていくうえで大切なもの。
経済的な余裕というより以上に人とのつながり。あなたが人に優しくしたら、周囲もあなたに優しくしてくれる...。そうなんです。それを信じて明日も元気に生きていきましょう。いい本です。生きる勇気が湧いてきます。
(2020年12月刊。1400円+税)

2021年2月 6日

老(お)~い、どん!


(霧山昴)
著者  樋口 恵子 、 出版  婦人之友社

 著者は87歳になりました。ずっと評論家として大活躍してきたわけですが、さすがに年齢(とし)相応の制約が身体のあちこちにあらわれているようです。
87歳の身は、満身創痍ならぬ、満身疼痛(とうつう)。痛いとこだらけ。痛みはケガしたり痛んだりした部位に局限されてはいない。
 72歳になった私も、同じように膝が痛い、腰が痛いといっては、2か月に1回は整体師に通っています。今のところ、それでなんとか持っています。ありがたいことに...。
 自慢だった視力聴力にも、このところ衰えが顕著で、立居振舞のスピードは落ちるばかり。
 目のほうは、私は、おかげさまでメガネをなしで相変らず速読できています。問題は耳です。本当に聴きとりが難しくなりました。ボソボソっと言われると、困ります。大事な話だと思えば聞き返しますが、冗談のようなレベルだとつくり笑顔でごまかすしかありません。
ということで、著者は、ヨタヨタヘロヘロの「ヨタヘロ期」を、よろめきながら直進している。
 そこで著者は、声を大にして叫びます。
 人生100年社会の初代として、「ヨタヘロ期」を生きる今の70代以上は、気がついたことを指摘し、若い世代に、社会全体に問題提起していく責任がある。
 まことにもっともな指摘です。「ヨタヘロ期」予備軍の私は、こうやって、その責任を果たそうとしているのです。
蔵書を思いきって整理しつつある。著者は涙ながらに蔵所を整理して、3分の1は手放した。
 私も、今ある書庫にフツーに立てて背表紙を確認できる状態を維持することを決意して実行しています。そのうち読み返すかもしれないと思ってとっておいた本も、読み返すはずがないと思い切って、捨てています。本棚がスッキリすると、心が軽くなります。終了した裁判の記録も、ヒマを見つけて整理し、書棚はガラガラ好き好きになりました。これは精神衛生上も、とてもいいことです。
住宅の改築の話も出てきます。木造住宅の耐用年数は30年だということです。私の家は、とっくに過ぎていますが、まだまだ10年、20年ともちそうです。ただし、内部は床や階段をバリアフリーに変えるなどしました。浴室も何年か前に改造しています。
著者は、中流型栄養失調症にかかり、大変な貧血症状が出たといいます。一人で家にいる日は、パンと牛乳、ヨーグルト、そしてジュースという貧しい食生活のせいです。80歳ころ、それまでは料理をつくるのが楽しみだったのに、食事づくりが億劫、面倒になってしまったからなのです。
 女性にとって、買い物は人生の自由、自立、そして快楽。私にとっては、店で買い物するのは苦痛でしかありません。品物選びに自信はありませんし、万引きするつもりもありませんので、もし間違われたりしたら、とんだ迷惑です。
高齢者の出歩きやすい町づくりを著者は求めています。まったく同感です。ちょっとしたベンチ、そして待たずに利用できる清潔なトイレ、本当にありがたい限りです。
著者は「結婚維持協議書」を作成することを提唱しています。多くは妻の側から、夫の守るべき条項が示され、それが結婚維持の条件となるのです。
 この条項の一つに「今後、お皿をなめない」があったとのこと。洗い場をケチった夫の仕種を禁じたものです。呆れてしまいました。
そして認知症。全国で520万人(2015年現在)もいるそうです。私も、そのうち、お仲間に迎えられることになるのでしょう...。
 趣味嗜好も体力勝負です。私は読書とガーデニング。さらにはモノカキとして、本を発刊しつづけたいと考えています。元気とボケ防止です。準備と覚悟が必要なのです。大変参考になりました。
 
(2020年3月刊。1350円+税)

2021年1月31日

古典つまみ読み


(霧山昴)
著者 武田 博幸 、 出版 平凡社新書

朝倉市在住の著者は長く予備校の名物講師(古文)として教えていて、その受験参考書は累計300万部という超ベストセラーなのだそうです。失礼ながら、ちっとも知りませんでした。ただ、それだけに古典に詳しいことは、この本を読めばすぐに分かります。半端な知識ではありません。たとえば、この本の最後に登場する良寛です。
良寛は、周りの人から重んじられなくても、いやそれどころか、軽んじられても堪えられる人だった。そんなことに無頓着でさえあることができた人だった。
いやあ、これって並みの人にはとても真似できることではありませんよね。だって、周囲からどう見られているか、やっぱり気になりますので...。
「この世で一人前の人間として数えられないような私ではあるが、乞食僧としてこの世に身を置き、移りゆく自然に抱かれて、その恵みを享受し、私は私らしく生きていると良寛は宣言している」
その時、その時、目の前に立ち現れたものに、全身全霊で向かいあうという生き方を良寛はした。40歳から70歳まで、山あいに借りた粗末な庵(いおり)に住み、衣食は村人の喜捨に頼り、一人で生きることを貫いた良寛の生活は、孤独でさびしく暗いものであったかというと、決して、そうではなかった。それどころか、良寛の日々の暮らしは、村の人々との関わり方においても、周りの自然との接し方においても、溢れんばかりの博愛に包まれたものだった。
良寛は子どもたちと無心に遊び、そこに自己を解き放つ喜びを覚えることもできた。友人たちとの交流もあった。さらに、良寛70歳のとき、30歳の貞心尼と出会った。若く美しき異性を思って沸き立つ感情が良寛をとらえたのではないか。なーるほど、いいことですよね、やっぱり人間ですもの...。
『枕草子』のところでは、平安時代の男女が結婚・離婚・再婚に関して、すこぶる自由な考え方をもっていたことを著者は強調しています。
男がある女の所に通い続ければ、結婚が成立したように見なされ、そのうち通っていかなくなれば、結婚は解消、すなわち離婚となる。男性はもちろん、女性も人生に「結婚」が一度ならずあることは少しも珍しいことではなかった。
願わくは花の下にて春死なん、その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
これは西行の歌ですが、西行は、その願いのとおり、1190年(文治6年)2月16日、73歳で亡くなった。
たまには古典の世界にどっぷり身を浸らせるのもいいものです。ちなみに私は古文は好きでしたし、得意科目でした。高校の図書館に入り浸って古典文学体系に読みふけっていたこともあります。私のつかった古文の参考書は、今も手元に置いていますが、小西甚一の『古文研究法』(洛陽社)でした。ちょっとレベルの高すぎる内容でしたが、大学入試の直前(1967年2月21日)、「遥けくも来つるものかな」と書きつけています。18歳のときの、なつかしい思い出です。
(2019年8月刊。880円+税)

2021年1月30日

石岡瑛子とその時代


(霧山昴)
著者 河尻 亨一 、 出版 朝日新聞出版

天才的な日本人女性デザイナーの一生をたどった刺激的な本でした。
私はデザイナーの名前こそ知りませんでしたが、前田美波里が白い水着姿で海岸に横たわり、きりっとした目つきでこちらを向いている大胆なポスターに目が釘づけになったことは印象に残っています。大学生のころだったでしょうか...。
同じ資生堂の「ホネケーキ以外はキレイに切れません」というキャッチコピー付きで、化粧品を細いナイフで二つにカットしている斬新なポスターには、さすがに圧倒されます。
そして、パルコの「あゝ原点」というアフリカ砂漠で原色の衣をまとった一群の女性たちがこちらにやってくる群像シーンにも思わず息を呑んでしまいます。
フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』のポスターもエイコの作品とのこと。すごい迫力です。北京オリンピックの開会式の演出にも関与しているそうですが、こちらは張芸謀監督とぶつかりあって、本人はかなり不満だったようです。
この本のトップにエイコの作品がカラーグラビアで紹介されています。なるほど、世界のトップデザイナーだけのことがあると、門外漢の私にも分かります。
フランシス・コッポラ監督はエイコについて、「境界を知らないアーティスト」と評した。
エイコは東京芸大に現役入学したあと、資生堂に入り、宣伝部の広告デザイナーとしてキャリアを積んだ。その後、独立してアートディレクターとして活躍するようになった。パルコの宣伝にも関与。さらに芝居やファッションショーの世界にも進出した。
アメリカにわたって、映画の美術や衣装デザインでも活躍した。音楽、映画、演劇という三つの領域にまたがって、世界最高レベルの評価を得た。これはすごいことですよね...。ちっとも知らなくて、申し訳ありません。
生まれは、私よりちょうど10年早い。73歳で、すい臓ガンにより死亡(2012年1月21日)。
1957年4月、東京芸大の美術学部に入学。専攻は図案計画科。東京芸大は、そうやすやすと入学できる大学ではない。子どものころから、この子は絵がうまいと周囲にひたすら絶賛され続けてきた美術の神童たちが、全国津々浦々から集う名門校、三浪四浪と浪人を重ねる受験生も多い。現役合格のハードルは高く、その門は狭い。
東京芸大の最近の学生の生態を描いた本を少し前に紹介しましたが、ここは奇人変人の集まるところでもあります。だからこそ一級品の芸術が生まれるのでしょう...。
学問や芸術の世界は行政による統制とは無縁でなければいけません。
資生堂に入るとき、面接官に対してエイコはこう言った。
「グラフィックデザイナーとして採用してください。お茶汲みとか掃除するような役目でなく...。お給料は、男性の大学卒と同じだけいただきたいです」
これを聞いた重役は、ぶったまげたことでしょうね。そして、だからこそ入社が決まったのでしょう。
エイコの作品集『エイコ・バイ・エイコ』2万円は5000部、アメリカで完売したとのこと。どんなものでしょうね。図書館にあったら、拝んでみたいものです。
エイコは相手を説得するとき、アイデアを10案ほど用意する。自らは、推しの一案を決めているにもかかわらず、複数案を見せるのは、相手を説得するプロセスとして使う一種の儀式だ。自信のある一案だけを見せたのでは、説得力に欠け、相手を不安にさせかねない。いくつものプランを比較したうえで、イチ推しのプランへとクライアントの気持ちを向けていく。なーるほど、この手がありましたか...。弁護士としても身につけたい必要なテクニックですね。
堂々540頁の価値ある本です。正月休みに読み通すことができました。
(2020年11月刊。2800円+税)

2021年1月23日

マルノウ(農)のひと


(霧山昴)
著者 金井 真紀 、 出版 左右社

ちょっと信じられない農法を紹介した本です。どんなに変わっているかというと...。
芽の伸ばしかた、枝の切りかた、実を摘むタイミングを工夫したら、肥料を一切つかわなくても作物は元気に育ち、農薬もいらない。穀物だって果物って、もちろん野菜もおいしくなるし、収穫量も増える。これこそ、地球環境を守りながら、もうかる農業経営だ...。
しかし、そうなると、農協の経営指導は成り立たなくなります。農薬も肥料も不要だなんてことになったら困りますよね...。
その農法は、とにかく枝をきつく縛ること。ミカンの苗木の新芽をギューギュー、きつく縛りあげた。すると、品評会で1位になるほど、新芽は大きく伸びた。ギューギューに縛られた枝は地面に対して垂直になる。すると、先端部でつくられたオーキシン(植物の成長ホルモン)が幹を伝わってどんどん下に移動し、根っこがぐんぐん伸びる。根が伸びると、今度は根の先端からジベレリンが出て、そのおかげで枝がぐんぐん伸びる。
ミカンを植えた地中に石ころがあると、根っこが石にぶつかってエチレンが多く出る。エチレンは接触刺激で出る。すると、エチレンは病害虫を防いで、実を成熟させるので、ミカンが甘くなる。要するに、植物ホルモンを活用しているという農法なのです。嘘のような話です。著者も私も、すっかり騙されているのでしょうか...。
枝は立ち枝を重視し、元気な枝を残してせん定する。
温州(うんしゅう)ミカンは500年前に日本で誕生した。中国から鹿児島に入ってきたミカンが変種して生まれているので、実は日本産。タネがほとんどないので、以前は、人気がなかった。
この温州ミカンとオレンジをかけあわせて生まれたのが「清見(きよみ)」。これから、デコポンとか不知火、せとか、はるみというスターが誕生した。うひゃあ...。
こんな農法もあっていいよな、そう思いながら読みすすめました。次は、ぜひ写真で確かめたいものです。
(2020年10月刊。1700円+税)

2021年1月12日

生き物が大人になるまで


(霧山昴)
著者 稲垣 栄洋 、 出版 大和書房

子どもと大人の違いをいろんな角度から考えた本です。なるほど、そういうことだったのかと、思わずうなずかせてくれるところが満載でした。
キングペンギンは、成長した子どものほうが、大人より体は大きい。うひゃあ、そんなこともあるのですね...。
アベコベガエルは、オタマジャクシのときは25センチの大きさがあるのに、大人のカエルは6センチほど。大人になると子どものときの4分の1になってしまう。
このように、子どもが大人になるというのは、単に体が大きくなるということではない。そして、オタマジャクシの尻尾のように、大人になることで失うものもある。
カブトムシの体の大小は、幼虫のときに食べたエサの量で決まる。
イノコヅチは、葉の中にもイモムシの成長を早める成分をふくんでいるので、このイノコヅチの葉を食べたイモムシは、十分な葉を食べることなく大人のチョウになってしまう。すると、小さな成虫にしかなれず、卵を産む力はない。つまり、イノコヅチは、こうやってイモムシを退治している。
人間の赤ちゃんが可愛いのは、おでこ(額)の広さにある。「子どもが可愛い」のは、哺乳動物の大きな特徴。それは哺乳動物の赤ちゃんは「大人に守られるべき存在」だから。
そして、おでこが広いと可愛いと思うのは、そのように感じるように大人の脳にプログラムされているからでしかない。うむむ、なるほど、なるほど...。
毒針をもつ恐ろしいサソリは、子育てをする虫、じつは子煩悩な虫だ。
ハサミムシの母親は、子どもたちを産み終えると、自らの体を子どもたちの最初のエサとして投げ出す。同じようにカバキコマチグモの母親は、赤ちゃんグモを産むと、赤ちゃんグモに自らの体を支え、体液を吸わせる。これが子育て。
哺乳動物にとって、「遊ぶこと」は、重要な生きる手段になっている。遊びながら子どもたちは生きるための知恵を身につけていく。
人間の経験は、AIの情報量を上回る。
哺乳動物の親の役割は、安全な環境で子どもに経験を積ませることにある。
哺乳類は、生きるために必要な最低限の技術さえも、親から教わらなければならない。それが知能。水中をうまく泳いでいるカワウソも生まれつき泳げるのではなく、母親に泳ぎ方を教えてもらわないと、満足に泳ぐことはできない。
そして哺乳動物は、親もまた、親となるための練習が必要となる。本能だけでは環境の変化に対応できないので、教え方は変化するという戦略を選んだ。
ゴリラは、子どもが小さいうちは母親がずっと抱っこして育てる。ゴリラが離乳することになると、母親はオスのゴリラのところへ子どもを置きにくる。オスのゴリラのまわりは子どものゴリラでにぎやかになる。まるで幼稚園のよう。オスのゴリラは子どもたちの面倒をみるというより見守っているだけ。しかし、子どもたちがケンカを始めると仲裁に入る。その仲裁は平等。ゴリラ同士のルールや社会性を、そこで教えている。やがて子どもたちは、父親のベッドで寝るようになったあと、父親のベッドの近くに自分のベッドをつくって寝るようになる。これが自立の証し。
ごっこ遊びは模擬練習。大人のマネをして、子どもを育てるという大切な技術も遊びを通して学ぶ。
この本は最後に、大人だって成長したいし、成長できることを強調しています。体が大きくなるばかりが成長ではないのです。
心の底から楽しいと思える好奇心や心の底からやってみたいと思える挑戦心や向上心があったら、それこそ今の成長ステージで発揮される成長する力なのでは...。
子どもは育てるものではなく、子どもは育つもの。大人にできるのは、子どもが育つ環境をつくってあげること。すっかり納得できる話でした。
(2020年8月刊。1400円+税)

2021年1月 8日

小説をめぐって


(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店

私の心から敬愛する井上ひさしが亡くなって、もう10年になるのですね...。
井上ひさしは、たくさんの本を書いたうえ、日本ペンクラブ会長や九条の会の呼びかけ人となったり、社会的な発言も惜しみませんでした。
「むずかしいことをやさしく」という井上ひさしの言葉を、私はいつも忘れないようにしていますが、言うは易くで、ついつい難しい言葉で逃げようとします。
井上ひさしの妻のユリさんによると、井上ひさしは、「手で書く」、「手で覚える」のを大事にしていたとのことです。よく分かります。私も、こうやって手書きで他人の文章をうつしとっています(パソコンに入力して、ネットにアップするのは秘書の仕事です)。
毎日、忙しいのに日記をつけていたというのにも驚きます。ともかく、よくメモをとっていたとのこと。私も、ポケットの中、車中にはメモ用紙とペンを置いておきます。すぐに忘れてしまうからです。
私が真似できないのは、井上ひさしは、文章だけでなく、図や絵も入れるというところです。私も絵に挑戦したことは何度もありますが、下手のまま、いつまでたっても上達しないので、最近は絵のほうはなしですませています。
藤沢周平の傑作小説『蝉しぐれ』について、海坂藩の城下町が見事な絵図面として再現されていて、この本でも見開き2頁で紹介されています。少し丸っこい、読みやすい字とプロの描いたと思わせる絵図面なので、その見事さについつい唸ってしまいます。
井上ひさしは江戸時代後期の女性について、「労働奴隷」というのはあたらない、案外のびのびと勝手に暮らしていたとしています。持参金制度も、夫をしばるもので、女性(女房)は夫から大事に扱われていたのです。働き者で経済力があり、笑いさざめきながらも物見遊山の旅を楽しむ女性たちもいたそうです。私も、まったく同感です。
井上ひさしの本に『東京セブンローズ』というものがあります。これは、一井人の日記を題材(素材)にしています。
市井人の日記を古書店で入手するわけだが、高値のつくのは、そのときどきのモノの値段を丹念に記録している日記が断然、値が高い。
これは、なるほどだと私も思います。天候(その移り変わり)とモノの値段は、あとから(後世に)、書き足しようがありません。嘘はいつかバレますし、嘘がバレたら、もう取り返しはつきません。少なくとも表舞台からは追放されると思います。
アベ政治を継承したというスガ首相の国会答弁のブザマなことは腹が立つと同時に涙がほとばしるほど悲しくなります。首相が自分の言葉で日本をどうするのか政策を語らないというのは、ちょっと信じられません。
井上ひさしが生きていたら、今、何と言うかな...、そう想像するキッカケになった本でもありました。
(2020年8月刊。2000円+税)

2021年1月 3日

もっと!ドーパミンの最新脳科学


(霧山昴)
著者 ダニエル・Z・リーバーマン 、 出版 インターシフト

脳内に存在するドーパミンがイギリスで発見されたのは1957年。
ドーパミンの本質は快楽ではない。ドーパミンは快楽物質ではなく、その本質は期待物質だ。
ドーパミンは報酬予測誤差によって始動する。この報酬予測誤差は目新しいものから来る興奮。実際に起きたことが予測よりも良ければ、それは未来予測の誤差となる。
私たちの脳は、予想外のものを希求し、ひいては未来に、あらゆるエキサイティングな可能性が始まる未来に関心を向けるようにプログラムされている。
青少年の脳のなかで、成人ともっとも大きく違うのは前頭葉。この前頭葉は、大人に分別のある判断をさせている。前頭葉はブレーキのように機能している。
天才はドーパミンのおかげ。ところがドーパミンは天才についてしばしば人間関係を苦手とさせる。アインシュタインも、その一人。
ニュートンは狂気にとりつかれていて、50歳のときには本格的な精神病になり、精神病院で1年を過ごした。
ドーパミンは指揮者であり、オーケストラではない。
ドーパミンは進歩のエンジン。
ドーパミンは、大きな快感を生んだ驚きが二度と驚きにならないように手を尽くす。つまり、ドーパミン自らが快感を消している。これは、私たちが生き続けるうえで、必須・不可欠のもの。私たちを人間たらしめているもの、それがドーパミン回路だ。
ドーパミンについて知り、人間の行動の奥深さもあわせて知ることのできる、面白い本でした。
(2020年10月刊。2100円+税)

2021年1月 2日

最後の湯田マタギ


(霧山昴)
著者 黒田 勝雄 、 出版 藤原書店

マタギの世界をうつしとった貴重な写真集です。
ときは1977年から1997年までの21年間。場所は岩手県和賀郡湯田町(現・西和賀町)。ここは、東北地方でも有数の豪雪地帯。かの有名な沢内村に隣接し、またカマクラで有名な秋田県の横手市は20数キロ先。
この湯田町の長松地区にはマタギと呼ばれる人々が暮らしていた。
マタギの頭領は「オシカリ」と呼ばれ、長松地区では世襲の地位だった。
熊獲りには10人ほどの隊を組んで出かける。獲った熊の肉は均等に分けられ、くじ引きによって全員に分配される。丁寧に乾燥され、成形された高価な胆のうもグラム単位で平等に分けられる。
著者は熊獲りに同行を許され、3年目にしてようやく熊獲りの現場に立ち会って写真をとることができました。
猟場に向かい、猟場を遠望し、待人とトランシーバーで連絡をとりあい、村の中で獲物の熊が来るのを待つ射手。いずれも1989年から1991年にとられた写真です。みんな若くて元気です。
今ではマタギの世界もなくなり、猟をする人はいても10人で隊を組んで出かけるということはないようです。
白黒ですが、くっきり鮮明な写真集です。人々の生活が躍動感あふれる写真集になっているのに心が震えました。
歌手の横井久美子の名前が出てきたり、オビの推薦文はなんと瀬戸内寂聴というのにも驚かされます。あなたも、ぜひ図書館で手にとって眺めてください。
(2020年6月刊。2800円+税)

2021年1月 1日

白嶺の金剛夜叉


(霧山昴)
著者 井ノ部 康之 、 出版 山と渓谷社

山岳写真家・白籏史朗の一生をたどった本です。白籏史朗の写真集は、私も何冊か買って持っていますが、そのド迫力には圧倒されます。
尾瀬写真美術館というものがあるそうです。ぜひ一度行って、高さ9メートル、幅15メートルの巨大写真を5つのスピーカーで再現した滝の轟音(ごうおん)を聴きながら、じっくり眺めてみたいものです。そして、樹々のトンネルをくぐるように2階にすすむと、落ち着いた、いかにも尾瀬らしい雰囲気に浸ることができるそうです。いやあ、ぜひぜひ実感してみたいですう...。
私は尾瀬沼には一度行きましたが、一度しか行っていません。私が大学2年生のとき(1968年6月)、授業をサボって、駒場寮の後輩と3人で行きました。東大闘争が始まる直前の、まだフツーに授業があっているときのことでした。尾瀬沼の本道を歩いて、「夏がくれば思い出す、はるかな尾瀬」の世界に浸ったのでした。
白籏は中学校を卒業して、高校進学をあきらめ、東京の写真家・岡田紅陽に弟子入りした。このとき18歳。いやあ、すごいですね。それ以来、写真ひと筋で86歳まで70年間近く生きたわけです。
山岳写真家として本人も何度か危険な目にあっていますし、弟子を3人(うち1人は交通事故で)亡くしています。いやはや、山は、とくに冬山は怖いですよね、きっと...。
白籏は師匠と同じく富士山も撮っているが、それは富士山込みの風景写真ではなく、あくまで山岳写真としての富士山。つまり、新幹線や茶摘み娘、大漁旗漁船、田植えをする人々などを組み合わせた写真ではない。それは、横山大観の富士山の絵と共通している。なーるほど、ですね...。
白籏は「白い峰」という写真家集団の育成に心血を注いだ。30人で出発し、250人もの強力集団にまで成長した。中学校までの教育しか受けていない、山梨県の田舎出身の白籏は、そのコンプレックスを内に秘めたまま、刻苦勉励、精進潔斎し、山岳写真界の第一人者に到達した。
白旗の撮影の基本は、可能な限り高いところに登り、360度を見すえて、じっくり撮る。これに尽きる。
白籏が山に正対するとき、三面どころか四方八方、頭上足下に五つの眼にも匹敵する鋭い視線を走らせ、六本はないが両手と十本の指を六通り以上に駆使し、三脚を据え、カメラを固定し、レンズを交換し、フィルムを装填し、ファインダーをのぞき、シャッターを切る。それは、まさに金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の姿そのものだ。
いやはや、なるほど、こんな姿で構えて、あの数々の傑作写真が生まれたのですね。納得できました。白籏(しらはた)史朗の写真集を改めて手にとってみることにします。
(2020年5月刊。2000円+税)

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